2016年03月24日

10万+10万+10万=30万

加門七海さんの『墨東地霊散歩』を読んだ。
この手の「地霊もの」は、読書の中で、おそらくこの先もライフワーク的に追い求めるジャンルのひとつになると思っている。
私の中で、中沢新一さんの『アースダイバー』を読んだことをきっかけに、土地の記憶というものを意識するようになった。
土地土地の単なる歴史・民俗みたいなものは数多く記されてきたことと思うが、その土地に染みこんできた記憶という観点から書かれているものは以外に少ないように思う。
単なる歴史と「地霊もの」との違いは何かと問われると、うまく説明できないのだが、時代ごとに層化して埋没している一区画の土地の記憶を層ごと縦に掘り起こしているというか、ピンポイントで時代を遡るというか、そういう着眼点が興味深く思えるのだと思う。
『ブラタモリ』という番組で、タモリさんが現代の土地を歩きつつ、川だったところが暗渠になっているとか海岸線はここだったとか昔の名残を見つけているが、あの感覚が楽しいのだ。
そう、現代の地図と古地図とを重ねて見るような感じ。かつての地形や町並みなどの地図ありきという部分が大事。
私は昔から日本史や世界史などの歴史というものに興味が持てなくて、教科としては一番苦手としていた。歴史は暗記科目という印象が強く、暗記が苦手だからというのが大きいのだけれど、習ったはずなのに本当に憶えていない。
けれども、「地霊」という感覚は、興味を覚えるのだ。
近隣でも、暗渠とか、旧街道とかを認識すると、それだけで楽しい。瞬時に時空を飛び越えているような感覚が魅力なのかもしれない。
歴史的な史実など眼中にない。ただ、歴史にかこつけたファンタジーが、ロマンが欲しいだけなのだ。

さて、『墨東地霊散歩』は、墨田区と江東区を中心とした地域のかつての姿が描かれている。
この地域は著者の加門さんが生まれ育った地域であるので、思い入れが強いだろうことが伝わってくる。
私には縁のない土地で、行くことも少ないし、何も知らない。
そうだな、例えば、2012年の夏、木場公園や大島小松川公園を中心にうろうろしたときのこと。(→過去記事「ズガーン!」で始まり、「モフモフ」で締める
木場公園一帯はお祭りの準備中で、東京都現代美術館前に立派なお神輿が飾ってあった。これが、富岡八幡宮の祭礼「深川祭」で江戸三大祭の1つであったのだ。
「わっしょい!」と掛け声がかかるお祭りだということだが、同じく神輿を担ぐときの「せいや!」という掛け声は江戸では後発で、元々は「わっしょい!」だということをこの本で知った。

恥ずかしながら、相撲の起源も知らなかった私は、回向院の存在も知らず。
明暦の大火の犠牲者10万余の魂を鎮めるために建造された回向院で、勧進相撲が開かれたのが今の大相撲の起源だとこの本に教えられた。
回向院の境内に建てられたのが旧両国国技館だ。
舞踊では、大地を踏みしめる動作は鎮魂の意があると聞いたことがあるが、相撲もそういう意味が込められていたんだろう。
現在、刀剣博物館が安田庭園内の両国公会堂跡地に建設される予定だということだが、加門さんも書かれているけれど、この地にこういったものが集まってくることになったのが面白い。

この辺りは、明暦の大火で10万人、関東大震災で10万人、東京大空襲で10万人と、ざっと合わせて30万人の人々が亡くなっている土地だということ。
2012年の夏、大島小松川公園内のはずれで、神社を移した跡地として石碑が残っていたのを見て、帰ってきてから東京大空襲により南本所牛島神社が焼けてしまった跡だということを知ったのだが、こんな風に場所を移した神社仏閣の話がたくさん出てくる。
江戸時代からこっち、大火・大震災・空襲と、何度も焼け野原になった地域なのだから。

東京都慰霊堂の存在は、かつて加門さんの他の著書の実話怪談で知ったのだけれど、具体的な場所を知らなかった。というか、怖くて調べられなかった。
今回、調べてみたら、両国近くの横網町公園内にあるとわかった。横網町公園のサイトによると
関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられました。

とある。
後に、東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せて安置されたということだ。
つまりここが、あの恐ろしい火災旋風でたくさんの方が亡くなった地域であり、また大空襲でも多くの犠牲者が出た地域でもあるということになる。
ちなみに、慰霊堂の設計は、築地本願寺や湯島聖堂を手がけたことで知られる伊東忠太。
行ってみたいような、行きたくないような……

他に、「四谷怪談」の「四谷」は、今のスカイツリーの真下辺りに当たるのではないかという説も面白かった。
伊右衛門の住まいは本所、お岩さんのご遺体が流れ着いたのは隅田川と荒川とをつなぐ小名木川の万年橋。という風に、主に墨東界隈が舞台となっているのに、新宿区の四谷は遠すぎるという。
スカイツリーの真下辺りが、かつて「中之郷四ツ谷」と言われていたそうで、基本的には徒歩移動する江戸時代の距離感なら、この「中之郷四ツ谷」の方が妥当なのではないかというわけ。

向島百花園などの風流な花々や昭和の下町らしい話、粋な花柳界の話なども出てくるのだが、陰惨な出来事の方が印象に強く残ってしまった。
行ってみたいスポットもいくつかあるので、それはおいおい。
posted by nbm at 16:48| Comment(6) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほどね〜
昔から人が沢山住んでいた土地であるがゆえに
何か災害や事件が起きると
犠牲者も多いのでしょう
それでも
大火の犠牲者が10万人とは驚きましたよ

今では土地の曰く抜きで
人間が住むための土地を開発して
どんどんと住宅地やビル街が広がっていき
気の流れも読めない町並みになっていますね

結果的に人間が占める土地になり
災いが起きれば
人間の数だけの大災害になるのかなって
考えました
(人間以外の災いは数にならないのかぁ)
Posted by プリュム at 2016年03月24日 21:16
プリュム 様

犠牲者が多くなったのには
人口集中以外にも様々な要因があったのかもしれませんが
根本的な人口集中という問題点は変わりませんね。
今、何らかの災害が起こったとしたら
都内で甚大な被害となることは容易に想像できますね。

昔はどういう土地だったのかということを気にしなくなりましたね。
水辺の土地だった所とか、地盤がゆるくても埋め立てられていたり。
あまり好ましくない事柄があったとしたら
不動産屋はその情報を隠すでしょうし。
元々の地元の人間と新規で越してきた人間との交流も少なそうです。

ゆえあってそうなっていたという形が
開発によって崩されていくことも少なくないでしょう。
新しく開発されていくことは否定しませんが
自分だったら、土地の記憶は知っておきたいです。

人が居過ぎることで生まれるマイナス点はたくさん。
でも、こうなってしまっているものをなかなか変えられませんね。
Posted by nbm at 2016年03月24日 23:18
昔、福岡市某所に住んでいたころ近所に大型ショッピングセンターがありました。もともとは沼地でそれを人工的に埋立てて造成し公園になっていた横に建物があったのですが、その公園もショッピングセンターも何となく苦手でした。感覚的なものですが空気がよどんでいる感じだったのです。後にダイエーとなり建物も老朽化して現在は解体されたようです。地理的にはいわゆる高級住宅地と呼ばれる場所でしたが、土地との相性は良くありませんでした。

福岡市で別の場所に住んでいたところは旧福岡城の外濠をもとに造成された公園がありました。美術館など文化施設があって雰囲気がとても良かったのを覚えています。そこそこガラの悪い土地柄だったのですが、私は好きでしたね。何が良いのかは当人の感覚でしかないのですが。そういえば地名は『草香江』だけれど学校名は『草ヶ江』でした。過去の地名、現在の地名の混在には理由があるのでしょうね。

私は地名の『四谷』よりも駅名の『四ツ谷』がしっくり来ます。
余談ですが此方には『四屋』という地名があります
故郷の西宮はJRの駅名が「西ノ宮」→「西宮」に変わりました。
神戸のJR駅「三ノ宮」を「三宮」と変更する動きがあるようです。
秋葉原は「あきはばら」ではなく「あきばはら」の方がもともとは正しい。
駅の名称は昔からのモノの方が良いと思います。
Posted by まいす at 2016年03月29日 13:37
まいす 様

福岡でのお話、よくわかります。
そうなんですよね。
自分が土地に対して感じる感覚が、その土地の記憶を知ることで裏付けられたりするものなのです。
元々湿気の多い土地が繁栄しにくいのは、気のせいだけでなくて、湿気が多いというだけで具体的なマイナス面が生じるのかもしれませんが。
私がダメなのは、渋谷です。
街全体がどんよりしていて長居する気になれません。
あまり意識していませんでしたが、やはり「谷」であり、古代から墓地だったりしたらしいことを知り、納得したものです。
ところが、ヒカリエができてからというもの、何か街の雰囲気が明るくなった気がするのです。
前よりずっとマシになりました。
あれは何なのだろう?不思議です。

地名で、漢字が変更されることはよくありますよね。
印象の悪い文字や、水が出ることが容易に想像できる場合などはよく変更されますね。

身近ではありませんが、「さんのみや」は「三ノ宮」という表記で認識しています。
なぜに「ノ」を取り払うんでしょうか。
駅名と地名が違っているパターンもありますね。

秋葉原も、江戸時代に大火を繰り返し、元々は火除地だったり、火伏せの秋葉神社があったりという歴史があっての駅名ですよね。

西武池袋線の江古田駅は「えこだ」駅なのですが、都営大江戸線の新江古田駅は「しんえごた」駅。江古田駅周辺に江古田という地名は残っていないのですが、中野区に残る地名の「江古田」は「えごた」です。ややこしい……
Posted by nbm at 2016年03月29日 23:42
相性の悪かった福岡某所はタモリ、博多華丸などの出身地の隣です。カンニング竹山も幼稚園時代に居住していたようです。 通ったとされる飲食店など生活圏が重なっているので彼らのローカルネタがよく分かります。埋め立てられた沼地から2.5kmほどの距離なので関東圏だと一駅くらいあるかもしれません。その公園が好きじゃなかっただけで居住地に問題があったわけではありません。

JRは「三ノ宮」
私鉄の阪急、阪神は「三宮」
地下鉄、ポートライナーは「神戸三宮」
と統一されておらず「初訪問の観光客の混乱を避ける」のが目的のようです。もう私は見慣れているので何とも思いませんが。JR大阪駅と私鉄、地下鉄の「梅田」は問題となっていないので「三ノ宮」「三宮」は気にしなくても良さそうですけどね。
Posted by まいす at 2016年03月30日 12:17
まいす 様

「さんのみや」を冠する駅がいくつもあったんですね。
なるほど、私のように土地勘のない人間にはわかりにくいかも。
でも逆に、「ノ」が入っているのがJRとか区別をするのに便利な気もするのですが。
いろんな事情があったのでしょう。
全国各地にこういったことはあるのでしょうね。
Posted by nbm at 2016年04月01日 01:19
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