2009年04月27日

職人ワザPOV

野暮用で、高校入学から結婚するまで、長い間使っていた駅周辺に行ってきました。実家に帰る際には車を使うので、この駅は、通過することはあっても降りることがありませんでした。下手をしたら、10年くらいはご無沙汰していたかもしれません。あまりに懐かしく、雨の中、少し歩き回ってみました。
駅の両サイドにある巨大な団地群が建て替えられ、新しく巨大店舗ができたりして、駅周辺は見違えるほどの変貌を遂げています。それに伴って道も新しくなっているので、もはや別の場所のよう。
駅から少し離れた商店街などはどうなっているのかと、歩いてみました。なじみだったお店は、ほぼ無くなっていました。残っていたのは2軒だけ。お客さんのイメージでそれぞれに違うコーヒーカップでコーヒーを出してくれる喫茶店。それと、中学生時代から覗いていたレコード店だけ。よく残ってたな、このレコード屋…。もちろん、今はCD・DVDを扱っているようでしたが。ピザが絶品だったイタリアン・レストランも、週に4本・5本とビデオをレンタルしていた店も、地下にあった本屋も、焼き増しを頼んでいた写真店も、スニーカーを買いに行ったスポーツ用品店も、美味からず不味からずだったラーメン屋も、何も残っていませんでした。新しいレストランや居酒屋、パチンコ店、診療所、コンビニなどに姿を変えているか、シャッターを下ろしたまま他のテナントが入るのを待っているような状態でした。そういえば、マックもミスドもなくなってたな。どんだけ撤退してるんだ?
駅前の大型スーパーに入ってみると、雨だったし、日曜日の夜だったけど、それにしてもあまりのお客さんの少なさにびっくりしました。だだっ広いフロアに2、3人しか客がいない…。もしかして客よりも店員さんの方が多い?駅の両側に巨大な団地やマンションがあって、たくさんの人が住んでるはずなのに、この活気の無さはなんだろう?今、使っている最寄り駅と比べて、あまりの違いに驚きました。環境的には似たりよったりなのに、なんでこんなに雰囲気が違うんだろう。
新築から数十年経って、子供たちが大きくなり巣立ったあとの住宅街をみると、商店街も閑散として寂しい雰囲気だったりしますが、ここは再開発されて生まれ変わったはずの街で、しかも腐っても駅前。なのに、この寂れ方は納得がいかないわ。想像するに、ここに住んでいる人は、本当に地元で消費活動をしないんだろうな。買い物も、食事も、飲むことも、都内ですべてを済ませてくるに違いない。そして、”ベッドタウン”という名の通り、家に帰れば、あとはベッドに入るだけ。電車が、電車というよりも、目的地と直結したエレベーターみたいなものになっていて、フロアを完全に使い分けているというような生活を想像してしまいます。

さて、いつものように前置きが長くなりましたが。
今日は『世界ふれあい街歩き』について。NHKの旅番組。毎回楽しみに観るというほどでもなく、たまたま見かけると観てしまうという番組。海外の街をぶらぶらと歩き、あまり名所・旧跡などには行かず、行き当たりばったりの展開で地元の人々の暮らしぶりを紹介するというもの。レポーターは存在せず、カメラマンが撮った映像にナレーションが付くだけなので、本当に自分がその街をお散歩しているような感覚に陥ります。つまり、POV番組。
先日は、オーストリアのウィーンだったか、古本屋さんを覗いてました。すると、店主のお姉さんに「地下にも本があるわよ」と案内され、一体何万冊あるんだろうという本の森の中を、ステディカムがスーッと撮り続けるわけです。元はワインの樽が置かれていた醸造所だったという場所には、本がぎっしり詰まった本棚で作られた迷路のような空間があって、その細い通路をカメラがなめらかに通っていく。地下に降りる石造りの急な階段もスーッと。いつも画面は撮るべきものを撮り、バランスを常に考え、あるときは周囲がわかるように、あるときは違和感なくポイントを映す。いつも感心するのは、その映像のなめらかさ。カメラマンは一体どんな風に撮っているんだろうかと不思議になります。
ステディカムという、振動を吸収する特殊なカメラを使っているそうですが、それって重いんじゃないのかい?調べて納得。20kgもあるそうですよ。ステディカムがいくら揺れない仕組みとはいえ、中腰でそろそろと歩かないとやっぱり揺れるんだそうです。だからカメラマンは100mも歩くだけでもうヘトヘト。アップやズームはしないけれども、立ち止まって見上げたり見渡したりしながら、ゆっくり移動してますからね。おかげでブレのない映像を楽しませていただくわけなのですが。現地に行って、最初にやることは、腕のよいマッサージ師を探すことなのだそうで。ご苦労さまです。
カメラマンとディレクター、それに現地語を話す通訳兼コーディネーターとで歩くそうです。周到な下見に基づいているものの、本番はノープランで行き当たりばったり。下見に1週間なんてこともザラらしい。それで、まずはその街の路地1本1本まで歩いてみて、面白そうな人や建物なんかに目星をつけておく。店の内部の撮影などは、事前にお願いはしておくものの、「今度また来たら、撮ってもいい?」程度で、詳しく打ち合わせをしたりすることはないらしい。撮影の当日、会えなかったら、それまで。
外務省が注意喚起しているような”危ない街”には行かないそうで、そりゃそうだよね。重い機材を抱えて、ぶらぶら撮影してたら、襲われそうだもの。
有名な街に行ったら、そこから近くの小さな無名の街にも行くそう。で、2本撮りするわけですね。ガイドブックには載らないような街ってのも、面白そうじゃないですか。
面白いと思ったのは、番組をまとめて、ナレーションのコメントなども調整されているプロデューサーさんご自身は現地に行かないということ。視聴者の立場で、冷静に番組を作るというスタンスを守るためのようです。今回はコチラのプロデューサーさんのインタビューを読んで、記事を書きました。プロデューサーさんいわく、”手打ちそば”のような番組。丹精込めて手間隙かけて、自信を持って「どうぞ、ご賞味ください」と言える番組なんでしょうね。

そんな番組作りに感心していたら、タイミングよくたまたまニコ動で『ゾンビふれあい街歩き』というのを見つけました。「バイオ・ハザード3」のゲーム・プレイ動画に、『ふれあい街歩き』風のナレーションをつけたもので、ゾンビだらけのラクーン・シティをのんきに散策してます(笑)ゾンビ相手に「やぁ、こんにちは〜」「お仕事ですか」とか語りかけたりして(笑)適当なリンク先が見当たらないので、興味のある方は、動画を検索してみてください。
posted by nbm at 10:38| Comment(4) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月23日

ギジン

またまたテレビから。
NHK教育テレビの番組だったか、松井今朝子さんという方が歌舞伎について語られていまして、その中で興味深いことがひとつありました。
蜷川幸雄さんがシェイクスピア劇をロンドンで公演されたとき、人が二人入る馬を舞台に登場させたところ、場内が大爆笑になったという話。ロンドンの人には、どうもギャグに見えたらしい。でも、蜷川さんは、笑いを取ろうと思ったわけじゃないみたい。
松井さんによると、獅子舞のような、あの作り物の二人がかりの馬は、歌舞伎に出てくる独特のスタイルなのだそうです。たとえば、京劇にも出てこないし、狂言にもない。シェイクスピアの本場、ロンドンでは、シェイクスピアの舞台に動物が登場することはあまりないらしい。作り物の動物は笑いの対象にしかならないようです。日本人にしてみると御馴染みの、テレビでやっているコントなんかでも度々目にしてきたあの二人がかりの馬は、歌舞伎が元になっているんですね。

歌舞伎には、馬だけでなく、動物が登場する演目がたくさんあるのだそうです。有名なのは、『義経千本桜』。歌舞伎に疎い私でも題名くらいはなんとなく知ってますし、白い毛のようなもので覆われたモコモコのお着物を着て演じている役者さんの画像も記憶にありますが、あれが狐だとは知らなかった(笑)両親が殺されて鼓の皮にされてしまったことを悲しんだ子狐が、人間に化けて、その鼓を持っている義経のもとに現れるという話だそうで。

さて、西洋でも、物語の中に擬人化された動物が出てくるものは少なくありません。イソップやグリムなんかの童話を思い浮かべてみればわかりますね。そこには特に抵抗感がないのがわかります。だけど、それが二次元・三次元となると変わってくるんでしょうか。
一方、日本で動物の擬人化といえば、なんといっても『鳥獣戯画』だと思うのですが、古くねぇ?いや古いと言ったら、イソップの方が断然古いだろうけども。ただ、2次元的に擬人化されたものと考えると、やっぱり古いよね。
西洋での絵画というと、キリスト教を中心とした宗教画の歴史が古くて、俗っぽい絵画は19世紀くらいにならないと一般化してこないらしい。
日本では動物を擬人化し絵に描くことに抵抗がないというのは、誰もが想像できるように、日本人が八百万の神を信奉してきたことと関係があるのでしょうね。証拠とまではいかないけれども、動物でさえないものを擬人化してしまってますし。

近年の漫画・アニメでは、その傾向が強く現れてきていると思われます。
90年代あたりからは、猫耳のついた人間型のケモノ(?)が一般化し始めました。猫と人間が混ざったようなキャラクターもあれば、妖精系としてとがった耳がついているものもありますが。
そのうち、毛皮を着たケモノ以外の動物も擬人化されるようになってきます。たとえば『もやしもん』では、菌類が擬人化されていました。数多くの作品で、妖怪などと言われてきた超自然的存在も、人間に近い形で描かれるようになったとも思います。これは水木しげる先生が元祖なのかな?でも、最近の傾向は水木先生の描いたおどろおどろしい妖怪ではなくて、ゴスロリのかわいい女の子だったり、着物を着た綺麗なお姉さんだったり。
それから、無機的なもの(?)まで擬人化されるようになりました。たとえば『ヘタリア』では、国が擬人化されていますし、アニメ化が決定した『ミラクル☆トレイン〜中央線へようこそ〜』では、中央線の駅がそれぞれ個性的なイケメンになってます。東京零・新宿慎太郎・中野陸・吉祥寺拓人・立川ルネ…。
そんなこと言ったら、洋もので『きかんしゃトーマス』ってのもあったね。
だけど、最近の擬人化は萌えの方向が定着し、しかも腐女子系までシフトしてきているような。

たとえば、『ミラクル☆トレイン』のキャラ設定を見るとおもしろいです。HPはコチラ。東京零は、「幼少のころから徹底した西洋教育をされているため、和の心に疎い」「JR一お金持ちの駅であり、御坊ちゃま体質」。新宿慎太郎は、「人が増える度に適当に増設し、公家の持ち物だった場所も平気で潰して拡大するという、度胸と強引さの持ち主」。中野陸は、「自分がおたくである事は歴史的背景からも自認している」。吉祥寺拓人は、「自分が住みたい町ランクでも必ず上位のアイドル駅であることを自認している」。立川ルネは、「アメリカ軍の影響が大きく、ルックスは金髪碧眼である」。オモロー。こうして見てみると、いちいち頷いてしまうところが、駅ひとつとってみても、それなりのイメージで捉えている部分が少なくないのがわかります。こういう共通認識があった方が、擬人化が受け入れられやすいですわね。

こうして考えてくると、特に二次元や三次元で擬人化されたものを受け入れるかどうかというのは、”慣れ”によるところが大きいのかもしれないと思えてきます。
劇場でシェイクスピア劇を観ていて、人二人が入った馬が出てきたら、自分はどう見るかなぁ。それがシリアスな場面だったとしたら、たぶん、笑いを噛み殺しながら見るでしょうね。だけど、家でDVDか何かで観たとしたら、声を出して笑うかもしれませんね。
もしも、自分が歌舞伎を見慣れていたり、シェイクスピア劇を見慣れていたりしたら、そこで全然ひっかからずに何も疑問に思うことなく演目に集中できるかもしれません。

擬人化もやり方というかキャラによるので、個人的には『きかんしゃトーマス』とか、すごくコワいんですけど(笑)あのコワさは、多少”不気味の谷”作用が働いているんだろうか。
同じ擬人化といっても、近年の漫画・アニメ作品では、思いっきり人間と違う形をしているか、もしくは猫耳キャラだったら、人間の形に耳としっぽがついている程度。じゃなければ、設定だけは擬人化されているけれども、キャラクターの見た目はまるっきり人間。これがアニメでなくCGとなってくるとまた話が違ってくるところが面白いけど、長くなったので、今日はこのへんで。
posted by nbm at 11:57| Comment(5) | TrackBack(0) | コミック・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

NO MUSIC,NO LIFE

今日も今日とて、テレビのお話で恐縮です。
箭内道彦さんが、『私の10のルール』という深夜番組に出演されてました。この番組は、ゲストに1ヶ月間密着する中で、日々のルールを見出し、紹介するというものです。むりくりルールに仕立て上げてる部分も少なくないけど、ゲストの考えていることが浮き彫りにはなります。箭内さんのルールはこんな感じでした。

ケータイの予測変換機能は使わない
派手な格好をする
ライバルは遠くに探す
洋楽は聴かない
本屋に行かない
アイデアを書き留めない
漢字の書き順を覚えない
安請け合いする
貯金しない
ショートケーキはいちごから食べる

当然、それぞれに箭内さんなりの理由があります。自分の弱さに対する処方として派手な格好をして、「金髪なのにつまらないものは作れない」という追い込み方をするとか。いろんなものに影響されないために、本屋には近寄らないとか。忘れてしまうアイデアはたいしたこと無いし、アイデアは書き留めてしまった時点で自由度を失って固まってしまうから書き留めないとか。

くだらないことだけど、一番共感したのは、「漢字の書き順を覚えない」こと。私の中でも、決めても無駄なことじゃないかと長年疑問に思ってきたことで。たとえば、書道などで文字を美しく書くための書き順ならまだわかるけど、書き順に正しいも何もあるかいなと。
箭内さんはどうも、「プロセスはどうでもいい」という考えが根底にあるようでした。結果が出せればそれでいい。そこに至る努力みたいなものを見せるのはカッコ悪いっていう感覚もあるのかな。
学生時代は、勉強道具を学校に置きっぱなしにしていて、空のカバンで通っていたそうです。やるべきことは学校で全部やってしまえばいいって。私も全く同じ考えで、できたかどうかは別にして、授業中に思い切り集中して勉強しておけば、家に帰ってから勉強することはないと思ってました。家であまりに勉強しないため、母親をはじめ私の周囲の人間は、受験などがあるたびにいつもハラハラしていたようで(笑)運良くなんとかなってきましたが(苦笑)誤解のないように言っておきますが、箭内さんはどうか知らないけど、私の場合は特別勉強ができたわけでもなく、ただ気構えの話です。箭内さんは、きっと優秀だったんでしょうね。

もうひとつ、「貯金しない」と「ショートケーキはいちごから食べる」について。
箭内さんは、ご自分の名刺にもいちごをモチーフとして使われているくらいいちごが大好きなのだそうで。ショートケーキを食べるときは大好きないちごから食べる。好きなこと、やるべきことは先にやっておかないと、1秒先に世界はなくなっているかもしれないから。貯金をしないのも、今日が大事だからで、明日はどうなっているかわからないから。『風とロック』というフリーペーパーを作っている箭内さんですが、いつも赤字。当然、自腹で発行しているのだそうですが、お金なんて残しておいても仕方がない、と。
こういう感覚も共感してしまいます。

逆に正反対だと思ったのは「洋楽は聴かない」という項目。箭内さんは広告というお仕事の性質上、日本語というものをとても大事にされているのでしょうね。音楽を聴くときも、歌詞重視で、いくらメロディーがよくても歌詞がダメだと受け付けないそうです。
私は箭内さんと正反対で、メロディー重視。歌詞は二の次になってしまいます。だから洋楽だと、歌詞をほぼ気にしていません。聴いた感覚だけで受け取っています。
それと、「本屋に行かない」。これは私にとっては考えられません。私にとっては、本屋や図書館ほど刺激的な場所はないからです。クリエイティブといわれる仕事をしている人でも、2タイプいるんだなと思いました。外部からの刺激を溜め込んでそれをヒントに創造するタイプと、なるべく外部のものを断ち切って自らの内部からひねり出そうとするタイプ。ここまでいろいろなものが存在する世界で、まったく模倣でないオリジナルなものを創り出すのはもはや不可能に近いと思うのですが、それでも箭内さんのようにチャレンジしようとする人もいるのですよね。すごいことだと思います。

なんていうのかな。すごくニュートラルに生きている方だと思いました。生き方自体が「ロックだ!」という感想を持つ人もいると思うのですが、見た目ほど奇抜なことをされているわけでもなく、世界に反抗するんじゃなくて、何でもとりあえずは受け入れてみる。そんな感覚。

posted by nbm at 11:46| Comment(4) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月21日

ナルト走り

『飛び出せ!科学くん』という番組が、なかなか面白いです。
先日は、スペシャルを再放送していたのですが、上野の国立博物館を細かく見て回ってまして、フツーはあんまりじっくり見ないであろう、剥製たちや、縄文人の模型などに、学者さんたちの細かなこだわりがあることを紹介してました。模型なのに、お父さん(役)のもっている魚が実際の重さで、持っているお父さんの腕はその重さのものを持っているときの筋肉の状態をリアルに再現している、とか。博物館にまた行きたくなりましたよ。

昨日は、より速く走るためにいろんなことを試してました。ちなみに、MCはしょこたんとココリコ田中。昨日の企画では、そこにカンニング竹山が加わり、鈍足な3人がどこまで速く走れるようになるかという実験。
まず、滑車を利用する実験。人間を3人使って、真ん中の人に滑車をつけ、先を走ってもらい、逆サイドの人の重さを反動にして無理やりスピードを出させるというもの。こうすることで、脳がスピード感を認識し、それだけで早く走れるという話だった。これで自分の力だけでは体験できなかったスピードを体験した後にタイムを計ってみると、速くなってる(笑)しょこたんは、滑車を使って走った感想で「今まで使ったことのない筋肉が痛い」と言っていたけれど、それがポイントなんだろうね。自分だけでは使えない筋肉を無理やり覚醒させるという。
それから、ガムを噛んだ直後に走ると、速くなるという実験。これもなかなか成果があった様子。
もうひとつ、忍者や飛脚がやっていたというナンバ走りというのを試してました。身体をひねらず、右手と右足・左手と左足を同時に出すというもの。出てきた先生の走りは、アニメで見るような忍者走りとはちょっと違うけど、印象は近い。このナンバ走りを練習しているときに、先生は同じ側の手足を連動して動かせるようになったら、「肘を後ろに引くことを意識するように」と指導していた。
それを聞いていたダンナさんが、「空手といっしょだな」と言う。ダンナさんいわく、「三の力で打って、七の力で引くと、十のインパクトが生まれる」ということらしいのですよ。引く瞬間に、インパクトが最大になるってことらしい。だから、拳で打つ力よりも引く力の方が重要だってことなんですね。言われてみれば、空手の正拳突きって、「引いている」ように見えますね。もちろん、すばやく引くことは次の攻撃に移りやすいということにもつながるのですが、引くときにインパクトが最大になるとは思いませんでした。力任せに打ってやろうと思うよりも、肩の力を抜いて引く動作をした方が威力のあるパンチが打てるなんて思いませんよね。でも、そのインパクトの瞬間に相手に当てられるように熟練したら、力任せに打つよりも効果的な攻撃ができるのかもしれません。

さて、ナンバ走りに話を戻します。
近年は、このナンバ走りが陸上競技などで練習に取り入れられ、成果をあげているそうです。以前から、特にアニメ『NARUTO』を見ていて感じていたのですが、忍者走りって腕を全く振らずに後ろに流して走るじゃないですか。あれで速く走れるのかと疑問に思っていたわけです。単純に、左右の腕を大きく振った方が速く走れるというイメージがあって。”ナンバ”というのは、左手と左足・右手と右足を同時に出す動作を指すらしいのだけれども、”ナンバ走り”というと、そういうことではなくて、左足を出したときには左の上体が前に出し、右足を出したときには右の上体を前に出すことで、身体全体のねじれをおさえて、エネルギーのロスを減らす走りということらしい。詳しく説明すると長くなりそうなんでやめとくけど、
不思議なことに、こうすることで、膝を高く上げなくても前への推進力が生まれ、ストライドものびるのだそうだ。腕の降りは二次的なものに過ぎなくなる様子。だとすれば、アニメで見るような腕を振らない忍者走りも理に適っているのかもしれないね。

大体、江戸時代くらいまでは、日本人は”ナンバ”式で歩いていたそうな。着物を着ていたことや刀を指していたことなども一因かもしれないけどね。そういや、時代劇で人が走る場面を思い起こしてみると、例えば女性なら、肩に力を入れずに両肩を交互に前に出すように走っていたような。男性は、やはり腕を振らず両脇にたらしたまま、もしくは右手を刀の柄にかけた状態で走っていたような。そして、足の動きはすり足に近い感じ。着物を着てちょんまげを結って、短距離の陸上選手みたいに大股で手を大きく振って走っている印象はありませんね。みんな所作として考えながら演技していたのかな。それとも、着物を着ているとある程度は自然にそうなるものだろうか。
甲子園の入場行進で必ず見かける緊張した高校球児も、実は自然に無意識にナンバを実践していたとか、いないとか(笑)
posted by nbm at 11:29| Comment(2) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

時既に時間切れ

今日は、朝から感動巨編を観ましたよ!
土曜の朝のバラエティ番組で、子供が何かに挑戦するのを応援するコーナーがありまして、いつもはあんまり観ないんですけど、今日は食いつきました。埼玉県に住む小学生の女の子が、県の花であるさくら草を見つけたいっていうんです。そうですよねぇ。たしかに自生している姿は見たことがありません。鉢植えなら見ますけどね。
最初は荒川の土手を探してみます。さくら草は見つからないものの、歩くうちに、彼女が観たことのなかった植物がいくつか見つかるのですが、彼女は植物図鑑とスケッチブック、それに画板のようなものを持ち歩いていて、知らない植物を見つけては、その場で図鑑で調べ、観察して絵を描き特徴をメモし、ものさしを取り出して丈を計ったりしてました。その姿に感動ですよ。なかなかこんなコいません。この歳にして、ちゃんとフィールドワークしてますよ。テレビ用じゃなくて、いつもそうやって歩いているんですよね。その証拠に、いろんな草花の名前をよく知っていました。人が嫌がるフィールドワークを、このコはこの歳にして、自ら進んでやって、しかも楽しんでます。頼もしい。
荒川の土手では見つけられなかったので、山に行ってみようと、今度は三峰山に登ってみます。カタクリなんかは見られたものの、さくら草はありません。
結局、さくら草保存会の存在を知って、保存会のメンバーのお宅のお庭で大事に育てられているさくら草しか見ることができませんでした。しかし、その方から一鉢のさくら草をいただいて、それを自宅に持ち帰った彼女は、大事に育てて、増やしていこうと決意するわけです。それから毎日、水をやり、声をかけて、世話をしているそうですよ。ええ話や。

ひとつのことに、自分なりにこだわりを持っている子供を見ると、安心します。将来、自分が興味を持った分野を背負って、活躍してくれるだろう姿が目に浮かぶからです。たぶん、まわりからは奇異な目で見られがちだと思うけど。
『魚、ギョッ!』のさかなクンを見るたびに思う。あそこまでとなると、相当なものだけれども、好きなものが高じて仕事になってしまった典型の人だと思うんだ。それで食っていけたらそんなにすばらしいことはないけど、金銭とは関係なく、趣味の領域に限ったっていい。とにかく、面白いと思うことを追求してもらいたいなぁ。

本当に書きたかったのは、別のことだったんだけどな。
先日もアキバに行ってきたダンナさん。このクールはキー局同士、アニメの放送時間が重なるケースが多く、ハードディスクレコーダー1台では、いかんともしがたいのですよ。そこで、TV録画用のハードディスク・レコーダーとしてPCを1台組んでまして、それとは別にもう1台新しいPCを組んでいるのですが、増設メモリなどを購入しに行ったのであります。今回は、私はついて行かなかったのですが、ダンナさんの報告によると、アキバはいま『けいおん!』一色なのだそうですね。

それともうひとつ、目に付いたのがTシャツ。アキバで売られているTシャツは、アニメ・ゲーム関連のものが多いですが、ネタTシャツ的なものもあります。で、今イチオシは「おれの怒りが有頂天」ってヤツ。
ゲームをやらない私は、その存在を知らなかったのですが、ブロント語録ってのがあるらしく、ゲーマーさんたちの間では伝説となっているブロントさんの語録をプリントしたTシャツが人気のようです。ブロントさんは、某掲示板に現れては、天才的な言語センスで名言を連発し続け、一躍有名になった方のようで。ブロントさんを騙るブロンティストも多数存在するために、もはや特定するのは難しいらしいのですが、その天才的で不思議な統一感のある言語センスは、そう真似できるものではないと思われ…。
ブロント語録を他にも少し紹介しましょう。以下、原文どおりです(笑)たぶん。

どちかというと大反対
このままでは俺の寿命がストレスでマッハなんだが・・
致命的な致命傷
時既に時間切れ
カカッ
俺を強いと感じてしまってるやつは本能的に長寿タイプ
仏の顔を三度までという名セリフを知らないのかよ
俺は別に強さをアッピルなどしてはいない
あまり調子に乗ってると裏世界でひっそり幕を閉じる
マジで親のダイヤの結婚指輪のネックレスを指にはめてぶん殴るぞ
確定的に明らか
唯一ぬにの盾
破壊力ばつ牛ン

ゲームをプレイしながら掲示板にカキコミをしているのか、打ち間違いや誤変換らしきものも多いのですが、それがいい具合にありえない感じになっているところに味があります。日本語としては微妙におかしなものが多く、同じ意味の言葉がくりかえされたり、反対の意味の言葉を同時に使ったりするのですが、それがまた、妙に哲学的な味わいを出してしまっていて、奇跡的に詩人の言葉のように響いてしまう。このオリジナリティは賞賛に値します(笑)掲示板では、固定ハンドルを使用せずとも、正体を見破られたという逸話もわかるような。彼は、詩人になるといいよ。まさに「破壊力ばつ牛ン」なことばだ!

posted by nbm at 11:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

曹操vs.伊達政宗

世間では、赤キュリフ青キュリフ…じゃなかった…『レッド・クリフ』の公開で「三国志」が盛り上がっているようなのですが、私の中での「三国志」ブームは、アニメの影響によるものでした。昨年の夏頃、深夜放映されていたアニメに「三国志」が元ネタになっている2作品があったのです。それが、『一騎当千』『恋姫無双』の2作品。ところが、双方ともに出てくるのは女の子ばかり(笑)女だらけの「三国志」でした。当然、もともとの「三国志」とは程遠い印象です。しかも、たった1クールで壮大な物語を描けるはずもなく…しかし、そんなハチャメチャな作品でも、片鱗を感じることがあり、自分の中で「三国志」ブーム到来!
といっても、いまだに本で読むことには手を付けてません。なぜかって?それは、中国名が苦手だからです(笑)欧米の外国人名のカタカナ表記は大丈夫なクセに、漢字で書かれた中国人名が認識しづらくて、物語に集中できないんですよ。以前、それを克服しようと『十八史略』を読もうと購入したのですが、あえなく挫折…。今も家のどこかに眠ったままです。いっそ、カタカナで人名を表記してくれたら読めるのかな。しかし、中国人名はシャ・シュ・ショとかジャ・ジュ・ジョとかが多くて、きっと混乱するに違いない…。そんなこんなで、常識的に知っていていいはずの「三国志」や「水滸伝」がいい歳こいてわからないという破目になったのでございます。
そんな私に、映画で「三国志」の名場面のひとつ<赤壁の闘い>が見られる『レッド・クリフ』は、グッド・タイミングなわけなのですが、DVD鑑賞が専門なので当然映画館では観ず(笑)そこに、先日、テレビ放映があったので、すかさず録画。だけど、Part2が観られるのはまだ先の話ですねぇ、きっと。

で、今クールのアニメなのですが、『蒼天航路』という、「三国志」ネタで、ちゃんと男が出てくる作品が始まりました!「三国志」ブームの私は、期待大だったのですが…。
第1話では、少年時代の曹操が出てきます。オープニングからして、デス声のテーマ曲で『北斗の拳』のような劇画タッチの映像に笑ってしまいました。ん?なんか違うか?
第2話…。キョーレツぅ!(ゆってぃ風)これは、何と評してよいものやら。「アモーレ!」の連発で、何がなにやら(爆)16歳の少年・曹操が、浅黒い肌の美女・水晶と恋に落ち、互いに「アモーレ!」と叫びあうという回になりました…。えっと…「三国志」じゃなかったっけ?この水晶という美女はオリジナル・キャラで(当然だよな、でも本当にいたらどうしよう…だって、知らないもん!)、曹操の敵となる宦官・張譲に辱められるという役どころ。
ある意味、すごい作品になりそうになってきましたよ。曹操は、『三国志演義』では悪役ということらしいですが、その曹操を英雄に見立てているところが、『蒼天航路』の面白いところらしいです。むしろ『三国志』の正史の方に近いとか。一般に広く知れ渡った『三国志演義』さえ知らない私には、さっぱりわからんがな。

ところで、同じこのクールでは、『戦国BASARA』という作品も放映されています。こちらは、戦国時代の武将同士が戦うアクション・ゲームをアニメ化したもので、正直あまり期待をしていなかったわけですが…。すげぇ、おもしろい!「巷では、若い女性の間で戦国武将ブームが…」というニュースをどこかで観たのですが、「なぜに?」と思っていたら、この原作ゲームが発端らしいです。設定とかコスチュームとか、ハチャメチャですけど、いいんです!伊達政宗と真田幸村がメインで、織田信長(CV:若本規夫)とか出てくるみたいです。猿飛佐助なんかも出てきて、とにかく楽しい。オープニングからして楽しいんですよ。足軽の群舞が!内容にはちょっぴりエロ入ってますけど、そんなの『クイーンズ・ブレイド』に比べたら屁みたいなもんなんで、全然かわいい感じです(笑)余談ですけど、この『クイーンズ・ブレイド』はすごいですよ。一応、地上波でも放映してますけど、全身に白く光るボカシが入っちゃってて、なんだかさっぱりわかりません。AT-X版で観ると、これでもかとぷるんぷるんおっぱいが出てくるし、失禁シーンはあるし、ただのエロ・アニメです(笑)しかし、声優さんが豪華なので、この内容でこの声優陣を使うところがすごいと思われ…。
話を戻して、と。中国ものに負けず劣らず、日本の歴史に疎いもので、アニメで観たことを鵜呑みにしないように気をつけないと(笑)日本史も漢字表記が多いから苦手なのかなぁ。

期待していた『蒼天航路』は、いい意味で期待を裏切る感じ。対して『戦国BASARA』は、全然期待してなかったけど楽しめそうです。
posted by nbm at 11:25| Comment(7) | TrackBack(0) | コミック・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

音楽は世界だ!

たまに観ると、面白いMADムービーですが、最近のヒットは、『ワンルームランナーディスコ』です。以前、ルームランナー(トレッドミル)を使った軽やかなダンスで脚光を浴びたok goが、Perfume『ワンルームディスコ』を踊ってくれています(笑)いや、踊ってくれているわけじゃないんだけど、ほんとにタイミングがバッチリで、踊ってくれているように見えます。ok goの原曲を知らない人が見たら、絶対perfumeの曲を変なガイジンさんが踊ってると思うに違いありません。とりあえず、YouTube貼っておきます。コチラ。”ピンク”が効いてるのは前々からだったけど、『ワンルームランナーディスコ』で観ると、よりパンチが効いてるように観えるのが不思議。ちなみに原曲『Here It Goes Again』コチラ
こうなると、『A Million Ways』でもなんかできそう(笑)ちなみに、コチラ

今度は別の話。
ゆうべ、夕飯の用意をしながら、背中で山崎まさよしの新曲『春も嵐も』を聴いていて、なんかにそっくりだと思った。→こんな曲。「ビリー・ジョエルだったと思ったけど何て曲だったっけ…」と考えていたら、全く同じことを考えていたらしいダンナさんが、早速YouTubeで画像を検索してた。振り返るとPCモニターにビリー・ジョエルのPVが!『You're Only Human』って曲ですね。こんなPVだったねぇ。曲が始まるまでが長いけどコチラ。ようつべってすごいわ。

そこからは、たまたま見かけたMiami Sound Machinのライブを観ながら、「このライブのレーザーディスク持ってたな」とか。「グロリア・エステファンは、よく事故から復活したよねぇ」なんて話をしつつ。90年代まではグロリア・エステファンのアルバムも聴いてたんですが、存在を忘れてました(笑)

そして、ダンナさんが自分の指でトコトコとリズムを取っていて、それが何の曲かという話になって、アイアン・メイデンのPVに辿り着く。メイデンって、こんなだったんだねぇ。リフがすんごく長くて、なかなか歌い出さない(笑)インストじゃないのかって思うくらい。あらためて聴いてみると、私の感覚的にはディープ・パープルとあんまり変わらないように聴こえました。こんなに静かだったのかという印象。これが、”New Wave of Brithish Heavy Metal”かぁ。同じNWOBHMでも、デフ・レパードは、もっとキャッチーに聴こえるけどな。これが、ドイツではアクセプト、日本ではラウドネス、アメリカではヴァン・ヘイレン、それに後に”LAメタル”と呼ばれるモトリー・クルーやラット、ドッケンなんかが出てきて、そういえばオーストラリアではAC/DCがいたな。
歴史を辿れば、ブラック・サバスやスコーピオンズ、ジューダス・プリースト、ホワイトスネイクなんかもいたね。一方で、イングウェイ・マルムスティーンとか個人的に活動していた人なんかも忘れちゃいけないか。日本では、アースシェイカーや44マグナム、BOW WOWなどなど。多様化しつつ、世界に広がっていくわけだね。

そういえば、そんなドキュメンタリーがあったな。『GLOBAL METAL』。メタル・ファンで人類学者でもあるサム・ダンって人が、世界各国に広がったヘヴィ・メタルを取材するドキュメンタリー。詳しくはコチラ
それで思い出したけど、こんなのもあったな。『HEAVY METAL IN THE COUNTRY』。ドイツのドンツドルフって村ね。主要産業のひとつが”ヘヴィ・メタル”(笑)<ニュークリア・ブラスト>っていう世界最大級のヘヴィ・メタル・レーベルがあるからなんだけど、村おこしみたいになってて、通販でヘヴィ・メタル・グッズを全世界に販売してたりするんだよね。おばちゃんが骸骨を袋詰めしてたりして(笑)コチラで予告が観られます。

本日のタイトルは、昔テレ東でやっていたタモリさんの音楽番組のタイトルから。
この番組で印象に残っている出来事はふたつ。
デヴィッド・ボウイが出演したときに「I am Stevie Wonder.」と自己紹介し、タモさんが、「あなた、スティービー・ワンダーじゃないでしょう!」とツッコんだこと。
電気グルーヴが出演したときに、ピエール瀧さんが自分のことを”陸(おか)サーファー”になぞらえて、”陸(おか)ミュージシャン”と呼んでいたことです(笑)

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2009年04月14日

ボコノン教に入信(笑)

カート・ヴォネガット。昔は”ジュニア”って付いてたよね?この人の著書を、1冊は読んだことがあると思うのだけれども、もう何十年も前の話で(笑)それがどの作品だかわからないくらい憶えてない。たしか王道の作品ではなかったような気がするので、『タイタンの妖女』でもなく、『スローターハウス5』でもなく…『モンキーハウスへようこそ』だったかなぁ。1冊読んで、そこまで印象に残ってないって…。知識としては、この人は”SF作家”のくくりに入れてたけど、読んだ作品はSFではなかったような気もする。なんかこう、アイロニカルな視点はあったような気がするけど。

先日、図書館で書棚の間をうろうろしていて、最後に何かもう1冊借りようとしてたんですけども、何か洋ものにしようと、海外文学の棚の方へ。ふらふらしていたら、『国のない男』というタイトルが目につきました。”カート・ヴォネガット”とある。「そんな人、居たな」とスッと手にとってみた。エッセイで、彼の最後の著作と知り、興味が湧きました。表紙に使われている御本人の写真も、「ちょっと読んでみないか?」と誘っているようだったので、「んじゃ、読んでみましょうかね」と。
少し読んでは目を閉じて、書かれていることを自分なりに咀嚼する時間が必要になる本でした。近所の仲良しのじいさんが、ことあるごとに話してくれた内容をまとめたような本。
インディアナポリスでドイツ系アメリカ人として生まれ育った末っ子、コーネル大学で化学を専攻しシカゴ大学で人類学を学んだ男、ドレスデン大空襲を目の当たりにし、アメリカのいかがわしさを指摘し、”SF作家”と呼ばれる度に「何がいけなかったのか」と思う男。人類は<化石燃料中毒>であり、地球の将来を悲観する男。そんなじいさんが、語ることばは、いちいち当たり前すぎるけれども、みながあえて語らないことばかりのような気がします。
芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたう。ラジオに合わせて踊る。お話を語る。友人に宛てて詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものをと心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。

とかね。

いまの若い人たちが気の毒で、かける言葉もない。精神的におかしい連中、つまり良心もなく、恥も情けも知らない連中が、政府や企業の金庫にある金をすべて盗んで、自分たちのものにしている、それがいまの世の中だ。

そう言った上で、ハンガリーからウィーンにやってきた産科医イグナーツ・ゼンメルヴァイスを紹介している。死体解剖をしたその手で赤ん坊を取り上げていた時代。産褥熱、つまりお産の時に妊婦が死亡する病気があった。これを医師による細菌感染と考えた彼は、手を洗い消毒することを提案し、実際にお産での死亡率が下がる。しかし、ウィーンの医学界から追放され、最後は死体解剖に使ったメスを自分の掌に刺し、細菌による感染症で死亡する。
悪しき指導者は絶大な力を持っていた。そして彼らはふたたび勝利したのだ。(中略)彼らは人の命を救うことなんかにはまったく興味がない。彼らにとって重要なのは耳を傾けてもらうことだ。素直に聞いてくれる人がいる限り、それがどんなに愚かな内容であっても、彼らの考えはどこまでも続いていく。もし彼らが憎んでいるものがあるとすれば、それは賢い人間なのだ。だから、賢い人間になろう。そしてわれわれの命を救い、みんなの命を救ってほしい。誇り高くあってほしい。


他にも印象的だった話が。
アルバート・マリというジャズ史に詳しい作家さんによると、アメリカの奴隷時代、奴隷所有者の自殺率は、奴隷の自殺率をはるかに超えていたという。マリさんは、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからではないかと言っている。それが、ブルース。
ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。


焚書の話も出てくる。
マイケル・ムーアの『華氏911』や、レイ・ブラッドベリの『華氏451』の話から出てくるのだけれども、ここで、ヴォネガット氏は、アメリカでの焚書に触れ、全国の図書館員が権力に負けずに本を守り、ある種の本を借りた利用者リストを思想警察の手に渡らないように破棄してくれたというのだけれども、具体的にそんなことがあったの?そんな『図書館戦争』なことが?そんな話をした上で、こんな話。
本について、もうひと言いっておこう。現在、われわれの日常のニュースソース、たとえば新聞・TVなどは臆病なうえに無警戒で、ちっともアメリカ国民の役に立っていない。ろくな情報を流していないのだ。実際にいま何が起こっているのかを知ろうと思ったら、頼りになるのは本だけだ。


もちろん、書き手によって、思い入れも違えば主張も違うでしょう。書いてから出版されるまでのタイムラグを考えると、最新情報とも言いがたい気がします。そうであっても、今の時代、本という存在がメディアとして意外と侮れないということに思い至るのでした。よく見てみると、細かいことをそれぞれ追っている人がいるもので、それをある程度の情報量でまとめてくれるのですからね。

最近になって、同じネット・ニュースでも、海外の通信社が配信するニュースを見るということをしています。ここでも、ニュースは日々取捨選択された上で流れることに変わりはないけれども、少なくとも、”日本”でかかるフィルターは除外されるわけで。海外通信社の流すニュースが、日本のものとどれくらい違うのだろうという観察です。

さて、思いがけなく、カート・ヴォネガットさんのことばが沁みたので、ちゃんと作品を読んでみましょうか。まずは『猫のゆりかご』あたりから。
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2009年04月10日

egg moon

今日も『月で遊ぶ』から。
月夜を青く感じるのは、プルキニエ効果によるものだそうですよ。弱い光では、人間の目は赤よりも青の光を強く感じるのだそうです。暗いところで瞳孔が大きくなると、青い光を感じやすくなるそうです。逆に、明るいところでは赤を感じやすくなるそうですよ。

きっかけは『月で遊ぶ』に書かれていたプルキニエ効果なのですが、じゃあ、どうしてそんな風に見えるのか。ちょっと調べてみましたよ。
人間の目の網膜の視細胞には錐体と桿体という2種類があってですね、色を捕らえるのは本来錐体の役目なのですが、この錐体は感度が悪いので、暗いところではあまり役に立たないらしく、暗いところでは感度のよい桿体が活躍するらしいのですが、本来桿体は形をとらえるのが役目で、色はわからんはずなのです。しかし,桿体は波長の短い青い光に関して感度が高く、この働きから暗いところでは景色がモノクロに見えるわけです。逆に、錐体は長い波長の光を感じやすく、赤い光に関して感度が高いってことです。明るいか暗いかにあわせて、人の目は、この錐体と桿体をうまく使い分け、カラー・モードやモノクロ・モードに切り替えて景色を見ているということらしいのですよ。
ちなみに、錐体は網膜の中心付近にあり、桿体は中心でなく周辺にちらばっているので、暗闇で物を見るときは、正面きってじっと凝視するよりも、横目でチラと見た方が見え易いかも(ウソ?)それを考えると、暗いところで正体のわからん何者かに出会ったときに、視界の端で捕らえることが多い気がするのは理に適ってるか。
もひとつついでに、写真を撮るときに赤目になることがありますが、あれは眼底の血管の色でもあるけど、桿体が赤いことも一因。桿体にロドプシンという(バラのローズから付けられたらしい)赤い光受容体があるからこそ、青い光をよく吸収するってことかぁ。

もちっと、踏みこんじゃおうかな。
今度は錐体の話。桿体にはロドプシンという1種類しか光受容体がないのに対して、錐体には3種類の受容体があるそうな。それが、赤・戻り・青。ヒト以外の哺乳類は、赤錐体を持たないのだそうですよ。しかも、みんな暗闇で活躍する桿体が9割がたを占めていて、錐体はほとんどもたないそうです。ところが、ヒトの錐体細胞は700万個、対する桿体細胞は1億5千万個もあるそうです。夜行性だった生物が、徐々に進化し、ヒトが昼行性になっていった証拠ですね。で、錐体の種類の話。桿体のロドプシンのように、錐体にも光を受容するオプシンという物質があって、それが3色あるわけですが、仮に2色だったりすると、それが色覚異常となるわけですね。ところが、中には4色もっているヒトもいるそうですよ。アメリカ人女性の5%は橙オプシンを持っているそうです。そうなると、3色オプシンのヒトとは別の色彩で景色を見ているはず。どんな風に見えるんでしょうかねぇ。
認知心理学サイドから考えると、人が見ている世界は共通しているかというのは確認ができないことではあるのですが、色覚細胞レベルでの話を考えると、オプシンさえ共通していれば、同じ色が見えていると考えてもよさそうな。しかし、脳はウソをつきますからね。目が伝えている情報を再構成するときに、何を細工しているかわかったもんじゃありません(笑)

英語で「blue moon」というと、「ありえないこと」という意味だそうですが、昨日の満月は「egg moon」だったのですね。復活祭のイースター・エッグ。春分の日以降最初の満月を「egg moon」と呼ぶそうです。復活祭自体は、それから最初の日曜日ということらしく、今年は4月12日(もしくは19日)ということになるそうで。西洋では、1年の各満月ごとに様々な名前がつけられているのだそうですね。日本では、満月は満月で、特別視されるのは中秋の名月くらいですが、逆に満ち欠けごとに名前が付いてます。十日夜(とおかんや)とか。これも『月で遊ぶ』で初めて知りました。旧暦十月十日に行われる収穫祭だそうです。この話も面白そうなんで、詳しくはまた今度。
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2009年04月09日

月は人を選ばない

昨日、仕事も一段落し、体調も戻ってきたので、数ヶ月ぶりにウォーキングをしてみました。そしたら、妙なものを目撃。暗くなり始めた頃に歩き始めたのですが、途中、雑木林の桜が綺麗だったので、見上げると、隣の木の上になにやら黒い影が。どうやら、鳥のよう。最初は鳩か何かと思ったのですが、鳩にしてはデカくて、全体が黒い。そして、頭が赤い。「ん?赤い?」そう、それは鶏でした(笑)たぶん。だって、あれはどう見てもトサカだったよ。すっごい高い枝に(地上6mはあったかな)、ポツンと。あんた、飛べたのね。しかし、野生化したものなのか、どこからか逃げ出したものなのか。高い木から下りられなくなってレスキューされる子猫みたいに、「登ったはいいけど、どうしよう」的な、そこはかとない途方に暮れた感が出てましたが。ヤツは、無事に地上に降りられただろうか。
ダンナさんに話すと、昔、私の目撃地点とは少し離れた所で、同じように野放しになっている鶏を見たということでしたが、経過した年月から考えて、同じ鶏とは考えられない。子孫?っていうか、鶏の寿命って…?

樹上の鶏を目撃した後、今宵の月はと探しながら歩いていると、ちょうど真正面に昇ってました。ほぼ満月に見える。
さて、なぜに月を意識したかといえば、最近ハマっている中野純さんの本『月で遊ぶ』を読んだから。中野純さんは、いつかとりあげたナイト・ウォークをしたりしている体験作家さんです。闇を楽しむのには、月は邪魔だと思っていたそうですが、いつしか月の魅力に取り込まれたようで。本日のタイトルは、この本の中の一言です。
月を観察するにも、様々な手法が書かれています。例えば、盃に映した月を飲む<月飲>、あえて小さい穴から月を観てみる<マンツームーン>、傘に小さいパンチ穴をたくさん開けて月の形の水玉模様を作る<月傘>。他にも、<月の出>や<月の入り>を待ったり、棚田でなくとも<田毎の月>を楽しんだり。伝統的に様々にアレンジされて日本で行われてきた月見も、またさらにアレンジしたりしつつ、楽しんでました。

いい歳こいて、実は月の動きやら何やらを把握してなかったりするんですけども、色々と勉強になることも多くて、たとえば、三日月だったりすると、三日月部分を含む月全体がまあるくうっすら見えたりしますよね。それを<地球照>と呼ぶのだそうです。地球が月を照らしてるんですね。もちろん、地球が発光しているわけではなくて、太陽の光を反射しているわけですが。それとは別に出てきた話なのですが、例えば夜景の光を見ているってことは光が自分の所まで届いているってことで、夜景の光で自分が照らされていることにもなるってことに気付きませんでした。<地球照>でも、太陽の光が地球に反射して月に届いて、その光が月に反射して地球に戻ってきているってことになります。
もうひとつ、面白かったのは、ヒマラヤなどの高山に登ると、空が黒いってこと。空気中に不純物が少ないと、青が強調されてむしろ黒く見えるらしいです。宇宙空間が黒く見えるのとはちと違うか。富士山山頂ごときではあまりわからないそうで、中野さんは飛行機に乗ったときに、観察してみるのですが、飛行機も高度1万数千メートルってところを飛ばないと、空は黒くは見えないみたいですね。

中野さんの本は、内容もさることながら、言いまわしが可笑しくて、個人的にはけっこうツボに入り、声をあげて笑ってしまう箇所が少なくありません。この本で一番ツボったのは…月にかかる夜の虹を見るために、何度も山に登るのですが、気象条件が悪くて見られないことが続きます。6度目くらいに、またも山を登り滝を目指すのですが…
滝がやってない。

冬場だったので、大部分が凍っていたようです(笑)

西洋ではなぜかあまり好まれない月という天体を、日本では月見をしたり、歌に詠むなどして愛でてきました。その違いはどこにあったのかと、ウォーキングをしながら考えていたのですが。ふと、イタリアの地震で瓦解した建物が脳裏をよぎり、建物の違いが大きいのではないかと。というか、最近、ロクに月や星を観ていなかった自分を思い起こして、それは夜に外に出なかったからだと思い当たったわけです。それなら、やはり夜、戸外にいることが多ければ、それだけ月の存在が身近になるわけで。日本の家屋は、外との仕切りがあやふやで、縁側なんてものがあったりして、家の中にいながら、外の景色を楽しむことができたのでは、と。西洋の家は、石やレンガでできているものがほとんどですよね。一旦中に入ったら、窓の枠内でしか外を見られないじゃないか。
先日、建築家・伊藤豊雄さんの理想とするスケッチをテレビで見ましたが、それは桜の舞い散る中、一枚の浅黄幕でまあるく仕切られた中で、人々が自由に寝転んでいるスケッチでした。外と地続きだけど、自分が自由になれる空間。
そんな空間で、闇と親しい関係を保つということをしていれば、自然と月に目が行くのでは?しかし、それだけでは西洋に比べて星に無関心なのが説明できませんね。光量の違いと言えばそれまでだが。

阿倍仲麻呂が詠んだように、どこに居たって月は月。月は観る人を選ばない。かっこいい言葉だ!
最後に、コチラ「月世界への招待」というHPのお写真が綺麗なので、ご紹介しときましょう。
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2009年04月07日

いばったヤツは嫌いだぜ

新たなクールが始まりまして、新作アニメの初回を吟味している今日この頃でございます。まだまだ出揃ってないので、そのあたりについてはまた後日にということで。ただ、『侍ジャイアンツ』が始まりまして(笑)あらためて観ると、やっぱり面白いもんです。自分の感覚では、『巨人の星』よりもずいぶん後に観たような気がしていたのですが、実際製作された時期は思ったほど離れていませんでした。私は再放送を観ていたのかもしれません。今は亡き富山敬さんが主人公・番場蛮を演じているわけですが、はじけっぷりがスゴイ!作画監督さんが同じ大塚康生さんなので、絵柄が『ルパン三世』を髣髴とさせるのも懐かしい。
この『侍ジャイアンツ』のテーマ曲を歌っているのは、松本茂之とクレジットされていますが、水木一郎大先生の別名であります。作曲は菊池俊輔さん。オープニングも3拍子でさすがに印象的な曲ですが、エンディングの曲の歌詞がまた印象的です。♪いばったヤツは嫌いだぜ〜そっくり返ったでっかいツラの鼻をあかしてやるのが趣味さ〜♪番場蛮というキャラクターの痛快さがよく出てます。

さて、ゆうべの村上龍がいつも眠そうな番組に、スズキ会長兼社長の鈴木修さんが出演されていました。この方のことをよく知らなかったのですが、ものすごい人だった。しごく当たり前のことを言う。難しい言葉を使わず、話がとてもわかりやすい。この人自身が、シンプルで簡素なものを追求しているスズキという自動車メーカーの根幹をなしていることがよくわかる。経済ニュースには疎いもので、知らなかったのだけれども、昨年末に、前社長が体調不良で退任したのを受け、社長に返り咲いたのだそうで。しかし、もう80歳目前?お元気です。今の厳しい状況を作ってきたのは自分だから、若い人に「後はよろしく」というわけにはいかないと、社長兼務を引き受けたのだそうですよ。
修会長が提唱している「小・少・軽・短・美」。部品を小さく軽量化することでムダを省こうという姿勢。けれども、その結果美しさを失ってはいけないということ。うちのダンナさんは、ありとあらゆる車のエンジンルームを見てきているわけですが、スズキの車はほんとうにエンジンルームがシンプルでいてかつ美しいのだそうです。他のメーカーの軽自動車と比べると、他メーカーは1世代から2世代、つまり4年から下手したら8年遅れて見えるのだそうです。
それと、もうひとつ。修会長の人心掌握術がすごい。これもダンナさんから聞いた話。スズキは今も副代理店、つまり町の自動車屋さんにも車を売ってもらうという方式を取り続けていますが、各地域で副代理店を集める会合を持っては、それぞれの自動車屋の社長さんだけでなく奥様の名前なども憶えていて、労をねぎらう言葉をひとりひとりにかけるのだそうですよ。販売成績の良い副代理店は、修会長自らが海外のの工場に連れて行ったり、レース観戦に連れて行ったりして、接待するのだそうです。そういう所で言葉をかけられたり、話を聞いてきたりすると、「修会長がいいこと言った」みたいになって、みんなまたがんばっちゃうんだそうで。
ゆうべの番組では、カースト制度の残るインドの工場で、その壁を取り払うために、映画を作って観せたという話がありました。インドの人は映画が大好きだもんね。インドの工場では、会長自らが食堂の行列に並び、カーストの壁を取り払う努力をしたエピソードも紹介されていました。インドへの工場進出は周囲に反対されたそうですが、今やインドのシェアは約50%だそうですよ。ヨーロッパでは、ハンガリーなんて、いくら民主化政策が取られ始めたとはいえ、直前まで共産主義だった国にいきなり進出してますが、それも大胆な作戦です。
軽自動車のアルトが発売当時47万円という破格な値段を実現させたのも、修会長の原価35万円に抑えろという厳命があったからこそなわけですが、軽自動車という決まった規格があるものを作ることが躍進につながったという話でした。つまり、制約があるからこそ伸びることができる。と。以前、スズキの車に乗っていたので実感していることなのですが、スズキの車はスペースの取り方が上手で、外から見ただけではわかりませんが、乗ってみると意外に車内が広いので、人を乗せると驚かれることが多かったです。
「あるときは送り迎えに、あるときは買い物に…」というところから<アルト>と命名されたということでしたが、ワゴンRも「ワゴンもあーる」ということでの命名。うちのダンナさんによると、昔を遡れば、コレダというバイクも「これだ!」と付けたらしいし。スズキの命名はダジャレからきていて単純だけど、それが美しく聞こえるのが不思議。これも、「小・少・軽・短・美」の一環かい?

ものすごいキレ者なのに、当たりが柔らかく、相手にそう思わせない修会長という人物を見て、世の中にはこんな人もいるんだなぁと、まんまと感銘してしまった私なのでした(笑)
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2009年04月06日

日曜日らしい日曜日

昨日は本当に長閑な日でありました。恵比寿に向う途中に見た光景はみな、”日曜日”そのもの。テニスコートで準備運動をするおじさんたち、デートに向うカップル、打ちっぱなしを楽しむ人たち、気張ったおしゃれをして街に向う女の子たち、ベランダに干された布団。そして、桜、桜、桜…。こんな日に、テポドンがきっと発射されるんだよなぁとぼんやり思いつつ、電車に乗っておりました。
学生時代の友人たちが集合することになり、恵比寿でカジュアル・フレンチ・ランチしてきたのでした。当初は、違うところでお花見を計画していたのですが、天気予報が雨ということで計画変更。しかし、実際は結局いいお天気になってしまいました。ま、どうせくだらないことをくっちゃべってバカ笑いしているうちに時間が過ぎてしまうので、場所はどこでもいいんですけどね(笑)
駅からちょっと離れた店だったので、事前にストリート・ビューで予習。予習していたら、路地を歩いた方が面白そうだったので、路地を歩くルートを選択し、歩いていきました。すると、逆方向から来た友人たちにバッタリ!「なんでそっちから来るの?駅から1本道なのに?」と不思議がられる。いや、なんかその、路地を歩くのが面白そうだったんで…。すると、「そうかぁ、時にはまわり道も必要よね」と妙に納得されてしまう。そんな大それた考えはまったくなく、ほんのちょっとした気まぐれだったわけですが。いつも遅刻気味の私が、珍しく時間に間に合いそうだったし(笑)だけど、普段は合理性一辺倒みたいな考え方をするクセに、変なときに余裕もないはずなのに余裕をぶっこいたようなことをする自分に思い当たったりして。実際、今回もストリート・ビューで予習していたわりに見落としていたのですが、よくテレビで紹介されている有名なハンバーグのお店を見つけました。路地を通らなかったら発見しなかったね。こんなことがちょっと楽しかったりするんですよね。
しかし、バカ笑いしてきました。大講堂に先生と1対1で気まずい授業を受けた話。フィンランドで友人の友人に泊めてもらったら、激烈な夫婦ゲンカが始まってしまった話。ゼミ合宿で教授の別荘に行ったら、ことのほかひどいところで、雑魚寝を余儀なくされ、気付いたらダブルベッドの隣に男子が寝ていた話などなど。学生時代の話をしていたら、思いのほか受講していた授業に違いがあることが判明。よく考えてみると、なぜに仲良くなったのか、今ひとつ憶えていない…。基本的には学科が同じで、入学当時語学選択でできたクラスがいっしょだった仲間なわけですが、うちのクラスは英語の時はいっしょだったけど、第二外国語になるとフランス語と中国語に分かれるというクラスだったし。なぜか語学クラスの違うドイツ語選択だった奴はいるし、昨日は参加してないけど、仲間内には学科さえ違うヤツらがいます。それは、サークルつながりだったり、バイトつながりだったりするわけですが。
同じ学科だったヤツに限れば、うちはゼミが盛んな大学だったので、ゼミつながりってのも結構あります。ゼミが1年から必修で、毎年変わってたからね。ゼミの人数が多くても20人程度という感じで、ゼミ仲間と仲良くなるんですよね。
よくよく考えてみれば、取っている授業がまったく同じなんてことはないわけで、みんな好きな授業を取ってたわけですからね。卒業から長い年月を経て、今も個性的な道をそれぞれが歩んでいます。翻訳業などを経てシステム開発してるのが一人、高校で教師をしてたはずなのに司法書士をしてるのが一人、海外に渡り翻訳業をしてるのが一人、卒業時から同じ会社に地道に勤めているのが一人、そして私は税理士受験をドロップアウトし、ライターもどきをしている主婦(笑)えっと、大学で何を勉強してたんだっけ?…って、みんな全然関係ないことしてる!(爆)
共通点を考えると、昨日集まったうち4人が埼玉県出身、1人は神奈川県出身でした。うちの大学はマイナーなので、地方まで存在が知られていないというのもあるかもしれませんが、友人のほとんどが埼玉・神奈川・千葉・東京出身者でした。だから、学生時代は自宅から通っていた人がほとんどだったのよね。一人暮らしをしていた友人が、数えるほどしかいませんでした。というわけで、誰かの家に集まるとなると、一人暮らしをしているコの所に集中しちゃう(笑)

どうでもいいことを書き連ねました。まだ実家での激務から疲れを引きずっているのか、ちょっと動くとクラクラする状態が続いていたのですが、昨日はテンションが上がってしまったのか、クラクラしたりしませんでした。不思議だわ。調子こいて、帰りにエチカ池袋を覗いてきました。殺風景だった通路が一変。まぁ、もう何年も通ってなかった通路。というか、別に並行して作ったのか?じっくり見れば面白かったのかもしれないけど、オープンしたてですごい人。立ち止まる気になりませんでした。西口方面に用がある時や池袋から副都心線を使う場合以外は、ちと遠いかな。

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2009年04月02日

大漁、大漁!

4月といえば、番組改編。新番組のチェックで忙しいです。
今年は、各クールごとに、アニメの感想をメモしておきたいと思います。
えー、この1〜3月に視聴していたアニメは、ざっと数えますと30作品ありました。3ヶ月で200時間、1日2時間はアニメ視聴に費やしていたことになりますか。我ながら、具体的な数字にすると驚いてしまいますわ。

さて、アニメ作品は1クール(3ヶ月)・12〜13回で終わるものから、2クールもの、はたまた1年続けるものなど様々ですが、この3月で終了したものについて書いておきたいと思います。

なにしろハマったのは『ONE OUTS』。野球があまり好きでない私ですが、一応野球をテーマにしたアニメを喜んで観ていたのは、『侍ジャイアンツ』以来のことだったのではと思います。野球といっても、内容は正当な試合とはかけ離れた駆け引きがメインだったわけですが。すっかり渡久地東亜という男の抜け目のなさにイカれてしまいました。在り得ない展開の連続なんですが、それが痛烈で楽しかったこと!某友人(男性)にこの作品を紹介したところ、元々野球が大好きだった彼は、私よりハマりまくり、原作漫画を購入して読むも、あまりの面白さに読むのがもったいないと、先を読むのを我慢していたほどでした(笑)

それに匹敵するくらい面白かったのは『スキップビート!』。これは少女マンガが原作で、新たな時代の『ガラスの仮面』的なストーリーなのですが、主役のキョーコを演じた井上麻里奈さんのはじけっぷりが小気味よくて、ギャグセンスが溢れる画とあいまって、楽しい作品になりました。

この2作品は、深夜アニメという枠を考えると、わりと”一般向け”というか、2作品とも逆に異色なものに感じますが、例えば作画のクオリティとか萌え要素とかをまったく抜きにして、面白いと思える作品だったのが新鮮でした。

それから『続 夏目友人帳』。妖怪の見える男子高校生・夏目が主人公。妖怪と人間との関わり方に悩みつつ、毎回喰われそうになりながらも、困っている妖怪をついつい助けてしまいます。第1期のときは、ええ話が多くて、毎回のように涙していたような覚えがあるのですが、この第2期ではあまり泣かなかったものの、にゃんこ先生のキャラとか、周囲の人間の味が出てきて、ほっこり観られるいい作品でした。放映中に、声優アワードで、主役2人が受賞したというのは嬉しいニュースでした。特に、にゃんこ先生を演じていた井上和彦さん。にゃんこ先生は、普段はまねき猫が猫化したようなキャラなのですが、夏目が危機に陥ると、本来の妖怪としての姿に大変身!例えて言うと、ばかデカくて真っ白い狐のような感じ?その2つの姿のときに声が変わるわけですが、かわいいキャラと威厳のあるキャラの演じ分けがすばらしかったです。

『まりあほりっく』は、とっても新房作品らしくて、斜め上行く前衛的なものでした。中でもオープニング・エンディングにはセンスが光りましたねぇ。女の子が好きな女子高生と、可憐な女子高生の姿をして、実はドMの男という2人が、女子高の寮のルームメイトという設定。いろんな斬新な表現方法が使われていました。時折、『絶望先生』かと見まごうシーンもありましたが。

『とらドラ!』は、なにしろそれぞれのキャラがかわいくて、それだけでOKな作品でした。最初は例に漏れず、強烈なみのりんのキャラに惹かれたのですが、終盤になるにつれ、あみちゃんに共感している私なのでした。表面だけ観ていると、スイートなラブ・コメディなのですが、根底に流れる乾いたクールな視点が、スイートなものが苦手な私にも視聴に耐えうるものにしてくれました。

『FRAG』は硬派な作品で、現在と地続き感のある近未来での国際紛争を巡る話。主役の声がちょっといただけなかったけど、そこは石塚運昇さんの語りでなんとか誤魔化してもらいました。この作品は、主観で撮られた映像・写真(静止画)だけで構成されているという珍しいもの。架空とはいえ、限りなくチベットに近い国を舞台に、平和の象徴となった旗を奪われた国連が、特殊部隊を送り込んでそれを取り戻すまでの話。その特殊部隊に同行を許された女性カメラマンと、その先輩で外部からその国を取材する男性カメラマンの2人の視点で物語が進みます。これをアニメでやる必要があるのかと思うようなリアルな作品。ま、二足歩行のロボット兵器が出てくるんで、アニメでやる意味があるんですけども。例えば、国連側が極秘に開発してFRAG奪還作戦に使った二足歩行兵器HAVWC(ハーヴィック)に対して、中国がこれまた極秘開発していた別の二足歩行兵器が出てくるのですが、こういうのが面白いじゃないですか。

1年続いた『ソウルイーター』も、ここで終了。初めは、主役の小見川千明ちゃんの声にちょっと心配がありましたが、1年経ってみたら、堂々成長しましたね。死神が作った学校で、武器と武器職人がペアになって、邪悪な魔女や鬼神を倒すというお話。絵柄がポップでかわいくて、1年経てばそれなりに愛着がわくものだと思いました。死神様を演じていた小山力也さんの声には驚愕。たまに”ジャック・バウアー”モードになるのが面白かった。それと、なんといってもエクスカリバーですかね。「エクスカリバー=ウザい」という設定なのですが、いつだったか、エクスカリバーがウザい歌を歌っているシーンがあって、CMに入っても、その歌声が流れ続けるという強烈な演出がありました。CMを流していたスポンサーも、確か原作掲載雑誌のCMなんかだと思ったから、協力体制が整っていたのでしょうが。最終局面では、鬼神役の古川登志夫さんの声にシビレました。

『鉄腕バーディー DECODE:02』もよかったです。地球人の高校生の男の子ツトムと、宇宙人で捜査官のバーディーとが一心同体となってしまい、展開していくストーリー。第1期はツトム側のお話でしたが、第2期はバーディー側のお話。これがけっこう切なくて、ホロッとくるようなお話でした。

キリがないので、この辺で。
次のクールまで続く作品として、『宇宙をかける少女』『鋼殻のレギオス』も楽しんでおります。このクールも30本近く観ることになりそうです。
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2009年04月01日

Welcome to the Jungle!

ここ数日、私の心は夜な夜なコンゴのジャングルをさまよっています。
昨年、ハマった『コンゴ・ジャーニー』。あまりの忙しさに、図書館から借りてきては読めずに返すという繰り返しで、ここにきてようやく読みきれそうです。今日、明日中には読了できるでしょう。とっても面白いんだけど、長かった…。

コンゴはテレ湖に向かって、UMAモケーレ・ムベンベを求め、イギリスの旅行記作家レドモンド・オハンロンが旅していくノンフィクション。全体的には、モケーレ・ムベンベはどうでもよくなっていて、ひたすらコンゴという地について様々描かれていることが単純に面白いわけですが。伝統的な世襲村長と国から派遣されている支配的な村長とからなる二重構造とか、今も息づく呪いについてとか、様々な動物の生態であるとか。
しかし、今日は、ジャングルで暮らすことについて考えてみたいと思うのです。

よく、「無人島に行くなら何を持っていくか」という質問がありますね。これは、人のサバイバル能力を試すというよりも、日常生活において、何を重要視しているかという心理テストのようなものだと思うのですが、ちなみに、先日テレビ番組で観たのですが、長島一茂さんは”リップクリーム”だと言ってました(笑)唇に塗るのかと思いきや、匂いを嗅いでましたね。
実際、本当にジャングルに行くとして、生きるために必要なナイフやコンパスなどの道具や食料、薬などを抜きにして考えたら、持って行きたい物は一体何か。
当然、文庫本と、電池がどれほど持っていけるのかは別にして、携帯音楽プレーヤーってことになるでしょうか。いずれにせよ、行ったらもう戻って来れない状況なのかどうかというのが、選択の際に重要になってくるような気がしますが。
しかし、文庫本に関しては、1冊だけと考えると、何を持っていくのか。私にはさほど思いいれのある本はありませんし、何度繰り返し読んでも面白いなんて本はちょっと思い浮かびません。おそらく古典から1冊ということになるのでしょうが、難しいなぁ。お話を楽しむということで考えると、自分の脳内で好き勝手にいくらでも作ることができるわけだし、それならば、本は要らないということになってしまうかも。
同じ論理で言えば、音楽だって、脳内にあるデータベースを使えばいいわけで、脳内で再生したり、自分で歌えばそれで済むか。

一旦、話を『コンゴ・ジャーニー』に戻します。レドモンドは、コンゴのジャングルを延々進み、目的のテレ湖に達したと思ったら、すぐに引き返すことになります。そして、どういうわけかゴリラの子供を託されるのですよ。そして、地元民がこぞってこの子供を殺そうとする中、一人母のように子ゴリラを保護し、彼を抱き、語りかけ続けるのです。
実際、ジャングルで最も必要なものは、”話し相手”なんじゃないだろうかと、そう思いました。相手は人間であることが望ましいけれども、それが例え人間じゃなくても、レドモンドのように子ゴリラでも、『アイ・アム・レジェンド』のようにワンコでも。過酷な状況を耐えるために必要なのは、何よりも自分とは別人格の、だけれども敵対関係にはない何か。それが正気を保ってくれるような気がして。

しかし、翻ってみれば、別にジャングルや無人島でなくてもそうなのですよね。いやいや、これはあくまでも私の個人的な考えですからね。でも、生活する上で、自分とは別の人間と接することが、重要であるということが浮かび上がってしまいました。

この数日、学生時代の友人たちで集まろうという話がにわかに持ち上がり、毎日ああしようこうしようと数人でメールのやりとりを密にしていて、それだけでもなんだかとっても楽しいのですよね。私のように、子供を持たない主婦というのは、意外と孤独なものでして。普段は家に一人でしょ?話し相手はダンナさんくらいなんですから。積極的に自分から働きかけないと、人と接するってことがないわけですよ。ねぇ。あらら?一人遊びの上手なAB型のはずですが、私ったら案外さみしがりやさん?(爆)
posted by nbm at 10:57| Comment(7) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする