2012年09月24日

究極の選択 2題

連休というと、ダンナさんは大概おっさん軽音部に出かける日がある。昼から出かけて、午前様もしくは朝帰りになるのが常なので、こういう日は私にとって、映画DVDを観るチャンス。
なぜって、普段はアニメばかり観ていて、映画を観るヒマがないから(苦笑)ちなみに、このクールは数が多く、週に35作品!5分間のミニアニメも何本かあるけど、それを除いても30作品は観ている。
ということで、今回はなんとか映画を2本を観ることができた。3本は観るつもりだったのに、片方が長い作品だったのでムリだった……
双方とも古めの作品ではありますが、少々ネタバレありかもなので注意。

『運命のボタン』(2009)
テレビで放映していたので、なんとなしに録画しておいた。
事前知識として、家に届いたボタン装置を、押せば100万ドルがもらえるが、知らない誰かが1人死ぬとして、そのボタンを押すか押さないかという話だということだけは知っていた。100万ドルというと、今のレートだと1億円にもならないだろうけど、舞台設定の70年代当時だと3億円くらいの価値があったかも。
決断までの猶予は24時間。ボタンを押さなければ、それは回収され、プログラムを書き換えられて別の人の元へ届くという。
んで、キャメロン・ディアス演じるノーマは、お金に困ってることもあって、ボタンを押してしまうわけね。ポチッとな、と。
単純に「知らない誰かが死ぬ」だけだったら、ボタンを押さなくたっていつでもそういう状態なわけだし、それで大金がもらえるならそれでもいいかと思ってしまう、とか。ボタン装置を分解してみても空っぽで、どこかに何かがつながっていそうな構造でもないし、ボタンを押せば誰かが死ぬなんてそんなことあるわけがないと思うから押してしまえ、とか。たとえ大金が手に入るとしても、自分の行為が元でどこかで誰かが死ぬなんて絶対にイヤだと拒否する、とか。
想像できる反応は、大体そんなパターンでしょうか。
でも、「100万ドルがもらえる」というのが仮に本当だとして、それによって人が死ぬかどうかを置いておいたとしても、それだけで済むとは到底思えないですわな。「ボタンを押す
という行為だけで済むはずがない。そこには何かしら”代償”があるはず。そう思って然るべき。

これが、思っていた以上にトンデモ映画で、私は好きです。
たぶん、評価がパッカリ分かれるタイプの映画でしょうね。
まず、70年代を設定したことが評価できる。リチャード・マシスンが原作を書いた時代と合わせたんだと思うけど、この作品には欠かせなかった。
主人公ノーマの夫アーサーは、NASAに所属し、宇宙飛行士を目指しているという設定。ヴァージニア州が舞台だということなので、おそらく設立されたばかりのラングレー研究所近辺が舞台になっているのだろうと思われる。作中に出てくる殺人事件の加害者がラングレー所属だと言ってるし。ラングレーといえば、NASA最古の研究私設。宇宙開発事業がこれから発展していくであろう希望に満ちている頃だったのではないかな。
そんな時代設定の中、特に印象的だったのが、アーサー・C・クラークの第三法則。アーサーが地下室に蒐集している火星関連グッズの奥に美麗なポスターが貼られている。アーサー(主人公ノーマの夫)と作家のアーサー・C・クラークとは友人という設定だった。あれは誰か有名な画家の絵なのか、それともSF的な何かの挿絵なのか、雰囲気的にはギュスターヴ・モロー的。人なのか神なのか、描かれている中心の2人は、右側の方がが明らかに上位者だけど、異形にも見える。左には剣を構えているように見える人も。その絵の下にクラークの第三法則の一文が書かれている。
作中のセリフ通りに書くと、
「高度に発達した科学技術は魔術と区別がつかない」
ポスターの絵がはっきりとは見えないので何とも言えないが、はるかに発達した文明をもつ存在に対しての畏怖のようなものを表した構図だったのかもしれない。
マシスンの原作やこの映画をご存知ない方からすると、一体何の話をしているのかと思われるかもしれないが、つまりはそういうことです。
大体、特別な通信機能があるようにも見られないただのボタンを押して、「ボタンを押す」という行為が実行されたことが謎の紳士にわかったり、それによって「他の誰かが命を落とす」ことになる仕組みは、どうやったら実現できるのかということで。”高度に発達した科学と魔術は区別がつかない”ことになるわけですね。
人間よりも高次の存在があって、人間の生き死にはその高次の存在によって左右されてしまうという……
バカバカしいとか理不尽だとか、そんなことはわかりきっているのです。相手は、人間の理解を超えた魔術のような存在なわけですから。
『フォーガットン』(2004)なんかを連想する方も多いかもしれませんが、私は『ギャザリング』(2002)を思い出した。ちょっと毛色は違うけど。
監督のリチャード・ケリーは、『ドニー・ダーコ』(2001)という面白い作品を撮ってる人なのですが、個人的にはこの人のセンスが好き。『ドニー・ダーコ』がまた観たいな。



『ダークナイト』(2008)
『ダークナイト ライジング』(2012)もとっくにできてるってのに、観よう観ようと思いつつ、ずっと観そびれてきたものをやっと消化。そしたら長い作品だったのを忘れてた。2時間半。
こちらは、クリストファー・ノーラン監督作品ということで、安心して観られると思って観た。クリストファー・ノーラン作品は、処女作『フォロウイング』(1998)からこっち、ほとんどの監督作品を観ている。
実は、アメコミのヒーローものが苦手で、あまり魅力を感じないのだけど、どういうわけかバットマンだけは別。中の人が生身の人間で、金に任せてとんでもない装備を作って装着してるのと、コウモリというダークな雰囲気の象徴が気に入ってるんだと思う。
ティム・バートンは好きな監督さんの一人だけど、ティム・バートンの『バットマン』シリーズは、私の苦手なアメコミ・ヒーロー臭が強められた感じで、あまり好きじゃなかった。それでも、ティム・バートンが監督してマイケル・キートンがブルース・ウェインを演じてるうちはまだよかったんだけど。
でも、クリストファー・ノーランの描くバットマンは、アメコミ臭が消えていて、個人的にはその世界観がしっくりきた。

配役も良かったね。クリスチャン・ベイルはどうでもいいんだけど。まぁ、悪くない。どうせ出番の半分はマスクかぶってるし。アクションは格闘シーンだけは自分で演じたみたいだけど、吹き替えのスタントマンさんだったりするときもあったかもしれないし。
バットマンを支える二人にマイケル・ケインモーガン・フリーマン、刑事役のゲイリー・オールドマンアーロン・エッカートのトゥーフェイス。
クリストファー・ノーランは、つくづく配役のうまい人だ。
しかし、なんといっても圧巻は、ヒース・レジャーのジョーカー。
顔だけでなく心に傷を負った人間が暴走する狂気。それでいて冷静さを欠いていない。どこか1本筋が通ったことを言っているようにさえ感じてしまう。ダーク過ぎるけど、ユーモアも忘れていない。特に、鉛筆を消してみせるシーンなんかは、とてもよかった。
犯行ごとに集めた手下を容赦なく使い捨てにする。そんな手下をどうやって集めるのかと思うが、彼に会ったら心酔する人間なんてたくさんいるのだろうとも思える。ジョーカーは、金に興味があるわけでもなく、人が殺したいわけでもない。ひたすら悪いことをして楽しむ。中でも、人を悪に引きずり込むのが最高に楽しいらしい。
バットマンを悪に染めるために自分を殺させようとするが、バットマンは決して悪に墜ちることはなく。逆に、バットマンは自分を楽しませるおもちゃだとして、決して殺さない。
クリスチャン・ベイルはかわいそうだけど、これはヒース・レジャーの映画だった。ヒース・レジャーの演技はそれはそれは凄まじく、これで命を削ったとしても不思議はないと思うほど。あのジョーカーはジョーカーであってヒース・レジャーではないけれど、同時にどうしようもないくらいヒース・レジャー自身だったのではないかと思う。
普段は、役から演じている役者本人を感じてしまうと興醒めなんだけど、今回のジョーカーばかりは背後にヒース・レジャーを感じて泣いた。
亡くなって、もう4年以上も経つのか。

人は、ダークサイドに堕ちたり、狂気の中に逃げ込んだりした方が、生きるのが楽だと思うこともあるんだろう。そういう方向に行かない人は、自ら死を選ぶのかもしれない。
強い清廉な意思を保ったまま、老いて死んでいく人間というのは数少ないのではないのか。
恥ずかしながら、『ダークナイト』の”ナイト”は”夜”のことかと思ってた。”騎士”だったんだね。ダークサイドに堕ちた人の矜持を守るため、人々の心の中の正義を守るため、罪を被り、敢えて自らが”ダークナイト”となっていくってことか。
すべては秩序を守るためなんだよな。その辺が、しっくりとこない。バットマンが、どんどん自分で自分の首を絞めていってるような。



『ダークナイト』では、トゥーフェイスがコインの裏表で何かと運試しするからか、こちらも『運命のボタン』同様に究極の選択をする場面多し。
トゥーフェイスは左半分が火傷で溶けていたけれど、『運命のボタン』でボタンを持ち込んでくる謎の紳士も顔の左下が溶けて無くなってた。なんだ、この共通点?
すっごいこじつけだけど、『運命のボタン』の監督リチャード・ケリーのデビュー作にして出世作『ドニー・ダーコ』に主演したのはジェイク・ギレンホールで、その姉マギー・ギレンホールは『ドニー・ダーコ』にジェイクのお姉さん役で出演してる。で、『ダークナイト』のヒロインは、このマギー・ギレンホール。ヒロインとしての評価はかわいそうなくらい低いけど。う〜ん、確かに難しいな、このヒロインの人選は。美人じゃない方がいいんだよな。美人だったら、普段ブラフにブルースが周りに侍らせてる女性と変わりがなく見えちゃう。クール過ぎず、甘過ぎず。たぶん、配役の方向性としては合ってるんだと思うけど。
しかし、まったくバラバラに選んだ2作品が、なぜかどこかでつながっているような気がする。

今回の2作品は、エンターテインメント作品かと思いきや、お生憎様というような作品でした。
『運命のボタン』は、「金返せ!」と思う人から、「こういうトンデモ展開好き!」っていう人までいるでしょうが、エンターテインメントとは言い難い。
『ダークナイト』は、ヒーローものの超大作であることは確かなんだけど、間違えても映画館デートでカップルがキャピキャピ楽しめるような作品ではないし。デートで観た人は、微妙な空気になっただろうな(苦笑)
posted by nbm at 16:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おぉー!
ダークナイトシリーズをご覧になったんですね
プリュムは映画館で観ています
ジョーカーの狂気は
怖かったでね、怖かったですね、ほんとに怖かったですね(淀川調)
夢も希望もなくした人の生き様とは
こんな風に人を陥れることに享楽を得るのだと思いましたょ
死をも恐れない狂気とは
果てしない闇の奥から湧き出てくる液体のようなものです
トゥーフェイスでは
バットマンの恋人がいきなり死んでしまうところに
物語の悲劇性を感じました
普通の米国映画だとハッピーエンドでしょ、やっぱり
それでもって
恋人の心変わりを告げられずに・・・彼女を慕うのですから
また、伏線→女関係はライジングに持ち越します
ナイトですよね!
私も勘違いしていました
悲しいかな日本語ですとどちらとも取れるのです
是非、また近いうちにライジングも観てください
それなりに
コミック路線で終わっています、お楽しみに!
Posted by プリュム at 2012年09月24日 22:45
ようやく観ました、『ダークナイト』。

レイチェルの手紙は、執事アルフレッドが焼いてしまいましたけど
あれでよかったのかなぁ。
あんな手紙書いといて、どっちつかずの行動をとったまま死んじゃうなんて。
でも、女性関係は次作に持ち越しなんですね。
『ダークナイト ライジング』観なくちゃ!

「ナイト」に関しては
カタカナ表記なら、ダブルミーニングを狙ったのかもしれませんよね。

程よい小出し情報をありがとうございます。
忘れないうちに『ダークナイト ライジング』を観たいです!
Posted by nbm at 2012年09月25日 09:22
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