2008年10月28日

1.0は残酷な世界さ

昨日のこと。
買い物に出かけると、店の駐車場付近で、自転車に乗ってこちらに向ってくる友人のMちゃんとバッタリ。久々だったので、しばし立ち話をしていたのですが、そのとき、どこからともなく白い雑種のワンコが全力疾走で駆けて来て、自転車にまたがったままのMちゃんに飛びつく。ハーフ・パンツ姿だったMちゃんは、ワンコの前脚の爪で引っ掻かれてしまって…私がMちゃんからワンコを引き剥がす。すると今度は、数メートル離れた所にいた、幼ない女の子を抱っこした若いママさんに飛びつく。女の子は恐怖で泣き叫んでいたので、救出に。またもワンコを引き剥がす。ふぅ…。
ヤツにとってみれば、「遊んで、遊んで!」という意思表示だったんだろうけど、見知らぬワンコにいきなり飛びつかれたら、怖いよねぇ。ヤツには殺気がなく、”遊んでオーラ”全開だったので、「コラコラ」と私は後ろから前脚を掴んで、飛びつくのを辞めさせたのですが、しばらく興奮が収まるまでは飛びつくわ、吠えるわ。一息ついてオシッコするまでは、大変でした。オシッコして落ち着いたかい?
どこかのお宅のコの綱が外れてしまったのでしょうね。首輪も鑑札もちゃんと付いてたので、ノラではなかったと思うのです。人にも慣れてたし。自由になった嬉しさの余りの行動だったと思われ…。
危なそうなワンコだったら、私も触れないんですけど、ヤツは単に嬉しくて興奮していただけに見えたので、触ってしまいました。みなさんも、もし知らないワンコに触るときには、ワンコの表情をよく観てからにしましょうね。って、フツーは触らないか…(笑)
しかし、いつものルートから行くと、店の駐車場を通ることは、私にしては珍しいのですが、なぜかそちらのルートを選び、Mちゃんに会いました。いつものルートを通っていたら、きっと会えなかったし、ワンコとの遭遇もなかった。Mちゃんはご近所さんなので、年に何度も偶然の出会いがあるのですが、その度ごとに、自分が予定とは別の行動を取り、その結果偶然に会うということに驚きます。何がそうさせてるのかしらん。

さて、と。
日本での公開から苦節1年(←短いって…笑)。やっとのことでダーク・ファンタジー『パンズ・ラビリンス』(2006)を観ました。タイトルは『牧神の迷宮』ってことですわね。公式HPが繋がらないんで、DVDのHPを。コチラ。予告編が観られます。
牧神パーンについて、あらためて調べてみると、実はギリシャ・ローマ神話よりももっと古い神ではないかとも言われているようですね。原題ではギリシャ神話の”パーン”でなく、ローマ神話の”ファウヌス”。半分羊で、半分人っていう姿は変わらないのかな。関係ないけど、ファウヌスって「2月(Feburary)」の語源になってる神さまなんだってね。ローマの古いお祭り<ルペルカリア>ってのが2月15日にあるんだってさ。腰に羊の皮一丁の裸体の青年たちが走り回って、女性を羊皮のひもで打つ…なんてぇ祭りだい?異教の祭りだったこの<ルペルカリア>を、キリスト教が差し替えてしまったのが<バレンタイン・デー>なんだってさ。へぇ。ファウヌスってのが、牧畜や豊穣に関する神ということからなのか、性的なことを司る神という意味もあったようで、キリスト教からすると、きっとちょっと刺激的すぎたんだね、このお祭りは。
それからパーンってのは、どうやら予言の神でもあったようですね。そして「パニック」の語源であると言われています。

前置きが長くなっちゃった。このくらいにして…と。
映画のあらすじを一応書いておきましょうね。
舞台は1944年のスペイン。内戦終結後もフランコ政権に反発するゲリラが闘争を繰り広げる山間部。内戦で父を亡くした少女オフェリアは、ビダル将軍と再婚した臨月の母カルメンと共に、山奥でゲリラ鎮圧にあたる将軍のもとへ。しかし、オフェリアは冷酷で残忍な義父に恐怖と憎しみを募らせていた。その夜、彼女は昆虫の姿をした不思議な妖精に導かれ、謎めいた迷宮へと足を踏み入れる。そこは牧神パンの迷宮。パンは、彼女が地底の魔法の国のプリンセスの生まれ変わりで、満月の夜までに3つの試練を乗り越えれば、魔法の国に帰ることが出来ると告げる。オフェリアはその言葉を信じて、与えられた3つの試練に立ち向かう決意を固めるのだったが…。っちゅうお話。
監督・製作・脚本は、メキシコ出身のギレルモ・デル・トロ。同じメキシコ人のアルフォンソ・キュアロンも製作に名を連ねるこの作品。一応アメリカも製作国のひとつになってるけど、スペイン・メキシコ色が強い。よかった!アメリカ主導でファンタジー作ると、お子ちゃま向けのひどい作品になりがちだからね。クリーチャーとか小道具とか、さすがなグロさだ。このラテン系の独特なダークな味付けって好きだ、大好きだ!

ここからは、多少ネタバレありかも。
スペイン内戦が背景に選ばれたのは、人間の残酷さを描き易かったってことかな。随所に盛り込まれている残虐なシーンは、サブリミナルのように”残酷さ”というものを植えつけていきます。ラスト・シーンの受け取り方は人それぞれだと思うけど、結局、「現実とは残酷なもので、その現実からは逃れられないものだ」ということが言いたかったんじゃないかと、私はとらえました。娘を抱えた女が一人で生きていくことが難しい時代。オフェリアの母も、恐怖で人を支配するタイプのピダル将軍に媚びてでも生きていくことを選んだわけで。愛する夫を戦乱で亡くした母こそが、現実の過酷さを語る資格をもっていたというか。そして、その母が、夢見がちな娘に「現実は残酷なものなの」と諭すのですよね。その言葉を発するや否や、オフェリアはより過酷な現実を体験していくわけですし。しかし、少女オフェリアのその後の行動は、現実逃避するわけでなく、逆に現実の世界を生ききっている。あのラストを救いと取る人もいるでしょう。ですが私には、現実を突きつけているようにしか見えませんでした。結局、救いはない。でも、懸命に生きた少女の姿に感動を覚えました。どんなにつらいことがあろうとも、人は生きていくしかないのさ。

うちでは、夫婦して<Web2.0>と<1.0>の世界について考えることが度々あります。<Web2.0>とは、Wikiあたりの説明では、例えば情報の双方向性とか新しいWebのカタチとして認識されている言葉ですが、うちで使っているのはちと意味合いが違います。すごく簡単に表現するならば、<Web2.0>は脳内活動でありバーチャルな世界、<1.0>は現実世界のことです。これって、アニメ『ムネモシュネの娘たち』で使われてた概念で、そこでは<1.5>ってのもあったのですが(笑)この作品中では、50年後くらいには<2.0>と<1.0>の境が曖昧になってるんですよ。
結局のところ、脳内世界もしくは仮想世界から、現実世界に戻してくれるのは、肉体感覚なんじゃないかなって。「痛み」を感じるっていうのが、手っ取り早い方法なのかもしれないって。ちょっと話がズレるけど、高次脳機能障害を扱った『ガチ・ボーイ』って映画がありましたよね。記憶が1日しかもたない主人公がプロレスを始めるんだけど、翌日に記憶がなくなっても、トレーニングした筋肉痛とか肉体の感覚っていうのは残っているって設定でした。それが「生きている」という喜びに繋がると。作品自体は観てないけどさ。その現実の感覚っていうのがわかりやすいなって思ったんです。
『パンズ・ラビリンス』に戻ると、切られたり撃たれたり潰されたりと残酷なシーンがちりばめられていたのは、この「痛み」の感覚が現実に一番近いものだったからではないかと。「痛み」を感じて、夢から覚めよと言われているような気がしてきました。

長くなったんで、この辺で。
久々に、”新しいもの”に出会ったような刺激があって、楽しめた映画でした。
posted by nbm at 21:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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パンズ・ラビリンス PAN'S LABYRINTH
Excerpt: パンズ・ラビリンス PAN'S LABYRINTH 原題 EL LABERINTO DEL FAUNO 2006年(メキシコ/スペイン/アメリカ) 監督・脚本/ギレルモ・デル・トロ むかし、むかし、..
Weblog: ミユウのいろいろ日記
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