2009年09月29日

ほたる星の灯かり

近隣の小さな書店の中をふらふらしているときに、思わぬ作品を見つけました。小さな書店ですから、ハードカバーは新刊しか置いてないようなお店。だけど、ひどく懐かしい本を見つけたのでした。
思わず手に取ったのですが、「あれ?なんか装丁が違う…」。それもそのはず、新しい装丁になって発刊されたようでした。それは、長野まゆみさんの『改造版 少年アリス』。『少年アリス』は、長野まゆみさんのデビュー作。当時は濃いグリーン一色の装丁だったと記憶しています。かつては所蔵していたので覚えているのですが、どうやら、今流通しているバージョンは初版のものとも違っているようです。たしか、図書館には初版のものもあったはず。今度借りてきて、再読してみることにしましょう。しかし、変わっていたのは外側の装丁だけではなかったようです。たしか、旧字体が多用されていて、慣れないと少々読みにくい感さえあったのですが、それが無くなっている。ストーリー自体をすっかり忘れていて、新鮮な気持ちで読んだのですが、内容も”改造版”とあるように、単に新装されただけの作品ではないみたい。
調べてみると、長野まゆみさんのデビュー20周年記念として、企画されたもののようです。コチラから”立ち読み”ができます。改造に当たってのご本人の説明もありますし、いかに改造されたかがわかる草稿も見ることができます。ものすごく変わってる!(笑)だけど、もう20年も経っていたのね。
改造版では、巻末に「少年アリス辞典」が付いています。アカハラ、アケビ、クロツグミ、群青、サルトリイバラ、真鍮、水蓮、スカラ座、セルロイド、ノウゼンカズラ、バターミルクいろ、ハリエンジュ、薬包紙、ラピスラズリ…。『少年アリス』は、少年を主人公にしたファンタジーなのですが、使われている細かなモチーフすべてが、その幻想的な世界を構築する匂いを放っているようで、人間には備わってないはずのヤコブソン器官が目覚めるような感覚を覚えます。この本をきっかけに、それからしばらく長野まゆみ作品にハマったものです。しかし、イメージは強烈に残っているものの、お話の内容はすっかり忘れてしまっているので、他の作品ももう1度読み返したくなりました。

長野さんは、執筆に鉛筆、それもSTABILO micro 8000を愛用されていたようなのですが、それがこの20年の間に廃番となり、やむなくSTABILO micro 288を使用しているとのこと。女子美大出身の長野さんは、挿絵もご自分で描いています。自分の創りだした物語にぴったりの挿絵が描けるわけですから、なんと理想的であることか。

水蓮のひらく音がする月夜だった。

この一文から始まる物語。少年・アリスは、石膏をかたどって、やすりで磨いた”細工たまご”をポケットに入れ、親友の蜜蜂と蜜蜂の飼い犬・耳丸とともに、夜の学校に向かいます。暗い道を照らすために、”ほたる星”を捕まえてからすうりの中に入れ、それを腰につけて、灯かりに。”ほたる星”は架空の生き物。
この灯かりのビジュアルの想像に近いものを見つけました。金井一郎さんという方の作る植物ランプ。コチラ。不思議な灯かりです。
偶然の符合なのですが、redpillさんのブログのお写真、「光華」。ほおずきに明かりが宿ってる!とても綺麗で不思議な画なので、コチラもご紹介させていただきます。
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2009年09月27日

固定観念をぶちやぶれ!

久しぶりに本格的な風邪を引きました。といっても、ノドが腫れて、少々の咳と鼻水が出る程度。高熱というほどの熱も出ないんで、病院に行ったりすることもしませんでしたが、もしかしたら新型インフルエンザという可能性もゼロではないわけですよね。えへへ。今日は症状が出て3日目くらいで、締めくくりにといった感じで頭痛がしてましたが、ようやく一通りの症状が出て、回復に向かっている気がします。

私が臥せっているので、ダンナさんは”ギー太”と共に友人宅へとセッションに出かけて行きました。最近、周囲でDTM(デスクトップ・ミュージック)熱が高まっており、しかしギターくらいは生音で入れたいということで、天袋に眠っていたフライングVが発掘され、楽器店のメンテナンスでもやらないくらいにバラバラに分解した後にピカピカに磨き上げて、弦を張りなおし、再度命が吹き込まれたというわけでして。

んで、残された私は、床の中から映画でも観ようと、選んだのが『アフタースクール』
ネタバレは極力避けたいのですが、今回の記事では一応ネタバレ注意ということで。

いやぁ、感服いたしました!監督&脚本を手掛けた内田けんじさんはすばらしい!『運命じゃない人』の方を先に観たかったけどな。
『アフタースクール』のHPはコチラ。主人公(と言っていいのかな)は、大泉洋演じる中学校教師・神野。ある日、神野の中学時代の同級生でエリートサラリーマン・木村(堺雅人)が失踪。ある筋から失踪した木村の行方を追うように依頼された探偵(佐々木蔵之介)が、木村を調べるうちに神野のもとにたどり着き、同級生のふりをして神野を巻き込み、木村のことを調べ始める…。筋としては、こんな感じ。
計算しつくされたミスリードに乗せられまくる作品でございます。それを思うとき、これは映像でなければ成し得ない作品だなと思うのです。最初の、団地の1室での朝食のシーン。誰が観たって、身重の妻とその夫。そして、妻の父親という構図に見えるはず。ひとこともそんなこと言ってないけどね。
映像でなければ表現できないというのと同時に、考え抜かれた配役が効いてます。人の良さそうな教師、真面目なサラリーマン、アヤシゲな探偵、歌舞伎町のヤクザ、団地の管理人さん…。”この人はきっとこういう人”という固定観念めいたものが、この作品をややこしく又楽しく見せてくれるわけです。コメンタリーで大泉さんでさえ、「この人は悪い人でしたっけ?」と混乱してましたし(笑)
映像という情報が、いかに大きなイメージを与えるかということなのですね。裏返せば、映像に映っていることは、どうにでも解釈できるということにもなります。それを突きつけてくれた作品でありました。
以前の「ホットペッパー」のCMのように、映像に全く違う意味のアフレコを付けるという手法がありますが、その後様々なMADムービーが生まれました。映像とセリフとの間にギャップがあればあるほど、楽しい作品になりますね。
読書の醍醐味を語るときに、文字を読むことで、読んだ人それぞれが個別に想像の世界を作り上げることができるすばらしさを挙げたりしますが、『アフタースクール』という作品は、映像というものにも、観る人に想像させることができるということを教えてくれた映画でした。

1回観て、これはぜひ監督のコメンタリーを聴いてみようと思ったのですが、途中で寝ちゃいました(笑)あらためて、ちゃんとコメンタリーを聴きながら、映像を観たいと思います。
コメンタリーを聴いて感心したのは、セットや小道具に凝っていたことでした。探偵のアジトである大人のおもちゃ屋は、廃校の中に作られたセットだとか。その中で、たまたま美術さんが配置したぶたさんの貯金箱が活用されたとか、中学生時代の映像で隅っこに映っているコたちが持っているレコード・ジャケットも、その時代に流行っていたものを探してきて使ったとか。それぞれの衣装も、絶妙だったと思いますし。限りなく何気なく見える映像を作り出すことが、成功の秘訣だったはず。映画というものが、監督や役者さんだけでなく、いろいろな人の力で出来上がっていることを感じさせてくれました。

「教師はいい人であるはず→教師にロクなヤツはいない→???」という風に、固定観念を何度もひっくり返す場面が出てきます。オセロの駒のように、くるくると。それが、気持ちいい作品でした。
posted by nbm at 19:29| Comment(4) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

トーマス・マンは偉大だった…


necker
昨日の話。
朝っぱらから電話が鳴る。出てみると、相手はしゃべらず。「もしもし?」と1回確認すると、なんだかごにょごにょ言っているが、聞き取れない。「もしもし?」ともう1度確認すると、男の小さな声で「今ひとり?」と聞いてきた。何も言わずに、速攻、切る。
「朝っぱらからH電話だよ(笑)」とダンナさんと笑っていると、またすぐに電話が鳴った。コイツは同じヤツに違いないと思い、ダンナさんが野太い声で「は〜い」と出ると、今度は向こうが速攻で切ったらしい。ざまみろ。朝っぱらから気色悪い電話かけてくんな!ボケ!
ところで、家の固定電話が鳴ったときは、こちらからは名乗らないことにしている。大概はセールスか、間違い電話。じゃなきゃ今回のようなおかしな電話(笑)家族や友人、公的機関などからかかってくることもたまにはあるけど、さして支障を覚えたことはない。マナーからしたら感じ悪いだろうけど、余計なことは言わないようにしている。つまり、苗字を名乗ることすら余計なことに含まれてしまっているという悲しい話。

さて、しばらくぶりの記事になりました。redpillさんに脳科学者・茂木健一郎さんとサイエンスライター・竹内薫さんの対談本を紹介していただいたのですが、残念ながら近隣の図書館には置いていないようで、リクエストしてみようと思っています。竹内薫さんの本を読んだことがなかったので、とりあえず何か1冊読んでみようと思い、選んだのが『一年は、なぜ年々速くなるのか』
この命題、よく話題になるものの、つきつめて考えたことはありませんでした。っていうか、つきつめて考えたら面倒なことになりそうなので、意識的に避けていたかも。
ゆうべは睡魔に勝てず、珍しく早めに寝てしまったのですが、ふと目が覚めたら午前4時。あまりにスッキリと目覚めたので、読みかけだったこの本を読了してしまおうと、読んでいたわけです。文字の大きい新書ですから、すぐに読めます。
当然のことながら、まず物理的な時間というものが存在しますね。いや、本当に存在しているかと問われると困るのですが。確かに時間というものはあるのだけれども、ここに流れる時間と、彼方の宇宙空間に流れる時間とは別物だったりするわけで、絶対的な時間というものが存在するわけじゃないのよね。それに、実は過去と未来をつなぐ直線のようなものでもなく、過去から未来へ流れるとか、向きを語るのも意味がないこと。エントロピーの増大という方向に流れているもの。
それでも、こんな壮大なことを考えるとわけがわからなくなるので、卑近なことだけを考えてみることにしましょうや。

まずは、スケーリング。
『ゾウの時間 ネズミの時間』(本川達雄 著)という本がありましたね。あれも相当面白かった。生物は心臓の鼓動が20億回を数えると、寿命を迎えるという話。生物のサイズが大きいと心臓の鼓動は遅く、小さいと速く打つので、大きい生物は長く、小さい生物は短い命になるというアレ。体内時計にそれぞれの持ち時間があるということですね。
竹内さんの本では、子供の時は体が小さくて、大人になれば大きくなるわけで、子供から見れば、大人はスローモーションの世界に生きているように見えるのではないかという話。だけど、身長が止まったあとも、大人は時間を短く感じる感覚が強くなっていくので、これだけでは説明ができません。

次に、ペッペルさんの「今」。
ドイツの生理学者、エルンスト・ペッペル博士によると、「人間が感知できる一番短い時間は100分の3秒であり、人間が感知できる一番長い時間は3秒である」ということになるそうだ。この感知できる3秒という時間とは、人間が意識の集中を持続できる時間のこと。たとえば、心理学者ネッカーの考案した立方体(写真)を見るとき、見え方が変わってしまう。この切り替わってしまう時間が、個人差はあるものの、3秒ほどだということ。1点を見つめて挑戦してみたけど、それでも私には13秒くらいが限界だった。10秒以上同じ見え方だった人はいないはず」と書かれていたけど(笑)ちなみに、1点を見つめるのは反則。全体を見るようにすると、なかなか難しい。この本には、「この3秒という集中持続時間だけど、若者は短く、年寄りは5秒程度と長い傾向にあるそうだ。「今」という認識が長くなるわけだから、時間が間延びして感じられるようになるってことかな。しかし、これはあくまでも心理学的な実験結果であって、脳のメカニズムとしては証明されていないことなのだそうだ。

それから、鈴木光司&トーマス・マンの時間。
鈴木さんは、「時間が年々速くならないように工夫している」とのこと。コツは「とにかく、1日単位、1週間単位、月単位、年単位で、ルーティーンに陥らないよう注意すること」らしい。
とすると、何もせずに退屈な時間を送ったり、多忙であっても達成感のないルーティンワークに終始していたりすると、時間の流れは速くなることになる。だけど、その逆もあるよね。退屈な時間は長く感じるものだし、楽しい時間はあっという間に過ぎる。すると、鈴木さんいわくその答えはトーマス・マンの『魔の山』にあるという話。
一瞬間、一時間などという場合には、単調とか空虚とかは、時間をひきのばして「退屈なもの」にするかもしれないが、大きな時間量、とほうもなく大きな時間量が問題になる場合には、空虚や単調はかえって時間を短縮させ、無に等しいもののように消失させてしまう。その反対に、内容豊富でおもしろいものだと、一時間や一日くらいなら、それを短縮し、飛翔させもしようが、大きな時間量だとその歩みに幅、重さ、厚さを与えるから、事件の多い歳月は風に吹き飛ばされるような、貧弱で空虚で重みのない歳月よりも、経過することがおそい。

そのときと、後から全体を振り返ったときでは、感じ方が逆になるということらしい。
トーマス・マンは、習慣が時間間隔を麻痺させるとも言っていて、習慣を変えることが、生命力を維持し、時間間隔を新鮮にし、時間の体験を若返らせ強め伸ばすとも言っている。

結論。
”速くなる”ということは、何かと比較して速くなっているわけだよね。それが、過去の自分の感覚だったり、人との差だったりするわけだ、たぶん。やっぱり、相対的な話になってしまうんだよね。
竹内さんは、こう結論しています。
1.周囲との比較から1年が速くなる理由は「歳のせい」。
スケーリング仮説、ペッペル仮説、それに加齢によって仕事の効率や達成率が落ちることで時間が足りなくなることなどが考えられる。
2.自分の内部で1年が速くなる理由は「歳のせいだけじゃない」。
変化や充実感、達成感などを作り出すことで、自分の時間を取り戻すことができる。

自分を振り返ると、トーマス・マンの言うとおり。
退屈が嫌いで、常に何らかの刺激を追い求める私は、日々の時間は24時間では到底足りないと思うし、1日1日が過ぎる速度は速いような気がする。だけれども、後から振り返ったときには、これをやった、あれもやったというものがうずたかく積みあがっていて、自己満足ではあるものの充足感があるため、ムダに時間を過ごしたという後悔はない。
仕事上のルーティン・ワークでも、たとえば数字だけ書かれている帳票の内容をコンピュータにひたすら入力するような単調な仕事も、自分自身でタイムアタックしてみたり、どこかに遊びのような要素を入れて工夫していたので、さほど退屈でもなかったし、仕事の効率も上がった。
今は夫婦2人で暮らしているということもあり、いわゆる自分の時間というのは比較的作りやすい状況ではあると思うので、人から見れば「時間があっていいわね」と思われるのでしょうが、自分の認識としては、時間はいくらあっても足りない…。

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2009年09月14日

なぜに新潟?

だいぶ前の話になってしまいますが、明治時代、全国で一番人口が多かったのは、新潟県であるという衝撃の事実を知りました。なんで新潟?米どころだからか?しかし、はっきりした理由がわからぬまま。ということで、歴史人口学の分野の本を読んでみることにしましたよ。

なぜに新潟だったのか。自分なりに調べてみると、稲作に適していたことはもちろんなのですが、江戸時代は北前船のおかげで、太平洋側よりも日本海側の方が豊かだったという話。新潟というと、豪雪地帯という印象もあり、決して住みやすい地域ではないような気もするのですが…。イマイチ腑に落ちない。明治31年に東京に抜かれるまで、新潟がトップだったそうですよ。現在は全国で第14位。

歴史人口学というのは、非常にマイナーな学問のようで、図書館を探してみても、あまり文献が見当たりません。かろうじて見つけた『歴史人口学で見た日本』(速水融 著)という新書を読んでみましたよ。これ、内容的にはほぼ”歴史人口学の研究方法”について書かれているようなもので、あまり有益な情報が得られなかったのですが、それでもちらほらと断片を知ることができました。
著者の速水さんは、経済学博士なわけですが、人口の変動というものは経済と切り離せないことなのだなというのがよくわかりました。この方の研究の要になっているのは、”宗門改帳”というもの。国勢調査も当然無く、戸籍も無い時代の人口動態・静態を見るための、数少ない資料ということらしい。鎖国が始まってキリスト教が排斥された時代に、仏教徒であることを証明するために作られたものだということ。当然、残っているものは少なくて、局地的なので、参考にしかならないような資料なのかと想像するのだけれども、コンピュータもない時代に地道な手作業を繰り返して、少ないデータから何かを読み取ろうとする執念を感じる。半分妄想入ってるんじゃ…と思うような部分も無きにしも非ずなんだけど、ミクロな側面からの人口学が見えてくる。
江戸時代あたりは、子どもが生まれる→奉公へ出る→奉公先で死亡。というのが、よくあるパターンだったようです。農業地帯への出稼ぎから、次第に都市部へと人口が流出していくように…。

一方、あの八代将軍吉宗が、ヨーロッパなど他国に先駆けて、国別人口調査を行っているという。これがマクロな視点での人口。推計でなく、実地で調査をさせてまとめた数字というのは、世界でも初めて?1721年に始まり、120年以上も続いたらしい。とはいえ、藩別にカウントの仕方が全然違い、武士がカウントされてなかったり、15歳以上しかカウントしてない藩もあったりして、ある程度上乗せしないと本来の数字に近づかない。てなわけで、初回で出た享保年間の日本の人口は2600万人ということなのだけれども、おおまかに500万人くらいを足して、3000万人でどうだ!ってことになっている。
人口の推移を見る上で難しいのは、飢饉や疫病または天災などで、ズドンと人口が減るときがあるということ。それでも、プラマイ100万人くらいで推移するくらいらしいけど。実は、総計で見るとあまり変動は感じなくても、地域ごとに集計すると、人口が減っている所と増えている所がわかってくる。吉宗のやった調査の始まりと終わりを比較すると、北関東で50万人減って、山陽で50万人増えてるとか。
江戸は100万都市だといわれてますね。京都と大坂も合わせれば100万近い人口だったようです。単純に今の感覚で想像すると、この都市部では人口が増え続けるに違いないと思うのですが、実は増えてない。各種インフラや公衆衛生・医学などの技術が発達していない時代においては、都市は人を集めては集まった人がそこで死ぬという”アリ地獄”になっていたというのですよ。この現象は日本に限らず、ヨーロッパでは”都市墓場説”といわれているそうです。
これは、ミクロ側の資料からも裏付けられているようで、農村で生まれた子どもが出稼ぎに出て、結局村には戻っていない。つまり、出稼ぎ先で死亡しているという話。戻るのは2割ほどしかいなかったらしい。農村で生まれた人口が都市で吸収され消滅していくという図式。
商業が発達する以前は、農村地帯に人が集まっていて、つまり、それだけを養える田んぼがある場所に人が集まる。それが、商業の発達とともに、貨幣経済の中心である都市に人が集まるようになって、そこで死んでいく。それから時代を経て衛生面や医療などが整ってくると、都市に集まった人は簡単には死ななくなり、都市部で爆発的に人口が増えるようになっていく。こんな感じか?蛇足だけど、田んぼを作るには大変な山間部よりも平地に人が集まるというのも頷ける。山じゃ水が流れ出ないように田んぼを作るのは至難のワザだものね。

ひとつ、面白い現象だと思ったのは、”ラベンスタインの法則”。都市の周辺で見られる順送りの労働移動。例えば、南東に尾西織物地帯があり、その先に名古屋がある西城村。西城村→南東方向の別の村→尾西織物地帯→もっと南東の別の村→名古屋と、ところてんのように労働人口が押し出されて移動していくという現象があるそうな。近場の都市を目指した方向に、人口が押し出されながら流れていくということらしい。

著者の主張として、一番面白かったのは、こんな話。
西南日本、特に九州では、次男以下は分家もできない場合、長男宅に一人身のまま住むという形態が多く、ある程度は教養があるのに自分のすることがなく、不満の固まりになる。近くに大都市もなくて出稼ぎにも行けないと、積もり積もった不満が明治維新へのエネルギーになったのではないかという…(笑)

縄文時代はたった8万人程度だった日本(たぶん)。そして時は流れ、この150年くらいで急激(約4倍)に増えた日本の人口も、2005年から減り始めたという。出生率が減り、人口は先細りだということ。このままいくと、100年後には3分の1に減るそうだ。出生率が1.26なんて言われてもあまりピンとこなかったのだけれども、2人の夫婦から1人しか子どもが生まれなかったら、2人いた人間が将来は1人しかいなくなるわけで半分になってしまう計算になる。そう説明されると納得。
だけど冷静に考えると、ヤバイと思うのは実は年金問題くらいで、人が減って困ることはあまりないのかもしれないよ。なんといっても食糧問題はこれで解決。経済活動も縮小すればいいんじゃ?そんな単純な問題じゃないことはわかってるけど、あえて逆説的に考えてみました。

結局、明治初期の新潟に人口が集中していたことについて、この本からはあまり有益な情報は得られなかったのだけれども、いろんなことをそぎ落としていくと、究極は生きるために食べることが住む土地に繋がるという根本的な原理となることは理解できました。
次は、速水さんのお弟子さんに当たる鬼頭宏さんの本でも探してみるか。
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2009年09月07日

右だく!

見逃していた「人志松本の○○な話」の「ゾッとする話」シリーズをまとめて観ていたところ、手相の話が出てきました。
ガレッジセールのゴリには、”KY線”と呼ばれるものがあるということでした。生命線と頭脳線が離れていると、非常に個性的な考え方をするということで、それがKYに繋がるという話だったのですが(ここの繋がりがようわからんけども)、芸人としては致命的な線(笑)案の定スペリまくったことで、ゴリはそのKY線を実証してしまったのですが…後に、バッファロー吾郎の木村さんにもKY線があることがわかり、私の中でそれは確信になりました(笑)
ふと、ダンナさんが自分の手相を見ると…KY線だ!(爆)日本人には5%くらいしかいないらしいが。20人に1人と考えればそんなに珍しいものでもないか。占いは基本的に信じないタチなのだけれども、ものすごく納得するのはナゼ?(笑)あっ、ダンナさんが”スベル人”という意味じゃありませんよ。個性的な考え方をすると言っていたので。ただし、KY線という名称は、手相を見ることで知られる”代々木の甥”こと、号泣(←コンビ名)の島田さんが付けたもののようです。本来は、良くも悪くも「突拍子もないことをする」という手相らしい。
ちなみに、オセロの松嶋さんには”あげまん線”というのがあるそうで、これも珍しいらしい。これは感情線の先が三又になっているとのこと。ふと、自分の手相を見ると…あげまん線、あった!(爆)もひとつちなみに、島田さんは、これが二又だと”二丁目線”と呼んでいる。オカマさんに多いとのことで、思いやりがあり気配り上手で優しく頼りになる人に多いらしい。
ということで、うちはKYとあげまんの夫婦らしいですわ(笑)

さて、身体の話でもうひとつ。
先日、お昼を食べた後、ダンナさんの身体に異変が…。
右半身だけにグッショリ汗をかいている!ほんと、線を引いたように、頭からずっと。額も右側だけ、Tシャツも右だけが濡れてる。どうなってんの?右だけ汗だくなんで、”右だく”!
そのときは笑っていたのだけれども、気になって調べてみた。どうやら自律神経の調子がおかしいとそうなるらしいのですが、ナゼに右顔面と右半身?神経は首で交差しているのではなかったかい?それとも、自律神経系だけは違うとかそんなことあるのか?調べてみたものの、どうも納得のいく答えが出てこない。数日前、首が異常に凝っていると言っていたので、それが原因と思われ…。右側に汗をかくということは、左側が機能していないことになるわけですね。とりあえず、首を温めてみる作戦を実行してみようと思います。

私はといえば、仕事に追われてダメダメになり、朝起きると両手がしびれているという症状に悩まされていましたが、それはたった1度の1時間ほどのウォーキングで解消。ただ、まだ左手の小指だけはひどく、軽い痛みと違和感が残っているのですが。ちゃんと続けてウォーキングしていけば、これも解消するものだと思います。体調回復とダイエットには、私にとってはウォーキングが一番!続けないとね。
posted by nbm at 10:56| Comment(8) | TrackBack(0) | 身体のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

なぜかオージー

長い間、MP3プレーヤーに入れっぱなしでヘビー・ローテーションしっぱなしのアルバムがありまして、それが
PENDULUM 『IN SILICO』
JET 『GET BORN』
JET 『SHINE ON』
この3枚であります。
ふと気づいたんですが、PENDULUMもJETも、オーストラリアのバンドなんですよね。オーストラリアといえば…AC/DC、Men at Work、INXS、Air Supply、それにMidnight Oilとか(笑)オーストラリア出身ならなんでもいいというわけじゃないんですけども、INXSなんかも好きでよく聴いたし、確率から言ったら、惹かれるバンドが多いことは確かです。知らなかったが、THE BEE GEESも一応オーストラリア出身てことになるのか。おっと、忘れちゃいけねぇ。バンドじゃないけど、リック・スプリングフィールド様もいたよ。個人的には80年代のアイドルさ。バンド以外だと、オリビア・ニュートン・ジョンやカイリー・ミノーグもオーストラリア出身だね。毎度言うように、私は90年代にほとんど洋楽を聴かなかったので、SAVAGE GARDENは名前くらいしか知らないんだけど、これもオーストラリアのバンドだね。
しかし、古いね。ちょっと新し目のを探してみました。Architecture in Helsinki(→My Space)もいいじゃないですか。きらいじゃないです(笑)THE VINES(←My Space)なんかもなかなか。WOLFMOTHER(←My Space)なんて、なんてダサかっこいいんでしょう!
この辺でいいか。

何がいいのか、共通点を考えてみたんですが、やっぱり”絶妙なダサさ加減”ですかねぇ。影響から言ったら、UKの音が近いかもしれませんが、そこに微妙なダサさがプラスされるんですよね。なんてったって埼玉県民ですからね。ダサさにはウルサイのさ。”ダサい”ことを”かっこいい”と言えるかどうか。これが、埼玉県民として誇りをもてるかどうかだと思うのですよ。あ、ちょっと論点がずれたね。
肩の力が抜けた感じっていうのか、変にかっこつけすぎてない感じ。少々自己満足気味なんだけど、わかってくれる人だけわかってくれればいいや的な?
とはいえ、JETやPENDULUMあたりは、ちと洗練されてきちゃいましたか。PENDULUMはもうすぐ来日するんですね。知らんかった…。<WARRIOR’S DANCE FEST>だって!これ、すごくない?THE PRODIGY、AUTOKRATZ、Hadouken!、MSTRKRFT、South Centralが9/20幕張メッセに集結!まだチケット売ってるみたいだが、行っちゃおうかな。

JETのニュー・アルバムをまだ入手してないんですよ。早く手に入れなきゃ。JETのニック・セスターはこう語っています。
「このバンドに関して俺が何より愛してやまないのは、正直さなんだ」「好むと好まざるとに関わらず、どのアルバムもそれぞれみんな、その時点で自分の人生に起きていることに対し自分たちがどう反応しているかを映し出している、リアルかつ的確な“窓”なんだよ。だからこそ、各アルバムに他とは違った独自性がある。そして『Shaka Rock』はこれまでで一番正直なアルバムだと、俺は思ってるんだ」

”正直さ”ね。シンプルなロックが、なぜか胸に響いてくるのは、ここがポイントなのかな。

そういえば、いまや大スターとなってしまった”ウルヴァリン”ことヒュー・ジャックマンもオーストラリア出身だよね。ヤツはいいヤツだ!実は、オーストラリア出身の俳優さん・女優さんにも好みの人が多い。ガイ・ピアース、ケイト・ブランシェット、ナオミ・ワッツ、トニ・コレットなど。惜しくも若くして亡くなってしまったヒース・レジャーもだね。
なんだろな。みんな気さくな感じがするが。勝手なイメージか?

ちなみに、日本人が「Aussie」を「オージー」と発音すると、「Orgy」と聴こえるとか。それは”乱交”を意味する言葉だそうなので、「オースィ」とか「オーズィ」と発音するのが吉。
posted by nbm at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月03日

天才坂本教授の音楽

先日、”キョージュ”こと坂本龍一さんが、爆笑問題の2人に様々な音楽を聴かせるというNHKの番組を観た。
その中で、気になったのが<古楽>と呼ばれるもの。「バロック以前の音楽って、あまり聴いたことがないでしょう?」というキョージュの言葉に、私が思い起こしたのは「おらしょ」だった。隠れキリシタンの人々が、宗教音楽であるオラトリオを日本の民謡風にアレンジし、ごまかしながら歌っていたものだ。この「おらしょ」を私は大学の西洋音楽史という授業で聴いた。たしか「ぐるりよざ」という曲名だったと思う。”gloriosa”が”ぐるりよざ”(笑)こんな感覚で、ラテン語が日本語のように空耳化されている。起源となっているのは、16世紀のスペインはグラナダ地方で歌われていたローカルなグレゴリオ聖歌らしい。それなら、バロック音楽と同時代だね。だけど、バッハはバロック後期の人だから、バッハよりは古い音楽と言っていいと思う。「おらしょ」が自分史上、聴いた最古の音楽か?ちなみに、本家グレゴリオ聖歌は9〜10世紀頃にできたものらしい。西洋音楽でいうと、バロックの前がルネサンス音楽。「おらしょ」はルネサンス音楽が起源になってるということになる。その前の中世まで遡ると、音楽として聴いたことはなく、中世を舞台にした映画の中で、なんとなく流れてるフィドルなんかで奏でられてるものを漠然と思い出すのみ。それ以前ともなると、頭の中では原形をとどめない…。とすると、そこまで含めても、自分の脳内で遡れるのはせいぜい6世紀くらいまでか。

さて、では日本ではどうなのかと調べてみたら、そういやぁ雅楽というヤツがあるではないか。5世紀前後に起源を持つとはいえ、今に伝えられている音楽は古くても奈良時代くらいのものらしい。でも、雅楽は大陸から伝来した音楽に大きな影響を受けているものなんだね。それ以前の、純粋に日本古来の音楽ってのは残ってないんだろうか。雅楽でも充分古いんだけどね。世界的にみても、体系的に残されている音楽としては最古の部類に入るそうですよ。
『クオリア再構築』で触れられていたけれども、言語でさえ、時代の変遷で消えていっているわけだから、音楽も残らないのかな。日本という特殊な環境ならば、何か残っていてもいいかと思ったんだけど。音楽の場合は、人づてに伝わらないと途絶えちゃうよね。楽譜なんかができるのは相当後のことだろうし。

ところで、キョージュはもうひとつ、おもしろいことを言っていた。キョージュが音楽を聴くとき、歌詞というものは頭に入ってこないんだそうだよ。キョージュの脳内では、言葉でも音の響きとして認識されてしまうらしく、意味を持たないそうだ。絶対音感を持つ人は、どんな生活恩も音として認識してしまって、うざいものらしいけれども、そういったことと関係があるのかもしれないね。
爆笑問題の2人が、自分の好きな音楽をキョージュに聴かせるんだけど、例えばサザンオールスターズとか、映画『グリース』のテーマとか。キョージュにはてんでピンと来ない様子。この音楽のどこが好きかとキョージュに問われた太田さんは、歌詞に重きをおいて聴いているようで「”恋”とつながっている」と答えていた。実はDJになりたかったという田中さんも、それには同意している様子。歌詞を音としてとらえてしまうキョージュには、それが理解できないようだった。ご自分でもそれはある意味哀しいことだと思っているようだったけれども。とはいえ、相対性理論(←バンド名です)の曲をおもしろがっていたりするんだから、機械みたいに歌詞をまったく受け付けないというわけでもないようだけどね。

しかし、自分の音楽の聴き方を分析してみると、どちらかといえばメロディーやアレンジ重視。日本語以外で歌われている曲は、歌詞を気にしていないことが多い。逆に、日本語曲だと歌詞はひどく重要な要素になる。
ちなみに、太田さんの理論は、私には理解不能。淡い”恋”の思い出と結びついているような曲には覚えがない。小学生くらいのときは、恋だの愛だのを歌う曲が嫌いだったのを覚えているし。自分の思いとは切り離したところで、特に恋愛感情は移入せずに音楽を聴いてきたような気がする。たとえば、80年代の洋楽は私にとっては原点のようなものだから、引っ張り出して聴くことも多いけれども、「あの頃はよかった」的なノスタルジックな感情は覚えない。純粋に音楽を楽しむのみ。たまたま古い時代に発表されたというだけのこと。
だけど、聴く度に抑えきれず涙する曲というのもあるし、感情と切り離して音楽を聴いているわけではないのよん。どうやら、私の頭の中では、思い出や記憶というものと音楽とは別次元にあるようです。今、聴いている。そんな感じ。

キョージュの薦める音楽や、話を聞いていて、こういう人もありだと思った。こうやって、要素としての音というものに純粋に向き合って、音楽を作る人もいるんだな、と。
最後に、ピアノで『戦場のメリークリスマス』を弾いてくれたのだけれども、それなら純粋に音だけを聴いてみようと思い、目をつぶって聴いてみた。キョージュのピアノの音は、淡く射す白い光のように感じられた。
posted by nbm at 11:28| Comment(5) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

ニッカーボッカー・ルール

毎度ながら、くだらないことが気になっているnbmです。
時折書いてますが、私はスポーツ観戦をするのは基本的に好きですが、野球やゴルフはあまり好きではありません。スピード感のある激しいスポーツが好きなので。ルールが複雑で決まりごとが多いのも苦手な理由のひとつかもしれませんが。

で、最近、やけに気になるのが、野球のユニフォームなんです。よく考えると、おかしくないか?一番解せないのが、腰のベルト。あれって、皮でできてて、フツーにバックルが付いてるヤツだよね?たとえば、ヘッド・スライディングとかしたら、お腹が痛くなりそう。どうして、ベルトが必要なの?そんなことを考えていたら、どうも納得がいかなくて。もっとシンプルで、動きやすいユニフォームにしてもいいんじゃね?着るのも時間がかかりそうだしさ。

そもそも、野球というスポーツを体系的に創ったのが、ニューヨークに住んでいたアレキサンダー・カートライトというお方だそうじゃ。もともとはイギリスなどヨーロッパでプレイされていた”ラウンダーズ”とか”ベース・ボール”などと呼ばれていたバット・アンド・ボール・ゲーム。それが、北米に渡って”タウン・ボール”となる。これが基本となって、1845年に現在のような野球になったとさ。
それから30年くらいして、明治の世、後に東京大学となる東京開成学校予科に野球は日本に伝えられたらしいのだけれども、この開成学校というのは、文部省主導で、西洋の学問を研究・教育するためのものだったらしい。東大の始まりがこんなだったとは。勉強になりました(笑)
さて、野球に関する真面目な文献って、わりと少ないんですねぇ。前述のアレクサンダー・カートライトさんが消防団員だったことから、消防団の制服でプレイしていたらしい。白いフランネルのシャツ、青い長ズボン、フランネルか麦わらの帽子。これがユニフォームのはじまりか?1860年代になると、南北戦争の兵士たちが軍服でそのままプレイしていたことから、ストッキングが定着。帽子も、兵隊の軍帽的なデザインが導入されたようで、現在のようなキャップが作られるようになる。どうやら、南北戦争時の軍服が野球のユニフォームの起源にあたるようですね。単に、ファッションを考えても、軍服に由来するものはたくさんありますよね。機能性を考えたところから始まってるからだろうか。今日のユニフォーム・スタイルの最初は、1868年のシンシナティ・レッズだそうだよ。
とはいえ、今の野球のユニフォームが機能性を重視しているとは到底考えられん。個人的に一番理解不能なのはベルトなんだけど、帽子を被るのもベルトをするのも、”紳士としての礼儀”的な考えからだという説があった。野球の起源が、タウンミーティングの時に行われていたスポーツだとすると、市町村の代表が集まる場だったわけで、なんとなぁくわからんでもないが。「そこ変えないのかい?」ってツッコミを入れたくなるなぁ。監督が選手と同様にユニフォームを着用するというのは、規則で決まってることじゃないけど、元々は選手と監督が兼任であったことから、伝統を重んじるってことも考えてるようだ。意外と、紳士のスポーツって感じで、伝統を重んじているのかもしれないね。

ちなみに、日本で最初に野球をプレイしたであろう開成学校の学生たちは、上着を脱いでシャツ姿。暑いときには、素っ裸に六尺ふんどし。寒いときには羽織袴。大雨のときには、蓑笠に脚絆、草履ばきだったらしい。
創立間もない巨人軍が初渡米(1935年)したときには背番号が漢数字で、米国ファンもビックリだったとか。日本で初めて背番号を採用したのが、第8回センバツ野球大会(1931年)。地味に変遷はしてきたのね。

このクール、実は2つも野球アニメを観ている。ひとつは、あだち充原作の『クロス・ゲーム』。それと、”たいやき”こと『大正野球娘。』。そういえば、どっちもたまたま女子が野球をする話だな。
特に『大正野球娘。』の方は、時代が時代だけに、女の子が野球をするという設定が際立つ。何せまだ大正時代だからね。
といっても、全国高等学校女子硬式野球部連盟のHPによると、現在、高等学校女子硬式野球部は全国に6チーム。まだまだ、とほほな少なさだねぇ。
posted by nbm at 12:05| Comment(7) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする