2009年10月31日

ヒューマノイド・インターフェース

ここ数日、テレビでよく見かけるROPIDくん。かわいい人型ロボットです。
ROPIDくんの特徴は俊敏な動き。ジャンプと走ることが得意です。RAPID(俊敏な)+ROBOT(ロボット)=ROPID。このROPIDくんを製作したROBO GARAGEのHPで動画が見られます。実際に製作している高橋智隆さんは、京大工学部物理工学科メカトロニクス研究室を卒業された方。Panasonicの電池のCMに出ていたエボルタくんも高橋さんの作ったロボット。中身もプラスティックのボディも、みんな高橋さんが作ってるらしい。エボルタくんは色んなシリーズがありますが、最近観たのは「ル・マン」に挑戦している姿でした。見事に24時間を完走したとか。こちらのHPでは、他にも様々なカタチで製作されたロボットたちが紹介されています。驚いたのは『攻殻機動隊』のタチコマくん。DVDの宣伝用に特別に作られたもののようなのですが、こりゃあすごい。欲しい!(爆)
ROPIDくんに話を戻しましょう。HPのムビーには出てこないのですが、音声認識で「開始」と話しかけると動き出します。そのとき、「うん」って感じで頷くのがかわいい。それと、命令された動作を終えたときに、「終わったよ」ってな体で、かすかに見上げるしぐさがまたかわいいです。走ったあとは「はぁ、はぁ」息が切れてるし。
今朝の番組に出ていたのですが、高橋さんやROPIDくんといっしょに出演されていたのが、大阪大学教授の石黒浩さん。自らをモデルにジェミノイドというロボットを作った方。本当にご本人にそっくり!”ドッペルゲンガー型ロボット”と呼んでいるそうですが。これをインターフェースとして声などを本人が遠隔操作するとしたら、限りなく本物に近い存在感があるはずです。コチラのHPでジェミノイドが見られます。不思議なのは、微妙に<不気味の谷>を超えているような印象があること。人間に近づけば近づくほど、妙な嫌悪感を感じるものなんですが、これはそれをあまり感じない…。何が違うんだろ。たぶん、居ずまいからしてモデルである石黒さんを完璧にコピーしているからなんだろうな。面白いのは、「これだけリアルなロボットができてすごいでしょう?」的なことではなくて、”存在感”というものをキーワードに、実際にあえてリアルな人間型ロボットを先に作ることで、そのロボットが実際に人間に及ぼす感覚的な反応を研究してみようという姿勢。人型インターフェースが、どの程度人に受け入れられるのか、より受け入れやすくするためにはどうしたらよいか。そういったことを研究されているよう。つまり、ロボットの研究というよりは、ロボットに対する人間の感情の研究と言ってもいいな。

高橋さんと石黒さんの創りだしたロボットは、対照的に見えるのだけれども、根っこはいっしょなんだね。高橋さんは、親しみやすさを出すために、かわいらしいしぐさを取り入れている。それが観ていて本当に「かわいい!」と思うことに繋がっている。石黒さんのジェミノイドは、究極的にリアルに作りこまれていて、ご本人の体の動きの微妙なクセなどが取り込まれている。遠めに観ている分には非常に自然で、”人間のように”見える。
どうやら、しぐさというのが重要なファクターらしい。高橋さんのロボットで、女性らしい動きを取り入れたFTというのがいる。このコは、単純に歩くだけでもなぜか”女性らしい”。そういった動きを研究して作られているのだろうけれども、人型ロボットを作るのには、人間それ自体の細かな動きを再生することが必要だから、そこを突き詰めていくのだろうな。人型ロボットを研究することは、人間を研究することに他ならないんだね。

アニメ作品を多く観ていると、人型インターフェースのロボットはもはや当たり前のように出てくる。人間にはできない離れワザをやってみせたり、逆に人間には簡単にできることができなかったり、そういった人間と異なる描写が出てくること以外は、装備にロボット的な部品が描かれていない限り、人間と何ら変わりなく見える。動くとはいえ画ということで、細かなしぐさや質感を伝えるのは難しいわけで、人間とロボットとの差異を表現するのは限界があるよね。

人型インターフェースというのは、コミュニケーションに特化したカタチ。人間側の都合として、親しみやすさを第一に考えたカタチ。
もうひとつ、頭をよぎったのはサイズの問題。ジェミサイドは人間をリアルにコピーしたものだから、人と同じサイズでいいとして、ROPIDくんも、タチコマくんも、小さなサイズだから脅威を感じないで接することができるんだよな。タチコマくんがアニメ内で動いているような実物大だったとしたら、相当恐い(笑)兵器だもんな。

ドロンパくんに感じる「かわいい!」は、白熊の子供を見るときの「かわいい!」とほぼ同じものだという自覚があるのだけれども、それはROPIDくんを見て「かわいい!」と思うのともほぼ同じなんだよな。「かわいい」の基準ってなんなんだろう?
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2009年10月29日

観ているような観てないような

最近、テレビを観ない人が増えていると感じる。
うちはというと、朝1時間、昼1時間、夜4時間くらいはテレビがついている。テレビがついている時間は、多い方かも。だけど、朝は情報番組をチャカチャカとチャンネルを変えながら観ている感じ。昼・夜に観ているのは、ほとんどが録りためたアニメ。じっくりとテレビ番組を観るということは、ほとんど無い。
一度、自分がどれだけテレビを観ているのか自己分析してみたかったので、やってみよう!

テレビを進んで観ようということは限られてきた。
まず、スポーツは生、若しくは結果を知らない状態で観ないと面白さが半減してしまうので、好きなスポーツの中継は観る。日本代表チームのサッカーの試合中継は逃さない。たまにはJリーグの試合も観るし、あとはK−1やDREAMなどの格闘技とか、F−1やWRCなどのレースとか。だけど、見逃さないぞと気合を入れるのはサッカーの代表戦くらいで、あとはさほど気にしていない。たまたまやってたら観るくらいの程度。例えば、格闘技中継などは、肝心な試合をカットして、煽りの部分の方が長かったりすることもあり、後日ネットで動画を探して観た方がいい。逆に、日曜日などに放送されていると、なぜかダラダラと観続けてしまうのが、マラソンや駅伝など。あれは不思議だ。
放送時間が長いといえば、映画。映画はDVDで観ることがほとんどなのだけれども、レンタル店に置いていないような古い作品や、レンタルするほどじゃないけど一応観ておくか的な作品が放送されれば、観ることがある。前者でいうと、少し前、超豪華なメンツが揃っている古い日本映画をやっていて、それが猛烈に面白かったので最後まで観たかったんだけど、時間がなくて観られなくて残念だったんだ。『嵐の勇者たち』(1969)という作品。一応、石原裕次郎が主人公みたいなんだけど、渡哲也・藤竜也・宍戸錠・浜美枝・梶芽衣子・吉永小百合・山本陽子…。みんな若い!綺麗!渡哲也が吉永小百合を豚っ鼻にして遊んだり、悪者たちがいきなりみんなで歌いだしたり、考えられない演出だった…。舛田利雄監督、恐るべし。
ニュース番組もコレというものがないし。強いて言えば、テレビ東京のWBSかな。特にフェルドマンさんが出てるときは観ます!
音楽番組も観ないなぁ。観るとすれば、『JAPAN COUNTDOWN』くらい。あとはU局。パンク系の『SONIC MANIA』とか、伊藤政則さんのHM/HR番組とか、ピンとくる曲はほとんどないけど一応押さえておくかということでBillboardのヒットチャート番組とか。以前、何気なくWouter Hamelがtvkの番組に出演してライブ演奏していたのには驚いた!
あとはなんだ?ドキュメンタリー番組とか?これは割りと観る路線なんですが、NHKに限っていうと、NHKスペシャルをいくつかの番組に分割しちゃったんだけど、あれはよくなかったな。それからこっち、あまり観なくなった。あとNHKでよく観るのは『クローズアップ現代』とか『世界ふれあい街歩き』とか。うちでは故あって、デジタルが観られる状況でありながら、通常はアナログ放送を観ているので、たまたまデジタルに繋いでいるときに見かけるBS番組とか、BSで放送されたものを地上波キー局で再放送していたりする番組に興味深いものが多い気がします。
そういえば、わりとNHK教育テレビを多く観ている気がする。『いないいないばあっ!』でのチョーさん(ワンワン)のはっちゃけぶりを観て笑ってたりすることもあるし、高校講座で数学や科学、歴史などの授業を観ていることもあるしな。『地球ドラマチック』もいいね。
ドラマはほぼ観ない。最近ハマったのはイギリス製作のへんてこ怪獣SF『プライミーバル』だけど、すぐ終わっちゃったし。
バラエティ系でよく観るのは『ポチたま』『アメトーーク!』『タモリ倶楽部』『飛び出せ!科学くん』『モヤモヤさまぁ〜ず』…深夜系が多いな(笑)いわゆるゴールデンタイムには夕飯の支度をしているか、アニメを観ていることが多いんだよね。前日深夜に録画して、その日に消化すべきアニメを観終わってから、当日深夜に録画されるアニメが始まるまでの時間帯にテレビ番組を観ていることが多いんだろうな。

色々と番組を挙げてきたけど、毎日必ず観るor毎週必ず観るというものは実は皆無。たまたま気づけば観るという程度。熱の入れようから言ったら、今一番楽しみにしているのは『やべっちFC』とか、ドロンパ目当てのFC東京の番組か(笑)。どんだけサッカー好きなんだよ的な(笑)それほどじゃないんですけどね。でなきゃ『アメトーーク!』か。でもこれも内容や出演する芸人さんによるんだよな。
あとはいきあたりばったりで観るということがほとんど。番組表もあまりチェックしないしなぁ。
番組名を挙げていくと、観ている番組はたくさんあれど、さほど重要視してません。ひとつの番組をじっくり観ることはほとんどない。飽きたら変える、キライなタレントが出てくれば観ない、観たいコーナーだけ観る。
大体、テレビを観ながら別のことをやっていることも多いしな。

CMスポンサーの業種を観ていても、番組の編成を観ていても、テレビ局が予算をかけられなくなり、衰退しているのがよくわかる。インターネットに比べると、ニュースなどの情報も遅いことが多いし、多角的・客観的に伝えることができなくなっている気がする。一方で、高齢者などテレビが主たる情報源だという人も多いはずで、それを考えるとまずいなと思うのだけれども。
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2009年10月28日

2012年の種明かし

なんやしらんけど、ここ数日、2012年問題についての検索でこのブログに辿りつく人、多数。たいしたこと書いてない記事ですみませんね。その記事はコチラ→人類滅亡まであと4年8ヶ月あれからすでに、人類滅亡まであと3年と2ヶ月ほどになってますが(笑)

たまたま偶然、『古代マヤの暦』(ジェフ・ストレイ著)ってー本を図書館から借りてきていたところだったので、今日は、マヤの暦についてまじめに解説しましょう。
古来、人間は、様々な暦を作ってまいりました。それはなぜかといえば、季節というものを把握しておくことは、生活する上で欠かせないことであるからで、日本のように明確な四季はなくとも、雨季はいつかとか、これから暖かくなる時期なのかとか、掴んでおかねば作物の出来を左右したりして、生命に関わることになりかねないわけですからね。んで、その暦の基となるのは、大概天体の運動。太陽や月や星々の動きを観察することで、この地球の動きを把握し、季節変化を理解することができるわけですね。
正直、天体の動きを把握することが苦手な私には、こういったことを説明するのは苦痛なのですが、簡単にやってみませう。

現在、私たちが日常的に使っている暦はグレゴリオ暦ってやつですね。太陽暦の改良版とでもいいましょうか。もちろん、太陽の見かけ上の動きを(実は地球の運動だよね)を基に作られている暦。太陽が見かけ上の通り道である黄道を1周(地球が太陽の周りを1周)して1年ということになります。これが約365日。しかし、古くは月の満ち欠けを基にした太陰暦や、シリウスやプレアデス星団などを基にした暦もあったわけです。当然、太陽周期を基にした暦とは違ってきますね。

では、本題のマヤの暦はというと、様々な周期を使った複雑なものであったようです。まず、マヤは基本的に20進法。数字をあらわす表記は3タイプあったようです。で、数字のはじまりは1でなく0。20まで単純に数えるとすると、1〜20でなく、0〜19になります。あぁ、こんなことから説明してたら終わらんな。
この20という数字が基礎となり、「20日=1ウィナル」となります。20と同時にキーとなる数字が13(天界の神の周期?)なのですが、この2つの数字を掛け合わせた260日=1ツォルキン、これが1年に相当します。実は太陽暦に近い365日で1年とする単位もあり、これはハーブといいます。複数の暦を同時に使っていたというわけです。
ツォルキンですが、1〜13の数字と20個の日の名前があって、この組み合わせで260日で一巡することになります。一方のハーブは、20日の月が18ヶ月で360日、それにワイェブと呼ばれる”年末の不吉な5日間”を加えて365日とするもの。詳しい説明は省きますが、ツォルキンとハーブという2つの暦はそれぞれ数字と名前の組み合わせになりますが、同じ組み合わせになる周期が52ハーブ=73ツォルキン、1万8980日。52ハーブってのが、わかりやすく言えば還暦みたいなもんで、十干十二支が一周りしたようなもんです。グレゴリオ暦で換算すると、52ハーブは、52歳の誕生日の13日前になっちゃうけど。閏年がないのでね。

ここでまたもうひとつ別の1年があって、それは月を基にしたもの。マヤでは、地下世界(冥界)に9人の神がいるとして、それとウィナル(20日)を組み合わせて2倍にした360日で1年とする暦もあった。それがトゥン。18ウィナル=1トゥンになるんだけど。
いよいよ核心に近づきつつありますよ。この1トゥン=360日を基本として、
20トゥン=1カトゥン=7200日
20カトゥン=1バクトゥン=14万4000日
13バクトゥン=5200トゥン=1時代=187万2000日
という長期暦があるのです。
つまり、約5125太陽年で1時代という計算。マヤの”今の時代”が始まった、西暦でいうところの紀元前3114年8月11日から数えると、5200トゥンの最後の日が西暦2012年12月21日に当たるということでございます。ふぅ。
マヤでは、”時代”を繰り返しているとされ、”今の時代”の前には”前の時代”があったわけですから、”次の時代”(?)が巡ってくるだけなのでありますよ。

長大な時間を計る暦を作って、それが1巡したという気の長〜い話なのでございます。
ちなみに、マヤにはバクトゥンの上にももっと長い時間の単位がありまして、
1ピクトゥン=20バクトゥン=8000トゥン
1カラブトゥン=20ピクトゥン=16万トゥン
1キンチルトゥン=20カラブトゥン=320万トゥン
1アラウトゥン=20キンチルトゥン=6400万トゥン
となるそうであります。

様々な星々の動きを数字で表して、その一巡り同士が長い時間をかけると一致する時がやってきます。周期同士の最小公倍数が。ということは、そのときは、特徴的な星の動きが一致する時とも考えられるわけです。
で、2012年の冬至に何が起きるかというと、銀河直列!(爆)銀河の中心方向と太陽の直列が起きる日なんですと。しかし、現在の電波望遠鏡観測による天文学上の中心は黄道からずれていて、冬至の太陽がそこに再接近するのはまだそれから200年ほど先になるとのこと。

これが、太陽の再生としてマヤの遺跡に描かれているという話もあり、ただの暦のカウントだと言い切れない不思議さも残っているのもまた事実。13バクトゥンの終了について唯一書かれているという「モニュメント6」と呼ばれる碑文は、予言が書かれている部分に大きな亀裂が入っていて、全体の解読は不能。テキサス大学の碑文学者デイヴ・スチュアートの解読による訳は…
13番目のバクトゥンは4アハウ3カンキン(?)(に)終わるだろう。?が起こる。(それは)9人の支持?神の、?への降下(??)(になるだろう)

posted by nbm at 12:35| Comment(3) | TrackBack(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

藍より青し

例えば、ジブリだとか、手塚プロダクションだとかについては、草創期からのドキュメンタリーを何度か観たことがあったのだけれども、タツノコプロに関しては、その歴史を辿るドキュメンタリーを今まで観たことがなかった。
たまたまタツノコプロ創設からのドキュメンタリーをやっていて、食い入るように観てしまいました。

タツノコプロは、当時漫画家であった吉田竜夫さんを中心として、吉田3兄弟で設立されたのだそうです。『マッハGoGoGo』に代表されるように、吉田竜夫さんの描く画というのは、人物に目力があって、指先まで細かい描写で描かれているのが特徴ですが、それは吉田さんが劇画を出発点としていたところから来ていたのですね。
考えてみれば、自分が幼少の頃、どストライクだった作品は、ほとんどタツノコプロのアニメでした。『ハクション大魔王』『昆虫物語 みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』、そして『タイムボカン』や『ヤッターマン』など。こういった作品に惹かれた理由が、よくわかったドキュメンタリーでした。
当時のことを聞くと、あるスタッフは「みんなが自由にやりたいことをやってた感じ」だと言ってます。画の細部にこだわるのはもちろんのこと、特殊効果を合成してみたりだとか、とにかく新しいことに挑戦する姿勢が見える。
技術のことなど考えずに観ていたけれども、細かく見せられると、『ガッチャマン』のキャラクターのサンバイザーの透け方とか、他には真似の出来ない工夫が随所にされていたことがわかります。
だけど、タツノコプロのすごいところは、新しい人材を発掘して、失敗を恐れることなく登用し、その才能を開花させることに成功してきたことだと思いましたよ。

まず、『機動戦士ガンダム』で有名な、アニメ界で初めて<メカニック・デザイン>という肩書きを作った大河原邦男さん。大河原さんは大学でデザインを勉強し、卒業後はアパレル会社に勤めていたりしたそうだけれど、どこか納得できないまま悶々としていたところにタツノコプロの求人を見て応募し、採用された人。美術部に配属されて、苦手な背景を描いていたのだけれども、美術部長だった中村光毅さんに見出されて、『ガッチャマン』の小物メカをデザインする仕事をすることに。もともとはその仕事が終わったら背景を描く仕事に戻る約束だったそうだけど、小さい頃から機械を分解しては組み立てるのが好きだったという大河原さんが描くメカはネジ穴までがリアルに描かれていて、中村美術部長は、その才能を認めることになる。あの美しいマッハ号を創りだした中村さんも、認めざるを得なかった、大河原さんの才能。そして、大河原さんは<メカニック・デザイン>という肩書きを得て、後に大活躍されることになるわけです。
と、きたら絶対出てくるだろうと待ち構えていた天野喜孝さん。やっぱり、出てきた(笑)個人的には、天野さんの絵で印象深いのは菊池秀行の『バンパイアハンターD』とか夢枕獏の『キマイラ』シリーズとかの文庫の表紙に描かれていた絵なのだけれども。タツノコで活躍されていたことは、後から知ったのよね。吉田竜夫さんは自分の隣に天野さんの机を並べさせて、仕事をすべて見せたのだそうです。天野さんも、「具体的には何も教わらなかった」と言っていたけど、父と子のような関係だったようです。遅刻の常習犯だったりしてフリーダムだった天野さんを周囲の批判からかばい、「1週間会社に来なくていいから」と吉田さんが天野さんに描かせたのが、あの『タイムボカン』の悪役トリオ。それを見たとき、天野さんの前では言わなかったものの、吉田さんは「負けた…」と呟いたそうです。
そして、もう1人が押井守さん。『攻殻機動隊』で、ハリウッドも注目するようなジャパニメーションの先駆けとなった人物ですね。入社するまではアニメのことなど知らず、演出のことも全くわからない素人ながら、入社して演出部に配属され、山のように詰まれたシナリオから無造作に選んだものを渡されて、手習いに絵コンテを描かせられると、2本目からは確か本番だったという話。アニメのことを一から十まで全て請け負っていたタツノコで働くことで、総合的にアニメのことが学べたし、たくさんアニメに関わる人というものがいて、それが作品を作るのに欠かせないことを知ったと言います。
みなさん、タツノコに居なかったら、今の自分はなかったと言ってましたね。

吉田竜夫さんからしてそうなのですが、スタッフがみな、新しく入ってきた人に仕事を任せ、その才能を見極めて育て、見事に人材を作っていることに驚きます。後輩に才能があれば素直に認め、それでも自分は腐ることなく自分なりにがんばろうとするのですよね。あまりにみなが口をそろえて同じことを言うので、当時のタツノコプロというのは、そういう社風だったのだろうと思います。実際は、「手が足りないからやって!」ということだったかもしれないけど、それにしたって、そんなにさらっと後輩を押し出せるものだろうか、と。いい作品が作れるのならば、それでいいという潔さを感じました。細かいことなんだけど、重鎮のスタッフさんたちが、自分よりもずっと年下の人間に対して、「天野さん」とか「大河原さん」とか呼んでましたね。呼び捨てだったり、君付けだったりしない。そこにすでに後輩に対するリスペクトを感じたのでした。この先輩たちが、素晴らしいじゃないですか!

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2009年10月23日

今は反省している

今日もくだらない話です。

自分があまり一般的な感覚を持ち合わせていないため(笑)、質問&回答掲示板のようなところを覗くといろんな考え方の人がいて面白いし、勉強になるのですが、ちょっと面白いなと思っているのが、結婚式に出席するときの服装についての問題。

そのテーマの質問&回答を見ていると、過去に自分がいかに非常識な服装で結婚式&披露宴に出席していたか思い知らされます(笑)例えばスカート丈が短すぎるとダメとか、なんか、みんな手厳しいな。
一番面白いと思ったのは、黒のドレスが否定される風潮にあること。これは、地域差も大きいのでしょうか。黒だと華やかさがないとか、お葬式みたいだということらしく、招いてくれた新郎新婦をお祝いする気持ちを明るい色のドレスで華やかに表現しましょうということらしい。
一番直近に出席した披露宴てのが既に数年前なのですが、そのときはあまりにそういう場が久々だったので、黒のスーツを新調しました。インナーも黒だったけど、キラキラしたスパンコールの付いたキャミソールにして,華やかさを出したつもりだったけど、そんなんじゃダメだったか?(苦笑)若い世代がパステルのものとか着ればかわいいけどさ、正直もうそんなの似合わんよ。かといって、もっと濃い色のドレスって意外と難しいよ。下手すると水商売みたいに下品になっちゃう。上品にするには、ベージュ系とかクリーム系とかがいいかもしれないけど、そうなると今度は白に見えるとかいうことになるんだよな。

あと、面白いのは靴の素材。スエードってよくないっていう人がいる。私はよく使っていたが(笑)カジュアルだっていうことらしい。一方で、スエードを勧めている人もいるし、ようわからん。
素材の話だと、洋服でツイードはダメだって意見もある一方、ウールのスーツも寒い時期には防寒にもなるし良しという意見もある。

私が最初に買ったドレスは、黒のベルベットのものでした。当時、私は大学生で、兄たちの結婚式が数ヶ月以内に連続したので、そのために購入。しかし、そのままだとちょいと地味なので、ショッキング・ピンクの帯のような太いサッシュ・リボンを腰に結びました。右も左もわからん買い物で、店員さんに提案されるままに買ったような気がするが。そのドレスは、大学卒業時の謝恩会でも着用しましたが、今度は大ぶりのピンクのラインストーンでできたイヤリングを組み合わせたりして、結婚式よりも派手めに着ました。

しかし、20代も半ばを過ぎると、友人たちの結婚ラッシュが始まります。一体、何回出席したことか。ドレス1枚じゃどうにもならない。ひどいときには数ヶ月置きに、結婚式に出席していたような気がする。その度に、ドレスを新調することも馬鹿馬鹿しいし、当時はまだレンタルも今ほどこなれてなかった。ってことで、私は開き直り、普段にも着まわせるものを購入し、アクセサリーなど小物をプラスして誤魔化すという作戦に出た。自分では、友人を心から祝福する気持ちさえあれば、多少のカジュアルさは許してもらおうと(笑)
夏場には、軽いパンツ・ルックで出席したこともあるな。白いジャケットと黒いパンツというスーツで出たこともある。このジャケットには黒い巨大なボタンがついていたんだけどね。白いデコラティブなブラウスにサテンのロングスカートということもあったし。全身白くなきゃいいか、くらいの勢いで。ツイードのスカートにベロアのジャケットというのもあったし、サテンのブラウスにアシンメトリーのスカートとか、ちょっと派手目な色の単なるスーツとか。何しろ、アクセサリーやストールなどを組み合わせることで華やかさを出して、結婚式にしか着られないというものを極力買わずに済ませた。
招待してくれた友人の中には、私の服装が不満だった人もいたかもね。

そういえば、2次会だけだったけど、冬の雪交じりの雨が降る日だったので、ニットのワンピースにスエードのブーツを履いて行ったら、招待された側の友人で、「ブーツで来るなんて」と非難してきたコがいたっけ。
私の中では、それなりにTPOは考えていたつもりだったのだけど、今から思うと、結婚式というものを割りと軽く考えていたのかもしれません。大体、自分は結婚式も披露宴もパーティーさえもやってないし(爆)

だんだんいい歳こいてきて、ちゃんとした格好をしないのも格好がつかなくなってきちゃったな。今度そいういう機会があったら、ちゃんとして行かないといけないねぇ。
posted by nbm at 11:38| Comment(6) | TrackBack(0) | どうでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

ふぁっしょんチェッーク!

2日間、連続でお茶の水を歩き回って、感じたことがある。楽器店が密集しているとあって、当然音楽をやっていそうなルックスの若者は多い。スタッズ付きのアクセサリーとか、金髪とか、ビジュアル系とか、そういうルックスの若者が通りに多いのは頷ける。んだけど、その一方で、おそらくM大であろう学生が地味なこと(笑)
男の子も地味だけど、女の子も地味だ。これは、色使いによる印象の問題だったのかもしれないけど、何しろ見かけるのはベーシック・カラーのみ。グレー、ネイビー、黒、白辺りでしか構成されていないファッションばかり。バッグやアクセサリーでのさし色もナシ。んー、なんだかもったいないゾ。もっと、はじけるべし!
一瞬、時代の閉塞感や流行のせいなのかとも思ったけど、他の街を歩いていてそんな風に感じたことはないし。勝手な推測だけど、「校風?」って思っちゃった。
この大学を出た人は知り合いに少ないけど、確かに地味めだな。

自分が通っていた大学は、大学自体は無名で目立たない存在だったけど、ここまで地味ではなかったな。ま、バブル全盛期だったけどね(爆)見た目だけでも色んなタイプの人がいたし。
キャンパスがある街の雰囲気というのも、校風や学生の気質と影響しあっているようにも思えますわね。
御茶の水は、楽器店と大病院が密集する街で、たとえば雰囲気のよさそうな喫茶店もあまり見かけないし、かわいらしい雑貨屋とか、洋服を扱っているようなお店とか皆無に近かった。学生たちは、みんなどこで遊ぶのかな?池袋や新宿、渋谷辺りに繰り出すのか?

自分の大学があった街は、大学が3つあったので、学生街とも言われてて、喫茶店の密集率が日本一とも言われてた。いろんなタイプの喫茶店があって、その日の気分でいろんなお店で友人たちとランチやお茶をしたものです。一方で、小さな大学だったので、学食や図書館に行けば、誰かしら友人に出会えるといったようなこじんまりとした雰囲気もありました。
男の子でもファッショナブルなコもいたし、毎日詰襟の学ランを着ているコもいれば、カジュアルなコもカチッとしたおしゃれをするコもいた。女の子は、ワンレン・ボディコンのコもいたし、ファッション誌から抜け出たような”女子大生”然としたコもいれば、古着を着こなすコもいたし…。

御茶の水で見かけた学生さんたちは、ユニクロあたりの、しかもベーシック・カラーのものだけを選んで着てるみたいな印象だった。校則で決まってるのか?ってくらいに画一的。個人的な感想だけど、つまんね。せっかくいろんなおしゃれにチャレンジできる年頃なのに。あれじゃ、ちょっと色の着いたもの着てるだけで、キャンパスで悪目立ちしそうだ(笑)

何も色が地味だからいけないってわけじゃなくて、地味な色だけでも当然おしゃれはできますし。なんだか画一化されている印象を持ったのですよ。個性を感じない。意識的に目立たなくしているというか。それに、どよ〜んとしてて元気がない。それが気になっちゃったんだな。

私自身、ファッションについて、大学時代は試行錯誤の時代でした。高校時代はそれほど冒険はしなかったけど、大学に入ってから冒険するようになり、色んな路線を試してみたもんです。若いからできるのさ。今思い出すと恥ずかしいけど、おもしろいカッコしてたな(爆)学生だから、当然高いものは買えず、バイト代で買えるものでローテーションを考えたりしてさ。母が若い頃に着ていた古着を引っ張り出してきて、なんとか着られないものかとチャレンジしてみたり。そういうのも楽しかった。

今かわいらしい洋服を見かけたりすると、それが着られる若い女の子が羨ましくなるんですよね。着られるうちにファッションを楽しんでほしいなぁ。

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2009年10月21日

RDG

さっき、テレビの画面に何気なく映った文字を「田井中 律」と読んでしまい、いっしょにお昼を食べていたダンナさんに「なにをゲシュタルト構成してるんだ?!」と言われてしまいました。崩壊させずに構成することに成功したぞ!いや、『徹子の部屋』に”田中律子”さんが出てただけなんですけどね。似てるじゃないか。そりゃ、いくらなんでも『けいおん!』の律ちゃんが、『徹子の部屋』に出るなんてことはないんだけどさ。画を想像すると面白いが(笑)

んじゃ、本題。
しばらく前、本の雑誌「ダ・ヴィンチ」に、最近の日本のファンタジー作品として紹介されていた荻原規子さんの『RDG レッドデータガール はじめてのお使い』。なんとなくは知っていた作品だったのですが、紹介文が面白そうだったので、早速図書館で借りてきましたよ。

熊野の山の中、お祖父ちゃんが宮司を務める神社で育った泉水子(いずみこ)ちゃんを主人公とした作品。泉水子ちゃんは、おとなしくて目立たない中学3年生の女の子。長い三つ編みがトレードマーク。わけあって、父・母とは離れて暮らしているのだけれども、突然父から東京の私立高校に行ってはどうかという話が浮上。神社と学校との往復しかしたことのない泉水子には、考えられない話。その上、父の友人であり後見人でもある相楽雪政が、自分の息子であり泉水子と同じ歳の深行(みゆき)を泉水子の下僕として同じ学校に入れるという話も出てきて…。
そんな状況の中、事態は急展開。泉水子の秘密がだんだんとわかってくるのであります。

泉水子ちゃんが、非常に大事にされていることはよくわかります。毎日学校への送り迎えの車があって、鍛錬を積んだ山伏の野々村さんが運転手を務めます。寄り道は一切なし。泉水子ちゃんは、お店に入ったこともないという箱入りさ加減。後見人の雪政さんは派手で、いちいちヘリコプターで登場するという人だけど、この人も山伏。で、息子の深行くんも、山伏の修行を積んでいる途中。
そのうち、目に見えない世界の話が混ざってきて、調伏とか真言とかが出てくる話になってくるわけですね。

この本でとても気に入ったところは、神霊の捉え方。神霊が本来はニュートラルな存在で、遍く存在し、きっかけ次第で、人間にしてみれば良い存在にも悪い存在にもなるのだという感覚。これがいいです。一応言っておきますが、”心霊”でなく”神霊”です。ひらたく言えば、神様ってことでいいでしょうか。

しかし、この本を貫くテーマは、<自分から何かを始めること>、もしくは<自分が変わること>。
この本のおしまいの方に、こんなことが書かれています。
自分から知ろうとしなければ、何ひとつ見えてはこないのだ。命がけだということも、それを知っていて行うか、知らないまま他人まかせで行うかでは大ちがいだった。

泉水子ちゃんが、ほんの小さな行動を自ら起こしたことで、彼女の世界は急速に動いていくことになるのです。

さて、最近急に猛烈にギターがやりたくなって、あれよあれよという間にギターを買ってしまったわけですが、考えてみれば、自分から大掛かりな新しいことを始めようという気持ちになったのは、本当に久しぶりのことだったような気がします。傍から見れば、”やっちゃった感”が強いのではないかと思うのですが、当人はいたって真面目に、そして長期的な展望で捉えているので、単純に楽しいだけです。「うっわ!全然できない〜」とか言いながら、毎日ちょっとずつギターに触っておりますよ。
この自分の中から湧き上がってきた衝動で大きく動くということ。とても新鮮に感じました。そりゃあ誰でも生活している中で、小さな選択を繰り返しているわけですけども、まったく知らない世界に飛び込むというのは、やはりなにがしかの勇気がいるもので。何かをするには用意周到に準備するというのが常である自分には、とても苦手な動き方なのですよ。たまには、こんな後先考えないような思い切った行動も気持ちのよいものです。
ちなみに、楽器店の店員さんに聞いたところ、いい歳こいてギターを始めるオッサン・オバチャンは増えているそうだから、希少種ってわけじゃなさそうだけど(笑)

『RDG』は続編が出ています。今回の本では、物語の始まりを説明しているにすぎないという感じなので、続編に期待!
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2009年10月19日

荒馬がおうちに…

タイミングというのは、不思議なものです。
昨日、とりあえずお茶の水にギターを見に行ってみたわけですが、決めきれず…。
そして今日。どういうわけかダンナさんが臨時休業となり、再び御茶ノ水へ。

とりあえず、決まっていたのは、レスポール・タイプよりも、ストラトキャスター・タイプの方がいいってことだけ。
そして、悩み始めの元凶は、ショートネックでした。ネックが短く、弦のテンションがゆるめなので、女性や子供にも弾きやすいという話。
ですが、このショートネックのギターというのは非常に限られていて、代表的なのはFenderのジャガーやムスタング。
で、やっぱりムスタングがいいなという話に。元々は、Fender USAの古いモデルでした。USAでの製造が終わってしまい、今はFender JAPANで復刻されているというわけです。
ステューデント・モデルと言われるように、当初は初心者向けのもののはずでした。しかし、それは60年代のこと。今から考えると、決して弾きやすいモデルではありません。ショートスケールであることと小振りで軽いという面では、扱いやすいのですが、構造上、弦が外れやすかったり、チューニングが狂いやすかったり、また音の作り方が難しかったりと、実はなかなか扱いの難しいギターなわけで、決して初心者向けとはいえないモデル。なのに、その中身とは裏腹に、キュートなルックスにイチコロになる中毒患者が続々と生まれているナゾのギターです。
中古で充分と考えていたわけですが、調べていくと、調整が難しいこのギターを、改造しては失敗をくりかえすというようなことが多いらしく、つまり中古はいじり倒されてどうにもならなくなったものである危険性も。あっ、もちろんFender USAのヴィンテージ・モデルは眼中にありません。Fender JAPANの復刻もので充分。
ってことで、結局は新品を買った方が無難であるという結論に。

ここでまた新たなる選択肢が。
マスタングにも、いくつかの型があります。一番初めに目に付いたのは、MG-69モデル。しかし、それよりも少しだけいいパーツを使っているMG-65モデルにダコタ・レッドというくすんだ赤色のものがありまして、この色に惚れこんでしまったのです。ネットでの画像では、こんな色には見えませんでした。実物は、もっとくすんでて変な色(笑)”いいパーツ”と単純に表現してしまうのはちょっと語弊があるかもしれませんが、いい音が出るパーツというより、当時のモデルを限りなく忠実に再現するためのパーツで構成されているということらしい。あまりに綺麗な色だったので、予算はオーバーだけど、これに決めてしまおうと思ったほどでした。

ところがところが…
よくよく見ると、同じマスタングといっても形状がまったく違う。MG-69には、ボディが体に当たる箇所を部分的に薄く削る”コンター”と呼ばれる加工がありまして、それがギターの持ちやすさの一因なのですが、ダコタ・レッドのMG-65モデルには、これがありません。のぺっとしていて、正直、形がかわいくない。色には惹かれたのですが、何度も2本を持ち替えてみると、コンターの有り無しは、意外と大きな差となりました。

ってことで、結局のところ、MG-69を購入!
ボディはイエロー・ホワイトで、ピックガードがべっこう柄でございます。ボディがソニック・ブルーのものもかわいいと思っていたのですが、自分が持つと、「これ、違う」って感じでした。ちなみに、このソニック・ブルーは、『ソラニン』という作品(漫画)で使われているようで、来年には映画も公開されるということで、これからもっと人気が出てくるかもしれません。
人気といえば、当然のことながらアニメ『けいおん!』のあずにゃんモデルもあるのですが、ちょっと可愛過ぎたのと、お高めだったので却下(笑)
それから、これまた映画化された『BECK』で、主人公コユキが使うギターのひとつにMG-69があります。ボディのはじっこに、コンペティション・ラインというストライプが入っているタイプ。ボディとヘッドはオレンジ。
ってな感じで、なにやらファッション先行のギターと言えるかもしれません(苦笑)

言い訳をするわけじゃないのですが、私はキッチュなものが好きです。たとえば、腕時計で愛用している2本は、HAMILTON。スイス製の高級さとは一味違う、「ほんとに大丈夫?」的な危うさが、かわいらしくて魅力的に感じるわけです。
マスタングは、本来はギターを初めて弾く学生が手にするようなモデルでした。しかしそれはもう何十年も前の話。当時のモデルをそのままに再現するということは、進化した技術は使われないということでもあり、ヴィンテージ的な
風合いを楽しむために作られた模造品。といっても、そこは作りが本場USAよりもしっかりしているんじゃないかというくらいのFender JAPAN製ってことで、それなりにこのギターに魅力を感じる人がいるし、逆にいえば実は流行り廃れのないモデルとも言えるわけです。
ま、言い訳はこれくらいで(爆)
要するに、かわいかったんです!
まずは、愛着の持てるギターを入手することが、ギター上達への第一歩なのさ。

手に入れたからには、とりあえず弾きまくらんとね。ついでにアンプも買ってきちゃったから、ばんばん弾くぞー!もちろん、ご近所に迷惑にならない程度でね!
posted by nbm at 22:52| Comment(4) | TrackBack(0) | Guitar | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

ミミック

ダンナさんは、たまにお客さんを連れて帰ってくることがあります。

この夏には、ぐったりと弱ったコガネムシくんを連れて帰ってきました。メタリックに光る緑色の翅をしています。砂糖水をティッシュに含ませて吸わせてみました。最初は、「なんじゃこれ?」とティッシュに近づかないので、鼻先に当ててあげたところ、「お?なんか美味いぞ」と気が付いて、それからは無心にチューチューしてました。少し元気になったので、翌日放してあげました。

先日は、小さな黒いムシくんを連れて帰ってきました。「奥さんは見たことがないんじゃないかと思って」と。それは、アリグモくんでした。
たしかに、まじまじと見たことはありません。その辺にいても、アリだとしか思わないことでしょうね。体長は1センチちょっと。少し艶のある黒い虫。横から見ると、まるっきりアリにしか見えません。一番前の足2本を上げて触角のように見せているらしい。でも、よくよく見ると足が8本。こいつ、昆虫じゃねぇ。
アリグモくんは、ハエトリグモの仲間で、文字通りアリに擬態しているクモ。Wikipediaによると、アリに擬態しているのは、以前はアリに近づいてアリを捕食するためと考えられていたものの、今ではアリが蟻酸で攻撃したりする性質を持つことからではないかと。アリに近づくためでなく、アリに似せて身を守るということなんでしょうか。
アリグモって、薄いベールのような巣を作るんですね。それでちゃんと虫を捕まえたりして食べてるんだろうな。巣は張らないと思っていたのですが、巣を作ることもあるんだ?

アリグモくんの写真を撮ろうと思っていたのですが、なんだかみるみる弱ってきたように見えたので、すぐに放してあげました。

結局のところ、なぜにアリに擬態しているのかというのは、これという定説がないようですね。
擬態する目的は、大きくわけると攻撃型と隠蔽型とがあって、何かに化けて相手が油断して近づいてきたところを捕食する擬態か、食えないものとか危険なものとか食べられない何かに化けて捕食されないようにする擬態かってことですよね。
だけど、このアリグモのように、なんで擬態してるのかようわからんてヤツもいるみたいです。要するに、見た目とその生態から、人間が勝手に解釈をつけているわけですからね。本当のところはわかりません。アリグモくん、きみは一体どうしてそんな格好をしているんだい?

そういえば、先日、NHKで熊田千佳慕さんを追ったドキュメンタリーを放送してました。昆虫の細密画を描く方です。ファーブルが大好きで、飽きることなく何時間も虫を見つめては、その絵を頭に焼き付けておいて、後で描くわけですが、その精密さったらありません。日本にいない虫は、標本を取り寄せて、それを観察しながら描いてましたが。その画法は点描。小さな点を打っていくだけ。なのに、あの生き生きとした虫たちの絵が描けるのはなぜでしょう。
ご自身のページにはあまり絵が載っていないので、コチラをどうぞ。「PingMag」というアート系のウェブマガジンのようですが、ご本人のインタビューも載っています。

熊田さんは画家ですが、熊田さんのように、情熱を持って、自然の中でアリグモを日々観察してくれる人がいたら、アリグモの生態も明らかになるかもしれませんね。
posted by nbm at 15:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 生物学系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

冷やし中華、始めました!

しばらく内緒にしておこうと思っていたのですが…書いちゃいます!
ギター、始めました!(爆)エレキギターです。冷やし中華はやってません(笑)

中学生の頃からバンドには憧れがあったものの、音楽の趣味が合う人間がまわりにはいなくて、何も行動に移さぬまま。高校でも大学でも、ちょっと助っ人にボーカルをするくらいで、スタジオ練習には参加しても、結局ライブは一度も体験せぬままに終わりました。
ピアノの経験から、キーボードをやってくれと頼まれたこともありましたが、これも結局は実現せず。
もし、自分がバンドを組んで何か楽器をやるとしたら、ドラム。でなければベースがかっこいいなと思っていて、私の頭の中にギターという3文字はまったくなかったのでした。

それが、このところダンナさんをはじめとするまわりのオッサン連中が、ギターを弾き始めて、それがあまりに楽しそうなので、とても羨ましくなり、ついに「私もギターがやりたい!」とのたまってしまったのです!
女子高生じゃないんだから…と思いつつ、練習開始ですよ。

ゆうべ、初めて本格的にダンナさんからギターを教えてもらいました。ダンナさんもボーカルが専門ですが、ギターもある程度は弾けますのよ。おほほほほ。うちにあるのはフライングVとアコースティック・ギターだけなので、とりあえずフライングVで練習(爆)って、最初がこれかよ!
フライングVってのはですね、文字通りV字型をしたギターで、座ったままだと非常に弾きにくいんです。お股にギターを挟んで、かなり立てた状態で弾くことになります。通常のギターの中央を絞った形というのは、座ったときに自分の腿に乗せて安定するカタチなわけですね。
基本姿勢から始まり、スケールやらドレミやら、簡単なコードやらを教えてもらいました。
右利きなので左手で弦を押さえることになるわけですが、こ、小指が上手に使えない…。と思っていたら、ネックの裏に当てる親指の位置をスライドさせればいいことに気づき、だいぶ楽になりました。左手で弦を押さえることに集中してしまうと、ピックを持つ右手の動きがおろそかになる!おぉ、この左右別々の動きを同時にやる感覚。新鮮です。

ピアノを経験しているので、右手と左手を別々に動かすことは慣れているはずなのですが、ピアノとはまた異質な感じがします。
ギターを初めて弾くと、今まで経験したことのないような指の動きをせねばならないので、痛いという人が多いそうですが、私は痛みは感じませんでした。そこは鍵盤楽器をやっていた経験が強みになっているかも、とはダンナさんの話。

とりあえず、初回のレッスンは小1時間で終了。あとは、地道に練習するのみです。とりあえず、クロマチック練習というスケール練習的なものをやって、確実に音を鳴らせるように慣れていこうと思っています。こういう面白みのない練習が、実は効果が絶大であることは、やはりピアノでハノンをやっていた経験から理解できます。ゆっくりでいいから確実に鳴らす。まずはこれですね。

肝心のギターは、只今物色中。私は中古で充分なので、中古で探してます。中古だと、使い込んでるってだけで、もとは良いギターがお安く買えますし、何せ初心者ですからね。それで充分です。実際弾いてみて、やはりショートスケールの方が楽。あとでロングスケールへの乗り換えが大変とかいう意見もあるけど、乗り換えないから大丈夫(笑)大まかに、レスポール・タイプとストラトキャスター・タイプがありますが、感覚的にはストラトの方が自分にはしっくりする感じがします。ってことで、ショートスケールのストラトが狙い目。だけど、Fenderムスタングは『けいおん!』のあずにゃん効果からか、ちょっとお高め。とすると、ジャガーあたりかな。

た…楽しい!
目下の悩みは、変なところが筋肉痛になること(笑)両脇から背中にかけてが筋肉痛になります。なんじゃこれ?どんだけ普段使ってないんだよ。
あとは、練習時間を捻出しなければならないことだな。
posted by nbm at 10:37| Comment(5) | TrackBack(0) | Guitar | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

月の輝く夜に

数日前のこと。台風一過の夜でしたか。寝る前になんだか空がどうなっているのか気になって、ベランダから外に出てみました。時刻は午前2時頃だったかな。
すると、観たこともないような、巨大な月暈が!
見た目の月の直径から考えると、その20倍くらいの半径の、ドデカイ月暈がありました。月暈自体は、そんなに珍しくありませんが、この大きさは観たことがないぞ。

ちょっと調べてみました。
月暈というのはですね。ある種の光学現象で、光源の周りにまぁるく光の輪が見えるアレです。暈はハロともいいます。光源が太陽なら日暈となりますが、ここでは月暈として説明しますね。
月暈には大まかに内暈と外暈の2種類があるようです。空中の氷晶が光を屈折させる現象なわけですが、その屈折の角度によって、暈の現れ方が異なってくるようです。
雲の中にある氷晶は主として六角柱、つまり鉛筆のような形をしていて、それがプリズムの働きをするってことですね。光がその氷晶の中をどのように通過するかで、光の屈折する角度が変わってくるわけです。
内暈は22度ハロ、外暈は46度ハロと呼ばれるもののようです。で、ここからがわかりにくいのですが、この角度は何かというとですね、最小偏角なんですが…ええい、めんどうだ!腕をまっすぐに伸ばしたときに、人差し指で月の中心を指差したとして、親指との間の角度を22度にしたときに人差し指を軸にしてくるっと回せば親指の延長線上が内暈の大きさになるはず。っと、ちょっと待てよ。本当か?(笑)同様に、46度で指差してくるっと回せば、それが外暈になるはず…なんだけども。たぶん。
詳しい原理はコチラの『空の輝き』というHPの「9度のハロなど」の項目の図がわかりやすいかと。あとは外暈などの項目をご覧になってくださいな(笑)
説明するのが面倒で、数日記事を寝かせてしまったよ(苦笑)

何にせよ、本当に稀な現象であったようですわ。内暈は頻繁に観るけどね。あんなドデカい暈を観たのは、確かに初めてだったかも。ちなみに、そのときの内暈はわからなかった。なんだか細かく考えると、現象としての分類が難しいみたいなんだけど。これ以上は、勘弁してください(笑)

今年の中秋の名月も、すでに過ぎ去ってしまいましたが、月夜はいいもんですなぁ。
最近新しい音楽を仕入れてなくて、図書館に行ったときに、なんかないもんかとCDを探してみたところ、以前カセット・テープで所蔵していたアルバムを発見。The Gipsy Kingsの『Mosaique』というアルバムです。彼らの経歴からすれば、「DJOBI DJOBA」や「BAMBOLEO」などで爆発的に売れた後の作品になりますかね。ベストアルバムには収録されないけれども、大好きな曲がこのアルバムに入っているのです。それが「LIBERTE」という曲でございます。YouTubeに落っこちてたのはコチラ。画像がナンですが、音が一番良かったので。インストゥルメンタルで、個人的に月の冴えた夜によく似合う曲だと思っておりまして、月夜の夜に、ひとり車を運転しているときなどによく聴いていた思い出があります。当時は車の免許を取ってまだ数年ってときだったと思います。最寄駅まで車で通っていたので、駅からの帰り道によく聴いていたな。もう20年も前の話なんですねぇ。

当時はなぜか、生ギターの音が好きで、ゴンチチなんかもよく聴いていた覚えがあります。
このテのギターの音として私が洗礼を受けたのは、Al Di Meola「Lady of Rome,Sister of Brazil」という曲でした。これも動画がウザイけと音だけ聴くにはコチラで。これを聴いたのは、まだ小学生の頃。音楽に興味のなかった兄が、友人に作ってもらったテープの中に入っていたのですが、兄自身があまり聴かなかったため、私が勝手に聴いてました(笑)この曲は、寝しなによく暗闇の中で聴いてた。

ギターの音ってのは、闇に合うんですかいの?

posted by nbm at 03:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 天体・気象 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

世界の国からコンニチワ

世界の言語分布に関する本を読んでいたら、高校時代の世界史を思い出しました。そして、個性的だった世界史の先生を思い出しました。その先生、”Tくん”は、宇宙人と噂されていた人物。頭のハチが大きいのに細いアゴ。頭が大きく、体が小さくて、どことなくアンバランスな体系。離れ気味でつりあがった目などが、グレイタイプを思わせたのかもしれません。しかし、ポイントは他にあって、神出鬼没だったんです。そこで見かけたと思ったら、次の瞬間には向こう側の渡り廊下を歩いてる、とか。瞬間移動しているか、もしくは、”Tくん1号”から”Tくん3号”くらいまでいるんじゃないかという疑惑が…。授業ごとに1回は「ディレンマ」という言葉を使っていたような。必ず「ジレンマ」でなく「ディレンマ」と発音してました。「ビザンチン」は「ビザンティン」ね。広く社会科を担当されていたので、憲法9条を暗唱するというテストも覚えてます。変な先生だった。

さて、私に世界史の授業を思い起こさせたのは、町田健さんの『言語世界地図』という新書でございました。町田先生は『タモリのジャポニカロゴス』に出ていた方ですよね?日本語について研究されている方かと思い込んでいたのですが、世界の言語を研究されていたのですね。
世界には、言語が6千とか7千種類も存在しているのだそうです。その中で、主要な言語をとりあげて、歴史や成り立ち、分布などを教えてくれます。

以前に読んだ『クオリア再構築』の中で、言語というものが、話す民族・国家が支配的になることで広まり、また征服されることで衰退し淘汰されていくものだという事実を確認しました。言語の分布は、それを司る人々の勢力分布でもあるわけですね。冒頭で触れた世界史の授業では、それぞれの時代・民族の文化などよりも、この戦乱でこう勢力分布が変わったというようなことを主として学んだ気がします。この『言語世界地図』に載っている言語の分布図は、それぞれの言語の話者の勢力分布図にほかならないわけで、だから連想したのですね。
現在、一番多くの話者を擁するのは中国語。広大で人口も多い中国とシンガポールとで13億人いるそうだ。一方、広まっている地域としては最大とされる英語は、55カ国で10億人の話者がいる。
フランス語というものを考えると、その辺のことを理解しやすいような気がする。現在、国連で公用語になっているのは6言語。その中のひとつであるフランス語は、実は話者数からすれば、日本語よりも少ない9千万人。でも、フランス語からの外来語が多いことからもわかるように、英語には多大な影響を与えた言語であるし、20世紀まではフランス語が世界の外交用語だったことなどから、今もその勢力の名残を誇っていることになっている。同じフランス語っていっても、カナダと本国フランスとじゃ、話が通じないらしいがな(笑)
他言語同士で翻訳できることを考えると、基本的に表現力としてはどの言語も変わらないはず。なのに、話者が多かったり少なかったり、そしてそれが時代によって変遷していくというのは、やはり支配するかされるかの問題が大きいのですね。

日本のように、ひとつの国でひとつの言語というのは、非常に珍しいことなのですね。もちろん、厳密に言えばアイヌ語やうちなーぐちがあるわけですが、実際には標準日本語が一応通じるし。方言というものもありますけどね。それだけ、他国からの侵略や、言語の変更を伴うような大々的な宗教の広まりなどがなかったという証明ともなるのですよね。国が狭いってのもあるのかもしれないな。以前、職場にいた中国人の同僚は、中国国内でも言葉が全然違うから、遠くに嫁に行くというのは外国よりも遠く感じると行ってた。実際、妹さんが結婚することになって、言葉も通じない遠くに行ってしまうので、ご両親が悲しんでいるという話を聞いたのさ。
この本で一番衝撃を受けたことは、「日本語は簡単」だということでした。言語を比較する場合、文法や発音する音の種類・数などが基準になるようなのですが、日本語の発音は母音が5つと比較的単純。そして、”膠着語”という部類になるそうです。”膠着語”とは、単語に接頭辞や接尾辞などを付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持つ言語。いわゆる「てにおは」ですよね。うん、確かに日本語を勉強する外国人にとっては、この助詞の使い方はネックになってる気がする。韓国語やモンゴル語、トルコ語系やフィンランド語など北欧の言語が、同じ膠着語にあたるそうです。実は、世界の言語の大多数が膠着語なんだそうだ。つまり、こういった言語とは、文法として、相互に理解しやすいということだね。つまり、日本語は規則性が高く、覚えやすい言語だということ。たしかに、名詞や動詞がごちゃごちゃ変化する言語というのは、日本人にとってはとっつきにくいですわね。日本語の文字の種類が多いのは難点だろうけど、簡単だったのか。
日本語は、世界でも古くから非常に発達した言語であったようで、現存する文学を考えると、文献として最古とされる『万葉集』や『古事記』が、すでに文学作品と言えるということは誇っていいことらしい。同時代に、ギリシャ語や中国語以外では、まだ文献すら登場しないんだそうだ。文献が残っていないというだけで、日本語はすでに弥生時代から使われていたと考えられている。当然、時代とともに変化はしてきただろうけど、原型がそんなに古い言語だと意識したことがなかったな。
外来語を考えると、文化の面で接してきた国々が見えてくるよね。蛇口の「カラン」や「ビール」「ランドセル」「アルコール」「メス」などのオランダ語。「パン」「カッパ」などのポルトガル語。昔はもっとこれらの国の影響力が強かったのかもしれないね。

あとがきには、こう書かれていました。
お互いの言語がどのような特徴をもっていて、どんな地域でどんな歴史や文化を背景として使われているのかを知っていれば、そうでない場合に比べて、相手がどんな考え方をする人間なのかという情報についての手がかりが得られる可能性が高まります。

最近、騒音についての苦情が増えているのだそうですね。つきつめてその原因を考えると、ひとつには希薄になった近所付き合いが挙げられるとか。つまり、例えば子供が騒いでいても、どこそこの誰ちゃんとわかっていれば、あまり気にならないということ。これを世界レベルにあてはめても、同じことが言えるんだなと、そんな風に思いました。
posted by nbm at 11:17| Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

メロン・ボールがいっぱい

昨夜のこと。
ダンナさんは、友人宅へギターを弾きに出かけていたので、私は午前3時頃まで仕事をしておりました。一段落して、寝ようと思い、布団に入ったのですが、内容はよく覚えていないものの、悪夢の連続で寝られません。何かが出てきて私の睡眠を邪魔しているような夢。まんまやんけ(笑)本当に夢だったのか?
で、目を開けました。すると、部屋の空間いっぱいになんだかごにょごにょしたものが…また、コイツらか。以前観たときは、テニスボール大かもしくはもう少し小さい感じでしたが、今回は小さめのメロンくらいな感じ。えっと、透明の球体が重なり合っているような状態で、それぞれの球体の縁がほんのりグリーンに蛍光しているように見えます。それらが微妙にうごめいているように見える。気色が悪いので、照明をつけました。すると、気配は消え、その後はぐっすり。気のせいですね。えぇ、きっとそうです。そういうことにしておきましょう。

朝になって、そのことをダンナさんに話すと、「俺も、寝たかと思ったらすぐに誰かに叩かれて起きた」
なにぃ?!やっぱり何かが居たのか?!
「腕がケイレンして自分で自分を叩いてた。ギターの弾き過ぎ!(爆)」
このところ、あまりにもギターを弾いているので、腕が痛いと言っていたダンナさんですが、ビクンと大きくケイレンしたらしい(笑)その反動で足元の扉を蹴り、大きな音がして、2度びっくり!みたいな(笑)
先日テレビで観た”ビビリ小熊”を思い出したよ。あれ、滅茶苦茶かわいかったな。あまりに臆病なんで、子ライオンとか子猿とかと触れ合わせてみるんだけど、ビビってコケまくり。
韓国版YouTubeにあった動画はコチラ

しかし、あの透明の球体たちは一体?
そういえば、以前の「オーブ観察会」のときも、夫婦揃って疲れきっていましたっけ。そして、別に金縛りになることもなく、ふと目が覚めた。それも2人とも。
今回は、金縛りはなかったものの、イヤな感じはありました。ただ、照明を付けたら瞬時に消えた。一人で寝てたんで、そんなわけのわからんものを長時間観察するのはちょっとヤーよ。






posted by nbm at 12:42| Comment(8) | TrackBack(0) | 不思議な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

週間34→37

あ゛ー!
久々にやってしまった…。書いた記事を消してしまいました。こういう記事に限って、力作なんだよなぁ。もう少しで書き終えるところだったのに…orz.悔しいので、多少省略しつつ、思い出しながら書いてみます…こうやると、大抵、駄記事になるんだよな(苦笑)

とうとう10月。昨日からアニメも新番組がスタートしております。この新クールは少ないかなと思っていたのですが、ちゃんと数えたら、前クールよりも多い!37本もありますがな。
前クール、観始めたときは34本だったものの、途中で7本脱落し、しまいには27本になってました。うちのペースを考えると、1日4〜5本、週に28本程度が限度なのかと思われ。それでも、1週間休みなく、1日あたり2時間は観ていることになりますが。おなかいっぱいだよ。
このクール37本観ようとしているということは、10本くらいは観きれないということになるんじゃないのか。だけど、捨てるべきものがまだ2、3本しか思い当たらない。新作のうち10本くらいは続編だから、なんとなくは作品の様子がわかるのですが。とりあえず、第1話を観てみないことにはわからない。意外なものが面白かったりもするし。それと、テレビ的には再放送だけど、未見の作品もあります。『バッカーノ!』『おおきく振りかぶって』はおさえておきたいし、『グイン・サーガ』はちと悩むけど。

とりあえず、9月までの作品についてメモしておきます。
自分から続きが観たいと思って観ていたのは以下の作品。
『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』
原作に忠実ということで、筋も登場人物も前作とは異なっている作品。でも、ちょっと話をはしょりすぎていて、前作や原作を知っていても、エドとアルの兄弟に感情移入するヒマがない。話数に限りがあり、シリーズ構成的に難しいのでしょうが、もう少しじっくり描いてほしかった。
『化物語』
西尾維新原作×シャフト製作×新房監督ということで、注目の作品だったわけですが、静止画が多すぎる(笑)手法といえばそれまでなんだけど。ナゾのコマや実写がはさみこまれるなど、新房演出が炸裂してました。嫌いじゃないけど。『傷物語』や『偽物語』も続編として作っていただいきたい。
『懺・さよなら絶望先生』
1つのクールに新房作品が2作品ってのはどうなの?個人的には嫌いじゃないからいいけど。シリーズ3作目ということで、フツーは惰性に流されていくのでしょうが、これは3作目にきてまた一段と盛り上がったような。毎回の惨殺シーンもいいし、OPの「林檎もぎれビーム」は楽曲もムービーも秀逸。
『かなめも』
4コマ原作ということで、あまり期待していなかったのですが、意外とよかった。後に伝説となった、ミュージカル回の♪ぺろん、ぺろん♪が強烈でした。しかし、ええ話やということが多く、何気なく涙腺を刺激した作品でもある不思議。
『シャングリ・ラ』
設定が複雑で、原作を読まねばわからんと思っていたのに、最後まで原作が読めんかった。炭素経済とか、人柱とか、おもしろかった。絵が綺麗なのも魅力のひとつだったのだけれども、最終回あたりで崩壊してしまったのが残念。元相撲取りのオカマちゃん・ミーコ役の大塚芳忠さんが効いてた。
『咲‐saki‐』
麻雀がさっぱりわからないのに、不思議に楽しめた作品。ひとりひとりのキャラが立っていて、女性声優さん豪華競演みたいになってた。このクールになぜか多かった、微妙に百合っこの設定。これもそんな作品だった。咲と、離れて暮らすお姉ちゃんとの対決がまだだし、これは続編がくるか?
『戦場のヴァルキュリア』
ゲーム原作って難しいけど、なかなかまとまってたような。第2次世界大戦中のヨーロッパ的な設定に、戦争の戦略、恋に友情と盛りだくさん。だけど、アリシアがヴァルキュリアとして目覚めるのが遅かったような。
『GA 芸術科アートデザインクラス』
絵さえ描ければ、私もそんな学校に行ってみたかったよ。キャラのかわいさにだまされるが、実はハイパーなスピードでボケまくるという作品。しかも、ボケっぱなし。誰かツッコめよ。
『NEEDLESS』
まったく内容を知らずに観だし、「主役の声は子安さんでよかったのか?」と疑問に思った次の瞬間、思い切り肯定した作品。超くだらない。だけど観る!続くし!
『宙のまにまに』
「健全すぎる」と批判された作品。確かに。だけど、数あるアニメ作品を観る中、これを観るとホッとした。超フツー。しかし、我が埼玉が誇るビクセン協力のもと、正確に描かれる星に感動する。ホロリときたりしつつ鑑賞。みんな”萌え”を求めすぎだよ。こんな作品もありってことでいいぢゃないか。
『大正野球娘。』
かわいい女の子たちが、男子に負けじと野球に頑張る姿が清清しい作品。『宙のまにまに』とこの作品、1クールに2作品の主役を張った伊藤かな恵は、これからブレイクか?ドラマ『幼獣マメシバ』のときは、中学生かと思ったぞ。
『青い花』
原作のエロ描写を除いて描いたという百合アニメ。主人公役の女優・高部あいちゃんは、がんばってた。もうひとりの主人公あーちゃん役の儀部ゆう子さんの明るい声も、役柄とマッチしていて、とてもよかった。NOISE枠としては、今までで一番良かった作品かも。

さて、今日は昨夜録画していた『けんぷファー』『にゃんこい!』を観てみなければ。


posted by nbm at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | コミック・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする