2013年06月25日

永遠の待機状態が最上

有川浩さんの『空飛ぶ広報室』を読んだ。
航空自衛隊の広報室を舞台にした作品。
ブルーインパルスのパイロットになるという夢を持っていた主人公・空井は、交通事故に遭って足を負傷。実現する直前だったその夢を絶たれてしまう。そして、配属されたのが広報室。もう一人の主人公と言ってもよい女性テレビディレクター・稲葉と衝突しながらも、お互いに成長していく物語。
ちょうど、この本を原作としたテレビドラマも最終回を放映したばかり。初回をちょこっとだけ観たけれど、期待したほど自衛隊の航空機が登場せず、連続して観るのはやめた。テレビドラマでは、女性ディレクター・稲葉の方が主役になっているようだ。
ただひとつだけ、テレビドラマを評価したい点は、空井役に綾野剛を当てていること。原作を読んでいると、この空井、非常に軟弱な部分が見え隠れし、感性が女性的に描かれている。その頼りない部分がよく合っていると思う。天然の部分も合っているし。
「有川浩」という表記だと「ひろし」という男性なのかと思ってしまうけれど、「ひろ」と読み、女性作家さんである。今作は、なんだか、女性が書いた本だというのが強く感じられる作品だった。うまく言えないのだけれど、女性の感性が前面に出ているとうか、男性である登場人物に女性的な言動をさせているように思えて。なので、男性である作家さんでは、描けない本だと思った。

まず、個人的な自衛隊に対する考え方を書いておこうと思う。
このブログでは、政治的なことは一切触れないことにしている。なので、そういう側面は割愛。
いろいろな考えの方がいらっしゃることでしょう。ですが、コメントでも、そういった側面のことについては、書き込みをお断りさせていただきます。
このブログでは何度か書いているけれど、高校時代は、自衛隊の駐屯地と隣接する高校に通っていたため、ヘリの爆音で授業が聞こえなかったり、体育をしている隣で戦車が地響きをたてて走っていたり、ロードコースを走っていれば自衛隊員にナンパされたりしていた。
官舎も近かったため、同級生の中には、父親が自衛隊員という人もちらほら。
観閲式ともなれば、登校は禁止され、通学路には警備が数十メートルごとに立ち、という物々しい雰囲気だった。
けれど、自衛隊に対して、悪い感情は持っていない。
1996年以降、陸自・海自・空自で持ち回りになってからは、陸自観閲式も3年ごとになったけれど、今年はまた陸自の番だ。夏から秋にかけて、そろそろ上空が騒がしくなってくるだろう。
夏に行われる駐屯地の納涼大会というイベントは、地域密着のお祭りのような感じで、私は現地に言ったことはないが、毎回花火はよく見える。地域的な娯楽が少ない土地柄、地元民はけっこう盛り上がるものである。
川越で生まれ育ったため、入間基地での航空祭も身近なイベントだった。私は行ったことはないけど、やはり埼玉南部で育ったダンナさんは、子供の頃には航空祭によく行っていたらしい。
ということで、割と自衛隊を身近に感じて育った方かもしれない。そして、今も近い。
アニメ『ガールズ&パンツァー』を観るずっと前から、りっくんランドには行きたいと思っていたのだけれど、近いがゆえにいつでも行けると思ってしまい、いまだ実現せず。

さて、では『空飛ぶ自衛隊』について感想をば。

永遠の待機状態が最上

自衛隊は、軍隊ではない。「専守防衛」。つまり、先制攻撃は行わず、侵略してきた相手を防衛するというのが基本姿勢であるから、有事が起こらず、ずっと待機状態なのが望ましい。災害時に派遣されることなどを考えても、やはり待機しているのが最上。もしものときのための自衛隊だから、通常は訓練をしながらもしもに備えているわけで、そう考えると、なんだか存在自体が矛盾しているようにも思えるけれど、もしものときにはやはり活躍してくれるわけだから、本当にずっと待機していてほしい。

陸・海・空それぞれの自衛隊の組織の本質を表す言葉として紹介されているキャッチフレーズのようなものがある。
航空自衛隊 「勇猛果敢・支離滅裂」
陸上自衛隊 「用意周到・動脈硬化」
海上自衛隊 「伝統墨守・唯我独尊」
知らないながらも、納得してしまうのが不思議。海上自衛隊の唯我独尊というのも言い当てている気がするし、航空自衛隊が支離滅裂なのもわかる気がする。
この本に書かれていることが本当ならば、航空自衛隊は、一番柔軟で自由な雰囲気があるようだ。階級にとらわれずに発言したりしても、咎められないようなところがある。

印象的だったのは、広報室長が自衛隊の映像をテレビ局に流すことをさらっと広告費に換算する場面。
この室長、飄々としているミーハーさんなのだが、自衛隊内部にいながら自衛隊という組織を客観視できる切れ者。
話の中には何度も出てくるが、税金で運営されている以上、接待費というものが計上できないので、歓迎会で歓迎される外部の人(テレビ局員など)も割り勘になってしまう(笑)
そういう環境で、広告費という莫大な資金を動かさずに、いかに効果的に自衛隊の活動をPRできるかというところが、広報室の腕の見せどころなわけだ。なんで広報などということに血税の一部を使われなきゃいかんのかとお嘆きの方もいらっしゃるのだろうが、そう考える方がいるからこその広報活動なのだろう。

人間ドラマとしては、挫折した主人公・空井が、ずっと鬱積した感情を顕にすることをせずにきてしまって、怒りをきっかけにそれが自分から流れ出したカタルシスの場面で落涙しそうになった。
同じように、自分も鬱積したものが爆発した直後だったので、気持ちが痛いほどわかる。
私の精神は崩壊しかけていて、小説が読めなくなっていた。
先日、うつ病で長く苦しんでいる先輩が電話してきてくれた。小説が読めないという話をすると、よくわかると言う。先輩も、あまり状態のよくないときには、本を読んだり、音楽を聴いたりすることができなくなるという。外部刺激を受け付けなくなるというようなことらしい。
説明文のようなものやエッセイ風のものは読めるのだけれど、小説が読めないのはなぜなのか考えてみたのだが、小説を読むときには、思ったよりも頭の中でいろんなことを考えながら読んでいるのだろうな、と。登場人物に感情移入してみたり、情景を思い浮かべてみたり、ほかのことを連想してみたり、思いのほか脳のいろんな部分を使っているに違いない。それが負担になるんだろう。
とはいえ、日が経つにつれて、なんとか読めるようになったので読了できた。
いいときにちょうどいい本を読んだ気がする。

この本は、実は2011年夏に出る予定だった。それが、翌年2012年夏に延期されたのは、「あの日の松島」という章が追加されたからだ。
東日本大震災で、ブルーインパルスの拠点である松島基地が壊滅した。たまたま、九州でのイベントがあり、ブルーインパルスは難を逃れたが、救難ヘリを含む航空機すべてが津波で水没してしまった。
テレビの報道で、その後の松島基地を取材したものを観たこともあるが、あのときの隊員たちの気持ちを考えるといたたまれない。
津波が来る前に、1機でも飛び立つことができなかったのか。誰もがそう思うだろうが、震度6強の揺れの後、大きな余震も続く中、滑走路の安全確認やら何やら準備をしている間に津波の予想到達時刻になってしまう。誰よりも航空機を水没させたくなかったのは基地の隊員だっただろうし、誰よりも周辺の救難活動をやりたかったのも基地の隊員だっただろう。
その後、救助活動などに当たった隊員たちは、支援物資を受け取らなかったという。自然と全国の基地からカンパが集まり、自分たちはそれを使っていたのだそうだ。当然といえば当然かもしれないが、清廉さを知るエピソードだ。
震災時、被災地に派遣された自衛隊員たちは、最前線で凄惨で悲しい場面に多く遭遇してきたことだろう。フィルターがかけられたテレビ映像を観ただけでも平常心ではいられないのに、現場で目の当たりにした光景には、深刻なダメージを受けただろう。もちろん、被災された方やご家族が一番辛い思いをされているだろうが、辛い任務だったと想像できる。

著者は、主人公・空井に、最後にこう言わせている。テレビディレクターの稲葉に向けて言った言葉だ。
「僕たちに肩入れしてくれる代わりに、僕たちの活動が国民の安心になるように伝えてほしいんです」

そして、あとがきには自衛隊員を評してこうあった。
ごく普通の楽しい人たちです。私たちと何ら変わりありません。しかし、有事に対する覚悟があるという一点だけが違います。
その覚悟に私たちの日常が支えられていることを、ずっと覚えていたいと思います。


こういった話が、どこか美談になって、社会が知らぬ間に右傾化するのは望まない。
自衛隊という組織が、政治的にデリケートな問題をたくさん含んでいることも否定しない。
でも、何かあったときに、自衛隊が助けてくれるということだけは、厳然とした事実。
だから私は、自衛隊の航空機が爆音で飛んでいても、それを騒音とは思わない。
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2013年06月24日

2013年6月14日からの地震メモ

2013年6月14日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に、近県震源の有感地震は以下のとおり。
2013年6月14日16時59分頃 栃木県北部  M2.1 深さ約10km 最大震度1
2013年6月15日1時3分頃  茨城県南部  M3.4 深さ約70km 最大震度1
2013年6月15日12時32分頃 神奈川県東部 M3.3 深さ約80km 最大震度1
2013年6月21日4時28分頃  茨城県沖   M3.6 深さ約20km 最大震度1
2013年6月22日19時48分頃 栃木県北部  M1.8 深さ約10km 最大震度1
2013年6月23日6時43分頃  東京都23区  M3.2 深さ約70km 最大震度1
2013年6月23日21時57分頃 茨城県北部  M3.0 深さ約10km 最大震度1
2013年6月24日8時48分頃  茨城県北部  M2.8 深さ約10km 最大震度1

11日間でこれだけ。少ない傾向ですね。
この間、全国的にも少なめの傾向でした。
この辺りに限っていえば、内陸側が揺れていました。
内陸がしばらく揺れると、今度は海側が揺れる番がきます。
東京都23区震源は珍しく、ここ数年は年に2回ほどしかありません。今回の震源は江戸川区あたりで、千葉に近い方。


この間の震度4以上またはM5以上の地震は以下の1件のみ。
2013年6月21日16時31分頃 奄美大島近海 M4.5 深さ約20km 最大震度4

これまた少ない。
規模の小さな地震が多かったです。なんか小康状態。

地震活動が収まっているように見えますが、逆に言えばエネルギーを溜め込んでいる状態とも言えるわけで、こういう期間の後に規模が大きめの地震が発生することになることも多々あります。


昨夜、せっかくのスーパームーンは、曇天で観ることができませんでした。残念。
月が地球に最も近づいたときに、満月もしくは新月になる現象をスーパームーンというのだそうで。
2011年3月20日のスーパームーンは、スーパームーンの中でもエクストリーム・スーパームーンと呼ばれるもので、19年ぶりに35万6577kmまで接近した満月が観測され、NASAによると、最も遠くにあるときの満月よりも約14%大きく、30%も明るく見えたのだそうです。
月の楕円軌道では、地球との距離が最も短い近地点では約36万km、最も離れた遠地点では約41万km。一番近い時と一番遠い時では、約5万kmの差があることに。
大きな満月が観られるスーパームーンは、年に1回あるわけですが、エクストリーム・スーパームーンとなると18〜19年に1回だそうで。
当然のことながら潮位に影響することが知られてますが、潮位に影響を与えるということは、地面にだって影響を与えていると考えられるわけで、深さ40kmくらいまでの浅い場所で起きる地震に影響を与えるという説もあります。
最接近する日がスーパームーンの日となってますが、実際はその前後も月が非常に近い位置にあるわけですから、前述の2011年3月20日のスーパームーンが、東日本大震災に影響を与えたということも考えられないことではないですね。
となれば、しばらくはまだ月が近いこの数日、地震活動に注目していたいと思います。
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2013年06月19日

主婦とは呼べない

ゆうべは、母にいじめられて泣いている夢を見た。
思ったより自分が重症であることを自覚。
母を車でどこかに送っているのだが、車から降りてちょっと目を離した隙に、母がその車を運転して居なくなってしまった。私の携帯電話には、母からの私を貶め罵るメッセージが録音されていた。現実には、母は車の運転ができないのに。
周りの人は助けてくれず、私は、どうしたらよいかわからずに号泣していた……
わかりやすい夢だこと。

実は、この数日小説を読もうとすると、集中力が全然続かず、読み進むことができない。
楽しみにしていた有川浩さんの『空飛ぶ広報室』なのだけど。
とても読みやすい文体のはずなのに、どういうわけか、10分と読んでいられない。

3日前の日曜日、念願の展覧会に行ってきたのだけれど、それについての記事も書く事ができない。
これについては書けるようになったら、書きます。

小説が読めない状態でありつつも、図書館に予約していた本が溜まっていたので、仕方なく取りに行く。
『スタッキング可能』 松田青子
『一人ぶんから作れるラクうまごはん』 瀬尾幸子
『家事のニホヘト』 伊藤まさこ
以上の3冊。

このうち、小説である『スタッキング可能』はまず置いておこう。どうせ読めないから後回し。
残りの2冊をパラパラと読んでみる。この2冊を並べると、なんだか”主婦”みたいだ。いや、私とて主婦なんだから”合ってる”のだけど、あんまり”合ってない”。
昨日の夕方借りてきたというのに、この2冊はすぐに読めてしまった。

まず、瀬尾幸子さんの『一人ぶんから作れるラクうまごはん』。
いつも作っているのは二人分のごはんだけど、一人分を作ることもある。汁物や常備菜、煮物・煮込みなどを除くと、作り置きはしないので、基本的には毎食ごとにおかずを作る。
少量で作ることになるので、何か参考になることがあればと巷で話題の本を図書館で予約してみたのだけど、まったく目新しいことがなく参考になることがない……いつもは、この本に書いてあるものよりももう少し手間をかけた料理をしているので、必要を感じないし。
野菜の下ごしらえなどは、すでに自分が実践していることのオンパレードで、レシピも普段作っているものと変わりなかった。残念。
少々気になったのは、衛生観念。書いてある通りに保存して、本当に大丈夫かいなと思ってしまった。
うちは、ダンナさんの体質上、食あたりなどを起こすと命に関わることになりかねないので、過敏気味ですけどね。

さて、もう1冊は、伊藤まさこさんの『家事のニホヘト』。
伊藤さんは、料理や雑貨、テーブルまわりのスタイリストさんだということで、出てくるものがいちいちセンスのある雑貨で、それが嫌味に感じられるくらい完璧にスタイリングされている。こんなに完璧に雑貨をスタイリングできる人はおらんだろう。
お金もかかるし、外国製など入手も困難なものが多そうだ。まるで参考にならん。
あまりの完璧さに、その美しさは理想的だけれど、実際にその中で生活したら息が詰まりそうに思えるほど。私にとっては、リアルさがない。
当然、美しいものにあこがれはあるのだけれど、スッと自然に受け入れられないのは、自分が嫉妬しているからなのか、病んでいるからなのか。
内容は、あまり実践的ではなく、おしゃれな雰囲気を楽しむカタログのようなもの。ただし、載っているもは欲しいと思っても簡単に入手できない。

ただひとつだけ真似したいと思ったことは、ふきんの煮沸消毒。しばらく前からやろうと考えていたことなのだけれど、ここにも出てきたか、と。
今までは漂白剤に漬けていたのだけれど、煮沸する方がいいような気がして。ふきんの洗濯については、人それぞれだろうけど、私は毎日手洗いする派。そして時折、漂白剤に漬ける。そのうち、100円ショップででも専用の鍋を買って、ふきん煮沸消毒を実践しようと思ってた。

もうひとつ、評価したいなと思った点は、断捨離を勧めていないこと。
この方はどうやら、思い出の品などは特に、捨てずに取っておく派だ。
家が広くて、収納スペースがたくさんあるからこそできることだと思うけど。
ということで、これも庶民にとってはリアルさに欠ける。

以上2冊、不思議と短時間でペロッと読めてしまったけど、どちらもほぼ参考にならんかった。

もう長いこと主婦をしている。
専業主婦となっても長い。けど、私は家事が苦手。
かろうじて人並みにできるのは、料理くらいなもの。うちでは、洗濯はダンナさんの領分。私は自分の下着を洗うのみで、ニットなどおしゃれ着洗いのもの、シーツやマットなど大物を洗うことはあるけど、日常的な洋服の洗濯はダンナさんが作業着といっしょにしてくれる。畳むのはほぼ私だけど。作業着といっしょとはいえ、他の物といっしょに洗うには、必ず予洗いをしてくれるし、油や金属の粉末なんかが付いているときは別に洗ってくれる。
掃除はとても苦手。汚れが目についてからやる程度。放置するから、やるときは徹底的にやることになる。普段からこまめに掃除しておけばよいものをと自分でも思うが、それができたら世話はない。でも、整理整頓するのは好き。最近は、シュレッダーが欲しくて仕方ない。要らないけどそのまま捨てられないものが山とある。シュレッダーはさみとか、いろんなグッズを使ってみるのだけど、ちまちまやってると進まない。いっそ電動シュレッダーでも買ってみるか。
裁縫は掃除よりも苦手。ダンナさんの作業着の繕いとか、ダンナさんのズボンの裾上げとか、簡単そうなことでも気が重い。せっかくミシンを買ったのに、なかなかできない。
仕事をしていないで家にいるのだから、世で言う”専業主婦”であることは間違いないのだけれど、自分ではその自覚なし。主婦ってほど家事をしてないもの。
ただ、料理はちゃんとする。カロリー計算、栄養バランスを考えて毎日3食の料理を作る。当然のことながら、お安いものや品質の良い物を探して買い物もする。でも、「やっている」と胸を張れるのはそれぐらいのことで。
なので、体調が良くて時間があるときは、毎日何かひとつでも挑戦することにしている。
日常的なルーティンワークではないことを、ひとつは達成していこうという企画。
今の時期だと、例えば扇風機のお掃除とか。うちは1年中扇風機が活躍するので、汚れるのよね。空気の入れ替えに使ったり、部屋干しの洗濯物に風を当てて乾かしたり。
気になっているのは、衣替え。忙しさで何もできず、まだやってない。やろうやろうと思いつつ、天気が良い日には体調が悪かったり、体調が回復したらお天気が悪かったり。どんより湿度の高い日にはやりたくないもので。ずるずると延び延びに。
つくづく家事は向いていないと思う。
じゃあ、せめて仕事しろよって話ですよね。私もそう思います。

家事にはいろんな分野があって、得手不得手があって当然だと思う。でも、やらなきゃならないし、そのへんは、モチベーションをどう保つか工夫するべきだし、自分なりにベストなやり方を模索するべきだとは思う。
掃除が行き届いてなくても、目くじらたてることなどないダンナさんには感謝するしかないです。諦めてるのかもだけど(苦笑)
posted by nbm at 11:25| Comment(8) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

がんばらねば

ブチ切れ後、引き継ぎ項目を諸々書き出して兄弟たちにメールしたところ、「おつかれ様でした」と労ってもらい、「後は任せて」と言ってもらえました。
引越しに伴う面倒な手続きが終われば、あとはほとんどやることもないと思いますが。
これで、安心して心身ともに休めるというものです。
体が空き、今日辺り、元から行きたかった美術展に行こうかと考えていたのですが、ちょっと遠い上に駅から相当歩きそう。その上、今日は午後から雷雨の予報。そして、この数日微熱がおさまりません。こんな体調で雷雨の中歩くのは嫌だな、と。
でも、その美術展は明日の日曜日まで。5月から、私は日曜日の度に母のことで出かけていたので、夫婦でゆっくり過ごす時間が取れませんでした。自分の趣味なので、ダンナさんを放っておいて日曜日に行くことは考えていませんでした。
ところが、そのことをダンナさんに言ったところ、「じゃあ日曜日に一緒に行こう!」と。たまたま美術館の近くに、聖地巡礼スポットもあり、辺りを巡ってくることにしました。
父が倒れて半年……正月休みは父がすでにだいぶヤバイ状態になっていたし、ゴールデンウィークは母の新居探しで動いてましたから、遊びらしい遊びをすることもなく過ごしてきました。
ようやくこれで、フツーに遊べます。

疲れると、食事の支度もままならぬようになってきて、動けるには動けるのですが、頭が働かない。献立が浮かばずに、冷蔵庫の前で立ち尽くすことになります。もともと、食材の買い物は、献立ありきではなく、テキトーに買っておいて後から考える方なので。
数日前からようやく、ちゃんとごはんが作れるようになってきました。
朝は納豆ごはんやパン食がほとんどなので簡単ですが。
一昨日 (昼)そぼろ丼  (夜)クリームスープとサワラのカレー焼き
昨日  (昼)コンソメ風味のリゾット (夜)回鍋肉
そして、今日の昼は、チキンカレー。
なんのことはない、冷蔵庫の中のヨーグルトが未開封のまま古くなってしまったので、料理に転用です。胸肉を塩コショウして、ガラムマサラとしょうが・にんにくを入れてヨーグルトに漬け込んであります。玉ねぎを炒めてカレー粉(粉末)を加え、水を加えてルーを作り、缶詰トマトとヨーグルトを投入。隠し味はピーナツバターです。あとは、塩とスパイス。そこに、漬け込んでおいた胸肉を唐辛子油で焼いたものを入れて少し煮込むだけ。
実家が農家である友人から新鮮なお野菜をたくさんいただきました。トマト、きゅうり、とうもろこし、いんげん、枝豆、にんじん。おかげで、毎食野菜をたっぷりいただいてます。

3月頭からダイエットしているはずですが、疲労困憊で運動できず、食事も外食が多かったり、疲れた体にご褒美をと甘いものを食べたりしていけません。
ひと月に2kg減らす目標だったのですが、3ヶ月半経った今、まだ3kgしか減ってません。半分じゃん……これから本腰を入れないとな。
運動もしていないのに、それでもなんとか体重を減らしているのは食事の仕方です。
もともと、食事はカロリーと栄養バランスを考えて3食作ってます。運動せず、間食が多かったから太ったので、まずは間食を止めればよいこと。その上で、夕飯だけ炭水化物を抜いてます。もともと1日の食事の摂取カロリー設定が、ほぼ基礎代謝くらいのものなので、食事以外に余計なものを食べなければ、運動せずとも普通に動いているだけで「消費カロリー>摂取カロリー」になるのです。
とはいえ、少しは間食してますけどね(笑)まったく間食しないのは、逆にストレスになって続きません。それでもなんとか少しずつは減ってます。
私は、炭水化物をまったく摂らないと、逆に体重が減りません。脂肪を燃やすエネルギーとして炭水化物が必要なのだと思われ。なので、炭水化物を抜くのは、夜だけです。朝昼は、例えば食パンなら8枚切り1枚、ごはんならせいぜい100g程度。少なめながら、摂取します。麺類のときはどうしても炭水化物が多めになりますが、たまのことなのでその辺は気にしない。外食だって、売ってるお弁当だって、回数が少ないなら、食べるときは遠慮なく食べる。食べてはいけないものを作らないのが、長くダイエットを続ける秘訣です。食べた分は、後からカロリーを減らすなり、運動するなりして調整すればいい。
あとは運動がコンスタントにできればよいのですが。
運動をせずにこのままのペースでも、1年もかければ10kgくらい減るでしょうが、時間がかかるわ。それにやっぱり筋肉量を増やしたいし。

以前にダイエットに成功したときには、半年で12kg減らしましたが、そのときはきちんと運動してましたから。毎日ウォーキングを1時間。
当時は、毎日夕食後にダンナさんといっしょにウォーキングしてました。
ところが、ダンナさんはスポーツ心臓の持ち主なので、私に合わせたペースでは効率が悪い。私と歩いた後に走ったりしてました。
私がなんとかペースを上げればよいのですが、なかなか急にはできません。またダンナさんといっしょにウォーキングするためには、まずは私が基礎体力をつけないといけないのです。
なので、一人で歩ける昼間に、地道に運動を続けて、体力を回復&増強させないと。
ダンナさんも運動をしなくなって久しいので、まずは私がやる気を見せないとね。

1年ちょっと前、本当に久しぶりに外へ短期のアルバイトに出たのですが、毎日仕事をするには体力が足りなくて。入って1週間でインフルエンザになっちゃうし、後半は、毎朝吐きそうになりながら行ってたし。別に仕事がイヤだったわけじゃありません。体調が悪かっただけです。
その後、しっかり運動して体力をつけないと働けないと思っていたのに、ダメ人間なのでなかなか実践できず。そのうちに、状況が状況になってもっとできなくなり、今に至る……

ここのところ、断続的に微熱が出てます。今も微熱。
毎年、暑い時期になると周囲の気温に合わせて微熱が出てしまう変温動物のような体質ですが、今年も始まったんだろうか。特に他に症状があるわけでもないので、ただ単にダルくて、汗をかきやすいだけですけども、この時期は特に体がツライです。
母がまだ入院していたとき、病院に行くと、感染症を防ぐために受付で体温を計るのだけれども、何度も37度を超えてしまい、言い訳に四苦八苦。「風邪とか感染症じゃないんです。熱中症みたいなもんで、周囲が暑いとすぐに体温が上がってしまうタチで……」とか。「そうですか」と、入れてくれたけど。中には、「冷たいものを持ってきましょうか?」とか「中で休んで行かれますか?」とか、言ってくださるスタッフもいて恐縮。
この微熱。出初めの時期が一番ツライ。しばらくすると熱に体が慣れるのか、少し楽になるのだけど。
この症状のせいで、年間通して働く気になれない。微熱がなくても体力が持たないのに、微熱の時期は倒れるのが必至。6月から9月くらいまで続くので、秋になって涼しくなってきて、ようやく活動する気力が出てくるのです。なんらかの病気を疑う方もいらっしゃるでしょうが、気候が涼しくなれば、毎年微熱も必ずおさまります。
たぶん、この症状も痩せればおさまってくれるのだと思います。きっと、脂肪が蓄熱してるんだ。
今回、痩せる努力を始めたきっかけは、睡眠時無呼吸症候群だったけど、肥満はいろんな悪影響を及ぼしているのはわかっています。諸悪の根源。
だから、がんばらないとね。
こうして、意思を公開することで、ダメな自分にムチを打つわけです。
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2013年06月14日

2013年6月6日からの地震メモ

2013年6月6日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に近県の有感地震は以下のとおり。
2013年6月6日12時28分頃 千葉県東方沖 M5.0 深さ約60km 最大震度3(当地 震度1)
2013年6月6日13時25分頃 千葉県東方沖 M4.2 深さ約60km 最大震度2
2013年6月7日4時39分頃  三宅島近海  M2.6 深さ約20km 最大震度1
2013年6月8日4時16分頃  栃木県北部  M2.7 深さ約10km 最大震度1
2013年6月8日4時49分頃  千葉県東方沖 M4.1 深さ約10km 最大震度1
2013年6月8日7時29分頃  茨城県沖   M3.8 深さ約40km 最大震度1
2013年6月8日19時18分頃 茨城県北部  M2.9 深さ約10km 最大震度1
2013年6月8日20時13分頃 千葉県北東部 M3.0 深さ約40km 最大震度1
2013年6月8日21時2分頃  千葉県東方沖 M3.4 深さ約10km 最大震度1
2013年6月9日8時33分頃  栃木県北部  M2.5 深さ約10km 最大震度1
2013年6月9日9時4分頃  栃木県北部  M2.9 深さ約10km 最大震度2
2013年6月9日11時28分頃 栃木県北部  M2.2 深さ約10km 最大震度1
2013年6月10日5時59分頃 栃木県北部  M2.2 ごく浅い  最大震度1
2013年6月10日10時10分頃 八丈島近海  M4.3 深さ約10km 最大震度1
2013年6月11日5時14分頃 茨城県沖   M3.4 深さ約50km 最大震度1
2013年6月11日9時19分頃 茨城県北部  M3.5 深さ約10km 最大震度2
2013年6月13日12時19分頃 千葉県東方沖 M4.0 深さ約10km 最大震度1
2013年6月14日8時38分頃 千葉県東方沖 M3.2 深さ約10km 最大震度1


この間の震度4以上またはM5以上の地震は以下のとおり。
2013年6月7日22時29分頃 新潟県上越地方 M4.0 深さ約10km 最大震度4
2013年6月8日1時38分頃  与那国島近海  M5.8 深さ約20km 最大震度3
2013年6月8日16時17分頃 和歌山県北部  M3.9 ごく浅い  最大震度4
2013年6月8日20時39分頃 和歌山県北部  M4.0 ごく浅い  最大震度4
2013年6月13日22時24分頃 沖縄本島近海  M5.7 深さ約10km 最大震度3


特別何もありませんが、台風3号は熱帯低気圧に変わったとはいえ、その影響はまだ残っており、お天気はなかなか回復しません。
それと、ここ数日は微振動が続いています。
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2013年06月13日

しずかにブチ切れ

しずかにブチ切れてみました。

父が倒れ、母が倒れて半年。
実家に関わるありとあらゆることをやってきて、そのうちに父が亡くなり、問題は母ひとりとなってもその負担は変わることなく、むしろ精神的な負担は増える一方で……

そして、父が亡くなって4ヶ月。
5月からは毎週、母の新居探しや引越し準備で週末がつぶれ、平日は必要な家具・家電の調達に走り回り、引越しは無事済みましたが、その後も雑貨類を買い歩いたりして気の休まる日がありませんでした。
「今日は何もせずに過ごそう」と思ってはみるのですが、やることは山のようにあり、それが気になって放置できず、細かなお金の精算や、まだまだ足りない家財道具のリサーチなどをしてしまい、母のために動かない日はない状態がずっと続いてました。
母の用事で出かけるときは、ダンナさんのことはほったらかしになってしまい、いつもは3食きちんと作っている食事も用意することができませんでした。そんなこんなで、ダンナさんにも、間接的に負担を強いる生活が続いてました。
私は、肉体的にも精神的にも疲労し、微熱が続き、頭痛がし、不整脈が出っぱなしになりました。

兄弟たちは相変わらず主体的には一切動いてくれず、割り振るのも面倒だし、割り振ったところで失敗されたりして、ほとんど助けにならず……本当に、指示したことしかできない。
引越しの手順から何から、結局私が全部仕切ってました。
「言ってくれればやるから」と言ってはもらってましたが、「○○はやるよ」と先に言ってくれることは皆無です。

そんな中でも、母の不満は私にのみぶつけられ続け、聞き流していたつもりでいたし、何をどれほどやろうとも見返りや感謝の言葉などないことも承知の上でのことでしたが、自分の中で蓄積された母への負の感情が許容範囲から溢れたようで、ついにブチ切れました。

お金のことや、住所変更など事務的な手続きのことを母に報告しようと思い、いやいやながら電話しました。
数日前、与えられた携帯電話が思うように使いこなせずに癇癪を起こした母を放置して帰ったのですが、そのときにすでに「もうしばらく来ないから」と言いおいていたほど、私は疲弊してました。
電話して、携帯電話の通話の声が反響するので、聞き取りやすいようにとゆっくり話していたところ、「何が言いたいんだよ!早く話せよ!」とキレられたので、事務的に伝えることだけ伝え、「じゃあね」と普通に電話を切り、その場で即座に母の携帯電話の番号を着信拒否に設定しました。
直後に兄弟たちには、「母に関することはもう一切やらない。あとはよろしくお願いします」とメールしました。まさに、「堪忍袋の緒が切れた」とはこのことだなと実感。

電話を切った後、少し泣きましたが、すぐに、これまでやったことのない着信拒否の操作を調べ、冷静に母の携帯電話番号を拒否しました。自宅の電話はそんな機能はないので、もし母からかかってきたら即座に切ろうと思ってます。
とはいえ、私のことは「うるさい奴」くらいにしか思っていないので、母が自分から電話してくることなどないでしょうが。
そこまでやると、スッと気持ちが晴れました。物理的に、母との繋がりを断ち切ることは、予想以上の爽快感がありました。

人前では、新居に関して「娘が本当にいい所を見つけてくれて」と涙さえ流していた母ですが、私には責めるようなことしか言いません。「ありがとう」と言うことはあるにはありますが、そこに感謝の気持ちなど微塵も無く、言っときゃいいだろうくらいな言葉であることは、態度から明白です。
実家のご近所に、母と引越しのご挨拶に行きました。
私を前にして、「この子が頼んでも頼んでも化粧品を持ってきてくれないから、肌がボロボロになった」とか、「私には大事なことを何も教えてくれない」とか言う始末で。
化粧品に関しては、入院してすぐ、兄たちが母に届けてくれました。それも、母が「持って来い」というものを実家から探して大量に持っていったのに、「やっぱり邪魔だからもって帰れ」と言ってみたり、違うものを持って来いと言ってみたり、言うことが滅茶苦茶でした。入院してから、普通に洗面することができなかったので、濡れタオルで毎朝拭いていただけ。そして、病院の中はすごく乾燥しているので、お肌には悪かったでしょうね。でも、80も過ぎたばあさんです。美白だのコラーゲンだのを謳った、詐欺まがいのバカ高い化粧品を山のように買っていて、理解できません
他にも、入院中には、頼まれた物を持っていくと、必ず文句を言われましたっけ。
「大事なことを教えてくれない」というのは、主にお金に関することを言っているのだと思います。細かなことを言っても聞こうとしないので伝えませんが、もちろん大まかなことは何度も報告しています。それに、まだまだ混乱していて、正確な数字が出ていないのは事実です。当然、その辺の事情も伝えてあります。

引越しの最中、どうしても「お酒を送る」と言って聞きませんでした。
私は後から顛末を聞いたのですが、実家に残っていた父の飲み残しの酒(口を開けたもの)を、いくつかのビンに小分けにして人に送るのだと言って聞かず、そんな失礼なことするなと言ってもどうしても聞かないので、終いには好きなようにさせたのだそうです。
何度も言いますが、母は認知症ではありません。脳はいたって正常です。過去に精神科にも連れて行きましたが、「抑制がきかない状態」と診断されただけで、病名はつきませんでした。
つまり、人格に問題があるということです。そして、それがどんどん悪化しています。
長い入院生活や、思うように動かず調子の悪い身体にイラつくことはわかりますが、母の言動は度を越しています。ちなみに、父の死については、何も感じていないと思います。父の遺体を前にしても、興味なさそうにしてましたから。
自分が糖尿病であることも、どうしても受け入れません。何度言っても、「あんたが言っているだけ。私はそんなことは医者から言われていない」と言い張ります。
私は実際に母と一緒に医師から診断を聞いて、その後一緒に食事の管理指導も受けました。境界型のため、薬は処方されてませんが、糖尿病の診断は覆りません。
その後、自分でもご飯は1回100gと決めて食べていたり、夕方以降に甘いものを食べると夜中に足がつると言って控えていたりするのに、糖尿病であるという事実は絶対に受け入れません。

すべてに対してそういう態度なので、自分にとって都合の悪いことはみな母の脳内で書き換えられてしまい、母の中ではそれが事実になってしまうのです。また、都合の悪いことは記憶から消え去ることもあります。
だから、周りがどう否定しても、母の中の事実は変えられないのです。
投資詐欺に何度も自分からひっかかりに行き、中でも海外宝くじは、一度財産をすべて失い借金をしたりお客さんのお金に手をつけたりしていたこともあって、発覚してから消費生活センターに連れて行ったりしてやめさせたのですが、数年経ってから、また家族に隠れて送金してました。法的な権威に弱いので、それが仮に詐欺でないとしても、海外宝くじを購入すること自体が違法行為であることを説明し、やめさせようとしたのですが、「おまえたちの言うことは信じない」と言われてどうにもならず。しかし、そのうち自分で勝手に調べて弁護士相談を取り付けてきて、「明日弁護士に相談するから一緒に来い」と急に電話してきたので、しぶしぶついて行くと、弁護士に直接説明されてようやく納得し、送金をやめました。
というようなことがあったのですが、この一連のことをまるで覚えていません。本当に、綺麗さっぱり忘れています。
ただ、脳には機能的な問題は一切ありません。

そんな大嫌いな母でも、一応は親だからと思い、気持ちを切り替え、何度もくじけそうになりながらも、淡々と事務的に事を運んできたのでした。
引越しに関しても、「これが終わったら、もう何もやらない」と心の深いところでは決めていたのかもしれません。母でなく、誰か第三者の引越しを総合的にプロデュースするくらいな気持ちで楽しもうと思い込んでやりました。
でも、どうやら限界が来たようです。

引越しも大部分は済みました。
面倒な住所変更などはまだですが、後はもう兄弟に任せます。
役所や金融機関など、母を平日の昼間に連れて行かないとできない手続きも残ってますが、もう知りません。
仕事があるからとか、そういう兄弟の言い訳はもう聞きません。仮に私が仕事をしていたら、一体どうしていたんだろう?
母は、手押し車を押してようやく歩けるくらいな感じですが、勝手にすればいい。
食料品の買い出しや通院は歩いて行けない距離じゃないし、施設の人も助けてくれるでしょうから。
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2013年06月06日

身近で謎なアイツ

サッカー日本代表、2014FIFAワールドカップブラジル出場決定おめでとうございます!

試合終了後、歓喜に沸く選手たちの後ろに、マスコットが2体。
八咫烏(ヤタガラス)の「カラッペ」と「カララ」の兄弟。そんな名前だったのか、きみたち。しかも、兄弟だったのね。
彼らの特徴は、なんといっても3本足。マスコットとしては、そう作るしかなかったんだろうけど、お尻から3本目の足が後ろ向きに生えてる……
「カラッペ」と「カララ」だけに限らず、サッカー日本代表のシンボルマークやエンブレムには、八咫烏が使われている。以下は、日本サッカー協会のサイトにあるシンボルマークの紹介文。
ボールを押さえている三本足の烏は、中国の古典にある三足烏と呼ばれるもので、日の神=太陽をシンボル化したものです。日本では、神武天皇御東征のとき、八咫烏(やたがらす)が天皇の軍隊を道案内をしたということもあり、烏には親しみがありました。

神武天皇御東征ときたか。
Wikipediaによると、このシンボルマークは1931年に採用されたもので、実は随分古くからある。一説には、日本に近代サッカーを初めて紹介した中村覚之助さんという方の出身地にちなみ、熊野那智大社の神使である八咫烏をデザインしたという話もあるらしい。

熊野といえば、今クール放映中のアニメ『RDG レッドデータガール』で、主人公・泉水子の生まれ育った玉倉神社は、熊野の神社をモデルにしている。
泉水子は、強大な力を持つ「姫神」に憑依される体質なのだけれど、その「姫神」の使いであるカラスが出てくる。神霊が、カラスの姿を借りているというようなイメージ。
これは、3本足ではないが、八咫烏同様、熊野の神様のお使い。

この春から始まったEテレの番組『考えるカラス〜科学の考え方〜』。
毎回、冒頭にカラスの賢い行動の動画が紹介される。透明の細長いコップ状の容器には水が溜まっていて、エサが浮かんでいる。ところが、カラスがただ首を突っ込んでみてもエサには届かない。横ちょに石のようなものが積み上げてあるのを発見したカラス。それをひとつずつ咥えては、容器の中に落としていく。徐々に水面が上がって、しまいには嘴がエサに届く高さまで上昇。ついにはエサをゲットするというもの。
固い胡桃の中身を食べるために、上空から地面に落としたり、車に轢かせたりするというのは聞いたことがあるし、映像を観たこともあるけれど、こうしてエサを食べるのに道具を使いこなすというのは、なかなかに興味深い。
他にも、「遊び」をしているような動画をたまに見かける。ボールを追いかける遊びをしていたり(→YouTube)、雪の積もった車の上で滑り台のようにしていたり(→YouTube)、屋根の傾斜を利用してスノボしてたり(→YouTube)、でんぐり返しをくりかえしたり(動画をみつけられず)。
カラスは賢い鳥という印象で、ゴミを漁ったりするけれど、どうも憎めないヤツらである。
いろいろな鳴き声を聞くことがあり、カラス語を理解したいと思うのだけれど、警戒している声くらいしかわからない。
ハシブトガラスは本来澄んだ「カー、カー」という鳴き声だが、それが濁って「ガー、ガー」と鳴くのは威嚇らしい。ハシボソは本来の鳴き声が濁っているようだけど。
あとは、「カッ、カッ、カッ、カッ」と鳴くのが警戒しているとき。
他にも「アワッ、アワッ」と言ったり、「ガラガラガラガラ」みたいな鳴き方も聞くが、意味はわからず。
地震が起きると、直後に「カー、カー」言っているのもよく聞く。どうせなら、揺れる前に教えてくれよと思うのだが、「今、揺れたよね?」みたいに鳴くだけ(笑)

ということで、松原始さんの『カラスの教科書』を読んでみた。
まず、「カラスという鳥はいない」と。
私たちが普段「カラス」と読んでいる鳥は、大方ハシボソガラスかハシブトガラス。「カラス」と言ってしまうと、実はスズメ目カラス科を指してしまい、非常に多くの鳥を含む呼び方なのだそう。とはいえ、一般的には、「カラス」といえば、あのカラスだけど。

他に印象に残った点をいくつか。
ハシボソガラスとハシブトガラス。この2つが主に日本で観られるカラスになるが、両者にはいろいろと違いがあるということ。
都市部にいるのはハシブト、郊外の平地や低山にいるのがハシボソ。元々は森林にいたハシブトが、都市部の高層建築を森とみなして侵出してきたのらしい。
胡桃の割り方などを工夫したり、器用なのがハシボソ。鳴き声を鳴き分けるのはハシブト。
ハシボソは地上に降りて歩き回ったりするが、ハシブトはあまり降りてこない。
ハシブトの方が肉食傾向が強い。
シロウトには、遠目にはどっちがどっちだかわからんがな。

鳥は、原色が強めに見えるってことで、人間には半透明の黄色いゴミ袋が、カラスには中身が見透かせないらしい。4色型色覚については、本書の中では触れられてなかったのだけど。
この黄色いゴミ袋でゴミ漁りを防止しようということらしいのだけど、その昔は中身の見えない黒いゴミ袋でも荒らされていたわけだから、意味があるのかどうかと、著者は言ってる。どんな対策も、カラスがそれに慣れたら意味がなくなるらしい。
基本的には、カラスは目で見てゴミを漁っているので、肉のように見える茶色や赤い色などのゴミは袋の表面に出さないようにするとよいらしい。
カラスのゴミ漁り対策については、他の国でも早朝のまだ暗いうちに回収するなど色々と対策がなされているようだけど、日本ほど都市部にカラスの大群が住み着いている場所もないそうだ。
以前に、唐辛子成分で作った網とかスプレーなんかが効くと紹介されていたのをテレビで観たことがあるのだけれど、あまり広まってないところをみると、効果はあまり期待できないのかも。この本でも唐辛子に関する記述はなし。

一番意外だったのは、「カラスは賢い」という見方について、「そうでもないんじゃないの?」的なスタンスだったこと。
「賢い」という言葉の意味の中には、本来は様々な意味が含まれているのではないかということで、社会的生活をする上で賢いといえるかどうかという観点など総合的に判断すると、そう賢くもないのではないかと。
長く観察してきた著者の目には、カラスはけっこうマヌケな鳥という印象がある様子。
標識をつけたりすることができず(なぜに?)、本気で研究しようという研究者も少ないため、まだまだカラスは生態がよくわかっていないのが実情らしい。

一時期、ベランダに謎の落し物が続いたことがある。
書類の切れ端や、プリンやゼリーのカップ、食パンの欠片などが、毎日のようにベランダに落ちていた。
お隣から風で飛んできたのかとも思ったけど、それらが落ちているのはいつもベランダの中央で左右のお隣からは遠く、どうも合点がいかない。
よくよく考えた結果、カラスの仕業だったのではと結論づけた。
ベランダの手すりにカラスが飛んでくることもある。手すりの真下に落とすと、ちょうどいい位置に落ちている。他の鳥も来るけど、こんなことをするのはカラスくらいだろう。
エサをたまたま落としたとか、食べた後の要らないゴミを置いていったのならわかるけど、書類の切れ端は?エサを隠して貯めておく習性もあるようだけど、全然隠れてねーし。大体、食パンは残さず食ってけよ。なんでちょっとばっかり残すんだ?
なぜに、落し物をしていったのかは不明。一体、何のメッセージ?

近所に、犬の鳴き真似をするカラスがいる。
ウォーキングをしていると、頭上で「ワン、ワン!」という声が……
見上げると、カラスだった。
以来、時折、高い位置から「ワン、ワン」と聞こえることがあるが、ヤツが鳴いているなと思う。
器用に鳴き真似をするところを見ると、コイツはハシブトガラスなのだろう。

かつて、この辺りの雑木林はカラスのねぐらとして有名だった。夜はここで休み、昼間は都内のゴミを漁りに通勤していく。一時期よりも数は減っていると聞いたことがあるけど、時折カラスの大群を見かける。何のつもりだか、マンションの屋上や電線にとまって、騒いでいることがある。
ウォーキングしていると、見せしめなのかカラスの死骸が畑の隅に吊るされていることもある。農家さんにとっては、害鳥でしかないんだろう。
自分には実害がないからか、どうもカラスのことは憎めなくて、友達になってみたいと思ってしまうのである。
posted by nbm at 12:18| Comment(11) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月05日

2013年5月29日からの地震メモ

2013年5月29日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に近県の有感地震は以下のとおり。
2013年5月29日4時24分頃 関東東方沖 M5.0 深さ約40km 最大震度1
2013年5月30日1時7分頃 茨城県沖 M3.7 深さ約50km 最大震度2
2013年5月30日6時47分頃 茨城県沖 M3.6 深さ約40km 最大震度1
2013年5月31日14時53分頃 茨城県北部 M3.5 深さ約10km 最大震度2
2013年5月31日21時2分頃 千葉県東方沖 M3.3 深さ約30km 最大震度1
2013年6月1日4時54分頃 茨城県沖 M3.8 深さ約50km 最大震度2
2013年6月1日23時1分頃 茨城県北部 M3.1 深さ約10km 最大震度1
2013年6月3日0時44分頃 茨城県北部 M2.5 深さ約10km 最大震度1
2013年6月3日8時21分頃 千葉県東方沖 M2.9 深さ約10km 最大震度1
2013年6月3日14時56分頃 茨城県南部 M3.9 深さ約70km 最大震度2
2013年6月4日6時59分頃 千葉県東方沖 M3.3 深さ約10km 最大震度1
2013年6月4日9時13分頃 茨城県北部 M3.4 深さ約60km 最大震度1
2013年6月4日13時9分頃 茨城県北部 M3.9 深さ約10km 最大震度2
2013年6月4日16時45分頃 千葉県東方沖 M4.1 深さ約10km 最大震度2
2013年6月4日19時52分頃 千葉県北西部 M3.6 深さ約80km 最大震度2
2013年6月5日4時24分頃 茨城県南部 M3.4 深さ約80km 最大震度2
2013年6月5日7時59分頃 千葉県南東沖 M4.2 深さ約50km 最大震度1


この間の震度4以上またはM5以上の地震は以下のとおり。
2013年6月4日17時33分頃 福島県沖 M4.8 深さ約40km 最大震度4


海外ではこんな地震も。
2013年6月2日14時43分頃 台湾付近 M6.1 深さ約10km 最大震度1
他に、1日から2日にかけては、フィリピンでM5級の地震が相次いでいて、被害が出ているらしい。


今回は、本当にメモ程度で。
posted by nbm at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする