2009年12月30日

輝け!nbm Awards 2009!(書籍編)

昨日は、NICKELBACKの「Animals」を繰り返し弾き続けるという、”動物地獄ループ”状態でありました。やっぱり、難しい…。ミュートがうまくできないから、余計な音がたくさん鳴っちゃってます。フォームを改善しようという意識が芽生えはじめたところなので、右手のピッキングのフォームを気にすると、左手のコードを押さえ間違ったり、脳内が大混乱しているのがよくわかる状況に陥ります。それでも、無理やりテンポを速くした曲に合わせて弾いたあとに、オリジナルのテンポで弾いたりすると、なんとなく指の動きが曲に付いてくるように感じられるものです。

さて、そろそろ”あの”nbm Awards発表の時期となりました。って、誰も知らんてー(笑)
今年も勝手に、受賞作品を発表していきたいと思います!
まずは書籍編から。
今年は余裕がなかったわりに、本をたくさん読みました。本は基本的に図書館から借りてます。毎年、毎年、読んだ本はどこかにメモしておこうと思いつつ、実行したためしがなく、今年も全部で何冊読んだのか、定かではありません。ブログに感想を書いているのはごく一部ですし。しかし、ペースから言うと、1週間に2,3冊なので、100冊は読んだのではないかと。
いつものことながら、今年出版された本とは限りません。っていうか、新刊はほとんど無いな(笑)図書館で人気のある新刊を借りようとすると、何ヶ月も予約の順番を待つはめになりますし、それだけでもかなりなタイムラグになりますからね。それに加えて、自らの興味が赴くままの読書ですから、流行と無関係なのはご了承ください。
今年の傾向として、自分にしては小説を多く読んだと言えるかも。といっても、いわゆる文芸と言えるほど真面目なものはほぼ皆無だけどね(笑)私にとって、読書は娯楽。読んでて楽しくないと!
ってことで、発表!

<小説部門>
『エッジ』 鈴木光司 記事あなたは私ですか?
『リング』以来の衝撃を受けた作品。高等数学、考古学、量子力学、宇宙物理学、地震学…それぞれの分野の事柄が集約されていくという途轍もないお話。久々に楽しませていただきました。
『RDG レッドデータガール はじめてのお使い』 荻原規子 記事RDG
神霊という存在の捕らえ方がニュートラルなところに好感が持てた作品。続編『RDG2 レッドデータガール はじめてのお化粧』も読みましたが、それぞれ個性的なキャラが出てきて、続きが楽しみなシリーズとなりました。
「始末屋ジャック」シリーズ F・ポール・ウィルスン 記事世界は続くよ、どこまでも偉大なるリペアマン
シリーズの新刊が今年出ていたことに気付き、2週間の間に、遡って前々作から3作品(文庫本全6冊)をペロッと読んでしまった面白さ。続きを読む頃にはまた忘れてて、読み返すことになるんだろうな…。現実離れしたジャックというキャラクターは非常に魅力的。映像化の際には、ぜひジェフリー・ドノヴァンで!(←しつこい!)

<ノンフィクション部門>
『イギリス人はおかしい』 高尾慶子 記事Stupid White Bear ?
リドリー・スコット監督の邸宅などでハウスキーピングをしてきた方のエッセイ。イギリス人の機械に対する感覚と、日本人のそれとがかけ離れているという話が一番興味深かった。
『月で遊ぶ』 中野純 記事月は人を選ばないegg moon
『闇を歩く』 中野純 記事闇を聴く
『東京「夜」散歩』 中野純
『ヒトの鳴き声 ホーミーと牛とマッキントッシュ』 中野純
中野純さんの本を制覇するくらい読みました。視覚という感覚を遮断するに近い行為、つまり闇に身を置くことで、自己を認識することなど哲学的な意味も含みつつ、単純に遊びとして楽しむこともできるというその新しさ。そして、様々な月の愛で方。夜というだけで表情をがらりと変える東京の景色。
『国のない男』 カート・ヴォネガット 記事ボコノン教に入信(笑)
カート・ヴォネガット最後の著作。遺言のように、重みのある言葉たち。歳を取ると”現在”起きていることを把握するのは若者よりも難しいと思うのだけれども、現在の現実の問題点を、よーくわかっていらっしゃる。その洞察力に脱帽という本でした。あらためて、カート・ヴォネガットのSF作品を読みたくなりました。
『心霊づきあい 11人の作法』 加門七海 記事情報過多の作法
『怪のはなし』 加門七海
いわゆる心霊現象について、『心霊づきあい 11人の作法』でインタビューされているみんながみんな、自分と同じスタンスであることに驚く。一方、『怪のはなし』では、都会での情報過多が人に与える影響について、自分と同じようなことを感じている人がいることを心強く思った。
『森と氷河と鯨』 星野道夫 記事魂の帰還<リペイトリエイション>
読もうとして何度も図書館で借りるものの、読みきれず、やっと読んだと思ったらそれが著者のほぼ命日だったという本。朽ちるべきものは朽ちさせておく。その精神性が新鮮でした。命の連鎖と長大な時間。いろいろなものを感じさせてくれた本。

<自然科学部門>
『砂時計の七不思議』 田口善弘 記事砂時計、そして塩と米粒決定論的予測不可能性
『渋滞学』 西成活裕 記事自己駆動粒子系全体は部分の集まりか
粉粒体の運動について興味を持って足を踏み入れた世界で、まさか物理学の限界について語られるとは思いませんでした。常識的な範疇の物理学では説明が難しい運動をする粉粒体。これからの研究に注目ですね。”知る”ことと”理解する”ことの違いという難しい問題も提示されてしまいました。砂などの物質でもようわからんのに、それが人とか車とか、意識を持つものだともっとわからなくなる…。学問と学問の間の壁をとっぱらって、今まで切り分けられてきた複数の学問の融合をしていくことで、研究が進むということが叫ばれ始めてますが、必要なことだと思いますです。
『クオリア再構築』 島田雅彦・茂木健一郎 記事エロソバ!
プリミティブなことを実体験することでクオリアを再構築してみようというのが趣旨の体験型対談。いろいろなことが書かれ過ぎていて、紹介しきれないので、興味のある方はぜひご一読ください。
『一年は、なぜ年々速くなるのか』 竹内薫 記事トーマス・マンは偉大だった…
内容については、記事をどうぞ。「これだ!」という明確な答えが得られたわけではないけれども、長年疑問に思ってきたことが様々な視点から考察されているのが面白かったです。

んー、やっぱりSFが読めてない…。”一人SFキャンペーン”といいつつ、何年経ったでしょう?来年こそは!
今年はちょっとスピリチュアルな方向に走り過ぎましたかねぇ。
読もうと思って借りてきたのに、読めずに返してしまった本もたくさんありました。再チャレンジしないとね!来年も気の向くまま、雑多な本を読んでいきたいと思います!
ラベル:nbm Awards
posted by nbm at 17:03| Comment(8) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

ストラップ・デビュー!

フジファブリックのボーカル&ギター志村正彦さんが29歳の若さで12月24日に急逝されました。病名不詳とのこと。
フジファブリックは好きなバンドのひとつで、特に『FAB FOX』というアルバムは大のお気に入りで、何度聴いたかわからない。ちょうど今も、いくつかの山となって100枚ほど机の上に積み上がっているCDの一番上に『FAB FOX』が…
ゆうべ遅く、ネット上のニュースで知ったのですが、あまりのことに信じられず、実感が沸きませんでした。ただ、フジファブリックというバンドは、志村さんが唯一のオリジナルメンバーで、ほぼ一人で音作りをしていたので、もうフジファブリックとしての新しい音には出会えないと思うと、とても悲しい。そう思いました。
今朝になり、フジファブリックのHPを訪ねたところ、一面に訃報が掲載されていて、それを見たときに、本当に亡くなってしまったのだなと実感し、同時に涙が流れました。
大のファンとまでは言えないけれども、本当に悲しい…。ご冥福をお祈りいたします。

さて、「毎日弾かなきゃ」という強迫観念めいた思い込みが取れてからは、弾けるときに弾こうと思えるようになったギター。仕事がつまっているときなどは、数日弾かないこともあります。でも、弾くとなったら大抵は1時間、2時間と弾いてしまいます。基礎練習と、曲に挑戦すること。なるべく両方をやるようにしています。
しかし、曲を弾く場合、まだコードにも慣れていない私は、タブ譜を見ながらゆっくり弾いていくのが精一杯で、曲のテンポで弾くことは無理。こんなんじゃ、いつまで経っても曲が弾けるようになるとは思えん(笑)そう思ってました。

そんな私を見て、ムリくり曲を1曲弾いてみるのも手だというダンナさんの助言に従い、4つほどしかコードを使わないというNicckelbackの「Animals」に挑戦してみることに。
これが…使うコードが少ないとはいえ、リズムを刻むのが非常に難しい。右手は、ダウン・ピッッキングとアップ・ピッキングを交互にするオルタネイト・ピッキング。んで8分音符の最初を空ピッキング。3つ音を鳴らしてまた空ピッキングというのを繰り返す。同時に、左手はミュートをしながら。これを、音にすると裏をくってジャラッジャ、ジャラッジャとなるように弾くわけだけど。ストロークやミュートがまだまだ上手くできない私には至難のワザ(笑)なんていうんだろう、手の動きと、そこから生まれる音にズレがある感覚なのだけれども、それでいいんだよな。そうでなきゃいけない。頭で考えてしまうと、技術以前にそこに違和感を感じてしまうみたい。
ところが、とりあえず曲に合わせて弾いてみようというダンナさんに従って、ムリだと思いながらやってみると…弾ける!あれ?
とっても不思議な感覚でした。自分なりに弾いているときには感じられなかったグルーブ感が、曲を聴きながらだと自然に出てきます。体の中から沸いてくる感じ。「リズムはこうだよ」ってリードしてもらうと、体が勝手についていく感じでした。

そんなことをやりながら、ダンナさんから基本的な右手のピッキングの動きを、あらためて教えてもらいました。
今まで、椅子に座ってギターを弾いていたのですが、膝の上で不安定なギターを安定させようと、無意識に右腕を使ってギターのボディを押さえ込んで弾いていたようです。その結果、右肩が下がり、右腕が必要以上にギターの前に出るかたちになっていたので、右手が回りこむようになっていました。腕の長さが余った分手首が回りこむように丸くなってたんです。
これを解消するために、ストラップを付けて弾いてみることにしました。初ストラップ!(笑)目論見通り、ボディを押さえずに済むので、フリーになった右腕が必要以上に前に出ることがなくなりました。そして、余って回り込んで丸くなっていた手首も、ボディと平行になりました。
右手のストロークの動きは複雑で、まだまだピックの角度や手首の柔らかさもなってない。「前に押し出すように」と教えてもらうのだけれども、一気に全部を解決できません(笑)徐々に練習するのみ。今まで、腕や手首を振るような感覚だと思っていたものが、エンジンのピストンの文字通りストロークのように、腕ごと前に少し押し出しつつ弾くのがコツみたい。全然できない…ただ、意識が大きく変わったのは収穫でした。
おかしなクセを矯正するために、これからはストラップを付けて練習することにします!
posted by nbm at 10:47| Comment(2) | TrackBack(0) | Guitar | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

クリスマス中止のお知らせ

今年は心身ともに疲労が激しく、いつもは義母の年賀状を作ってあげるのですが、お断りしてしまいました。自分たちの分も、いつもは、目上の方に送る控えめなバージョンと、友人用のふざけたバージョンと2パターン作るのですが、今年はエネルギーがなく、素材がなかなか見つからなかったこともあって、控えめバージョンのみとしました。手抜きです(笑)
誰も真剣に年賀状なんて見ていないと思うので、単なる自己満足なのですが、昔から雑誌の切抜きをコラージュして遊んでいたくらいなので、年賀状を作る作業は大変だけど楽しくて。たとえば丑年だった今年は、食肉用の牛の部位を表示したイラストを使い、ほぼモノクロのクールでシュールなものを作りました。数年前の戌年のときは、”弱虫クルッパー”をモチーフにカラフルでポップに作りました。絵が描けない私は、素材を見つけてきて、テキストとコラージュするだけですけど、年賀状をデザインするのは楽しい作業です。
実家の分も毎年請け負っていて、今回も作る予定ではあるのだけれども、両親はあまりこだわりのないタイプなので、やっつけ仕事です。今年は来た人に返すだけでいいというので、ゆっくり作ればいいみたい。
うちは毎年150枚くらい。数年前までは宛名を手書きしていたため、時間がかかったものですが、昨年からだったかようやく宛名も印刷するようになって、あとは簡単なメッセージを書き込むだけなので、だいぶ楽になりました。昨日で終わってしまいましたよ。これでひとつ肩の荷が下りた。

今日は世間ではクリスマス・イブってやつですか。
実家にいた頃は、兄の誕生日がクリスマス・イブだったので、うちではクリスマス・ケーキでなく、お誕生日ケーキでしたし、特にクリスマスを意識したことはありませんでした。両親は
、そうすることで子供たちに余計なプレゼントを用意せずに済んでたんだな、きっと。
たとえば、冬至にはかぼちゃを食べようとは思うけど、クリスマスだから特に何かするってこともありません。ただ、それにかこつけてケーキを食べるってことはあるけど(笑)
家をイルミネーションで飾る人もいるけど、綺麗というより、自分にとっては光害です。センスがあればまだ許すけど、残念ながら許せる範囲のものにお目にかかったことがない…。なんであぁごちゃごちゃと統一感がないのか。点灯しっぱなしならまだいいんだが、チカチカ点滅するのは簡便してほしいです。自分の家の中からはほとんど見えないはずだから、道行く人を楽しませようというサービス精神なのでしょうが…いえ、いいんです。私があまのじゃくなだけですからね。
名所と化したイルミネーション・スポットだと、単純に綺麗だと思うのに、近所のイルミネーションが許せないのは何なんですかね?光度が違うのだろうか。そんなことあるのかな。住人の方々に何の恨みがあるわけでもなし。やっぱりセンスの問題か?
あとは、ハレとケというか、たとえば都内の名所なんかはハレの場で華やかでいいけど、家の近所はそうじゃない場所だから、逆に落ち着きたいという心理が働くんだろうか。

言い訳しますとですね。私、どうも光に弱い目をしているようなんです。免許更新の講習などでも、明るいライトを見たあとに暗い道に戻ったときの目の反応速度を検査したりするそうですが、そういうの、きっとダメです。
昔から暗いところを好むというか、暗さが苦にならないようで、暗い部屋にいて、家族に「電気も付けずに」と注意されることが多い。眩しさがやけに負担に感じられるのですよね。
っていうことにしておいてください(笑)

ってことで、我が家では「クリスマス中止」です(笑)
posted by nbm at 10:53| Comment(4) | TrackBack(0) | どうでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

亜細亜的功夫世代とか

とてもびっくりしたことが…
ブリタニー・マーフィが亡くなったって?32歳だったと聞いて、もっと若いと思ってたんだけど、それにしても早い。早過ぎる。
彼女の出演作品をあまり観たわけじゃないけど、『サウンド・オブ・サイレンス』(2001)で分裂症の役を演じているのを観て、これからが楽しみな女優さんだなと思い、それから徐々に名前を聞くことも増えて、順調に売れていたようだったのに。
糖尿病という持病を持っていた上に、風邪をこじらせて嘔吐を繰り返すような状態だったということだけど、本当に残念です。
とってもチャーミングな女優さんでした。ご冥福をお祈りします。

さて、巷で話題となっているようですが、ちょっと興味を惹いたのが、オリアンティ・パナガリス
マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』に出演して、注目を集めているようですね。
若くて綺麗なおねぇちゃんだけど、超絶技巧を持つギタリスト。『THIS IS IT』を観たわけじゃないけど、マイケル・ジャクソンと演るにしては、ちょっと渋すぎたり、逆にハードすぎたりするような気もするけれど。でも、あれだけ見栄えがして、上手くて、若い女性ということを考えると、起用したくなるももわかります。
オーストラリア出身。父がバンドをやっていたという環境で育ち、6歳でアコースティック・ギターを始め、11歳の時にサンタナのライブを観て刺激されエレクトリック・ギターに転向。15歳でスティーブ・ヴァイのステージに立ち、18歳でカルロス・サンタナと共演を果たす…。
現在24歳。綺麗なPRSのギターを手に、ブルースからヘヴィ・メタルまで、華麗に、そして正確に、弾きこなしています。文句なしにかっちょいい!幼い頃から弾いているとはいえ、天才的。
ソロ・アルバムも出るとのこと。個人的には歌は別に必要ないと思うけど、数少ない女性ギタリストとして、これからも活躍していただきたい。

ギターの話題が出たところで。
ギターを弾くようになってから、ギターの音が前面に出ているロックを好んで聴くようになったわけですが、最近よく聴いているのは、アジアン・カンフー・ジェネレーションとthe pillows。
深層の意識で、ムスタングちゃんとリンクさせていたのかもしれません。
the pillowsのボーカル・山中さわおさんの愛用ギターは、フェンダー・サイクロン。スケールや材質をはじめ仕様が全然違うけど、ムスタングと見た目はほぼ同じボディを使ってるから、遠めに見るとムスタング?もうひとりのメンバー・真鍋吉明さんもムスタングを使ったりするとか。
私がthe pillowsを聴き始めたのは、アニメ『フリクリ』のテーマ「Ride on shooting star」がきっかけだったから、そんなに昔から聴いているわけじゃないけど。いい感じの脱力感が魅力。詞も好き。

一方のアジアン・カンフー・ジェネレーション
マンガが実写映画化された『ソラニン』に出てくるのは、私と色違いのソニック・ブルーのムスタングMG-69。
このマンガにインスパイアされてゴッチが作ったという、アジ・カンの「ムスタング」という曲を最近知りました。アジ・カンは近年は当初の勢いを失っているように感じていて、しばらく聴いてなかったのですが、『ワールドワールドワールド』(2008)は初心に帰ったような感じで、なかなかお気に入り。ただし、「ムスタング」はその直後に出た『未だ見ぬ明日に』というミニアルバムに入っていて、それは聴いたことがなかった。
アジ・カンを聴き始めたのは、たぶん2003年くらいのこと。『崩壊アンプリファー』『君繋ファイブエム』をよく聴きました。
『崩壊アンプリファー』に入ってた「遥か彼方」という曲が、アニメ『NARUTO』で使われてたんだよね。『NARUTO』はそんなに観てなかったけど、この頃から、アニメのテーマに新進気鋭のバンドを起用する手法が流行り始めたのだと思う。それをきっかけに知ったバンドがたくさん。
私にとってのアジ・カンは、マキシマムザホルモンとともに、日本のロックを聴くきっかけを与えてくれたバンド。マキシマムザホルモンほどには思い入れはないけど(笑)、それでもターニング・ポイントを作ってくれたバンドであります。
どこかに”和”なものを感じさせる旋律と、独自の詞の世界。上手くは聴こえないんだけど、歌ってみると難しく、「上手いんだ…」と感じさせる不思議なボーカル。なんだかとても新鮮な感覚でした。

先月だったか『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューで、アジ・カンのゴッチが話していた。「ELLEGARDENの細見くんに、すべてを背負わせていた」と。うまく説明できないけど、ゴッチは、日本のロック・シーンの担い手として、先頭に立って牽引役をすることを避けていたというようなことらしい。なんとなく言いたいことがわかるような気がする。
それとはちと意味合いが違うのだけれども、かつてBEAT CRUSADERSのヒダカトオルは、売れすぎないことを計算しているというような発言をしていた。売れすぎると、背負う人間が多くなりすぎて、好きなように音楽を作れなくなるから(笑)
だからって、エルレがダントツに売れたかといったら、そういうわけじゃないのだけれども。アジ・カンやビークルは、もっと前面に出られる実力を持ちながらもメジャーになりすぎることを歓迎していないような、どこかで踏みとどまっているような印象を受けるのは否めない。

なんちってな。
数年聴かずに放置していたアジ・カンが、やけに新鮮に聴こえる今日この頃なのであります。

posted by nbm at 11:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

【認知症】そして【依存症】

昨日は、認知症の父を病院に連れて行く日でした。今は2ヶ月に1度程度の通院で、近況を話し、アリセプトを処方していただくのみです。
父は、3mgから始めて、副作用がないことを確認した後5mgに増やしていましたが、あまりに活動的になりすぎているため、3mgに戻して様子を見てみることにしました。
診察の際に、必ず今日の日付や今居る場所などを聞かれるため、父はメモに病院の名前や日にちを書いてきて予習してました(笑)
「準備していても、違うことを聞かれるかもよ」「そうだなぁ」と笑っていたのですが、先生には日付を聞かれ、見事答えてました!だけど、予習してきたのがバレバレ(笑)それでもそうやって憶えようと努力することや、実際憶えていたことはとってもいいことだと褒めてもらい、嬉しそうでした。
10月に初めて、道に迷い帰って来られなくなるという事態が発生。見事に”迷い人”デビューです(笑)ケガで動けない母に頼まれて、近くのコンビニに行ったきり、2時間経っても戻ってこないということになり、近所の方に協力していただいて探してもらったところ、かなりアサッテな方向に進んでいたところを、たまたま知人がいて、家まで連れてきてくださり、事なきを得ました。もう、名札をつけねばなりません。
薬のせいか活動的になっていることで、散歩が日課となり、新しい運動靴が欲しいというので、病院から帰った後、いっしょに買いに行き、父の誕生日近辺にゴタゴタがあって(これから話します)お祝いが出来なかったのですが、これを誕生日のプレゼントとして贈ることにしました。ひもタイプでもベルクロ・タイプでもなくスリップオン・タイプの軽量のものを選んでみたのですが、気に入ってくれた様子。なるべく迷い人にならないように、散歩をしてくれるとよいのですが。ほんとに、名札を付けなきゃ。

さて、ここからは新たな展開です。
ここしばらく、あまりのことにおかしくなっていた私ですが、ようやく自分の気持ちも落ち着いてきたので、母の問題について書こうと思います。これも父の認知症同様、ここに書きたいような内容ではないのですが、自分の気持ちを整理するためと、情報を提供するために敢えて書きたいと思います。
医師から告げられたわけではありませんが、母はある種の依存症であることがほぼ確実になってきました。
母は、昔から投資が好きでしたが、それが災いして詐欺によくひっかかってきました。ニュースで投資法違反が報道されるような大規模な投資詐欺にひっかかったこともあり、その度に家族は「もうやるな」と警告を繰り返しましたが、止めることはありませんでした。
苦い思いをしているにもかかわらず、数年前には海外宝くじにハマり、それで全財産を失いました。私たちが発見するのが遅れ、気付いた頃にはやり始めてから5年も経っていて、「それは詐欺だ」といくら言っても耳を貸さない状態になっていました。何十通もの封筒にお札を入れて、その作業にときには徹夜までして、せっせと詐欺師にお金を送っていたのです。物量作戦と、締め切りを区切られるので時間がないと焦る気持ちで、お金を送り続けていました。それを5年も続けていたのです。財産を使い果たして生活費が無くなり、長兄のお嫁さんにお金を無心したことから、大事に至っていたことが発覚。調べてみると、保険も解約して突っ込み、銀行のカード・ローンも借り入れ、質屋にも通っているような状態でした。
いくら説得しても海外宝くじを辞めようとしないため、お金をどぶに捨てているようなものだと本人に言っても聞かないし、月数千円だったら仕方がないかと諦めていたのですが、そこまでとは想像もしていなかったため、発覚から数ヶ月後に財産を使い果たしたのを知ったときのショックは非常に大きいものでした。これが病的なものであることを疑いはしましたが、生活情報センターに相談したり、弁護士に相談したりしていく中で、一応本人も納得し、送金を辞め、「家に来る怪しい郵便物、電話は一切受けない」、「投資その他こういったことには一切お金を出さない」また、「大金を支払うことがある場合には、事前に必ず家族に相談する」と約束させました。
しかし、それは徒労に終わるのです。

それから数年と経たない今年の1月。
また知らない間に投資をしていました。すっからかんになっていたはずなのに、どこから捻出したものか(笑)もちろん、詐欺。新しいエコな(笑)燃料に投資してくださいというものでした。それは割りと発見が早かったため、またも生活情報センターに相談し、間に入っていただきながら、なんとかお金を全額取り戻すことができました。
あれほど言ったのに、どうして約束を守れないのかと、このときも話しました。当然、以前と同じく「もうやらない」というだけです。
それでも、心配になった家族が財産を開示するように求めると、断固拒否。なんだか、投資をしているときは、何かに取り憑かれたように見えました。記憶が錯綜している印象もありましたし、なんとも卑しい顔で笑ったりするのですよ。認知症を疑ったりしましたが、そういう時期が過ぎると、普通に戻る感じで、投資以外のことについてはおかしなところは見当たらず。
家族としては、「もうやらない」という母の言葉を信じるしかありませんでした。

そして…
この10月、母は車を避けようとして自転車で転び、肋骨を折りました。そのとき、そんな状態で、まわりも救急車を呼びましょうかと声をかけてくれる中、それを振り切って痛みをこらえつつ郵便局に行き、振込みをしたという話がありました。「そんなに大事な振込みって何だ?」と思ったのですが、ケガが気になって追及はしませんでした。
実家は不便な場所にあり、買い物に出るには自転車が必須です。高齢の母にはムリがあり、父も認知症となった今、今回のことを機に、長兄の家のそばで便利な所へ引っ越すという話が浮上しました。家を買いなおすことになるわけですが、母がなぜか余裕をぶっこいて「当てがある」と言ったのです。そのことは母との電話で聞いたのですが、財産は使い果たしたはずなのに当てがあるなどと不思議なことを言うと思い、追及すると、「債券を買った」と白状しました。
このときの私の絶望感といったら…。電話口で慟哭しました。身体がガクガクと震えて、過呼吸状態になりました。それでも母は「なんであんたが泣くことがあるのよ!絶対に大丈夫!」と言い放ちました。またも全財産を詐欺に支払ってしまったのです。商売をやめるにあたって、客先に返すべきお金までつぎ込んでいました。
これはマッチポンプ商法と呼ばれる手法で、A社から社債を売りつけ、B社がそれを数倍の高値で買い取りたいと言ってくるわけです。当然買うわけありませんし、両者はグルです。価値があるように見せるわけですよね。うまくいけばお金が数倍になると思ってしまうわけです(←どう考えてもならんが)。
後からよくよく聞いてみると、母がケガをしたときに、病院よりも何よりもと郵便局に行って振り込んだお金が、この一部だったのですよ。ケガをしたことで思いとどまってくれていれば、その一部だけでも手元に残ったかもしれないのに…。

ここまでお話しして、その異常さが少しはわかっていただけたのではないかと思います。
後から考えれば、もう財産を使えないように管理しておけばとか、電話番号を変えていればとか(商売上それは難しかった)、様々後悔はありますが、もうどうしようもありません。
おそらくは、病的賭博(ギャンブル依存症)に近いようなもので、名づければ投資依存症とでもいうようなことなのだと思います。
ちなみに、ギャンブル依存症が対象ではありましたが、自己チェックリストがあり、やらせてみると、ほとんどの項目に○が付きました。それでも本人は病気を自覚できません。

一度に書けることでもないので、少しずつ書いていきますが、依存症は”否認の病気”と呼ばれるように本人の自覚が非常に難しい病気です。ところが、この本人の自覚なしには病気と闘えません。また、進行性で完治はしないと言われています。現に、母がやらかす頻度は増え、期間も短くなっているように思えます。

そして、昨日。
実家でふと見つけた封筒を覗いてみると、督促状とありました。
母を問いただすと、温泉の素(ラドンの入ったセラミックという説明)を買った、と。全財産を何度も詐欺につっこみ、年金生活になったというのに、効果もアヤシイものに簡単に20万円以上ものお金を払おうとしていました。
ほんとにもう、勘弁してください…。
追及するうちに口論となり、「大金を支払うときには事前に相談する約束をしたでしょう?」と言うと、「そんな約束をした憶えはない!」と言われました(笑)思いっきり依存症の症状です。”抑圧”ってやつですね。都合の悪いことは事実として記憶できない。
もう悪魔と話しているようです。メリン神父の気持ちが分かるような気がしました(笑)
自分の正当性を認めてもらえないことに怒りまくっている母は、「あんたたちを見返してやる!」と息巻いていました。あなたの正当性を認めていないわけではなく、正当性のないものを信じ込んで大金を簡単に支払ってしまうことが悪いのだけれども。
悪魔との会話は埒があかないので、途中で切り上げて帰ってきました。母の中には、今まで隠してきた巨大な怒りやストレスが渦巻いていて、それを少しでも表に放出できたのはよかったと思ったくらいでした。私はエクソシスト。そう思うことにしました。憎まれ役をやるのは私しかいません。兄たちにはフォローにまわってもらうことにします。

というわけで、壮絶な日々が続いています。しかし、いくぶん冷静になりました。今はものすごく冷徹な目で母を観ています。しおらしい態度の時もありますが、口では「申し訳ない」と言いながら、「ここで謝っておけばいいだろう」という魂胆がミエミエです。本人は恥ずかしさのせいにしていますが、人の目を見て話すことができません。うつむいてその場をやり過ごしているだけなのです。

昨夜、私が母と衝突するのを見越して、ダンナさんは晩ご飯に野菜がたくさん入った温かいスープを作り、ご褒美にとケーキを買って待っていてくれました。帰る頃にはキリキリしていた胃の痛みも、温かいスープでおさまりました。その優しさに涙が出ました。
嘆いていても仕方ありません。できることしかやらないけど、できる手を打っていくしかないのです。
posted by nbm at 14:27| Comment(10) | TrackBack(0) | 認知症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

偉大なるリペアマン

先日から、ちょっと小出しに書いてきたF・ポール・ウィルスンの<始末屋ジャック>シリーズ。
日本語に翻訳されたものでいくと最新版にあたる第8作『始末屋ジャック 凶悪の交錯』をようやく読み終えました。

もう数年、このシリーズから離れていたため、流れを思い出せず、まずは読んだ記憶はあるものの、内容を覚えていない第6作『始末屋ジャック 幽霊屋敷の秘密』から読み始めました。
設定から言うと、1999年の8月の話。
霊能者を装って生業としている兄弟が住む家が、本当に幽霊屋敷だった!みたいな話ですが、徐々に異界がこの世界を寝食してきていることが伝わってきます。
この話に出てきては、ジャックとジャックの恋人ジーアに、この幽霊屋敷に近づかないように警告をするのが、インド人風のサリーを身につけた女性。たしかシェパードを連れている。

お次。第7作『始末屋ジャック 深淵からの脅威』
これは、前作に続き1999年9月のお話。
今まで焦点の当たらなかったジャックの父が出てきます。飛行機移動が難しいってのに、マンハッタンからフロリダまで行って、またまた異界を取り巻く騒動に巻き込まれるという…。
なんで飛行機に乗るのが難しいかというと、ジャックは日本で言えば戸籍がないようなものなので、身分証明書がない。そうなると、飛行機に乗るのも大変ね(笑)んで、お父さんはジャックの仕事を修理屋<リペアマン>だと思ってます。始末屋<リペアマン>なんだけどね(笑)
父が隠居したフロリダで交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ったというので、会いに行くわけですが。
結局、異形の者たちと大乱戦!
この作品には、チワワを連れたアーニャという女性が出てきます。お父さんの隣人なんだけれども…。

ほんで、やっと第8作『始末屋ジャック 凶悪の交錯』
これまた、続きで1999年10〜11月のお話というわけです。
ジャックのもとに舞い込んだ以来は2つ。ひとつは、ドーメンタリズムという宗教にハマった息子を探してほしいという依頼。もうひとつは、ある私立探偵に脅迫されているシスターからのゆすりネタを処分してほしいという依頼。
前2作に比べ、陰惨な話になってきますが、ジャックの始末の仕方が冴え渡っています。
しかし、恋人ジーアが妊娠したことで、なんとなく”フツーの人間らしく”なろうと努力をし始めるジャックなのですが、それがいけないのかちょっとポカが多い?(笑)
息子を探してほしいという母親が、これまたロットワイラーを連れている。犬を連れた女性…。

もう忘れてしまったのですが、ジャックに最初に異界について警告してきたのは、マラミュートを連れたロシア人女性。ということは…。

全体的にはホラー風味のサスペンス・アクション・エンターテインメントなのですが、今回はちょっとハードボイルド。そして、裏社会のネットワークが楽しい作品でした。
カルトな宗教や星占いを信じる探偵、教会のシスターが登場する作品になったことから、”信じること”の危うさが浮き彫りになっていたような。”信じること”を否定するわけではないのですが、一歩間違えると自分以外のものに責任を押し付けることになりかねないなと。そんなことを考えさせられたのでした。
これは、この1作だけでなく、正体不明のジャックが、いろんな人間に化け、いろんな顔を見せて、依頼を遂行するために動くたびに、ジャックを信用してしまう人たちの姿も教訓的に見えます。
信用なしに世界は成り立たないけれども、諸刃の剣なのだなとも。

数ヶ月の間の話が何冊にも渡っているということで、当然話がつながっているわけですが、『凶悪の交錯』において、ある程度、全貌が見えてくる雰囲気になってきましたよ。
しかし、2週間ほどで文庫本上・下巻を3作品、計6冊読みました!他にも読んでるものが何冊かあるけど、よく短期間に読んだなと思う反面、それだけ夢中になって読めるほど面白かったってことですね。
でも…次が出る頃にはまた忘れてるんだろうな、これ(笑)
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2009年12月14日

ギター率

あれ?知らぬ間に数日経ってました。そんな感覚です。あー、こんなんじゃ知らぬ間に年が明けていそうです。
待望の実話怪談雑誌『幽 vol.12』が出まして、発売日の翌日になってしまいましたが、入手しました。家から一番近い書店で入手したのですが、行ってみると売り場には2冊置かれてました。必ずというわけではないのですが、『幽』に関してはこの書店で購入することが多いです。もしかして、私が買うことを見込んで仕入れてる?(笑)こんなマイナーで年2回しか発行しない雑誌なのに、街の小さな書店に2冊も置くって…。売れるんかいな。それとも、近くに私と同じ実話怪談マニアがもうひとり住んでるとか?(笑)
今回の『幽』は稲川淳二特集なんですけど、なぜか恐くてあまり読んでません。創刊から今まで、この雑誌をこんなに恐いと感じたことはない。まだ中身を読んでないのに(笑)自分の中では、稲川さんのお話が特別恐いと思っているわけではないので、不思議なのですが、なぜか恐くて積極的に読めません。楽しみにしてたはずなのに?
先日も触れました(世界は続くよ、どこまでも)が、F・ポール・ウィルスンの<始末屋ジャック>シリーズを黙々と読んでおります。結局、6作目『幽霊屋敷の秘密』を読みなおすところから始めて、7作目『深淵からの脅威』、そしてやっと最新作(←日本での)で8作目『凶悪の交錯』にたどり着いたところです。本当はシリーズの最初から読みなおしたいくらいだったんだけど。それでも、6作目から順番どおりに読んでよかった。話がずっとつながってます。そりゃそうだよな。話の中では、数ヶ月の間の連続した出来事ですからね。『凶悪の交錯』を読みおえたら、また記事にしたいと思います。

さて、ギターの話。
ギターを始めて2ヶ月ほど経ちました。最近は当初の熱に浮かされたような蜜月期間ほど情熱的にはギターを弾かなくなりました。ですが、なんというか、適度な距離を保てるようになったと言いますか、精神的にも物理的にも肩の力を抜いてギターと対峙できるようになりました。中学生から急に大人になったような気分だわ(笑)
次々と、オッサン軽音部の友人たちがギターを演奏しているムービーが送りつけられてきて、その映像の破壊力に爆笑しながらも、自分も負けてらんねぇと決意を新たにしたわけですが。

ところで、みなさん周囲にギターを弾く友人がどのくらいいらっしゃるでしょうか。
先日、テレビで見たのですが、スペインでは人が集まればフラメンコということになるので、仲間内に一人はギターを弾けるヤツがいるものだという話でした。
以前、オッサン軽音部で周囲のギター率について話題になったことがありまして、するとどうやら我々世代のギター率(バンド率)が高いという認識に至ったわけです。
例えば高校時代を思い出してみると、クラスに少なくとも5人くらいはバンドをやってるヤツがいたと思います。中でもギター率は高く、「バンドをやっている」=「ギターが弾ける」と言ってもいいくらいだった。
中学時代はバンドをやりたいと思いながらも実現に至らなかった私は、高校時代、別の高校に行っていた友人が女の子バンドを組んでいて、そこになぜかよく顔を出してました。自分は何もやらないのに、一体何をしに行ってたのか(笑)んで、地元でやるギグの打ち合わせとかになぜかいっしょに参加してた憶えがあります。また別の高校で、高校生ながらかっちょいいフュージョン・バンドがあって、その人たち目当てだったかもしれん(笑)
高校は、軽音楽部はなかったけど、わりとバンド活動が盛んな方で、文化祭ともなると、出場バンドは予選を勝ち抜かなければなりませんでした。ダンナさんたちのバンドは一応その中を勝ち抜いてステージに立ったのか。当時はヘヴィ・メタル全盛でした。
中学時代から高1まで付き合っていた彼もヘヴィ・メタルのバンドでギターを弾いていたんだけど、後々とあるライブハウスでこの彼と再会。たしか、ダンナさんバンドのギター担当とこの彼に共通の友人(←この人も当然バンドをやっている)がいたんだっけ(笑)つまり、割と狭い地域で、バンドマン同士の交流が盛んだったということなのですよね。
そういや、バイト仲間だったひとつ年上のヤツが所沢では結構有名なバンドをやっていて、ギグに行ったりしてたんだけど、後にプロ・デビューして「夜のヒットスタジオ」に出たんだったな(笑)すぐに消えてしまったが。
そして、最近また活動に熱が入ってきて先日LIVEをやったばかりの友人は、イカ天出場経験者。彼のかつてのバンド仲間だったメンツとも交流があったりしますが、やはりそれぞれLIVEをやったりしてる。
ということで、特に高校時代あたりのバンドの話題には事欠かず。

一方、防音室に棲む友人は4歳年下なのですが、彼の時代はBOØWY全盛だったようです。BOØWYとかレベッカのコピーバンドをやっていた様子。けれども、私たちの時代ほど、バンドをやっている人間は多くなかったようで。彼が驚くのは、私たちの世代には、「昔ギターをちょっとでも弾いたことがある」というヤツが多いこと。うちのダンナさん(元ボーカル)もそうだし、オッサン軽音部にももう一人(元ドラム)。そして、オッサン軽音部への入部は拒否しつつも(笑)、楽器(ギターとベース)を提供してくれた友人が一人(元キーボード)。それから、ダンナさんバンドでギターを担当していた2人は当然弾けますし。
防音室の友人の話によると、自分のまわりの、自分からすると少し年上のこの世代の人たちは、他にも「ギター経験者」がたくさんいるのが目に付くのだそうです。
冷静に考えてみれば、今高校生の甥・姪たちの世代に、さほどバンドをやっている話を聞かない気がします。いないわけじゃないだろうけど、自分たちの時代から考えると、極端に少ないような。
我々の高校時代がバンド・ブームと重なっていたことは否めないけど、今まで続けていないにせよ、昔は弾いていたとか、家のどこかにギターが眠っているとか、邪魔だからギターは売ったという人がゴロゴロしている世代なんじゃないかと。だから今、御茶ノ水でオッサン・オバチャンがギターを買っても、店員さんにはあまり違和感がない状態にあるのかと。思い出したように、ギターを弾きたがる人って、結構いるんじゃないかな。

オッサン軽音部は、私を入れると現在7名。他にも仲間うちだけ考えても、楽器・バンド経験者がゴロゴロ。冷静に考えると…やっぱり多い!(爆)
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2009年12月09日

パンストひらひら

今は冬。
怪談話といえば、定番は夏なわけですけれども、夏に出た実話怪談本を図書館に予約して順番を待っていたら、冬になってしまいました(笑)
しかし、怪談の内容が変質してきていることには度々触れてきましたが、たとえば夜しか出てこなかった幽霊が、昼間に堂々と出てくるようになったとか。怪談といえば夏の風物詩という感覚でしたが、いまや季節には関係なくなっている感じがします。日本で怪談といえば、お盆との結びつきが強いのでしょうか。一方、西洋ではハロウィンに代表されるように、晩秋の頃がメインになるのかもしれませんね。異界の扉が開く時期…。なんとなく西洋のお化けは、寒くて暗いときに出てくるイメージ。

さて、今回は怪異蒐集家・木原浩勝さんの『九十九怪談 第ニ夜』
なぜか今回目にとまるのは、狐狸に騙されたような話ばかり。
一人暮らしの部屋のトイレに毎朝してあるウ○コ。しかもペーパーを使った形跡がなく、お尻はどうしているの(笑)←誰かが入りこんでるとしか思えないけどね。
姿は見えないのに誰かが自動ドアを開けて入ってきて、店員が気付かぬうちに瞬間的に商品をレジ横においていくコンビニ。
押入れの中でニタニタ笑う人間ヤジロベエ(笑)
片付けても片付けても、誰もいない時にゴルフボールが散らばる打ちっぱなし。
クネクネと曲がり、おいでおいでをする街灯。
車で走っても走っても出られないトンネル。

もっと具体的にタヌキの仕業としか思えない話も。
ボールを取りに分け入った草むらで、スーツとドレスの正装したカップルを見つける。2年後同じ草むらに分け入ると、顔は別人なのに2年前とまったく同じ正装のカップルが!そこにはタヌキの巣穴があったとさ。
幼稚園の遠足でお弁当を食べていると、草むらから子ダヌキを2匹連れた友達が出てくる。子ダヌキがかわいいのでお弁当をあげたら、友達はお礼を言って子ダヌキとともに草むらに消えるが、その友達は次の瞬間に別の方向からやってくる。
ある人の子供の頃の話。鮎釣りの帰り道。鮎をたくさん入れた魚籠を持ったおじいさんと歩いていると、お百姓さんが現れて、手に持った大根3本と鮎を交換してほしいと言う。「真ん中が赤く染まっている日の丸大根ならいいよ」とおじいさんが答えると、「ちょうどこれは日の丸大根だ」と1本の大根を割って見せ、確かに真ん中だけが赤かった。「美味いならかじって見せろ」というと、お百姓さんは「生では食べられない」といい、おじいさんがその瞬間にマッチを取り出し火をつけると、お百姓さんは大根を放り出して逃げた。後には3本の枝が落ちている。そのうち1本が折れていた。
などなど。

中でも強烈だったのが、パンストの話。
Gさんの2人のお姉さんと母が、最近パンストがなくなると言う。下着泥棒なのかと思いきや、干してあるものを盗むのではなく、タンスの中にしまってあるパンストが盗まれているという。でも、他の下着やお金などはなくなっていない。ただ、パンストがなくなる時には、必ず犬が吠えている気がするという話。やはり下着泥棒なのか。
ある日曜日の昼、Gさんは犬が吠える声で目覚める。何だろうと思って廊下に出ると、目の前をパンストが2枚ひらひらと飛んでいく。追っていくと、母の部屋からもパンストが出てきて、庭で合流すると、3枚が縦一列になって山の方へ飛んでいく。
もとは猟犬だった犬が鳴きやまないので、放してやると、30分くらいで戻ってきたときにはたくさんのパンストをくわえていた。
犬にその場所に連れて行くように指示し、案内をさせて辿り付いた場所にはタヌキの巣穴があり、たくさんのパンストが詰まっていた…。

絵を想像すると、おかしい。宙をパンストがひらひら。まるでアニメ『そらのおとしもの』の伝説となったパンツ・エンディングのようだ。
しかし、なぜにパンスト?
そして、タヌキがパンストを得るために、人の家に入り込み、タンスから頂戴してパンストを飛ばすって…(爆)こんなシュールな話、ありません。シュールも度が過ぎると、逆に現実としてしか考えられなくなるというのは私の持論なのですが、まさにそのタイプの話。人が考えたにしてはシュールに過ぎる。
なんで狐狸に化かされるって話はなくならないどころか、連綿と受け継がれるのでしょうか。そこが不思議だ。しかも、本当にタヌキの仕業としか考えられないような展開。ヤツらにそんな能力があるんでしょうか?

もうひとつ、傾向性として見えたのは、まじないというか、形式的な行動と不思議な現象が連動している話が多いことだった。
お茶を出せば静かになる霊、廊下に水を入れたコップを並べると出てくる霊、
こうすれば、出てこない。こうすると、出てくる。
こんな条件づけのような話もそこここに見受けられました。
儀式、まじない、供養、お守り。
そこには、人の心理が影響するのかもしれませんし、目に見えない物理的な作用が生まれているのかもしれません。
だけれども、自分の頭の中だけを考えたときに、”こうすればおかしなものが出てこない”という方法があったとして、それで自分が安心できることで、しかも自分に実行できることなのであれば、当然実践した方が気分がいい。みんな、そんな風に思ってやるのだろうなと。

今回は、純粋に怪談を楽しむよりも、なんだか分析に走ってしまい、面白さが半減させてしまいました。
もうすぐ発売となる実話怪談雑誌『幽 vol.12』を楽しみに待ちたいと思います。特集は、稲川淳二さんについてらしい。
posted by nbm at 11:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 不思議な話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

【認知症】

このブログに書くネタとしては、どうなのだろうかと思いつつ、記事にすることをずっと迷ってきましたが、やっぱり書くことにします。複数ブログを管理するのも面倒だし(笑)記録にもなるし、情報や自分の心の整理にもなります。普段こんなことを考えたこともない人に、これからも患者が増え続けるであろう認知症について多少なりとも知ってもらうことができれば、思わぬ副産物です。この内容を書く場合は、タイトルに【認知症】と入れることで、読みたくない方には読み飛ばしていただこうということにしてみます。

父が、アルツハイマー認知症と診断されました。
数年前から何かアヤシイと思い続けていたのですが、医者にかかるほどのこととも思えず、軽く考えていて数年放置してしまいました。関連があるのかはわかりませんが、実は父の兄妹たちは軒並みアルツハイマー型認知症に罹ってまして、残されたのは父だけだったのです。
後になって考えてみると、電気製品の使い方がわからなかったり、電気製品に触ることを極端に恐がったりしていたのが、病気の症状だったのですよね。電子レンジを使うことを恐がったり、電気シェーバーの充電ができなかったり。食べられないものが増えて、食べるものが極端に減ってしまったということもありました。
父は税理士をしてましたが、仕事上でも、質問しても「わからない」と答えることが増えてきて、正直もう仕事を続けることは無理だと思っていたのですが、何度辞めるように勧めても言うことを聞かず…。自分が手伝ってしまって、なんとかやり過ごしてしまったわけですが、本当は、あえて自分の心を鬼にして仕事を手伝わないことで、病気の自覚を促す必要があったのかもしれません。ただ、顧客の方にご迷惑をかけることは避けたかったので、結局手伝ってしまったのですよね。
父は母と二人で暮らしているのですが、母がちょっとした手術でしばらく入院することになったとき、父の様子は悪化しました。心配事があると、状態がひどくなるということが身に沁みてわかった初めての経験でした。手術を待っている間に話していた時、手術後少なくとも1週間は入院が必要だと言うことを説明しても、「手術が終わったらすぐに帰って来られるんだろう?」と人の話を聞きません(笑)腹を掻っ捌くのに、1日で帰れるわけがなかろうが!生活上、ひとりになると自分が困るので、自分に都合のいいように状況を曲げて解釈するようになってました。実際、ひとりでの生活が始まると、記憶の衰えはひどくなり、私がこまごま作って持って行った料理を、冷蔵庫に入れておくから翌朝食べるようにと実際冷蔵庫の中身を見せながら説明して帰ったのですが、翌朝電話をかけて朝食を食べたか聞くと、冷蔵庫は開けないまま、別のものを食べてました。あれだけ説明したのに、全然憶えてない…(笑)
いよいよおかしいということになったわけですが、仕事が一段落するまでは体面上病院には行けないと言い張り、また数ヶ月放置することになってしまいました。
その間の仕事では、書類を見せても何を書いてよいのかまったくわからず。数枚複写の書類の1枚目をわざわざめくってしかも鉛筆で書いてみたり、貸借対照表の書式に損益計算書の内容をムリクリ写してみたり…。あまりに「できる!」というので、ただ単に左の書類から右の書類へ同じ内容を書き写すだけのことをやらせてみると、書類とにらめっこするばかりで1時間経っても1文字も書けない有様。そして、一番面白かった話。使えない書式の書類を引っ張り出してきて、「これでいいんだ」と言ってきかず、自分の主張が通らないことに腹を立てて、「じゃあ確認のとれる人に聞いてくる!」と出かけて行きました。しばらくして帰ってくると、「牛乳屋さんに聞いてきたら、それでいいって言ってた」と(笑)実際に牛乳屋さんに聞いたのかはわかりませんが、税務のことを牛乳屋さんが知ってるわけないだろうが。こんな状態なので、仕事の邪魔になっても役には立たず、実際は私と母とで書類を仕上げることに。しかし、母は簿記のボの字も知らず、父の指示通りに帳簿を付けていただけなので、ちょっとイレギュラーなことがあるともう混乱して使い物にならず。簿記の考え方を教えようとしても、年寄りのカタい頭にはすでに理解できず…。教えるだけ時間のムダでした。一方、私には実務の細かい判断がわからず。それでも、知り合いの税理士さんに相談しつつ、私がなんとか仕上げ、父にサインだけさせるという形で、仕事を終えたのでした。そんな状態だったので、確定申告の時期は地獄でした。私は期中の処理を把握しないまま最後の帳尻合わせだけをやるようなものでしたから、やってもやっても新たな問題が生じてきて、終わりのない迷路にはまり込んだようでした。忙しさと、再三の忠告を無視してこの状態を放置してきた両親への怒りとがあって、ギャーギャー泣き喚いて感情をぶつけ合うことにもなり、親子関係は悪化したと思います。自分の仕事も抱えた中で、ダンナさんのことも放ったらかしにして、数日間実家に泊まりこみ、ほとんど寝ずに仕事をして、心身ともに疲労困憊しました。
兄が2人いますが、まったく畑違いの仕事をしているため、父の仕事を手伝えるのは私だけ。こんな状況をいくら話しても完全には理解してもらえないと思いながらも、兄たちを呼び出して、懇々と状況を伝え、もうこれ以上放置できないと訴えました。仕事を辞めさせることと、病院に行かせること。この2つについて、早急に手を打たないといけない、と。
兄たちも巻き込んで説得した結果、仕事を辞めることについては、なぜか母のほうが猛反発しましたが、最後には両親ともに納得してくれました。

さて、これでやっと医者に見せる準備が整いました。神経内科に父を連れていきましたが、やはり、脳全体と海馬に萎縮が見られるということ。他に器質的な問題がないことなどから、アルツハイマー型認知症と診断されました。アルツハイマー型と断定するためには、もう少し大掛かりな放射性物質を使った検査が別の病院でできるとのことでしたが、ちょうど放射性物質の輸入が困難な状況だったこともあり、手間も費用もかかることだし、特に必要ないのではということだったので、今に至るまでその検査はしていません。
長谷川式という質問形式のテストでは、まず質問の内容を聞くことができず(笑)あ、点数忘れちゃったけど8点だったかな。一桁だったことは確かです。すでに高度の認知症の部類。
アルツハイマー型認知症に対して、病気の進行を抑える効果があるとされているアリセプトというお薬を処方されました。副作用が出る場合があるとのことで、最初は少量の3mgから。徐々に慣れてきたところで、今は5mgになっています。このアリセプト。父には劇的な効果があり、最初に神経内科に連れて行ったときには、認知症特有のしかめたような顔と人を疑うようないやな目つきになっていたのですが、2週間後にもう1度診せる頃には以前の顔つきに戻り、笑うことさえできるようになっていました。医者が驚いたのなんの!1日椅子にボーっと座ったままの生活から、家庭菜園の畑をいじったり、家の中の片付けをやったり、ぐるぐる散歩したりと異常なほど活動的になりました(笑)おかげで、ごはんや甘いものなど炭水化物を欲するようになってしまい、カロリーや糖分の摂り過ぎを心配するほどです。父の変化には担当医も本当にびっくりで、今までこんなにアリセプトの効果が出た患者さんは見たことがないと言ってます。今のところ、経過は非常によいです。
日常的に、同じことを繰り返したり、話が簡単に通じなかったりしますが、まだ意志の疎通は普通にできますし、見た目は病気以前の父と変わりません。介護というほどのことはまだ必要ない状態です。1日中、毎日父を相手にしている母は大変でしょうが…。アリセプトは認知症を治すものではなく、あくまでも進行を遅らせるものなので、個人差はあるものの、いつかは効き目が切れる時がきます。悪化を先延ばしにしているだけです。だけど、助かります。
母に対しては、認知症について勉強し、父に対する接し方を心得て欲しいと思い、否定せずにまず話を聞いてあげることや安心させてあげることが一番の薬になることを言って聞かせるのですが、なかなかできず。『あなたの家族が病気になったときに読む本 認知症』という本を渡し、読んでみるように伝えたのですが、なんかかんか理由を付けて読むのを拒みます。一番わかっていて欲しい立場なのですが、困ったものです。母が父の言葉に反発する言動は、悪循環しか生まないのに…。

父は、神経内科にかかったことで、偶然に前立腺ガンのおそれがあることもわかりました。今のところ、腫瘍マーカーは低い値で安定していますが、継続して様子を見ていかなければならないです。以前、極々小さな大腸ガンが見つかり、内視鏡検査中に切除してもらったこともありました。歳を取ればいろいろと出てくるもんですね。

とはいえ、そんな父よりも、私の目下の最大の悩みは母についてです。このことについては、自分のダメージがあまりに大きく、簡単に書けそうにありません。いつか気持ちの整理がついたら、書きたいと思います。

認知症については、追々書いていきたいと思います。私は親が歳を取ってからの子供なので、親の老いが同年代に比べると10年くらい早い感覚かもしれません。嫁に出た身なので、できることは限られてしまいますが、親のためにできることがあればやるという程度に考えています。
posted by nbm at 11:43| Comment(6) | TrackBack(0) | 認知症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

WDC

野球の世界大会じゃないですよ。あれは、WBCか。あ、ネズミーランドも関係ありません。WDCとは、”World Dragon Club”のことです。1900年に設立されたこのクラブは、純血種のドラゴンの繁殖と繁栄のために貢献している、世界最古かつ最大のドラゴン登録機関です。
ジョン・トプセルという方がいらっしゃいまして、『蛇の歴史』の作者で知られる博物学者エドワード・トプセルの遠縁にあたるということですが(笑)、このジョン・トプセルさんが書いたドラゴンの飼育書『ドラゴン 飼い方育て方』という本を読んでみましたよ。

まず、ドラゴンを飼うにあたっての心構えから始まり、飼う意志をたしかめるチェックリストが載ってたりします。
それから、どんな実際にドラゴンがいるのか。品種についての説明がありまして、自分にみあったドラゴンが選べるようになってます。そして、ドラゴンに名前をつけ、WDCに登録するように勧めています。
それから、具体的な飼い方を伝授。住まいをどうするか、必要な備品は何か、輸送方法などに加え、コミュニケーションの取り方、えさについて、お手入れ方法、そして訓練方法や乗り方まで。実に懇切丁寧な飼育本です。
基本的には、犬猫の飼育本と変わりありません。実にわかりやすい(笑)

ドラゴン初心者としては、色々と勉強になりました。
まず、ドラゴンといっても、大きく分けると数種類あって、大きな翼を持っていて脚のないドラゴンは<アンフィプテール>、翼が小さくて脚のないドラゴンは<リンドルム>、翼と2本の脚をもつドラゴンは<ワイバーン>と呼ぶそうです。この3種類は西洋のものですね。一方、東洋のドラゴンは、4本脚で翼がないのが特徴だそうです。あと、”玉”持ってるよね。
他にも、鶏に似たバジリスクやコカトリス、蛇が大きくなっただけのようなものなどもドラゴンに含まれます。
ブリーダーが取り扱っていないので、飼育が不可能な種類として、バビロニアの雌ドラゴンであるティアマトと、北の夜空に棲息するりゅう座のドラコを挙げています。それから、巨大なセイウチに似て大変危険なヨッパ・ドラゴンと空に虹を描くレインボー・サーペントも取り扱っているブリーダーがいないそうです。

いくつか発見がありました。
まずは、西洋のドラゴンと東洋のドラゴンでは、あらためて考えると形状がまったく違うということ。東洋のドラゴンには翼がないんですよね。考えてみりゃ、あれでどうして空に昇れるのか。で、かぎ爪の数が違う。ほとんどの種類が4本だけど、中国のドラゴンは5本、日本のドラゴンには3本あるそうです。おもしろいのはインドのドラゴン。前足はコウモリのように翼と同化していて、眉間にドラコンスと呼ばれる宝石が埋まってます。関連性がわからないけれども、インドのドラゴンはエチオピアのドラゴンと仲間であるようです。インドといえば、多頭の蛇ナーガラージャを連想する私なのですが、こんなドラゴンもいたのね。
ドラゴンの好物って知ってました?東洋のドラゴンは、ツバメの丸焼きが好きなんだそうですよ。西洋のドラゴンの好物は、ミルクとはちみつケーキ(笑)
私の知らなかった品種もたくさんありました。バビロニアのムシュフシュは馬に似ていて、前脚がライオン、後ろ脚がワシ。
ピアサは、アメリカ大陸に棲むドラゴンで、顔が人間のよう、角が枝分かれしていて鹿みたいです。アメリカにもドラゴンがいたんだね。
タラスクは、フランスやスペインのドラゴン。頭はライオンで脚が熊だけど6本脚(笑)、亀のようなトゲトゲの甲羅を背負ってます。キュート!
角がないやつもいるし、水生のものもいる。巨大なものが多いけど、雄牛程度のものもいれば、大きさを自在に変えるタイプも。

いやぁ、奥が深いな、ドラゴン。飼ってみたいけど、場所がないし、えさ代も大変そう。第一、万一暴れだしたらどうしようもないし、私は遠慮しておきます(笑)
posted by nbm at 14:41| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

で?

たまたまYouTubeを見ていて、見つけたPVがあまりに衝撃的で、観ているのがなんだかツライんだけれども、何度も観返してしまいました。ツライんだけど、なぜにこんな映像を作ったのか、見極めたい気持ちで。
銀杏boysの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」。今ならYouTubeで観ることができます。
曲自体や、このPVとはかけはなれた(いやどこかでつながってるんだろうけど)内容の映画についてはさておき。なんだろう。どういう意図で作ったんだろうか。そのセンスがわからない…。いや、元から銀杏boysのセンスは好きではないんだけれども。
これはもはやPVではなく短編ドキュメンタリー映像です。東京や大阪の街頭インタビューという体で、数え切れない男性たちに様々語ってもらっている映像。なんて質問したのかな。みんなスケッチブックに一言書いている。だけど、対象を狙いすぎ。なんていうか明らかに恣意的。あえて表に出さなくてもいいんじゃないかということを、むりくり公開してしまっているような。全部ヤラセだと思いたいけど、そうじゃないんだろうなというホンモノ感。しかし、これを公開したところで、何がどうなるわけでも…。なんかこう、すり寄ってるふりして外側から面白がってるだけみたいなスタンスが見え隠れして、非常に不快。自分なりのこだわりを持っている人が多いけれども、それはあえて外に発信すべきものなのか?

で?

って感じ。
どうせなら、『FAIRY TAIL』の青い羽猫ハッピーにツッコんでいただきたいが。

イヤなんだけど。あ、出演している人たちがイヤなんじゃなくて、作り手側のセンスがイヤってことです。あまりにも赤裸々な映像を見て、エネルギーや希望を感じる人もいるのであろうけれども、この作り手への強烈な不快感もまた表現しておくべきかなと書いてみた次第です。私が感じたものがマイナス方向だったとしても、強烈なインパクトがあったことは否定できないので。

ちなみに、今まで観たことがなかった銀杏boysの他のPVも観てみたりしたんですが、やっぱりどれをとっても強烈にイヤです(笑)
人の好みはそれぞれ。当然、これが好きな人もたくさんいるだろうけど、私はイヤ。
あと、楽器は大切にね!暴れりゃいいってもんじゃない。
たまにはイヤなことを書いてみようと思ったけど、書いてもスッキリはしないもんだな。
ってことで、短い記事でごめんなすって。
posted by nbm at 15:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月03日

使えない自覚

今日は、仕事について語ってみたいと思います。
最近感じていたこともあり、それに加えて、今朝の情報番組で内職商法についてとりあげられていたからです。

私は現在、在宅でPCを使った入力の仕事をしています。訳あって、フルタイムで働くことは自分には難しく、やってできないことはないのだろうけれども、心身ともに健康を害することになるのは目に見えているので、そこまでして働く意味があるのかとブレーキをかけてしまうのですよね。甘えだというのもわかっています。だからやっぱりフルタイムで働くべきよねと考え始めたのですが、そう考えているうちに世間では仕事を見つけるのが厳しい状況にどんどん落ち込んでいってしまい、簡単に方向転換できなくなってしまいました。今は完全なる様子見状態です。この状況、残念だけど少なくとも数年は変わらないんだろうなぁ。
簡単に私の履歴を紹介しておきますと、大学卒業後に建設関係の会社で経理をしておりました。父が税理士だったので、家業を継げればと30歳くらいから働きながら学校に通って税理士試験にチャレンジするも失敗。いろいろあって会社を辞め、税理士試験1本になってチャレンジしてもうまくいかず、結局ドロップアウト。このあたりの細かい話は割愛しますが、自分の適性や嗜好を考えず、周囲の状況のみを優先して行動したことによる失敗でした。
ということで、私の職歴はここで一旦ゼロにリセットされます。たまたま勤めた会社で経理に配属され、細かい移動はありながらも、経理畑で10年以上勤め、また試験には受からずとも5年は税理士の勉強をしていたことから、経理の知識と経験は蓄積されました。実家の家業の手伝いも問題なくこなせるようになりましたし。けれども、資格といえば日商簿記2級しか持ってません。税理士を諦めた後、独学で1級に挑戦しましたが、税理士の勉強と半分くらいは内容が重なっているとはいえ、慣れない工業簿記・原価計算を独学で習得するのは、私には難しく、1級には合格できませんでした。本来なら、もう1度チャレンジしようと思っていたのですが、ここで状況に変化があり、断念。

さぁ、ここから迷走が始まります。
派遣会社数社に登録しつつ、近所で仕事を探してみるのですが、会計事務所など2、3面接に行っても、なかなか決まりませんでした。週2、3日程度の仕事を探していたのですよね。今ほど悪い雇用状況ではなかったと思いますが、そうそう無いです。
そんなとき、ハローワークで面白そうな仕事を見つけたのですが、勤務先が都内だったので、近隣で働きたかった私にはムリだと思いながら、その会社の情報をプリントアウトして持ち帰りました。家に帰ってから何の気なく、その会社をネットで検索してみると、在宅で仕事をしてくれる人も募集しているとのこと。
ここで内職商法の話ですよ。「在宅でPCの入力仕事」といえばアヤシゲなものばかり。恐くて手が出せないでいました。だけど、今回のきっかけはハローワーク。ハローワークで紹介している会社ならとりあえず信用してもいいかも、と。それもどうかと思うけど(笑)
半信半疑でメールを送ってみると、トライアルを受けてくださいとの話。送られてきたトライアルをやって送信すると、直接お会いしたいので会社まで来てくださいという話に。ここまで、別に金を請求されたわけじゃなし、実体がちゃんとある会社なんだし、素直に行ってみました。トライアルの出来が非常に良かったとのことで、即採用していただきました。
仕事はCDやDVDの商品情報等を一覧表に入力するもの。単なる入力だけでなく、メーカー資料をもとに字数制限のある解説の文章を作らなければならないので、半分ライターの要素が入ります。ありとあらゆる内容の商品を扱うのですが、自分がこれまで貯めてきたムダ知識が役に立つ仕事があったなんてと、正直驚きました。いろんな音楽を聴き、映画を観て、アニメを観て、本を読んでと楽しんできたことが、こんな風に仕事に活かせるなんてね。また、文章を書くことは好きなので、これも活かしていることになります。つまり、それまでは最初についた仕事がたまたま経理だったから進んでいた道だったのですが、自分の嗜好・適性に合った仕事に就けたというわけなのです。
在宅仕事ですから、そんなにバカみたいに稼げやしませんが、自分が思い描いていた内職仕事での収入以上のものは稼ぐことができています。

同年代の友人で、派遣の仕事を続けてきたコがいまして、今、本当に仕事がなくて困っています。派遣だけでなく、正社員にしても、アルバイトにしても、本当に厳しい状況だそうです。この1年、彼女から、面接に行ったけどダメだったという話を何度聞いたことでしょう。

そんな厳しい雇用状況の中、気になっていることがあります。
とある質問&回答掲示板でよく目にし、ショックを受けていることがありまして。主婦生活を経て再就職している今の40代女性は仕事上使えないというボヤキが多いです。確かに、バブル時代を謳歌していた年代ですからね。女の子は会社に勤めても2、3年で社内恋愛で寿退社なんてのが定番だったかもしれません。つまり、ロクに働いた経験もなく、まだPCも職場に普及していない時代だったので、個人で勉強しない限りはPCの扱いもわかっていない人が多いのだとか。そういう人たちが、子育てが一段落して、再び仕事に就くものの、仕事の勘も鈍っているし、どうにもならんという声が多いのですよ。逆に、再就職しようにもPCもよくわからないし資格もないし経験も浅いしという悩みを訴える40代女性も多し。
耳が痛い話です(苦笑)でもね、自分は、就職先がどんな会社であろうと3年は辞めないという決意のもとで働き、結果10年以上勤めました。長く勤めた分、PCもギリギリ職場で触れる時期を経験できました。…そんなもんだけしかないけど。あはははは。
もちろん、世代でひとくくりにできる話じゃないことはわかっています。しかし、自分も含めて基本的に考えが甘い人が多いのは認めます(笑)でもでも、そういう人ばっかりじゃないはず!

在宅で仕事をしたり、家業を手伝ったり、細々とですが仕事をやっていても、バリバリ働いていた頃のようなコミュニケーション能力は失っているという自覚があります。経済状況や政治にもあまり興味がないしな(笑)自分が思っていたほど外向的な人間ではなかったという発見もありました。営業とか絶対ムリだし、一人でマイペースにちまちまやる仕事が理想です。
学生時代にバイトをしていたときには、給料日を忘れていたほど仕事をするということが楽しかった記憶があります。基本的には仕事をすることは嫌いじゃありません。誰でも、自分がやりたい仕事に就ければ最高だけど、いまややりたくない仕事でさえも就けないような状況。
就職活動中の友人も含め、まずはみんなが食べていけるだけの仕事に就ける世の中になってほしい。努力も必要だけど、努力したところで報われないと、やる気もなくなるよなぁ。
posted by nbm at 11:32| Comment(5) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

ノー・プラモデル

「朝からウルセーよ」と思いつつも、超ハイテンションの柳沢慎吾のトークを観てしまう。すると、彼は言った…
「ノー・プラモデル!(ノー・プロブレム)」
不覚にも笑ってしまう…

柳樂優弥くん(19)が結婚されるとのこと。お相手は、タレントの豊田エリー(20)ちゃん。このエリーちゃんといえば、深夜帯や東京ローカル局での情報番組でよく見かけたけれども、なんといっても♪ぱなしはなしってはなしです♪だよな。水道の出しっぱなし、コンセントのさしっぱなし、冷蔵庫の扉の開けっ放し、照明などの付けっぱなしはダメよというNHKとACのCMですね。

寝ぼけた頭の中で、「ノー・プラモデル!」と♪ぱなしはなしってはなしです♪が交互にループしている状態が続いています(笑)

どーでもいいことだけど、「ノー・プラモデル」を検索してみたところ、どうやら吉本新喜劇の中田はじめさんという役者さんのネタであることがわかった。柳沢慎吾オリジナルじゃなかったのか。まぁ、複数の人間が思いついても不思議じゃないが。
関西の方は以外に思われるかもしれませんが、関東の人間は、吉本新喜劇に出演されている方たちを本当に知らないと思います。関西で大活躍されている方でも、失礼ながら知らないことが多い。だから、その持ちギャグも知らない。メディアってこわいわ。そういった方が、たまに、芸人さん同士のつながりでトーク番組にひょいと出てきたりして、初めて認識するというパターンになったときに、関西と関東で活躍しているタレントさんに違いがあることに気付かされるのです。
私が今朝、柳沢慎吾ちゃんを通して知った「ノー・プラモデル」というギャグも、関西の方にはすでにお馴染みだったということでしょうか。

ついでに芸人さんの話。
『ザ・イロモネア』を観ると、感じることがある。それは、芸人さんの底力。今、人気先行でもてはやされているような若手芸人たちは、やっぱり底力がない。一方、かつて売れていたが今は低迷しているように見える芸人さんでも、ベテラン勢には底力を感じる。流行りではなくても、やっぱり引き出しをたくさん持っているし、絶妙な間とか、笑いをとる腕を持っている。たまにしか観ない番組だけど、たとえばデンジャラスにさえ底力を感じたし、つぶやきシローは今でも充分通用すると思った。ちなみに今、つぶやきさんは、Twitter上で大人気だそうだ。

今、私が注目しているのは、オードリーの若林。先日の『アメトーーク』での人見知り芸人は興味深かった。このくくり、私にはなぜか波長の合う芸人さんが多かったな。
若林は、クレバーな男だと思う。今までにない独特の間を持っているし。彼は人見知りであるがために”すき間”が耐えられないんだろうなと思わせるような間を持っているんだよね。くい気味のすき間を埋めるようなツッコミが新しい。春日はどーでもいいんだけど、これからのオードリーは若林の腕にかかっていると思う。

とかなんとか言っちゃって。
どうでもいい話でした!
posted by nbm at 11:23| Comment(2) | TrackBack(0) | どうでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

世界は続くよ、どこまでも

昔から読書をするときに、シリーズものが苦手です。
たとえば、ミステリー。一人の探偵さんなりが主人公でシリーズ化されている作品というと、それだけで読みたくなくなっちゃう。たぶん、この先延々と読むことになるのかという先々の労苦を想像してしまうからなのかも。ティピカルなものを嫌う傾向にあるのも一因かもしれません。そういう意味では、長い物語も、すでに完結しているなら挑戦できるものの、続いているうちは手が出せないし、10巻を越えると、もういっそ手を出さない方向でと諦めてしまいます。ラブクラフトを中心とするクトゥルフ関連のものに手を出せないでいるのも、こういった志向によるものではないかと自己分析しているのですが。

そういう中でも、いくつかは追い続けているシリーズがあります。シリーズものを嫌う自分が追うのですから、読みたいという欲求が苦手意識を上回らなければならず、ということは、自分にとっては相当面白く感じられるシリーズということです。
ひとつには、パトリシア・コーンウェルの、検屍官ケイ・スカーペッタが登場するシリーズ。しかし、日本ではほぼ毎年年末にお約束のように出版されてきたこのシリーズも2007年に出た15作目を最後に続刊が出ていません。新しいシリーズに取って代わられています。検屍官シリーズは、鑑識やプロファイリングに非常に興味がある私にとっては、とても楽しい作品でした。
もうひとつは、ナンシー・A・コリンズのミッドナイト・ブルー・シリーズ。これは、ヴァンパイアである主人公ソーニャ・ブルーが活躍するスピード感溢れるストーリーが魅力のシリーズ。3部作と番外編に位置づけられる1冊を含めても4冊のシリーズ。これほど疾走感のある本というのは、私は他に知りません。

そして、もうひとつ。それが、F・ポール・ウィルスンの始末屋ジャックのシリーズ。本国では、すでに13巻も出ているという人気シリーズですが、翻訳が追いついてません(泣)日本では、8作目がやっと今年9月に出ました。
シリーズは、2011年に出る予定の15作目で完結するとのこと。他に、10代の頃からのジャックの物語を3部作で刊行するという話も。こうなったら、全部翻訳を出してくれよ。お願いしますよ。どうか途中で終わることがありませんように!
追っているシリーズとかいいつつ、7作目を読んだ記憶がありません。『始末屋ジャック 深淵からの脅威』…。実は、最新刊が出ているのも知らず、つい先日久々に図書館の新刊をチェックしていて気付いた始末。で、新刊を予約するに当たって、その前を忘れちゃったからもう1度読み返そうと借りたのが『始末屋ジャック 幽霊屋敷の秘密』。これが失敗、これ、前々作(6作目)でした(笑)でも、とりあえず読み返してみた。やっぱり面白い。基本設定を思い出したので、これでよしとして、7作目は置いておいて、最新の8作目『始末屋ジャック 凶悪の交錯』を読んじゃいます。感想等は、また後日。本来の設定としては、同じ年に起きた連続した話として描かれているようなので、順番に読みたいんだけど…。

始末屋ジャック・シリーズは、実は他の複雑なシリーズとも関連していまして、これが壮大な話になっちゃってます。
私がF・ポール・ウィルスンを初めて読んだのは『ザ・キープ』。これがすべての発端です。ナチスドイツがルーマニアに発見した城壁を舞台に、古代からある邪悪な存在が明らかになってくるというお話。映画化された作品はちょぼいですが、原作は凄まじく面白い。んで、ここから、<ナイトワールド・クロニクル>とか<アドヴァーサリ・サイクル>などと呼ばれるシリーズが始まり、始末屋ジャックのシリーズも関連してきます。もう何が何やら。
ジャックは生身の人間ですが、裏社会に生き、違法な手段も積極的に行いつつ、依頼によっては殺人さえも躊躇しない男であります。見た目は、かっこよくもなく、不細工でもなく、フツーの容貌。印象に残らない男。仕事上、都合がいいです。ちょっと皮肉屋さん。
長いことこのシリーズの映画化が検討されているというウワサがありますが、ちっとも進行していない様子。『ザ・キープ』の失敗がトラウマになっているか?私の勝手なジャック像によると、適役はジェフリー・ドノヴァンあたり。『バーン・ノーティス』が観たいわ。ブルース・キャンベルも出てるし。
ちょっと、話がそれました…。
始末屋ジャックは、仕事をしていくうちに、異界のものと出会うようになっていきます。

F・ポール・ウィルスンが描く世界は、モダン・ホラーとか言いながら、どこか壮大な歴史観につながっていたりして、その辺りが骨太感を感じる所以なのではと思います。
シリーズとは無関係な作品に『黒い風』というのがありまして、太平洋戦争当時、日本を舞台として、とある秘密結社を描いたもので、”黒い風”という秘術をめぐる話。
何をとっても、外国人が日本や日本人を描くととんちんかんになりがちだけど、この作品はよくぞここまで書いたと褒めてあげたくなるほど、日本観がしっかりしている。

っつーことで、今は始末屋ジャックの活躍を楽しむことにします。
posted by nbm at 11:18| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする