2008年06月26日

すべての物質は有毒である

今年は、道端に咲く紫陽花に目がいきます。
例年に比べてもなぜか鮮やかに数多く咲いている印象を受けるのですが。
この紫陽花に毒があるとは、私は知りませんでした。

先日、ニュースになっていましたね。お料理の彩りにと紫陽花の葉を添えて出したところ、それを食べた方が30分後に嘔吐など中毒症状をひきおこしたとのこと。紫陽花の葉には「青酸配糖体」と呼ばれる有毒成分が含まれていて、胃の中の消化酵素と反応することで、青酸(シアン)が生成され、中毒症状を引き起こすのだそうですよ。

植物でも、なんとなく毒があると認識しているものはありますけどね。超有名なトリカブト、夾竹桃やジギタリスとか。
変に利用されると困るので(笑)詳しいことは書きませんが、その変に生えているものでも、アサガオやオシロイバナ、スズラン、スイセン、ヒガンバナ、フクジュソウ、ザクロ、ソテツ、シャクナゲ、キンポウゲなどなど。
食べられるものでも、銀杏にはビタミンB6と似た成分があって、ビタミンB6の働きを阻害するので、大量に摂取するとビタミンB6欠乏症を引き起こすのだそうですよ。ウメやアンズの実も熟していないものはアミグダリンという毒物があり危険。スモモやビワも同じだそうです。驚いたのはモロヘイヤ。食用にする葉は大丈夫だけど、種には毒があるそうですよ。
ジャガイモだって、芽や青い表皮部分には毒があるわけですからね。ワラビの毒性も指摘されているし。

ヒトは大丈夫だけど、動物には非常に危険というものもあって、たとえば青汁とかで健康に良いなんて言っちゃって喜んで摂取してるケールなんかも、牛さんとか反芻動物には毒になるようで、キャベツもそうらしい。

「すべての物質は有毒である」
パラケルススというルネサンス初期のスイスの錬金術師でありお医者さんであった方の言葉だそうです。
身近なものの致死量としては、アルコールなら378〜456ml、カフェインは3〜10g、塩は30〜300g、醤油だと168〜1500ml。どれも一度の摂るのは大変な量だけど。アルコールやカフェインは致死量に達するには何十杯も酒やコーヒーを飲まなきゃいけないし。醤油なんか幅がありすぎるし(笑)

食用にされているものにさえ、毒があったりします。きのこ類は言わずもがなだけど、やたらに食べるもんじゃありませんね。小さい頃、「噛むと酸っぱい味がする」なんてカタバミの葉っぱを噛んで遊んだりしたけど、あれも有毒だったとは知らなんだ。植物って恐ろしい…。
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2008年06月25日

黒い男たち

愛読していた「新耳袋」の続刊が出なくなって、数年が経ちました。江戸時代に怪談を集めて編纂された「耳袋」という本の現代版として、蒐集された実話怪談を短くまとめて99話ずつ載せていた本です。10巻刊行されました。その中のお話を映像化した作品があります。そのまま短い形で映像化される分には、多少アレンジがされていはいるものの、元の話そのままの怖さ・不思議さが出るのですが、これが長編になった途端に駄作になっているのが悲しいです。特に「幽霊マンション」とか…。

というわけで、あまり期待はしていなかったのですが、とりあえず「黒い男たち」を観てみました。ネタとして、とても面白い話なので。以前、このブログで、「プロフェシー」という本を”怪談より怖い”と表現したことがあるのですが、メン・イン・ブラックのお話です。宇宙人やUFOの目撃者やそのものの写真を撮ったという人の所に現れるというアレです。黒いスーツにサングラスの全身黒ずくめ。言葉を理解できなかったり、常識的なことがわからなかったりと言動が不審な男たち。一説には、人間ではないと言われています。
「新耳袋」では、いわゆる幽霊話のほかにも、妖怪チックなものとか、時間を超越した話とか、様々なタイプの不思議な話が出てきます。「黒い男たち」も、そういったジャンルわけが難しい話ですね。映画「メン・イン・ブラック」は、この都市伝説的なネタをSFコメディにしてしまったもので、あれはあれで面白いけど、本来のこの話の恐ろしさが微塵も感じられません。このネタのわけのわからない恐ろしさを一番うまく表しているのが、前述した「プロフェシー」。映画版はいまひとつなのですが、本の方は怖いです。私にはどんな怪談よりも怖く感じられ、なかなか読み進むことができませんでした。何が怖いって、作り話にしちゃあとんちんかん過ぎる。あまりのとんちんかんさに、これは人間が作り出せるものじゃない。つまり、「これはホンモノだ」という警告が頭の隅で鳴るんです。私にとっては、得体の知れないものほど怖いものは無いんですよね。私の中で、得体の知れないもの度No.1が、この「黒い男たち」なのですよ。
この「新耳袋 絶叫編左 黒い男たち」は、なかなかよくできていました。映像化作品にはあまり期待してないので、それがよかったのかな。

あと、オマケ映像として観られる天狗神社への夜の訪問が興味深いです。大の大人の男が8人で夜の天狗神社に行くわけですが、恐怖という心理状態がどのように作られるのかがよくわかる気がする。ここは、「新耳袋」の「残煙」というお話の現場。3人で並んで座ってタバコを吸っていたら、真ん中の人物が消えてしまったというお話でした。いわゆる”神隠し”ですね。その場所に行ってみるわけですよ。夜の山の中、いわく付きの場所、恐怖を煽る看板、大の大人の反応と、後日冷静にそのときのことを語る言葉が、とても興味深いです。

「新耳袋 絶叫編右 牛おんな」
はこれから観ます。これもまた、不思議なお話ですよね。いわゆる”くだん”のお話。どういうわけか、神戸近辺で目撃されているといいます。さて、どんなもんでしょう。
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2008年06月23日

怪力乱神

子、怪力乱神を語らず。

有名な(私は良く知らなかったけど 笑)『論語』の一文。
怪とは、怪異、ミステリー。妖怪、奇譚。
力とは、暴力、バイオレンス。血なまぐさい話。
乱とは、悖乱(はいらん)、反逆、乱倫。エログロ。
神とは、神秘、超常現象。オカルト、魔法。
孔子は、この怪力乱神を語らなかった。…とか言っちゃって、陳舜臣さんによると、塾での講義では語らなかったけど、日常は語っていたでしょうとのこと。怪力乱神…みんな私の得意分野であるんですが(爆)

そもそも、「怪」とは何か。
今から三千年ほど前の中国では、「カイ」とか「キ」という語は、「まるいもの」を意味したのだそうです。「鬼(キ)」は、大きな丸い頭をして足元が定かでない亡霊の姿。「魁(カイ)」は大きな丸い頭、「回(カイ)」はまるく回ること。
ちなみに、「渾(コン)」もぼんやりとまるくまとまる意、「魂(コン)」はまるい鬼火の意だそうだけど、「カイ」という音から変化したもので、同系の語だそうですよ。そして、まるい穴や渦巻きを表す「カ」も「カイ」の近縁だそうです。「渦」「禍」「過」「鍋」とかね。
「怪」は、手で丸めた土の塊を見たときに胸にわきおこる気持ち。人類が大自然に対していだく原初的な恐怖心を指すらしいです。
古代中国の人々には、いろんな「カイ」が「怪」として目の前に現れたということらしい。
以上は、これから読もうとしている『怪力乱神』加藤徹 著)という本の冒頭で説明されていることなのですが、藤堂明保という方の説によるそうです。

白川静さんに興味津々な今、このような漢字の成り立ちとプリミティブな物事との関係は、非常におもしろい。藤堂さんと白川さんとは、同時代に活躍された漢文学者でありながら、考え方としては対立されていたようですが、どちらも興味深い。
先日読んだ阿川弘之さんの本にも、最後に「温」という字の成り立ちが書かれていましたっけ。「温」というのは、肉をとろ火でたきつめてスープをつくること。だから、「温故知新」というのは、歴史に習熟し、そこから煮詰めたスープのような知恵を獲得して、その知恵で新しい文化を知ることなのだそうです。歴史を知るといっても、ニワカ勉強なんかじゃ身につかないよってことなんですよね。これまた別の漢文学者である吉川幸次郎という方のお話を阿川さんが紹介されていたものでした。

漢字の面白さはさておいて、現代の中国をイメージすると、共産主義のイメージが強くて、怪力乱神的なことは、まったくイメージできないのですが、古代中国を考えてみれば、アヤシゲな話はたくさんありそうです。
6月というと、私にとっては怪談の月であり、愛読している怪談専門誌で年2回刊行される『幽』ももうすぐ発売されるのですが、それまでの間、中国の怪力乱神を楽しみたいと思います。

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2008年06月21日

一芸に秀でる

いつも図書館というと、地元はもちろん、周辺の市の図書館も利用しているのですが、昨日はお隣の市の図書館にCDを返却に行きました。駅にも程近いので、混雑した駅周辺に自転車を置くのには苦労します。ついでに銀行に行きたいんだけど、銀行の駐輪場はコイン・パーキングで面倒だし、いつもほとんど満車状態で停められない。ということで、駅から少し離れた図書館に自転車を置いて、駅前まで歩いて行き、銀行などへの用事を済ませています。
昨日の夕方も図書館に自転車を置いて、まず駅前の銀行へ(笑)。銀行を出ると、餃子屋の餃子が安い日だと気づいて、生餃子を買う。それから、図書館へ戻ろうと歩いていると…道の反対側を駅を目指してこちらに歩いてくる女子高生に見覚えが?それは、姪でした(爆)二人して二度見し合ってしまいましたよ。久しぶりだったし、制服姿の彼女を見るのは初めてだったので、私も半信半疑で姪の名前を疑問形で呼んでみました。すると、ちょこちょこっと道路を横断して姪がやってきましたよ。この日は、いつもより少し帰る時間が遅かったよう。というのも彼女はクラシックバレエを習っていて、毎日のようにレッスンに通っているから。いつもなら学校にのんびり残っている時間は無いはずなのですが、たまたま今週はレッスンがお休みということで、遅くなったようでした。姪の家はここから電車で20分ほどかかります。姪の通う高校は、この駅が最寄り駅というわけです。偶然の出会いにびっくりでした。実は、このコとは従兄弟に当たる甥二人も、同じ駅を使う別の高校に通っていて、それは私とダンナさんの母校でもあるのですが、なんだかこの辺に集中してるんですよね。彼らも電車通学しなくちゃいけなくて、家から通いやすいわけではないのに。でも、甥たちには会ったことがありません。姪は甥をよく見かけるそうですが(笑)

さて、今日は一芸に秀でるということについてです。
この姪は、小さい頃からクラシックバレエを習ってきました。ですが、取り立てて才能や体格に恵まれているわけでなく、本人もそれは自覚している様子。行く行くは、バレエの先生になりたいという目標を持っている彼女は、そのために日夜がんばっています。高校には行かず、ロシアに留学するという話もありましたが、厳しい世界で潰されることも少なくないとの噂を聞き、見合わせたようで、受けるつもりがなかったのに、タイミング的にはギリギリ高校受験をして間に合いました。
毎日のようにレッスンに通う日々。傍から見ていると、遊ぶ時間も無くてかわいそうとも思われるくらいでしたが、今になって思うと、彼女にとっては、とてもよいことだったように思います。取り立てて美人でもなく(ごめん)、勉強でがんばれるタイプでもなく、派手なところもない。ともすれば、自分には何も取り柄がないと思いがちだったかも。けれども、彼女にはバレエがあります。
何かしら熱中できること。これだけは人に負けないこと、やっていて楽しいこと。そんなことがひとつでもあれば、それは自信につながっていきます。彼女は、彼女なりにコンプレックスも持っているだろうけど、思春期にしてはとても気持ちが安定していて、卑屈なところがありません。姪を見ていると、やはり一芸に秀でることは悪いことではないなと思うのです。

とはいえ、自分を振り返っても、そんなに都合よく自分のやりたいことが見つけられるかといえば、結構難しいことなのだとは思うのですが。しかも、大きくなるにつれ、それが職業との兼ね合いを考えると一段と難しい問題に発展したりしてね。しかし、それが収入と結びつかないのであれば、趣味として、ライフワークとしてやっていくという方法もあるし。とにかく、何かひとつでもやっていて楽しいということがあれば、自分にはコレがあるということがあれば、幸せだなって。

自分にはそういったひとつのことに対する集中力というものが皆無で(笑)、”散漫力”とか”分散力”なら自信があるんだけど、みたいな。でも、そこが凄まじく人並みはずれてると思っているので、自己肯定につながっているのではと分析してみるのですが。
”散漫力”じゃ、一芸にはならんね(爆)

思春期を振り返ってみると、自分と人を比べるということをまったく考えていなかったので、たとえば自分より成績の良い人に関しては「すごいなぁ」って思って終わり(笑)あまりに勉強しないので、母親をはじめ、周囲の人間は私にやきもきしてました(爆)特に、大学受験時。あまりに勉強してこなかったので、志望大学に受かった時には自分でもびっくりしました(笑)合格発表を見たときは、何かの冗談かと思ったくらいで。
でもね。密かに心がけていたことがあったんです。それは、授業を真剣に聞いて、授業中に全部覚えてしまおうということ。そうしてしまえば、家での学習は宿題をするくらいで済みます。時間短縮!あとの時間は、映画を観たり、音楽聴いたり、本読んだり、遊んだりすることに好きに使う。家ではほとんど勉強をしなかったので、塾にも通ってなかったし、そりゃあ家で遊んでばかりいたら親は心配もするかもね。実際、高校入学時はビリに近かった成績は、卒業時には上位になってましたし、大学にも合格できましたしね。人とは比べないけど、自分の中での変化が面白かったので、卑屈になることはありませんでした。

私については勉強のことだけ話してきましたけど、私こそあまり取り柄がないので、ほんの一例ってことです。できれば、勉強以外の多様なことであってほしい。おもしろくないじゃないか。
殺伐とした世の中にしないためには、この”一芸に秀でる”的な考え方は、意外と有効なんじゃないかな。人と比べて一喜一憂したり(まぁライバルがいる方が燃えるって人もいるだろうけど)、「自分だけが不幸」みたいな考えになりにくくなると思うんだけど。どうでしょう?
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2008年06月20日

ごちゃまぜ

ローカルな番組で、とある所を散歩していて、庚申塚に目を留めていました。庚申塚って名前は知ってるけど、どんなものだかほとんど知らず…。狛犬のように、両脇をお猿さんが護ってます。
中国の道教の影響から作られたものらしい。人間の体内に三尸と呼ばれる三匹の虫がいて、庚申の日の夜、眠っている間に身体から抜け出して、その人の罪悪を天帝に告げにいき、悪いことをした分、寿命が縮まるということになっていたとのこと。ちなみに、三尸ってのは、頭・腹・足にいるとされた上尸・中尸・下尸という三匹の虫みたいなんだけど、大きさは2寸ほど。上尸は道士、中尸は獣、下尸は牛の頭に人の足というもの。わけわからん(笑)特に下尸(爆)なんちゅう格好やねん。
で、寿命を縮めないためには庚申の日に眠ってはいかんということになり、ひとりで徹夜するのもなんなので、みんなでいっしょに徹夜しよう!ということに。講を作って、集団で、夜通し宴会とかやっちゃって、なんとか眠らずに過ごすということをやっていたわけですね。でもそれって、夜通しの宴会が楽しいからやってたんじゃ?大体、行いを正しくしようという気がさらさらないじゃないか(笑)眠らずに「悪事を報告させんぞ」というところが都合がよくて楽しい。そんなことを繰り返して、記念に建てられたのが庚申塚ということらしい。
庚申てのは十干と十二支の組み合わせのうちのひとつだね。だから60日に1回という頻度で夜通し宴会をやってたってことだね。陰陽五行説からすると、庚申と次の日の辛酉ってのは金の気が強くて、刃物を使った刃傷沙汰が起きやすいとされていたらしい。当初は、それを防ぐという意味合いの方が強かったのかも。

今となっては、なんだかいろんなものと交じり合ってしまっているようです。
邪悪なものの進入を防ぐために村はずれに建てられた道祖伸とごっちゃになって、この道祖伸と関連があるとされる天宇受売神(あめのうずめのかみ)や猿田彦神と結び付けられたために庚申の宴会も猿田彦神社で行われたりしていたよう。テキトーだな(笑)他には、仏教の青面(しょうめん)金剛と結び付けられたり。これは、青面金剛が”伝尸”という病を取り除くとされていたからで、これが”三尸”と混同されて、”三尸”をも取り除いてくれるということになったんだとか。これもテキトーだな(笑)

庚申の”申”は”さる”だし、猿田彦も”さる”だし、”さる”つながりってことで。
で、庚申塚には”見ざる・言わざる・聞かざる”が掘り込まれていることが多いようなのだけれど、”見なかったとに・言わなかったことに・聞かなかったことに”してねという三尸に対してのお願いがこめられているという…。
またまたちなみに、三猿は、古代インドで生まれたという説が有力なようで、スイスの三猿コレクターの方のHPがおもろいので、ご紹介しておきます。
「世界の三猿」

よく民芸品やお守りなどで、”身代わり申”というのがありますが、話がつながってるみたい。こっちはどっかから違う話になっていて、三尸が天帝に悪事を報告すると、天邪鬼が懲らしめにやってくるという設定になっていて、その天邪鬼除けという意味で、家の中に身代わり申を置くというもの。
ちなみに、天邪鬼はこんにゃくが嫌いだそうで、”身代わり申”のそのまた代わりに(笑)こんにゃくを吊るすなんてこともしたらしい。こんにゃくの田楽ってのは、「庚申まつり」で食されるもののようで、このあたりから生まれたものだったのかな。

もう、なにがなにやら(笑)
今度の庚申は7月19日(土)です。さぁ、この日はこんにゃく食って、夜通し宴会だ!(←ウソです)
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2008年06月18日

ピューと吹く!ジャガー

要潤のジャガーか、松山ケンイチのクラウザーさんか。どっちもナイスなわけですが。

毎度、ネタのきっかけがアニメですんません。
今回の『RD潜脳調査室』で、女子中学生にゃもちゃんがたて笛を吹いている場面が出てきました。
ある程度の年齢から下の方は、特に小学校の音楽の授業でたて笛を吹いていたという方がほとんどではないかと思われます。”たて笛人口”がどれだけいるかと思うと楽しくなりますね。”ピアニカ人口”より多いよね?ランドセルの横ちょからのぞくたて笛。教科書の隙間に縦に挿してましたよね。下校の時にラーメン屋のチャルメラを真似て吹いてみたりとか。そして、誰もいない教室であのコのたて笛を…なんてシチュエーションとか(爆)何かしら甘酸っぱい思い出のある楽器なのではないでしょうか(笑)

横笛に対して縦型だから”たて笛”と呼ばれてますけど、本来は”リコーダー”と呼ぶべきでしょうか。小鳥のさえずりをまねして「鳥のように歌う」という意味の”to record”という言葉を使った”recorder”ってことらしい。(語源については他にも諸説あり)この楽器で、小鳥に歌を教えていたとか。それじゃあ、”レコーダー”じゃないのか?というツッコミはさておいて、と。

なんでまた、そしていつから学校の音楽教育にたて笛が使われてたんでしょう?
1963年の文部省の「教育用楽器の手引き」によると、以下のような条件が教育用楽器の定義だそうです。
1. 演奏が困難ではないこと
2. 演奏して質的な高まりと喜びが感じられる水準を保っていること
3. 教育用に開発された、いわゆる「簡易楽器」であっても、より高度なあるいは本格的な楽器への移行が可能であること
4. その楽器のために書かれた優れたオリジナル作品が数多く存在すること
5. 児童、生徒の身体に適応していること
6. 堅牢なこと
7. ピッチの正確なこと
なるほど、リコーダーはこの定義にピッタリだったというわけね。

もともとはバロック音楽よりも古いルネサンス音楽でよく使われていた楽器だそうですから歴史は相当に古いわけですが、1936年、ベルリン・オリンピックで少年少女が演奏を行った際、リコーダーが使われていたそうです。つまりドイツでは少年少女が吹いていたわけだ。この祭典を見て感銘を受けた、島根大学の教授だった坂本良隆という方がいたそうな。この方、ドイツ留学中に小学校でのリコーダーの授業を見て、日本にリコーダーを持ち帰り、制作してみるんだけど、時代が時代だけに広まらなかった。古くは満州事変あたりから戦時に鼓笛隊が結成されて士気を鼓舞するということをやってたみたいなんだけど、そんなことに徐々に使われだして、戦後段々とリコーダーが広まったんだそうですよ。
安価で簡単、持ち運びが容易ってことでプラスチックで作ってみるわけだけど、最初は穴なんかめちゃくちゃだったらしい。尺八とかあるじゃんね。参考にできなかったのか?

昭和22年、器楽教育が学校教育に盛り込まれることになって、翌23年には具体的な楽器が公示される。小学校低学年ではカスタネットやトライアングルというリズムがとれる打楽器が中心、学年が上がるごとに木琴・ハーモニカ・笛のような旋律楽器が加わるというもの。
”笛”ってあるけど、当初はプラスチック製のリコーダーなんてものはなかったから、竹製だったりして音も安定しないし、音の幅も狭かったりして、あまり普及せず。
リコーダーは18世紀にはすでに楽器として完成されていたものの、どういうわけか19世紀に廃れてしまい、20世紀になって復元されたという楽器であるがために、古い形をそのまま保っているという楽器なのだそうですよ。

ちなみに、リコーダーを長時間吹いてると、下から水が垂れますが、あれは唾液ではなく、息に含まれている蒸気が内部に溜まって冷えたものなのだそうで。内部に水分が溜まったままだと音が悪くなるので、演奏家の人たちは、あの水分を吸いながら(爆)演奏しているとか。
ちゃんとしたリコーダーは木製ですが、硬い材質の木を使うそうです。木の生えているそのままの方向で縦に木材を使うらしく、丸太の中心部分は全方向に割れやすいってことで、一番外側の部分を使うんだってさ。

リコーダーを学校教育に取り入れてたのはイギリスとドイツくらいらしい、あとは、この日本ってこったね。勝手な推測だけど、おそらく、今の50歳くらいから下の年齢の人は、リコーダーを吹いた経験があるはず。一説によると普及率は95%ってことだから…ものすごい数の人がリコーダーを…(爆)
以前触れたことがあるけど、音楽の授業自体無い国がほとんどって話だったよね。世界的に考えても、ものすごいリコーダー奏者率のはずだ!

一般的なのはソプラノ・リコーダーってやつだよね。でも、中学生の時に、なんだったか忘れたけど、アルト・リコーダーを吹かされたことを覚えてる、何の機会だったのか、4人で舞台で合奏したんだよね。あれ、一体なんだったんだろう?特別”ふえ科”でもなかったのに…(爆)
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2008年06月16日

ジジィ、やり過ぎ(笑)

朝起きたら、メインのPCとモニターが入れ替わってました(笑)夜なべしてダンナさんが入れ替え作業をしてくれた模様。感謝です。ダンナさんとしては、お休みの日に大々的に入れ替え作業をしたかったわけですが、私の入力仕事が入ってしまい、できないでいたのですよね。しかし、仕事で疲れた私が休んでしまってから、ダンナさんがせっせと入れ替え作業を行ってくれたようで…。感謝です。
PCは、先日アキバで買ってきたパーツとは別のもので、その前から組んでいたもの。モニターは…プリクラモニター2号!(←いくつ持ってるんだよ!)いつかこの勇姿(?)を公開したいと思いつつ、今日は時間がないので、また今度(笑)

さて、関東地区ではGEOがこの週末DVDレンタル100円セールを展開してくれたので、またゴッソリ借りてきましたよ。
土曜日の夜、珍しく家にいたダンナさんが、寝しなに睡眠導入DVDを何か選択せよというので、『ダイ・ハード4.0』(2007)をチョイスしてみました。
そしたら、あなた、寝るどころじゃありません。結局、朝まで観てしまいましたよ(笑)しかし、ジジイやり過ぎ!別段、目新しいものは何もないのですが、フツーに楽しめる作品でした。

そして、最近ジジイがムリしてる作品が多いことに思い当たります。ハリソン・フォードしかり。シルベスター・スタローンしかり。
なぜにと考えたのですが、一俳優として集客力のある人物というのが、いなくなってきているのか?
若手の俳優さんで、そこまでの人気が取れる人というのはいなくなってきているのかも、って。
昔は、ハリウッド俳優さん・女優さんというと、ちょっと人間ばなれした感じの美しさがあったりして、近寄りがたい存在だったように感じます。それが段々と庶民化してきて、俳優さん・女優さんも裾野が広がったし、徐々に降りてきてくれているような感覚。
冷静に考えてみると、昔ほど一極集中的な人気を持っている俳優・女優というのはいなくなってます。
だから、起用している俳優・女優を目玉にしている作品も減ってきていると思うし、ひとつの役でイメージが固定されることを嫌う傾向もあるだろうから、シリーズものの主役を買って出るような人もいないような。まぁ、たまたま当たればシリーズ化するという安直な流れもあると思うけど。とにかく、この作品はこの人でなきゃみたいなのは確実に減ってると思う。『ダイ・ハード』だったらブルース・ウィリス、『インディ・ジョーンズ』だったらハリソン・フォード、『ロッキー』や『ランボー』だったらシルベスター・スタローン、みたいなさ。
当然、シリーズ化された役を演じる俳優さんだっていないわけじゃないけど、彼らほど役と直結してないでしょう?だからって、このじいさんたちが、ほかの作品に出てないわけでもないんだけど。

つまり、ヒーローは必要ないってことか?
『HEROS』ってドラマもありますね。観てないけど、あれは特殊な能力を持った庶民たちが活躍する話だよね?スターが演じてるわけでもないし、強いヒーローが一人でてくるわけじゃなくて、庶民がたくさん活躍するんだよね?

セレブリティとかまったく興味がないけど、ハリウッド・スター然とした人ってのは、どんどん減ってきてるような気がする。今だったら、せいぜいブラッド・ピットとかさ、レオナルド・ディカプリオとかさ、そのくらいまでかな。でも、じいさんたちと比べると、ちょっとパンチが弱いよね。そうでもないですか。

女優さんを考えてみると、あまり当てはまらないことを思うと、やっぱりヒーロー論なんだな。女優さんって、年齢ごとに上手に演じ分けてるっていうか、自分の年齢を逆に武器にしているっていうか。だから、需要と供給のバランスで、出てこない時期ってのもあるけど、いつのまにか復活してたりもする。若い綺麗なときばかりじゃなくて、中年になったり年老いたりしながらも女優さんを続けていくのは大変なことだと思うけど、上手に年を重ねたり、改造をほどこしたりして(笑)がんばってますよね。

逆に、邦画を考えてみると、テレビドラマの延長だったり、小説やマンガの映画化だったり、若手人気俳優とか起用しちゃって、俳優だのみみたいな作品が多いような…。日本の場合は、決してヒーローを求めてるわけじゃなくて、人気先行で、メディアが「いい」といえば「いい作品」ってなっちゃってるし、話題作ってプロモーションすれば集客できるわけだからね。
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2008年06月14日

閑を持て!

また、大変なことが起こってしまいました。
大きい地震が来るとすると、関東か東北かと思ってはいましたが、ここまで大規模なものが来るとは…。震度の大きかった地域に友人が住んでいるので、心配です。まだ、詳しい被害状況がわかりませんが、無事を祈るばかり…。

さて、今日はちょっと短めに。
先日の阿川弘之さんの『大人の見識』の中で、第一次世界大戦当時英国の外務大臣であったエドワアド・グレイという人の幸福観がとりあげられていました。元慶応大学塾長の小泉信三さんの『読書雑記』という著書の中で紹介されているそうです。エドワアド・グレイの考える幸せになるための条件とは、

第一、自分の生活の基準となる思想
第二、良い家族と友達
第三、意義のある仕事
第四、閑を持つ事

なんとなく、第一から第三までは誰でも想像がつきそうなことですね。ただし、第四はなかなか考えつかないことかも。小泉さんは、このエドワアド・グレイの”幸せになるための条件”について、「朝から晩まで閑なしに働いたり、一つ事を考えているようでは困る」と書いているそうです。たしかに、閑を持つことは精神的な余裕を作りますからね。大事なことだとは思います。
ただ、逆に、閑がありすぎても、よからぬことを考えて落ち込んでみたり、犯罪に走ったりするかもしれません。何事も、ほどほどってことで。
つまり、第一から第三の条件が満たされてはじめて、第四の閑が活きてくると思うのですが。

私にとっては、この”閑”というやつは、ありそうなものなのですが、何を指して”閑”というのかよくわかりません。阿川さんの文脈からすると、自然の中に身を置いて小鳥なんぞを眺めて見るとか、そんなことらしいのですが。つまり、仕事と切り離されたリフレッシュできる時間を持つということでしょうか。
何も考えずにボーっとしろというのであれば、それは私にはほぼありえません。もったいない!(笑)仕事はたまにしかしないので、家事の合間や就寝前の余暇と呼べる時間は、本を読んでるか、DVDを観てるか、でなければパズルを解いているか。起きている間は、頭を休めるという意味での閑は全くないと言っても過言はない。そう考えてみると、本当に頭を休ませていないことに考えが及びます。私の脳は大丈夫か?いやダメかも(笑)
昔から頭を使いすぎると、その後熱を出して寝込むということを繰り返してきたのですが、今もそれは変わらないようで、微熱が出ます。今もそうさ。
文字通りオーバーヒートしているのでしょうね(笑)脳みそにはヒートシンク(注1)とか付けられないしなぁ(爆)せいぜいアイスノンです。

先日、通常の状態の脳と睡眠不足の脳との血流量を比較している画像をテレビで見ました。睡眠不足の脳では血流が行き届かず、脳の活動が悪くなっていることが一目瞭然でした。
数ヶ月の実家の手伝いの中で、年寄りの父親と徹夜をしたとき、父は朝には軽いボケ老人になってました。なんでそんなことがわからないのかと思うようなことがわからなくなってる。こりゃあいかんと寝かしたのです。数時間寝かせてから父に話を聞くと、頭に靄がかかったような状態になっていたのが、寝たら「頭がスッキリした」と。そのとき、睡眠不足が脳に与えるダメージを身を持って知ったわけです。
それが、先日の脳の血流量の画像を見て、裏付けがとれました。やっぱり、寝ないとダメね。

余談ですけども、紅茶のアールグレイとは。前述のエドワアド・グレイさんからきているらしい。「アール」とは”伯爵”のことで、「アールグレイ」は”グレイ伯爵”だね。中国茶にはお茶にベルガモットで香り付けしたものがあって、それを真似して紅茶にベルガモットで香りを付けたものをグレイ伯爵が愛飲していたのでそんな名前になったんだとか。

あれれ?ちょっと書くつもりだったのに、意外と長くなったぞ。この週末はまたまた仕事で潰れてしまうのですが、上手に”閑”をとりながらやらんと、また脳が熱暴走するぞ。気をつけます。

(注1)ヒートシンクとは、コンピュータの心臓部(心臓じゃなくて脳か?)であるCPUが熱暴走しないように、冷やす役目をしている金属のことです。


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2008年06月12日

『老人の不見識』

ギリシャの歴史家ポリュビオスが、「物事が宙ぶらりんな状態で延々と続くのが人の魂をいちばん参らせる」と言ったとか。阿川弘之さんの『大人の見識』の中で紹介されてました。
ここ数ヶ月間、身をもって痛切に感じていたことで、そう言い切られているのを読んで、救われた思いがするほどです。
地獄の3ヶ月半が終わりました。やっと、実家の手伝いから解放されまして、しかし心身の疲れが溜まったのか微熱に悩まされております。まぁ、でも後は回復するだけなので、きっと大丈夫。
時間の経つのは速いもので、このあいだ借りたと思っていた図書館の本たちが、手付かずのままいつのまにやらもう返却日。いつものことですが、慌てて読んでます。

とりあえずたくさん予約が入っていて後が支えているであろう阿川弘之さんの「大人の見識」から読んでみました。この本、ちっとも”大人の見識”について書かれてません(笑)だけど、すっごく面白い。声を出して何回も笑う新書って、なかなかないと思います。阿川さんというと、娘の佐和子さんのお話を聞く限り、日本語の用法に厳しく、重厚な感じの人物を想像していたのですが、口語チックな表現だし、なんだか週刊誌を読んでるみたいな歴史の裏ネタみたいなものが満載で、言葉は悪いけど非常に俗っぽい。これ、批判してるんじゃありませんよ。意外だったというだけで、本当に面白いです。私は普段週刊誌を読まないし、明治・大正・昭和あたりの歴史に暗いので、新鮮な感じがしました。

阿川さん的には、御自分の実体験や読み込んだ歴史的人物の日記などを通して、”大人の見識”について語ろうとしていらっしゃるようですが、ほとんど海軍とイギリスと昭和天皇しか出てきません(笑)大人のものの考え方について書かれてはいるのだけど、結局印象に残るのは瑣末なことばかり。本日の記事タイトルは阿川さんご本人がこの本につけたかったタイトルですよ。

最初の方に、”大和魂”について書かれています。『今昔物語』からすると、あれは本来”漢才”に対しての”和魂”であって、戦時にもてはやされた特攻精神のようなイメージとは異なるものだ、と。日本人として持つべき思慮分別のことだ、と。完全に誤解してましたわ。イメージって怖いね。戦時の日本の指導者が、本来の”大和魂”を持っていたら…と、東條さんを批判するのですが、そこにも歴史の秘話が。高松宮様は、敗戦必至とみて、「東條を殺すしかない」と言ったそうです。そして、私設情報係であった細川護貞さんが、「私が刺します」と。結局は、陛下をさしおいてそんなことはできないと暗殺は未遂に終わるのだそうですが。こういう歴史の暗部の話って興味深いですね。
阿川さんは海軍出身で、陸軍の悪いところばかりが出てきます(笑)物資のない時代に、陸軍がアヘンの密売で儲けた金で莫大な機密費を作り、要人への付け届けをしていた、と。その話を聞いて、なんだか北朝鮮みたいだなと思いつつ、今でも日本の省庁で機密費の問題が出てくることを思うと、こんなときに役人世界の素地が作られていたんだな。

イギリス人をお手本に、日本人の知恵のなさを憂えておられるのですが、吉田茂のエピソードは痛快で笑えました。当時外相だった吉田茂がマッカーサーに対して「GHQとは何の略だ?」と尋ね、「ジェネラル・ヘッド・クォーターです」と答えるマッカーサーに、「ああ、そうでしたか。私はGo home quickly!の略かと思ってた」と言ったそうです。また、終戦の年の冬、相当数の餓死者が出るのではないかという見込みを出し、米軍に食料支援の陳情をしたけれど、結局餓死者はほとんど出なかった。で、「数字がまるきり違うじゃないか」というマッカーサーの指摘に、「日本の統計がそれほど正確ならあんな戦争始めなかったし、始めたとしても負けなかった」と返したとか。そりゃそうだよねぇ(笑)すげぇ人だ。度胸が違う。
こんなウィットに富んだ切り替えしができることを”大人の見識”のひとつだとおっしゃってまして、知識(knowledge)でなく知恵(wisdom)を持てと言われるのですがね。そして、ユーモアを理解せよ、と。ユーモアというのは「いったん自らを状況の外へ置く」ということらしい。「対象にのめりこまず距離を置く」という余裕がユーモアの源だ、と。
その精神が海軍の精神に通じているらしく、海軍の士官の試験では、難題が出題されていたことが語られています。「蟻の歩くスピードは何ノットか?」この問いにまじめに計算して答えてもダメ。「世界には約四千種類の蟻がいますが、どの蟻のスピードをお答えしましょうか」などと答えれば高得点。つまり、答えはないようなもので、その人のフレキシビリティを測っていたということらしい。当意即妙というか、臨機応変に瞬時に判断し、しかもユーモアをいかに発揮できるかという落語の大喜利みたいなことができなきゃダメなんだね。これはやってみようと思うと、相当に難しいことですよ。

もうひとつ”大人の見識”として言及されているポイントは、「知ってても知らん顔ができる」こと。説明すると長くなっちゃうからやめときますけど、確かに大人の余裕かな。

他にも、楽しい部分がそこここに。
少し馬鹿なところのある人の方が友人としても信頼しうるものを持っている。チャールズ・ラムという人の「I love a fool.(われ愚人を愛す)」という言葉に触れ、その方の著書での文を引用されたものです。人生を勝ち組・負け組と分けて考えることが流行ってますが、うちではダンナさんと、そのどちらでもない「アホ組」ってのが絶対に必要だという話をよくしています。うちがまぎれもない「アホ組」なのですが(爆)ちょっとニュアンスが違うけど、著名な知識人の方に味方をしていただいたようで嬉しくなりました(笑)

あら、長くなっちゃった。
もっと書きたいことがあったのですが、それはまた次の機会に。
日本人はユーモアとメランコリーが欠けていて、軽躁なのだそうですよ。そして幼稚らしいけど、以前にも脳の重さのことでありましたが、日本人は他の人種に比べると生物学的にネオテニーらしいですからね。無理からぬことじゃないでしょうか。個人的には、日本人にもユーモアやメランコリーがあるし、軽躁というのもピンとこない気がしますけどね。外国を知らない私には比較のしようがないけどさ。
とにかく、タイトルに難ありって感じだけど、本当に面白い本でしたよ。

posted by nbm at 11:26| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

数時間後の秋葉原


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いんやぁ。とんでもないことが起きましたねぇ。
うちでは今日、これからまさにアキバに向かおうとして準備していたところに、あのニュースが飛び込んで来ました。どうしたものでしょう?もう2週間ほど前から、日曜になる度にアキバに行こう行こうと思いつつ、仕事が入ってなかなか行けず(ダンナさんは行ってたけど)、もう3度目の正直っていう日だったので、思い切って行くことに。スクーターで行くことを考えると、梅雨ですからねぇ。次の休日が雨ということも考えられるじゃないですか。だから、どうしても今日行きたかったんですよ。言い訳がましいけど、やじうま根性で行ったんじゃないんだよ。

行くまでの道々、都内に入ると、警官が歩道に立っているのを何度も見かけました。すでに犯人は捕まっているとはいえ、警戒態勢だったのでしょうね。パトカーも数台見ましたし。しかし、警視庁のパトカーって、どこかしら派手ね。変なエンブレムが付いてる!
アキバに着くと、現場の交差点はまだ黄色いテープで立ち入り規制がされてました。背後では、事件の目撃者らしき方たちがメディアに囲まれつつ話をしています。マスコミは顔を映さないために、わざわざ胸のあたりが映るようにカメラをセットしているようでしたが、周囲の通行人たちは無遠慮にケータイで写真を撮ってましたよ。意味ないじゃん。
規制線の所まで進んで現場を目の当たりにして、私は悪い気が溜まっているようないや〜な感じを受け、鳥肌が立ちました。すごく、おぞましい雰囲気。事件からはもう何時間も経過しているというのにね。一方、ダンナさんは残留思念のようなものを感じて悲しくなり、涙が出そうになったと言ってました。ちょうど、消防車が到着して放水の用意を始めたところで、血だらけになった道路を洗い流そうとしていたのだと思われます。
そんなとき、ダンナさんの携帯電話が鳴りました。アキバによく出没するダンナさんを心配してかけてきた友人からの電話でした。今、まさにアキバの現場にいるけど、ニュースを観てから来たから大丈夫と伝えました。
もう時刻は夕方だったので、普段なら人は帰るべき駅の方向に流れていくものなのですが、今日は後から後から駅の方から人が流れてきている状態で、ニュースを見てから来た人間が多かったのかもと邪推せずにはいられませんでした。
お目当てのジャンク街は駅から通りを渡って向こう側なのですが、ずっと規制されていて道路が渡れないので、万世橋までぐるっと回り道。すると、すれ違う人が号外を手にしてる。万世橋の所で配られていたので、すかさずもらいました。読みながら歩いてると、知らない人から何度も、「どこで配ってました?」と聞かれましたよ。中には外人の方もいて、こんな日にアキバを観光で訪れた人は災難でしたね。

出かける前に、どうなっているんだか現場の情報を集めてから行ったので、犯人がどこで捕まったかもわかっていたのですが、そこを通ってみると、そこにもテレビカメラが数台。ダンナさんんが血痕を指差して、「ココだよ」って。マスコミの人たちは、なんだか実はよくわかってなかったらしく、ダンナさんの指摘を聞いて、「ココだ、ココだ」とカメラを回してました。写真に写っている、ムダにガタイのよい人がダンナさんです(笑)ちなみに、犯人逮捕の画像だけは、別に入手したものです。

今日のテーマはこういうことじゃなかったはずだったんだけどな。
うちでは、自作マシンもさすがに新たなパーツを入手しないといけない段階にきており、出来合いのPCを買ってもよいのですが、もう一度、直接アキバに行って、ああでもないこうでもないとパーツを前に悩んで来よう!というのが今日のテーマだったのであります。今日決めようというのもムリがあると思い、下見だけのつもりで行きました。
ところが、下調べをした段階では、ありえないと思っていたものを、私が偶然発見し、事態は急展開。うちでは、解像度の低い粗い映像を観る機会が多いので、わざとテレビをモニターとして使い、その粗さが目立たないように観ているというデチューン方式を採用しているのですが(笑)、今時のマザーボードは、当然デジタル映像を観るためのものであって、アナログに出力できるものではないわけです。そこで、うちでは悩んでいたのであります。
しかーし!私は見つけましたよ。S端子TV出力がついているマザーボードを!(爆)
並んでいるマザーボードを見ていて、「これ、S端子ついてるよ」とダンナさんに言ってみると、「そんなわけ…付いてる!」そんなバカなシロモノがあったとは!やはり、アキバはあなどれん。
というわけで、今日は悩むだけ悩んでこようというコンセプトだったはずが、一転。そのマザーボードに合わせて、CPUとハードディスクも見繕い、結局買ってきてしまいました(笑)メモリはあるのでね。これで、うちにしてみれば最新で最適の(笑)マシンが1台組みあがるという…。

しかし、話は今日の事件に戻りますが、今や東京で”人がたくさん集まる場所”というと、秋葉原が浮かぶものでしょうか。渋谷・新宿・池袋あたりじゃなくて?確かにね。アキバに人は増えたと思いますよ。そしてUDXなんてちょっと小綺麗なビルもあったりして、雰囲気も変わったかもしれません。実際、今日は、フツーの若者や女の子もたくさん見ましたし、観光で来ているらしい子連れの若夫婦みたいな感じの方もよく見かけます。そして、気付きましたよ、私は。オタの人たちも変化している気がする!というのはですね。私がよく行くPCパーツのお店では、店内で人がすれ違ったり、商品を見たりするときに、以前は人に場所を譲らない人が多かった。人を全く気にしてないんですよね。ところが、今日あたりはフツーに道を譲ってコミュニケーションができました。不思議だ。何が起きたんだろう?それがいいのか悪いのか、わからないけど(笑)

以前は、夜になるとひっそりと静まりかえるような街に思えたのですが、今日のアキバはいつまでも賑やかでした。
思わぬ収穫で二人で意気揚々として歩いていた帰り道。また人だかりを見つけました。歩道に花束が置いてありました。今日、犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りします。


posted by nbm at 23:50| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月07日

暗黒物質

図書館から本を借りては、読めずに返しということを繰り返しているこの頃、やっとのことで『ライラの冒険 神秘の短剣』を読み終えました。
シリーズ2作目。第1作の『ライラの冒険 黄金の羅針盤』では、こことはちょっと異なる現代のお話でしたが、2作目からはパラレルワールドに突入。つまり、その異世界とこの世界、そしてまた別の異世界を行き来するお話になっています。似ているけど、微妙に異なる世界が、神秘の短剣で切り開かれた”窓”を通して、繋がっているという設定。
この2作目には、ウィルというこの世界の少年が大きな役割を果たします。これが、よくできたコで、なでなでしてあげたいくらいです。異世界の者同士であるはずなのに、ライラと助け合っていきます。

私は映像化された作品を観ていませんが、小説自体は、非常にクールな目線で書かれたもので、児童文学みたいな体を装ってますが、その実はハードなSFファンタジーです。特に、容赦ない展開や、容赦ない残酷な描写が出てくる点では、児童文学とは言い難い。そう思います。
大人となってから読んだわけですから、子供として読んだらどう感じるかはわかりませんが、設定も決して理解しやすいものとは思えません。なにしろ、舞台はパラレルワールドです。そして、ライラの世界では”ダスト”と言われる物質がキーになるのですが、それはこの世界でいうところの”ダークマター”のことらしい。暗黒物質ですね。
そりゃあ、いまだよくわからんもののことですし、SFファンタジーですから、想像力で話を広げている部分も多いけど、突き詰めていけば、宇宙物理学もしくは素粒子の世界ですよ。それを、さらっと物語に使っているところが、また面白いじゃないですか。

目には見えないけれども、質量としては存在するもの。
それは、生命というものとも関係があるのかもしれません。
『21g』(2003)という映画がありますね。「人が死ぬと、21gだけ軽くなる」と言われていることをモチーフにした作品です。ただし、このことはあまり作品内容には関係なかったような気がしますが。それはさておき、これは、魂に質量があるという話です。
質量保存の法則というのがありますね。言い換えれば、エネルギー保存の法則です。この21g、いったいどこへ行くのでしょう?人間の体から離れたとしたら、それは消滅することなく、どこかに存在しているはずなのでは?
生命が、際限なく生み出されることを考えると、質量を持つ生命エネルギーがどこからくるのかという問題は置いておいて(笑)、地球はどんどん重くなっていってしまうことになりはしませんか。地球の重さがある程度保たれているとするならば、その際限なく生み出されるエネルギーは、宇宙に向かって放出されているか、地球の中で循環していることになります。宇宙に向かって放出されているとするならば、ダークマターとのつながりも考えられるかもしれません(爆)そして、地球内の循環と考えるならば、それは輪廻転生ということになるのでしょうか?

「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがありますね。なにもことわざを字面どおりに読むことはないんですけども、人間サイズで21gでも、個体自体の質量がそれよりも軽い虫や微生物では、サイズに見合った質量の生命エネルギーがあるってことなんでしょうか。いろいろ考えると楽しいです(爆)

さて、『ライラの冒険』は、3作目の『ライラの冒険 琥珀の望遠鏡』と続いていきます。どうやら、天使たちの話が主軸になってきそうです。これはまた興味深い。

posted by nbm at 10:59| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

蘭学事始

あー忙しかった。
入力仕事なんですが、担当の方がコロコロと変わり、変わる度に分量が変動するのですよ。今度の担当さんは、どうもドッサリ依頼するタイプの方らしく、前回すでにびっくりするくらいの分量を依頼されたのですが、今回はその前回びっくりした分量の2倍近いものを依頼され…。勘弁してくれ。いくらなんだって、限度ってもんが…。とはいえ、そうそう仕事にありつける身でもないので、頑張りました!そして、終わりました!ふぅ。
というわけで、しばらく更新できずにおりました。

カラダも疲れていることですし、何せ数日間、夜中の2時、3時までカチャカチャ仕事してましたんでね。ゆっくり休めばいいんですけど、ヤボ用があるんで、それを待っている間にちょちょいと書いているという寸法。
さて、何を書こうか。

先ほど、NHKのニュースの中で、オランダの種会社のことを取り上げてました。名前忘れた…。(笑)種工場の映像なんてのが流れてて、種の工場ってなんだよって思ったけど、ほんとに何をするところなんだ?とにかく、種類別に何万通りもの賭け合わせをして、世界各国それぞれの地域に合う品種を作って種を売ってるとか。作物って安定して何代も品質の良いものが実らないので、収穫したら次の年は新しい種を植えないとダメらしい。つまり、種を買い続けることになるわけだ。その会社はもう一方では、世界の種会社を買収して、勢力を広げているのだそうですよ。日本もそのターゲットになっていて、実際、日本でもそのオランダの種会社の種を使って作ってる野菜が増えてきているとかで、国内の種苗会社は泡を食ってる。
こうやって、特定の種苗会社が世界中の作物の種を牛耳ることになると、食料価格の吊り上げなんてことも可能になるという恐ろしい話もでてきて、これから世界的な食料難時代に突入しようとしているところに、こんなかたちで別の問題がかかわってこようとは思いませんでした。しかし、知らないだけ、想像力が無いだけの話で、これからは食料をめぐって、いろんな話が出てくるのだろうなぁ。

ところで、オランダといえば、思い出すのは風車、チューリップ、木靴、ゴーダチーズ、格闘家、そんなもんか。サッカーのユニフォームのせいか、なんだかオレンジ色なイメージですね。あれは何の色なんだろう。まさかゴーダチーズの…。(笑)
チューリップをはじめ、花の栽培は産業として大きなものになっているようですね。世界のシェアの6割?ご存知の通り、オランダは国土の約30%が低地。洪水の危機を常に抱えているからか、農業や食料需給への関心は高いようで、そのあたりから環境問題などにも積極的に取り組んでいるらしい。自動車に乗らせまいとガソリン税を80%と高くしたり、昼間の時間帯の通行止めの規制をしたり。歩行者天国もオランダが始めたことだったらしい。そのかわり、バスなどの交通機関が発達していて、自転車も走りやすいってことで、そういやあ自転車競技も盛んだよね。
この環境問題や食料問題に強い関心を持つ国だからこそ、花はもちろん、農作物にいたるまでの種に関する技術を持っているのかも。
あのグリーンピースの本部もオランダにあるんだよね。アムステルダム。そういえば、ドイツがゴミのリサイクルとかしっかりしているという印象があるけど、オランダも同じなんだね。

オランダのことって、あらためて考えてみたらよく知らなかった。鎖国という歴史からか蘭学なんてのがあったくらいだから、その昔はオランダとも交流があったはずなのだけれど、現代は反日感情が強い国みたいですね。それというのも第二次世界大戦の遺恨があるから。日本人としては、そんなこと意識したことないんですけど、私だけですか。
知ってる都市といえば、アムステルダム、ハーグ、ロッテルダムくらいが関の山。ユニリーバってオランダの企業だったんだね。あとはビールのハイネケン。人でいうと、レンブラントとかゴッホ?あとはアンネ・フランクか。それから、ヤン・デ・ボン監督とか。調べてみると、他にエドワード・ヴァン・ヘイレンとか。

よく考えたらオランダって知らないなと思って…。向こうもそう思ってるんだろな。
posted by nbm at 00:35| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする