2014年11月28日

ムーミン谷へ



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7月から第2期が放映されているアニメ『ヤマノススメ』は、主な舞台が飯能市になっている。
飯能は度々訪れているのだけれど、10月のとある週末に入間・飯能方面へふらっと出かけてみた。
目的地は2つ。入間のジョンソンタウンと飯能のあけぼの子どもの森公園。
放送されたばかりの「二十合目 ここなの飯能大冒険」では、ここなちゃんが飯能市内を歩きつつ、観光ポイントを案内してくれるわけなのだが、あけぼの子どもの森公園の分量が多め。
図らずも、先んじて聖地巡礼をしてしまったことになる。

先にジョンソンタウンに向かうも、この日はなんと年に一度の入間のお祭りの日で、駐車場はどこも満車、市内は大渋滞……祭り用の特設駐車場はあったのだけど、バカみたいに料金が高い。ロクに下調べしてこなかったのが悪いので、残念だけどジョンソンタウンはまたの機会に訪れることにしてスルー。
ちなみに、ジョンソンタウンというのは、米軍のジョンソン基地(現 航空自衛隊入間基地)があった当時の米軍ハウスが残っている区画で、カフェや雑貨店などがあるのだが、米軍ハウスの佇まいがかわいらしいので、その町並みが観たいと思って行ったのだけど。
朝霞にもかつてキャンプ・ドレイクというのがあり、その跡地が高校の通学路に面していたので、フェンスを隔てた向こう側がアメリカという奇妙な感覚は覚えている。当時はすでに米軍から返還されて久しかったけれど、まだ建物が残っていたり、本国から持ち込まれた植生の違う植物が生い茂っていたりした。雰囲気が日本じゃないので、映画やドラマのロケにも使われていたくらいだ。そんな懐かしさもあって、ジョンソンタウンを目指したというわけ。
諦めて、あけぼの子どもの森公園に向かう。遠回りだけど、渋滞を回避しつつ入間基地の周りをぐるりと迂回して行ったので、途中、自衛隊機が着陸態勢で超低空を飛んでいるのが見えてかっちょよかった。もうすぐ航空祭という時期でもあったので、また入間の街は超混雑することになるだろうなと想像。

自分の中では、あけぼの子どもの森公園がメインでジョンソンタウンはついでと思っていたので、まぁいいや。
公園に近づいてくると、駿河台大学の三角屋根のタワーが見えてくる。
手前には、ちょっと珍しいホッケー場があって、学生さんがスティックを持って練習中。
公園入口には小さな山小屋風の建物があり、お土産品を売っているのだが、ムーミングッズが目白押し。
そこから少し坂を登った先が公園になっている。
そう、あけぼの子どもの森公園はムーミンの世界をモチーフにして作られている。あくまでもそれっぽいということで、ムーミン谷が再現されているわけではないのだけど、ムーミンやスナフキンやミイやニョロニョロが住んでいそうなファンタジックな雰囲気が醸し出されている。
坂道には可愛らしい照明が付いているのだが、公園は夕方には閉園となってしまう。日が暮れてからの景色もなかなか面白いと思うのに、残念なことだ。
不思議な形状をした建物がいくつかあって、写真のムーミン屋敷が特に印象的。これは、ちょっと離れた丘の上の見晴らし橋から撮った写真。中に入ることができ、階段でぐるりと上まで上がることができる。木のぬくもりが伝わってくるのと同時に、家具や暖炉など生活を感じさせるものが配置されているし、何に使うのか想像するのが楽しい小さな小部屋があったり、外階段に通じるドアがあったり、迷路とまでは言わないが、複雑な作りは子どもならワクワクしながら家の中を探索して回るに違いない。
子ども劇場の建物は、中が広くて遊び場になっている。複雑な作りで、外階段から降りると水が湛えられた石積みの空間、上に登れば石橋、内側は木のぬくもりが感じられる円形の広間になっている。
森の家はムーミンに関する展示と小さな図書館。外観は、全面長い丸太が2階部分を経て屋根まで達している。この図書館には絵本が置いてあるのだけど、椅子に座った子どもたちは絵本そっちのけでスマートフォンをいじっているという……なんという情緒の無さよ。ここなちゃんのように絵本を読みなされ。
本来は、裏山を登ることができたようなのだが、大雨が降ってから崖崩れが発生しているようで立ち入り禁止になっていた。
池のほとりの水浴び小屋という小さな桟橋のような建物は、スナフキンが釣りをしていそうな場所。
そんなに広い公園でもないが、じっくり見て回るとけっこう時間がかかる。

噂を聞きつけて、こんな辺鄙な公園に県外から観光に来ているような人たちもチラホラ。
あけぼの子どもの森公園は、阿須運動公園の一部なのですが、私達が行かなかった道路を挟んで向かい側にも公園が続いていて、古代広場というのがあり、アンモナイトの水道やアケボノゾウとかステゴザウルスが半分埋まったようになっていたはず。
遠くから訪ねてくる方にとっては、ガッカリポイントかもしれないが、県内からちょろっと車で訪ねるぶんには面白い公園だった。特に、小さなお子さん連れだと楽しめるのではないかと思われ。
この週末あたりは、『ヤマノススメ』のせいで大きなお友だちが大挙して行くかもしれませんが(笑)
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2014年11月19日

2014年11月5日からの地震メモ

2014年11月5日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に近県の有感地震は以下のとおり。
2014年11月5日9時21分頃 茨城県沖 M3.4 深さ約50km 最大震度1
2014年11月5日14時57分頃 茨城県南部 M3.4 深さ約50km 最大震度1
2014年11月5日18時27分頃 父島近海 M4.6 深さ約50km 最大震度1
2014年11月7日23時12分頃 房総半島南方沖 M3.3 深さ約40km 最大震度1
2014年11月8日5時53分頃 茨城県沖 M3.9 深さ約30km 最大震度1
2014年11月9日21時17分頃 茨城県南部 M3.2 深さ約50km 最大震度1
2014年11月10日11時49分頃 千葉県北西部 M2.8 深さ約50km 最大震度1
2014年11月12日9時53分頃 茨城県南部 M4.7 深さ約70km 最大震度4 (当地 震度2)
2014年11月12日20時4分頃 八丈島東方沖 M4.9 深さ約70km 最大震度2
2014年11月13日9時57分頃 茨城県北部 M3.1 深さ約10km 最大震度1
2014年11月13日14時49分頃 茨城県沖 M3.4 深さ約50km 最大震度1
2014年11月14日0時56分頃 茨城県北部 M3.8 ごく浅い 最大震度1
2014年11月14日2時57分頃 茨城県北部 M3.1 深さ約10km 最大震度1
2014年11月14日19時5分頃 栃木県北部 M2.2 深さ約10km 最大震度1
2014年11月14日20時57分頃 茨城県南部 M3.5 深さ約50km 最大震度1
2014年11月19日2時8分頃 栃木県北部 M2.6 深さ約10km 最大震度1

この間のM5以上または震度4以上の地震は以下のとおり。
2014年11月8日8時54分頃 宮城県沖 M5.1 深さ約40km 最大震度3
2014年11月12日9時53分頃 茨城県南部 M4.7 深さ約70km 最大震度4 (当地 震度2)

海外の主な地震。
2014年11月15日11時32分頃 インドネシア付近 M7.3

今年もあとひと月半ほどとなり、この1年溜めてきた地震データをあらためてみてみました。
私が拾っている関東近県の有感地震だけでも460件を超えています。単純計算で月38回、関東で1年に500回ほどの地震が起きていることになります。
この1年のデータを見ていましたら、ちょっと気になることが。
今年の7月から、茨城県南部で有感地震の規模が大きくなっています。今年の前半は千葉県北西部が活発でしたが、少しポイントが北にズレた感じです。
断続的に活発な活動が見られる場所なので、珍しいことでもないのですが、活発な状態の最中にあると言えそうです。
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2014年11月18日

骨折から3ヶ月

骨折から3ヶ月以上経ちました。
左肘関節の外側にある橈骨の先端が折れ、橈骨が若干関節からはずれかかったような状態です。
この橈骨のズレは、手術で角度を元通りに治すことが難しく、手術することで起きる様々な弊害も予想されることから、手術をせず保存療法で様子を見て、どうにもならなかったら手術するしかないと思っていました。
現在も週2回はリハビリに通っていますが、骨折部分は完全に再生し、骨折時以上のズレもなく、順調に回復しております。年数が経って支障が出てくる場合もあるとのことですが、今のところは手術はなしでいけそうです。

リハビリの目安となるのが、動き・痛み・筋力の3つの側面。それぞれの現状を書いておきます。

現段階での動きはというと
屈曲 140°(145°)
伸展  −5°(  0°)
回内  90°( 90°)
回外  90°( 90°)
こんな感じでございます。
「屈曲」は、腕を曲げたときの角度。水平に腕を伸ばした状態を0°として、曲がる角度。
「伸展」は、腕を伸ばしたときの角度。水平に腕を伸ばした状態を0°として、伸ばしきれない分がマイナスで評価されます。
「回内」は、小さく前へならえをした状態から手首を下に回転させる角度。
「回外」は、小さく前へならえをした状態から手首を上に回転させる角度。
()内が理想の角度ですが、限りなく近づいてきました。
見た目としては、ほとんど問題ない程度には動いていることになりますが、これは角度を測定するために目一杯曲げ伸ばし回転させて計測したもので、実際はそうでもなく……
目一杯やれば自力で動くということは、関節の可動域は確保できていることになりますが、これを自然に動かすこととは別物で、まだ痛みもありますし、関節がゴリゴリポキポキいったりギクシャクしたりします。可動域が確保できている以上、あとは主に筋力の問題。
痛みというのは、骨の痛みというよりは、硬直してしまった筋肉や筋・腱の痛みです。骨折箇所そのものが痛むことは少なくて、その周辺の筋肉や筋が動きによっては固まったままはがれなかったり、筋肉が突っ張ったりするわけです。
動きの点で一番の問題だったのが、「回内」。怪我をしていない右手は90度以上回ります。135度くらいでしょうか。左手もそのくらい回っていたはずで、本人としてはそれを目指したいのです。しかし、一般的には90度、つまり肘を曲げた状態で手のひらが真下を向くことができればOKという判断らしく、問題無いと見なされます。肘を伸ばせば、180度近く行きますが、肘を伸ばした状態では肩の動きも加わっているので、肘の動きがやはり悪いということです。90度回転できているので、キーボードを打つのに支障はありませんが、長時間やると左肩が異様に凝ります。どこかに変な力が入っているのですよね。
面白いのが、腕を前や下に伸ばす分には伸びるのですが、後ろや上に伸ばそうとすると伸びずに痛みもあります。それ故に、例えば長袖の服に右手から袖を通して後から左手を袖に通そうとすると非常に痛い。これも筋力さえ付けば解決していくことだと思いたいです。

痛みはというと、肘を伸ばしきるときや曲げきるときには肘関節が痛みますし、思い切り回内・回外させるときにも痛みます。
重いものを長く持ったり、持ったまま肘関節を動かしたりする時も痛みます。
もうひとつは、手首の問題。骨折したのは肘関節ですが、ギプスをはずした当初から手首も痛くて、この痛みが怪我をしたときに痛めたものなのか、ギプス固定による拘縮によるものなのか判断がつきませんでした。
どちらも痛みの原因だったのかもしれませんが、ここにきてやはりTFCC側に圧痛があることがわかり、やはり怪我をしたときに手首も痛めたようです。TFCCとは、手首の外側の小指側の手首の付け根あたりにある軟骨で、ここを損傷すると痛みが長引いたり厄介らしいです。ただ、TFCCを損傷したときに特徴的なこう動かすと痛いという角度があるのですが、それがあまり痛くなくて、TFCC自体を押したときには痛みを感じるという具合で、まだ手首の痛みにはナゾが多いです。手首を内側や外側にに曲げるときに痛みが強く、手首全体が痛みます。これが、その時に寄って、手首を曲げる角度と痛む箇所が変化してしまい、どうにも原因が特定し難いのです。
こんな状態なので、体重をかけて左手を付くことがまだできません。無理に付くと、「ボキッ!」と手首が派手に鳴ります(笑)痛いです。
前回の診察で主治医が、「ぼくもそうなんだよね」とのたまい、びっくり。今まで手首の痛みを訴え続けてきましたが原因がわからず、いつも「なんだろうねぇ?」と首をかしげるばかりだったこの主治医。高校生の頃に手を強く突いたことが原因で手首に痛みがあるという症状が長引いているとのこと。おそらく原因は軟骨で、手術をすれば治ると思うけどしていない、と。私の手首も、この主治医と同じ状態なのかも。今まで一言もそんな話が出なかったので、「先生みたいに長引かないといいなぁ」と言ってやりました(笑)先生は笑ってたけど。でも、言うことはいつも簡潔でわかりやすく、知識も豊富だし、感じのいい良い先生です。
余談ですが、私は意外と「わからない」と言う先生を信頼します。テキトーな判断で無理にでも解決しようという医者よりはマシだと思うからです。もちろん、原因を追求しようとする姿勢は大事ですけどね。患者といっしょに「わからない」と悩んでくれる姿勢を評価しているのかもしれません。

さて、今の最大の課題は筋力です。
上記のように可動域という点での動きにはほとんど問題がなくなってきましたが、実際に使うとなるとまだまだ。
左腕は右腕に比べて一回り細く、筋肉が落ちて全体的にポチャポチャとやわらかくなってしまってます。たった3週間のギプス固定でこの体たらく。これを元通りにするのには、一般的に1年かかると言われているそうで。
また、握力もひどく、ギプスを外した2週間後に計ったときには、左手は8kgしかない状態。今も、16kg程度。右手は倍の30kgほどあるので、これに近づけるように頑張るしかないです。
当初は、500mlのペットボトルに水を入れてダンベル代わりにしてましたが、負荷をかけるために1kgのダンベルを購入してそれを使ってます。いろんな角度での肘の曲げ伸ばしや、回内・回外の運動をダンベルを持ってやります。どう動かすとどこの筋肉が動くのか、確認しながらやってます。
ゴムバンドも使い始めました。幅広のゴムバンドで負荷をかけつつ回内・回外の運動をします。リハビリ用の専用のゴムバンドは病院でも売ってくれるとのことでしたが、家にあったゴムバンドを使ってます。
それから、グリッパー。当初は、グリッパーは反動が硬すぎてオススメできないという話も聞いたのでウレタン素材のボールをニギニギしていたのですが、段々と負荷を上げていかないといけないので、15kgのグリッパーを購入。
筋力トレーニングは、状態に合わせて負荷を上げていく必要があるので、使うグッズも変えていかねばなりません。治療費やリハビリ代もかかってますから、ここは節約。ほとんど百均で購入してます。ゴムバンドは、当初サポーター代わりに手首に巻くために買ったマジックテープ付きの結束バンドのようなものを転用。ゴムが伸びちゃっても百円だし。黒い平ゴムも百均で売ってますが、握ると手がゴムくさくなりそうなので。グリッパーは、○イソーのものはプラスチック製で固く、デザインもかわいくないので却下。○ーツのものはウレタンが巻いてあるし、デザインもかわいいのでそれを購入。どうせならかわいいもので楽しくやりたいし。
1kgのダンベルは百均にもあることはあるのですが、大きすぎて使いづらそうなので、コンパクトなもので300円くらいのセール品を買いました。
それらを常にテーブルの上に置いておいて、時折手にとってはトレーニングしてます。
まだ加減がよくわからず、頑張りすぎては筋肉痛や筋や骨の痛みが出て、少し日を置いてまたチャレンジという具合。元通りになるまで1年というのを聞いてから、焦っても仕方ないと思うようになりました。左手を休ませるインターバルのついでに右手も鍛えてます。

そういえば、ひどかった肘関節の浮腫みもいつの間にかなくなってますね。
左手に体重をかけたり重いものを持ったりしてはいけないという注意も解除され、手首の問題で体重をかけることはできませんが、重いものは持ってます。ただ、寝ている状態から起き上がるのに、まだ左手が付けません。
日常生活では、3食きっちり作っている身としては、鍋やフライパンを傾ける動作ができなかったのが辛かったですが、なんとかできるようになりました。盛り付けがやりにくかったんですよね。
ふきんを絞るとか水道の水栓をひねる動作も辛かったのですが、それもできるようになってきました。
回内が90度まで行ったことで、キーボードが打てるようになったのは大きいですが、自転車に乗れるようにもなりました。
まだまだ複合的な動きにはぎこちなさや痛みが伴うこともありますが、日常生活に支障がないレベルまでにはなってきました。
療法士さんによると、同じ箇所を骨折した例からすれば、かなり動きが良い方だという話です。
療法士さんといえば、私がリハビリに通う病院では10人ほど療法士さんがいるのですが、担当が決まっているわけではなく、毎回やってくれる人が違います。毎回状況を一から話さないといけないし、療法士さんによって見解が違ったりするので、このシステムはどうなんだろうと疑問に思っていたのですが、療法士さんによって違うことを言ってくれるのが勉強になったりすることもあり、今はこのシステムでよかったかなと思います。それぞれがよく話を聞いてくれて、その都度最適と思われる対応をしてくれるので感謝しています。みなさん感じが良く、嫌な人が一人もいないのですが、よくよく考えたらすごいことですよね。

だいぶ寒くなってきたというのに、衣替えがまだです。
重い衣装ケースを動かすことを考えると躊躇してしまって。なんとか取り出せる範囲のもので誤魔化してきましたが、そろそろ限界。天袋の衣装ケースを上げ下ろしするとか、ダンナさんの手を借りないと無理な部分もありますが、いい加減にやらないとな。

長々書きましたが、自分の記録用でもあるので、ご容赦ください。
毎日の変化や診察・リハビリの内容などは小さなノートにまとめてます。経過を記録することで見えてくることもあるかと思って。この記事もそんなことの一貫です。
タグ:肘関節骨折
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2014年11月13日

暇つぶしの3冊

病院でのリハビリに通う中、待ち時間は読書時間に当てるため、読む数がいつもよりも多めです。

『明日の子供たち』 有川浩
児童養護施設を取り巻く実情と、そこに暮らす子供たちの気持ちを教えてくれる1冊。
同じ児童養護施設を扱っても、施設内の虐待など脚色されたテレビドラマと実情は違うと主張していて、この本を読んだ実際に施設で育った方の感想を聞いても、この本で描かれていることは自分の経験してきたことそのままだと肯定されているので、児童養護施設というものが正しく描かれているのではないかと想像する。
物語は新任の先生が入ってきた時点から始まり、彼の視点が一般の外部の人間の視点に代わってくれている。そして、物語が進んでいくうちに彼が施設や子供たちの心情について理解していき、こちらも理解していくことができる。「先生」といっても、なんら資格は必要ないのだそうだ。ということで、彼は元営業マンである。
施設で暮らす子供たちはもちろんのこと、職員である先生たちの葛藤や、退所後の子供たちを大人になっても支援してくれる施設についても描かれている。
章ごとにフォーカスする人物が違い、それぞれの過去も含めて、最後にはカタルシスが得られるような展開になっている。ご都合主義が過ぎる部分もあるが、そこはお話。悲惨な展開になりやすい題材だからこそ、このくらいご都合主義でもいいかなと私は思う。なので、読後感は良い。
小さな2つのエピソードが印象的だった。施設で育った子供が知らなかったこと。ひとつは、カレーは大鍋でたくさん作って何日も食べ続けること。もうひとつは、道端で香るキンモクセイの花について。
親が子供に食事を作ってくれる家庭なら、カレーが数日続くという経験は当たり前のことかもしれない。でも、親が学校に行かせずに家事の一切をさせられていた子供は、それを知らなかった。親は食事を作らず、施設では毎食別の食事が出てくるからだ。カレーが数日続くとは想像もしないだろう。
別の子は、キンモクセイの香りはトイレの芳香剤の香りだと思っていたという。なぜに道端でトイレの芳香剤の香りがするのか不思議だった、と。身近な大人が、キンモクセイの花の存在や香りを教えてくれる機会がなかったということで、些細な事を教えてくれる大人が居なかったということを象徴している。
今、私は母との関係を断絶しているが、最近は母と自分とのことを多少冷静に考えられるようになってきた。自分の子供の頃を思い出してみると、共働きの家庭で育ち、歳の離れた兄二人はすでに自分たちの生活があったため、私はほとんど放置されて育った。当時は学童保育などなかったし、幼稚園の頃から家で一人で過ごしていたが、現代でいったら軽い「虐待」と言われても不思議ではないかもしれない。とにかく、小さい頃から家の中で一人で過ごすことが多かったのを覚えている。そんな環境だったためか、自己完結することを覚え、誰かに手を借りるということはなるべくしないように意識しながら育った。今でも人に甘えることには抵抗があり、下手くそだ。
キンモクセイの話じゃないが、細かいことを親から教えてもらった覚えがあまりない。私の気むずかしい性格のせいもあり、親の方も持て余していたのかもしれないが。ただ、父には休みの日によくイベントなどに連れて行ってもらったことは覚えている。大体は父の趣味に偏ったイベントで、幼少期にもかかわらず、ポンペイ展で火山灰に埋もれた人の模型を観たり、爬虫類展で蛇ののたうつトンネルをくぐったり、西新宿の高層ビルに上ったりという具合だったけれど。そして、出かけた帰りには必ず分厚い本を買ってもらい、家で一人過ごすときはその本を繰り返し読んでいた。
母の意識のほとんどは、先天的に心臓に欠陥のあった長兄に注がれていたし、次兄と私は父に育ててもらったようなものなのだ。その父も、単身赴任が多く、家にはほとんど居なかった。もちろん、母も育児放棄というほどはひどくなかった。ごはんも食べさせてもらい、養ってもらい、欲しい物を買ってもらい、大学まで出してもらった。なので、私は経済的には恵まれて育った方だと思う。でも、例えば「いきなり左目だけ見えなくなる」とか人がかからないような珍しい症状を時折訴える私に対しては、母は心配するより「また珍しい病気にかかって」と愚痴を言っていた。
ただ、今になってよくよく振り返ってみると、本当に放置された割に勝手に育ったものだと自分で自分に感心する。母からは、「あれでよくグレもせずにまともに育ったわね」と度々言われたものだが、今まであまりピンときていなかった。今回、母との関係性を考えているこの時期にこの本を読んだことで、あらためて母との関係が元々希薄だったことに気付かされた。私は常識的なことに疎い自覚があるのだけれど、常識にこだわらない性格のせいでもあると思うが、キンモクセイのエピソードと同じように、自分も身近な大人から細かなことを教わる機会が少なかったからなのかもしれないと思い当たった。
親子関係は千差万別。自分がこうなってみて、家庭環境に恵まれないで育つということに、少しは現実味をもって考えられるようになった。著者は、この本で児童養護施設の実情と、入所している子供たちや施設の出身者の心情について啓蒙しようとしているのだと思うが、ひとりでも多くの人にこの本を読んでほしいと私も思う。世の中、良好な親子関係ばかりではないのだから。

『現役鉄道員”幽霊”報告書 幽霊が出る駅、路線……教えます!』 氷川正
センセーショナルなタイトルに踊らされて、ついつい読んでしまう(笑)学研から出版されていて、「MU NONFIX」というシリーズらしいので、あの月刊「ムー」の関連書籍なのだろう。
タイトルは煽り過ぎで、ほとんど具体的な路線や駅名は出てこなかった。ただ、現役の鉄道員が鉄道事故や人身事故について様々に語ってくれる内容には興味深いことも多く、オカルト目当てでなければ鉄道員の実録ものとして面白いと思う。内容が内容だけに人身事故の細かな記述が多く、グロ多め。耐性のない人には、文字だけとはいえ少々キツい。
葬儀関係者、医療関係者、警察、消防といった人の死に接するのが当たり前の仕事というわけでもないのに、不運にも有無をいわさず人の死を目の当たりにすることの多い鉄道員という仕事。
著者は、自殺者が纏う黒い靄のようなものが見えるといい、実際に何件もの人身事故を未然に防いで表彰されている。定年まで3回あれば多いというその表彰を、5年で15回受けているという。ただ、一度救った方が直後に隣駅で飛び込んで亡くなったりというようなこともあり、防ぐのがいいのか悪いのかはわからないとも語っている。
なかなか探し出せなかった女性の遺体の右手が落ちている場所を4日前に正夢で見ていたということもあったし、数日前にとある駅で自殺したはずの男性が線路脇の空き地に毎日佇むのを見かねて近づくと自分の右足が落ちているのを教えていたとか。これらは著者本人の体験で、なかなか興味深い話だ。
鉄道うんぬんは関係なく、著者自身の体験で面白いことが書いてあった。著者の友人が自殺をほのめかすことを繰り返し、ついには本当に自殺してしまったという。事前に、死んだら死後の世界について教え合おうと約束していたので、亡くなった友人が教えてくれたという話。自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で亡くなった場合、天命の年齢になるまで現世にとどまることになる、と。死者が情報交換し合うために集まる場所があり、そういう所が現世との接点になっているという。それが生きている人間から”心霊スポット”と呼ばれるわけだ。もうひとつ、生前に行った場所ならどこへでも行けるらしい(笑)
事の真偽は確かめようがない。でも、今までたくさんのオカルト関係の情報に触れてきたが、ここまで具体的に死後の世界について語ってくれているのは初めて聞いた。単純に、面白い。
オカルト関係の記述でいえば、もうひとつ興味深かったことがある。死に近い人に黒い靄がかかって見えるという著者だが、チューニングの合わせ方というか、よく見るためのコツは何かというと「擬態する昆虫を見つけるようなもの」と言っている。幽霊らしきものを「見た」という人の中には見え方について、例えば「暗くて見えないはずなのにはっきり顔が見えた」などと興味深い報告をしてくれることがあるが、そういった話を聞いていると、どうやら単純に目で見ているわけではないらしいと想像できる。それがどういうことなのかはわからないが、物理的に光が当たって見えているわけではなく、心眼といったらいいのか、なんらかのイメージを脳が受け取っていて、それを脳内の情報で補完して「見た」と感じるという感覚。それを幻覚というのだと言われれば、おっしゃる通りと言わざるをえない。が、ここで反証となるのは、複数が目撃している場合や、その見え方がそれぞれ微妙に違う場合だ。こういったケースが一番興味深い。なんらかの病気や思い込み・見間違いと否定するのは簡単だが、自分も体験している以上、こういった現象が何なのかを知りたいという気持ちが強い。
さて、オカルトの話ばかりでなく、人身事故で被害者・自殺者の家族に請求される賠償金の額や内訳なんてことも解説されているし、他にも知らなかったことがいくつか。例えば、死亡の診断は歯科医でもできること、検死後に見つかった遺体の一部はごみ扱いされてしまうことなど。特に、私は「社会死」という表現を知らなかったのだが、勉強になった。医師の診断が待たずとも、客観的に見て死亡していて蘇生不可能とわかる状態を「社会死」というのだそうで。それと、ICカード乗車券、関東でいうところのsuicaやpasmoは振替輸送に対応していないこと(定期券は可)。通勤で電車に乗るということを長いことしていないので、知らなかった。もはや定期券の買い方さえわからないけど(笑)
オカルト本としては今ひとつだが、鉄道事故や人身事故の周辺のことは詳しく書かれているので、別の意味で収穫があった本。

『冒険図鑑』 さとうち藍 著/松岡達英 絵
私は図書館の新刊の棚で見つけて読んだのだが、イラストや内容が少々古いと思ったら、1985年に出版された本だった。図書館に新たに入れば”新刊”ってことなのね。今の新常識とは違う古い情報も乗っているので注意が必要だけど、全般的にはアウトドア入門書みたいな感じで好印象。
靴のひもの通し方から、料理のコツ、星の見方、天気の読み方などなど、アウトドアについての基本を教えてくれる本。イラストが多めでわかりやすく教えてくれるのはよいのだが、きのこや薬草はさすがに写真の方がわかりやすい。
「雨の日の過ごし方」なんて項目があって、ちょっとしたゲームなんかを提案してくれているのだけど、室内だと片時もゲーム機を手放さないような今の時代の子供たちでも、面白いって思ってくれるんだろうか。
おそらくは、実際のアウトドアに携帯していくことを考えて作られているのだが、一番感心したのは巻末に自分の身体のいろんなサイズを記入しておこうというもの。子供なら成長するにつれ変化していってしまうだろうが、大人でも自分の身体のサイズを知っておくと便利なこともある。てのひらを広げたら横幅が何センチとか。
私自身は、四駆で林道を走り回っていた(ダンナさんの助手席)ことはあるが、キャンプの経験はほぼ皆無。ガソリンランタンの点火もおぼつかない。
先日、ダンナさんが運転する車でとある河原を彷徨ったのだけど、昔林道を走っていた頃を思い出す。ところどころぼこぼこに深い穴や水たまりになっているじゃり道を走る。車は四駆ではない。でも、そこは昔とったなんとやらで、車のライン取りも大体把握できるし、それによって自分の身体をどう操ったらよいのかも心得ている。助手席とはいえ、気を抜くとサイドガラスに頭をぶつけることになる。ましてや、シートベルトは4点でなく3点だし。助手席とはいえ、車が進むコースを読んで、膝のクッションを利かせて衝撃を吸収する動きは必要。かつて四駆で走っていた頃は、助手席でさえ全身が筋肉痛になったものだ。不思議なのは、ダートを走ると猛烈にお腹が空くこと。たぶん、振動で消化が促進されてしまうのだろうと思う。みんなで走っていた頃、「酔いそう」と事前に食べることを拒否したり、コンビニでの買い出しを控えめにする初参加の人には、「いや、絶対にお腹が空くから!」と食べることを勧めたものだ。この日も河原から抜け出すと無性にお腹が空いて、最初に見つけたコンビニに入りスナックに齧りついた(笑)
この夏、甥を山に連れて行ったダンナさん。甥は、ダンナさんの運転する車で山頂まで登り、降りてきた。山道を車で登り降りする経験などしてこなかった甥には、かなりショッキングな体験だったらしい。そりゃあそうだ。かつてキチガイみたいなスピードで林道を走っていたのに比べれば、相当ソフトな走りだったはずだけど。同世代の友達の車の助手席で街乗りばかりでは体験できないことだったろう。
やってみなければわからないことは、やってみた方がいい。それがどんなことにつながるのかはわからないけど。
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2014年11月08日

注意深く考える3冊

今回は、ちょっとカタめの3冊。

『考える練習』 保坂和志
まだこの方の書く小説を読んだことがないのだけれど、とある別のエッセイをパラパラと読んでみたら共感する部分があった保坂和志さん。タイトルも面白そうだったし、読んでみた。
大和書房のWebサイトで連載されたもので、編集者がインタビューする対談形式になっている。
内容は、うちでダンナさんとこっそり話していることと重なる部分が多く、やっぱり考えていることが似ていた。
今の時代、結論だけを求める人が多数派だ。わからないことはインターネットで検索したり、質問箱で質問したりして、すぐに簡単に答えを得ようとする。結論まで行き着く過程は必要がないと見做される。つまり物事を「考えていない」「考えようとしない」わけだ。「考える」ことには、時間というものが必要なのだ。
この本では、結論までの道のりではのらりくらりと彷徨い、挙句、結論まで辿りつけないことだってままあることを教えてくれる。論理的な思考を感情が邪魔することもあるし。大体、自分の中で、思考と感情とを切り離すのは難しいけど。
思考のエッセンスだけ吸収するなんてことはあり得ないわけで、考えるっていうことは、すごく寄り道も多いし、行き止まりにぶつかることも多い。そうやって何度も修正を積み重ねていかないといけない。
つじつまがあう必要もないんだよ。

テクノロジーの進歩で人間の能力が衰退していくことや、経済活動に重きを置いた社会に流されてしまいがちであることや、もっと細かいテーマも様々に語られていく。
どうやったら「考える」ことができるようになるか。この本にはヒントは書かれているけど、あえてここには記さない。結果を求めて検索でこの記事に辿り着いた人がいたとしたら、ここで答えを書いても何の答えにもならないから……
でも、文学がなぜに必要なのかという問いへの答えは記しておこう。
少なくとも、文学に日々接していれば、ひとつの軸だけではものを語れないっていうことはわかる。世界を見る目がひとつだけでは世界は見えないってことはわかる。正解なんてないんだっていうことを身にしみて感じる。単一の世界像みたいなものは幻想だってことを知るのが文学に接するということだよ。
だから個人個人にとっていちばん過酷なのが文学なんだ。容赦がない。妥協もない。
「俺にわかるように言え」って人たちは、とにかくひとつの答えだけ言えって言ってる。だけど文学は、「答えはない」ってことを言っている。

近年、「わからなくても読む」読書の面白さに目覚めてきたところだったので、特にこの部分には激しくヘッドバンギングするほど共感する。今なら、何度もチャレンジしては放り投げたカフカも読めるかも。
逆説的に言えば、今の世の中、物事を考えてはいけないのだ。考えず、利益や効率だけを追求していけば、お金に困ることはないだろう。たとえ自分の中が空っぽだったとしても、それはそれだ。経済的に恵まれることと、物事をじっくりと考えられることは、同時に達成するのは難しいらしい。どっちを取るか、だ。

『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』
 冨田恵一
ドナルド・フェイゲンの名盤「The Nightfly」(1982)。実質ウォルター・ベッカーとの二人組だったスティーリー・ダンとしての活動を休止したドナルド・フェイゲンが制作した初のソロ・アルバム。初めて完全にデジタル録音で収録された作品と言われているこのアルバムの、主に録音方法について事細かに書かれた本。作者は、「冨田ラボ」の中の人。キリンジとか椎名林檎とか木村カエラとかをプロデュースしている音楽プロデューサーだ。ということで、日常的に楽曲の録音という作業をしている立場の人が書いた本なので、臨場感があるものになっている。
ちなみに、冨田ラボについては、3枚めのアルバム『Shiplaunching』(2006)だけ持っている。バラエティに富んでいてとても良いアルバムなのだが、これを聴いて、冨田さんはスティーリー・ダンとか好きなんだろうなと思っていた。特に、プロデュースしているキリンジなんて、モロに影響されている音に聴こえると思っていたけど、やはりかなりスティーリー・ダンが好きな人だったのだなとこの本を読んで納得。
「The Nightfly」は私が世の中で一番好きなアルバムで、これまで何度聴いたかわからない。レコードを買ったときにもらったジャケ写のポスターは、女子高生だった私の部屋に飾られた後にも先にも唯一のポスターだ。ネクタイを緩めたおっさんDJ(フェイゲン)がラジオブースのターンテーブルを前に煙草をくゆらせている図。色んなタイプの音楽が溢れていた80年代だが、なにしろ衝撃的なアルバムで、その衝撃は数十年が経った今も色褪せない。
スティーリー・ダンの活動休止直後からフェイゲンはこのアルバムの制作に入る。曲を作るのに半年、レコーディングから仕上げまで1年かかったという。アルバムは全8曲。時間にすれば、40分足らずのこの作品に、週5日で1年……気の遠くなるような作業をやっていたことは想像に難くない。制作中からだったのかどうか定かでないが、アルバム録音後のフェイゲンは精神を病んでいたらしい。いろんな要因はあったろうが、アルバム制作で精神が疲弊したことは言うまでもないだろう。
マイケル・ブレッカー&ランディ・ブレッカー(テナーサックス)、ラリー・カールトン(ギター)、マーカス・ミラー(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)などなど、名だたるミュージシャンがバッキングに参加している。
チョッパーが売りのマーカス・ミラーに一切チョッパーをさせなかったり、1台のピアノで左手と右手を別々の人に弾かせたり、ドラマーの右手で打った音と左手で打った音を混ぜて使ったり。こだわりを挙げればキリがない。音の切り貼りと言ってしまえば簡単そうに聞こえるが、常軌を逸した完璧主義の切り貼りが行われたわけだ。耳を澄ましてもよく聞き取れないような細部にも、こだわりの音が隠されている。
当時、ひとつひとつの楽器の音や音の成分・バランスなど意識して聴いていなかった私だったが、相当に複雑な作りであることだけは理解できていた。それでいて、聴いている人間には自然に聞こえ、ただ単に心地よい音楽にしか思えないところがすごいところなのではないかと思う。
1曲ごとの細かな解説が書かれているのだけれど、初っ端の「I.G.Y.」からして衝撃的な事実が私に告げられる。「I.G.Y.」はレゲエ……あれほど聴いてきたというのに、この曲がレゲエのリズムだとは思わなかった。いや、耳にレゲエのリズムは聞こえているはずだけれど、この曲はレゲエの曲ではないと思い込んでいた。というか想像もしていなかった。こんな当たり前のことに気づかないなんて……自分で自分にびっくりだ。しかし、それくらいさりげなく複雑なリズムやメロディーが重なりあって作られている楽曲なのだという証拠。ということにしておこう(笑)
最後の曲「Walk Between Raindrops」は、もうアルバムが完成かと思われるような時期に突如付け加えられた曲ということだった。当時のレコードという形態では、曲順やA面・B面にどう曲を配するかということは重要だったし、「The Nightfly」のようなコンセプトのはっきりしたストーリー性のあるアルバムなら尚更だ。この曲が追加されたことで、アルバムは綺麗に収められた感じがする。この曲、大好きだ。雨がテーマなのにとても明るい。短めでサラリと終わってしまうところも潔い。
語り出したらキリがない。小さなコラムでYAMAHA DX7とか出てきて懐かしかった。あの頃、猫も杓子もDX7だったよ。
録音については専門用語連発で、用語解説も細かく付いているのだけど、素人には何が何やら。しかし、このアルバムがどれだけのこだわりと注意力とその他もろもろによって練り上げられたことだけは伝わってくる。この本を読むより、良い音源で良いスピーカーで「The Nightfly」を聴いた方が早い。何よりも説得力があるだろう。本をけなしているわけじゃありません。面白かったし、勉強になったけど、このアルバムや録音技術に興味がある人でないとついていけない内容だとは思うので。

『子ども部屋に入れない親たち 精神障害者の移送現場から』 押川剛
とある番組で精神障害者の移送の実態を知った。そのとき、移送をするために対象者を説得していたのが著者だった。精神科の受診や入院が必要であろうと思われる精神障害者が素直に病院に行ってくれないことは多い。家族の手にあまるとき、第三者が介入して病院に移送するという手段が取られるわけだ。家族が何を言っても耳を貸さない対象者に、押川さんが語りかけると多少の抵抗はあるものの素直に従った。まるで魔法のようだった。何があんなにスムーズに事を運ばせるのか。何かコツがあるのだろうかと疑問に思ったので、著書を読んでみることに。
実際にあった8つのケースを紹介しながら、移送の現場が語られていく。移送という仕事を始めたばかりで右も左もわからない著者が、経験を積むごとにノウハウを掴んでいくのがわかる。
価格的には非常に高い。移送をやってくれる業者は他にもいろいろあるらしいが、基本的には警備会社と介護タクシーが合わさったようなもので、何が何でも病院まで運べば完了というスタンスらしい。押川さんはそれを良しとせず、対象者が納得した上で連れて行くことを信条とし、無理強いをしない。中には、暴れたり刃物をふりまわしたりすることもあるし、汚物にまみれた人もいる。いろんな危険性を考え、また移送に必要なカウンセラーや警備員などの人員配置などを考えると、価格は高くなってしまうという話だった。
なぜに対象者がいうことを聞いてくれるのか。これが私の疑問だったわけだが、押川さんは特に心理学や精神医学を修めたというわけでもなく、要するに個人的な経験値によるものらしい。それにはご本人曰く生い立ちが関係しているというのだけど。母子家庭で育ち、母は嘘を許さない人だったという。学生時代に友人が精神障害となったりしてから、心理学・精神医学への興味はもちろんあったようだが、親分肌の性格や、高校で恩師に教わったことなどが押川さんの基礎を作った。高校時代の恩師が教えてくれたのは、人・物・金の真ん中を意識しろということだったという。3つの要素のどこかに傾いてはいけない、と。
あとは、経験を積むために無償で移送をやった期間があり、そこでノウハウを学んでいった。
大体は、家族と性の問題が大きいという持論が展開されている。移送に行ってみると、本人よりも家族の方に問題の原因があると感じることは多いようだ。例えば、学歴偏重だったり、威圧的であったりなど。また、刃物など凶器を持ち出すのは、例えば男性なら性器の象徴のようなもので、刃物によって性的な力を誇示しようとしているのではないかという。女性ならば、男性への憧れの象徴なので、こちらが男性的に力強く対応すると言うことを聞いてくれるという。そう理解してアプローチすると説得がうまくいくことが多いとも言っている。家族間で性的なことは話しづらいし、第三者に性的な抑圧を話すことで抵抗が弱まることは納得できる。随分とフロイト的な考えだなとは思ったが、一理あるとは思う。
そして、依頼者はなぜか裕福で恵まれた家庭が多いとのこと。押川さんが求める料金を払える前提で依頼しているなら当然とも思えるが(ご本人もそう言っているし)、人・物・金でいう金に偏った結果とも取れるし、恵まれすぎた中で壁にぶち当たったときに精神が耐え切れなかったとも取れる。また、裕福な家庭では、体裁や学歴などで評価しやすい傾向も理解できる。
また、家族が厄介払いのために入院させようとか、相続や離婚など様々な事情によって病院に入れてしまおうと画策する場合も少なくないといい、家族との面談の際にはそうした事情を見抜き、依頼を断ることもあるそうだ。映画『エンジェル・ウォーズ』がそんな感じだったことを思い出す。
2000年に改正された精神保健福祉法(第三十四条「医療保護入院等のための移送」)では、本人の承諾がなくても扶養義務者の同意だけでも移送可となり、都道府県知事は緊急の場合に本人や保護者の同意がなくても移送できるようになり、また移送時に身体的拘束をできることとなったという。
都道府県知事が実行できるということは行政主導で進められるということなのだが、押川さんは現状無理なのではないかと危惧している。ノウハウもなく、自由度もなく、緊急対応もできない行政では対応できないというのだ。さもありなん。
私も昔から心理学や精神医学方面に興味がある。大学での専門は発達社会学。人が生まれてからどのように人格形成していくかという学問だったので、心理学に近い。身近で精神を病んだ人にも出会ってきた。うつ病の人は多いが、自傷や他害のケースも知っている。統合失調症と思しき友人もいた。「いた」というのは、残念なことだけれど、こちらに害が及ぶようになって関係を断ち切ったからだ。かわいそうだが、どうしてあげることもできない。彼女は私を信用していないし。
自分の心身がもっともっと強ければ、精神医学を職とする道に進んだかもしれないが、私にはとてもじゃないができない。自分でできないことだからこそ、押川さんのように実行する人に興味がある。
実際、困っている家族は多いと思う。件の元友人は、おそらく年老いた母親と2人暮らしだが、母親がいなくなった後はどうなってしまうのだろうと思うと切ない。姉がいるが、姉が面倒をみてくれることにはならないだろう。あとは何らかの施設に入るかどうかだが、はたして金銭的に可能かどうか。
認知症もそうだが、精神障害者を家族に持つと、家族の負担は計り知れない。仮にその精神障害が家族によるものだとしても、実際の生活は壮絶なものだ。お金で解決できる問題もあるかもしれないが、経済的に困窮していたらそれもできない。十代くらいのうちに解決できればいいが、精神障害は簡単に治るものではないし長期化することが考えられる。大抵、精神障害者の兄弟姉妹は非協力的なことが多いし、独立してしまえば自分の家族の方が大事だ。結果、年老いた年金暮らしの両親が世話をしていくことになるだろう。日々を苦しみの中で過ごしている本人や家族に、何かしらの救いの手立てがあるとよいのだが……
posted by nbm at 12:03| Comment(3) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

2014年10月20日からの地震メモ

2014年10月20日からの地震メモです。

千葉・茨城を中心に近県の有感地震は以下のとおり。
2014年10月20日16時36分頃 千葉県東方沖 M3.4 深さ約10km 最大震度1
2014年10月23日17時8分頃 栃木県北部 M2.4 ごく浅い 最大震度1
2014年10月23日17時13分頃 栃木県北部 M3.2 深さ約20km 最大震度3
2014年10月24日4時30分頃 茨城県沖 M4.1 深さ約40km 最大震度2
2014年10月24日19時56分頃 千葉県東方沖 M4.1 深さ約10km 最大震度1
2014年10月27日15時36分頃 茨城県南部 M4.3 深さ約80km 最大震度3 (当地 震度1)
2014年10月29日2時37分頃 茨城県沖 M3.8 深さ約30km 最大震度2
2014年10月29日23時16分頃 伊豆大島近海 M2.8 ごく浅い 最大震度2
2014年10月29日23時27分頃 伊豆大島近海 M3.1 ごく浅い 最大震度2
2014年10月30日1時9分頃 伊豆大島近海 M2.5 ごく浅い 最大震度1
2014年10月30日4時52分頃 伊豆大島近海 M2.4 ごく浅い 最大震度1
2014年10月31日19時44分頃 栃木県南部 M2.7 深さ約10km 最大震度1
2014年11月1日19時19分頃 茨城県沖 M3.7 深さ約20km 最大震度1
2014年11月1日22時42分頃 栃木県北部 M2.1 ごく浅い 最大震度1
2014年11月2日14時2分頃 茨城県沖 M4.1 深さ約40km 最大震度1
2014年11月4日5時45分頃 栃木県北部 M2.5 深さ約20km 最大震度1
2014年11月4日23時10分頃 千葉県東方沖 M4.2 深さ約10km 最大震度1


この間のM5以上または震度4以上の地震は以下のとおり。
2014年10月22日9時15分頃 沖縄本島近海 M5.5 深さ約50km 最大震度4
2014年11月3日11時28分頃 胆振地方中東部 M4.5 深さ約30km 最大震度4


北海道むかわ町で、3日から4日にかけ大量の死んだイワシが漂着。
千葉県山武市の九十九里浜には、3日、なぜかトドが現れる。
3日夜、福岡・広島・松山など西日本各地で火球が目撃される。

今回もメモのみ。
posted by nbm at 00:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする