2008年09月26日

痛みの基準はhanage

昨日のことでありました。
ふとした瞬間に踝をテーブルの足にぶつけてしまいました。金属製のテーブルの足にクリーンヒットしたのですが、その痛みたるやものすごく、しばらく立ち上がれませんでした。よりにもよって、こんな骨がほぼ剥き出しのようになっている部分をぶつけるなんて。我ながらアホです。
寝っ転がって悶絶しながら、頭に浮かんだのは、厳しいチャージを受けて倒れたときのサッカー選手のことでした。あの人たちは、こういう風に、痛みが引くまで堪えているんだな、と。自分が考えていたよりも、痛みが引くまで時間がかかりました。その後は、別にアザにもならず、押したりしても痛くはありません。想像に出てきたサッカー選手たちも、しばらく痛みを我慢すれば、何事もなかったかのように走り出せるのだろうなと思いました。当然、捻挫や骨折や靭帯を損傷していたりしたらダメですけどね。

一番痛いことってなんでしょう。
女性だと出産が代表的だと思われるのですが、私にはその経験がないので、他の実体験を振り返ってみることにします。ここからはグロ注意
個人的には、まず両足の親指の巻き爪の手術をしたとき。左右それぞれ1回ずつを通院で手術し、術後自宅で寝てました。指先ですから神経がたくさん通っているためか、ものすごく痛くて、2回ともタオルを噛んで唸ってたのを覚えてます。鎮痛剤も飲んでいたとは思うけど、効かなかったんだろうね。しかしその後、もう一度左足を手術した時には、患部の肉が足りないと言われて総合病院では手術を拒否され、大学病院の形成外科に紹介されまして、大学病院で診察してもらったら、面倒だからと診察室のその場で手術されてしまい、そのまま入院ということになり…。入院して、大げさながらも術後の足を上に上げたまま生活していたら、痛みはほぼ感じませんでした。以前の手術のときの痛みは何だったんだろうと思いましたよ。
あとは尿管結石でしょうか。春の夜、花見をしていたら、急激に腰が痛くなってきて、尋常じゃない痛みだったので、ダンナさんにすぐに病院に連れて行ってもらいました。悶絶してて歩けないんで、病院内の移動は車イス。車イスの上でも悶絶してのけぞってたのを覚えてます。それで、夜間ですから専門医はいなかったものの、看護師さんが結石だなとふんで、ビニール袋を渡してきました。「たぶん、痛みで吐くだろうから持ってて」と。渡された瞬間は気持ち悪いとか全然なくて「なんで?」という感じだったんだけど、数分後見事に吐きました。看護師さん、お見事!汚い話ですみません。しかし、痛みで吐くという経験が初めてだったので、驚いたと同時に、ヒトの身体の反応って面白いものだなと思いました。
子宮筋腫を摘出する手術をしたときは、硬膜外麻酔というものをやっていたため、腹を切ってるのにもかかわらず、術後に痛みを感じた覚えがありません。硬膜外麻酔ってのは、脊髄に麻酔針をさしたままにして下腹部だけに麻酔をするもので、麻酔の袋がしばらく背中にぶら下がってたわけです。ただし、私の場合は左足が完全にマヒしてしまい、動くけどまったく感覚を感じなくなってしまったので、怖くなってすぐに麻酔を外してもらいました。外してもらって左足の感覚は復活し、不思議だけど、麻酔を外しても傷口の痛みはあまり感じませんでした。この手術の際に一番痛かったのは、手術前の準備としてぶっとい点滴用の針を腕に刺すときで。手術前夜、インターンの先生がしてくれたのですが、なかなか血管に針が入らず。私の血管は細くて見えにくくて内部にもぐりこんでいるので、刺すのが難しいことはわかっていたのですが、何度もチャレンジして20分経っても刺さらず(笑)あまりにひどいので、他の先生も見物に来て、小児科の先生を呼ぼうかなどと言ってたのですが、なんとか刺さりました。これが手術より全然痛かった!(爆)先生も汗だくだったけど、私も脂汗が出ました。

痛みというのは、主観的な要素が強いですから、何かと何かの痛みを比べるということは非常に難しいこととされています。昔、ジョークで痛みの単位を1ハナゲとするというのが流行ったようで、ハナゲを抜くときの痛みを基本にして考えようってわけですけども。案外ジョークとも言い切れないような気もします。一方、どこかで痛みの数値的な比較についてのまじめな研究を読んだ覚えがあるのですが、どうしても捜し当てられませんでした。

医者に行くときは、痛みの性質を伝えますよね。
・どこが痛むのか
・どのくらい痛いのか
・それがいつから生じたものか
・突然生じたものか、ジワジワと痛くなってきたのか
・どのようにすると痛みが増すか、
 どのようにすると軽くなるか
日本語だと、ズキズキとかヒリヒリとか豊かな表現もありますが、強弱とは別に、鋭い痛みと重い痛みとありますし。痛みを他人に正確に伝えるのは難しいですよね。
目に見えて比較できる単位があると便利かもしれないけど、その人にとっての痛みは数値だけでは読み取れないでしょうし。科学的に痛みを数値化するとなると、神経伝達物質の量を測るとか、神経の電位を測るとか、そんな方法しかないようです。実際、ニプロという会社が、知覚・痛覚定量分析装置<Pain Vision>というものを作ったのだそうですが、そう簡単にいくとも思えませんねぇ。

たとえば、帯状疱疹ってありますね。ダンナさんをはじめ身内が罹っているので聞いてますが、強烈に痛いそうです。治療にかかるのが遅かったり、高齢者だったりすると、痛みを神経回路が記憶してしまって、症状が消えたあとも痛みだけが残ってしまうという後遺症になることがあります。こういった場合は、見た目の症状がないわけですから、痛みを解ってあげるのは難しくなりますね。でも、患者本人は強烈に痛い。ただし、この痛みも何かに熱中していると軽減されやすいのだそうです。
気持ちの問題という言い方をしてしまうと語弊がありますが、周囲の人間としては、本人の苦しみを汲み取った上で、気晴らしをさせてあげるのがよいのでしょうね。

今回は肉体的な痛みに絞って書いてきましたが、精神的な痛みというものもあるわけで、それは肉体的な痛みよりももっと他人にはわかりにくいもので。他人が想像力を総動員させても、本人の痛みはわからないだろうけど、まったくわかろうとしないのもどうかと思うし。わからないながらも、わかろうとするというのがよいのかもしれませんね。
痛みはヒトが生存していく上で、身体の発する危険信号として重要ですし、痛みがなくなってしまったら大変です。痛みを感じたら、それは肉体であれ精神であれ、自分が自分に発している危険信号だと思って、対処せねばなりませんね。

踝をぶつけた時の痛みを、1kurubushiとして、経験してきた他の痛みを表現できないかと思ったのですが、どれも古い話で痛みそのものは忘れてしまいました。でも、少なくとも1000kurubushiくらいにはなるかなぁ(笑)
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2008年09月25日

あなたの鳥言葉は?

とあるチラシに鳥言葉なるものを発見!
鳥言葉ってあるんだね。例えば、ツバメなら「幸福の予感」、カルガモは「家内安全」、ヒバリだと「天からの授かり物」。なんとなくわかるような気も。調べてみると、誕生日鳥(バースデイ・バード)なるものまであるのを発見。どれどれ?私の誕生日は…ユリカモメ。鳥言葉は…「二面性」!ってなんだよ、それ!もっとなんかこうプラス思考の綺麗なことばじゃないわけ?こんな仕打ちって酷いわ(笑)
そんなバカなと思ったので、ほかにも酷い鳥言葉を探して見ました。

オーストラリアヅル  「画竜点睛を欠く」
キジ         「出る杭は打たれる」
キバタン       「苦労性」
ワライカワセミ    「小さな悪意」
キバシルリチョウ   「慇懃無礼」
ヨタカ        「不幸な前兆」
カワラバト      「親不孝」

366羽いて、マイナス・イメージの鳥言葉は10羽もいないんじゃないか?
誰がどうやって決めたんだか。何かの記念日になぞらえて、誕生鳥を決めているふしも見受けられます。たとえば、11月22日は「いい夫婦の日」でしょ?この日の誕生鳥はオシドリ、鳥言葉は「死が二人を分かつまで」。5月12日の誕生鳥はナイチンゲール、鳥言葉は「献身・奉仕」なんだけど、この日はかのフローレンス・ナイチンゲールの誕生日。どうも、これは日本人が考案したものみたいね。

ストレートな鳥言葉も多いね。
コウノトリ      「子宝」
ウソ         「偽りのなかの真実」
インドクジャク    「豪華」
まんまやんけ。

ちょっと笑えるものも。
シマフクロウ     「守護」      ハリー・ポッターか!
シチメンチョウ    「利他精神」    感謝祭にいただくからか?
アオアズマヤドリ   「マニアックな愛」 えっと、マイホーム造るヤツだっけ?
カササギ       「器用貧乏」    ひどい言われよう。
ハシビロコウ     「不器用」     ロクに動かんし、たしかに不器用そうだけど。
カッショクペリカン  「大ざっぱ」    海に突っ込む、餌のとり方からか?
ハシボソガラパゴスフィンチ 「弱肉強食」 何となくわかる気もするけど。
コジュケイ      「人恋しさ」    「ちょっと来い」って鳴くもんね。
イワトビペンギン   「決断力」     巣まで岩を飛びつつ進むときの様子からか?
                     一旦止まって…ピョン!
コウテイペンギン   「忍耐力」     吹雪の中で卵あっためるのはご苦労さんって感じだもんね。

誕生鳥に興味のある方は、コチラをどうぞ。

ちなみに、ユリカモメがなぜに「二面性」を象徴しているのかですが、ユリカモメは昼間は陸地で過ごし、夜は海上・湖上で過ごすという生活スタイルらしいです。そういうことかな。ちがうの?
「二面性」の自覚についてですが…
裏表はまったくない人間というか、そんな器用な使い分けができない人間なので、そういう二面性はないんだけど。たとえば、無機質でシンプルなものが好きなので、部屋の中を飾り付けたりするのがキライで、女性らしい装飾品を置いたことがないのですが、どういうわけかぬいぐるみやパペットなんかはそこここに…。こういうことですかねぇ(爆)
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2008年09月22日

やっぱり、刺激中毒か…

訪ねてくださる方に申し訳ないので、生存報告だけしておきます。
生きてます(笑)

またも無茶な分量の仕事を請け、格闘しているところで、あと数日はまともに更新できそうにないので、とりあえずご報告。

とかなんとか言いながら…
図書館から借りた本が読みきれず、しかも返却日を過ぎてしまったので、仕方なく返却に行きました。時間がないので、返却するだけですぐに帰ろうと思っていたのですが、考えてみたら、部屋にはいつも図書館から借りた本が堆く積まれているのに、今日返却してしまったら1冊もなくなってしまうのでした。今は読んでるヒマがないし、それでいいはずなんだけど、なんだかそわそわする。寝る前とかふとした時に手にとる本がないことを想像し、どうにもこうにも落ち着かない気持ちになって、何か1冊だけでも借りようと必死に探す自分がいるのでした。おかしいだろ(笑)
自分を読書家とも思っていないし、活字中毒というほど本を読むわけではないと思っていたんですけど、いざ本がないと思ったら焦る自分に驚きました。完全に中毒じゃん!(爆)
貴重な時間を20分も本を探してふらふらし続け、結局去年あたりからずっと読み直したかった、懐かしい星新一の短編集の文庫本を1冊だけ借りて帰ってきました。これなら、息抜きに1編ずつでも読めるもんね。
別に本を手に取らない日だってありますよ。だけど、手元に何もないというのがイヤなんだね。家にだってまだ読んでない本がたくさんあるのになぁ。そっちを先に片付けろよって話ですが。いつでも読めると思うのか、所有してる本っていつまでも読まないんだよね(笑)

自分が何かの中毒だって自覚が全くなかったのですが、たしかにパズルは中毒性があるのかもしれません。これも毎日というわけではないものの、手元には必ずパズル雑誌があって、いつでも解ける状態にしてありますし。いつも書くけど、ドーパミン目当てだよね。
そうなんだな。どうも「いつでもできる」状態にしておくのがいいみたい。本も、そうなんだよね。いつでも読める状態にしておきたい。で、ちょっとでも時間があいたり、息抜きが必要だと思ったときに、すかさず手に取るわけです。
やっぱりねぇ。ボーっとしてる時間がないわけだよね。「隙あらば解こう」とか「隙あらば読もう」とか思ってるわけだからね。

そろそろ仕事を始めないと。
それではまた3日後くらいに…。

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2008年09月17日

朱雀?

仕事明けでグロッキーっす。

というわけで、お茶を濁す記事をひとつ。
最近、ひょんなことで知ったアーティスト。これがすごくお気に入りになってしまって、今ヘビーローテーション中。

その名は、SUE;ZAK
今年5月に鹿児島で開催されたレイヴ、EFFECT08に参加されているようです。このレイヴ、目玉としてはBOOM BOOM SATELLITESとか石野卓球KEN ISHIIあたりでしょうか。私の好きなoakも参加してますし、大沢伸一Jazztronikなんかも出てますね。一通り主な参加アーティストを見てみました。どうもレゲエ系とかドラムンベース系は苦手なんですよね。そうすると、正統派のテクノか、ロック系のものがやっぱり気になります。以前から、石野卓球のセンスは大好きなんですけど、そのわりにはちゃんと聴いたことがなくて、欲しいんですよね。リズム自体がメロディアスなところが、手を抜いてないっていうか、凝ってるっていうか、好きで。オサレ系が好きな人は井上薫(chari chari)もいいかもしれませんね。HPが綺麗だしオススメ。

さて、話はSUE;ZAKに戻ります。
竹内教浩(Vo、G、Smp)・渡部武則(B、Prog、Smp)・山川和昭(Dr、Smp)の3人からなるプロジェクト。元々ベースとボーカルにドラムを加えたバンド・スタイルで、バンドとクラブ・ミュージックとの融合を目指す彼等の音は、感覚的には例えていえばBOOM BOOM SATELLITESが一番近いかな。でも、ちょっとトム・ヨーク入ってたり、独特のものがあります。曲調も幅広い感じがするし。PENDULUMみたいな音が好きらしいのですが。
実は音源がまだCD化や配信などされていない状態。ところがですね、MySpaceでも聴けるんだけど、HPで音源をダウンロードできるんですねぇ。これはお徳よん。ふふん。HPはコチラ

最近はロックからエレクトロニカ系に微妙に興味が移ってきてるような気がしてます。テクノってくくりにしちゃうと、ちょっと違うんだけど。正統派のテクノって、音が段々レイヤーされて厚くなっていくのを楽しむ曲が多いじゃないですか。あれが昔はまどろっこしくてダメだったんだけど、今なら聴ける気がする!


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2008年09月12日

たましいには二通りあるクマ

ここ数日、気になることがひとつ。
なんだか地震の活動が一段と活発になってる気がする。日本のあちこちが揺れてる。日常的に揺れてるのは当然なのだけれど、少々規模が大きいのと、あまりに広範囲で活発化しているのが気になる。沖縄が揺れたかと思ったら、次は北海道とか。相変わらず東北と茨城沖も活発だし。大きいのが来ないといいんだけど…。

さて、ずっと前から読もう読もうと思いつつ、なかなか手が着けられなかった『怪力乱神』加藤徹 著)にようやく着手。すげぇ、おもれぇ。

まだ4分の1程度しか読んでないんだけど。
たとえば、”躍る”と”踊る”の違い。”躍る”がイメージとして明るいことはなんとなくわかるんだけど、”躍る”には”羽の下に”ふるとり”があって、「かがやく羽毛のようにパッと空中に飛び上がる」という意味。一方の”踊る”の右半分は「つきぬける」という意味の音符”用”で、「大地をつきぬくように足を地面に叩きつける」という意味になる。つきぬくようにわきおこる意の”湧”や、身体をつきぬけるように力がわく意の”勇”と同系だという。相撲で四股を踏むのに見られるように、大地を踏んで、その霊を揺り起こしてパワーを得るということらしい。古代から連綿と受け継がれているような舞踏を見ると、確かに大地を踏み鳴らすようなしぐさをたくさん見るような気がするよね。
”ココロ”は”コゴル(凝る)”。身体の中でプルプルと震える心臓を”ココロ”と呼び、魚などの煮汁が冷えてゼラチン質が固まったものを煮凝りというけど、それも同様にプルプルしてるから(笑)”ワタ”はうねうねと波打ち広がる様のことで、”海””綿””曲”はみんな”ワタ”。
こんな漢字の成り立ちが、ハンパなく面白い。

一方で、さすがに不思議な話が出てくる。
『列子』の中には、三千年前のアンドロイドの話があるとか。紀元前十世紀。穆王(ぼくおう)が辺境への旅の帰途で会った偃師(えんし)という技術者は、人造人間を作っていた。立ち居振る舞いや表情を見ても人間にした見えないそれは、歌い、踊り、王の侍女に色目まで使った。しかしその肉体は、皮革や木材を膠や漆で接着して彩色したもので、五臓六腑や筋骨・歯・皮膚・髪までみな人工的な代用物で作られていた。穆王が試しに心臓をはずしてみると口がきけなくなり、肝臓をはずすと目が見えなくなり、腎臓をはずすと足腰が立たなくなった、と。当時、魯班という人が雲梯(戦闘時に城壁を登るための長い梯子)を作り、墨子は飛鳶(ひえん)という飛行機のような乗り物を作ったと言われているのだけれども、その当時の機械技術の最先端を行っていた両名がこの偃師の技術には敵わないと自信をなくしたというエピソードがあるらしい。だけど、人造人間はウソだよね(笑)
他にも、2人の人物の心臓を交換したら、それぞれの心臓の記憶からか、心臓の持ち主の行動を取ってしまったという話や、身体の一部から再生するクローン人間のような話なども。古代中国の想像力たるや、恐るべし。

もうひとつ、興味深かったのは”魂魄”の話。
”魂”は人の精神をつかさどる霊、”魄”は人の肉体をつかさどる霊。”魂”の”云”は「もやもやとしたもの」、”魄”の”白”は残りかすの意味らしい。死体がやがて白骨化することや、米の白い残りかすを”粕”というように。つまり、魂の抜け出たあとの形骸のこと。生きているときには”魂魄”は一つだけれども、死ぬと”魂”は肉体を離れて天にもどり、”魄”は死体と共に地に残ると考えられていた。
”入魂”というのは、肉体を離れられる”魂”を込めるということで、”気魄”では”魄”は肉体を離れないから、自身の身体や顔に表れるということになるわけさ。ちなみに”気迫”というのは実は代用漢字。
たましいには、肉体を離れるものと肉体に残るものの二つの種類があるという考え方は、古代エジプトにも通じているという。それが”バア”と”カア”。”バア”は人が死ぬと死体から抜け出してあの世とこの世の間を飛び回る。”カア”は死体にとどまり続ける。”カア”のために、そのよりどころとなる死体を残さなくてはならず、ミイラというものが編み出されたという。
以前に、アルファベットの成り立ちのことを記事にしたことがあるけれども、古代エジプト人は文字で言葉を伝えられるのは、文字そのものに霊魂が宿っていると考えていたからだという。文字には、絵のような具体的な形と、抽象的な意味という二つの側面があって、具体的な形が”カア”、抽象的な意味は”バア”というわけ。中国人が使用する漢字も、二つの側面を持つ文字であって、エジプトと中国の双方ともが、文字観と死生観とに通ずるものを見出していたらしい。
この”魂魄”という二つのたましいという考え方はとても合理的に思える。人の精神の本体である霊魂が抜け出たあとの死体はまったく意味を成さないと考えるならば、遺体をどう取り扱おうが関係なくなってしまう。外見が残っていることで、残された側としては感情の問題が大きいことは言うまでもないのだけれど。やはり遺体にしろ遺骨にしろ大切に扱いたいと思うのは、そこに故人の何がしかが残っていると考えているからで。それを”魄”だといわれると、納得できる気がする。

相当にユニークな文化圏を作り上げてきた中国という国の底力と、その文化に限りなく影響されてきた日本。表面的にはなかなか見えないながらも、深いところでやっぱり甚大な影響を受けているということを感じますなぁ。この本、面白いんで、またレポートします!
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2008年09月10日

ハイエナはネコ、ジャコウネコはネズミ、では…

何を調べているときだったか、イヌは”ネコ目”の動物であることにぶち当たる。ネコ目ってのは、食肉目ってことで、捕食者として肉を噛み裂く歯が発達した肉食の動物ってことらしい。最新の分類学によると、ネコ目(食肉目)は大きくネコ亜目とイヌ亜目の2つに分けられている。ネコ亜目には、ライオンやトラはもちろん、マングースやジャコウネコやハイエナなんかが含まれていて、イヌ亜目の中にはクマやタヌキやアザラシやイタチなんかが含まれている。
ここで感覚的にしっくりこない感じなのが、ハイエナがネコ亜目であるということ。あれ、ネコか?でも、本当にネコに似ているらしいよ。

イヌの祖先は本当に狼か。
そんな疑問が漠然と浮かんでいたときに、図書館で出会った本、『犬と狼』を読んでみた。平岩米吉という風変わりな人の本だ。この方、もともとは日本画を学んでいたはずなのに、途中から文学をやりつつ、動物の生態に異常なほどの興味をもって、東京は自由が丘の自宅に犬はもちろん、狼やら熊やらたくさんの動物を飼育して観察していたらしい。わかりやすく言えば、ムツゴロウさんの大先輩というところか。不勉強で、全く存じ上げなかったのだけれど、文学を基本としているためか、動物行動学的な側面と文学的な側面が微妙に絡み合っていて非常に読んでいて面白い内容。コンラート・ローレンツも真っ青の動物行動学者さんなのである。ローレンツは同時代に同じようなことをやってノーベル賞まで獲ってるのにね。この方、もっと評価されてもいいんじゃないだろうか。

そうそう、ハイエナの話ね。
この本は縞ハイエナの話から始まるのでした。著者はそうとうな変わり者だと思われますが、奥様がまたすごい。この縞ハイエナは毛並みの美しさに奥様が惚れこんで飼うことになったというのですからね。このハイエナ、寝るときに前脚を折って寝たり、ニャアと鳴いたり、舌にトゲがあったり、嬉しい時にはゴロゴロ言い、明るいと瞳が細長くなり、とまったく猫そのものだったらしい。お尻に臭いの出る袋を持ってるし、ジャコウネコから枝分かれしたんじゃないかって考えられてるみたいだけど、分類学上ネコっていうのも納得だね。こいつの普段の鳴き声は「ア、ア、ア、ア、ア、」という喉を詰まらせたような声だそうで、聞いたことがないんだけど、もしかしたら『呪怨』の伽耶子ちゃんみたいな感じ?(笑)ちょっと、不気味ね。

本来、狼と犬との関係性を読み解くために借りた本なんだけど、他にも楽しい話が満載なので、本筋とは関係なく読み物として楽しめました。ジャコウネコは鳴き声と体臭がネズミみたいだって言うし、ツキノワグマも飼ってみたりしてね。他にもジャッカルやキツネやタヌキなど、犬との比較が主な目的のようでしたが。それに動物の予感や特殊能力を書いたエッセイがあったりね。

さて、本題の狼。
狼は、特に小さい頃から飼えば人には非常に慣れるらしいのですが、気をつけなければいけないのは食べ物を前にしたときに豹変すること。どんなに慣れていても、食事を与えるときには十分な注意が必要とのこと。食物さえもっていなければ、もしくは人間を食物と認識しなければ、人間を襲うことはまずないらしい。食べるものを得るということと、それが闘争の結果であるということは、狼の頭の中では直結しているらしく、食べ物を見せるとその闘争性が現れるということ。これは他の肉食獣にもいえることで、何も狼だけに限らないようだけど。
だから、仮に狼が咥えているものが食べ物ではなかったとしても、近寄ったり加えているものを取ろうとすることは大変危険な行為らしい。ワンコでも咥えたら話さないヤツがいるけど、こういう性質が色濃く残るとそうなるのかね?

狼と犬との比較で一番興味を引いたことは、狼はワンワン吠えないということ。狼といえば、ワオーンと遠吠えするイメージがあるけれど、キャンキャン、クーンクーン、ウーッ、とはいっても、ワンワンとは吠えない。ただし、犬といっしょに飼育すると、そのうちワンワンと吠えるようになるとか。骨格など身体の作りは犬と狼はほぼ同じらしいけれど。ディンゴなど野生の犬といわれている種類は、みなワンワンとは鳴かないそうで、これは家畜化されて初めて身に付けた鳴き声のよう。ジャッカルは狼同様に犬の祖先とする説があるようですが、ジャッカルを犬といっしょに飼育しても、この犬のような鳴き声を出すことが出来ず、また狼ほど人に慣れないことから、著者はジャッカルはさほど犬に近いものではないといいます。
狼は走ってる最中には鳴かないものらしく、それはつまり、走っているときは集団で獲物を追っているときであって、獲物にこちらの存在を知られてはならないから鳴かないということ。仲間との合図として、「行動開始」・「攻撃」・「解散」といったポイントでは遠吠え的に鳴くものの、それは必ずお行儀よくお座りしているか立ち止まって鳴くのだそうですよ。
犬はワンワンと鳴くとき、歩調とリズムが合っているのだそうです。著者は、走りながら吠えることで遠吠えだったものが、「ワン、ワン」とリズミカルに分断されたという説を考えています。

古来より、犬と狼との交配は行われていたそうで、最も古い文献としてあげられていたのは、4〜6千年前のペルシャ教典『ヴェンジータード』第13章愛犬品。一方、1770年代にビュッフォンという学者が交配実験をしたところ、牝狼×牡犬で産まれる牝がおとなしく飼いやすい性質をもつらしい。第4世代まで交配実験をしたけれども、他の学者の実験でも長くは交配が続かないとのこと。途中で産まれた子供を両親が食べてしまったりするのも関係あるのかしらん。ビュッフォンの交配実験で得られた結論としては、牡犬×牝狼だと産まれた子が牝なら犬に似た性質、牡なら狼に似た性質となるということ。もし、牡狼×牝犬を交配実験したとしたら、牡は犬似で牝は狼似という結果になるのではと著者は推測している。

長い長い時間をかけて営まれてきた子孫を残すという行為が、当然のことながらヒトも含めた今の生物のカタチになっているわけですよね。哺乳類の樹形図を逆に辿っていけば、”ナントカタス”みたいなチンチクリンな哺乳類の祖先にみんな辿り着くわけで。それを犬だ狼だというのは、猿か人かくらいの違いなのかもしれないけど。今まで連綿と発展してきた地球上の生物の歴史からいえば、ほんの表層のことなのでしょうけれどね。

一時は絶版になっていた平岩米吉さんの本は、復刊しているようで、他にもまた探して読んでみようと思います。ローレンツの本も面白いけど、平岩さんの本では日本の文学や文化に根ざした考察が展開されているのが魅力です。最後に、名文を少しご紹介。
今日、我々の有する犬に対する知識は必ずしも僅少ではない。しかしながら、その多くは彼等の品種を改良し実用化することの一面であって、彼等より学ぶべきものを返って等閑視しているのである。私をして直言せしむれば、改良する必要のあるのは犬ではなくて、実に人間自身なのである。無秩序に繁殖し、奔流し、氾濫し、その狡知と虚偽をもって地上を泥濘のごとく惨毒しつつあるわれわれ自身なのだ。(中略)今や人類は世界を掌握し、全生物に号令する輝かしい位置を築き上げた。が、不幸にしてもっとも重大なものを失ってしまった。すなわち良心を!

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2008年09月08日

いつもながら無節操

仕事が続いて、体内の血流が滞っているのが自覚されたので、思い切って暑い日中にウォーキングに行ってみました。どこの栗園も大きなイガがこれでもかとたくさん生ってる。雷が多い年は、稲がよく育つのだと聞いたばかりで、それは暑くて雨が多いからなんだそうだけど。大体、”雷”って字には”田”が入ってるし、”稲妻”や”稲光”にしたって”稲”って付いてるし(笑)雷の多い今年は栗や他の作物もよく育ったのかな。遊歩道沿いにはヒガンバナが咲いてるかと思ったら、まだ紫陽花が咲いてる。不思議だね。不思議といえば、なぜだか今日はたくさんの蝶に会う。モンシロチョウ、モンキチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハ、クロアゲハ、ツマグロヒョウモン、それにシジミチョウやセセリの類。そいつらがどういうわけか、目線の高さで10センチほどの目の前を横切っていく。みんな「こんちは!」って挨拶していくみたいに(笑)他にも、ハゴロモとかトンボたち、それにバカデカいスズメバチまでが鼻先をかすめて飛んでいく!なんだっちゅうの。さすがにスズメバチにはビビりました(笑)トンボも蝶も交尾しながら飛んでるヤツらがいた。器用だね。それと尾っぽがメタリックブルーのトカゲちゃんがいた。幼体の尾が青いらしいので、子供だったのね。綺麗だったな。

さて、今日は音のメモです。

「ALL HOPE IS GONE」 Slipnot
グロテスクなマスクをつけた9人組。ちゃんと聴いたことはなかったのですが、なんだかチャートですごく上位に入ってるんで気になって、聴いてみました。う〜ん、残念ながら(笑)すごくいい!ヘヴィなミクスチャー・ロックとかデスメタルとか単純にジャンル分けが難しいらしいですが、ベタにヘヴィだ。とにかくドラムがすごい。ハンパじゃなくすごい。ドラムの人、アキレス腱大丈夫か?HPはコチラ。導入が楽しいHP。2曲試聴できます。

「Rhythm, Chord & Melody」 Reign of Kindo
こちらはうってかわってjazzyな1枚。メロディラインが美しい、ピアノ主体の静かなアルバム。こういう音の展開、好き。「RADIOHEAD+JAZZ」とか紹介されてたけど、ちょっと違うかも。限りなくフュージョンに近い、ピアノ・ロック。イマドキでない感じが逆にそそる。HPはコチラ。すごくNYっぽい音。アルバムを通して聴くと、ちょっと一本調子だけど、心地いいので、まぁいいかって感じ。あぁ、ハードな音主体の今聴くと、新鮮だなぁ。

「YEAH」
 Holidays of seventeen
”和製Weezer”と称されている、福岡出身の5人組。どこまでも明るくPOPな音の爽やかパワー・ポップ。コーラスワークが綺麗で、POPだけどそれだけではない何かが感じられる。MySpaceはコチラ。とにかく音がキラキラでカワイイ!本家WeezerやPanic At The DiscoなんかをプロデュースしているChris Shawがプロデュースしたアルバムだっていうんだから、ねぇ。こりゃあ、海外でもウケるかも。

「LIFE BEGINS AT HIGHTY」 80KIDZ
あのKitsuneにも認められているという、JUN、Ali&、MAYUの3人からなる日本のエレクトロ・ユニット。このブログで以前紹介したBOYS NOIZEやSPACE COWBOY、JUSTICEとも共演しているらしい。MySpaceはコチラ。ややおとなしめながらも、なかなか。

「THUNDER」
S.M.V. (STANLEY CLARKE〜MARCUS MILLER〜VICTOR WOOTEN)
3人のベース・プレイヤー、スタンリー・クラーク、マーカス・ミラー、ヴィクター・ウッテンによるプロジェクト、S.M.V.のアルバム。なんじゃ?その組み合わせは!07年10月、ニューヨークで行われた、スタンリー・クラークに贈られたライフ・タイム・アチーブメント受賞式典での共演を機にレコーディングが実現した作品だとさ。普段は地味なベースという楽器の超絶プレイが楽しめるであろう1枚。コチラで試聴できます。マーカス・ミラーはよく聴くんだけど、3人がバランスよく演奏してるみたいだし、ベースの音でメロディラインを聴くというのもなかなかないので、たまにはどうでしょう。

ってことで、いつものごとく、気になったものをメモ。いつもながら節操の無さが炸裂してますけども。どれも気になるんだもんね。
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2008年09月05日

美しきブラックボックス

図書館で何の気なく見つけ、手に取ったこの写真集。う〜ん、美しい。欲しくなっちゃったな、この写真集。
というわけで、本日は『CORE MEMORY ヴィンテージコンピュータの美』をご紹介いたします。amazonではほんのちょっとだけ中身が観られます(裏表紙の写真がオススメ)。今年の2月に出版されたもののようで、当時はある一定の層では話題になっていたようですが、存在をまったく知りませんでした(笑)
タイトル通り、古〜いコンピュータの写真集なのでありますが、その古めかしくもメカメカしい美しさに圧倒されるのであります。整然と並ぶ真空管、色とりどりのコードの束、ボタンやスイッチやツマミの集合体。部品や操作パネルに使われている色が、意外とポップなことに驚かされたりしながら、まじまじと見入るのでありました。初期も初期の頃のラボラトリー・グリーンと言われる、白っぽい緑色。本来は部品を見分けるために着色されたのであろう基盤の部品たち。一見整然と配置されているような膨大な数の部品だけれど、実はひとつひとつに個性があるように見えるのが不思議。「ぼくはここやっとくからさ、きみはそっちね」的な(笑)初期のコンピュータを成しているモノの膨大さといったら、北京オリンピック開会式の人海戦術どころではなくて、これらひとつひとつが力を合わせても、今では笑っちゃうほどのスペックしかなかったこを考えたら、この50年のコンピュータの歩みは、後世の歴史からしたらとんでもない進化だというのがよくわかる。

コンピュータの開発の歴史は、ほぼ軍事開発の歴史と言ってもいいのかもしれない。あとは宇宙開発だよね。そもそもの目的はみな軍事のためだった。例えば、第二次世界大戦の終盤にアメリカで作られたENIACは真空管を18,000本も使った壮観なマシンだけれど、兵器の弾道の軌跡を計算し、新兵器導入までの時間を短縮するのが目的だった。けれども、開発の結果、プログラムを格納する場所が必要だという課題が見つかり、そういった意味でのコンピュータの基礎理論が構築された1台だった。

メインメモリの変遷が、コンピュータの外見を劇的に変えてきたのだということもよくわかる。ドラムメモリや水銀遅延管、真空管といった物量的なものから、磁気コアメモリができたことで、これが集積回路に発展していくわけだよね。コアメモリまで来ると、大分現在のものに近づいた感がある。

総合的に一番美しいと感じたのはSAGEかな。Semi-Automatic Ground Environment(半自動式防空管制組織)というもの。冷戦の時期にソ連の航空侵攻を警戒するために開発されたらしい。コンピュータのネットワークでレーダーデータをリアルタイムで収集分析して、その情報を戦闘機に送るというシステム。実はその頃ソ連では既に弾道ミサイルが作られていたから、あまり意味がなかった?それはさておき、これが発展して、現在の航空管制に使われているらしい。それに、SAGEシステムで使われていたライトガンも、今やライトペンとしてクイズ番組とかシューティング・ゲームなんかに応用されてるんだってさ。画面に光を当てて感知させる装置だね。

あとはIBM System/360ってヤツ。コンピュータの互換性ってものを開発したマシンなのだそうだけど、なんだかわからんコードの束がね、人間の脊髄と神経みたいに見えるんですよ。情報を収集して分析するという作業をするときに、物理的にはこういう構造になるんだなって思う。

それからDEC PDP-8。これはすごくポップ。パネルに使われている色が赤とかオレンジとかで。当時のIBMがリースに限っていたのに対して、ユーザーが自分のマシンを改造・拡張・改善することを可能にしたため、様々な分野のエンジニアや科学者が使用して色々な分野に組み込んで使ったのだとか。

それからComputer Controls CorporationのDDPシリーズ。これがInterface Message Processor(IMP)の心臓部だったらしい。これがARPANETという米国国防総省のインターネットに発展していったらしい。実際のIMPは実用一辺倒みたいな感じでちょっと色気がなくて、見た目が面白くないんだけど(笑)

他にも楽しい逸話がたくさん。今から考えたらバカみたいに巨額な費用を投じた巨大なコンピュータを使って研究者たちがゲームをして遊んでいた話とか、SAGEには灰皿とライターが付属していたとか。appleが出てくる辺りからは、外見的に現在のコンピュータとあまり変わらないので、写真としてはあまり面白くないものになるけれど、解説されていることは興味深い。

あとがきで訳者の方がこの写真集の写真について語られているのですが、まるで博物学者が書いたスケッチみたいだって。写真が一般的でなかった時代のそういったスケッチって、たしかに写真以上に細部が書かれているものですよね。この写真集の写真には、そういうスケッチ精神みたいなものが感じられるというのですよ。そうなんです。特に初期のコンピュータの写真には、温かみがあって、研究者やエンジニアたちのロマンが乗っかってる感じが伝わってきます。添えられている文章がそう思わせる部分もあるでしょうが、写真の力もあるのでしょう。

コンピュータがどう動いているのか。”0”と”1”との信号でとか、コアがあってメモリがあってとか、そんなことは知識としては”知って”はいても、なんで複雑な計算ができるのかどうも”納得できない”自分がいます(笑)なんでそうなるの?!自分にとっては、きっと永遠に<ブラックボックス>。だからこそ、こんな基本的な内部構造を目にすることができるのが、なんだか秘密を覗いているみたいで楽しいのかも。
posted by nbm at 12:13| Comment(4) | TrackBack(0) | コンピュータ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

温故知新

今日はまずお知らせから。
明日深夜の「タモリ倶楽部」マキシマムザホルモンのナヲちゃんとダイスケはんが出演します!地上波初登場?要チェックです!

というわけで、またまた大量の仕事に追いまくられておりました。5日間、午前3時まで仕事をしていたので、もうふらふらですぅ。

なので、今日は軽めの記事で勘弁してください。

私は、家では毎日ボロTシャツを着ております。この室内専用Tシャツたちが、今年なぜかまとめて数枚ダメになりました。もうあっちが透けそうに薄くなったり、よくわかんないけど背中に穴が開いたり、わきの下がほつれたり。でも、古いTシャツはたくさんあるので、ストックしていたものをひっばり出して着るわけです。
もう何年も袖を通していないTシャツを着てみました。それは、大学生時代にお気に入りだったLIGHT MENUというところの丈の短いTシャツで、レンガ色をしてます。元がレンガ色なんで、白っ茶けてしまい、もう外には着ていけませんが、どこもほつれたりしてません。このTシャツを着ると思い出すのが、池袋サンシャインシティでサラリーマン風のおじさんにナンパされたこと(笑)。若者が声をかけてくるのはわかりますが、スーツ姿のそれもかなり年上のおっさんに声をかけられた経験が他にないので、気色悪くて(笑)強烈に覚えていて、映像の記憶は苦手な私の脳でさえ、そのときにこのTシャツを着てたのを鮮烈に記憶しているという…。
考えてみると、この夏部屋着として愛用していたナイキのグレーのTシャツは、高校生時代から着ているものなのですが、地が厚くて丈夫だし色褪せることもなく…。もう四半世紀経ってますけど!(爆)証拠として、高1のときの部活で、このTシャツを着てハンドボールのシュート練習をしている写真が残ってます。しかしこのTシャツ、入手経路が不明で(笑)。下の兄貴が何かのノベルティでもらったとか言ってたような。当時、それを譲り受けたんですけども。
他にも、やはり高校生時代によく着ていたグレーのチェックのシャツがありまして、これも去年の夏あたりからまた着てます。当時は、Do!Familyのコットンの白いヒラヒラのミニスカートとかと合わせて着てたんだよなぁ。太い足出して(笑)エスパドリーユとか履いてたりもしたんだよね。今考えると「ムリすんな」って感じだけど(笑)当時お気に入りのサンダルは、雑誌で見つけて、わざわざ渋谷のセレクトショップまで買いに行ったりしたんだよなぁ。いつもは池袋どまりなのに(笑)

スカートやジーンズは、流石にサイズが変わったりして履けなくなってしまうのですが、上半身に着るものはけっこういけるんですよねぇ。
冷静に洋服ダンスを見回すと、他にも昔から着続けているものがいくつかありました。それぞれに思い出があるもので、洋服を見るといろいろと思い出します。それだけ、当時はそれなりにファッションに思い入れがあって、一枚一枚の洋服にも思い入れがあったってことなんだよな。

洋服で一番古いのは、母から譲り受けたサマーニットのカーディガン2枚。白いのとペパーミントグリーンの。これがまた重宝して、この歳になると、二の腕を出すのはためらわれるので、ノースリーブのワンピースの上に羽織ったりしてるんですよね。たぶん、50年ものくらいにはなってるのでは?

いやぁ。昔はガーリーなものも着てたなぁ。今はとてもとても恥ずかしくて着れません。新しく買うものはユニセックスなものがほとんど。脳内が男性化されていくにつれて、外見も影響されるのかな。ダンナさんと兼用で着られるのがお徳なだけか(笑)
posted by nbm at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする