2011年02月21日

黒い集団

近年、就職活動をする学生を見ていて、気になっていたことがあった。
それは、リクルートスーツの色。みんなが揃いも揃って同じ。男性も女性も、誰も彼もが黒のスーツを着ている。いつからこんな風になったんだろう?厳しい状況も相俟って、就職戦線は非常に暗く重い空気に包まれているように見えてしまう。

自分が就職活動をしていた頃は、いわゆるバブル期。時代が違うといえばそれまでなのだけれども、リクルートのスタイルはもっと自由度が高かった。
その当時のリクルートスーツの主流は、濃紺やグレイだったと思う。黒は少数派だったような…。
自分の時代、就職活動が始まるのは、4年の春から。まず春夏用に麻混で細かい千鳥格子のスーツを買った。遠目にはグレイに見える。あんな時代にありながら夏を過ぎても内定が出なかったので(苦笑)、秋冬に向けて、モスグリーンのスーツを購入。その他にも、ペールブルーやシャーベットグリーンのワンピースを着て面接に行ったこともある。紺やグレイさえ着なかった私は当時でも少数派だったかもしれないけれども、面接に行って、飛び切り浮くほどでもなかった。友人たちも、いわゆる”リクルートスーツ”という雰囲気のものを着ていた人は少なかったような…色は抑え目でもデザインに凝ってたり、同じグレイでもダークグレーでなく薄いグレーとか、いろいろいたと思う。
男子の場合は、普段着る遊び着のスーツは当時は色やデザインがド派手だったので、リクルート用におとなしいスーツを用意した人がほとんどだったのではないかな。
女子の場合は、普段もちょっとしたときに着ていけるような服の中で、おとなし目のものを着ている感じだった。リクルート用に用意はしても、別の機会にも着られるようなものを選ぶ感覚。実際、私はリクルートで着ていたものを普段も着ていたし、大学を卒業して会社に入社してからも愛用してた。
もちろん、面接に行く企業の雰囲気というのも大きく関係するかもしれない。金融系などお堅い企業に行く人は、無難な色のスーツを着ていたと思うし、アパレルやマスコミなどを目指す人は個性を強調してもっと派手だったと思う。
私は特定の業界を狙っていたわけでもなく、規模にも拘りは無く、ただ社内の雰囲気が良さそうな会社を探していた。

先日、テレビ番組で、なぜ黒のリクルートスーツを着るのかということについて、実験をしていた。
黒いスーツとベージュのスーツの印象を街行く人に聞いてみると、同じ人物が着ていても、黒のスーツの印象の方が格段に良い。黒を着ていると、真面目だとか誠実だとかプラスの印象になるみたいで。黒と比べるのがベージュっていうのが極端過ぎてちょっと気に入らない実験だったけど、スーツの色で印象がかなり左右されることは理解できた。
蛇足だけれども、この番組では、「顔採用はあるか」というテーマの実験もしていた。事情を何も知らない企業の人事採用担当の人を相手に、わざと辻褄の合わないことを言うモデルさんと普通の対応をする普通の大学生が面接を受ける。すると、わけのわからんことを言っていても、モデルさんの方が採用されるという結果に…。番組では、モデルさんは笑顔慣れして溌剌と見えるからではないかと言っていたけれども、本当にそうなんだろうか。顔の良し悪しの問題は置いておくけど、やはり印象というのはかなり大きな問題であるのがわかる。

あらためて考えてみよう。
なぜ黒のリクルートスーツを着るのか。

リクルートスーツというものを打ち出して紳士服量販店なんかが売り出し始めたのは、もうだいぶ前の話なんだろうけれども、その手にまんまと乗せられているということがひとつ。「これなら無難」というラインを形にして売り出してあるものなら、安全だろうというわけだ。アパレル業界が打ち出す流行が、時代によって多少変遷するといったところなのかな。濃紺が主流だった時代もあれば、チャコールグレーだったり。そして、今は黒。以前は喪服のようだと敬遠された黒が、今は喪服にも使えるからファースト・チョイスは黒だと勧められる不思議。
一方、この無難を求める学生側の心理もひとつの理由なのだろうね。リクルートスーツという形作られたものなら、間違いないだろうという判断。
なんなら、大学入学時に入学式の時に着るものをすでにリクルートスーツにしてしまうという考えもあるそうで、中には、黒一色の入学式なんて光景もあるとか。ブラック・フォーマルを持っておかんと、とそのときに黒を選択するという考えもあるし。

不景気の時には、黒が流行するという。
以前、ダンナさんに聞いた話だと、不景気のときは車でも黒が多くなるんだとか。
不景気を抜きにしても(関係があるのかもしれないけど)、紳士服業界ではここ数年黒が流行色だったよう。その流れでリクルートスーツも黒が流行ったってことなんだろうか。

個性を前面に出して悪目立ちしろとは言わないけれども、あそこまで判を押したように同じ格好で面接を受けられても、採用担当は見分けがつくんだろか。
私とて、確かに人と同じなのは好きじゃないけど別に目立ちたかったわけではなくて、TPOに反しない程度で自分の好きなものを着て気持ちよく就職活動をしていただけのこと。それも含めて自分を見てもらえばいいし、それを理由に採用してもらえないなら、自分とは合わない会社なのだと思うし。
そんなことを言っていられない厳しい状況だからこそ、こんなことになるんだろうけども。見た目はとっかかりであって、清潔感とか最低限の常識を見るだけ。本当に見られているのは内面だし。
落とされて落とされて、自分に自信がなくなるのもわかるけれども、瑣末なことにとらわれるよりは、のびのびと自己表現することの方が大事だと思うんだけど。あとは会社との相性ってことで。

なんてね。
現在、どこにも就職できていない自分が言っても信憑性がないわな(苦笑)
就職活動中のみなさん、何かしらアピールできるものを作って、めげずにがんばってくださーい!
posted by nbm at 12:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

妖怪爪切り隠しとゼロ

大学時代、履修登録をして、途中で捨てた授業はいくつかあったけれども、ちゃんと取る気で単位を落とした科目がひとつだけあった。それが、言語学。
記号と言語との関係性が、当時の私にはなんだか難しくて、よく理解できなかった。もはや数学のようで。

NHK教育テレビ『Q〜わたしの思考探究〜』、ピースの又吉直樹が出演した「言葉とは何か」という回を観た。
「自分の思いをコトバで、どこまで正確に伝えることができるのか? そもそもコトバの正体とは、何なのか?」といった又吉の疑問に、言語学者の町田健が答えていく。
”死神”のような風貌の又吉は、太宰治の大ファンで、文芸書好きで知られる芸人。文筆家せきしろさんとの共著で、自由律俳句集を2冊出している。とにかく、言葉へのこだわりは人一倍強い人であるのは想像がつく。

日本語は、ひとつの現象を言い表す言葉が多種多様な言語だ。
たとえば、雨。霧雨、小雨、大雨といった程度の問題から、五月雨、時雨など時季的な表現、他にも小糠雨や驟雨など、雨というひとつの現象が細かく分類されている。こういう風に事物・現象を分けることを”分節化”というのだそうだ。

この”分節化”をするにあたって、前段階として必要なのが、”範疇化”という作業。
たとえば、小さな子供に”いす”という言葉を教えるとする。座っているいすを指して「いす」というのは簡単だけれども、他の形のいすもいすだということを教えなければ、いすの意味を正しく伝えることができない。いすという集合をいすと認識させなければいけないわけだ。まず、こういったグループ化・カテゴリー化の概念を作り出し、事物・現象を分類した上で、初めて”名づける”ことができるようになる。

何かに名づけることで、共通認識が生まれるってことなんだよね。
又吉さんは、ネタを考えているときの話から、”妖怪爪切り隠し”について語っていた。
ふと爪切りが見当たらなくなることがある。自分では置いたつもりのない場所から、それは出てくる。もしかしたら、これは”妖怪爪切り隠し”の仕業なのか、と。こういった認識が広がり、共通のものとなれば、”妖怪爪切り隠し”は存在するという認識は当たり前のものになるかもしれないというわけ。
今現在、認識されてる妖怪なんて、本当にこんなものなんだと思う。ある現象が起きて、それになんとか納得のいくように説明をつけたいわけだよね。

さて、ここでいきなりだけど、最近、アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』を1期・2期と続けて観た。キャラクター原案がCLAMPってことで、絵柄のかわいらしさに惑わされてしまうけれども、作り込まれた世界観や練りに練った構成には唸るしかない完成度。非常に残酷で胸を抉るような話だった。
神聖ブリタニア帝国の植民地となっている日本。主人公ルルーシュは、普通の男子高校生なのだけれども、実は妹ナナリーとともにブリタニア王の血を引く王族。母を見殺しにした父ブリタニア王を憎み、溺愛する妹ナナリーを守りたい一心で、ブリタニア王と敵対する心を持っているルルーシュ。そんな彼が突如として”ギアス”という特殊能力を授かり、人を意のままに操ることができるようになったことをきっかけに、ブリタニア帝国に反逆する黒の騎士団を率いる身となる。
そのとき、彼はルルーシュとしてでなく、仮面を被り、正体を隠して”ゼロ”と名乗る。

この”ゼロ”こそが、共通認識の記号。
ゼロとして全世界に認識されるため、ゼロの扮装さえしていれば、中身がルルーシュでなくても、それはあくまでも”ゼロ”として認識されるわけだ。それを利用した作戦も何度か出てくる。
ブリタニアにとっては敵、植民地支配されている日本人にとっては救世主であったりする。
最初は、ブリタニア皇子としての顔を隠さなければいけないという理由だったのだと思うのだけれども、途中から、”ゼロ”という存在が一人歩きしていくのが面白い。
とても面白い作品なので、これ以上内容は語らないことにしておきましょう。

”名づける”という、共通認識を作る作業について、たまたま同時期に目にした”妖怪爪切り隠し”と”ゼロ”とが、私の脳内でつながったのでした。
そして、”名づける”ことの重要性について考えさせられたし、言霊信仰が生まれるということも納得できる気がした。

又吉さんと町田先生の話に戻ると…。
こういった分節化を進め、”言葉の網の目”を細かくしていくことが、語彙を増やすということになるわけだ。
又吉さんは、人同士のコミュニケーションにおいて、どうしたらより深く意志の疎通ができるのかと町田先生に問う。
先生が答えるには、ひとつには語彙を増やすこと。しかし、これには相手も語彙が豊富でなければ通じない方法であるので、もうひとつの方法が、比ゆを使うこと。
簡単そうで、難しい…。

余談だけれども、日本語には、一人称を表す言葉が多いことが話題となっていた。
それは日本人が場の感覚を大切にしているからではないかということだった。その場面に応じて、一人称を使い分けているということ。
もうひとつ、別の話。
人間は、明確に分節化できないものを”気味が悪い”と思う傾向にあるということ。たとえば蝙蝠のように、鳥のように見えるけど獣のようでもある、とか。この境界線の曖昧さが認識の難しさを感じさせ、そして敢えてそれを表現することが芸術につながっているのではないかという話。

ことばが現象を生み出しているわけじゃないんだけど、そんな錯覚に陥る。
言語学者ソシュールいわく
言語があらわれないうちは、何一つ分明なものはない。

posted by nbm at 11:39| Comment(10) | TrackBack(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

うそつき!

「うそつき!」
はい!関東の平野部にお住まいのみなさんも、ご一緒に!
「うそつき!」

昨日の夕方5時くらいには、雨がみぞれまじりに。
「天気予報、雪が降るって言ってたっけ?」
それから完全に雪となり、7時ともなるとアスファルトにも積もって、ノーマルタイヤでは走行できないくらいの状態になる。
いわゆるぼたん雪で大粒、あれよあれよと言う間に、5cmほど積もる。
夜半過ぎまでずっと降り続ける雪。8cmは積もってる。
朝までには止みそうだけど、雨に変わってくれれば融けるのに雪のまま終わりそう。
朝になり、道路などは大分溶けてはいるものの、屋根も駐車場も真っ白…。

どこの局でどの気象予報士の天気予報を聞いても、「雪ではなく雨」「雪は積もらない」と豪語してた。誰か積雪を予報していた気象予報士がいたんだろうか。元をたどれば気象庁ということになるだろうが、いろんな人の予報を聞いていると幅があるときもあるのに、なんで今回は揃いも揃って…。
数日前の降雪の際には、「積雪が予想されます」という予報で、まったく積雪なし。
今回は、「雪にはならず積雪の心配はありません」との予報に反して、大雪。この辺りでは最大で10cm近く積もったか。
「積もる」と言われて積もらないのはまだいいが、「雪は降らない」「積もらない」と言われて積もると、重大な事故につながりかねない。少しでも積雪の可能性があるなら、「積もらない」と予報すべきではないだろうよ。
関東北部の冷たい空気が南下したことで、予想以上に平野部の気温が下がり、雪となったそうだが、その可能性が少しでもあるのなら、なぜ予報に入れなかったのか。
豪雪地帯の方々には、「cmとか言っちゃって単位が違う」と鼻で笑われるのだろうが、1シーズンに数回しか積雪しないこの辺りでは数cmの積雪でも致命的。
雪道に慣れていない歩行者は転倒し、車はスタッドレスタイヤさえ装着してない。たぶん、そんなもの持ってない人がほとんど。チェーンもそうだと思う。鉄道も高速道路も使えなくなる。交通は麻痺。
家々でも、雪かきをしようとする人は希少。玄関先から道路に出るまでは雪が積もりっぱなしのお宅がほとんど。屋根の雪おろしが必要な程は降らないけど、最低限必要な場所だけでも雪かきをしようと行動に出る人はほとんどいない。
ダンナさんの職場では、雪が積もればまず雪かき。今日は着替え持参で出かけて行った。大汗かくからね。
積雪があると、その後数日の凍結による事故が心配。自分も気をつけないとな。

関東地方の天気予報では、「北部・山添地方」と「平野部」では雨・雪の降り方が劇的に違うので、いつも区別される。「北部・山添」では雪でも、「平野部」では雨ということがほとんど。
この辺りは「平野部」なのだけれども、雪の場合はちょっと事情が違ってくる。標高が高いために、平野部よりも豪雪になることが多いからだ。
今回、雪が降り出してから慌てて出された積雪量予想も、都内23区では2cm、北部・山添では15〜20cm程度。この辺は感覚的に双方の中間くらいなので、10cmといったところかと想像していたら、その通りだった。
関東の平野部でも、海沿いは雪に変わらなかった様子。こういう気象上の地域性って面白い。

春になるまで、あと数回雪が降るだろうか。もうないかもしれないけど。
去年は、4月に雪が降って、雪の上に桜の花びらが散っていたのを見た。
見ているだけなら綺麗なのだけど、危険なものでもあるのが雪。事故が起きないことを祈るのみ。
posted by nbm at 11:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 天体・気象 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

中身は男子

なんか冷えてきたと思ったら、またも雪が降り出してた。家々の屋根や庭には積もってる所があるものの、アスファルトには積雪は無く…。雪国に比べればほんのわずかな雪でも、ここらで数cm積もれば交通など大混乱するわけで、いつも白銀の世界を期待しつつ、単純には雪を歓迎できない。

今朝、テレビで母校の最寄駅の駅前が映る。
駅舎が新しくなるというのはどこかで聞いたような気がするのだけれども、まったく違う風景になっていて、びっくり。昨年、改修されたらしい。そういえば、もう何年も行ってないなぁ。懐かしい街並み、ゼミでコンパをやった店やよく歌ってたカラオケ・スナックの看板が映る。懐かしすぎる。今年は久々に大学祭に行こうか…。
他にも、沿線の駅からの富士見ポイントが紹介されてたんだが、これは知らなかった。この駅も、しばらく使ってないからな。こんな所から富士山が綺麗に見えるんだろうかと疑う気持ちで観ていたら、意外に雄大に観えた。そういえば、その界隈にある水天宮にも確か富士塚があったっけ。建物さえなければ、案外、近くに富士山が見えるもんなんだな。

さて、昨晩、『たけしのニッポンのミカタ!』は、「男と女のギモンと謎!徹底解明スペシャル」だった。ほとんど観てないんだけど(笑)、男性が女性に対して感じる疑問と、女性が男性に対して感じる疑問とを科学的に解明していこうというわけだ。
垣間見たときに、”自分の脳が女脳ではない”ということをあらためて感じた。

<男→女への疑問ベスト10>
1位 なぜ痩せたいのか?
2位 なぜ買い物が長いのか?
3位 なぜウソを見破るのがうまいのか?
4位 なぜいつまでも話していられるのか?
5位 なぜ昔の話を覚えているのか?
6位 なぜ機械に弱いのか?
7位 なぜ突然泣き出すのか? 
8位 なぜ占いにハマるのか?
9位 なぜ電車で化粧をするのか?
10位 なぜ荷物が多いのか?

この中で自分に当てはまるものはというと、「痩せたい」「ウソを見破る」「いつまでも話していられる」くらい。

先日、都内で友人に会ったときに
「いつも荷物が少ないよねぇ」と指摘されたのを思い出す。
彼女は、大ぶりのバッグに、様々なものを持ち歩いてた。「出先で、もしかしたら必要になるかも」と思うようなものを詰め込んでいるんだそうだ。
私は、小さなポシェット(←死語?)ひとつ。お財布、携帯電話、スティック状の小さな携帯音楽プレーヤー、タオルハンカチ、口紅くらいしか入ってない小さなポーチ(ティッシュ付)、ミンティア、pasmo。これくらいしか入ってない。
そういえば、会社に勤めていた頃、社員旅行でも荷物が小さくて同僚に驚かれたのを思い出した。
一番大きいのは、化粧をしないことなんだと思うけど。そうすると、かさばる化粧道具が要らないからね。
通勤していた頃は、必ず文庫本を持ち歩いていたけど、近年の移動中は音楽を聴くことにして、デカいCDプレーヤーや何枚ものCDを持ち歩かなくてもいい今は、本当に楽。
”不測の事態に備える心理”というのが、女性の大荷物の原因で、出先で買い求める無駄を省く”堅実でケチ”なこととも関係があるそうだが…、あたしゃ”不測の事態に備えず””堅実でない”ってことかいな。

そもそも化粧をしないから電車の中でもしないし、占いには興味がなく、機械にも弱くはないし、昔の話なんて憶えちゃいない。ダラダラとウィンドー・ショッピングをするのは好きだけど、それをやるときは一人で徹底的にやる。普段の食材の買い物などは、買うものを決めておくか、そのときに安いものを買うので、あまり時間をかけない。涙もろくはあるけど、男性が驚くようなタイミングで「突然泣く」と言われるほどのことはないと思う。

男脳・女脳の判定テストをやってみると、中間脳と診断されるか、男脳に偏っていると診断される。
昔から、間違っても女らしいタイプではないので、予想はつくことなのだけれども、自分が歳を取るにつれて、どんどん”オッサン化”している気がしてならない(苦笑)

ちなみに、逆の疑問は以下の通り。

<女→男への疑問ベスト10>
1位 なぜ親父は臭いのか?
2位 なぜ若い女が好きなのか?
3位 なぜ結婚後妻を大切にしないのか?
4位 なぜ女の話を聴かないのか?
5位 なぜマザコンが多いのか?
6位 なぜ素直に謝らないのか?
7位 なぜ自慢話ばかりするのか? 
8位 なぜ乗り物が好きなのか?
9位 なぜ面倒くさがりやなのか?
10位 なぜ思っていることを口に出さないのか?

こっちには、ほとんど当てはまるものはない、と思う(笑)
でも、ひとつだけ、明確に当てはまるものがある。乗り物は好きだ。
小さな頃から車が好きで、歳の離れた兄が運転する車には、どこに行くのでも同乗を許されれば乗っていくという感じだった。成長して自分が運転するようになったら、運転は好きじゃないということが判明したのだけれども(苦笑)
兄たちはまったく興味がなさそうだったが、私は車のレースに興味があって、小さい頃からピットクルーに憧れたりしてた。大学では自動車部に入ってしまったし(ほぼ幽霊部員だったけど)、女の子同士でモーター・ショーに行ったりしてた。
これはたまたまだったのだけれども、高校時代からお付き合いしていた今のダンナさんは、ワンオフ部品を作り車をチューンナップする職人となる。
そんなんだから、大学の自動車部なんててんでお話にならないくらいハイレベルな車遊びを数々体験させてもらった。ねらってそうなったわけじゃないんだけど、私にとっては、自分が求める刺激を与えてくれる稀有な環境だったわけで。

このブログ、ちゃんとプロフィールを載せてないんで、私が男性なのか女性なのかよくわからないまま読まれている方もいらっしゃるやもしれませんね。
文中に”ダンナさん”とか出てきて初めて、「この人女性だったのか!」とか思われたりしてるかも?
中身は男子、それも中2くらいですから(苦笑)
posted by nbm at 12:41| Comment(6) | TrackBack(0) | 脳科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

なんでもこい!

このクールのアニメ。
無茶苦茶な設定の作品がある。『これはゾンビですか?』(→HP)。
主人公の男の子はゾンビで魔装少女(少女じゃないけど)。そして、同居人の女の子が3人(現段階)。通り魔に殺された主人公をゾンビにした”ネクロマンサー”、主人公から魔力を奪われてしまったので彼を魔装少女にした”魔装少女”、ネクロマンサーの力が借りたくてやってきた”吸血忍者”の美少女。
”ゾンビでその上魔装少女”とか、”吸血鬼の忍者”とか、そんなんが集まっちゃって、キャラが濃過ぎるだろうよ(苦笑)

アニメ作品に関しては、またの機会に語るとして、と。
何が言いたいかって、こういう特殊な設定というものに完璧に慣れてしまっている自分に、あらためて気付いたという話。
アニメ作品は、普通の学園ものなんてのもあるけれども、突飛な設定のものが多く見受けられる。SF、ファンタジー、ホラーのような世界観の設定がたくさん。
このクールだけでも、人型ロボット的なものを使った戦闘もあれば、かわいい女の子の姿をしたドラゴンの話や、夢の世界からやってきた少女の話、魔法少女となって悪い魔女を退治する話など、バラエティに富んだ設定がたくさん。
そんなアニメを毎クール20〜30タイトルくらい観ているわけだけれど、それも毎日のことなので、作品を観るごとに頭を切り替えているわけさ。
さっきはロボットが出てきたかと思ったら、次はゾンビで魔装少女、また別のロボットが出てきて、今度は”魔装”少女でなく”魔法”少女が戦い、普通の学園生活かと思ったら、お次はドラゴン、そして夢と現実が交錯する世界へ。みたいなことになる。
そういう生活をもう何年も続けているから、どんな設定の世界観でも、数回分を観れば慣れてその世界観に浸ることができるようになってる。違う世界観の作品を続けて観るときの頭の中の切り替えも自在。

さて、昨日、またまたテレビでたまたまやっていた映画を観た。
『ファイナル・カット』(2004)という作品。トレーラーはコチラ
ロビン・ウィリアムズの主演で、人の一生の記憶を記録するチップについて描いたSFサスペンス。
”ゾーイ”と呼ばれるチップを脳に埋め込んで、生まれたときから死ぬまでの体験を記録することができる世界。人が死ぬと、ゾーイのデータを使って編集された映像を流す追悼上映会が開かれたりしている。
ロビン・ウィリアムズ演じるアランは、その映像を編集する仕事をしてる。
人の記憶を扱うわけだから、人には言えない秘密が隠されているわけで、そんなことからトラブルに見舞われる。当然、ゾーイ・チップの使用に反発する人々もいるし、編集者としては見たくもないような場面を見聞きすることにもなり精神的な負担は大きい。そういったドラマを扱っている作品で、SF作品というよりは人間ドラマといった感じ。サスペンス色もさほど強くない。

んで、この作品では、”パンドラ”と名づけられた装置で、ゾーイ・チップを読み込んだり編集したりするのだけれども、その”パンドラ”の外見が、木製が主体で、記憶を記録するという近未来的な技術とは一見そぐわないように見えるものだ。
”SF”とか”近未来”といわれれば、たとえば『マイノリティ・リポート』(2002)でトム・クルーズが扱ってたような目の前の空間で手を動かすことによって操作できるコンピュータ的なものとか、なんらかの金属で作られた銀色の無機的な構造物とか、そんなイメージが強いと思う。そうでなければ、SFと感じられないくらいなのかも。ちなみに、『マイノリティ・リポート』のトレーラーはコチラ
そういう近未来の共通認識みたいなものがある前提で、あえて木製の装置を描いた点で、私はこの『ファイナル・カット』を評価したいと思う。

20XX年とか言われると、どうもあの金属的な未来を想像しがちなんだが。色味でいうと、青い寒色系。
しかし、『ファイナル・カット』は赤い暖色系の映像だった。人の記憶を扱う作品のためか、ノスタルジーというのも切り離せないし、パンドラが出てくる他は、現代の景色とほぼ変わらない様子だった。
インターネット上でこの作品に対する様々な感想を読んでいたら、この作品の未来設定に違和感を感じている人が少なくなくて、正直驚いた。ゾーイ・チップのような科学技術の発展と、今と変わらない周辺世界のあり方とにギャップを感じるということらしい。
詳しい説明がなされているわけではないので、この世界とは別の形で科学が進化したパラレルワールドだと解釈することもできるけれど。
あれは、フレドリック・ブラウンの『雷獣ヴァヴェリ』だったかな。電磁パルス攻撃後の世界みたいになっていて、すべての電気・電子機器が使えなくなっているという設定。電気を使う以前に戻って生活しなければならないんだけど、それがやけに快適だったりして…なんていう。
そんな世界観に通じるような、どこかノスタルジックで温かみのある雰囲気というのが、この『ファイナル・カット』の肝だと思うんで、美術設定は間違ってないと私は思う。
デヴィッド・クローネンバーグの『裸のランチ』(1991)を思い出したのは、ノスタルジックな雰囲気をバックに、木製の机と、昆虫と合体したタイプライターみたいな奇妙な金属的な物体との対比という部分が似てるように思えたからなんだろうな。全体的な倒錯感やグロさからすると、かけ離れた作品なんだが(苦笑)

「近未来といえばこういうもの」という固定観念って、意外と浸透しているものなのだなと思い、と同時に、アニメで無茶な設定に慣れているせいか、すんなりと作品の世界観を受け入れられる自分に、「鍛えられているな(苦笑)」と思った次第。
監督・脚本は、気鋭のオマー・ナイーム、当時弱冠26歳。ってことで、少し詰めが甘い気はするけど、けっこう面白かったよ。
posted by nbm at 11:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

便利なアイテム

雪が積もるんだろか。
みぞれまじりだった昨晩はそう心配しつつも、朝起きたら一面白銀の世界だったりして…などと想像するとちょっとわくわくしてたんだけど、結局雨になってしまったようで、残念。
朝になってから、少しだけ雪がちらちら降っていたけれども、今はもう晴れているようだ。
本格的な雪は、次の連休に持ち越し。

左顎はまだ腫れている。外見ではわからないぐらいだけれども。
痛みはほぼないものの、口をあまり大きく開けられないので、食事が面倒。ごはんを食べるのが面倒くさいと思うなんて…。食べないでもいいかなと思うくらいで。
あとは治っていくのを待つのみ。そして、左が落ち着いたら、来月は右側にチャレンジ!

”泣き”のギタリスト、ゲイリー・ムーアが、突然亡くなってしまった…
私は特別ファンというわけでもなかったけど、私たちの世代のオヤジ連中は泣いていることだろう。
ダンナさんは、若かりし頃にライブでゲイリー・ムーアの曲をやったりしてたから、やはりショックだった様子。
近年はブルースを演ってたんだってね。
合掌。

さて、今日の本題。
昨日の朝の情報番組で、マスクを使用する理由についてやっていたが、非常に興味深いものだった。
マスクといえば、インフルエンザなどに感染しないよう予防策として使用するか、もしくは自分が感染してしまった場合に周囲にうつさないように使用するものという認識だった。ほかにも、これからの季節は花粉症の人が花粉を防いだり、先日来の火山の噴火で火山灰を吸い込まないようになどと、異物の吸入を防ぐ働きもわかる。
歌手の人などは、喉を守り、潤すために使う人もいると思う。保湿効果があるものね。
しかし、今は、そういったこと以外の目的で使われているケースが増えているという話。

新しい使用法その1。すっぴん隠し。
女性がメイクをしないで外出する場合、すっぴんを隠すためのアイテムとしてマスクを使うんだそうだ。
最近は、どういうわけかすっぴんの女性が増えているという話も聞いたけど、それとは別だな。すっぴんを実践するコたちは、「自然のままの自分でいたい」とか言って、堂々と素顔をさらしてた。
本当はメイクがしたいけど、時間がなかったり、面倒だったりする人が、マスクを利用するんだと思う。顔を隠したいわけだからね。
普段メイクをしない私にはわからないけれども、便利なんだろうな。

新しい使用法その2。表情を隠すアイテム。
たとえば、ちょっとした変装をするときにメガネや帽子を使うけれども、そんな感覚か?
ヘアスタイルを失敗した男の子が、それを誤魔化すために本当は帽子を被りたいのだけれども、学校では帽子は被っていられないから、マスクをして誤魔化したと話してた。
温泉で、裸になったときに顔を隠してしまうタイプか?
別の女の子は、接客のアルバイトをするときに、マスクをすることで、お客さんに対して笑顔を作る面倒から解放されるというようなことを言ってた。
チンパンジーのような高等な猿でさえ、表情筋を使って、コミュニケーションをとるってのに。メラビアンの法則なんてものがあるけれども、人はコミュニケーションの際に、半分以上は視覚情報に頼っているという。顔の表情を読み取ることが果たす役割は、非常に大きいということ。
口元を隠されると、笑っているのか起こっているのか、非常にわかりにくい。
コメンテーターの方が言っていたが、西欧の人がマスクをするときに、マスクに口を描くことをするという。見せられない口を見せたがるってことだね。
ちょっと脱線するけど、東洋人と西洋人では、表情の読み取り方が違うという研究があるそうだ(グラスゴー大学 Roberto Caldara博士らによる研究)。東洋人は目を重視し、西洋人は口を重視するんだってさ。「目は口ほどにものを言う」っていうのは、東洋での話なんだな。この説の通りなら、日本人は表情を読み取る際にあまり口を重視してないってことになるけど、最近、歯医者に通って、マスクをしている人とよく話をしている私からすると、やっぱり口元が見えないと表情がわかりにくいよ。

新しい使用法その3。シャットダウン装置。
前述した「表情を見せない」という状態が嵩じると、こうなってしまうんだろうけど、世界から自分を隔離するものとして使用しているという人が増えているというのには、一番驚いた。
そういう目的でマスクをしている人たちは、みな一様に「マスクをしていると安心する」と言っていた。
感染症予防などでマスクをしているうちに、この安心感に気づき、感染予防の観点からは必要がなくなってからも、マスクがはずせなくなったケースが多いという。
普通に社会生活を送りながらも、精神的にはひきこもっている感じなんだろうか。中には、外出時だけでなく、家庭で家族といるときにもマスクがはずせないコもいた。

食事が一人でできず、トイレで食事をする大学生がいるという話を聞いたとき、その理由が、「一人で食事をして寂しいヤツだと思われたくない」ということであるのに驚いた記憶がある。
自分が寂しいのがイヤだというよりも、”そう思われたくない”気持ちが強いことに違和感を感じる。
自意識が過剰に思える。平均から逸脱することへの恐怖なんだろうか。

今回のマスクの件でも、同じことを感じる。
”見られている”という意識が非常に強い。だから、隠したくなる、隠れたくなる。
周囲のことが気にならないくらいに熱中することがないってことなんだろうか。「人からどう見られるか」なんてことを忘れるくらい楽しいこととかないんだろうか。
目立つのは嫌いだけれども、人から変に思われれば思われるほどニヤリとするあまのじゃくな自分としては、理解できない心境。
と同時に、情報過多の時代にあって、そこにどっぷり浸かってそれを享受しているようでいて、やっぱりどこかにしわ寄せがいってるんじゃないかと思えてくる。

マスクなんて簡単なアイテムで、不安が解消できるなら、便利なんだけど、根本的な解決にはならないんじゃないかと…。そこがちょっと心配。
posted by nbm at 11:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

拍子抜け

今回、昨年末に詰め物が取れたことをきっかけに、10年ぶりくらいに歯の治療をすることとなったが、まずは取れた詰め物を詰め、変色してしまっていた前歯の詰め物を詰めなおし、全体的に歯石をクリーニングすること3回。
そして、ついに、親知らずを抜くこととなった。今回の対象は、上の2本。痛みが出ていたわけではないのだけれども、虫歯になっており、放置していればそのうち問題が表面化するのは想像がつく。年齢を重なれば重ねるほど骨と固着し、抜くのが大変になるということで、放置しても良いことはなさそうだし、ここで思い切って抜くことにした。幸い、仕事もしてないし、今がチャ〜ンス!
逆に、抜いた場合のリスクを尋ねると、今まで親知らずと接していた奥歯の一部分が、一時的に知覚過敏になるかもしれないとのこと。それだけ。なら抜いた方がいいや。ねっ。

必要性があるわりには患者の嫌がる気持ちを優先してしまい、抜くことを強く勧めない医師の代わりに、歯科衛生士が勧めてくれたわけだけれど、2本抜くのに、どれくらいのインターバルを取るものなのか聞くと、通常は数ヶ月から半年は明けるということだった。私は、特に問題がなければ翌月くらいに抜いてもかまわないかなと思っていたので、意外そうな顔で聞いてたんだろう。
「患者さんの場合は、メンタルが強そうだから、翌月でも大丈夫かな(笑)」と言われる。
あはははは。

そうは言っても、さすがの私もドキドキ。前日の昨日は、
「明日は親知らずを抜くんだよなぁ」と常に頭の隅にある状態。
今日は、朝から覚悟を決めていたわけだけど、歯を抜くという行為が初めての経験だし、やっぱりどこか恐ろしい。ちょっと削るのとはわけが違うもんな。

時間が近づき、歯医者に向かう。
中に呼ばれて治療台に座ると、まず、左右のどちらを抜くか選択。虫歯のひどそうな左からということになった。右はまっすぐ生えているが、左は外側に向かって斜めに生えている。
まず、歯茎の表面を拭う様に麻酔が塗られる。それから針で麻酔が注入されるが、針が刺さるのも感じないほどで、痛みはすでにまったく無い。麻酔が効いている部分が、薬の作用なのか温かく感じられる。麻酔が効くまでしばらく待ったのち、抜歯開始。心拍数は上がってるし、体は硬直。「肩の力を抜いて楽にしてね〜」と先生。恐ろしげな変形ペンチのような器具を使ってる。
「ゴリッ!」とか「バキッ」とか聞こえるが…
しかし、全然痛くない上に、ほんの1分くらいで抜けた。10分くらいはかかるかと思っていたので、拍子抜け。
抜いた歯を見せてもらうと、歯の半分くらいが虫歯で真っ黒。こんなにひどかったのか…。これは抜いて正解。
さて、これから麻酔が切れたときが怖いなと思うわけだけれども、先生は「あまり痛みは出ないと思うけど?」と言いつつ、鎮痛剤を出してくれる。

まだ麻酔が効いている状態なので、なんとも言えないけど、こんなんだったら、今日の傷口がちゃんと塞がりさえすれば、別に来月もう1本抜いてもいいな。
下は大変だけど、上は大したことは無いと話には聞いてたけど、ほんとに大したことなかったかも。
上の2本は自覚症状が無くても抜いてしまうが、下は口腔外科での手術となるし、大変そう。もしも、どうしようもない状態になってしまったら、そのときに考えようと思う。これ以上伸びたり、虫歯になったりしないように願うばかり。
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2011年02月05日

絶対に真似をしないでください

先日来、インターネット上のニュースで見かけたことが気になっている。

【富士山で高校生遭難か 山梨県警が捜索】
(2011.1.30 18:11 産経ニュース)

 29日午前7時15分ごろ、横浜市栄区の高校2年の男子生徒(17)が富士山に登ったまま帰宅しないと、母親(58)から山梨県警富士吉田署に通報があった。県警は遭難した可能性があるとして30日、ヘリコプターなどで捜索している。

 富士吉田署によると、生徒は27日昼ごろ、母親の車で富士山4合目まで入り、「下山したら連絡する」と言って入山。下山の日時や場所は伝えていなかった。携帯電話は不通だという。テントや食料などの装備は持っていた。

 生徒は国内外で、単独を含めて冬山登山の経験があるという。県警は29日も捜索していた。

2月1日現在の続報では、8合目以上は強風とアイスバーンのため、家族の了承を得て捜索が打ち切られたそうで、依然不明のまま。
高校生とはいえ、剣岳などで冬山登山は何度も経験しているのだそうだけど…。単独で、しかもちょうど寒波が来ているときに、午後から上り始めるというのは不可解。4合目で1泊するつもりだったのか。

このブログには何度か書いているけれども、若かりし頃は主に四駆の車で走り回っていた。
多いときは15台くらいで連なって、夜中の高速を走って、富士山だの赤城山だのの道なき道を朝までアタックということを繰り返していた。ま、ダンナさんの運転で、私は助手席に座ってただけだけどね(笑)

元日には富士山で初日の出、というのが10年くらい続いただろか。
これもこのブログでは何度も書いているけど、当然、本来なら車で入れるような場所ではないのだが(いや、冬は人もなかなかいないけど)、富士山の5合目から道なき道に入り、頂上を目指して車で登っていくわけだ。当時は、私たちの他にもいくつかの集団がアタックしてた。
といっても、せいぜい6合目くらいまでしか登れないけど。それも、エンジンや足回りをフルチューンし、チェーンをした状態の四駆のみ。
雪がなければふかふかの火山灰だけど、雪があることもあるし、凍結していることもある。登るにつれて斜度はきつくなり、30度近くある所も。30度なんて大したことないと思ったら大間違い。30度は車に乗ると、直角かと感じるほどの斜度。
厳冬の富士山は気温がマイナス数十度とハンパじゃなく低い上に、台風並みのものすごい風が吹く。私たちが登った斜面では、夜暗いうちは特に頂上からの吹き降ろしがものすごかった。
富士山ではこの2000m辺りが森林限界となるので、樹木は一切無く、頂上まではただただ火山灰の積もった山肌もしくは雪が見えるのみ。遮蔽物は一切無い。非難するような場所もない。
ということで、風は容赦なく吹き付けてくる。車は常に頂上に向かった状態にしていないと、横を向けば一発で横転し、どこまでも転がっていくような状態。風を見ながら、方向転換して車を下に向けるときが、一番緊張した。2t近くあるような車でもゆさゆさと揺さぶられるような風。話に聞いただけだけど、斜面にたいして横向きになったあるジープが、吹き飛ばされて1瞬で10mほどそのまま「ザン!」と移動してその後ゴロゴロ横転していったとか。
仲間内で横転した車は出なかったけど、今から考えると、かなりな無茶だったのだと思う。
けど、そこまで登ると、朝がくれば眼下には雲海。初日の出は、大抵、雲海から昇ってきた。周りに雲の上に顔を出すような高い山がないので、本当に海のよう。雲が広がる彼方から昇る日の出は、それはそれは美しいものだった。地平線からの日の出よりも遅い時間になるけどね(笑)
この醍醐味は、ぜひ夏場に登山して楽しんでください。夏場でもけっこう大変だと思いますが。
しかし、冬場の富士山では登山者に出くわしたことはない。冬場以外なら、あったけど。近年の夏の富士登山の映像で見かけるみたいに、登山道に人が数珠繋ぎなんて光景は見かけたことがない。つまり、人が登る時期を避けて車で登ってたってことなんだけど(苦笑)

2009年の12月、片山右京さんたちが南極遠征の訓練のために富士山に登り、8合目付近でテントごと風に飛ばされて遭難したことが報道された。
私たちがその昔に車で登って仰ぎ見ていた上辺りで、遭難されたのではないかと思う。そう思うと、とても不思議な気分になる。
夏の富士山なら、登ったことがあるという人はたくさんいることと思う。
しかし、夏と冬の表情の違うことといったら、想像を絶する。誰でも頑張れば登れると思わせる夏の富士山を想像してはいけない。夏と冬とではまったく別の山であることを知らなくてはいけないと思う。
冬の富士山の登頂に成功できるのは、ほんの一握りの高い技術を持った登山家か、でなければ、よほど気象条件に恵まれたたまたまラッキーな人かのどちらかだろうと思う。どんなに技術があっても、不運に見舞われればどうなるかわからないし。実際に冬場に富士登山を経験して、「そんなに難しくない」という人も中にはいるのだけれども、何も知らない人たちがそれを真に受けるのは危険だと思う。
最低気温がマイナス30度以下にもなる厳しい寒さもさることながら、一番危険なのは風。最大瞬間風速91.0m、最大風速72.5mという日本で一番の風速を記録している場所。3日に1日は風速20m以上の風が吹き、瞬間風速が40mを越えるのはザラ。体感温度は思い切り下がるだろうし、突風が吹けば立っているなんてとんでもない。人間が簡単に吹き飛ばされる風がびゅうびゅう吹きっぱなしになることもある。一度飛ばされたら、どこまでも転がって行ってしまうね。風は巻いていて、こっちから吹かれたと思ったら次の瞬間は逆からみたいなことになり、対応が難しい。ドン!っと突き飛ばされるような風に襲われることもある。
で、斜面は強風で磨かれた硬いアイスバーンだったりするから、滑落するともう止まらない。何百mでも落っこちる。どこかを骨折したくらいで済めばいいけど、だとしたら強運の持ち主ということでしょう。
冬の富士山は気温だけ考えれば南極の昭和基地と同程度。しかし、風が強い分、南極よりももっと厳しい場所と言えるかも。その上、斜度がある。そういう所。
冬に登るなら、それが誰であっても、命の保障は無いという山なのですよね。
独立峰である富士山の冬季のあの厳しい気象条件は、外国の高山でもなかなかないのではないでしょうか。登山家の野口健さんも、「厳冬期の富士山は時にヒマラヤ以上に厳しい」と言っているくらいだし。

仮に冬山経験者だとしても、経験してきたものとは別種の危険があるのではないかと想像するのだけど。冬の富士山の経験がないなら、冬山経験はないくらいに思っておいた方が無難なんじゃないかとさえ思う。経験のない私が言うべきことじゃないけど。
右京さんの一件があってから、さすがに冬の富士山の危険性は啓蒙されたかと思っていたのだけれども、それでも、毎年事故のニュースを聞いて、とても残念に思うし、そのたびに「富士山ごときで、なぜ遭難するの?」みたいな反応があって、そのことにもガッカリする。

貴重な厳冬期の富士登山の動画をYouTubeにアップしている人がいた。こんな状況の中、カメラを回すのは大変だと思うけど。
参考にどうぞ。→前編後編
posted by nbm at 17:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 気になったこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

【認知症】変化球

もはや関東でも定着しつつある恵方巻き。
南南東を向いて一気に食べるなんてことはしなかったけれども、コンビニで見かけた恵方巻きを食べてみた。美味からず、不味からず(笑)
節分豆は用意しておいたので、ダンナさんとポリポリ食べる。が、撒きはしなかった。

父を病院に連れて行く日だったので、実家に行ってきた。
アリセプトのおかげで、だいぶ認知症の進行は抑えられているのだと思うが、最近は特に適切な言葉が使えなくなってきているのを感じる。本来使いたい言葉が出てこないでテキトーな言葉を使って話すため、解読するのに苦労する。昨日は、カラオケの話をするときに「打つ」「打って」という言葉を何度も使うのだが、それが何を指しているのかどうもわからない。「歌う」「歌って」と言いたいのかもしれないが、そう変換しながら聞いていてもよく理解できなかった。他にも、たぶん「5曲」と言いたい部分を、「5つ」とか「5件」とか表現したりする。ものの数え方の単位は、だいぶアヤシイ。医師に伝えると、アリセプトを6mgから8mgに増やしてみることに。
薬量を増やすと、また活動的になりすぎてハイパーな爺さんになるかもしれんが(苦笑)

新薬について聞いてみると、薬の作用としては3種のうち2種はほとんどアリセプトと変わらないため、父の場合は今の段階ではアリセプトの薬量を増やしていくのが妥当ではないかという話に。
新薬は、認可されてから1年は、1回に2週間までと処方の期間が制限されるということもあり、頻繁に病院に来なくてはならないことも負担になるのではないかということだった。

かかっている神経内科の混雑が激しく、待たされている患者さんはみんなイライラ。
科目が科目だけに、難病の方が多いと思われ、それだけ診療にも時間がかかるのだと思う。体の一部が動かないとか、不随意な動きをしてしまうとか、そういう問題を抱えた患者さんたちが、長時間待たされるのは辛いことだと思う。
一方、ひとりひとりの患者さんに対して手を抜くことなく、丁寧に話を聴いて、明るくやさしく対応している医師は立派だとも思う。
父が不安げに「まだか、まだか」と聞いてくる度に、「時間がかかってるってことは、それだけ自分も丁寧に診てもらえるってことだからね」となだめる。何度同じことを言ったことか(苦笑)

前回の診察の折、介護施設で誕生祝いにもらった色紙の話を嬉しそうに話していた父に対して、医師は「じゃあ次回はその色紙を忘れずに持ってきて見せてね」と言ってくれた。色紙の寄せ書きには歌が上手だと褒めてくれている人が多く、それが嬉しくて父は自慢したいのだ。
ということで、今回は忘れずに持って行く。医師に見せ、「すごいね」と言ってもらって、父はご満悦(苦笑)
ところが、デイサービスに行っている曜日を聞かれて答えられず、悔しがる。”色紙を持って行く”というひとつのことにあまりに集中していたために、油断していたらしい(笑)
いつもは、何を質問されるんだろうと、待っている間中、自分の生年月日や今日の日付など予習を怠らないのだが、今回は質問されることさえも頭に無かったようで、しかもいつもと違う変化球の質問に答えられず。ま、いつも聞かれるような「今の季節はいつ?」という質問さえ、答えられないわけだが…。
次回の診察に向けての宿題は、自分がデイサービスに通っている曜日を憶えることとなった。

病院の待合ロビーでのこと。
どやどやと上の階から階段を下りてきた一団があった。十数人はいたと思うのだが、医師や看護師などのスタッフなのだと思う。見ると、手に枡を持っている。病院内を豆撒きをして回っているらしい。
「福は内、鬼は外」
病院内ということで、少々控えめな掛け声とともに豆が撒かれた。
病院の廊下に撒かれた豆は、さすがに捨てるしかないのだろうなと思いつつ見てた。
しかし、とても正しい行為に思えた。病院は病という鬼の巣窟。形式的な儀式とはいえ、病という鬼を駆逐しようとするスタッフの気概を感じ、豆が撒かれた空間は神聖に清められたかのような気がした。
posted by nbm at 11:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 認知症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

もうええて…

連日、佑ちゃんの報道が過熱している。
週1くらいならわかるけど、毎日プロ野球のキャンプ情報を報道すること自体に意味を見出せない自分であるから、まったく解せぬ。
それに、ここは自分のブログだから遠慮なく言わせてもらうけど、私は件の佑ちゃんが苦手である。どうも見ていられない。見てるとこっちが恥ずかしくなってくる。ウワーって、頭を掻きむしりたくなる。
甲子園でマーくんと熱戦を繰り広げていたときにはそんな風に思わなかったのだけれども、大学に入ってからだな。テレビの取材で彼がしゃべりだすと、もう耐えられず、即座にチャンネルを変える。
その佑ちゃんを、熱狂的に追いかける人たちやマスコミのノリがまったく理解できん。
佑ちゃん情報、そんなに必要?

昨晩遅くのNHKニュース。
スポーツコーナーは、各地のプロ野球キャンプ情報から。
それが終わってから、先日までアジア杯で大活躍していた長友佑都選手がイタリアセリエAの強豪インテルに移籍するニュースが流れる。
あのさ、長友のインテル移籍よりプロ野球のキャンプ情報が先って、どういうセンス?
あまり野球に興味がない私だから、こう思うのか?いや、そうじゃないと思うけど。

今朝、『とくダネ!』では、小倉さんが長友選手の所属していたチームを”チェナーゼ”と言う。何度も”チェナーゼ”と連呼していたので、もうそれでいいやと思うほどだった。しかも、誰もその場では訂正しない…。誰も疑問に思わないのか、誰も知らないのか、それとも小倉さんには恐れ多くて言えないのか?
”チェゼーナ”だよ!(笑)小倉さんって、サッカー・ファンじゃなかったのか?あーあ、もう、今後何かにつけて”チェナーゼ”って言われるよ、きっと。
しかし、インテルとは…すごいな。最初は”釣り”かと思った。
前日、シュトゥットガルトに移籍したことがニュースになっていた岡崎慎司選手。長友インテル移籍についての感想を聞かれていたんだが、そのときの彼の表情が、はっきりガッカリしているのがわかって、かわいそうになった。けど、きみも十分すごいじゃないか!
とにかく、海外に移籍していった選手たちの活躍を心から望みます。みんな、がんばれ!
posted by nbm at 10:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

愛に帰り過ぎ

昨日、テレ東で放映されていた映画『そして、私たちは愛に帰る』(→HP)をなんとなく観てしまった。
2007年にカンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞と全キリスト教会賞を受賞。人生の中で背中あわせに存在する「幸せと不幸せ」「生と死」を描いている作品。らしい。

監督・脚本のファティ・アキンは、トルコ系移民二世として1973年ドイツに生まれた人。ドイツで生まれ育ったが、ご両親はトルコ語を話し、子どもの頃は夏休みと言えば毎年トルコに行っていたそうだ。ということで、この作品にはドイツとトルコとの関係を教えてもらった。
1960年代当時の西ドイツでは、第2次世界大戦後の労働力不足を解消するためにトルコから多くの移民を受け入れ、彼らがトルコから家族を呼び寄せ定住した結果、現在のドイツには少なくとも270万人ものトルコ移民がいるそうな。イスラム教を信じ、独自の文化を持つトルコ移民は、ドイツ国内で差別などの社会問題を抱えているそうだ。
日本人から見ても、トルコって、ヨーロッパなの?アジアなの?って感じで、なんか立ち位置が中途半端だ。中東の香りもするし。トルコが親日であるから、日本人もトルコのことは概ね嫌いじゃないと思うけど。正直、どういう国かはよく知らない。
日本人からみてもどっちつかずに見えるわけだが、EUの加盟を巡って、EC時代の1960年代からずっと議論が続いているんだそうだね。

私がドイツとトルコの関係を初めて意識したのは、昨年のワールド・カップ・サッカーでのこと。ドイツチームに所属し、活躍していたメスト・エジル選手(現レアル・マドリード)が、トルコ系移民3世と知ってから。イスラム教徒である彼は、ドイツの代表チームにあっても、試合前に国家が流れる際にクルアーン(コーラン)を唱えたとか。
一方、ワールド・カップ日韓大会の際にイケメンとしても話題となったイルハン・マンスズ選手も、やはりトルコ系移民2世としてドイツに生まれたが、こちらは後にトルコに渡りトルコ代表となっているよね。
外国人の帰化に厳しかったはずのドイツにおいて、エジル選手のドイツ国籍取得が認められたのは、どうやら2000年にドイツの国籍法が改正され、出生地主義を一部採用したことが大きいらしい。それでも、いまだに帰化は厳しいらしいけど。

さて、映画の話。今回は思い切りネタバレしますので、未見の方はご注意ください。

あらすじは以下の通り。かなり複雑。
ドイツ・ブレーメンで暮らすトルコ系移民のアリは年金生活者。妻を亡くして久しく、同じトルコ出身の娼婦イェテルに、「金を払うから同居してくれ」と依頼する。
アリの一人息子のネジャットは、ハンブルクの大学でドイツ語を教える教授。イェテルが、実はトルコにいる娘のためにドイツで稼いで仕送りをしていることを知り、彼女に好感をもつ。
そして、ネジャットとイェテルの仲を勘ぐったアリが、激情からイェテルを殺してしまう。
これをきっかけにネジャットは父から離れ、トルコはイスタンブールにイェテルの娘アイテンを探しに渡り、トルコに留まることに。アリが援助していた金は、イェテルの娘であるアイテンに渡っていたわけだから。
イェテルの娘アイテンは、トルコで政治活動をしていたが、ネジャットとは入れ違いにドイツへ逃げ、そこで女子学生ロッテに出会う。ロッテはドイツ人。ロッテの厚意で彼女の家に留まることになったアイテン。だが、保守的なロッテの母スザンヌとは衝突。
そんなこんなで母を捜したいという思いが強くなったアイテンを連れロッテが車を運転していると、ひょんなことで警察に捕まりアイテンはトルコへ強制送還され投獄の身に。アイテンを救いたいロッテは、とにかくトルコへ。そしてたどり着いたのがネジャットの書店。逗留する部屋を探していたロッテは、ネジャットの家に間借りすることに。

だんだん面倒になってきたな。

獄中のアイテンが依頼したあることがきっかけでロッテが死亡。
娘を失い失意のスザンヌがトルコへ渡り、娘が暮らしていた先のネジャットと会う。
スザンヌはスザンヌで、娘ロッテの遺志を継ぎ、アイテンを救うことに尽力。ロッテの死に責任を感じるアイテンを獄中から救い出す。
そして、スザンヌとの出会いにより、ネジャットは避けていた父親アリとの関係を取り戻そうとする。
ちゃんちゃん。
えっと、結局アイテンを探してたネジャットとアイテンはお互いを認識できたのかな。イェテルの死はアイテンに伝わってるのか?

非常にご都合主義で複雑な脚本。ドラマだから別にいいんだけど、残念ながら私は特に感動ということもなかった。縁といえばそれまでだが、偶然にも限度があるぜ。
吹き替えだったし、テレビ放映の都合上カットされたシーンもあったと思うから、ちゃんと字幕ですべてを観たら、違う感想になったのかな。
感情の変化が唐突すぎる印象。これがテレビ局の編集のせいでないとしたら、時間の描き方が上手くない。そんなに簡単に人の心が変わるかな。
3組の親子の物語と言いつつ、クローズアップされるのは2組。金にものを言わせ勝手なことをして殺人まで犯した父アリと真面目な息子ネジャット。政治犯アイテンを匿い彼女に溺れる娘ロッテとそれを理解できない母スザンヌ。
スザンヌは、娘が死んだことで打ちひしがれながらも、娘が死ぬきっかけとなったアイテンを許すばかりか助けてしまう。
そんなスザンヌを見て、これまた父を許そうと思ってしまうネジャット。
ちょっと短絡的過ぎる。

この作品は、トルコとドイツの関係を広めることには貢献したと思うけど、作品としては評価できない。
トルコに渡った際、ちょうどドイツに帰国するというドイツ語専門書店の店主から、店を受け継いだネジャット。ドイツで生まれたトルコ系移民でドイツ語の教師であったネジャットが、トルコでドイツ語の専門書店の店主になる…ややこしい。
こんなことからも、とにかくドイツとトルコとが密接に関わっていることだけは強烈に残った。
獄中のアイテンに面会したいロッテが手を尽くすのだが、それがとても難しいらしい。間に立ってくれた弁護士から、「アイテンの名を決して口に出してはいけない」と厳重に注意される。だからこそ、アイテンとネジャットが簡単には繋がらないわけだけど。トルコという国が、自分が思っていたよりも融通が利かず恐ろしい国であることも勉強させてもらった。

トルコは、以前からとても興味がある国のひとつだけれども、政治的な背景というのは勉強したことがなかったので、教えてもらったことは大きかった。
posted by nbm at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする