2008年11月29日

誰か、トインビー・コンベクターを作らないか?

みなさん、お風邪を召されたりしていませんでしょうか。
新型インフルエンザの脅威が警告されている今日この頃ですが、うちでは手洗い・うがいは当然のことながら、外から帰ってきたら、まず熱い紅茶を飲むというのをやってます。紅茶や緑茶でうがいをするのが風邪やインフルエンザの予防に効果があるなんてことが言われているようですが、うがいなんて言ってないで飲む!ウィルスなんて、熱い紅茶で飲みこんでやる!(爆)
細菌学を研究している航空自衛隊航空医学実験隊第4部航空衛生科の岩田雅史科長によると、紅茶にインフルエンザウイルスの感染を阻止する作用があるとのこと。紅茶エキスが、インフルエンザウイルスの感染を抑えるのは、紅茶に含まれるティーフラビン・ジガレートの働き。ウイルスは、表面にスパイク(突起)を持っていて、細胞に吸着して侵入するけれども、ティーフラビン・ジガレートがこのスパイクにくっついて、ウイルスの細胞への吸着、侵入を邪魔し、感染を抑えるというしくみらしい。この道理からすれば、新型だろうがとりあえずは紅茶は効果がありそう。市販の数種類のうがい薬と比較した実験で、うがい薬の予防効果は100%じゃなかったのに、紅茶はなんと100%予防できたっていうんだからねぇ。しかし、どうでもいいけど、この実験を行った方は自衛隊。お国がインフルエンザ・パンデミックに備えて研究しているということでしょうか。紅茶でパンデミックが抑えられるなら、そんな簡単なことはないんですが。
ちなみの話。近年はウィルスを防ぐ高機能マスクもあるようですが、昔からあるガーゼだけのマスクは効果がないのかというと、そうでもなさそう。なぜなら、喉を高温多湿にしてウィルスをやっつけるということができるから。ユニ・チャームと関西医科大学の昨年の調査によると、実際、マスクをつけるだけでインフルエンザの発症率は5分の1にもなるそうだよ。
政府のインターネット広報を見てみたら、けっこう盲点があったので、みなさんにもお知らせしておきましょう。ひとつは、感染してしまったらの話になってしまうけど、洟をかんだりくしゃみをしたりしたときに使ったティッシュを捨てるとき、ふたの付いたゴミ箱やビニール袋に入れるなどして、ウィルスが付着したゴミからウィルスをまきちらさないようにするということ。使用後のマスクもそうだよね。
もうひとつは、もしも何らかの新型インフルエンザが流行するとしたら、食料品や日用品などを備蓄しておいた方がいいってこと。感染を予防するためには外出を避けるのがいいわけだけど、スーパーなどのお店の店員さんが罹患してしまったら、お店自体がお休みになる可能性もあるし、運転する人が倒れちゃったら交通機関も動かなくなるかもしれない。そんなバカなと思うかもしれないけど、本当に新型のウィルスが出回ったら、そうなるかもしれないね。
詳しくは、政府インターネットテレビをどうぞ。別に国の回し者じゃないけどさ。

さて、本題。本題の方が短かったりして…(笑)
以前からお気に入りの、ポプラ社の赤木かん子さん編のシリーズ。今回はSFセレクション『時空の旅』を読んでみましたよ。
「午後の恐竜」 星新一
「スピードのでる薬」 H・G・ウェルズ
「大英博物館の盗賊」 アーサー・C・クラーク
「時計のない村」 小川未明
「血」 フレドリック・ブラウン
「金星樹」 佐藤史生
「トインビー・コンベクター」 レイ・ブラッドベリ
とまあ、こんなラインナップ。
読んでみると、いくつか読んだことがある作品がありました。特にウェルズの「スピードのでる薬」は、小学生時分に何度となく読んだお気に入りの作品なのに、タイトルや作者がわからなくなってしまって困っていた作品で、見つけられて嬉しいです!自分だけが遅い時間を過ごし、周囲の人が止まって見えるという設定が面白くて、お気に入りだったんですよね。

今回、一番衝撃的だったのは、ブラッドベリ「トインビー・コンベクター」でした。好きな作家はたくさんいますが、敢えて誰かと問われれば、洋ものならブラッドベリと答える私ですが、読んだ作品は短編集ばかりで、長編で好きなのは『10月はたそがれの国』くらいで…。今回のこの作品は、読んだことがないような気がします。編者の赤木さんもおっしゃってますが、およそブラッドベリらしからぬ雰囲気。叙情性があまり感じられないです。この作品については、ちょっとネタバレになっちゃうかも。
筋としてはこんな感じ。タイムマシンに乗って100年後の未来を見てきたという唯一の人物・スタイルズの所へ、ジャーナリストであるシャムウェイがただひとり取材をゆるされる。スタイルズは未来旅行直後はあらゆるメディアに登場して未来のすばらしさを語るものの、それからは隠遁生活に入ってしまっていた。取材の日
時は、今は130歳になるスタイルズが成し遂げた100年前のタイムトラベルの到達点のその時刻。スタイルズが100年前に見た未来はすばらしいもので、当然のことながら、100年後はその通りのすばらしい未来になっている。ところが、スタイルズの見た未来は全部ウソだった…。ジャーナリスト・シャムウェイは、その衝撃の事実を聞かされるわけだ。わかりにくいですか?そうですね(笑)ちなみに、大歴史学者トインビーさんのお名前を冠している”コンベクター”は”対流発生機”と訳されているけれども、アメリカのご家庭ではある種の暖房器具をこう呼ぶらしいです。ブラッドベリは、当然承知でこの単語を使ったらしい。トインビーさんについては、なんかドツボにハマりそうなんで、ここでは触れるのはやめておきます。
この作品を、ブラッドベリらしく明るい未来を描いていると希望的に読む人がほとんどみたいなんだけど、私にはすごく逆説的に読めてしまってね。つまりは、未来にはすばらしいことが待っていると福音を聞かされた人々が、それを信じ込んで本当にすばらしい未来を作るって話なわけだけど、現代はまさにこれと正反対の方向に行っているというか来ちゃってる(笑)わけですからね。今の不況も、お金というものへの信頼が崩れて、それが政治への信頼も崩しているって言われてますね。”コンフィデンス・クライシス”ってぇんですかい?先行きが見えない、不透明、そんな世界になってしまってますよ、すでに。あたしゃ、政治も経済も語るつもりはありませんが、人々の間にいろんなカタチで”未来への不信”が起きているのは事実でしょう。
最初に”タイムマシン”を物語に登場させたウェルズでさえ、未来を希望的には描いておらず、「トインビー・コンベクター」でパロディ化されているオーウェル『1984』に描かれる未来も寒々としたものでした。SFという作品は、科学的な裏づけをもとにしたフィクションってことで、フィクションとはいえ、作家の語る未来は、ある意味予測にもなり得ます。希望的に未来を描いている作家が少ないというのは当たり前のことなんでしょうか。戒めとして描いたとしても、現実になってしまってはねぇ。
逆にいったら、マスコミがうまく作用してくれたら、この”トインビー・コンベクター”さえあれば、薔薇色の未来が作れるかもしれない(笑)それとも、不信がここまではびこってしまったら、手遅れですかねぇ。
posted by nbm at 22:08| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月27日

SKYGLOW その2

野又穫作品展。今度は日本橋タカシマヤです。
久しぶりに日本橋タカシマヤに来て、エスカレーターの遅さにびっくり。駅でも階段を使うことが多かったり、エスカレーターは右側を歩いてしまう私にとっては、ものすごくのろ〜い速度に思えました。前後に人がいなかったので、当然エスカレーターを歩いて上る(笑)
会場に着いて、鑑賞し始めてしばらくすると、なんだか数人で話しながら進んでくる人たちがいる。どうやら、中央の若くてきれいな女性が何かの取材を受けながら、絵の前で写真を撮られたりしている様子。しかも、デジカメじゃなくて、フィルム・カメラですよ。よくわからんけど、この女性自身もアーティストらしい。1日日本橋界隈を歩きつつ、取材を受けているみたい。ほんの数人しかいない小さな会場で話しているもんだから、聞く気がなくとも聞こえてしまったのよね。ただし、ご本人のお名前はわからず、これも何かの縁だからと後で画廊の人にきいてみようかと思ったのだけど、その時には一切人が見当たらず、結局わからず終い。
混雑している美術館の展覧会なんかだと気にならないですが、こういった小さな会場での人の話し声というのは、案外気になるものですね。ひとりの画家さんの作品展で、別のアーティストの方が自分の作品について語るっていうのはどうなの?取材のコンセプトが全然わからん。鑑賞に集中できず、結局その取材が終わるまで待ってから、ゆっくり鑑賞しました。

「遠景」というサブタイトルがついた日本橋展。今まで、”空想建築”と呼ばれる建築物を描いてきた野又さんですが、今回は湖を描くと言う挑戦をしています。三日月湖、競馬場のようなオーバル型で中央に中州がある湖、ひょうたん型のような湖、それに真円の湖がありました。事前にサムネイル画像で観ていた三日月湖の印象が強かったのですが、実際に絵の前に立ってみると、私が一番魅力的に感じたのは真円の湖でした。どの湖も、周囲には水路が複雑に張り巡らされていて、自然湖というよりは人造湖という印象。特に真円の湖のまわりは、まるでLSIの基盤のように、円を取り囲む水路のラインが規則的に広がっています。じっとこの絵を観ていると、真円の湖のド真ん中から、振動が起こって、同心円状に波が起こっていくのではないかという妄想が…。静かな絵なのに、なぜかしら”振動”を感じたのでした。
もう1枚。こちらは、新宿店「光景」にもあったシリーズ。光を発する木星のような、しゃぼん玉のような、スフィア。グリーンのグラデーションで縞模様が描かれた球体が、水面に浮かんでいます。この水面には沸き立っているように飛沫が描かれていて、「沸き立つ」と言ったけど、決して熱そうなわけではなくて…。こちらの絵からも、私は振動を感じたのでした。細かな微振動が、水面にしぶきを躍らせているような感じ。新宿展でお会いした野又さんの奥様から、野又さんは常に「気配を描こうとしている」というお話を伺いましたが、今回の「光景」の作品からは温度を感じ、「遠景」の作品からは振動を感じました。静かな絵であるはずなのに、物理的に物質の変化を感じるような、そういう感覚を受けました。
野又さんの絵を観て、頭の中で音楽が鳴るようだと評している方がいらっしゃいましたが、私は逆に限りなく無音に近くなります。過去の空想建築作品だと、風の音は聴こえますが。今回は、無音で、だけれども光にしても湖にしても、そこにはやはり人の気配を感じる作品になりました。光に関してはすでにお話ししましたが、湖の水というのも、人の暮らしに密接に関わっているもので、作物を育て、人自身も水無くしては生きられないという、ね。人が暮らしているという前提で描かれた作品たち。
思えば、数年前に新宿パークハイアットで観た「バベルの塔」のシリーズで、野又作品で最初に人の気配というものを感じました。未完成の、所々に足場が組まれたバベルの塔。塔のふもとにはパオや船、焚き火の煙などが描かれていたと記憶しています。まさにバベルの塔の建設中であって、建設に携わる人たちの気配が描かれていました。それまでの作品を思うと、これは画期的なことに思えました。今回も、バベルの塔のシリーズが何点かありましたが、それよりも強烈に、光や湖というものが人の存在を思わせてくれました。
一度にこんなに新しい作品を観られるなんて、幸せなひとときでありました。

日本橋は、会社員時代を過ごした地なので、馴染みのある街です。ここが、浮世絵に描かれていたり、時代劇でよく出てくるような街なのかと思うと、ちょっと不思議な気持ちもしますが。老舗が軒を連ねていたり、地元の方と話をすると江戸っ子を感じたり、やっぱり歴史というものを感じさせる街ですね。銀座に用事があって、日本橋には長居できなかったのですが、私にとっては落ち着ける街のひとつです。

タグ:野又穫
posted by nbm at 11:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

たまには哲学してみた

しばらく、ロクに投稿しない時期が続いていたような気がします。例によって、ネタに困るということはないのですが、実生活が忙しく書くためのエネルギーが足りなかったこともあったし、ブログというものに正直ちょっと飽きていたのかもしれません。しかし、なんのかんの言いながら、本投稿でめでたく500回目を迎えることができました!
「こんなブログを誰が好き好んで読むんだろうか」と思いつつ、それでも読んでくださる方々に、あらためて感謝する次第でございます。いつもありがとうございます。そして、これからもどうぞよろしく。

500回目が近づくにつれて、なんか記念碑的な記事にせねばならんのかと、ちょっとだけ頭を悩ませていたのですが、悩ませついでに思い切り悩んでみることにしました。いっちょ哲学でもやってみっか!
きっかけは、例によってアニメです。数年前から数話ずつ観ていた作品を、この連休でひとつ片付けました。『BLACK LAGOON』という作品でございます。HPはコチラ。2期分合わせて24話。原作マンガは、「月刊サンデーGENE-X」に現在も連載中。日本人の冴えない商社マンだったはずなのに、アヤシゲな運び屋<ラグーン商会>に身を置くことになったロック。それと、<ラグーン商会>の紅一点で二挺拳銃使いのレヴィ。この二人を中心に、タイの架空の町ロアナプラを舞台に繰り広げられるハードボイルドなアクション。ちなみに第3期も制作が決定したようですね(笑)原作は読んでないけど、アニメではたしかにまだ描ききれてない様子だったし。楽しみに待つことにしましょう。ここからはネタバレありです。
架空の町ロアナプラは世界中から悪党の集まる町。ここを拠点に<ラグーン商会>は様々なアヤシゲな荷を運ぶわけですが、アフガニスタン帰還兵で構成されているロシアン・マフィアや、裏で武器商人をやっている教会のシスターたち、香港マフィアやイタリアン・マフィア、果ては日本のヤクザまで、とにかく闇社会の住人たちがうじゃうじゃ出てくる。フィクションとはいえ、リアルな背景を元にしていることが多い。たとえば、ロシアン・マフィア。アフガニスタン帰還兵は、ソビエト崩壊後に行き場を無くし、マフィア化していったという事実があるらしい。このアニメに出てくる<ホテル・モスクワ>というロシアン・マフィアは、軍隊の統率をそのまま残し、非常に組織化された集団として描かれているのだけれども、事実そうなのではないかな。あんなのが実際にいるのかと思うと、恐ろしい…。
リアルな世界を”想像させる”、と言うのも変だけど、直接見ることはまずないんだから、やっぱり”リアルを想像する”わけだけれど、そういうエピソードの中でも際立って印象的だったのは、児童ポルノやスナッフ・フィルムに使われていた子どもが殺し屋になるというもの。スナッフ・フィルムってのはいまだに存在が確認されていないって言うけど、ありそうだよね?世界中から誘拐されたり売られたりしてきた子供たちが、売春だけじゃなくて、臓器売買やこんなことなんかにも関わっていくことになるのを考えると…。そんなドン引きしそうな内容をたくさん盛り込んだ作品なわけです。

さて、ここから哲学の話に飛ばなければなりませんね。この作品の2期の後半に出てくるのが、ロシアン・マフィアと日本のヤクザとの関係。ロシアン・マフィアは親子関係にある二つのヤクザ組織に揺さぶりをかけます。この子組織にあたる小さな組には組長が不在で、亡き元組長の娘はまだ高校生という設定。このコは、ヤクザの娘として生まれ、自身が背負っていることの重さに、逡巡するのです。死んだ父親の組が潰されそうになり、初めて自分の運命を受け入れようと覚悟を決めます。彼女の愛読書がサルトル「実存主義とは何か」。そこで、実存主義ってなんだっけ?というわけです。
私は決して哲学に詳しいわけではないので、まったく勉強不足ながら書きたいと思うのですが、”実存主義”と聞いて、私の頭に思い浮かんだのはハイデッガーでした。当たらずとも遠からずって感じなんだけど、ハイデッガーは実存主義に至る基礎的な部分を構築したにすぎないようです。キルケゴールが、”実存主義の祖”と言われているのですね。キルケゴールっていえば、高校時代に倫理の授業で、『死に至る病』を読んで10枚のレポートを書いた覚えがあります。本当に死ぬかと思った!(笑)先生が課題として挙げた本は他にもたくさんあったのに、なぜにここまで難解なものを選んでしまったかと、後悔したもんです。でも、気が狂いそうになったのは覚えてるのに、内容を全然覚えてません(笑)

Wikiによると、実存主義というのは、
時間の流れの中で、今ここで現実に活動している現実存在としての「私」は、ロゴス的・必然的な永遠の本質を否定された自由な実存として、予め生の意味を与えられることなく、不条理な現実のうちに投げ出されたまま、いわば「自由の刑に処された」実存として、他者と入れ替わることの出来ない「私」の生を生き、「私」の死を死ぬことを免れることは出来ないのだ、とする。生を一旦このように捉えた上で、このような生を、絶望に陥ることなく、いかにして充実させていくかが、実存主義にとっての課題ともされる。

これを説明しようとすると、どうしても「神は存在するか否か」という問題に触れなきゃならないような気がするんだけど、そんな議論をするつもりは全くありません。つまりですね。すごく乱暴に言ってしまうと、「人間の存在価値や本質というものは、生まれながらに備わっているのではなくて、後に決定される」というようなことになりますか。それで、人間が外界と縁して、方向性を選択していく中で、人間性という本質が作られていくというようなことらしい。しかし、ここでそれをサルトルが後に傾倒していったように社会主義的に「他人にも同じようにあるべきだ」と強要したり、「他人のために」という意識が介在したりすると、また話がややこしくなるので、ここで考えたいのは、あくまで、自分自身と外界との純粋な関係性だけに留めておくことにします。

それで、と。『BLACK LAGOON』の話に戻りますね。組長として跡目を継がなければならないことを先延ばしにしてきた雪緒という女子高生は、組が潰されかけてどうにもならない状況に置かれてやっと、跡目を継ぐことを決意します。そして、戦う必要が無くなったことを知っても、もう後には引けないと、仇討ちをしようとし、結果自決することに。
人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む。

それが、彼女の愛読していたサルトルの言葉でした。彼女は自分にそう言い聞かせていただけかもしれないのだけれどね。
サイコロといっても、偶然性とかそんなものはとりあえず無視して、自分の意思で転がっていくってことですね。人生は無数の選択の繰り返し。コロコロコロコロと転がっていくわけですねぇ。選択肢は六面だけじゃないわけですから、自分の前には無数の選択肢と無数の未来があるわけですよね。そして、今日も、この瞬間も、コロコロと転がっていくわけです。あなたがPCを立ち上げ、または携帯を片手に、このブログへと辿り着いたのも、単なる偶然ではなく、あなたの意思によるものというわけですよ。こうやって、ひとりの人の選択した行動が、他の人の選択した行動と繋がって、世界は構築されているということ。サルトルの実存主義を基礎にシンプルに考えると、そんな側面もあるのですよね。
ほらね。結論としてそんなことを書こうなんて微塵も思ってなかったのに、転がるままに書き進めていったらそうなりました(笑)これからもこんな記事を書いていくと思います。私もサイコロを転がしますから、みなさんもサイコロを転がしてきてください。そして、ごっつんこ!ってね。
posted by nbm at 16:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

SKYGLOW その1

先日、Hondaに勤める友人から情報を得ました。日本人で唯一トライアル世界選手権チャンピオンとなった”フジガス”こと藤波貴久選手と、”トライアルの伝道師”小林直樹さんが、会社に来てデモ走行を披露してくれたそうです。Hondaの研究所ということで、2輪のプロを前にしてのデモ走行は緊張した(本人談)そうですが、藤波選手は、4トントラックの裏からいきなり飛び出してきて、天井からごあいさつってな具合だったそうですよ。友人は、トライアルを初めて直に見て興奮し、来年6月のもてぎでの大会(日本GPかな?)に行く気満々になってました(笑)一方の小林直樹さんは、相変わらず超絶テクを披露しながら喋りまくっていたようです(笑)さすが、伝道師!

さて、これまた別の友人に誘われ、サルヴァトーレ・クオモのビュッフェでランチを楽しんできました。開店前に行ったのに、すでに長蛇の列。どんだけ人気なんだよ!「どうする?」とか迷いつつ、寒い中、結局90分も待ってしまいました(笑)でも、やっぱりピッツァは絶品で、生地が美味しかった。くだらないことをおしゃべりしつつ、ビュッフェを堪能しましたよ。
西新宿のお店だったのですが、外に出ると、エルタワーの向かいに立ってるビルが異様。なんじゃこりゃと思ってたら、東京モード学園のビルだったんですね。コクーンタワー。ってことは繭のイメージ?見た目は、こんな感じ。丹下都市建築設計の設計。オープンしたばかりだったのね。東京モード学園やHAL東京など専門学校が入るということですが、ブックファーストも入ってるってことで、新宿西口にしては大きな本屋となりますでしょうか。

ちょうど新宿へ出たので、それから野又穫さんの作品展”Skyglow”へ。「光景」の作品群を観てきました。
自分が受けた事前の印象とは幾分違って、POPな感じの作品が多いような。野又さんは、現代の照明というものを少し否定的に捉えているような一文を会場に掲げていらっしゃいましたが、絵から受ける印象は明るく、不思議と肯定的に感じられました。その一文をちょっと抜粋すると
物質的な豊かさが地球を蝕んでゆく現実を間の前にしても、
人は光に集まる虫のように、煌煌と光る都市に吸い寄せられる。
生と享楽への本能なのかもしれない。
繁栄と虚栄の世界景が目の前に浮かび上がる。

こんな感じ。
それから、今までの作品群は”遠未来”な感覚を覚えたものですが、今回の作品群は”近未来”な感覚でした。今までの多くの作品は、人の気配を感じない、例えて言えば、人類が死滅した後に残された建造物だけが、静かに佇んでいるような雰囲気だったのです。しかし、今回の光を描いた作品には、人が生活している存在感のようなものを感じました。例によって、人そのものが描かれていないのに、存在感を感じるというのも不思議なものなのですが。光は、おおまかに言うと、クールな蛍光灯の青色か、温かな白熱電球のような赤みを帯びた色だったのですが、どちらにしろ、電気的な照明の光に見え、その裏には人間の営みが見えてしまうということなのでしょうか。ちょっと前に、人間が消えた後1万年まで、この世界がどうなっていくかというアメリカの学者たちが考えたシミュレーション映像を見ましたが、真っ先に電気の供給が止まってました。火力であれ、原子力であれ、風力であれ、人が発電施設の管理・メンテナンスを行わなければ、電力供給はできないということらしい。これが頭にあったのかもしれません。
会場には、野又先生ご本人もいらっしゃいましたが、私には恐れ多くてお声をかけることができませんでした(笑)奥様もいらして、奥様には案内のメールをいただいていたので、たくさん送られたメールの一通だろうとは思いながらも、あらためてお礼を言おうと声をかけました。日本橋展の「遠景」の作品を制作されていた様子などを伺いました。また、応接スペースに過去の小さな作品が飾ってあったのも見せていただいて、そのうちのひとつに帆のついた建物のモチーフが描かれていたのですが、「この時期は風を描こうとしていたようです」とのお話に納得しました。まさにこの時期の作品を観たときには、風の音を聴いているかのような感覚に陥ったからです。風だけでなく、とにかく常に”気配”というものを描きたいと言って描いているというお話でした。

帰ろうと思い、もう一度だけと作品を観なおしているときに、気付いたことが。キャンバスの側面や上下にも絵が続いて描かれていることに気付きました。今まで気付かなかった…。そういえば、野又さんの作品は額装されていることがほとんどありません。そりゃあそうだよね。額装してしまったら、せっかく側面まで描きこまれているのが隠れてしまうもの。画廊の係りの方に訪ねてみると、側面まで細かく描かれる画家さんは、やはり少数派なのだそうです。野又さんの作品の場合は、額は付けずに、アクリルのボックスのようなものをかぶせるようにして飾ることを勧めているのだそうです。
それにしても、野又さんの作品展では、作品に触れられるほど近くで、しかも額が無いので直に作品が観られます。そういう意味でも少数派かもしれません。

幻想建築は、そうして近くから細部を観るのも楽しいのですが、実はちょっと離れたところから見るのもいいのです。本当にそこにそんな建築物が建っていて、建物が建つ同じ地面から眺めているような錯覚に陥るから。近くから遠くから作品群を堪能してきました。

日本橋展の「遠景」では、初めて建築物以外のもの、湖を描き、新境地を開拓されたとのことで、そちらも楽しみです。
タグ:野又穫
posted by nbm at 14:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

紙に書くということ

先日、テレビで「ノートを使う」という行為を取り上げていました。これだけ、PCやら携帯やらが普及している世の中で、敢えてノートに手書きするという行為。
一時期、システム手帳なるものが流行りましたね。今も愛用している人は多いかもしれないけれど。大流行したときほど、今は見かけないような気もしますが。システム手帳というと思い出すのが、フランクリン手帳。これを知った当時は、主婦として時間の使い方というか家事や雑事をこなすことができずにいた頃で、友人が教えてくれたのがフランクリン手帳でした。私は実際この手帳を使ったわけではないのですが、そのシステムを流用して、簡単なノートを作ったわけです。フランクリン手帳ってのは、自分の掲げる目標に至るための課題を挙げて、それを達成していく過程を手帳に記入していくというもの。私は、その日その日にすべきことを箇条書きに挙げて、チェックしていくというノートを作りました。すると、それまでの怠惰な日々が嘘のように、雑事が片付いていったものです。つまり、”ToDoリスト”ってわけです。今はやってないけど(笑)文字に書き出すという単純な行為が、これほどまでに威力のあるものなのかという、いい経験になりました。今現在、毎日つけているのは食事ノート。毎食のメニューと食材、カロリー、それから運動をすれば運動の内容なども書き込んでますし、健康面での変化も書いておきます。もう3年になりますねぇ。これをつけてると、やっぱりノートでなくちゃと思うのです。自由度が違うんですよね。余白に好きに書き込める。無印良品のドット方眼のノートを愛用していたのですが、ドット方眼が生産中止になってしまったのですよね。仕方なく、最近は方眼のノートを使ってます。あれ?調べたらネットでは売ってたのか、ドット方眼。そういえば、最近無印で絵コンテノートみたいの売ってますよね。4コマノートみたいなもの。あれも用途が広がりそうだな。

芸人さんたちが”ネタ帳”なるものを作っているのは、もう当たり前のことですよね。ブロガーさんもやってますか?わたしは、気になったことはメモするタチで、ロクに記事にできずにメモがごっそり溜まっていきますが(笑)それから、作家やクリエイターの人たちが、創作にあたってノートに書き込んでいくというのもよく聞く話です。作家・天童荒太さんの『永遠の仔』のノートなんかは、直接作品には出てこない細かい設定がびっしりと書かれていましたっけ。作品は読んでないけど(笑)、その創作のスタイルに度肝を抜かれた記憶があります。
先日のそのテレビ番組でも、あるCMクリエイターの方のノートが紹介されてました。その方いわく、「ノートには結果に至る過程が残される」と。PCだと結果しか残らないって言うんですよね。確かにそうだ。逡巡したことも、引き返してきたことも、全てが残る。この部分がね、なんだか心に響きました。モノを創る過程を大事にしているってことがね、とても素敵なことだと思ったのですよ。
私はライターもどきの仕事をしていて、逆に感じることがあります。字数制限の中で映画のあらすじなどをまとめることがあり、文章を切り貼りしつつ、入れ替えたり、ふくらませたり、そぎ落としたりします。その作業は、PCのソフトの中でやるのが都合がいい。コピー&ペーストができるというのは便利なことです。だけど、散々悩んで作った文章というのは結果であって、当然ながら過程は残りません。この場合は、それでよいのだけれどね。

ちなみに、板書をノートに書き写すという行為。不思議なことに、PCにキーボードで打ち込むとさほど脳は活性化しないのだそうです。ノートに手書きするという行為が脳を活性化させるらしい。それも、要約しつつ書き写すという行為が、より脳を活性化させるのだそうです。

他にノートに関することを思い出してみると…。アホみたいなことしか書いてなかったけど、中学生くらいの時には日記をつけてましたねぇ。毎日じゃなかったけど。当時の国語の教師が、「日記は国語力に結びつく」と豪語してましたが、こんなくだらないことばかり書いているのが国語力に結びつくはずがないと思ってました(笑)それから、サイン帳というもの。卒業時に先生やクラスメイトに1ページずつ何か書いてもらうというもの。当時は”サイン帳”という商品が売られてましたが、今はもうないでしょうねぇ。絵の上手なコがイラストを書いてくれたり、楽しいものになりました。それから、交換日記!(爆)これこそ、今の時代はありえませんね。メールってもんがあるだろ、みたいな。

絵の描けない私にとっては、白い余白があれば字で埋めることになるのですけれど、たまには自由な発想で、白い余白に向ってみるのもいいかもね。
posted by nbm at 12:09| Comment(6) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

「光景」と「遠景」

大好きな野又穫さんの個展が、数年ぶりに開かれることになりました。野又穫さんの作品は、こんな感じ。野又さんの描く建築物は”空想建築”と呼ばれているのですが、ありそでなさそな、そして無機的であって、でも温かみのある建築物の数々。
以前に、とある個人宅を会場にしてのユニークな個展が開かれた折、野又さんの奥様とお会いでき、お紅茶をいただいたりして、次回の個展のときにはメールで連絡をいただけることになっていたのですが、まさか本当にメールを送っていただけるとは…(笑)事前にネット上で今回の個展の情報は得ていたのですが、自らアンテナを張り巡らせておかないとつかめないほどの情報しかないんですよ。画家御本人の奥様からご連絡をいただくなんて、贅沢な話じゃないですか。しかし、本当に嬉しい限りです。ちなみに、個展は以下のとおり開かれます。

<野又 穫 展 “SKYGLOW”>
【新宿展】
2008年11月13日(木)―11月25日(火)新宿高島屋10階美術画廊
【東京展】
2008年11月19日(水)―12月 9日(火)日本橋高島屋6階美術画廊

※ 各会場共10:00am−8:00pm会期中無休.最終日は午後4時閉会

今回は2会場。新宿展には「光景」、日本橋展には「遠景」というサブタイトルがついているそうです。今回の「光景」は、明かりが漏れている建物が描かれているのだと思われますが、この建物の明かりがね、本当に綺麗なんですよ。そして、白熱電球のようなほんのり温かな温度を感じるのです。
野又さんは、いまだ「遠景」の作品を制作中とのことで、ほんとうに出来たてほやほやの作品が観られそうです。あぁ、楽しみだなぁ。
興味をもたれた方は、ぜひ会場へ足を運んでみてください。

十数年前から野又穫ファンであった私ですが、作品展で画集を購入した際、ご本人がちょうど会場にいらして、係の方が「サインをいただきましょうか」と言ってくださって、画集にサインをしていただいたのですが、その場でさらさらと帆のついた建物のモチーフを描いてくださったのですよ。嬉しくてねぇ。その画集は、私の宝物になりました。

個展を観に行ってきたら、また感想を書きたいと思います。
posted by nbm at 11:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

クラヴ・マガ

今日は目先を変えて、格闘技のお話でも。

日本に空手や柔道、剣道などがあるように、世界の国々でも、様々な武道があるわけですが、格闘技に興味がある人でなければ、一般的にはなかなか知られていないものも多いのではないかと思います。かく言う私もそんなに知ってるわけじゃありません。思い浮かぶのは、タイのムエタイ、ブラジルのカポエイラ、韓国のテコンドー、旧ソビエトのサンボくらいでしょうか。
ですが、今挙げた4つの格闘技も、その源流を考えるとそれぞれにタイプが違うものであるような気がします。日本の空手は、もともとは琉球の武術が発展してできたもののようですが、ムエタイやカポエイラもこういった数百年の古い起源をもつタイプ。テコンドーは、近代に空手から派生したもので、比較的新しい格闘技と言えるでしょうね。
しかし、サンボに至っては、1940年頃に旧ソビエトが国内の各地に伝わる武術や日本の柔道の関節技を研究し、武器を持たない自己防衛の武術として開発した新しい武術。そして、それがソビエトの軍隊に広められていきます。軍のサンボは、サンボでもコンバット・サンボと呼ばれる部類のもの。打撃や締め技があり、武器への対処法なども含まれます。一方、スポーツとして楽しまれているサンボもあります。こちらは投げ技と関節技のみで柔道に似ているかもしれませんね。今は無きPRIDEで最後のヘビー級王者となったエメリヤーエンコ・ヒョードルは、コマンド・サンボ出身の選手です。ヒョードルは今年のロシアでのコマンド・サンボ選手権でも優勝したそうですよ。

さて、このサンボに似た成り立ちの武術を、最近知りました。それが、クラヴ・マガ。20世紀前半、イスラエルで開発された護身術及び白兵戦術。クラヴ・マガとは、直訳すると「近接戦闘」。1930年代に、ハンガリー生まれのユダヤ人、イミ・リヒテンフェルドという方がハンガリーとチェコスロバキアで考案し、イスラエル建国前のパレスチナでユダヤ人民兵組織に広まったという。イスラエル建国後は、これが軍や警察に教えられることになったらしい。競技としての規則が確立されていないので、選手権大会のようなものはない。
いかに効果的に相手にダメージを与えるかということを基本に考えられた武術なので、頭突きや股間への攻撃などもあり。表現が悪いかもしれないけど、相当えげつない。相手が武器を持っていたり、相手が複数であることも想定し、本当に近接戦闘での実践を考えると、そうなるんだろうね。人間の条件反射を利用した動きや、パニック状態に動じないことを教えてくれるそうですよ。基本編はエアロビクスから(笑)戦う上での体力というか、実際の戦闘を前提に考えられているわけですから、いつまで続くかわからない戦闘にも耐えられる身体をまず作れってことですね。私も格闘技は未経験ですから、あくまで想像ですが、たとえば1Rのボクシングでも、数分の柔道の組み手でも、観ているだけで選手の体力の消耗はわかります。実践では、あれがインターバルなしで続くわけですから、まず心肺機能を鍛えておかなければいけないのでしょうね。
ということで、このクラヴ・マガはイスラエル国内にとどまらず、各国の警察や治安機関、特殊部隊などに教えられているようです。

クラヴ・マガの生々しい実践的な要素は、リアリティを出すのに格好のものであるのか、アクション映画やアクション・ドラマでも導入されているようです。『ボーン・アイデンティティー』シリーズの主人公ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)や、『エイリアス』の主人公シドニー・ブリストウ(ジェニファー・ガーナー)、『24』のトニー・アルメイダ(カルロス・バーナード)などは、みなこのクラヴ・マガを習得しているという設定になっているといいます。確かにね、ジェイソン・ボーンやシドニー・ブリストウの動きは、今までのアクションとは一線を画しているように感じていましたが、それはクラヴ・マガという前提があったからなのかと納得。『イナフ』ジェニファー・ロペスや、『トゥーム・レイダー』アンジェリーナ・ジョリーもクラヴ・マガの訓練を受けたとか。日本では、水野美紀『世界ウルルン滞在記』でクラヴ・マガのトレーニングを受けに行ったとか、『SP』岡田準一がクラヴ・マガのビデオを観てアクション・シーンの参考にしたとか言われているようです。

以前にもお話ししましたが、私はかつて夜道で暴漢に襲われたことがあります。イヤホンで音楽を聴きながら歩いていたところを、自宅の数十メートル手前でいきなり後ろから羽交い絞めにされました。口を塞がれたので声が出せず、何を思ったのか咄嗟にしゃがんだら、するりと羽交い絞めから解放されて悲鳴をあげることができ、暴漢は逃げて行きました。何の知識もなく、何の訓練も受けたことがなかったのに、どうしてしゃがむという行動ができたのか、自分でも不思議ですが、そのたったひとつの動作で助かることができました。後で唇が腫れるほど強く羽交い絞めにされていたのに、下にすとんと腰を下ろしただけで、抜け出せたのですからね。こういうときにはこうするというセオリーが、訓練することによって、咄嗟のときにもできるようになるのであれば、有効かもしれないと思うのですよね。
興味のある方へ、クラヴ・マガのHPはコチラ。しかし、本格的にやると、これ、相当キツそうっすよ。
posted by nbm at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

シュードネグレクト

「誰でもいいから殺したかった」…すでに耳慣れてきたような。理解できないという方が大半だと思われますが、犯行に至った理由は理解できずとも、そうなってしまうメカニズムは想像がつきます。
最近電車で出かける度に、どこかしらで人身事故が起こっているという表示を目にします。人身事故というのは、すべてがそうではないだろうけど、やはり飛び込み自殺と考えてしまいますね。自殺は、その理由は何であれ、自分を殺すこと。そして、他殺とは他人を殺すこと。殺す対象が自分か他人かという違い。破滅の衝動が、内側に向くか、外側に向くかという、ベクトルの違いに過ぎないのではないか、と。ベクトルが外に向いたときに、たまたまその矢印の先に居た誰かが犠牲になってしまう。そういうことなのでは?
理不尽極まりない行動を擁護するわけではありません。しかし、誰でもそんな衝動にかられる可能性があるということは否定できないわけで。
肉体の健康ももちろん大事だけれど、精神の健康を保つことも、やはり大事なことなのですよね。

ということで、昨日の続き。
視野狭窄からはじまって、視野とその認識の問題に触れたところまではお話ししたのですが。

こんな話題を見つけました。
「脳は”左視野”を重視する」 記事はコチラ
左視野を重視し、右視野を無視しがちな傾向をシュードネグレクトというそうだ。画像などを判断するとき、左視野に見える情報を優先して認識するということだね。右利きの人にこの傾向が強いことから、右脳・左脳で考えた場合の右脳の働きが強く影響しているとの仮説があるようなのだけれど、それだけでは説明できないらしい。右脳は確かに映像などのイメージを司る部分ではあるのだけれど、そして身体の機能は左右が交差していることを考えると、右脳は左側を司っているわけだしね。ところが、左右の脳を繋ぐ脳梁が未発達の鳥、しかもヒナでさえもこの傾向が見られることから、右脳のイメージ優先ということだけでは説明がつかず、しかも先天的で、人類以外の動物にも備わっている傾向ということが言えそう。ちなみに、犬がどうやって人間の感情を判断しているかというと、やはり人の顔の左半分を見て判断しているという結果があり、写真を見せる実験で、上下を反転させても左半分を見て判断したという実験結果があるそうな。英文だけど、記事はコチラ。この記事では、”left gaze bias”と呼ばれているようです。逆に、人間だと上下反転させると左視野重視とはならないよう。ますますわからなくなってきたぞぅ。
逆に考えると、人の顔の認識の場合は、顔の右側半分の方が、より強く感情を表現する傾向にあるのではないかという説も。
とはいえ、例えばマーケティングの観点からも、商品は左視野に入るものが注目されるという傾向があることも確からしく、また広告などでも重要な見出しは左に配置するというのも鉄則のよう。視点は左側に集中しやすいのだそうですね。
んー、どういうことなのかよくわかりませんが、とにかく左側をよく観るという事実だけは確かなようです。
ひるがえせば、人からは自身の右側をよく観られているということになるわけで、身だしなみを整えるときは、右側に特に注意すると吉!(笑)とはいえ、鏡に映すときはご注意を。

視野に関してはもうひとつ興味深い話題を見つけたので、それはまた今度。




posted by nbm at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

視野狭窄擬似体験映像

またまた10日も放ったらかしで、すみません。

昨日は、午後遅くからふらっと銀座へ。時間がなかったので、目当てのものを探して、ひたすら歩き回ること数時間…。銀座は久々だったのですが、色々と新しい建物が増えてて、もうようわからん。そろそろあきらめて帰ろうかと思いつつ、有楽町方面にふらふらと歩いていると、イトシアが出来ていたことに気付く。1年前には出来てたってことは、1年以上も銀座に行ってないってことか?そうなのか?しかし、以前に比べると、断然若い人向けの街になったような。街を歩いている層も、ちょっと変わってきているような気がしないでもない。なにしろ若いおねえちゃんが多い。それと、大声で会話しつつ買い物をする中国からの団体客御一行様、四丁目の交差点で記念撮影する日本人観光客も見かける。一方で、セレクト・ショップの草分け的存在だった”資生堂 ザ・ギンザ”はブティック事業から撤退か…。時の流れを感じますねぇ。
クリスマス時期になるとソニービルに何かしらイルミネーション的なものができていたように思えるけど、昨日はまだ時期が早かったのか、私の目にとまらなかっただけなのか。和光も改装中だし、なんとなく寂しい銀座四丁目交差点だったような。代わりに、ミキモトのイルミネーションは写メを撮っている人、多数。
それと、ライオンズの優勝セールで、西武デパートでは落ち着いたスタイルでキメている店員さんが、一様に不似合いな青い紙製のバイザーを付け、♪ウォーウォーウォー、ラ〜イオンズ♪と松崎しげるの熱唱が響く中で接客している姿が異様。
結局、目当てのものは見つからず。しかし目の保養というか、色々と目にすることはできたのでよしとすることに。そういえば、バーニーズ見てくるの忘れたな…。失敗。

こんなとりとめもないことを書くつもりじゃなかったんだが。
今日は映画のお話。
ちょっと前から、溜まりに溜まった映画を片付ける作業を開始。そしたら、図らずもダニー・ボイル作品を続けて観ることになった。『28週後…』(2007)と『サンシャイン2057』(2007)。
『28週後…』は、言わずと知れた『28日後…』(2002)の続編で、前作ではダニー・ボイルが監督を務めていたわけだけど、この続編では製作総指揮にまわってる。厳密に言うとゾンビじゃないと思うんだけど、見た目はゾンビだから、ゾンビ作品ってことでいいか。とにかく、感染すると激しい怒りにかられるという病原菌に冒されて凶暴化した人々が襲ってくるという設定。走るゾンビは『28日後…』が最初だったっけ?こいつら全力疾走で追っかけてくるんだよな。病原菌に感染してるってだけで、死んでないってことだからか。前作から5週間後には最後の患者が死亡。で、28週後に病原菌のキャリアが見つかり…というお話。ダニー・ボイルが絡んでるわりには、おかしな展開もなく、フツーのゾンビ作品(笑)
一方の『サンシャイン2057』は、ダニー・ボイル監督作品。弱ってきた太陽を再活性化するために、太陽に核弾頭を投下する使命を受けた宇宙船内でのお話。人類の存亡を賭けたミッションを背負った8人が、宇宙船”イカロス2号”に乗り込んで太陽を目指すわけだけど、先に送り込まれて消息を絶った”イカロス1号”を途中で発見して…という筋。これぞダニー・ボイルみたいな感じでやってます的な!(最近、うちではキングオブコメディが流行ってまして…笑)ダニー・ボイル作品というと、脚本のアレックス・ガーランドのせいかもしれないけど、「なんでそんな展開?」的な作品が多いんですよね。後半から別の作品みたいになっちゃう。途中から「えっと…何の映画観てたんだっけ?」みたいな。それが、魅力でもあると思うのですが。

さて、この2作品を続けて観て、印象に残ったのは、極端に狭い視界という設定。
『28週後…』では、ゾンビに追われる中、主人公たちがロンドンの地下鉄のホームへと降りていきます。真っ暗闇の中、累々と死体が転がるもはやただの階段となったエスカレーターを降りていくのですが、頼りとなるのは銃の暗視スコープだけ。それも一人が暗視スコープで足元を見つつ、他の2人に状況を伝えながら進むという…。「(足元に死体があるから)もうちょっと左」とか言いながら。
『サンシャイン2057』では、おそらく耐熱を最優先させたであろう宇宙服がでてきます。宇宙船というだけでも閉塞感がありますが、宇宙服を着るというのは、生身で外へ出たら死ぬという宇宙空間から唯一身を守る方法ではあるのですが、その閉塞感だけでもかなりのもの。その上、この宇宙服は目のあたりに幅数センチのスリットがあるだけで、他は完全に防護されているので、外を見られるのはその狭いスリット分だけなのですよ。動きにくい宇宙服。生身=死。そして、宇宙服を着ているところで、宇宙船から離れてしまったら、宇宙空間を彷徨い続けなければいけないという状況で、まわりが見渡せないという恐怖。

みなさんは視野が欠けるという経験をしたことがおありでしょうか。目が見えなくなるというのはもちろん、恐ろしいことだとは思いますが、視野が欠けるだけでも、充分に恐ろしいことです。
私は、左目だけ血流が途絶えて見えなくなるという症状に悩まされていた時期があります。左目だけが一時的にですが、まったく見えなくなりました。グレーのモザイクに次第に侵食されていくように見えなくなり、終いには左目だけで世界を見ると、暗黒になるという…。当然ながら、視野は半分になるので、車を運転しているときにこれが現れると、恐怖でした。
目や脳の疾患で視野が狭くなるということがありますよね。視野狭窄が疑似体験できるHPがありました。コチラ。使える視野を有効に使うためには、頭を動かさないとよく見えないでしょうね。
視野について調べてみると、いくつか面白いことがありました。視野には中心視野と周辺視野というのがあって、中心視野は視線から約20度の範囲。周辺視野は中心視野の周り、上下130度左右180度くらいだそうです。中心視野では、対象を細部まで観察し、周辺視野ではぼんやりとしているものの、動く対象を把握することができるとか。フォト・リーディングなんてものがありますが、あれは周辺視野を鍛えるもののようです。見える範囲の文字を画像として記憶してしまおうということらしい。養老猛司さんが話していらしたことを見つけたのですが、本を読むとき、文字を追うけれども、本の縁はスクロールせずにそのままになって見えるのは、周辺視野が修正をしているということらしい。修正されないと、文字も本の縁もすべてがいっしょに動いて見えることになるんだよね。考えたこともなかったけど、「自分の目が動いているときには周囲の世界は停止している」ということらしい。

ちょっと長くなったので、続きはまた後で。
posted by nbm at 12:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする