2009年08月28日

エロソバ!

期日前投票に行ったら、NHKの出口調査に当たりました。初体験。出口調査って、ほんとにやってたんだ…(笑)
今日は久々に暑いですね。おかげで変温動物としては朝から体温が高く、キツイ…。
昨日は珍しく早い時間に落ちてしまったので、夜中に起きることとなり、朝方になってまた眠るという変則的な睡眠を取ってしまったためか、眠りが浅かった。ずっと夢を見ていました。寝た気がしない…。寝る前から、本を読みつつ半分夢を観てたし(笑)
先日、友人がおもしろいことを言ってまして、「初めて幽体離脱しかかった!」と。金縛りになったらしく、明晰夢を観ることの方が多い彼は、夢の中で自分を意識しつつ観察していたそうです。彼は最初、その感覚を何て表現してたっけ。忘れてしまったのですが、私が「頭頂部が突っ張る感じがした」と話すと、「そうそう。ストローで頭のてっぺんから吸いだされるような感じ」と私と同様の感覚を覚えたと言ってました。不思議だな。やはり、怖くなってそれ以上続けなかったということだったので(私もそうだった。詳しくは「そこにいるのは…私」)、次の機会があったら、その状態から次の局面に行ってみるように勧めておきました(笑)

今日は、本の話。『クオリア再構築』です。作家・島田雅彦さんと脳科学者・茂木健一郎さんとの対談集。
総合的な感想は、「茂木さん、大丈夫?」でした(笑)島田さんの著作はなんだか難しげでチャレンジしたことがなかったのですが、この対談では、茂木さんよりも島田さんのスタンスに強い親近感を感じました。具体的に何がとは表現できないけど、なぜか茂木さんの本質を垣間見た気がする。それが、意外と私とは相容れないもので、違和感が強かった。今までは茂木さんの著作を読む度に、「そうだ、そうだ」と同調してばかりだったのですが、この対談に限っては、そうではなかったのが不思議です。
終盤、茂木さんは「島田さんの病巣を見つけてしまった」と島田さんが”壊れる”ことを心配しているのですが、島田さんは冷静にご自分を「前近代人は壊れない」とかわしています。壊れかかっているのは茂木さんの方という印象だったのですが…。なんだか、クオリア研究もハードな局面になっているようで、茂木さんが心配になりました。
壊れる・壊れないの話は、韓国人のシャーマンに見てもらった二人が始めた話。あ、この対談は、プリミティブなことを実体験することでクオリアを再構築してみようというのが趣旨。えっと、言い回しが難しいので、解読するのが困難なのですが、茂木さんは、おそらく他人に自分がのっとられることの恐怖を語っていたと思うのです。もしくは、自分と他人との境界線が無くなることの恐怖。インターネットの世界で、他人のファイルが読み取れることの恐怖と、そんなことを重ね合わせてる。そして、近代人(現代人も?)はそれを非常に怖がり、警戒している。だけど、島田さんはそんなことは怖くないという。そういう島田さんを「病深いな、壊れるよ」と。みんな怖がっているし、自分も怖いと茂木さんは言う。だけど…私は島田さん派だな(笑)

さて、いろいろとおもしろいネタもつまっているのだけれども、全部をとりあげていたらキリがないので、1つだけ。
「言語DJ」という章について。
ここでは、さまざまな言語を音楽のように聴いてみて、そこから得られるイメージを語っていく。
例えば、ベンガル語は、鳴り物楽器を集めてちゃらちゃら鳴らしているよう。タミル語は、ラ行が多く、少しどもっているような感じ。中でもバスク語が興味深い。言語として系統が不明なんだそうだ。予備知識なしで聴くと、ラテン系エリアとは思えない言葉だそう。アフリカ系だと、キクユ語は語尾に「〜ダ」と付いて韓国語のように聴こえる。ルギス語は中国語っぽい。
日本語はカ行やサ行が目立つように聴こえると聞いたことがありますが、たしかに、辞書をみるとカ行とサ行の言葉が多いですね。客観的に聴くことができないのが残念だわ。
日本語という言葉は、例えば侵略されて多言語を話すように強要されたような歴史が無いという話があった。なるほど、言われてみればそうか。母国語以外の言葉を強制されることがなければ、そのままその言語は残っていくんだね。過去の歴史で、侵略され、消えていった言語なんてたくさんあるんだろうね。言語が消えていくことは、文化が消え、記憶が消えていくこと。淘汰されていると考えたらそれまでだけれども、これからもそうやって言語の勢力争いが続いていくんだ。英語が世界共通言語みたいになっている現在の言語の世界も、やがて変わるときが来るんだろうな。
あとね。ニューギニアって所は、単位面積あたりの言語数が世界一多いというとこらしい。山が多く、沿岸に道が無い。つまり集落を行き来する術がないってことだよね。それで小さな部族ごとに言語・文化が発達していくことになるってわけだ。これで思い出したのは、佐渡。佐渡も隣の地域とは言葉が違う。ということは、やはり小さな単位でそれぞれの文化が発達しているということになるのかな。
言語は文化と密接に関係していて、文化そのものと言ってもいいってなことを改めて認識したのでした。

結局、何を語っていても、この2人の対談は最後には”狩猟採集民族”にたどり着いていた。タタラに代表される製鉄技術、バスク人、弥生でなく縄文の人々、焼畑農法、狩猟採集民族はテレビ番組を観ない(笑)
今回、茂木さんが言っていたことで一番おもしろかったこと。
あなたが死んだら身体を構成している粒子はばらばらになって、次の世代の組織体になるという事実の方が重い。あなたの身体も、私の身体も、過去何代にもわたって死んでいった生き物を構成していた原子でできている。

焼畑のように浄化、リセットされて、生命は輪廻していくのだ、と。コップの水を海に注ぎ、全体に広がってからまたすくうと、もとの水分子は17個入っているとか。茂木さんは、自分の中にもみんなの中にもジュリアス・シーザーの一部はあると言っている。
地球上の粒子が循環しているとしたら、そうなんだろうな。まさに「千の風になって」だ(笑)
これが、少し前に読んだ星野道夫さんの本で、木製のトーテムポールを朽ちるままにさせておくべきだというアラスカのネイティブ・アメリカンの人たちの考えと通じていて面白かった。

ってことで、残念ながら、ちっともエロくない話なのであった!
「エロソバ」とは、マサイ語で「ハロー、フレンド」という言葉だそうだ。
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2009年08月25日

(※個人の感想です)

天気予報で「今日は、所によりにわか雨や雷雨があるでしょう」といわれる日、注意深く降雨情報を見ていると、特に西から迫ってくる雨雲は、山間部から埼玉の平地部分に入ると消えてしまうことが多い。洗濯物をいつ取り込もうかと、インターネット上の情報を見て構えていると、結局雨が降らないということが数え切れないくらいある。あまり真剣に考えたことはなかったのだけれども、埼玉県の平野部は、雨が少ないことに気づいた。
気象データを見てしまうと、県としてまとめられてしまうので、雨の多い山間部の秩父地方のデータと平野部のデータが混ざってしまい、平野部のみのデータが出てこないんだけどね。それでも、日照時間の長さも快晴日数も常に全国1、2位を争うという所。そして、平地率は茨城県に次いで全国第2位(61%)。秩父はありますが、確かに意外と平地が広いんですよ。つまり、天気が良くて、平坦な土地が広いのが埼玉県のひとつの特徴というわけです。イメージ先行で、よく”住みにくい”と言われる埼玉県ですが、こんな側面を切り取ると、住みやすい土地に思えます。

もうひとつ、最近感じるのは、アイドル系の女の子たちに埼玉県出身者が非常に多いということ。アイドル・ユニットAKB48で数えてみたら(←ヒマだな)、研究生・卒業生を合わせると20人も埼玉県出身者がいました。東京都出身がはやり多くて27人。しかし、千葉県・神奈川県は10人。一方、ハロー・プロジェクトでいうと、℃‐uteのメンバーは6人のうち4人が埼玉県出身という脅威の埼玉率!(爆)なんで、こんなことを考えたかというと、テレビで見て最近自分がかわいいと思った女の子のことを調べてみたら、立て続けに埼玉県出身だったので、ちょっとびっくり。たとえば、カルピスウォーターのCMの川島海荷ちゃん。それから、NHKの子供向け料理番組『クッキンアイドル アイ! マイ! まいん!』の(まいんちゃん)こと福原遥ちゃん。どうした、埼玉?
ダサイタマというイメージのせいか、美人が少ないと言われ続けている埼玉県ですが、ちょっと様子が違ってきてませんか。女優さんも多く輩出してますが(←以前の記事「埼玉の逆襲」)、どちらかというと「綺麗な美人さん」よりも、「愛嬌のあるかわいらしいアイドル系」が多いような気がしますね。
実は、近所のスーパーで買い物をしていても、可愛いコをよく見かけます。大体、小・中学生くらいなんですけど。あと、友人たちが生む子供が、小さい頃から整った顔をしているコばかりというのも、以前から感じてました。時代の流れだと思っていたのですが、地域差ってあるものでしょうか。そんなことないですよね?
こんな考えをすると、反発する方もいらっしゃるかもしれませんが、これはもしや遺伝子のなせるワザ?埼玉は、ご存知のようにベッドタウンで、実は生粋の埼玉出身者は少ないです。色んな土地からやってきて住み着いた人ばかり。日本の中でも混血化が進んでいる場所なのかもしれません。それが年代を追うごとに進み、若い世代ほどその影響が顕著に出ているとか…。
当然、人口が多いんだからってことはいえるでしょう。地の利というのもあります。東京に近く、たとえ義務教育の年代でも実家にいながら芸能活動ができる。
しかし、神奈川や千葉も条件はあまり変わらないはず。今ひとつ、納得のいくような説明を考え付きません。誰かおせーて!

以前から、地域性というものに興味がありまして、いわゆる県民性というのもおおまかな傾向としてありうると考えてました。最近、U局の放送を見ていて感じることがありまして。
TVKを観るようになって、神奈川県の保守的な部分をひどく感じるようになりました。よく言えば、伝統を重んじる。悪く言うと、感覚が古いっていうか、昔のまま停まっている感じがします。たぶん20年くらいは時間が止まってる…音楽とか、お笑いとか、全然イケてない。(※個人の感想です)
テレ玉を観ていると、これが真逆で、ひどく前衛的でアグレッシブ。(※個人の感想です)
最近の埼玉県民の県民性はですね、中身は前衛的だったりアグレッシブだったりするのに、それを積極的に外に出そうとせず、内に篭っている感じがします。それが、自分さえよければよいという考えや自己満足に繋がっているような感覚。だから、批判されても堪えない。いろんな地域から流入してきたバラバラの集団ですからね。人のことなんか考えちゃいないんです。ある意味、殺伐としているとも言える。だけどこれが逆に働くと、人がどう考えようがやりたいようにやるという個性に繋がるのかもしれません。独自の考えで動く個性的な人間が育っていくかもしれませんよ。秘めたエネルギーを外に放出すると、「火傷するぜ!」くらいの破壊力に!(笑)しかしこれは、埼玉県南部に特有の特徴かもしれません。北部の人はまた違う気質のような気がする…。
ちなみに、よく比較される千葉県民は、もっともっと穏やかで明るく開放的な傾向にある気がします。ファッショナブルで遊び好きで正直。多少軽薄なイメージはありますが、埼玉県民が隠し持っているような”毒”はありません。
またまたちなみに、昨日のクイズ番組で知ったのですが、神奈川県について。「ひったくりの認知件数」と「教師に対する暴力件数」が大阪府に次いでともに全国2位ということでした。意外に荒れてるのね。神奈川の場合は、勝手な想像によると、保守的なことを求められるあまり、抑圧されて反発するエネルギーが高まっているのかもしれませんよ。神奈川県は、交通事故が減っているそうですね。とてもいいことだけど、よく管理されているようなそんなイメージもありますな。

なんか今日は、けっこう毒を吐いたような気がする。デトックス?
ということで、東京の近県に住まうことを冷静に考えるとしたら、人の気質を重視すると、千葉県に住むのが、一番オススメかもしれません。
しかし、ここまで言っておいて何ですが、埼玉もいい所ですよー!(←ウソくせー)
ラベル:埼玉県とは
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2009年08月22日

東京生まれの狸だよん

ゆうべ、私は恋をした。
その相手とは…東京ドロンパ!(爆)
FC東京のマスコットです。いや、何の気なく観ていたFC東京の番組で見かけて。ファン・イベントで城福監督がマイクを持って挨拶をしているシーンが映ってまして、その横で監督の話を聞きながらうんうんと頷いたり小さな動きを繰り返すドロンパがかわいかったので、動画を探しまして。観てみたら、それはそれはキュートなヤツで、すっかり虜になってしまいましたよ。
たしかにね、私はゆるキャラに弱いんですけどね。以前、日光江戸村に行ったとき、にゃんまげがかわいくて、当時は「にゃんまげに飛びつこう!」というCMが流れていまして、だけど私は大人だから飛びつかないもんねと変な自制心を気取っていたら、にゃんまげの方から「だっこしてあげようか?」的な申し出があり(ジェスチャーで)、「いやぁムリムリ。重い私を持ち上げるのは」と遠慮する私を、にゃんまげがお姫様だっこしてくれたということがありました!あのあと、にゃんまげの”中の人”は大丈夫だっただろうか(笑)友人に写真を撮ってもらったものの、現像に失敗したらしくて、その奇跡のようなシーンは記録に残ることはなかったのですが、記憶にはしっかり残っております。
しかしドロンパは、ゆるキャラとは一線を画してますね。市町村なんかの町おこし的な存在のマスコットと、スポーツチームのマスコットでは、まったく違うのはわかりますが。素早い動きで、走り回ったりダンスをしたり。狸穴生まれのたぬきですから、シティ・ボーイらしいですよ。ローラー・ブレードで走り回ったり、スプリングで飛び跳ねたり。えっと、”中の人”は一人なんでしょうか。(←”中の人”などいなーい!)
キャラクターそのものもかわいらしいのですが、しぐさがかわいいのですよね。
では、ここでひとつ動画をば。コチラ

スーパーゆるキャラとして有名なのは、なんと言ってもガチャピンですよね。あらゆるスポーツに挑戦するし。だけどあれは”中の人”を代えているだけで…(笑)
スポーツのチームのマスコットというと、現役を引退した選手がやったりするという話を聞いたことがありますが、みんな運動神経がいいですよね。あんなもの着たままで、バック転したりするんですから。かわいいナリで、そんなことしたりするから、見た人はギャップで喜ぶというわけでしょうか。

何にしても、昨晩は、ドロンパを見て脱力しっぱなしでした。
posted by nbm at 14:51| Comment(8) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

適材適所

ようやく、仕事も一段落。今日は、少し身体を休めようと思っておりまする。

今日は、久々にサッカーの話から。
しばらく前から、「Jリーグ日本人得点ランキング1位」と取り沙汰されるようになったFC東京のMF石川直宏選手。失礼ながら、「そんなに得点力のある選手ではなかったのに、なぜに急に?」と思ってました。いや、私の中では、選手としての評価は、五輪代表時代から高かったんですよ。サイドから優雅な走りで駆け上がるスタイルも好きだったのですが。いまひとつ才能が生かされていないようなと思っておりました。
昨年はたったの2得点(ケガとかあったのかな)、今まで最高でも5得点しかしていないのに、今年はすでに11得点。残念ながら今は肉離れを起こして戦列を離れてるんですよね?いつのまにか、清水エスパルスの岡崎慎司選手が同じ11得点でランキング1位に並んでいるようです。しかも、日本人だけじゃなくて、外国人選手を入れても、この2人はトップにならんでいます。ちなみに、サンフレッチェ広島の佐藤寿人選手が次点で10得点決めているのも、いいですね。個人的に、好きな選手なので。

先日、「GET SPORTS」で石川選手がインタビューを受けてました。それを観て、なるほどと納得。変貌には理由があったのですね。
特に、城福監督の存在は大きかったようです。昨年FC東京の監督に就任した城福さんは、動くサッカーを提唱し、選手は頻繁にポジション・チェンジをするようになったのですよね。監督から、もっとゴールに近いところでプレーをしてほしいと要求された石川選手は、今まで自分の最大の武器であったスピードというものを殺してしまうことに恐怖を感じつつも、プレースタイルを変えてみることに。今まで、トップスピードのままではゴール前でうまくボール・コントロールができなかった石川選手。ゴール前で持ち味のスピードをあえて抑えることで、逆にボールのコントロールがうまくできることを発見したという。スピードを落とせば、まわりを観ることもでき、他の選手との連携もうまくいく。走りこむスペースを見つける余裕もできた。
まわりの選手もよく動いてくれるので、ボールを持ち続けることに固執せず、自分はゴール前に走りこむことができる。ここぞというタイミングで、抜群のスピードでゴール前に走りこめる能力を、城福監督は見極めていたのですね。
そして、シュートについても、スピードをあえて落とすことで、GKの動きを読めたり、ゴールまでのボールの軌跡を考える余裕が生まれた。瞬時に判断し、意図的にキーパーから逃げるようなカーブをかけるシュートを打ったり、コースやボールの回転を計算する余裕が生まれているのだそうで。直線的に打つよりも、丸い軌跡で打つシュートは、キーパーが守るべき空間が広がるのですね。つまり、得点につながり易い。しかし、本来そういったシュートはボールの速度が落ちてしまうのだが、石川選手の場合は、ボールを蹴る力は7、8割にして、強さやスピードも保ちつつ、曲がるシュートを打っているという。
ボールがゴールに入るコースがイメージで浮かぶという石川選手。話を聞いていると、今までの経験で培った感覚というものを感じる。現在28歳。サッカー選手としては円熟期に入ったのかもしれない。チームを離れて、代表選手の中に入ってみたときに、どういう化学反応が起きるのか、ぜひ見てみたいものです。
しかし、石川選手の特性を見抜き、適切なアドバイスをした城福監督には、指導者としての並々ならぬ素質を感じますよね。
そういえば、岡崎選手にしても、これまた失礼ながら、数年前までは単にラッキーな選手だと思ってました。だけど今年になって、代表で使われているうちに、何かが覚醒した感があります。彼にも、昨年急に11ゴールをあげるようになり、そして代表でも活躍。どこかに何かのスイッチがあったとしか思えない。そのうち、探ってみましょう。

さて、先日たまたま見かけたU局でのオートレースニュースで、これまたびっくり!WGPで活躍したあの青木3兄弟の末っ子、青木治親選手は、オートレーサーへと転身していたのですね。125ccクラスで世界チャンピオンになった人ですよ。2004年に、オートレースにデビューしているようです。WGPで10代の頃から活躍していたものの、250ccクラスに上がってからは不運の連続。チームが脱税で摘発されたり、倒産したり。日本企業がモーター・スポーツから次々と撤退していく中、ヨーロッパでは自国のレーサーを優先させる動きもあり、ついにはライダーとして契約してくれるところがなくなってしまったようで…。でも、あくまでも走り続けたいということで、オートレースに転身。10ヶ月の養成期間を経て、晴れてオートレーサーになったとさ。当時すでに27歳。オートレースでは、1999年から、WGPなどで活躍した選手に限り、年齢制限を23歳から28歳まで引き上げて受け入れる対応をしているそうで、ギリギリセーフだったんだね。ちなみに、現在は年齢制限の上限は撤廃されたのだそうだよ。
その後、順調にオートレースでも活躍。新人賞や新人王を獲得してる。2005年には鈴鹿8耐に出て、クラス優勝もしてるんだね。(チーム監督はあの森且行)
ロードの世界はあまり目を向けていなかったもので、今までまったく知らなくて、この転身にはびっくりしました。
治親選手も、「走り続けたい」という思いから、自分の活躍できる場を求めて、自分を活かせる場所を見つけたのですね。

会社組織などでもそうですが、どんなに優秀であっても、そのとき、そこに必要でなければ、「要らない」ことになってしまうということがあります。逆に、その人の持っている特性を見抜き、適切な所に配置すれば、すごい力になることもありますね。
本人の素質や努力も当然あるでしょうが、適材適所という言葉を感じた2人でした。

posted by nbm at 11:23| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

ドキドキ大作戦(爆)

実は、仕事が混んでまして、忙しい日々を送っているのですが、ここのところ、朝起きると必ず両手がしびれているというような、非常に血行の悪さを感じさせる症状があります。
夜なべして、短時間の睡眠の後、一端朝起きてダンナさんを送り出すとゾンビのようになり、午前中はほぼ使い物にならず、少し仮眠をとったりして。お昼ごはんを作るときになって、ちょっと気合を入れてみるものの、今日当たりはテンションもおかしくて、限界を感じていたのですが…完全に脳内麻薬のお世話になっています。

安っぽい味のカレーが食べたくなって、いそいそとコンビーフ・カレーを作っておりました。
そこへダンナさんが帰宅。しばらく調理を続けていたのですが、ふと考えたら
「あれ?!ごはんが無い!」
カレーを作ってごはんが無いなんて、ありがちな失敗だけど、昼休みの小1時間の間にダンナさんに食事を供給しないといけないのに、どうしたら…
「パンがあるよ」とかダンナさんが提案してくれるものの、ちょっと少なすぎるし…。うーむ、予定を変更してそばでも茹でるかとパニックになりながらも考えをめぐらせ、そしてふと炊飯器を見ると…
「ごはん、炊けてた!」(爆)
そうです!ダンナさんに朝、パンを食べさせて送り出した後、「そうそう、ごはんが無かったわ」と、昼のためにご飯をセットしておいたのに、そのことをすっかり忘れてパニックに陥ったという…。
大丈夫か、オレ?
もう、大爆笑ですよ。どうなってるんだ、オレの脳ミソ?
ダンナさんには「昼休みの間にどんな”ドキドキ作戦”、仕込んでるんだよ!」とツッコミを入れられつつ、無事にカレーを作り、いただきましたとさ。
こんな2重のボケをかますなんて、なかなかできないぞ!

それにしても、睡眠不足とは恐ろしいものです。
脳の血流もかなーり悪くなっているものと思われます。
今も仕事をしていたわけですが、ちょっと休憩。
私にとってはお薬であるココアでアイスココアを作って飲んでます。
んじゃ、そろそろ仕事に戻るかね。
posted by nbm at 17:03| Comment(6) | TrackBack(0) | どうでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

夏休みもひと休み

お盆休みも終わり、ハルヒたちSOS団が<エンドレス・エイト>に突入するこの頃。確かに、学生だったら、「このまま永遠に遊んでいられたら」と思う頃でありましょう。『涼宮ハルヒの憂鬱』内では、ひとりの女子高生・ハルヒの思いから、8月後半の2週間が1万5千回以上も繰り返されることになるのですが…。今放映されているアニメ版では、マジにエンドレスかと思われた8回目の放送で、無限ループをようやく脱するに至りました。ふぅ。
現実の夏休みもあと2週間。学生のみなさんは、そろそろ宿題を片付けねばと、焦り始める頃でしょうか。大人になってからは、「ギリギリまでやらなかったなぁ(遠い目)」とか語られることが多いですが、私自身、その辺のペース配分にまったく覚えがありません(笑)「宿題やってないー!」と焦った記憶はないので、たぶん、”早めに片付けてしまって、あとは心置きなく遊ぼう!”派だったのではないかと。
算数ドリルや読書感想文、絵日記に自由研究なんてのが、夏休みの宿題の定番でしょうか。
かすかに覚えているのは自由研究。難読漢字を集めて自分なりに辞書を作ってみたり、マクラメを編んでみたり。中学時代の英語のレポートで、表紙に絵を描くという課題がありまして、当時お気に入りだったハンカチの図柄をまるっきり描き写しただけの絵だったのですが、なぜか何がしかの賞をいただいた記憶があります。夕暮れの海辺の絵で、グラデーションがきれいだったのですが、色鉛筆でシコシコ塗りました(笑)これ、レポートの内容じゃなくて、表紙の審査だったのが笑える!
最近は、書店で読書感想文を書くためのドリルのようなものを見かけます。中身を覗いてみたい。どんなことさせるんだろうか。しかし、手取り足取りこう書けああ書け言われて感想文を書いたら、自分の言葉でなくなってしまうような気がするが…。
本を読んだり、文章を書いたりすることは、得意ではないにしろ嫌いではなかったので、読書感想文は苦になりませんでした。学校が押し付ける課題図書ってのが好きになれなくてねぇ。勝手に違うものを読んでいたような覚えがあるけども。

夏休みといえば、やはりレジャーでしょうか。しかも、海か。
しかーし!海の無い埼玉県では、海に出るのが大変なのであーる!埼玉の若者が海に行く(海で泳ぐ)というと、千葉の九十九里方面か、伊豆のどちらか。時折、茨城や福島に行ったりもする。泳ぐ場合には東京湾は海ではないし、不思議と湘南あたりにはあまり行かない。どうせ行くなら、遠く綺麗な海にという意識が働くのか。なので、下田辺りで偶然知り合いに会ったりする。小さい頃の家族旅行で熱海、高校生くらいだと、電車で九十九里、大学生になると、車で伊豆という感覚だった。
学生時代に短期間アルバイトしていた浜が、先日テレビに映っていて、とても懐かしく思いましたわ。バイトの休憩時間に、”まな板サーフィン”をやったりしてたんだよな。
海に行くのでなきゃ、プールに行くという選択肢も。私は、父の仕事の関係でとある施設のプールが使えたので、誰もいないそのプールに父と兄2人とでよく行っていた。母は、日曜日はパート仕事ということが多かったので、母抜き。灰色のコンクリートでできた色気のない25mプールで、父に立ち泳ぎやのしを教えてもらっていた。いつ行っても、貸切状態だったなぁ。で、必ず次兄に寒冷じんましんが出て…(笑)中学生の頃は、海よりも友人同士で遊園地などのプールによく行ったような。流れるプールで延々流されたり、売店でラーメンを食べたりしてた(笑)
そういえば、東京都民も、都内に海はあるとはいえ、泳ぐようなところじゃないから、埼玉県民と同じように、プールや近県の海に行くんじゃないのかなぁ。

よく考えると、大学生の頃は、友人たちと海よりも山に行くことが多かったような。登山じゃないですよ。避暑感覚で。高原のペンションに泊まったりして。四駆で山を駆け巡ったりもしてましたしね。

今年のお盆は、どこへも行きませんでした。仕事が入ってしまったし。あまりにもPCにへばりついていたので、昨日はちょこっとお買い物へ。ダンナさんとスクーターで。購入したばかりの秘密兵器を使ってみたかったのですよ。それは、つかまりベルト!(→コレ
バイクなら、運転者と密着して前傾で乗るわけなのですが、スクーターは上体が立っているので、つかまるところがなくて、とても不安定なのですよ。一応ダンナさんの両腰に手を添えてみるものの、あまり効果はありませんでした。
んで、コレを使うと、格段に安心感・安定感がありました!よそ見ができる!(笑)ブレーキ時もベルトのグリップが体重を支えてくれるので快適。ベルトをつけているダンナさんも、別段苦しかったり腰に負担を感じたりしないそうで。ちょっと、かちょ悪いけどな(苦笑)かるくグリップを握っているだけで、とても楽しく乗れました!スクーターに2人乗りする方にはオススメ!

ロクにレジャーに行けなかったお盆休みでしたが、仕事が一段落したら、美術展にでも行って来ようっと。
ラベル:埼玉県とは
posted by nbm at 12:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

魂の帰還<リペイトリエイション>

とても眠いので寝ようと思い、落ちるまでと思って読み始めた『森と氷河と鯨』が、あまりにも衝撃的だったので、一気に読んでしまい、この衝撃が新鮮なうちに書きとめておかねばなるまいと思い、1日のうちに2冊の本の感想を書くという私のブログ史上未だかつてないことが起きようとしています(笑)ほんとか?

『森と氷河と鯨』は、写真家として知られる星野道夫さんの写真とエッセイで構成された本。副題の「ワタリガラスの伝説を求めて」というフレーズが気になって、手に取りました。
数ヶ月前、NHKで星野さんのことが取り上げられていて、星野さんの何らかの著作が読みたくなり、図書館で目に付いた本を借りたのですが、なかなか読めず、何度も何度も借りなおして今に至ったわけですが…
今さっき、最終章を読んで、愕然としました。この本は、星野さんの最後の仕事だったのでした。
星野さんは、1996年、カムチャッカ半島でヒグマに襲われて亡くなられました。私の中では、テレビ番組の取材中だったという認識だったのですが、実はそれはついでだったようで、この『森と氷河と鯨』という、雑誌「家庭画報」で連載されていた写真付きエッセイの仕事の方がメインだったのですね。
南東アラスカを舞台に、森と氷河と鯨と、そしてその地域に住む人々のことを書くというもの。しかし、この旅の初日に出逢ったクリンギット族のボブ・サムという人に多大な影響を受け、ワタリガラスの神話をきっかけに、モンゴロイドがいかにしてアラスカへと渡ったかという壮大なテーマを含むようになってしまった。南東アラスカでワタリガラスの神話を聞くにつれ、ベーリング海峡越しにシベリアではワタリガラスの神話がどう語られているのか気になって、シベリア側へと取材の足を伸ばすことになるわけです。
星野さんといえば”アラスカ”だったので、亡くなった地もアラスカだと思い込んでいたのですが、シベリアだったのですね。

この本の最後の章だけは、シベリアでの日誌をほぼメモのような状態のままに載せてあります。他の章が、きちんと練られた文章になっているだけに、文章化されなかった日誌が生々しいです。この章の冒頭に、星野さんが亡くなった経緯が書かれていまして、それを読んでまた愕然としました。星野さんがヒグマに襲われたのは、1996年の8月8日。命日はほんの数日前だったのですね。こじつけだと笑われそうですが、”呼ばれた”と思いました。 
私が星野さんの写真展を初めて観たのは、亡くなられてから2年後の1998年。それ以前からも写真集などをパラパラと眺めては来ましたが、書かれた文書をきちんと読んだのは、今回が初めてだと思います。

数年前から、ネイティブ・アメリカンの文化について、心惹かれるものがあり、徐々にそういった本を読んではいたのですが、アラスカのネイティブ・アメリカンについては、まだ触れたことがありませんでした。単純に、星野さんの撮られる美しい写真が好きだというのもありますが、ネイティブ・アメリカンの文化や神話に触れられることも、この本に惹かれた大きな要因でした。
私がネイティブ・アメリカンについて興味を持ったのは、ある夢を見たからでして。唐突に観たその夢は、非常にリアルかつスピリチュアルなもので、夢の中での私は13歳くらいのネイティブ・アメリカンの少年で、熊の毛皮を被っていました。細かくは省きますが、その夢を観たとき、自分がネイティブ・アメリカンの生まれ変わりとは言わないまでも、何らかの形で、ネイティブ・アメリカンと繋がっているような気がしたのでした。
単に姿かたちを見ただけでも、人類学的に繋がっていると、やっぱり思いますよね。
星野さんは、人類学的な見地というよりは、神話のつながりから、アラスカとシベリア、そして日本を含むアジアの人々が繋がっているという確信を得るのです。黒潮に乗って海から、もしくは古くは繋がっていたベーリング海を渡ってシベリア側から、アジアの民がアラスカへと渡った。この確信を確かにするために、シベリアへと行かれたわけです。そして、途中消えかけたワタリガラスの神話の通は、シベリアで再び繋がることを発見します。

他に印象的だったのは、トーテムポールの話。
トーテムポールというのは木でできている。つまり、いつかは朽ち果てるということ。文化人類学的に重要なアイテムとして、外国の博物館などに持ち去られ、そこで保存されていることに、トーテムポールを作ったハイダ族やクリンギット族の人々は納得がいかない様子だった。その土地に深く関わった霊的なものを、無意味な場所に持ち去ってまで、なぜ保存しようとするのか。自然の中に朽ち果てることで、そこが聖なる場所となるという。
それを聞いた星野さんは、”目に見えるものに価値を置く社会”と、”目に見えないものに価値を置く社会”との違いを思う。
いつものことながら、オカルト的でアヤシゲなことというのではなく、純粋にスピリチュアルな世界が、そこには広がっているような気がする。今現在の現実としての世界と、古来から受け継がれてきたスピリチュアルな世界は、レイヤー構造のように重なって存在し、感じ取れる人には感じ取れるというような…。ボブさんは、目に見えない世界を感じ取れる、残り少ない人間なのだった。その証拠に、彼の部族の長老たちは、部族に伝わる門外不出の神話を伝授する人物として、ボブさんを選んだのだそうだ。
日本も、もともと”目に見えないものに価値を置く社会”ではなかったか。その片鱗は今でも感じることはあるけれども。

アラスカのネイティブ・アメリカンのクラン(家系)は、大きく分けるとハクトウワシとワタリガラスの2つになるそうだが、それぞれに属する枝分かれしたクランがあるという。例えばクマは、ワタリガラス系に属する最も強い家系とされる。神話では、創世の神であるワタリガラスが最初に創ったのがクマだったとか。
私は自分が見た夢の中でクマの毛皮を着ていた。ということは、クマのクランで、ワタリガラスの家系だったのかもしれない。

もうひとつ、このシリーズの隠れテーマは”時間”だった。星野さんは、「家庭画報」の編集者に送ったメモにこう書いているという。
最終的なテーマは、森と鯨と氷河をつなぐものです。つまり森も氷河も鯨も同じものではないかということです。つまり時間というものがテーマのような気がします。

現在は後退を続けるアラスカの氷河。けれども、いつの日かまた前進を始める時代がやってくるだろうと星野さんは語っています。長大な時間の流れを感じずにはいられないアラスカの地。そして、シベリアも。生命が誕生しては消えていく、延々と繰り返されてきた静かな営みの中に、星野さん自身も取り込まれてしまった。そんな気がします。
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クレイマー・クレイマー・クレイマー

昨日はけっこうな揺れの地震。そして、今日は土砂降りでございます。そんな中、年に何回あるだろうかという早起きをしてみました。ダンナさんが早くから出かける用事があったからなのですが、正直超ねみーです。けども、せっかく起きたので、早々ブログ更新なんかしちゃいます。
昨日の地震は、「ついに警戒されていた首都圏に来たか?」と思ったのですが、震源は東海沖の深発地震でしたね。最初に来たのが小刻みな縦揺れだったので、震源が近いのかと思いましたが、よくよく考えてみれば、その後の大きな横揺れはだいぶ時間が経ってから来ましたから、遠隔地なわけでした。規模がデカかったものの、深発で助かりましたね。ただ、これしきの規模で、溜まっていたエネルギーがすべて開放されたとは思えないので、逆に続いて地震が起きることを警戒した方がよいと思われ…。
実はしばらく、震度でいうと5クラスの地震が国内で起きていなくてですね。ということは、けっこうなエネルギーを溜め込んでいる証拠だったので、そろそろ大きめのがどこかに来てもおかしくない状況でありましたし。
昨日は首都圏が揺れたとはいえ、震源は遠い所だったわけで、首都圏直下のエネルギーが放出されたわけじゃないんですよね。むしろ本番はこれから。というわけで、東海にしろ、首都圏にしろ、まだ警戒した方がいいと、私個人は思います。

さて、またまた本の話で恐縮です。
今日は、海堂尊さんの『極北クレイマー』です。
海堂さんの作品は、互いにリンクしているようで、出版された順番に読めばよかったのかもしれませんが、私は最初の『チーム・バチスタの栄光』を読んだ後、数作飛ばして『極北クレイマー』を読んでしまったので、読みながら、登場人物について、「たぶんこの人は途中の他の作品に登場していた人物なのだろうな」と想像しつつも、リンクが楽しめなかったのがちょっと残念。
それでも、あいかわらず、エンターテインメントの中に現実の医療問題を織り込んだ作品になっておりました。
北海道極北市にある極北市民病院が舞台。モデルはやっぱり夕張市?ここに大学病院から非常勤として派遣されてきた外科医・今中が主人公。財政難を抱える市が運営する市民病院の実態を描きつつ、市長や市役所の思惑があったり、厚生労働省の天下り先が病院の格付けをする機関を作って甘い汁を吸っていたり、医者の地域派遣の問題に触れたり。軸になるのは、どうやら実際の事件がモデルになった、帝王切開時の死亡事例。小説の中では、前置胎盤によって出血多量となり死亡に至ってしまったけれども、非常にレア・ケースの症例で、執刀した産婦人科医が業務上過失致死に問われるのはいかがなものかというスタンス。

いろいろなことが複雑に描かれているわけですが、タイトルが示すとおり、今作で海堂さんが訴えたかったことは、”総クレイマー化”について。
物語の終盤、破綻した病院に派遣されてきた病院債権請負人・世良に語らせています。
日本人は今や一億二千万、総クレイマーだ。自分以外の人間を責め立てて生きている。だからここは地獄だ。みんな医療に寄りかかるが、医療のために何かしようなどと考える市民はいない。医療に助けてもらうことだけが当然だと信じて疑わない。何と傲慢で貧しい社会であることか。

タイトルの意味が、最後の最後にくるまでわかりませんでしたが、この強烈な部分で、やっとスッキリ。
物語の中では、献身的に働く産婦人科医の帝王切開時のたった1回の死亡症例を、メディアがそろって悪意的にとりあげ、逮捕にまで発展してしまいます。不幸な症例ではありますが、その結果、法的に拘束され、病院での診療が続けられなくなれば、困るのはその病院の地域の妊婦さんたちです。逮捕が妥当かどうかは、素人にはまったく判断ができませんが、常にそんなリスクを背負わされているとしたら、医者はかわいそうな職業ですね。

ここで、ちょっと小耳にはさんだ話。
年配のご婦人が、知り合いの若い母親と出産一時金の話をしていたら、「もらっても、病院によっては足りない」と文句を言っていたという。年配のご婦人は、心の中で「自分の頃はもらえなかったものなのに。もらえるのが当たり前だと思ってるのね」と思ったそうだ。
時代の違いがあるのはわかってる。自治体によっても格差があるだろうし、当然のことながら何がしかの給付金をもらったって足りないってことはあるでしょう。公的援助で支えないと生活が成り立たない人がいるのも事実。だけど、いつのまに、そういった援助を受けるのが当たり前と頼り切るようになってしまったんでしょうね。公的援助が悪いことだとは思いませんが、受ける側のモラルの低下が否めないような気がして。「ありがたい」と受け取るのはわかるけど、「足りない」と文句を言うのはいかがなものかと。
医療とはちょっと離れた話ですが、気になりまして。

じゃ、医療の話ね。
学生時代、中学生の臨海学校の食事を作るバイトをしたことがあります。その中学の卒業生で、医大に通っている学生たちが、やはり保険医がわりのような形でアルバイトに来ていました。夜はヒマだったので、一緒に遊んで過ごしていたわけですが、医師となるであろう彼らの言動を聞いて、少なからずショックを受けたものです。彼らは、患者さんを人とも思わないような扱いをしていました。まだ若かったし、その後の彼らが変わっていてくれることを願うばかりですが、こんな医者にはかかりたくないなと思ったのを覚えています。
学生時代から、色々と病院通いをしてきた経験があるので、医者の姿をたくさん見てきました。上記のような経験があるので、私は医者を観察し、きちんと診てくれる人物かどうかを判断するクセがついています。当然、いい医者もいれば、ちゃらんぽらんなヤツもいます。せっかく信頼できそうな医者とめぐり合っても、転勤なのか開業したのか、いつのまにか居なくなっているなんてこともありました。それも、本人の意思なのかどうかもわかりませんけど。医者というものについて、ひとまとめにしてどうとは言えないってことですね。

人は立場によって、考え方が違ってくるというのも、最近よく感じることなのですが。例えば、子供の脳死と臓器移植の問題がありましたね。臓器を欲しがっている子供の親と、脳死状態の子供の親と、立場が違えば真逆の主張をするのは理解できます。
Aさんにとっては悪い医者でも、Bさんにとっては良い医者だったりすることもあるはずで、口コミの評判も意外と当てにならなかったりします。

権利ばかりを主張するのはどうかと思うと言いながら、自分が医者にかかるときは、ある程度わかっていれば、病気に関することを調べてから診てもらい、自分の症状をまとめておいて説明した上で、医者には徹底的に質問します。そういう態度でいくと、この患者には下手なことはできないと思うようで、医者も本気で対応してくれるからです。最初は横柄だった医者の態度が急変することもあります(笑)医者にとっては厄介な患者かもしれませんが、自分の病気について知識を得ることは、自分を守ることにもなると私は思っています。

ちょっと、散漫な文章になってしまいました。超ねみーので、許してください…。
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2009年08月08日

ヴェスパ・マンダリニア

先日、テレビでスズメバチの巣を獲る様子を流してました。途中から観たもので、地域的にどこなのかよくわからなかったのですが、日本の山村。駆除というのとは違って、”ヘボ”と呼ばれるクロスズメバチの巣を、食用のために獲るということでした。ハチノコというと、長野県という連想をしますが、長野県じゃなかったような。
カエルの肉で小さな肉団子を作り、ヘボをおびき寄せ、そいつに目印の小さなコヨリをつけて放ちます。エサを得たそいつは、巣に向けて一目散。ひらひらするコヨリを追っていけば、ヘボの巣を発見できるという寸法。巣を発見したら、セルロイドに火をつけて煙を発生させ、ハチたちを麻痺させてから掘り起こします。巣は土中にありました。掘り起こす人だけは完全防備してましたが、まわりの人は無防備。つわもの…。
ハチノコはゆでて冷凍しているのか、混ぜご飯などにたっぷりと入れて食されてました。お酒にも浸かってたな。ヘボ獲りの途中で、小さなマムシと出会うのですが、それも捕まえて皮を剥ぎ、焼いて食ってました。タンパク質って大事ね。

ちょうど、『風の中のマリア』百田尚樹 著)というスズメバチを主人公にした本を読んでいたところで、この番組を興味深く観ました。
オオスズメバチのワーカー(働きバチ)マリアの視点で描かれる物語。「ヴェスパ・マンダリニア」とはオオスズメバチの学名です。動物や昆虫を擬人化して主人公にしてしまうと、どうも子供っぽい話になりがちですが、なかなか上手に書いてあるお話でした。知っているようで知らなかったスズメバチの生態を垣間見ることもできて、危険な生物だけに、近くで観察できるようなものでもないから、興味深いことばかりでした。
例えば、スズメバチが肉食というのは幼虫の時だけで、成虫になると、幼虫が出す蜜をエネルギー源として動き、肉は食べないということ。ハチの分泌物は栄養価が高いことで知られていますけど、成虫が一切肉を食べないとは知らなかったっす。幼虫から成虫に変態すると、翅が生え、足が生え、体が硬い甲殻に覆われと劇的に変身するわけですが、体の内部のしくみも劇的に変化しているのですね。
それから、ミツバチの蜂球の話。巣に侵入しようとするスズメバチをミツバチの大軍が囲んで発熱し、その熱でスズメバチを殺すという攻撃方法。これは、スズメバチよりも体温をわずかに高くあげられるミツバチならではの攻撃。しかし、蜂球を作るのがニホンミツバチだけだとは知りませんでした。セイヨウミツバチにはできない荒業だったんだ!大抵、日本原産の種って、外来生物よりも弱っちいじゃないですか。なんだか、たくましいニホンミツバチの姿がたのもしく思えました。もちろん、必ずスズメバチに勝てるってわけじゃないみたいだけど、それでも大きな武器を持ってる。敵わないと思ったときは逃げ出すそうですが、それでも、何の策も持たずに全滅するまで戦ってしまうセイヨウミツバチに比べれば、したたか。小さな島国でのんびり育ってたら弱っちくもなるってもんですが、ニホンミツバチはがんばってるじゃないですか。

しかし、なんといっても一番興味深かったのは、雌雄の決定の仕方の仕組みと、ゲノムの受け継ぎ方。つまり、いかにして種の保存がなされていくかという話。
よく知られているように、働きバチはみんなメス。そして、卵を産む女王バチも当然メス。じゃあ、オスはどうしてるのか。
女王バチを失った巣では、働きバチの中から産卵能力を持ったものが現れる。女王バチは働きバチの生殖能力を抑える”女王物質”というフェロモンを出しているんだけど、女王が死ねばフェロモンが消え、働きバチの生殖能力が復活するという仕組み。で、元働きバチの誰かが擬女王バチとなり、産卵する。だけどそれは、無精卵で、この卵から生まれるのはオスになる。
つっこむと難しくなるんでやめとくけど、スズメバチってのは性染色体をもたない生物らしい。性を決めているのは、ゲノムの数。受精卵から生まれると、父と母と一つずつで二つのゲノムを得てメスになり、夢精卵だと母のゲノム一つしか持たないのでオスになるということ。そうすると、子供には50%しか伝わらないゲノムが、働きバチの姉妹同士なら遺伝子の共有率は75%。子供よりも姉妹の方が遺伝子的に近いことになる。働きバチがせっせとエサを肉団子にして運び、妹たちを大事に育てる理由はここにあるのかも。

夏から秋にかけてのほんの数ヶ月のスズメバチたちの物語が、マリアの一生を通して語られていきます。幼かったマリアは、幼虫時代には姉たちから肉団子を与えられて育ち、成虫となると狩りに出て、自分が妹たちにエサを運ぶ。
巣が成熟してくると、女王バチは最後の力で次の女王バチ候補たちを産み、受精卵が尽きると、オスバチも誕生してくる。そうして、女王バチがお払い箱となって、擬女王バチが現れる。
その頃には、次の女王バチ候補のために、栄養価の高い豊富なエサが必要となり、ミツバチなど他のハチたちの巣を略奪を始める。略奪した他種のハチを喰らい大きく成長した女王バチ候補たちが、そこから巣立っていき、また新たな巣を形成するという…。
こうやって、自分たちのゲノムを残していくわけですよ。

自分たちの知らないところで、営々とこんな営みが続けられているのだなぁと、しみじみ。この営みが続いているからこそ、今もスズメバチが生きているわけで。
戦士マリアはひと月ほどの命。彼女たちにとって、1日という時間がどれほど濃密な時間であるか。人間にとってみれば、2,3年にも相当するでしょうか。その間、定められた使命にしたがって、獲物を狩り、外敵と戦い、死んでいく。恋することもなく、ただただ妹たちと女王のために一生を捧げる。巣という名の社会で決められた役割とはいえ、なかなか考えさせられるものがありました。

ハチやアリなど、社会的に集団で生活する昆虫には興味があるのですが、ベルナール・ウェルベル『蟻』シリーズ以来の面白い読み物でした。

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2009年08月05日

動くジオラマ

現在YouTubeで、<わたしの好きな場所>という企画が展開中。Google Mapとの連動企画のようです。
そこで人気の動画が、とても面白い。mockmoonという方の動画です。コチラが、YouTube上のmockmoon channel。ビルの上など、東京の風景を高い位置から見下ろしたアングルで撮っている動画なのですが、まるで”おもちゃ”。ジオラマのように見えます。
Tokyo Miniatureシリーズがオススメです。他にtrainシリーズなども面白いですが。
どうして”おもちゃ”みたいに見えるのか不思議に思っていたところ、微速度撮影という方法で撮影されたものであることを知りました。つまり、コマ落ちしているのですね。本来、長時間撮影しないと変化がわかりにくいもの、例えば星の動きや夜明けなどを撮影する場合に取られる手法のようなのですが、同じ手法で街を撮ると、こんな風に見えるんですね。
調べていくうち、大自然を撮った美麗な映像に出くわし、以前観たことを思い出しました。同じ方の作品だったのですね。上で紹介したところでも観られますが、continuous shatterというmockmoonさんのブログでも紹介されています。この方、ピアノもご自分で演奏されてるのですね。しかも、自作の曲。星空の映像などは、フルスクリーンのHDで観ると、もうほんとに感動ものです。心が洗われるようです。
こんなにもダイナミックに世界は日々変化しているのだなぁと、そんなことを教えてくれる映像でもあります。あぁ、地球って美しい!

高い所から地球を撮った映像というのを、最近よく目にする気がします。Google Earthとかもそうなのですが、”惑星としての地球の表面”を観察するのは面白いものですね。宇宙から見ると、そんな風に見えるのかって。UFOとか宇宙人とか、よくわからないけど、もしUFOに何かが乗っているのなら、そうやって上空から地球を観察するのって、ものすごく面白いことなんじゃないのかなぁと。

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2009年08月04日

本の処方箋

先日、チャカチャカとテレビのチャンネルを変えているときに、『エチカの鏡』で紹介されていた<読書のすすめ>という書店を知った。面白い書店だったので、どこにあるのかとその場で検索したら、HPは大変なことになっていたようで、繋がらない…。そりゃそうだよな。きっと、放送翌日からは、自分にもピッタリの本を探してもらおうという人たちで、お店はひどいことになってるんじゃ…。と想像していたら、やはりHPはパンク、電話もパンクしていたらしい。ちなみに、この書店の場所は、東京都江戸川区。HPはコチラ
この書店を経営する清水克衛さんは、”本のソムリエ”と呼ばれているという。お客さんの悩みを聞いて、ひとりひとりに合った本を勧めてくれるそうだ。こういう人は有難い。けれども、たくさんの人を相手にすることは難しいだろうに。
清水さんの勧め方はなかなか面白い。例えば、恋愛に悩んでいる人には、「相手が何を欲しているか」を考えてもらうために、常にお客さんのことを考えているビジネス書を勧めるとか。変に、カウンセラー的な本や和む本を勧めているわけではないところに好感が持てる。新しい本ばかりでないのもいい。

個人経営の小さな書店では、売れ筋の新刊や雑誌などが主体となりがちなのが哀しいところ。インターネットを通して、簡単に本が買える時代。小さな書店は経営が難しいことぐらい想像できるけど、正直つまらないよね。
清水さんは、1日に10冊もの本を読んできたという。大好きな本に囲まれて暮らせると思いきや、大型書店を優先させる出版社の考え方から書店の経営がうまくいかず、何かを模索していたのでしょうね。だけど、その不遇の時代に実践していたことが、やがて花開く。ありとあらゆる本を読んできた清水さんには、お客さんのニーズにあった本を提示できるだけのデータが蓄積されていたというわけだ。こういうものは、長い時間をかけて、地道な努力をしなければ出来あがらない。例えば、インターネットで検索をかけてみたところで、読みたい本や求めていた答えなんて、簡単には出てこないもので。清水さんのようなデータが詰まった頭を持っている人間と会話することではじめて、はじき出されてくる結果があるのよね。
多少は心理学も勉強されたのだろうなと思う。それも1日10冊の読書のおかげかもしれないけど。もはや精神科医のようだ。お客さんの悩みに対して、的確な処方箋を出す。処方箋は、寄り添うように優しく出される場合もあれば、まったく違った側面からブレイクスルーできるような強いものもある。もちろん、お客さんによっては、処方箋が合わない場合もあるだろうけど。

そんなにたくさん読むわけじゃないけど、私にとって、読書は娯楽。だから、自分が楽しいと思うものしか、ほぼ読まない。
ちょっと自分の本の選び方を振り返ってみようと思った。

【パターン1】気になる新刊
いわゆる売れ筋ランキングとか、ほとんど気にしないのだけれども、新刊でも気になるものがあれば読む。ただし、図書館に予約を入れるので、順番が回ってくるまでに数ヶ月かかることが多い。なので、読む頃には新刊じゃなくなってるけど。
内容が気になる場合と、好きな作家さんが書いている場合とがある。
例えば、今手元にあるのが、2冊。
1冊は、内容が気になった『風の中のマリア』。オオスズメバチの世界の物語。著者は百田尚樹さん。スズメバチが主人公ってだけで、面白そうでしょ。実際面白かったし。詳しくは後日書きます。
もう1冊は、海堂尊さんの『極北クレイマー』。海堂作品はまだ『チーム・バチスタの栄光』しか読んでないんだけど、エンターテインメントの形をとりながら、「この人は医療の様々な問題を提起したいのだな」と感じさせるところが魅力。

【パターン2】映画・アニメの原作
映画やアニメの情報が先行して、原作に興味を持った場合。
今、読んでいるのは西尾維新さんの『化物語』(上・下)。西尾作品として初のアニメ作品となりました。以前から西尾作品をどこかで読みたいと思っていたので、まずは『化物語』から。まだ途中だけど、これは立派な文芸作品だね。
図書館の新刊の棚で見つけた『ミーシャ ホロコーストと白い狼』(ミーシャ・デフォンスカ著)は借りている間に時間がなくて読めず、残念ながら返却。そのうちにまた読もうと思ってます。これは映画をptdさんのブログで知ったのですが、原作本が出ているのも知らず、図書館で見つけて喜んで借りたのですがねぇ…。

【パターン3】興味本位
例えば、”漢字の成り立ち””ナイト・ハイク””粉粒体”など、興味が出たものに関連した本。
今手元にあるのは、星野道夫さんの『森と氷河と鯨』。だいぶ前になりますが、NHKの番組で特集されていて、星野さんの写真は昔から好きで、展覧会にも行ったりしましたが、あらためて星野さんの感じたこと・考えたことを読みたくなって。

【パターン4】衝動借り
図書館の本棚を見てまわっているうちに、気になったものを借ります。これが一番とんちんかんで楽しい。
今手元にあるのは『風の名前』(高橋順子:文/佐藤秀明:写真)と、島田雅彦さんと茂木健一郎さんの対談『クオリア再構築』

このところ、仕事が混んでいるので、手元にあるのは6冊と少な目です。うち、まだ1冊と3分の2しか読んでませんが。

本選びで私のオススメは、この【パターン4】。しかも、図書館をオススメします。大型書店でもいいけど、さすがに古い本はなかなかないからなぁ。書棚を見てピンと来ない場合は、端末で検索してみることをオススメします。なぜなら、読みたいような本が書棚になくても書庫に眠っていることもあるから。ちなみに、人気の本や新刊はずっと借りられっぱなしで、本棚になぞ並んでません。だから、目に見えない蔵書を端末で探すのは有効な方法。司書の方に相談するのもいいかもしれません。司書の方の実力にもよるけど、親身に探してくれるのは間違いない。
どこかつまらない時は、普段、自分が読まないジャンルの本を物色するのもいいかもしれません。意外と掘り出し物が見つかるかも。
個人的に、心が疲れているときのオススメは児童書とか絵本、もしくはティーン向けのコーナー。子供の頃に慣れ親しんだ本は、幼い日のアルバムを見返すのと同様に、心の安定をもたらしてくれるかもしれません。(←ホント?)

私は決して読書家というわけではありません。読むジャンルも相当に偏っているし、真面目な文芸作品を読むことも少ないし。だから、面白い本をオススメすることはできないけど、面白い本に出合えるかもしれない方法を挙げてみました。
「誰それの書いたこの本が読みたい」という明確なものがあれば、インターネットで検索したり、書店で購入したりするのは簡単です。でも、そうでないもの、つまり”自分が知らないもの”を知るには、自分が足を使って、直に目で見て探すのが一番。あとはインスピレーションの問題です。偶然の出会いを楽しみましょう!

posted by nbm at 11:50| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする