2009年03月27日

盛るぜー。超盛るぜー。

先日、テレビの特番で動画を紹介するというものがありました。何の気なく見ていると、伊豆下田の「一(はじめ)」というとんかつ屋が!ここに初めて行ったのは、もう20年以上も前の話です。それから何度か行ったことがあるお店でして、ご主人がまだまだお元気なのにびっくりしました。時折、テレビで取り上げられていて、見かけてはいましたが。この店に行ったら、余程食欲に自信がない限りはカウンターに座ってはいけません。油断していると、すぐに付け合せのスパゲッティやら千切りキャベツやらを盛られてしまいます。以前、連れて行った友人(男子)は、揚げ物だったかちょっとだけ時間のかかるメニューを注文してしまい、「できあがるまで、これ食べて待ってて」とカレーやら何やらいろいろと出されてしまい、自分の頼んだ品が来るころにはお腹がいっぱいになって食べられなくなってました(笑)しょうが焼きを頼めば、普通とんかつに使うような厚さ1cm以上もあるようなロースのお肉が5枚出てきました。カウンターを避けて椅子席で食べていても、油断しているとおばちゃんがデカいボールを抱えて回ってきて、スパゲッティやキャベツを盛られてしまいます。ほんとにね、どうなってんだ、あの店?(笑)昔から変わらぬ豪快なサービスには笑ってしまいます。

それはさておき、ずっと気になっていることがありました。
それは某食品メーカーのCM。「お茶漬け1杯180kcal!」というヤツです。オイオイ、どうやったらそんなカロリーになるんだい?どう考えたって、ごはんだけでも普通によそったら、おそらく300kcal近くなりますぜ。お茶漬け海苔のカロリーは15kcalだから、残りは165kcal。食品成分表によると、ごはんは100gで約150kcal(148kcal)だから、逆算すると、ごはんの量は110g…。ちなみに、この某食品メーカーのHPでは、「お茶漬け1杯180kcal」のときのごはんの量は100gと小さく書かれています(笑)

グラム数だけではわかりにくいですよね。たとえば、某ファミレスのメニューを見てみると、ライスは300kcal以上あります。ごはんを200gは盛っているということ。某定食チェーン店を見ても220gありますね。牛丼屋の丼物やカレー屋などでは、250〜300gくらい盛られているみたいだから、ごはんだけで375〜450kcalある計算になります。
つまりは、件のお茶漬けは外食で出てくるごはんを基準にすると、半量〜3分の1以下ってことになります。

普段、おうちで食べるごはんの量というのは、人それぞれでしょうが、一般的なサイズのごはん茶碗だと、普通に盛ると200g、軽く盛って150gくらいじゃないでしょうか。100gというと、お茶碗に半分くらいの感覚だと思います。

もうひとつ気になるのは、「お茶漬け1杯180kcal」が栄養成分については触れられていないことです。お茶漬けの構成要素はほぼ”ごはん”。栄養成分でいうと炭水化物ですよね。炭水化物ってのは身体にとってはエネルギーになるもので、体内で糖に変換されるわけです。ところが、摂り過ぎると中性脂肪として身体に蓄えられるもの。低カロリーを謳って、食べてもらおうという作戦なのは見え見えですが、これをもし普通に食べる3食以外に摂るとすれば、身体にとってよろしくないのは明らかです。CMの映像を見ると、タレントさんが食べているお茶漬けは、どう見てもごはん100gには見えませんが…(笑)
育ち盛りの子供なら許されるでしょうが、中年にさしかかったような年代以上の人が、「ダイエットにいいわね」なんて考えようものなら、危険です。小さな注意書きをしっかり読んで、毎食ごはんが100g以下のお茶漬けを食べるならダイエットにつながるかもしれませんが、それはお茶漬けのせいではなくて、ごはんの量を減らしたからに過ぎません(笑)たしかにお湯の量だけお腹はいっぱいになるかもしれないけど。他に何も食べずに、それだけで済ませようものなら、もっと危険度が増しますよね。
ちなみに、お茶漬け1杯の食塩相当量は2.3g。1日に摂取すべき食塩量として推奨されているのが10gでしたよね。この食塩摂取量の是非はひとまずおいといて、もしお茶漬けを3食食べたら、食塩摂取量は6.9g。おかずに味がつけられません(笑)

じゃあ、ごはんを食べない方がいいのかというと、それも違います。
以前にも書きましたが、体質にもよると思うけど、ごはんの量を減らしたり、ごはんを食べなかったりすると、ダイエットには逆効果になることがあります。脂肪を燃やすのもエネルギーの仕事。エネルギー源である炭水化物を摂らないと、脂肪は燃えないってことです。もちろん、エネルギー源の摂取を控えれば、元気もなくなります。あんまりいいことがありません。以前にも記事に書きましたが(低炭水化物ダイエットの落とし穴)、私の場合は、ごはんの量を極端に減らしすぎると、逆に痩せなくなりました。今は毎食130〜140gくらいのごはんを食べてます。小さめのお茶碗に軽めによそったくらいです。カロリーでいうと、200kcal前後ですね。そして、おかずが300kcalで合わせて1食大体500kcalの食事です。そんな生活で、もう4年ほど経ちました。ウォーキングの実践と合わせて、半年で12kg減った体重も、数ヶ月の間に、ストレスと間食と運動不足で9kgもリバウンドしてしまいました(爆)せっかく食事に気を遣っているのに、他で台無しにしてます。もう1度がんばらなきゃいけないなぁ。ただし、食事の内容はすっかり健康的になっているので、以前に比べると身体は調子がいいです。負け惜しみみたいだけど、本当ですよ。
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2009年03月26日

どうやって観たんだろう?

本当に時間がないときに限って、いつもは「時間が無いから」と観られない映画DVDを、たくさん観るという現象が起きました。
3月に入ってから、
『ミスト』(2007)HP
『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』(1994)
『ボラット』(2006)HP
『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』(2007)HP
『ゾンビーノ』(2006)HP
『パラノイド・パーク』(2007)HP
と、6本観ました。
ちなみに、いつもは「時間が無いから」と、なかなか読み進めない本ですが、やはり3週間くらいの間に、5、6冊は読んだと思います。不思議ですねぇ。

今日は簡単に、映画の感想メモを書きとめておくことにします。
『ミスト』は、最終局面までは非常にスティーブン・キングらしい作品でした。キングは一時期よく読んでいたのですが、最近はご無沙汰してます。この原作も読んだはずですが、あまり記憶にありません(笑)どちらかというと、キング作品でも、こういったクリーチャーものや異次元ものはあまり好みではなく、もっとオカルト・テイストの強いものや、サイキックなものの方がワクワクします。この作品では、閉鎖空間の群集心理というものを上手に描いてはいましたね。キング作品の映像化にあたっては、レギュラーな人たちが出ていたのも好感が持てました(笑)
しかし、この映画の肝は、なんといってもラスト数分。これによって、この映画の評価は格段に上がりました。車に乗って脱出するあたりは、ヒッチコックの『鳥』を思い出したけど、そっから先ですよね、問題は…。あれはなかなか衝撃的でした。

『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』はですね。お仕事で『エルム街の悪夢』シリーズを扱いまして、シリーズ3作目くらいまでは観た記憶があるんですけど、そっから先は興味がなくなっていたのですが、シリーズ7作目という最後の最後に、これまでの映画の出演者が、自分で自分自身を演じるという設定に心魅かれて、観てみました。ヒロインのヘザー・ランゲンカンプとか、フレディ役のロバート・イングランドとか、ウェス・クレイブン監督とかが実名でそのまま出てくるわけです。そして、かのフレディと絡むという…。フレディ特有のユーモアも健在で、往年のファンとしては楽しめた作品でありました。ジョニー・デップあたりもカメオ出演してくれればよかったのに。死人役として(笑)
私の中では、『死霊のはらわた』と『エルム街の悪夢』は、”くだらなこわい”という意味では双璧をなす大好きな作品なので、ファンとして楽しませていただきました。

『ボラット』はですね。これは反則です。反則の笑いのみで構成された作品。人種問題ネタとか、強烈な下ネタとか、面白くないわけがないのですが、それで笑っちゃうのは当然だろ的な。そんなネタで映画を作ってしまったということに関しては、よくやったと言えるかも。カザフスタンの人、怒ってない?

『スモーキン・エース』はですね。ライアン・レイノルズが好きってだけの話なんですけども。はちゃめちゃでちとコメディ・タッチのバイオレンス作品。単純に楽しめるエンターテインメント作品って感じでした。『エグゼクティブ・ディシジョン』セガールよろしく、あっけないベン・アフレックがよかった(笑)レイ・リオッタが渋めだったのと、アリシア・キーズが綺麗だったのも印象的でした。そして、ライアン・レイノルズ。今、私の中で一番男としての魅力を感じる俳優さんはこの人かもしれません。スカーレット・ヨハンソンよ、気が合うな(笑)

『ゾンビーノ』は、ゆる〜い作品で、ゾンビ・コメディとしては、味わいは全く違うけど『ショーン・オブ・ザ・デッド』といい勝負だったかも。”ゾンビを飼う”っていう発想がいいよね。60年代のポップなアメリカっぽい舞台設定ながら、あまりハリウッドっぽくない作りの作品だと思ったら、カナダ映画だったのね。なるほど、納得。カナダって国は、なかなか面白い作品を作るよな。主人公の少年のお母さん役がキャリー・アン・モスだったわけだけど、これがハマってた。そういえば、この人、カナダ人だったね。

そして、『パラノイド・パーク』。好きな監督さんのひとり、ガス・ヴァン・サントの作品。あいかわらず、一見無意味にも思える長回しや、フラッシュバックのような映像やスローモーションなど、特徴的な映像。この監督さんの作品を観ていると、”時間”というものをものすごく意識させられます。例えば、学校の廊下を主人公が歩く。草むらを主人公が歩く。こういったシーンが非常に長いです。映画作品という限られた時間の中では、通常不必要な部分としてカットされてしまうような映像が、延々と続く。そりゃそうですよ。大体90分くらいの枠のなかに、すべてを表現しなくてはいけないのですからね。しかしこの、不必要と思えるほどのシーンは、主人公の過ごす日常の時間の長さを切り取ってそのまま表しているのであって。この作品の場合は、思わぬ殺人を犯してしまった男の子が、悶々と思い悩みながらも、日常生活を淡々と送ろうとしている日々を追ったもの。なので、彼の過ごす時間は、彼が様々に思い悩む時間そのもので、それがストレートに迫ってくるのです。ある意味、『24』なんかよりも、ずっと時間に忠実でシビアだ。以前に同じガス・ヴァン・サント作品の『ジェリー』という映画を観たときに感じた、、時間を短縮せずにそのまま表現するというやり方が、この映画にも活かされていました。この作品では、砂漠を延々と歩いてた。ただ、それだけ(笑)でも、そうなんだよ。人はそうして時間を過ごしているのだよね。

体が疲れているときは、あまりマジメな作品は観たくはないので、どうしてもマジメな作品が後回しになってしまい、どうでもいい作品を観てしまうのですよねぇ。そうして、感動作やら考えさせられるような作品やらばかりが溜まっていくことに…。いつ観るんだろう(笑)

☆文字化けがひどかったので、直しました。みんな直ってるかな?
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2009年03月23日

千客万来

ごぶさたしておりました。
確定申告の激務から1週間。ようやく、体調が戻りつつあります。なにせ、ひどい日は1日19時間働いていたりしまして。最後の3日間は、時間の感覚がわからなくなるほどでしたが、無事終了。ひたすら数字を書き、電卓を打つという行為をやり過ぎたために、仕事を終えてからも、数日の間は数字のフラッシュバックに襲われました(笑)
家に帰ろうにも帰れず、ダンナさんにも心配と負担をかけましたが、ようやく仕事を終えて3日ぶりに家に帰ると、「お疲れ様」と、ケーキを用意して待っていてくれました。家の中は、私がいるときよりもきれいに片付けられていましたし(笑)ダンナさん、ありがとう!美味しいケーキが疲れた心と脳に沁みました…。
税務署にかけこみで提出後、あまりの疲労に少し仮眠をとってから、車を運転して帰ったのですが、家の駐車場に帰り着くと、車のキーが抜けない…。パニックになって、ダンナさんを呼びに行くと、なんのことはない、シフトをパーキングに入れてなかっただけのことだったんですが(笑)そんなこともわからないような状態で、よく無事に帰り着いたものです。

連日のように、実家に通っていたわけですが、不思議なことがひとつ。いつも知らない人から話しかけられる私ですが、この期間は、それがいつにも増してひどかった(笑)外に出る度に、誰かに話しかけられました。自分たちの申告書を作るために、銀行で記帳がしたいという母をATMまで乗せていったときは、母が記帳しているのを待っていると、車で迷ったおじさんに道を聞かれました。税務署に書類を提出に行ったときも、税務署周辺が大混雑していて、駐車場に入るための車の長蛇の列が続いていたので、少し離れた所に車を置きに行って、歩いて税務署に戻る途中、やはり道を聞かれました。そのほかにも、スーパーなどで知らないおじさん、おばさんに話しかけられました。
私はいつにも増して、何かのオーラを放っていたのでしょうか?

そういえば、昨日のこと。お墓参りに行くために、供物を買いにスーパーへ。先に義母を迎えに行ったダンナさんが車で迎えに来てくれるのを、外のベンチに座って待っていました。ベンチの脇にあった柵に、とっても毛並みのきれいな雑種のわんこがつながれて、ご主人を待っていたのですが、私がベンチに座ると、それまでそのコは私に背を向けて座っていたのに、柵を回りこんでこちらにトコトコやってきて、私の膝に鼻ツラを乗せんばかりにして挨拶してくれました。ひとしきり挨拶を済ませると、気が済んだようで、元の位置に戻って飼い主さんを待っていましたけど。匂いを嗅ぐわけでもなく、吠えたわけでもなく、何か言いたげに黙って近寄ってきただけです。
お散歩途中のわんこに出くわしたとき、こちらから熱視線を送ってしまうと、わんこが急にこちらに駆け出したりして飼い主さんがびっくりするということが多いため、わんことすれ違うときには、なるべく意識しないようにしているのですが(笑)どんだけ自意識過剰なんだよって話ですか?昨日も、「かわいいコだな」とは思ったけど、チラと一瞥しただけで、気のないそぶりを見せたはずだったのに、彼女(?)は私に近寄ってきました。そういえば私の前に、彼女を見つけて、「かわいいわね」と彼女に近寄ったおばさまがいましたが、その時の彼女はおとなしく座ったままでほとんど動きませんでした。向こうから来られると引くタイプ?

こんなことを書いていると、こいつは自意識過剰でデンパなヤツだと思われそうですが、自分では不思議に思えてなりません。他にも人はたくさんいるのに、どうしてよりによって私に道を聞く?そんなときは私自身も道に迷っていたりするのに(笑)
わんこに関しては、かつてウォーキングでよく出会ったわんこが印象深いです。このコは、私の姿をみつけるや、なぜか猛ダッシュをするので、飼い主さんは、わんこより先に私を見つけると、近くの杭にリードをぐるぐる巻きにして対応していました(笑)当然、ウォーキングコースには他にも人が通るわけですが、他の人にそんな反応をしてはいませんでした。ご迷惑をかけているなと思ったので、その時間帯にそのコースを歩くのは避けるようになりました。
別にドクター・ドリトルってわけでもないのにねぇ。

あんまり関係ないけど、思い出した話をひとつ。
小学生低学年の頃、下校途中の道の真ん中に、車に轢かれたのか、猫が死んでいたことがありました。わりときれいな状態で死んでいたので、このままにしておいて、また轢かれてしまってはいけないと思い、そっと道の端の雑草の上に移してあげました。田舎の道だったので、他に人通りもなく、その日は一人で下校してまして、見渡す限り誰もいなかったような気がするのですが。道の端まで運んであげると、死んでいるはずの猫が「にゃあん」と一声鳴いたのですよ。確かに死んでました。半分硬直しかかってましたからね。だけど、聞こえたんです。それは、「ありがとう」って言っているように聞こえました。子供がやることなんで、それ以上は何もしませんでしたが、翌日の登校時には、もうその猫の姿はありませんでした。近所の誰かが処理してくれたんでしょうね。

人から話しかけられる件については、私がボーっとしているからというのが大きいのでしょうね。でも、自分では忙しくて殺気立ってると思えるようなときでも、話しかけられることを考えると、それもどうなのかと思います。ヘッドホンをして、「人の話は聞けません」というアピールをしている時でさえ、時間を聞かれたりしますし(笑)

以上、どうでもいい話でした。
身体を休ませたいときに限って、今度は自分の仕事が忙しい…。そんな状態なのに、ゆうべは『ゾンビーノ』観てるし(笑)いい加減、寝た方がいいと思うんだけどねぇ。

posted by nbm at 10:55| Comment(3) | TrackBack(0) | どうでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

血液ガッタガタ

ヒマはない。ヒマはないけど、記事を書く。

いつも流行には乗り遅れるnbmです。今日の、”いまさら”は『自分の説明書』。血液型別のアレです。数多いる人間をたった4タイプに分けようということ自体にムリがあるわけですが、かといって、生物学的に考えると、多少は各タイプに特徴があるという話もあり、だとすれば、その生物としての特徴が、性格的なものに傾向性として現れることはあるのかもしれない。これが、私の血液型別性格判断に対する考えです。っていうか、そうであったら面白いな、と(笑)たとえば、O型は伝染性の病気に感染しにくいという特徴があるそうで、それが人との交わりを恐れず、社交性が高くなる要因となるのではというような。実際、政治家にO型の比率が高いのはこういったことの表れではないかという話。竹内久美子さんの著書での話ですが、あくまでネタとして、話半分に聞いておいた方がよさそうですね。ただし、職種によって、血液型の比率が違うというのは興味深いです。勘ぐりたくもなりますね。

さて、人に血液型を当ててもらおうとすると、当たったためしがありません。しかし、自らAB型であることを暴露すると、いつもものすごぉく納得されるというパターンです。皆がみな、「なるほどねぇ、納得、納得」という反応。一般には、合理的、クール、二重人格、変人などと評されますね、AB型って。まぁまぁ、自分に関しては言われている通りだと思います。

では、この本に挙げられている項目で、自分に当てはまると思うものを列挙してみましょう。

☆オープンな性格。でも呼び込み看板は出ていない。
☆なんでも合理的。なんだかそうなっちゃう。
☆肩書きなんて屁とも思わない。どーでもいい。
☆天使も悪魔も飼っていない。飼っているのはあまのじゃくだけ。
☆ムキになりたくない。
☆悩み事は相談しない。
☆なぜかまわりにはAB型の人が多い。
☆石橋を叩く前に分析
☆ブランドや値段なんていっさい気にしない。気に入ったもんが最高級。
☆プラモ製作みたいなちまちま作業をちまちまやる。
☆掃除がおおざっぱ
☆たまに信じられない大失敗をやらかす。信じたくない。
☆子供の頃、「不思議な子」だった。
☆「強い者いじめ」されたコトがある。
☆英語がだめでも外国人にビビらない。
☆寝坊しても冷静。無駄にあがかないでサクっとあきらめる。
☆毒舌って言われる。
☆記憶力はナイ。てゆーかたぶん最初から憶える気ナイ。
☆たとえるなら、家ネコよりノラ。フラ〜フラ〜ってする。で、寝る。

では、逆に当てはまらないものはというと。

☆自動的にお世辞が出る。
☆とんでもないハッタリをかます。
☆100%のウソ笑いを出す。
☆プライド高め
☆淡白そうで執念深い。
☆けっこう世話好き

あれ?でもやっぱり、全否定できる項目が少ない…(笑)恐るべし!傾向性!他の血液型の説明書を読んだらどうなるんだろう?

この『AB型自分の説明書』を読んで、AB型の特徴として漠然と感じるのは、淡白さというか諦めの良さというか、どうでもいいやというなげやりな部分でした(笑)どこかで、「AB型は、自分の命に執着がない」というようなことを聞いた覚えがあるのですが、自覚があります。死ぬことよりも、痛かったり苦しかったりする方がいやだし(笑)間違っても「死にたい」なんて考えないんですが、例えば、戦場で自分が犠牲になれば戦友が助かるかもしれない状況だったら、「俺、行くわ」って言えるような気がする。誰かが人身御供にならなければいけない状況だったら、「私がなりましょうか」と言ってしまいそう。そんな執着の無さは感じます。やりたいことは山ほどあるし、幸せに暮らしたい気持ちも当然あるのですが、それとは別次元で、自分の命に淡白な感覚があるような気がするのですよ。裏返せば、いつ死んでもいいように、やれることはやっておく、もしくは、楽しむべきことを楽しんでおく、もしくは、いつも気分よく過ごしたい。そんな心理がはたらいているのかもしれません。
posted by nbm at 11:01| Comment(7) | TrackBack(0) | プロフィールがわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月11日

念願の2枚+衝動の1枚

夕べも夜のお仕事に出かけ(実家の手伝いですよ)、帰って来たのは午前2時頃でした…。なんとか生きているnbmでございます。家のことや、自分の仕事を片付けてから実家の手伝いに向うので、どうしても夕方近くから夜中までになってしまうのですよねぇ。こんなひどい生活も、あと少しだとは思うのですが。久々に生存報告でもしとかないとと思い…ちょっと書いておくか。
こんな状況でも、相変わらずアニメは毎日観てますし、どういうわけか、普段あまり観られていない映画も観ています。おかげで寝てねー!
疲れた頭を癒そうと、『ミスト』を観たり、『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』を観たり、『ボラット』を観たりしてました。どんなチョイスだよ!映画については、またの機会に語るとして、と。
そういえば、本も読んでます。時間がないときの方が、時間を有効に使えるのを実感しますね。あんなに時間がないはずなのに、不思議だ。っていうか、寝ろよってことですか。このところの睡眠時間は3、4時間ですねぇ。

今日は、最近ヘビー・ローテーションの音楽をメモしておきます。

PENDULUM 『IN SILICO』
ずーっと欲しかったのに、いまさら入手ですよ。MySpaceはコチラ。あらためて聴いてみると、やっぱりイイです。超お気に入り!どういうわけか、大好きなはずのThe Prodigyの新譜には、あまり萌えず。なんかね。エネルギーの衰退を感じました。しかしこのPENDULUMはイケイケな感じが詰まっていて、聴くとアドレナリンが出てくる感覚(笑)

THE FIVE CORNERS QUINTET 『HOT CORNER』
これも、昨年末から狙っていた1枚。MySpaceはコチラ。60年代チックなクラブ・ジャズって感じですか。フィンランドのポスト・モダン・ジャズ・グループ。何年もロックを中心に聴いていたら、それに飽きてしまったようで、こういった手合いには今まであまり魅力を感じなかったのですが、すご〜くかちょよく聴こえたんですよねぇ。似たようなタイプの他のアーティストも聴いてみたんだけども、ピンとこない。だけどこの人たちは一味違うんですよ。なんだろう?どういうわけか、私は北欧ジャズがしっくりくるんですよねぇ。ボーカルにフィーチャーされてるのが、マーク・マーフィーという方なのですが、聴き流してしまっていたんだけども、御歳77歳と知って驚愕!それを知ったら、俄然渋く聴こえてきます(笑)

WOUTER HAMEL  『nobody's tune』
何の気なしに試聴してみたら、衝撃というのとも違うんだけども、スーっと入ってくる感じがして、他の作品を購入しようと考えていたのにそれをさしおいて、衝動的にこの1枚を買ってしまいました(笑)MySpaceはコチラ。私はこの人を知らなかったのですが、オランダ出身のジャズ・ヴォーカリストの2枚目のアルバム。よう知らんが、”新世代のフランク・シナトラ”とか言われてるらしい。とはいえ、このアルバムはとってもポップ。ジャズというくくりではないね。プロデューサーはベニー・シングスという人ですが、これが”クラブ・ミュージック世代のバート・バカラック”との異名をとる人。なので、70年代調のさわやかな香りのする楽曲が多いのだけれども、これまたロックを聴き続けた耳にはとても新鮮に感じられ…。おもしろいのは、変な楽器を集めてきて多用しているところ。グロッケンシュピール、メタロフォーン、ハグストーム・ウィンド・オルガン、オートハープなどなど。聞いたこともないような名前の楽器がたくさん使われていて、やさしい音になってます。個人的には、ヴォーカルとしては世間で評価されているほど魅力を感じないけど、全体的なバランスがとてもいい!

ってことで、こんな音を聴きながら、殺人的に忙しい日々を乗り切ろうとしております。
posted by nbm at 10:25| Comment(6) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

アルミとアルミ

ゆうべ、テレビのチャンネルをチャカチャカと変えつつ見てました。”チャカチャカ”ってのは間違ってますかね。チャンネルを直接回していた時代の形容でしょうか。それは、”カチャカチャ”か。どうでもいいんですけども。とにかく、せわしなくチャンネルを変えながら見ていたってことです。
テレビ東京で、ある建築士がアルミで家を作るというのをやってまして、以前拙ブログで少々アルミの家について取り上げたことがあるので(←「まあるいけんちく」)、興味深く見ておりました。私がブログで取り上げたのは、石田保夫さんという方で、アルミニウムを愛するあまり、アルミで家が作れないかと考え、シックハウス症候群などを考えても有効だろうという話だったのですが、今回のテレ東で取り上げていたのは別の方で、アルミに焦点が当たっているわけでなく、奇抜なデザインの建築であることや、価格設定が明確でお値打ちなことが取り上げられていて、その中でのアルミの家だったので、私が求める内容とは少々ずれていました。CMがつまらなかったし、NHKに回してみました。教育テレビだったと思うのですが、多摩川の河川敷で猫といっしょに暮らすホームレスの方たちを取材していました。この方たちのシノギは、空き缶集めです。主にアルミ缶を集めてお金に換えていました。不況の波は、こんなところにも影を落としていて、アルミの値段は、以前の半分近くまで落ち込んでいるとのこと。双方の番組を中途半端に見ていたので、双方とも詳しいことはわからないのですが、一方では捨てられるアルミを再利用すべく、初老のホームレスの方たちが集めてお金に換えている。もう一方では、安いとはいえ数千万をかけて、若い夫婦がピカピカのアルミの家を建てる。空き缶がリサイクルされて、建材用のアルミにはならないだろうけど、すごい対比だと思いました。地球上に存在しているアルミニウムという金属を使って、あんなこともこんなこともするわけだけれども(←「クラーク指数」)。
いろんなことを考えさせられるけど、単純に、どんな仕事であれ「働かないとお金は稼げない」という当たり前のことを思ってしまうわけです。
これらの番組を見る直前に、録画していたものをたまたま観ていた『獣の奏者 エリン』というアニメ。さほど面白くないのに、これから1年も観続けなければならないことを考えたら、ちょっと憂鬱になるほどなのですが、観始めた以上は仕方ない。原作は面白いのかもしれないけどなぁ。闘蛇という戦闘用の竜を飼育する村で、闘蛇を診る医者である母と暮らしていた少女エリンのお話。ところが、大切な闘蛇がある日突然全滅してしまって、その罪を着せられた母は処刑されてしまい、一人残された娘のエリンは流れ流れて見知らぬ土地へ。そこではちみつを作ってる屁こきのおっさんに助けられるわけです。そのおっさんが、エリンが母を亡くしてしまったことを知り、自分で作ったはちみつとパンを食べながら、「人は生きるために食べ、食べるために生きる」と語ります。
そうなんだよね。人生、非常にシンプルに突き詰めると、そういうことなんだよね。河川敷に暮らすホームレスの人たちも、アルミの家を建てて悦に入る若夫婦も、食べては生き、生きては食べしてるんだ。ヒトも生物だって考えれば、当然の営みなんだけど。だけど、そんなに単純にはいかないもので、それだけのシンプルなことが容易にできないというのが現実。現に、件の番組では多摩川の河川敷を取材中、人が橋から身を投げた現場に遭遇。自殺であろうとのこと。取材していた方は、取材する中で河川敷のそこここに花が手向けられているのを見たそうだ。あるホームレスの人も、「こういう暮らしをしている人は、一度は死を考えた人だと思う」と語ってた。川だけに、まさに彼岸と此岸の分かれ目だね。象徴的に見えるけれども、実は意識できないだけで、誰しもが彼岸と此岸の分かれ目を歩いているんじゃないかな。今や誰だって、何かの拍子にいつ彼岸に転げ落ちても不思議じゃないんだからさ。

まったく関係のないそれぞれのことが、アルミという金属を通して、私の中で繋がってしまったのですよ。リサイクルされる物質はいろいろあるのに、自分の中では、なぜかアルミは人間の生き死にと近い感覚があるなぁ。
posted by nbm at 10:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする