2012年12月28日

2012年12月21日からの地震メモ

2012年12月21日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に、近県の有感地震は以下のとおり。
2012年12月21日14時9分頃  茨城県北部   M2.7 深さ約10km 最大震度1
2012年12月22日11時36分頃 千葉県南部   M4.0 深さ約40km 最大震度2
2012年12月24日12時13分頃 茨城県南部   M3.2 深さ約70km 最大震度1
2012年12月26日16時20分頃 千葉県東方沖   M3.6 深さ約10km 最大震度1
2012年12月27日6時17分頃  茨城県沖   M3.8 深さ約30km 最大震度2
2012年12月27日15時25分頃 新島・神津島近海 M2.0 深さ約10km 最大震度1
2012年12月27日15時27分頃 新島・神津島近海 M1.9 深さ約10km 最大震度1
2012年12月27日15時45分頃 新島・神津島近海 M2.3 ごく浅い  最大震度1

揺れが全国各地に分散されている状態が長く続いたままです。
このように地域を限定すると少ない印象に。
規模は小さいですが、伊豆諸島3連発もイヤですね。
微振動がずっと続いています。


この間のM5以上の地震は以下のとおり。
2012年12月21日17時7分頃 宮城県沖    M5.3 深さ約50km  最大震度4
2012年12月26日2時8分頃  東海道南方沖 M5.1 深さ約390km 最大震度1

東海道南方沖は珍しい。記録を遡ると、
2009年8月9日19時56分頃  東海道南方沖 M6.9 深さ約340km 最大震度4(当地 震度3)
というのがありました。
深発ですから、震源地から離れた場所が大きく揺れます。このときは、宮城県から東京都にかけての太平洋岸が震度4でした。
それからは、年に1回ほどの頻度でM5程度で揺れてます。
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2012年12月22日

甲乙丙丁展転

1991年、鈴木光司『リング』を読んだときの衝撃は忘れない。
様々な要素が絡み合っての恐怖だったわけだが、中でも強烈な印象を残したのは、やはりビデオを観たものに呪いが感染していくという、すぐ隣にありそうな身近な理不尽さだった。

あれから20年余り。新たな恐怖を知る。
それが、小野不由美さんの『残穢』
小野不由美さんは大好きな作家の一人で、『魔性の子』を含む『十二国記』シリーズや『屍鬼』『東亰異聞』など、どれをとっても非常に面白い作品ばかり。なので、新作『残穢』もとても楽しみにしていた。

実話怪談を蒐集する作家のもとに、ある体験談が寄せられる。
「誰もいない部屋で、畳を掃くような音が聞こえる」という。取るに足らないような些細なこの体験談が、やがてとてつもなく大きな闇を引き込むことになるとは……

書いてしまっては面白くないので、詳しく書く事は避けたいと思う。
取材記録のような形式なので、最初は少々読みづらい感があるが、我慢して読んでいくと、軽いジャブをたくさん食らったかのように後から効いてくる。

実録風に書かれているので、リアルな感じで怖いということも言えるのだが、このお話の怖いところは別にある。
それが、「甲乙丙丁展転」だ。
まずは、「穢(けがれ)」という概念が重要になってくる。
民俗学をちょっとでも齧れば、すぐに出てくる基本的な概念がある。それが、「ハレ」と「ケ」だ。「ハレ」とは、「晴れ舞台」「晴れ着」などの「ハレ」で非日常的な儀式で主に祝いの意味あいが強い。「ケ」は、「ハレ」以外の日常を指すのだが、これにもうひとつ「ケガレ」という概念がある。「ケガレ」を一言で説明するのは難しいが、神道の考えでは、死または死に近いものを指すようだ。勝手に要約すると、「ハレ」がプラスの状態だとすれば、「ケ」はフラットのゼロ、「ケガレ」はマイナスと言えると思う。
古来、穢(けがれ)は伝染すると考えられていた。「触穢(そくえ)」といって、汚れに触れると伝染するというわけだ。具体的には、着座、つまり同席したり、同火・共食、つまり同じ火を囲み、食を共にすると伝染するという。火・食物・水には聖なる力があり、また不浄の力を伝染させる要素だとも考えられていたのだという。
穢(けがれ)は、そうして触穢(そくえ)で伝染していく。『延喜式』にある、その伝染の仕方に「甲乙丙丁展転」と名前がついている。その「甲乙丙丁展転」の説明を、『残穢』の中で現代的に訳した部分がある。
仮に、太郎の家に死穢が発生したとする。このとき、次郎が太郎の家で着座すると、次郎のみならず次郎の家もまた死穢によって汚染される。この次郎の家に三郎が着座すると、三郎もまた死穢に汚染されることになるのだが、この汚染が三郎の家に、持ち帰られることはない。ただし、すでに汚染されている次郎が三郎の家に赴いて着座すると、三郎の家も汚染されることになる。しかしながら、四郎が三郎の家で着座しても、四郎が汚染されることはない。死穢はここで伝染力を失う。
『延喜式』に書かれているのは、ここまでなので、太郎の家の死穢に感染した次郎の家族が別の家に行った場合はどうなるのかについては分からない。また、次郎家で死穢に感染した三郎が四郎の家に行った場合はどうなるのか、次郎が家を訪ねてきたことで汚染された三郎が四郎の家にやってきた場合、死穢は伝播しないのか、などについては不明だ。

この穢れの伝染を食い止める方法はないのだろうか。
穢れは伝染し、拡大する。浄めるための祭祀が行われなければ、広く薄く拡散していくのだ。

穢れを浄める祭祀を行っても、祓えない場合もあるという。
死のすべてが穢れであるとは思わないが、葬儀から帰ったときに自宅に入る前に塩を体に振りかけるといった習俗は、紛れもなくこの死穢を祓い浄化する行為なのだろう。

人が生まれ生活して死ぬというサイクルが、それぞれの土地には膨大に刻み込まれている。その中で穢が生じた場合、甲乙丙丁展転のように、知らず知らずのうちに穢は伝染しているということで、穢はきっと集合を表す円が重なるように幾重にも重なりながら、土地土地や家々に染み付いていることだろう。
例えば、事故や自殺の直接の現場でなくても、穢は人伝いに伝染していくということだ。人の移動が激しい現代のこと、穢れはそうして際限なく広がっていく。因果もなにもあったもんじゃない。
なんて恐ろしい話なんだろうか。

予約して順番待ちだった『残穢』を、図書館から借りてきて読み始めた日の翌日、実家の父が脳内出血で倒れた。そしてそれから1週間、今度は母が事故に遭い入院。
ちなみに、父が救急搬送されたその日、1ヶ月ほど前から闘病中だった、隣家の同級生のお父様が亡くなられた。
偶然といえば偶然の出来事なのだけれども、目には見えない「穢」というものが、もしかしたら本当に存在するのではないかと頭をよぎる。

同時に発刊された『鬼談百景』とリンクしているようなので、これから『残穢』を読む方は念頭においておかれるとよいでしょう。
私は先に『鬼談百景』を読んだのだが、時期が離れていたので内容をあまり覚えていない。
折しも、怪談専門誌「幽 18号」が発刊されたばかり。もちろん、創刊から買い揃えている私はすぐに購入した。この雑誌には実話系怪談を書く作家さんの作品がたくさん収録されているが、平山夢明福澤徹三といった方々の名前が実名で『残穢』に登場してくる。『残穢』に出てくる怪談を書く主人公の作家は、小野不由美さん自身に他ならない。
90年代初頭、小野不由美さんが「ゴーストハント」シリーズのあとがきで、恐怖体験談を送ってほしいと読者に語りかけ、集まった怪談が連載されていたのが怪談専門誌「幽」。そしてその連載「鬼談草紙」をまとめたのが『鬼談百景』というわけ。
その中のひとつの話が、『残穢』の発端になっているということらしい。

土地の記憶は馬鹿にならないと感じてきた。
例えば、池袋サンシャインシティ、渋谷の街、東京プリンスホテルなど、私がどんよりと暗い印象を持ち、長居したくないと思ってきた場所は、土地としてあまりよい過去を持っていないことを知り、納得したものだ。そういった感覚も『残穢』で思い出した。

『残穢』の理不尽さは、『リング』の比ではない。そして、私たちは、まさにその理不尽な世界に暮らし、日常を送っている。
だからこそ、恐ろしい。
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2012年12月20日

車線変更嫌い

両親がほぼ同時に入院し、離れた2箇所の病院を行ったり来たりすることや、転院先の病院を訪ねたりと、車の運転をする機会が激増している。

元々、ひとりで実家に行くときくらいしか運転する機会がなく、それは月に1度あるかないかくらいの頻度だったため、運転すること自体に慣れていない。運転技術には問題はないと思うけど。
成人式の着物は要らないから、そのお金で免許を取らせてほしいと親にお願いして取得した自動車運転免許なので、運転歴はもうウン十年になる。実家は駅から遠い不便な場所だったし、自転車での通学では暗い夜道で襲われかけたこともあり、大学の途中からの通学、そしてその後の通勤でも、最寄り駅までは車で通っていた。
結婚してからというもの、車に乗る機会は激減したが、元々生活に必要だから乗っていただけで、自ら運転してドライブに行ったりすることはなく、高速道路も運転した経験がない。
車で知らない場所に行かねばならないときは、事前に地図でルートを確認し、近年ではGoogleのストリートビューで確認して、イメージトレーニングしてからでないと運転できない。
特に、車線変更が苦手で、イメージトレーニングでは、どこでどのように車線変更するかまで考えておくほど。
もともと車線変更は苦手なのだが、過去に、両親の仕事を手伝って激務が続いていたとき、車線変更で後ろから来る車をなぜか見落とし、事故になりかけたことがあり、これがトラウマとなっているのかもしれない。
以来、特に片側2車線以上ある道路はなるべく走りたくない。

そんな私が、あっちの病院、こっちの病院、と運転して移動せねばならなくなった。
先日は、父の転院先の候補である病院に説明を聴きに行き、その足で父の入院する病院へ。運転時間は2時間を超えた。
その帰り道でのこと。幹線道路を走っていて、渋滞中。ジリジリとしか進まない状態だった。私の前はダンプが走っている。断続的に動いていて、ダンプがまたジリジリと前に出たので、私もそれに続こうとゆっくり前に出た。
その瞬間、脇道から割り込もうとした車が出てきて、あやうく接触しそうになる。
もう辺りは暗かったので、ヘッドライトを点けていた。譲る気があれば、当然ヘッドライトを消すが、ライトは消してない。前のダンプとの車間距離はあまりない状態だったし、ゆっくり進んでいたので、私が道を譲るべきだという状況でもなかった。私の少し前方で脇道から前に出てくれていれば、譲ったかもしれないが、位置的には私の車のほぼ真横、正確には少し後ろ側から割り込んできた格好になる。
割り込もうとした車は私のすぐ後ろに付き、パッシングしてきた。その後、延々後ろからライト上向き攻撃を仕掛けたり、ピッタリ後ろにくっついたりと散々嫌がらせをしてくる。
数km走っても、ずっと後ろに付いてきていたので、流石に怖くなった私は、渋滞中で止まりがちなのをいいことにダンナさんに救難メールを送った。幸い、相手が車を降りてまで怒鳴り込んでくるようなことはなかったが、怖くて手が震えていた。
もう自宅にだいぶ近づいており、直で自宅に帰って自宅の場所を知られるのも怖かったので、ダンナさんには近所のドラッグストアを目指すことにしてそこに来て欲しいと伝えた。
ダンナさんはすぐにバイクで逆走して私の車を探してくれたようだが、見つけられず、ドラッグストアで待っていてくれた。
結局、幹線道路から脇道に曲がる時には、嫌がらせをしていた車は姿を消していたのだけれど、極度に緊張して首から肩はパンパンに張り、胃痛がしていた。まったく、ひどい目に遭った。
私が判断を誤ることだってないわけではないけど、今回のことは、強引に割り込もうとしてできずに逆ギレされたとしか思えない。
そして、世の中、ほんの少しのことで逆上する人がいるのだということを思い知らされた。

そんな体験をしたばかりで、すぐにまた、私にしては長距離を走る機会があった。
前回よりも長い距離を走る。知らない道ばかり。苦手な車線変更が必要な幹線道路も目白押し……
ということで、念入りにルート確認するのだが、一番肝心な場所がストリートビューでは確認できない。途中に、非常に複雑な立体交差があるのだ。車線変更に恐怖心がある私は、時間がかかっても別のルートで行くことを考えた。
すると、ダンナさんが「変な恐怖心は、より緊張を生むからよくない」と、その複雑な立体交差を通って行くように勧める。なんとなくはわかるけど、車線を間違ったらどうしようと思うと通る気になれない。説得されるうちに、どうにかチャレンジしてみようと思うに至る。でも、相当怖い。
当日、意を決して立体交差を通る道を選択。そこにつながるまで長く走る幹線道路に入るとすぐに、遅いトラックがすぐ前を走っていた。荷が重いのか、加速に時間がかかる。私の後続は次々と追い越し車線を追い抜いて行った。どうしようかと迷ったが、トラックは信号で止まる度に加速に時間はかかるものの、ぴったり法定速度を順守していて安全運転しているのがよくわかる。
車線変更が嫌いな私は、そのトラックの後ろを、最初は我慢しながらついて行った。でも途中からは、「安全運転だよ」と教えられているような気がして、トラックに先導されているような気分でゆったりとした気持ちで運転することができた。
幹線道路から別の幹線道路に入るために問題の立体交差に入る。前のトラックは私と同じ方向に進むようで、ゆっくり先導を続けてくれた。まるで、マラソンのペースメーカーのように。緊張していた私だが、結局車線変更の必要もなく、まっすぐ進めばよいだけだった(笑)
前のトラックは、私が曲がるまでずっと先導を続けた。交差点で分かれるとき、トラックの後ろ姿に「ありがとう」とお礼を言った。トラックの運転手にしてみれば、先導するとかそんな気持ちはさらさらなかっただろうが、私にはありがたかったので。

その日の帰りは、義姉を送っていくことになっていた。送っていく道も予習していたのに、来るときに駅まで自転車で出たとのことで、思いがけず駅まで送っていくことに。
知らない駅ではないものの、駅前は大規模な工事中で行きたい方向に抜けられない。結局、義姉を送った後、わからないながらも元来た道に戻り、家まで帰った。
想定外の道を通ったことで、苦手な車線変更を何度もしたが、もう緊張することはなかった。
この日、1日の走行距離としては、私にとっては最長の記録になったと思われる。
そして、色々な経験をしたことで、根性が付いた。
まだまだ運転する機会が多い状況は続く。1回運転すると、緊張からひどく疲れるタチなのだが、運転に慣れることで、少しはそれが緩和されるとよいのだけれど。
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2012年12月12日からの地震メモ

2012年12月12日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に、周辺震源の有感地震は以下のとおり。
2012年12月12日18時23分頃 茨城県北部   M3.7 深さ約10km 最大震度2
2012年12月13日1時2分頃  茨城県沖   M3.8 深さ約50km 最大震度3
2012年12月13日20時56分頃 千葉県北西部   M4.1 深さ約80km 最大震度2 (当地 震度1)
2012年12月14日20時21分頃 茨城県北部   M2.6 深さ約10km 最大震度1
2012年12月15日11時3分頃  千葉県北東部   M2.7 深さ約20km 最大震度1
2012年12月15日14時46分頃 茨城県沖   M5.0 深さ約30km 最大震度4
2012年12月16日11時17分頃 千葉県北西部   M3.3 深さ約80km 最大震度1
2012年12月17日6時21分頃  千葉県東方沖   M2.3 深さ約30km 最大震度1
2012年12月17日6時34分頃  茨城県沖   M3.0 深さ約20km 最大震度1
2012年12月17日12時36分頃 栃木県北部   M2.7 深さ約10km 最大震度1
2012年12月17日13時26分頃 栃木県北部   M2.5 深さ約10km 最大震度1
2012年12月17日15時19分頃 栃木県北部   M2.7 深さ約10km 最大震度1
2012年12月17日17時1分頃  千葉県東方沖   M3.7 深さ約10km 最大震度2
2012年12月17日18時48分頃 栃木県北部   M3.7 深さ約10km 最大震度3
2012年12月17日19時17分頃 栃木県北部   M2.7 ごく浅い 最大震度1
2012年12月18日4時55分頃  栃木県北部   M2.5 ごく浅い 最大震度1
2012年12月18日8時11分頃  千葉県東方沖   M3.7 深さ約10km 最大震度1
2012年12月19日5時31分頃  千葉県北東部   M3.7 深さ約50km 最大震度2
2012年12月19日9時15分頃  埼玉県北部   M3.2 深さ約70km 最大震度1
2012年12月19日11時35分頃 茨城県沖   M4.7 深さ約10km 最大震度1
2012年12月20日1時40分頃  栃木県北部   M2.6 深さ約10km 最大震度1
2012年12月20日5時4分頃  新島・神津島近海 M2.5 深さ約10km 最大震度1
2012年12月20日5時16分頃  茨城県南部   M4.3 深さ約70km 最大震度3 (当地 震度1)
2012年12月20日8時8分頃  栃木県北部   M2.4 深さ約10km 最大震度1

17日あたりから栃木県北部が群発してます。
普段あまり震源地として見かけない場所を含めて、各地がちょこちょこと揺れている状態は変わりません。

この間の震度4以上またはM5以上の地震は以下のとおり。
2012年12月15日13時27分頃 福島県沖 M5.3 深さ約60km 最大震度4
2012年12月15日14時46分頃 茨城県沖 M5.0 深さ約30km 最大震度4

あの串田嘉男さんが、早ければこの年末12月29日あたりに、琵琶湖を中心とする地域にM7.8〜7.9レベルの地震が起きる可能性を指摘して話題になっています。
串田さんは、FMラジオ電波を観測して地震を予測している方です。
詳しい解析方法は省きますが、異変が長く継続していて4年5ヶ月に及び、ここまで長期間の異変は初めてのことだとか。
電波の受信強度は強弱を繰り返していて、その波が次に最大になるのが12月29日ということらしい。それで起きなければまた弱くなるという波を繰り返し、先延ばしになる、と。
都合のよい言い逃れのように聞こえるのだけれども、串田さんのおっしゃる波と私の感じている波が同期しているかは別として、私もずっと地震活動が強弱を繰り返しているように見えると思っていました。まったく根拠のない話として切り捨てることもできません。
かといって、3.11を予測できなかった串田さんが、新たな地震を確実に予測できるとも思えません。
まずは、静観したいと思います。
こういった予測が世間で取り上げられることがままありますが、真に受けてただ怖がっていてもしかたないので、とにかくもしも万が一そうなってもよいように備えをしておくことが大事だと思います。

最近気になるのは、宏観現象と言われるような前兆現象が観測される場所と、震源地との距離感についてのことです。
例えば、東日本大震災の1週間前のこと。
3月4日夜、茨城県鹿嶋市の下津海岸にイルカが50頭も打ち上げられるという出来事がありました。
イルカがどういうコースでここにたどり着いたのかは、わかりません。
表面上、異変が起きたのは茨城県ということになりますが、海の中のどこで何が起きていたのかはわかりませんし、イルカたちが迷い込んだ直接的な原因も不明です。
もちろん、あの大地震との関係も不明です。
震源を考えると、相当離れている場所での出来事で、時間的にも1週間ずれていますし、結びつけること自体がナンセンスだと考えるのもわかります。
でも、地球規模で俯瞰で考えると、三陸沖と茨城沖は非常に近いことになります。海の中で何かしらの前兆があったとしてもおかしくはないので、時間的なズレも無関係であると断言する理由にはなりませんね。
空も海もつながっていますからね。
井戸の異常など、陸地で起きている異常は、割とピンポイントなのかもしれませんが、空と海で起きている宏観異常については、震源地となる場所から離れている所で観測されることもあるのではないかと思うのです。こじつける必要はないのですが、可能性は否定できないと思います。
逆に、周辺で何も異常を感じなかったとしても、東日本大震災のような大きな規模の地震だと、震源から遠く離れた地域でもけっこうな揺れに見舞われることだってあります。
だからこそ、異常がないから大丈夫とはならないのですよね。
ゆえに、備えておくことが大切だということになります。
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2012年12月16日

何もなければよいのですが

現在、外の気温は16度。予想では18度まで上がるそうな。

昨日の午後から夜にかけて、東京23区・埼玉・千葉・神奈川の一部で、「外気が焦げ臭い」という報告が相次いでました。
それが何を示していたのかはわかりませんが。
私はずっと室内にいたので、臭いは感じませんでした。
そらまめくん(大気汚染物質広域監視システム)で確認してみると……
ちょうどその頃、メタンガス濃度や窒素酸化物の濃度が上昇しています。
昼過ぎは、東京湾をぐるりと囲むように高かったそれらの濃度は、夜になるにつれ、東京湾西岸から北西方向へ拡散しているようにみえます。

メタンガス自体は無臭のはずですが、メタンを含む天然ガスが地中から漏れ出ていたりしたら、臭うこともあるのでしょうか。
窒素酸化物については、排気ガスなどの影響によって、気候の条件が重なったりすれば濃度が上がることもあるでしょうが、メタンはわかりませんね。
今は詳しく見ている時間がないので、調べられません。不勉強で申し訳ありませんが。
こういう現象が起きていても、その直後に明確に何かが起きたということは今まではないと思います。

ちなみに、昨日はいつもはチラつかないリビングの照明がチラついていたりしました。耳鳴りもありましたが、これは疲れのせいかと思っています。

なんかちょっとヤバそうな雰囲気になってきたので、一応、地震に警戒したいと思います。
単なる個人的な勝手な印象です。さしたる根拠もないことです。
このところ少しずつ揺れている千葉北西部から東京湾にかけて、もしくは逆にわりと静穏な関東の南側の海域や千葉沖など、大きな地震が起きてもおかしくない雰囲気ですので、注意しておくにこしたことはありません。
個人の戯言、単なる「気がする」という程度の話ですから、間に受けずに聞き流してください。
予告とか予言とか、そんなことは毛頭考えておりません。
あくまでも、自分用のメモとして残すことを主眼に記事にしておきます。

何も起きませんように。
たぶん、数日後には、「やっぱりなんもなかったね」で済んでることでしょう(笑)
posted by nbm at 12:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月12日

風林火山さんとそのご友人の皆様へ

わかる方にはわかるはず。
12月11日、拙ブログに風林火山さん(草○さん)がコメントをくださいました。
現在は、アメリカで暮らしておいでのようです。
→拙ブログ記事 2012年11月27日からの地震メモ コメント欄に詳細あり
「地震メモ」とはあまりに無関係な記事で申し訳ないので、皆さんのコメント用にこの記事を上げます。

彼の地からご友人のブログにコメントしようとしたところ、受け付けられなかったとのことで、連絡が付きにくくなっているようですので、たまたま書き込み可能だった拙ブログにコメントをいただきました。

ということで、風林火山さんへのメッセージを、この記事のコメント欄に書き込んでいただき、風林火山さんに読んでいただいて、また風林火山さんからのお返事もいただければ嬉しいなという思いでおります。
この記事のコメント欄を自由に使っていただいてけっこうですので、風林火山さんへ伝えたいことがある方はコメントをどうぞ。
nbmへのお気遣いは無用ですので、私を直接知らないという方でも遠慮なくお使いください。
皆さんの交流の場として、一時的にでも使っていただければ、幸いです。
風林火山さんにご相談もなく、私が勝手にしていることなので、その点はご了承ください。

尚、風林火山さんはあくまでも療養中でいらっしゃいますから、お返事がなかったとしても、読んでいただいていると信じて書き込みませんか。
また、ご友人それぞれのブログも、もちろん閲覧してくださっていると思います。
ここが不要なようであれば、すぐに削除させていただきます。
posted by nbm at 23:17| Comment(21) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月5日からの地震メモ

自分のためのメモ的な記事が続きますが、ご容赦ください。
2012年12月5日からの地震メモです。

千葉・茨城の有感地震は以下のとおり。
2012年12月5日3時24分頃  茨城県北部 M3.4 深さ約10km 最大震度1
2012年12月6日19時17分頃  茨城県沖 M4.3 深さ約50km 最大震度3
2012年12月7日5時32分頃  千葉県北西部 M4.5 深さ約80km 最大震度3
2012年12月7日10時3分頃  茨城県沖 M3.8 深さ約20km 最大震度2
2012年12月7日18時2分頃  茨城県沖 M4.3 深さ約10km 最大震度1
2012年12月7日18時23分頃  茨城県沖 M3.9 深さ約30km 最大震度2
2012年12月7日19時40分頃  茨城県沖 M4.3 深さ約20km 最大震度2
2012年12月11日23時36分頃 千葉県東方沖 M3.8 深さ約20km 最大震度2

依然として、Mが大きめの傾向だと思います。
数日前までは、下記の三陸沖(M7.3)以降、福島県沖が活発だった印象です。その分、千葉・茨城での発震は少なかったような。
千葉沖が極端に少なくなっていたところに、昨夜千葉県東方沖で発震したので、これが前震で本震が控えてるなんてことにならなければよいがと思います。

くだらないことも一応書いておくと、昨日11日、すごく久しぶりに左耳にボワボワと圧力を感じました。


この間の震度4以上またはM5以上の地震は以下のとおり。
2012年12月4日5時31分頃  秋田県内陸南部 M3.9 深さ約10km 最大震度4
2012年12月7日17時18分頃  三陸沖     M7.3 深さ約10km 最大震度5弱 (当地 震度3)
2012年12月7日17時31分頃  三陸沖     M6.2 深さ約10km 最大震度3 (当地 震度1)
2012年12月7日17時48分頃  三陸沖     M5.3 深さ約10km 最大震度1
2012年12月8日7時59分頃  三陸沖     M5.0 深さ約10km 最大震度2

7日に三陸沖(M7.3)が発生。約7ヶ月ぶりに携帯電話の緊急地震速報がギュインギュインいいました。当地は震度3でしたが、けっこうな揺れでした。長くゆっくりとした揺れで、3.11を思い出すようなイヤな揺れ方でしたね。
統計的なことではないのですが、感覚的に日本全国で普段揺れないようないろんな所がポツポツと揺れる状態が数日続くと、その後でどこかに大きめの地震がドカンと来るような傾向がある気がします。
今回も、普段聞かないような震源地、特に内陸の震源地が並んでいるなと思っていたら、コレです。
イメージとしては、プラスチック製の棒を折ろうとして、折ろうとした点に力が加わるのはわかるのですが、その周りや端の辺りにも小さな亀裂が入るみたいな感じでしょうか。
後からそういえばと気づいたことは、壁掛け時計の秒針がうるさくカチカチ鳴っていたこと。2日に止まっていたこの時計。電池は入れ替えたばかり。普段は秒針が動く音は聞こえません。カチカチ言ってたのは数分間だけでしたが。
と、書いていたら、ちょうど今またカチカチいってます(笑)なんなの、コレ?
それと、前回も書いてますが、ハカリが不安定だったことです。蛍光管のチラつきもありました。


海外での目立った地震は以下のとおり。
2012年12月11日1時53分頃  インドネシア付近 M7.2 深さ約160km


おかしなウワサもいろいろありますが、個人的には以前から言われていた東日本大震災の震源域の南北両端が気になります。大きな力がかかったはずだと言われながら、未だ大きく揺れていない箇所です。近い分だけ、青森・北海道方面よりも千葉・茨城方面が気になってますし、千葉・茨城がしばらく静穏だっただけに気になります。
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2012年12月11日

超絶展開

このブログに書くべきでない、というかあまり書きたくない内容ではあるのですが、自分の気持ちを整理するためと、記録のため、そして私の経験を参考にしてくださる方がいらっしゃればという思いで少しずつ書きたいと思います。

11月末の寒い朝、父が倒れました。脳内出血です。
もともと認知症があり、当初はアルツハイマー型と診断されていたものの、近年は脳梗塞型と言われてました。四肢の麻痺など顕著な症状はないものの、脳梗塞が進んでいるということで、高血圧でもあったので、脳内の状態は悪く、脳内出血の可能性は高いと思っていました。
その朝は急に冷え込みました。早朝、暖かい布団から出て、まっすぐに外の郵便受けに向かい、新聞を取ってきたようです。その数時間後、突発的に戻し始めた後に意識を失くし、母が救急車を呼びました。
気温差が体に良くないことはわかっていましたが、認知症が進んだ父に何を注意しようが行動をとどめることはできません。急激な温度差が、脳内に悪影響を及ぼしたのは明らかです。
救急隊員から連絡が入り、午後一番で病院に兄弟たちと駆けつけました。
出血が大量で、脳内の圧も高い状態だったので、脳室ドレナージのために簡単な手術が施されました。脳内の水や血液を抜くために、頭蓋に穴を開けて管を2本挿します。
手術室から運ばれてきたストレッチャーを見て、「あの眉毛はうちのお父さんだよね?」と、坊主頭に剃られた父を、立派な眉毛で見分ける家族(笑)
その後も、「触覚生えてるみたいになってるんだよね、きっと」とか言いつつ、待合室で笑っている私たち家族。
たぶん、極度の緊張を和らげようという心理が働いたのだと思いたい。ということにさせておいてください。集中治療室の待合所で、大笑いしてる家族って……迷惑だよね。

その後、意識は戻らないまま今に至っています。そして早、転院の話が進んでいます。回復期リハビリテーション病院か療養型病院か、転院先を選ばねばなりません。そのことについては、またあらためて書こうと思います。

ここからが超絶展開。
父が倒れて1週間後の夜、今度は母が救急搬送されました。
暗い夜道を歩いていて道から転落。80cmくらいの段差を頭からダイブしたので、首の神経を損傷したようです。一瞬体中がカーッと熱くなって、動かなくなったのだそうな。全身の神経に電気が走ったんでしょうね。
母の「助けて!」という呼びかけに、通りがかりの方が助けてくださって、救急車を呼んでくださいました。
当初はまったく体が動かなかったということでしたが、今は下肢については機能的に問題がないことがわかっています。ただ、まだ立ったり歩いたりしていないので、筋力が落ちていたりめまいを起こすことも考えられ、簡単に歩けるようにはならないかもしれません。
両腕にひどい痛みがあって、動かすことが困難な状態ですが、徐々にリハビリをして動かし始めているところです。腕の知覚がおかしくなっているようで、ちょっと触っただけでもひどく痛いのだと言います。

それまで、認知症の父を年老いた母が看るという二人の生活でしたが、おそらく、父が家に戻ることはもうないでしょう。母は、回復具合によるのでわかりませんが、できれば一人で自立して生活し、ヘルパーさんの助けを借りるくらいで暮らせるようになってほしいと思っています。

母が救急搬送されたのは父の病院とは離れた場所の大病院。
ここが何から何まで非常に対応が悪く、ヤキモキします。
昨日は、医師から直接、母の病状についての説明が聞けるというので、その大病院に行ったのですが、行ってみると「今日は先生が病棟に来る予定はありません」と担当看護師が言う。いや、前日あなたに確認して、医師が病棟に来るというから話を聞きに来たのだけど?
それならその担当看護師に病状を聞いてみようと思うと、まったくといっていいほど何も知らない(苦笑)
「医師の話が聞けるというから来たのですが、それならいつお話ができるのですか」と詰め寄ると、「確認してきます」と言い、結局は手術が終わる18時以降ならという返事。
病院から時間指定されていたのは15時。医師が説明に来たのは、結局18時30分頃でした。後から医師に確認すると、この日はもともと手術の予定がある曜日で、それならなぜそんな話になったのやら。
医師から病状についての説明を受けたあと、担当看護師がやってきて、「先生はどのように言ってましたか?」と私に聞いてくる始末。
いやいや、患者の状態については、医師と看護師で伝え合っておいて当然だと思うがな。それがなぜ、患者の家族に患者の病状を聞く?わけがわからない。最悪、医師が私に説明するときに、担当看護師も同席すればいいことだよね?
救急搬送されて以来1週間近く経つわけだけど、母のもとに医師は一度も来ていないらしい。普通は回診があったり、様子を見に来たりするよね?
急性期も急性期の患者さんしか入院していられない大病院とのことなので、母も来週には転院することになり、今、父が入院している病院に受け入れてもらうよう交渉しています。

問題児である母が、投資依存症とでもいうべき状態になり、家族に隠れてあろうことか詐欺集団にお金を渡し続けて父の積み上げてきた財産を失くし、生命保険や医療保険の類もすべて契約を解除して詐欺に突っ込んでしまったため、年金くらいしか手元にないというのに、二人同時に入院とか、意味がわかりません。

昨日、病院のベッドの上で母は、「まったく、お父さんは(倒れたりして)迷惑なことをしてくれたよ」と言いました。
すかさず、「あんたの方がよっぽど迷惑だよ!」とツッコミを入れた私です。
母に厳しいのは私の仕様です。事故は事故ですし、心労・疲労もあってのことだとは思ってます。
それでも、こんな風に性格の歪んでいる母に、同情できないでいます。
ちなみに、脳はしっかりしていて、認知症の心配がないことは検査でわかっています。

一時は、二人共がほぼ同時に寝たきりになるのかと絶望的になり、一睡もできない日もありましたが、母が思いのほか回復しているようなので、それだけで随分と明るい気分になれるのが不思議です。
人間、あまりにひどいことが起きると、ちょっとのことでも希望に感じるものなんですね。
posted by nbm at 12:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月04日

2012年11月27日からの地震メモ

2012年11月27日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に、近県の有感地震は以下のとおり。
2012年11月27日 6時12分頃 茨城県沖 M3.8 深さ約40km 最大震度1
2012年11月27日 6時18分頃 茨城県北部 M3.0 深さ約10km 最大震度1
2012年11月28日 0時11分頃 茨城県沖 M3.9 深さ約40km 最大震度2
2012年11月28日 5時17分頃 茨城県沖 M4.0 深さ約20km 最大震度1
2012年11月29日 0時7分頃 父島近海 M6.0 深さ約10km 最大震度1
2012年11月30日 2時10分頃 茨城県沖 M3.7 深さ約10km 最大震度2
2012年12月2日 12時8分頃 父島近海 M3.8 深さ約40km 最大震度1
2012年12月2日 16時0分頃 千葉県北東部 M3.5 深さ約60km 最大震度1
2012年12月3日 13時57分頃 茨城県沖 M4.3 深さ約90km 最大震度3
2012年12月3日 14時17分頃 茨城県沖 M4.3 深さ約20km 最大震度3
2012年12月3日 23時57分頃 東京湾     M2.6 深さ約30km 最大震度1

昨夜は微振動を頻繁に感じていたのですが、東京湾が揺れていたとは……
東京湾は、揺れるときは唐突に揺れる印象なので、イヤですね。
どう見ても、茨城沖が活発になってます。M4クラスがこんなに頻発しているとは。もともとM3〜4クラスが多い地域ではありますが、微妙に大きいような。



この間のM5以上または震度4以上の地震は以下のとおり。
2012年11月29日 0時7分頃 父島近海    M6.0 深さ約10km 最大震度1
2012年12月4日 5時31分頃 秋田県内陸南部 M3.9 深さ約10km 最大震度4

父島近海は、東日本大震災以前からM5クラスが多いものの、震源地が陸地から離れているせいか、被害が生じないのがラッキーなところですね。津波の心配もないようですし。
秋田県内陸南部は、10月辺りに群発してました。遡ると、
2011年4月19日 4時14分頃 秋田県内陸南部 M4.8 深さ約20km 最大震度5弱
なんてのがあったんですね。
その後、半年に1回くらいのペースでM4クラスの地震が起きています。

宏観現象的なものは、特に見当たらず。
うちでは、壁掛けの電池式時計が2日に止まってました。
前回、電池を入れ替えたのがいつだったのか記憶が定かじゃありませんが、さほど経ってない気がします。
昨日は、調理の時に使うハカリが狂ってました。何回かリセットしても、正しい数字が表示されない症状が出ました。
一応メモ。
posted by nbm at 10:39| Comment(13) | TrackBack(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする