しばらく前に、ロシアで雪男の捜索隊が出動したなんて話がニュースになっていた。この現代でも、謎の生物というのはどこかに存在しているのではないかと考えられることがある。
雪男や、ネッシーなどの恐竜に準ずるような生物ならば、進化の過程で絶滅したと思われていたものが実は生き続けていたというパターンかもしれず、シーラカンスみたいに”生きた化石”として発見されてもおかしくないという意味で、存在に真実味が付加されるのだと思う。
大体、かつて地球上に存在していた生物たちでさえ、今存在している動物しか直接知らない私たちにとっては非常識な形状のものが多い。バージェス動物群なんて、今の感覚から言ったら正気の沙汰とは思えない形状をしているものがいる。良く知っているようなつもりでいる恐竜たちでさえも、実は皮膚の色さえわからないわけだから、本当はどういう見た目だったのか誰も知らないわけで。
また、古今東西、幻想動物や伝説上の生物というものは様々いるもの。
あまりに昔のことで、どこで観たのかさえ忘れてしまったのだけれども、たしか学生の頃、ジャッカロープ(当時は”ヴォルパーティンガー”という名前を知らなかった)とか、カッパや人魚のミイラなんかを集めた異形のものの展覧会があって、わくわくしながら鑑賞したことがある。当然、ジャッカロープなんかは、うさぎの剥製に鳥の翼や何かの牙をくっつけて作られたキメラなのであるけれども、偽者だとか本物だとか、そんなことはどうでもいいのであって、ただ奇妙なものを愛でたいという、それだけのことで。そうはいいながらも、こんなのが本当に存在したら面白いのにと、想像するのが楽しいのだ。
そんな私にぴったりの本を発見。それが、『秘密の動物誌』(ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ 著)。
今は亡きペーター・アーマイゼンハウフェン博士の未発表の研究資料を、偶然見つけた第三者がまとめて1冊の本にしたという体裁。アーマイゼンハウフェン博士は、世界各地をフィールドワークしながら飛び回り、様々な珍しい動物の収集に成功した研究者だということで、写真や標本、デッサンなどが載っている。
インドでは6対の足をもった蛇ソレノグリファ・ポリポディーダを、ガラパゴスでは甲羅を持つ鳥トレスケロニア・アティスを、ドイツではモグラ風ヴォルペルティンガーであるウォルペルティンゲル・バッカブンドゥスを、根室ではイルカとトカゲのあいのこのようなコック・バシロサウルスを、といった具合に、発見した生物たちを分類した資料が続く。
スカティナ・スカティナというのが出てくるのだが、これは何を隠そうジェニー・ハニヴァーである。
一番気に入ったのは、ステゴサウルスのような背びれのついたワニ的な形状の火トカゲ、ピロファグス・カタラナエ。エトナ火山近辺に生息するとされるこいつらは、火を食らい、火を吐くという。これは胃で生成されるガスが空気との接触で燃焼すると考えられており、火を吐くのはいいのだが、実は本人も熱くて辛いようで、もよりの川に飛び込んで消火している写真が載っている(笑)なんというドジっ子キャラ…。
さて、種を明かせば、巻末の製作ノートにはこう書かれている。
『秘密の動物誌』は、1984年にぼくらふたりが行った写真と文章による共同製作から出発したものだ。その当時の目標は、実際には存在しない想像上の植物のカタログ製作によって、「それは写真にうつっているのだから実際に存在するはずだ」といった通俗的論理を皮肉りつつ、写真ドキュメントの説得力の薄弱さをしめすことにあった。
1988年にニューヨーク近代美術館で、そしてバルセロナ国立自然博物館でも、この『秘密の動物誌』の展示が行われたようだ。壮大なほら吹きのように見えて、裏にはこういった意図が隠されているわけである。自然博物館のような科学的に権威ある場所で、19世紀のヴィクトリア朝チックな趣で標本等を展示をすることによって、どうなるか。
この枠組みの下にあるとき、膨大なデータや、微を穿った細部や、それらが発する科学的厳密さの雰囲気が、どんなに途方もない内容ですら観客に信じこまれそうになってしまうのだ……ただ観客自身が、それに抵抗しようという考えを起こさない限り。そしてぼくらとしては、まさにそんな抵抗を望んだ。
インターネット上では、様々な画像や動画を観ることができるけれども、下手に画像処理技術が発達してしまったがために、その真贋を見抜くのはもはや容易ではなくなっている。
たとえば、ホラー映画を観るのなら、それが作り物であることは明白だ。しかし、心霊動画と銘打たれた映像をインターネット上で観るとしたら、偶然何かが映り込んでしまった映像なのか(それが何なのかはさておき)、作為的に作られたものなのか判別することは難しい。
最近は、インターネット上に流れている動画をテレビ局が拾い集めて番組にしてしまうことが多く見受けられるけれども、真贋についてはまったく検証されていないため、何の説明もなく放送すれば、視聴者は鵜呑みにすることだろう。たとえば、映像製作を勉強している学生が課題として作ったフェイク動画を、そんな説明は一切なしに堂々と本物のようにテレビ局が放送していたりする。
こんなことは映像に限ったことではないわけで、噂話や評判など、みなが鵜呑みにすればどこかに利害関係が生じてくるなんてことは既に日常茶飯事だ。
逆に、写真や動画で捉えられなくても、存在するというものも五万とありそうですがね。
真実とは何なのか。
そんなことばかりをつきつめていたら、頭がおかしくなることだろう。
とすれば、簡単な道は二つ。すべてを鵜呑みにするか、信じ込まずにテキトーに流すか。
ということで、私は後者を選択することにしている。
なので、このブログに書かれていることは、真実であると胸を張って言うことはできません(笑)
最後に。この本では、荒俣宏さんが監修し、解説文を載せているのだけれども、そこで気づかされたことがひとつ。
東洋、特に日本では、龍は水に関係する神のような扱いをされることが多い一方、ヨーロッパなどで龍と言えば、火を吐くドラゴンという印象がある。指の本数など細かい違いはあれど、見た目はほとんど同種といってもいいと思うのだけれど、龍といっても捉え方が違ってくるのが不思議だ。
荒俣さんいわく、ドラゴンは体が燃え上がらないように予防策として水辺に暮らしているのではないかとのこと。日本での水と龍との関係とかつっこんでいくと大変なことになりそうなのでスルーするけれども、上記のピロファグス・カタラナエのようなドラゴンが水で燃える体を冷やすという発想はなかなかに説得力があり面白かった(画的にも)
真贋がどうのという話が出たのだけれども、地球上だけに限っても、深海や広大なジャングルなどまだまだ人跡未踏の地域は多く、どんな生物がいるのかなどわかったものではないわけで、そういう意味では今までの常識では考えられないような生物に出くわす可能性も大いにあることになる。
実際、新種の生物などまだまだ発見され続けているのだから。
ということで、この本の中で、アーマイゼンハウフェン博士の業績に対して、バルセロナ国立自然博物館長ペレ・アルベルクさんが寄せている言葉。
「実在するもの」は、存在しうるものの小さな一部分にすぎない