2008年03月26日

ジジババ・ヨコノリ

引き続き、マキシマムザホルモン「DVD(ダムvsダム)」を鑑賞。「DVD(デコvsデコ)」の特典ディスクのようなものでして、伝説のライブ「地獄絵図」シリーズなどが収録されております。「地獄絵図」といいますのは、ライブ・チケットが入手しずらくなったというファンの声に応えて、ホルモンが企画したイベントで、限定された条件をクリアした勇者たちを、自分たちがいつも練習しているスタジオに抽選で招待するというもの。第1弾の「デブ」と「すっぴん」に始まり、その1年後に第2弾の「ガリガリ」と「ジジババ」が開催されます。わしら夫婦は、30歳以上という応募条件だった「ジジババ」の抽選に漏れてしまったわけですが…。すでにそれでもオーバーエイジ枠だったわけですけども(爆)入場料がわりの”すあま”をどこで入手しようかと悩んだものです。この”すあま”。どうも普及している地域が限定されているようで、八王子から都下あたりではよく見る和菓子なんだと思うのですが、いざ入手しようと思うと意外にその辺では売ってないものでね。一度、分布を調べてみたいと思ってます。
で、参加できなかった「ジジババ」の映像観て笑った、笑った!なんでヨコノリ〜?!なんかちがう〜!でもすっごく楽しそうで羨ましかった。

さて、先日池袋であらためて思ったのですが、同じ商品を扱う店でも、それぞれ得意分野というか、力を入れている所が違うものなのですよね。
たとえば、書店でもそうです。池袋に大型書店はこれまたたくさんありますが、それぞれに微妙に特色があります。西武のリブロは芸術系や絵本なんかに力が入っている感じがします。東武の旭屋書店は、ビジネスマンが好みそうな品揃えで、文庫の小説や話題の本に力が入ってる感じ。ジュンク堂は蔵書数からしてものすごいですから網羅性が武器ですが、学術書や専門書をたくさん置けるスペースがあるので、図書館的なノリを感じます。昔、西口にあった芳林堂書店は、学術書が充実していて、大学の授業で使う教科書的や参考図書は、いつもここで購入してました。サブカルチャー的な本もたくさんあった気がする。残念なことに、今はコミック専門書店しか残ってませんが。ここはここですごいけど。

でね。CDショップにも同じことが言えると思います。HMVはなんでも万遍無い感じ。同じHMVでもメトロポリタン店の方は若干クラシックやジャズに力を入れてる感じかな。サンシャイン通りの方は、J−POPとか売れ線が前面にピックアップされてる感じですね。ヴァージン・メガストアは洋楽の感度が高い感じがします。それと、和洋問わずまだ話題になる前のアーティストをいち早く取り上げてる感じ。タワーレコードは、なにしろジャパニーズ・ロックがすごい。今回はHMVをメインに考えていたので、DVDといっしょに買おうと思っていたジャパニーズ・ロックのCDを探すのですが、2店舗ともに棚には無い。だけど、タワーレコードにはちゃあんとありました。それにここは試聴コーナーがすごい。他では聴けないジャパニーズ・ロックのオススメが聴けます。
あくまでも池袋での私の主観ですし、違う店舗ではまた変わってくるかもしれませんね。

昨日、地元のヴァージンの試聴コーナーで耳に付いたものがありました。

MINDLESS SELF INDULGENCE
HPはコチラ。My spaceはコチラ
イカがウサギの頭を食ってるイラストが強烈なお前は何にでも反発する。これは、日本限定盤らしいですが。結成10年もインディーズで活動し続けているというニューヨーク出身のエレクトロニカ/パンクバンドが、ついに日本に進出ということらしいですわ。
あれれ?ここのベーシストのリン・Zマイケミのジェラルド・ウェイが結婚してたんですか?!で、いっしょにツアーもやってたの?知らないっていやねぇ。なぁんだ。そうなの。

もう1枚は、ELUVEITIESLANIA。My spaceはコチラ
スイスのフォーク・メタル・バンド。ケルトっぽい味付けの音が良いです。スイスのバンドだけど、ジャーマン・メタルよりも北欧メタル寄りみたいな感じじゃないですか?アルバムのサブタイトルは「魔笛の国のスラニア」。少女スラニアが魔笛の国を旅する物語。らしい。
この人たちはペイガンなんだね?ペイガンというのも興味深いですな。でも、それはまた今度。

っちゅうことで、今日はこの辺で。
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2008年03月25日

ドキュメント 「DVD」購入

待ちに待ったマキシマムザホルモン「DVD(デコvsデコ)」発売ということで、ちょっと出遅れたけど、喜び勇んでHMVを目指したわけです。私の想像では、今のホルモンの勢いなら、きっと店頭に山積みにされているはずと高をくくっていたのですが、池袋メトロポリタンのHMVのDVDコーナーは、すでに品切れ状態…。店員さんに聞いてみると、次の入荷は2日後とのことでショックを受ける。これを目当てに街に出てきたのに、まさか入手できずに帰ることになるのか…。甘い!甘いぞ、HMV!今のホルモンの人気を甘く見たな?!っていうか予約しとけってことか…。
しかし、あきらめるわけにはいかない。池袋にはもう1店舗HMVがある。サンシャイン通りへGO!ここで説明しよう。池袋には他にもタワーレコードやヴァージン・メガストアをはじめ、音楽DVDを扱う店はたくさんある。なのになぜにHMVにこだわるかというと、手元に1万円分ものquoカードがあったからなのである。これを使わない手はない。のだけれども、こいつでCD・DVDを購入できるのはHMVだけなのであるよ。というわけで、まずはHMVから攻めることにしたのさ。
で、汗をかきかきサンシャイン通りのHMVに到着!エスカレーターで2階に上がるのももどかしい。とりあえず、たしかそっち系は店の一番奥だったはずと、他の商品には目もくれず、ずんずん奥へと進む。DVDの棚は…あった!けど無い!がびーん!ここも売り切れか?と半分あきらめつつ、他に置いていないかと入り口方向に戻ってみる。あった!!なんだ、こんなにあるじゃん。あれ?、ここにも。あれれ?あっちにも。いやだ、ここにも…。冷静に見回してみると、店内のあちこちに山積みされてた…。「落ち着け!オレ!」ようやく目当てのものを握り締めてレジに向かうと、レジ奥正面一面にデカデカと「マキシマムザホルモン DVD」と巨大広告が!なんだよ、このメトロポリタン店との落差は!店全体で猛プッシュですよ(笑)プッシュされなくても買うけどね。

ってことで、ようやくブツを入手できて一安心。
3枚組421分収録という音楽DVD史上稀に見る大作。抽選にはずれた「地獄絵図」が収録されてるDisc3はとっておいて、まずはフツーにDisc1のツアー・フィアナルから鑑賞。しかし、こんなに合唱状態になってるなんて…。アンコールも終わって、メンバーが去ったあとも、流れる音源に合わせて止まらない合唱に、おばちゃんは目頭が熱くなってしまいましたよ。大きくなったねぇ。
それから、Disc2のオフショット映像集へ。膨大な映像の中からの選りすぐり映像なのですよね。実家の窓からBOWBOW!お互いのお誕生日をお祝いするホルモンちゃんたちが微笑ましい。特にダイスケはんを祝うところが…(爆)
「亮君の挑戦状U」を2つクリアした所で力尽きました…。
まだまだ楽しめるもんね。あとはゆっくりと…。

ところで、DVDの発売時期に合わせて、テレビでも「ビキニ・スポーツ・ポンチン」のPVが流れてますね。爆笑しながらも、久々に映像的に凝った作りで、なかなかに完成度の高い作品になってます。toolの影響が強いですかね。ちょっと「Lateralus」っぽいです。

さて、DVDを購入した日。使命を終えるまではなんだか落ち着かず、他のCDなんか視聴したりする気になれなかったのですが、無事DVDを入手して落ち着いたら、少し気持ちに余裕が(笑)ちょっと視聴した中に、前から気になってたセパルトゥラ「ルーツ」があったのですが、やっぱりいいな。で、思いました。もともとスラッシュ・メタルだったそうですが、私はこの民族色の強い音が気に入りました。って…メンバー全とっかえになってるじゃないの!これがオリジナル・メンバー最後のアルバムなのね?
だんだんわかってきたのですが、ミクスチャーやパンクやメタルをベースに、どこか民族色の強い音が私の耳につくようです。セパルトゥラはブラジルのバンドで、南米の古代文化の香りがします。考えてみれば、マキシマムザホルモンだって、日本という民族色の強いミクスチャーですし。ほかに、アルメニア人バンドであるシステム・オブ・ア・ダウンとか。あと、バグパイプやフィドルの音が入ったアイリッシュ・パンクとか。そういうものの方が、どこか魂を感じさせるのかもしれません。

すっごい久々に池袋を訪れたのですが、道々、あったはずのビルが取り壊されてたり、お気に入りだった店が撤退していたり、サンシャインに惣菜屋ストリートができていたり、訪れなかった数ヶ月の間に変遷が起きていて驚きました。あとね。人の歩き方の遅さにびっくりした。カップルや子供連れの歩みが遅いのはわかりますが、全体的に人の流れが遅くて、こんなだったかな、と。なるべく人の少ない裏道を選んで通行していたのですが、気が急いていた私には、休日の池袋を歩くことは苦痛でした。東急ハンズの入り口とか、ひど過ぎた…。
普段の人波に揉まれない生活に慣れてしまい、街の歩き方を忘れかけてましたわ。

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2008年03月21日

バターはどこへ消えた?

うちでは毎日のお料理に意外と使うバターなのですが、ここしばらく、どこの店へ何度行っても売り切れ状態。おかしいなと思っていたら、バターの品薄がニュースになってました。ニュースを目にしてからも、空振りは数回続き、スーパーでもお知らせを貼り出してましたね。その後やっとのことで入手しました。他の油で代用がきくとはいえ、もともとお菓子やパンを手作りしているようなご家庭は大打撃をうけているでしょうね。

オーストラリアの旱魃などの異常気象やその他もろもろでまず飼料の価格が世界的に上がり、牛乳自体の価格が上昇したことで、日本で業務用に輸入されていた製品が国産製品の使用に切り替わって、国産のバターの分捕り合戦が始まり、業務用の品薄が一般の市場にも影響して、全体的に品薄になったとか。そもそも、国内では2006年あたりから牛乳生産の余剰を失くす為に牛乳の生産が制限されていたようで、そんな話も無関係ではないみたい。すでにチーズも値上げされているようですが。どういう理由からか、生乳はチーズや生クリームの製造に優先的にまわされるということで、バターが品薄になるんだとさ。
もともと、数年前からバターは生産余剰があったらしい。ダイエットとか健康とかで脂を減らす傾向があり、本当は間違ってると思うけど動物性油脂というのが敬遠されてきたこともあるしね。ヨーグルトとか発酵乳みたいなものは人気が高いけど、牛乳自体の消費も減っているみたいだし。そんなこんなで牛乳が余ってしまったんで、生産量を減らしたら世界的な穀物の不足の問題などのあおりをうけてしまったという。なんとも間の悪い話で。
しかし、世界はつながっているんだねぇ。

中国の餃子問題に端を発して、食料の国内自給率の低さが取り沙汰されるようになりましたけど、たとえば、主食となるお米だって、数十年後には米農家が減ることで生産量が減ってしまうことが懸念されているというじゃないですか。昔は米が余って減反とかしてきたんだよねぇ。農業は大事な産業なのに、農産物の安易な価格調整・生産調整と後継者問題のダブルパンチで、衰退していく一方のような気がします。確かに、自然相手のある意味博打のような仕事でもありますし、きつい労働を考えると成り手が少ないのもわかりますが、命をつなぐ食料を作り出すということは、生物としての人間の生死に関わってくることであり、とても大事な仕事なのですよねぇ。ただ作物を作るってだけでも大変なのに、そこに”安全な”ものを作らなければいけないという枷も加わると、余計に大変になりますねぇ。
先日、小さな小さな粒の苺を買いました。実が小さいままに赤く熟してしまって、値段は落ちても収穫せねばならなかったのだろうなと想像がつきます。今では1年中手に入る胡瓜も、普通の半分くらいのサイズで投売りされているものがありました。八百屋さんが、ハウス栽培のものは石油の価格上昇の影響でロクに育っていないのだということを教えてくれました。小さな粒の苺も、そんな理由だったのではないでしょうかね。

あとね。ナゾなのがシューマイの皮の品切れ。ギョーザの皮が品薄なのは理解できますけどね。例の毒ギョーザ事件で、手作り派が急増して、皮だけでなく具に使う食材も売れているそうですよ。しかし、シューマイは関係ないのになぁ。どちらも小麦粉が使われてるから、原材料費も上がってはいるとは思うのですが。ギョーザはなぜだか上手にできたためしがなくて、市販のものを買った方が美味しいのですが、シューマイはギョーザよりも簡単に美味しくできるので、うちでは定番メニューなんですけどねぇ。困りました。何かの葉っぱで代用しようかとも考えてみるのですが。

なんだかね。こうやって、食品が入手できなくなる危機が徐々に徐々に迫ってくる感じがします。いろんなものが微妙に値上がりしてますしね。値段が上がってないと思っても、よく見ると内容量が減っていたりするんですよね。先日友人が言ってたんですが、ヨーグルトについてる顆粒のお砂糖が半分になってたとか。こんなふうにしないと、企業側もやっていけない状況になってきているのでしょうね。
様々な食品を国内で自給していくためには、すぐにでも手を打たないといけないと思うのですが。そんなに簡単に転換できることじゃないでしょう?軌道に乗るまで何年も何年もかかることだと思いますから。

何かが品薄になるたびに、昔ソ連や北朝鮮のお店を映した映像で見た、ガラーンとしたショーケースを思い出すのですよ。将来の日本はそうなりかねないよね。
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2008年03月19日

川の光を求めて

昨日はちょっと見方によってはキショい記事だったので、今日はお口直しを。
図書館に数ヶ月前に予約していた本が、タイミングよく2冊ずつ順番が回ってきて、『ホルモー六景』『有頂天家族』『ホームレス中学生』『川の光』『鹿男あをによし』『ライラの冒険 神秘の探検』という風に続いています。他にも数冊、小説を読んでますが、今年は思いのほか小説をたくさん読める年になりそうな予感。もちろん、その他にもいつものように変な本を手当たり次第に読んでますよん。しかし、後に予約している人が待っている人気のあるものは、貸し出し期限を延長できないので、予約した人気のある小説から優先して読まないといけないわけです。

さて、今日とりあげたいのは松浦寿輝さんの『川の光』。川べりに住む3匹のクマネズミの親子の冒険の物語です。読売新聞の夕刊に連載されていた新聞小説だったらしいのですが、平易な文章で書かれている寓話的なお話なので、子供向けの童話と言っても良いような作品。でも、なかなか深いお話です。
舞台は武蔵野のとある川べり。クマネズミの親子が棲んでいた川が暗渠になることを知り、新しい棲み処を求めて川の上流への冒険が始まる。母親を亡くしたタータとチッチの兄弟、それに”お父さん”の3匹が辿る道は危険がいっぱい。ドブネズミ軍団の縄張りを抜けたり、イタチに追いかけられたり、ノスリに狙われたり、人間も怖い存在だし、台風に遭ったりもする。一方で、優しい友人たちともめぐり合う。気のいいレトリバーのタミー、スズメの親子、モグラの家族、実はやさしいロシアンブルーのブルーおばさん。寓話的なお話だから、都合のいい展開が満載だけど、まぁハッピーな感じで、それはそれでよいのではないかと。
導入部分で、ネズミの視点に下りるために、音を立てずに静かに静かに川原に下りて、そおっとそおっと足元の草をかきわけてみて、と始まる。BBC製作の動物ドキュメンタリーみたいに、すーっとクマネズミの世界にお邪魔することができる。かと思えば、物語の終わり近くに、唐突に宇宙の視点に引っ張り上げられる。無数の生命が生きる地球を見下ろして、そのなかにちっぽけなネズミたちのいのちを見出す。生命の危機に陥ったネズミ親子のことを「取るに足りない無数の小事件のひとつ」と言い、また同時に「とてつもなく大事なこと」だと言う。
なぜか。その理由は簡単だ。ネズミであろうと何であろうと、生命というものはそれ自体。一つの奇蹟だからだ。ある特殊で複雑な仕方で組み合わさったたんぱく質の分子の複合体に。あるとき突如として、生命が宿った。生まれて、生きて、番って、死ぬという不思議なサイクルが生じ、生命の輝きが、温もりが、歓びが、世代から世代へと受け継がれていくようになった。これが神秘でなくて何だろう。奇蹟でなくて何だろう。

そう言って著者は、ちっぱけな存在に光を当てる。

ごめんなさいね。かつて私は実家に出没したネズミを数匹殺しました。ここでは詳しく書くことは避けますが、寝ていてネズミに噛まれたこともあってね(笑)でも、なんだか申し訳ないことをしたような気持ちになってしまいましたよ。
人が暮らす地域で見られるのは、クマネズミ・ドブネズミ・ハツカネズミの3種類。全国的にはドブネズミが優勢みたいだけど、都会では、器用で電線を伝ったりできるクマネズミがビルの谷間で増殖しているらしい。そういえば、ペストノミの媒介者となるのは主にクマネズミだそうで、温暖化などと相俟って、近未来に再びペストが流行することが懸念されてるなんて話も聞いたな。地下鉄の駅で、たまにネズミが走ってるのを目撃したことがあるけど、あれはドブネズミだったのかな。ドブネズミとクマネズミの違いがよくわからんね。実は、ほんの数日前に、マンションの駐車場で、隣接する住宅の下水管の中に走って逃げ込んだネズミを目撃。あれは少々小さめだったからクマネズミだったかも。家ねずみは、やはり害獣としてしか考えられないけど、野に棲むねずみは野生動物として許せてしまう自分に矛盾を感じる。棲んでる場所が違うだけなのにね。

お話の内容に戻って。
図書館に棲む孤高のドブネズミ、グレンがいい味出してます。彼がこんな詩を披露してくれます。
生きるとは、戻ってゆくこと
生誕のみなもとへと還ってゆくこと
安らかな川の流れにあえて逆らい
泥にまみれ 血を流し
敵と戦い 戦いのあとに熟睡し
また起き上がって どこまでも
どこまでも ぼくは歩きつづける
川の光を求めて
川の光を求めて

川は、古い水を押し流して常に新しい水と湛えながら前進する。いろんなものを飲み込んで海に達しては、蒸発して雨となり、また海へと循環していく様が、生命の輪廻ともとれるし。とにかく、実はこの物語の中では、川というものが非常に哲学的な存在となっているわけです。
言葉についても考えさせられます。ネズミは文字を持たないわけで、様々なことを親から子へと直に教えて受け継いでいくしかない。言葉の便利さと、それとは裏腹な言葉を超えた精神性みたいなものと、両方の存在を際立たせてくれた本でもありました。

小学生の頃、くりかえしくりかえし読んだ大のお気に入り『冒険者たち』は、やはりネズミのお話でした。アニメ『ガンバの冒険』の原作ですね。もう一度、読み返したくなりました。『冒険者たち』には、『グリックの冒険』というリスのグリックを主人公にした物語と、『ガンバとカワウソの冒険』という姉妹編があるのですが、この『川の光』もグレンとその仲間がドブネズミ軍団と戦う話とか、クマネズミ親子の新天地での生活とか、続編ができそうな雰囲気でしたね。

何をくだらない。と思った方もいらっしゃるでしょうが、この本を読むと、自分が小さなねずみとなって、必死に生きる日々を体験できます。ねずみの視点で川べりの世界を見たら、そうきれいでもない水に反射する太陽の光が、それはそれは美しく映ることでしょうよ。
posted by nbm at 11:13| Comment(19) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

両脚羊

自分は美味いか?
いやね。カニバリズムとかそういう物騒なことではなくて、純粋にお肉として美味しい部類に入るかどうか想像してしまったわけです。
たとえば、うちのダンナさん。腕のあたりのお肉は非常に引き締まった筋肉で構成されているので、焼いたらぷりっぷりのチキンのローストのようにとっても美味しい気がします。
一方の私ですが、いわゆる固太りタイプなので、スライスしたら上等な和牛のすきやき肉のようにサシが入って、それは美味しいのではないかと思われ…。ダイエットする前は脂肪肝だったので、それはそれでフォワグラが楽しめただろうに(笑)だけど、肉に限って考えると、雑多なものを食べてるから、味はあんまりおいしくないのかも。だって、たとえばカラスの肉は不味いっていうでしょ。ヤツらゴミとか食べてるもんね。私はさすがにゴミは食べてないけどさ。(笑)しかし、ここで朗報!ハシブトガラスは不味いけど、ハシボソガラスは美味いらしい。ま、それも山の中での話しだから、都会のカラスはどっちにしろ不味そうだな。
食べているものがそのお肉の味に直結するのでしょうね。そんなことで、今日はお肉の味と彼らが食しているものについて考えてみました。

上等なフォワグラを育てるというと、むりやり餌をノドに流し込まれて食わされてるガチョウの映像を思い出しますが、フランスのフォワグラ生産者団体のサイトによれば、強制飼育(と呼ぶらしい)はガチョウに負担は与えていないという風に説明されてます。鳥類は、脂肪細胞じゃなくて肝臓に栄養を貯蔵するんだね。つまり、肥満にならずに肝臓だけ脂肪肝にできるわけか。なるほど。そういえば、フォアグラのために飼育されてる鳥が太ってるかって言ったら、そうじゃないもんね。今は、ガチョウよりも飼育しやすいカモ(アヒル?)が使われてるんだね。強制的に食わしてるのは、トウモロコシだそう。これなんだよな。上等なお肉って、大体単一の飼料を食わせて飼育するよね。
たとえば、イベリコ豚。ありゃあ、ドングリだけ食べさせてるわけでしょ?あれ?調べたらドングリだけじゃなかったのか。牧草や植物の根っこも食べてるの?おかしいな。ま、いいや。それで、適度に運動してるってことね。ドングリに含まれているオレイン酸が、お肉を美味しくしてるらしいよ。
今度は和牛。和牛はサシが命みたいだから、飼料の中身うんぬんよりも、サシをいかにいれるかというのが重要みたい。これには、ビタミンAが密接に関わってくるようで、ビタミンAをいかに制限するかが問題らしい。制限しすぎると、当然のことながら牛は病気になるわけで、病気にならないギリギリのラインでビタミンAの摂取量をコントロールするという方法が模索されているみたい。ん?ちょっと待てよ。ビタミンAを摂るとサシが入らないってこと?じゃあ、応用して考えると、固太りの人のダイエットにはビタミンAがキーになるってことなのか?牛が食べる飼料には穀物と牧草の2通りがあって、穀物を食べさせて牛舎で育てるアメリカ牛なんかは運動不足から脂肪分が多くなり肉はやわらかくなる。放牧で牧草を食べさせて育てるオーストラリアやニュージーランドなどの一部の牛は健康的で、味はあっさりしているけど、手間がかからない分安くなるということらしい。
さて、和牛がどうしておいしいのか研究した人がいます。日本獣医生命科学大学(旧日本獣医畜産大 すげぇ名前になったんだな)の沖谷先生。鶏肉・豚肉と違い、牛肉は熟成しても旨み(アミノ酸)はあまり増えないそうで、おいしさの他の原因を探したら、それは香りだったという話。実はこの香り、牛肉にもともとあるある種の細菌が関係しているそうで、赤身と脂身と酵素とこの細菌が相俟ってよい香りを作り出しているのだそうですよ。細菌と言っても、もちろん食べても害のないものだそうです。輸入肉が美味しくないのは、脂肪分が少ないってことだけじゃなくて、真空状態にされるために酵素や細菌が働かなくなるという原因も考えられるのだそうな。はぁ、なるほどねぇ。
牛を育てるというと、サイロを思い出しませんか。牧草を貯めておいて発酵させた状態で食べさせるってヤツ。あれをサイレージっていうらしいんですが、作るのが難しかったり、肉質の低下を招くっていうんで、今はほとんど使われていないそうですね。今は、稲わらと大麦、トウモロコシ、大豆粕、麦ふすまなどを主体とした濃厚飼料が与えられていることが多いとか。

他に、思いつく種の肉の味を調べてみたけど、獲れる場所とか時期でもずいぶん味が違ってくるみたい。たとえば熊。夏の熊は臭いが強くて不味いらしいけど、冬の熊や春先の熊はけっこう美味しいみたい(笑)サルやニホンカモシカなんてものは今は禁じられて食べられないけど、とっても美味しいのだそうですよ。ライオンの肉が日本のスーパーで売られていたなんて話もあったのですが、硬くてあまり美味しくないとか。狐や狸も獣臭くて美味しくないという話が多いようですね。ほんものの”きつねうどん”や”たぬきうどん”はちょっとヤバいかも。そういえば、最近読んだ「有頂天家族」に狸鍋が出てきましたね。京都の狸は美味いんだろうか。

人肉が酸っぱいという説がありますが、ザクロを人肉の代わりに食するようになったという鬼子母神の伝説から、ザクロの味を人肉の味に置き換えて想像した結果なのかもしれません。しょっぱいという説も多いですが、日本人の塩分摂取量を考えると、これも想像なのかな。本当は、フツーに私たちが食している豚や鳥やなんかと似ているのかもしれません。今回考えてきたように、食べているものや生活環境・運動量などで千差万別になる可能性も高いですし、禁忌を犯す精神状態が味の判断を狂わせるかもしれませんから、やはり本当のことはわかりませんね。

自分の肉を鑑定してみた結果
100グラムあたり961円の輸入冷凍ビーフクラスの品質ということでした(爆)
鑑定はコチラ
posted by nbm at 12:02| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

ビビビ

ハードワーキングな日々も、ようやく終わりを迎えようとしております。実家の仕事の手伝いと自分の仕事が重なって、死ぬかと思いました。私って、基本、主婦じゃありませんでしたっけ?”経理事務員”と”ライター”を行ったり来たり…。おかげで楽しみにしていた2週連続の「空耳アワード」も観られないまま…。両親にこき使われてへとへとです。でもね、多少は親孝行できたでしょうか。しかし、やはり仕事上、手が抜けないという性質は変わっておらず、とことんやってしまう自分にブレーキがかけられないことを再認識するのでありました。「ほどほどに」っていうことができなくて…。背中はバキバキに張り、目はショボショボ。しかし、今日はまたライターさんのお仕事を片付けねば。

といいつつ、ブログ更新をサボッていると、書きたいネタが溜まっていってしまい、それもストレスとなるので、ここはいっちょ書いてしまいましょう。

実家に足繁く通うこととなり、その度に見える景色に「こんなだったっけ?」と思う。天気のいい日には、遠く秩父の山並みがくっきりと見える。そういえば、中学校の校歌の出だしで秩父の山を詠っていたっけね。高い建物が無いので、空が広い。遠くまで田んぼが続いている景色を見ていると、ふと電線の存在が気になる。街中では、家並みに紛れてしまって、普段電線の存在をそんなに意識することがないのだけれど。「墓場鬼太郎」だったか、最近昔の銀座の町並みの絵を見て、銀座4丁目にも電線が通っていた映像に違和感を感じたことを思い出す。深く考えなかったけど、電線は地下に埋設されていたのかと、今更気づく。川越の蔵造りの町並みも、景観を良くするため、たしか都市計画で電線が埋設されたはず…。学生時代、都市計画の授業で市役所に取材に行ったんだよねぇ。

先日、テレビ埼玉で珍しくゴールデン・タイムに映画を放映していた。『鉄塔 武蔵野線』(1997)。近隣が舞台になっているので、興味はあったはずなんだけど、存在を忘れていた作品。残念ながら、イレギュラーな放送に、大事な導入部分を見逃す…。orz…。この武蔵野線はJRの武蔵野線ではなくて、送電線のこと。小学生の少年が、送電線の鉄塔に番号が振られていることに気づき、1番鉄塔を目指して鉄塔を辿っていくロードムービー。ちなみに、主人公の少年を演じているのは、”ちびノリダー”こと、もしくは”電車男”こと伊藤敦史。そして、相棒の少年は、”ウルトラマンネクサス”こと内山眞人。2人とも、ちっちゃくてとてもかわいい(笑)原作は、銀林みのるの日本ファンタジーノベル大賞受賞作。原作小説を読む場合には、ソフトバンク文庫版が、著者のこだわりから鉄塔の写真をすべて掲載したものになっている完全版と呼べるものになるらしい。もちろん鉄塔地図付き。映画のHPはこちら。鉄塔の地図が見られます。
その武蔵野線とは、当時埼玉県日高市から東京都保谷市(現 西東京市)を結ぶ東京電力の送電線。映画のスタートとなった「75−1」鉄塔は、近隣にあります。もう少し体力が回復したら、行ってみよう。映画での目標地点の日高市の1号鉄塔へ至る道は、途中川越街道や鎌倉街道上路と重なるらしい。古道と送電線が同じ道を辿るなんて、なんだか不思議。

いろいろ探していたら、鉄塔マニヤックスというHPを発見。「鉄塔百景」で、様々な形をした個性的な鉄塔のお写真が見られます。ほんとにいろいろあるなぁ。
また、毎日送電線というブログを発見。こちらのお写真が「東京鉄塔」という写真集となって発刊されているようです。
近年、工場やダムなど建造物を愛でることは、一種のブームとなっているような感がありますが、こうして地道にマニアックに楽しんでいらっしゃる方がいるのは、なんだか喜ばしい。長くなったので、この辺にしておきますが、個人的にこの2つのサイトを後でゆっくり楽しみたいと思います(笑)そして、小説「鉄塔 武蔵野線」も読もう!鉄塔は結界なんだね。

電気の道を辿っていったら、いろんなものに出会えて、収穫がありました。
ところで、でんこって東京電力のキャラクターってことは、全国区じゃないのか?
posted by nbm at 12:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

味の向こう側

白いごはんを延々と噛み続けていると、達することができるという境地…それが味の向こう側。お笑いコンビ麒麟田村裕のネタである。
ちなみに、私も似たことをやったことがある。貧乏で白いごはんしか食べられるものがないという状況ではなかったけれど、兄と二人でごはんを茶碗の中で半分に分け、左を”ごはん”右を”おかず”として食べてみるというもの。あらためてごはんを味わってみると、意外なくらい甘いことがわかって驚いた記憶がある。
話を戻して、と。彼の極貧生活ネタは、時折耳にしていたけれど、時流に乗ってか本にまでなるとは思わなかった。話題になっているということで、とりあえず読んでおこうと思い、図書館に予約。予約数はかなりなもので、出遅れた私は130番目くらいだったらしい。窓口の人が、その予約数の伸びにあらためて驚いていた。

本日はネタバレありの内容なので、これから本を読みたい方はご注意を。
「ホームレス中学生」。本職がお笑いなのだから、文章や構成に期待はしなかった。読んでみると、やっぱり小学生の作文みたいだけど、簡潔でわかりやすいので、読みにくいというほどでもなく、ペロっと読めてしまう。時折、笑わせてくれるのは、人柄が文章に現れたものなのだなと思わせるし、内容的に当然のことながら涙を誘う場面も多い。
なぜ、貧乏になってしまったのか。母親はどうしたのかわからないけれど、とりあえず父親がある日突然家族に「解散宣言」をしたことは知っていた。この本の出版と前後して放送されたテレビ番組で、某超能力者が行方不明だった田村の父を探し当て、兄・姉とともに父と再会を果たした場面を見て、どうやって探し出したのか知らないけど(笑)「再会できてよかったね」と単純に思った。「解散宣言」のくだりは、この番組で初めて聞いたかもしれない。父親が失職してそうなったのかなと勝手に想像していたけれども、現実はもっと込み入った悲惨なものだった。まず、田村少年が小学生の時に、彼をひどくかわいがってくれた母親が直腸ガンで亡くなる。その後、妻の死に意気消沈していた父親も同じ直腸ガンとなり、手術で事なきを得たものの、次第に生活が荒れ、そんなこんなで失職。愛する奥さんが亡くなって、その上自分がその奥さんとまったく同じ病気になるなんて、どんなにかお父さんは辛い思いをしたことでしょう。それでも、家を差し押さえられるまでは、子供3人を必死に育てていたらしいし。突然の「解散宣言」も、許せてしまうような気がしましたよ。

さて、その後兄弟はそれぞれ公園で生活するということになるわけですが、そんな生活もひと月ほどで、田村少年は友達の家にご厄介になることになる。これがね。ちょっと、考えられない。この友人宅では、生活の目途が立つまでこの家で生活していいということになるのだ。すでに4人の子供が居たこの家族には、1人増えてもそんなに変わらなかったのか?だけど、息子の仲良しとはいえ、他人の子供をそんなに簡単に預かってしまえる、その許容量の大きさと当たり前さに驚愕。関西ならではなのかなぁ。優しいなぁ。なんて優しいんだろう。そして、この方たちは、近所の人たちとも相談し、田村兄弟がとりあえず一緒に住めるアパートを探して借りてくれて、生活に必要なものの援助までしてくれる。それが一番いいから、と。お金はみんなが働きだしてから返してくれればいいから、と。これまた考えられない。この方たちだけでなく、友達や先生など、田村兄弟の周りには本当に優しく温かい人たちがたくさんいた。お金には恵まれなかったかもしれないけど、逆に人にはひどく恵まれていたんじゃないかと思う。

もうひとつ、田村少年が恵まれていたのは、兄と姉。特にお兄さんは、当時すでに大学生だったこともあって、兄弟を自分が育てるというか支える責任に満ち溢れていた。高校に行きたがらない田村を説得し、本人が思っていたよりもランクの高い高校を受験させたり、おこづかいを日に千円もくれたり。本当に偉いお兄ちゃん。お兄さんも吉本の養成所に通っていたそうだけど、弟の夢をかなえるために、自分は夢をあきらめて安定した堅気の仕事に就く道を選ぶ。そして、田村本人は、もうどうでもいいと人生を投げていた高校生時代に、恩師のおかげで自分が人を楽しませることができることに気づき、亡くなった母親に応えるためには、自分たちが楽しく生き、周りの人も楽しませたいという目標が生まれる。それがお笑いの世界へとつながっていくわけだ。小さい頃から陽気で人気者だった彼の素質というのもあるだろうけれど、こういう思いで裏打ちされた笑いなのだね。

悲惨な話なんだけど、なぜか笑ってしまうのだよね。
まきふん公園のウンコ型すべり台で暮らしていた彼を、小学生たちが”ウンコのオバケ”と呼んで石を投げつけてきたという場面がある。田村は、自分を”ウンコの神様”だと言って、その小学生たちに「全員下痢にしたるからなー!」と脅すのだが、驚くべきことに本当に下痢になった子がいたらしく、「ウンコの神様へ 下痢が止まりません。どうしたらいいですか」と手紙が届いたそうである。たまたまだったのか、暗示にかかったのか、かわいそうだけど、笑える。

相方の川島明との出会いが描かれているくだりで、川島がひきこもりだったことを知った。人には歴史があるものだね。相方とは、非常に信頼し合っている様子で、ここでも田村の人に恵まれる力が発揮されていると思える。

多少の脚色があると仮定しても、人の温かさを感じられる内容で、拙い表現ながら、いや拙い表現だからこそ、人の心に何かを残す作品であることを思う。文芸家気取りの芸人とはちょっと違い、逆に好感が持てた。

ところで、”チョケる”って何?初めて聞いたよ。
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2008年03月11日

デチューン

「ガチョーン」じゃないよ、「デチューン」だよん。「チューンナップ」の反対ですね。「チューンダウン」とは言わんのだね。”性能を下げる”というよりも、あえてある部分を抑え目にすることで他の面を活かすというようなニュアンスなので、「デチューン」は「デチューン」なんだね、きっと。

漠然と、そんな感じのテーマを思い浮かべていたら、「俗・さよなら絶望先生」にしてやられてしまいました!世の中のデチューンなものごとを列記されてしまいましたよ。作品の中では、デチューンなものが集まる場所として”大酷埠頭”が出てきましたが、実際に横浜”大黒埠頭”はかつて、おもしろチューンされた車が集まってきて壮観な場所でありました。何しろ目の当たりにしたことがあるので、ウソじゃありません(笑)その当時の週末の深夜、巨大なウーファーを埋め込んで爆音で音楽を流す車や、ハイドロとか言ってバッタのようにホッピングする車などが多かった。そして大黒埠頭は今や、明るい時間帯にマニアックな外車なんかが集まる場所になっているようですね。

私がデチューンめいたものとして気になったのが、テレビ通販のカセットテープレコーダー。カセットテープという録音媒体は、確かにお店では見かけなくなったシロモノではあります。MDさえ珍しくなった今、現在は一応CDが録音媒体のメインと言えるでしょうか。でも、ネット配信されている音楽も一般的になり、利用者もかなり増えていますから、携帯電話はもちろんMP3プレーヤーやUSBメモリなど、もはや家電とPCとが融合しつつあって、そういった路線は若者を中心に広がっているわけですよね。
しかし、高齢化社会と言われるこの国で、すでに65歳以上の人は人口の20%を超えているらしい。単純計算で1億2千万人の人口の20%だとすると、65歳以上の方が2千400万人。ちなみに計算してみると、高校生から30代までで4千万人くらいだった。
さて、高齢者と思しき人の生活を考えてみてもらいたいのです。レコードなんてものもあるけど、今でも演歌なんかがカセットテープで売られていることを考えても、高齢者にとってカセットテープほど手軽で使い慣れた録音媒体はきっと他に無い。世の中の流れとして、CD化でレコード・プレイヤーが消えていったように、カセットテープレコーダー(なぜか”プレーヤー”とは言わないよね)も消えていく。実際、家電量販店などでは、ほぼ見かけなくなったし。我が家にはダブルカセットデッキのついたラジカセがあるけれども、カセットデッキ部分はもはやよく動かない。とっておいた数百本のカセットテープも、音の劣化は激しく、収納場所にも困って、みな処分してしまったよ。
だが、ここで再びコンパクトになった、昔のウォークマンよりひとまわりデカいくらいのサイズでカセットテープレコーダーを新発売!「待ってました!」とばかりに、お年寄りが食いつくという図式。当然、かつてのウォークマンくらいの大きさにするのは簡単だと思うのだけれど、わかりやすい操作性を考えてなのか、幾分デカい。今の技術なら当たり前すぎるくらい当たり前だけど、ラジオも付いてる。もう聴けないとあきらめていたカセットテープが聴けると高齢者は大喜び。持ち歩きできて便利だし。というわけ。つまり、最先端の技術の変わり身の速さについていけない世代が取り残されつつある今、そこにスポットを当てたデチューンされた商品が次々と売り出されていくであろうという現実。お年寄りにとってはありがたいことであり、企業側にはボロい儲けなわけで。ただし、お年寄り向け商品の中には、怪しげでバカ高い健康食品なんかも混じってるから、注意されたし。

本当は、カラダの利かないお年寄りが、インターネットを使って、買い物をしたり、人とコミュニケーションをとったりできたら、便利なはずなのにと思うのですが、複雑なシステムを理解して使いこなすのはまだまだ難しい面もあり、人を騙して金をふんだくろうとする姿の見えない悪いヤツらもたくさんいる中で、自衛しつつ便利さを享受するのは至難のワザなのかもしれません。

カセットテープってのは、ある種の郷愁を感じさせるものでもありますよね。カセットテープしかなかった時代に、今は亡き家族の声が録音してあるテープがあったら、いつまでもそれが聴ける状態でありたいと思うはず。その昔、彼が一生懸命選曲して編集してくれたカセットテープが大切にとっておかれているかも。かつて、バンド仲間と紆余曲折ありながら作ったデモ・テープなんかもあったりして。ビデオテープや8ミリなんかもそうだけど、思い出となるものが再生できないというのは悲しいことでもあるので、進化によってメディアが変遷していき、それについていかざるをえないのは正直キツイこともありますよね。新世代のDVD戦争もどうなることかと思ったし。

そういえば、フロッピーってのもあんまり見なくなったけど、うちではたまに活躍してます(笑)
posted by nbm at 11:13| Comment(6) | TrackBack(0) | コミック・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

一人暮らしの通過儀礼

昨日深夜に実家から車で帰ろうとしたときに、ホコリと少量の雨でウィンドウが汚れていたので、ちょっとウィンド・ウォッシャーをピュピュッとしてワイパーでゴシゴシしました。そしたら、途端に凍りつきやがりましたよ。びっくりだ。どこだよ、ここ!おかげでしばらく発進できませんでしたわ。だいぶ風が暖かく感じられるようになったと油断してた…。まだまだ冷えるんですねぇ。
ところで、この冬の風邪は、異様にしつこくて、治ったかと思ってちょっと動くと、すぐにぶりかえして「振り出しに戻る」みたいな。すげぇ、タチが悪いです。なんだこりゃ。ふらふら、だるだる、ずるずる、くしゃんくしゃん、がんがん。おまけに、ものもらいもできちゃったりして、相当免疫力が落ちてますなぁ。

さて、今日はニトリにお買い物に行ってみました。やけに混んでると思ったら、新生活のために生活用品を揃えに来た人がたくさんいらっしゃる様子。新婚さんらしきカップルだけでなく、若い学生&親御さんという組み合わせや、友人同士でインテリアを選んでいるとか、とにかく、新しい生活を始めるにあたって希望で満ち溢れているような空気が店内に充満してました(笑)みなさん家族連れや友人同士ですごく楽しげ。私はひとりでお買い物をしていたのですが、心なしかなんだか浮いていたような気がするほど。
そこで、若い男の子と父親らしき2人が会話をしておりました。息子らしき男の子が「こういうソファー、いいなぁ」とひとこと。見ると、彼が寝そべったら頭も両足も両側から完全に飛び出るような超コンパクトな2人がけソファー。父親は、「う〜む…」と唸ったきりでした。

ソファーね。
一人暮らししようとする若者が、誰しも憧れるであろうシロモノ…。しかしね。一人暮らしのベテランさんのお宅に行ってみると、ソファーを置いているお宅は意外と少ないかもしれませんよ。
なんかね。わかる気がするんです。ソファーという存在の優雅でコじゃれた雰囲気がね。そこに座って、日々の疲れを癒しつつ、DVD鑑賞なんてしちゃったりして…とか。お風呂あがりにソファーでくつろぎつつビールを1杯…とか。お休みの日に、ソファーに寝そべってゆっくり雑誌をめくる…とか。1人の空間を満喫するアイテムとして、もしくは恋人とぴったり密接しつつ過ごせる究極のラブ・アイテムとして、想像がふくらんでいくわけですわ。
しかし…。いざ使ってみると、意外とビミョーだったりしてね。大体、ワンルームの部屋になんて、邪魔で置けません(笑)どうもソファーってのは、何十畳ってリビングがあり、広い空間があってはじめて有用性を発揮するものに思えてね。1人がけ、とか2人がけとか、ケチくさいこと言ってないで、10人くらいは優に座れるほどある程度の空間を占領し、なおかつそれでも部屋が狭くならないような空間で使用してナンボってもののような気がしてねぇ。
いやね。実家に一応”応接間”なるものがあったのですよ。そしてそこには黒々としたソファーが鎮座ましましておりました。まるでどこかの会社の応接室みたいに、3人がけの長いソファーと、1人がけのソファー2つが対面する形で。そして、中央には中途半端な高さのテーブルが・・・。長年暮らしているうちに、それらのソファーはいつのまにか順々に追いやられ、いまや家業の事務室と化した応接間から完全に姿を消しましたとさ。
ソファーって、意外と長い時間座っていられないものです。特に座面がやわらかいタイプのものは長時間座っていると腰が痛くなります。よくよく考えると、京都の人じゃないけど(京都の方には失礼!)、お客さんを歓迎するように見せかけておいて、実は長居させないような居心地の悪い構造になっているのではと勘ぐりたくなるくらいで(笑)まぁね、それは庶民の私が知らない上等なシロモノはそんなこともないんでしょうけども。
何をそんなに目の敵にしているのかといぶかしむ声も聞こえてきそうですね。ちょっと暴走しましたかね。ふふふ。なんだか、新生活の希望に燃える若者の憧れのあまりの初々しさに、水をさしてやりたいような少々意地悪な気持ちが芽生えたのやもしれませぬ。
安物のソファーベッドみたいなものは自分でも購入したことがあるのですが、ほとんどマットレスみたいな部類だったので、すぐにヘタってダメになってしまいました。もちろん、こういうものも、ものによると思いますが。

どうせ空間を使うなら、ソファーにこだわらず、座り心地のよい椅子を買うってのはどうですかね。リクライニングできたり、オットマンがついてたりするようなさ。どちらにしろ、こういったインテリアは、良いものであれば値段が高くなるのは当たり前で、自分の予算で買える範囲でどれだけ良いものが見つけられるかが勝負ですね!
いやいや、余計なお世話ですね。気に入ったものを買って使ってください。それで、もし万が一失敗したとしても、それも経験という財産になりますからね。とりあえず、やってみよう!
ちなみに、今の我が家では、デカい事務用イスを愛用しております。狭いリビングダイニングを占領する硬質ガラスの巨大なL字型PCデスクが、ダイニングテーブルでもあり、リビングでもあります。誰が来ても、「ここ事務所?」といい、お客さんにはてんでくつろげない空間でありますが、我々夫婦は日がな一日そこに座っていても疲れないという空間なのであります。

というわけで、今日は一人暮らしの通過儀礼ともいうべき、ソファーについて語ってみました。これから一人暮らしなど新居での生活を始める皆様、自分の好きなインテリアを選んで、快適な空間を作り、新しい生活をエンジョイしてください。
posted by nbm at 22:24| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月05日

手前、生国と発しまするは…

NHKの「英語でしゃべらナイト」。海外に行くわけでなし、外国人のお友達もいない私としては、他国の文化やものの考え方などを垣間見ることのできる、なかなか興味深い番組であります。あんまりまじめに観てないけどさ、ときたま観るだけで。先日の放送では、黒船パーティーと称して、いろんな国から日本に来ている人たちのホーム・パーティーの模様を流してました。最近、その存在を知って驚愕した人物、日本語の古文書もスラスラと読んでしまう、東京大学教授のロバート・キャンベルさんの自宅でのパーティー。アメリカ人代表はマーティ・フリードマン(笑)、他にドイツ・ルーマニア・フランス・ウズベキスタンの方が参加。キャンベルさんもアメリカ出身だったね。
パーティーということで、ホストはゲストをもてなすわけですよね。料理や飲み物はもちろん、音楽やテーブルセッティングを含めて、ホストが総合的にプロデュースするわけですよね。それを聞いたら、茶道を思い出したのですよ。お茶やお菓子はもちろんのこと、掛け軸とかお香とかお花とか、お茶碗、それに鹿威しのような音の演出まで考えるわけですよね。五感を総動員して味覚の助けにするというか、総合的に演出された空間を楽しむという点が、共通しているのを感じたのです。

いろいろと興味深い話がありました。中でも、パーティーでの話題についての話は面白かった。政治や宗教の話題は避けるといった先入観を持っていたのですが、フランスをはじめ、ヨーロッパの方は政治の話でディベートするのが楽しいらしいですね。政治というか、世界情勢的なことらしいけど。でも、ドイツの方は、ちょっと引いてた。フランス人は、政治と映画を語るって言ってました。なるほど、映画を語るんだ。フランスの人って、そんなに映画を観てるのかな。フランス映画は小難しい作品が多い印象がありますから、作品についてああでもないこうでもないと語るのにはもってこいなのかも。パーティーというと、和気藹々と会話を楽しむことを想像してしまうのは、日本では外国文化といえばやはりアメリカの文化の影響が強いことの現われでしょうか。どうも、ヨーロッパの方は、激論を戦わせるのが楽しいようで(笑)そういえば、イタリアだったか、石畳の広場で、じいさん同士が政治の話をなんだか言い合って楽しそうにしていた映像を見たことがあるな。
ルーマニア出身の方が、共産主義だった国らしく、外国人との会話を長く禁止されていたために、外国人と話すのが怖いと言っていたのが印象的でした。ドイツの方も、半分共産国だったからか、そのあたりは理解できる様子でしたね。人づきあいにも、お国柄ってやつが色濃く反映されてます。
あと、面白かったのは自己紹介について。職業や出身地を聞きたがるのはアメリカ人だけだった!アメリカ人としては、他意は無いんだろうけど、他の国の人たちは、職業や出身地が収入や家柄みたいなものと直結してしまうようで、尋ねたり尋ねられたりするのは抵抗があるようでした。日本でありがちの順番に自己紹介するというシステムは合理的だけど、外国人としては考えられないようで。おとなしく順番に話すということ自体が無理みたい(笑)
まぁ、個人的な意見というのもあるでしょうから、それぞれの国の代表意見と考えるのは危険ですけれどもね。

自己紹介で考えたことが2つ。
ひとつは、平日のお昼にテレビ東京で放映されてる『CSI:NY 2』での話。新任の捜査官がモンタナからやってくるんだけど、彼女のことを田舎者扱いする場面が多いのが気になる。NYだって、東京と同じように、いろんな地域から人が集まってきてるんじゃないのか?貧富の差というか、アッパー・クラスやミドル・クラスみたいな階級差別みたいなものも感じることが多い。都会ってそんなものなのか。NYに住んでて、どこかのホーム・パーティーに呼ばれたら、住所とか職業とか聞かれて気まずい思いをすることになりそうです(笑)

もうひとつは、じゃあその職業みたいな肩書きとか、住んでる所とかをはずして、自己紹介しなさいって言われたら、けっこう難しいぞってこと。何を話してよいやらわからん。
ビジネスのお付き合いだったら、肩書きとか、所属とか、学歴や職歴とか、そんなものが自己紹介になるだろうけど、それを全部とっぱらってプライベートだけで考えたら、いきなり自己紹介が難しくなるよね。
ブログみたいなわりと趣味的なことがメインになる世界ともちょっと違うでしょう?初対面の人に対して、あんまりマニアックなことを前面に出しちゃうと、引かれかねないし(笑)ほらね。どうする?双方を知る第三者が間に入って、「この人はこんな感じの人で」と助け舟を出してくれないと、ちょっと困っちゃうかも。

今まで、例えば学校で新しいクラスになったときとか、会社に入社したときとか、どんな自己紹介してたかなって考えちゃいました。その時々で、興味のあるものを話してたような気がするけど。
もうすぐ春。新しい環境で、自己紹介する機会が増える時期ですねぇ。皆さん、どうします?
posted by nbm at 01:31| Comment(8) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月02日

自衛するって言ってもねぇ

「それでもボクはやってない」。DVDレンタルするほど観たかったわけじゃないけど、たまたまテレビで放送されてたので観てみました。痴漢の冤罪ってテーマの映画そのものよりも、日本の現在の逮捕から勾留、そして裁判の流れが具体的に描かれていると聞いていたので、そっちに興味があって。だってさ、裁判員制度が始まって、万が一自分にお鉢が回ってくるかもしれないわけですよね。遅くとも来年5月までにはスタートする制度らしいよ。でも、具体的に裁判って触れたことがない。ま、触れたくもないけどさ。民事は別にしても、刑事事件の裁判に関わるということは、今現在だと犯罪を犯した側か、その被害者ってことになるわけだから。もしくは、その人たちの関係者、または事件の目撃者になってしまったとか。とにかく、フツーに考えたら参加したくないわけで…。

実際、夜道で暴漢に襲われた経験のある身としては、具体的に考えてしまいましたよ。あっ、大した被害はなかったので、そのあたりはご心配なく。私の場合は、犯人が捕まっておらず、裁判には至らなかったのですが、もし犯人が捕まっていたならば、当然裁判が行われていたことでしょう。そしたら、被害者として法廷で証言することになったわけですよね。私の場合は、被害がさほどなかったので、犯人が捕まらず裁判にならなくて正直ホッとしたというか(笑)警察に届け出た段階では、そこまで想像してませんでした。アホだけど、そんなこと全然考えが及ばなかった。やっぱり、軽いパニックになってたのかな。
夜道でね。無防備にもイヤホンで音楽を聴きながら歩いてたんです。バス停から音楽を聴きながら歩いていたのですが、そんなことをしたのは初めてのことでした。「こんなことしてたら襲われそうになっても気づくの遅れるな」って考えながら歩いてた。そしたら、家から数十メートル手前で、後ろから誰かが抱きついてきた!今まさに考えてたことが現実になってビックリですよ。口を塞がれて、「おっぱい揉ませて〜」って(爆)抱きつかれた瞬間は、ダンナさんがふざけてるのかと思った。けど、振り返ったら知らない男の顔!「どうすっか…」と一瞬考え、ふとしゃがんでみたらスルっと羽交い絞めから抜け出せたので、悲鳴をあげました。で、その男は逃げていった。近くに止めておいた自転車で。自転車を止めて、襲ってきたんだね。服の上から胸を触られた程度だったけど、口を強い力で抑えられたので、唇がけっこう腫れました。あとは、精神的なダメージですよね。やっぱり、怖くて、しばらくは夜道がひとりで歩けなかった。歩いて数分のバス停まで、優しい義母が車で迎えに来てくれたりしました。
事件直後に警察を呼んで、刑事さんに自宅で調書を取ってもらい、軽く現場検証みたいなことをしたけど、それっきり。犯人は捕まりませんでした。
数年前のことだから、もう犯人の顔もよく覚えてない。もし今、「この人ですか?」って顔写真を見せられても、わかんないよ。エスパー伊東に似てたけど(笑)それこそ、全然違う人のことを「この人です!」なんて言ったら大変だよね。記憶のあいまいさは、自分のことを考えればよくわかります。ほんと、自信無いや。声に関しても、私は人の声を記憶することについては自信があるのですが、犯人の声をまったく覚えてない…。顔も、声も、いやな思いをしたから、逆に忘れたいっていう心理が働くんでしょうかねぇ。

電車内の痴漢にも散々遭ったけど、一見おとなしそうに見えるからと安心して触ってきたヤツらが、私がその手を掴んで「てめぇ、なにしてやがるんだよ!」と凄むと、大体ビックリして止めましたよ。いちいち大げさにするのも面倒だから、そうやってやり過ごしてきたけど。あちらも巧妙に、”疑わしい”くらいのレベルでとどめたりするから、始末が悪いんだよね。手を使わずに下半身を押し付けてくるとかさ。確実に硬いものが当たってきて、鼻息が荒くなってたりするんだけど(笑)でも、調子にのって触ってくるやつには容赦しませんでした。ただね、一度山手線で本職の人にやられて…。あのときは怖くて何も言えなかった…。手つきが全然違うんだよ、サラリーマンや学生とは。触手のたくさんある軟体動物に触られてるみたいで、おぞましかった…。
男性は、やはり自衛手段を取るのが賢明ですよね。なるべく、女性と向き合わずに乗るとか、どうしても手が女性の体に接触してしまうならせめて手の甲を向けるとかね。
電車内の痴漢は、女性からは女性専用車両に乗るとか、込み合う車両を避けるとか、くらいしかできませんね。自分のバッグで体を守るって言っても、前を守れば後ろがお留守になるし。
でも、夜道(夜とは限らんか)の場合は、女性は男性に比べて、襲われる可能性が非常に高いということを認識しておいて損はないと思います。若い中・高生であっても、おばさんであっても、です。世の中、いろんな趣味の人がいて、私のように太ってようが歳をとってようが襲われるわけですからね(笑)身を守ろうと、護身術とかをちょっとかじったくらいでは、たぶん本番では役に立たないと思います。恐怖で固まって体は動かず、警官によると、悲鳴さえあげられない人がほとんどだそうですから。私は悲鳴をあげたけど、警官に「珍しい」と言われましたよ。何をどうするって具体的な用心の仕方は言えないけど、「夜道を歩くな」って言ったってムリだし、一人暮らしだったら誰かに迎えに来てもらうこともできないしね。大体、昼間だって襲われるかもしれないし。

考えるのはイヤなことだけど、誰かがどこかで狙っているかもしれないのですよ、チャンスを。
posted by nbm at 19:27| Comment(9) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする