2017年08月08日

トルーデ

「トルーデ」
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの幻想小説『見えない都市(1972)』の中に出てくる都市の名。
この作品の中では、フビライ・ハンに仕えるマルコ・ポーロが様々な空想都市について語るという。その数、55。
「トルーデ」は、その中の1都市であるらしい。
トルーデの空港に着いたマルコ・ポーロは、出発した都市の空港と何も変わらない景色を目にすることになる。
もう一つの、何から何まで同じもう一つのトルーデに着くのです。世界はただ一つのトルーデで覆いつくされているのであって、これは始まりもなければ終わりもない、ただ飛行場で名前を変えるだけの都市(まち)なのです。


とある本のまえがきにあったこの話。身近に感じていることだったが、それを70年代にイタリアで育った人が書いていることに驚く。
日本の幹線道路沿いの景色は、今やきっとほぼどこも変わらないだろう。いわゆる「ロードサイド店舗」が並ぶだけ。コンビニエンスストア、ファミレス、家電量販店、ホームセンター、チェーンの各種小売店などが繰り返されるだけで、その並びがちょっとずつ変わっているくらいの違いしかないように思える。そして、たまに巨大なショッピング・モールやシネコンが現れたりするが、それさえもどこにでもある。
駅前の商店街を見ても、飲食店やドラッグストアやスーパーばかりだが、どれもチェーン店だ。個人経営の商店や飲食店は淘汰されつつある。
そりゃあ、日常とはかけ離れた景色を観ようと思えば、いくらでもあるが、日常はすでにトルーデに侵食されている。
生活は便利になった。駅前に出れば、そして通りに出れば、何でも揃う。しかし、景色を見ると、単純につまらない。画一化された世界には、閉塞感を覚える。何の発展性も感じられない。世界はこのままゆっくりと終息に向かっていくのだろうなと諦めにも似た気持ちになるのはなぜだろう。

だからといって、便利な生活は捨てられないし、お金も時間も体力もない自分は、本や映像で奇特な景色を求めるというわけだ。
さて、前述のまえがきが載っていたのは、『世界の果てのありえない場所 本当に行ける幻想マップ』という本。作家トラビス・エルボラフと地図作家アラン・ホースフィールドが、日常から激しく逸脱した場所を紹介してくれる。

いくつか印象的だった場所を挙げておこう。

「オーロビル」 ポンディシェリ(インド)
1960年代に創られたユートピア。元フランス領だった土地に、とある思想家とそのパートナーが創りあげた理想世界。
円形の土地の中央には象徴的な建造物、「聖なる母の寺院」マトリマンディが威容を誇る。巨大な黄金の球体。地図で見ると、円形のオーロビルの花の中心に実が結実したように見える。

「プレシディオ・モデーロ」 フベントゥド島(キューバ)
悪名高きキューバの刑務所。円形のパノプティコンと呼ばれる一望監視施設が何棟も建っている。円形の建物内部の中央には監視塔があり、収容者は監視塔の看守から一望できるという寸法だ。
パノプティコンは、功利主義者だった哲学者ジェレミー・ベンサムが考案したシステムで、収容者の福祉も最大限に考慮され、監視が行きわたることで更生・社会復帰につながると考えられていたらしい。
ところが、キューバでパノプティコンが実現されたこの施設では、虐待や拷問が横行していたそうな。

「オラドゥール=シュル=グラヌ」 リムーザン(フランス)
第二次世界大戦で廃墟となり、それがそのまま保存されている村。
ナチス親衛隊第2装甲師団ダス・ライヒに襲撃され、646人が虐殺されたという。
マキというレジスタンス組織がこの地を拠点としていたとされ、ドイツ軍将校がマキに捕らえられたという情報から報復行動に出たということらしい。
70年以上も歴史的悲劇の舞台が保存されているということで、日本にもそうした場所があるが、非常に感慨深い。
ここは以前にも少し記事にしている。→過去記事アーバン・エクスプロレーション

「カルスのアニ遺跡」 カルス(トルコ)
この本の表紙になっているのが、アニ遺跡の聖救世主聖堂。中世にアルメニア人によって作られたアニの街には、千と一の教会があったという。
地震だか落雷だかで半分が失われており、建立から千年ほど経て、それでも毅然と建ち続けている。
周囲にもいくつも遺跡が残っているようで、どれも建築デザインが素晴らしい。

と書いてきたが、実はこの本、あくまでも「地図」であり「写真集」ではないのが残念。
掲載されている写真は各所1枚だけで、しかも白黒のみ。文章中に記述があって観たいと思ったものが映っていなかったりする。
あとはこの地図をもとに自分で行って直接見てきてねと言わんばかり。
そうとなったら、インターネットで調べるのみ。画像検索やグーグル・ストリートビューなどで結構楽しめる。
いくつも知った場所が出てきたが、知らないところもあったので収穫はあった。
イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』も、そのうち読んでみることにしよう。

考えてみれば、各種アニメにせよ、日常読むホラーやSF小説にせよ、日常から離れたところに面白みや安らぎを見出している私なので、こういったネタは大好物なのである。
今回も、いい年こいて厨二病的な内容でお送りしたのだが、この本、同好の士には楽しんでいただけるのではないかと思う。
posted by nbm at 15:33| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
nbmさんが記述の中で器具している
日本の風景については私も同感します

どこの町の駅前も
かわりがないような町並みですもん
でも
それも日本人が豊かさと便利さを求めてきた
結果なんだろうか?とも
いや
それでも、個性や地方の特性を
利己的を豊かさという言葉を魔力で変換させて
不動産価値をあげることで
画一的な価値観と無個性な感性を造ったのかと
感じざる得ません

これも
戦後、米国的ビジネスシステムや
車社会に重きをおいてきた
日本の方向性の誤差が現れているのです
島国の日本は
前にも言いましたけど
欧州のような都市づくりを目指すべきでした
経済の永久的な右肩上がりの発展はないのです

そんな、50年単位の時代感覚からすれば
古代都市の変遷は
もっと気の長くなるような時間ですよね

日本は石の文化じゃないので
後世まで残るものは少ないのですけどぉ

非日常への嘱望は
いつもの行動から一歩はみ出たところにも
隠れていると考えています

リンドバーグ夫人は
「最も広い世界は自分自身の中にある」
と、言葉を残しています
最近、一番感じ入ることができた言葉は
その彼女の言葉です





Posted by プリュム at 2017年08月08日 21:31
プリュム 様

観光地と銘打っていれば別でしょうが
特にこれといって何もない街は
無計画に、そして画一的に開発されるがままになってますね。
特に、私が住む埼玉県はそういった傾向が強いと思いますが
時折目にする日本各地の町並みも似たり寄ったりで
埼玉だけじゃないんだなと思ってしまいます。

おっしゃるように、日本は石でなく木材で建造物を作りますから
それがきちんと作り直されていれば景観も守られますが
味気ないコンクリートのビルばかり建ってはね。
日本で古い木造建築でも立派に残っているものもありますが
文化財級といいますか、庶民が住む町並みとは別物ですものね。

「最も広い世界は自分自身の中にある」
これは、すばらしい知見ですね。
たとえ物理的には旅に出られずとも
情報を得て想像の旅に出ることはいくらでもできます。
ちょっとした行動で、非日常を楽しめるというのも、おっしゃるとおりです。
ついつい手軽な本やアニメで済ませてしまっていますが
時にはそういった行動にでることも良いですね。
Posted by nbm at 2017年08月08日 23:10
nbmさんやプリュムさんのおっしゃることにいちいち同感です。効率を求めていった結果、そういうことになってしまったんでしょうね。
夏は道北に毎年、放浪の旅に出てますが、人口が3万人クラスの稚内にはそういう面がありながらも、他は…宿泊地に限れば“近くに店が無い!”とか(=一番近い風呂が4km先でコンビニが6km先とか)、もうそういう状況は解ってるから、そこでのそれを楽しんでるのですが(笑)。
で、宿泊地ではいつも、街を歩きながらここで暮らすとなったら…というシミュを。ここであれを買って、あれはここで買って、風邪ひいたらこの病院で…みたいな。
これはこれで、旅の楽しみでもあります。

あとかつては、地方は東京の…それこそ原宿などに対する憧憬があったものの、今やロードサイド店舗に加えて地元のイオンタウンがそれに取って代わられてるとか。

確かにあそこは全てが揃ってるし、ロードサイド文化も内包してるし、極端な話“とんがってる”ヴィレヴァンなどもテナントで入ってるし(笑)。

ラジオからですが、マキタスポーツさん(=山梨出身)の話でそういうのが出てきました。ひと旗上げたいとか自分を変えたいとか思って上京する奴がいる一方、主に地元でツッパリでブイブイいわしてた連中は東京など目指すことなく、地元で頑張ったり起業したり…そして週末はイオンタウンを楽しむ、と。

これ、何年前からか帰省時に解るようになってきました。前政権時の経済無策によるデフレ不況継続時、都会に出てひと旗揚げるよりは地元で頑張る…バブル世代にはため息が出るほど堅実だなぁ、と。

ロードサイドと地方経済、イオンタウンと地方経済、この辺は掘り下げると絶対面白いと思うのですが、まあ自分の仕事じゃないしとか思ったり…それじゃダメなんですが、すでに発表してるひとはいると思います。

何かもう、地方は東京に憧れる…そういう図式は崩れてるみたいですね。ある意味、それはそれで好いことだとも思いますが。

Posted by 中林20系 at 2017年08月20日 21:03
中林20系 様

北海道は、さすがに広いですし人口密度も低いでしょうから、開発の魔の手も中々伸びないのでしょう。
コンパクトに整った街は暮らしやすいといえばそうですが、どこか味気ないですよね。

私なぞは、ヴィレヴァンは別にしても(笑)、いわゆるショッピングモールに行っても今ひとつ楽しめず、長居できません。
目当ての店で用を済ませたら、すぐに帰ります。
街歩きは好きですし、百貨店でもモールよりずっと長居しますが、どういうことなのやら。
理由のひとつは、ショッピングモールに並んでいる店の大半が、若い世代や小さいお子さんをお持ちのファミリー層に向けたものであるからですかね。

わざわざ都会に出ずとも、地元で暮らしていくことを選択できるのなら
その方がよいに違いありません。
そういったことに一役買っているのだとしたら、トルーデ化にも意味があるのかも。

23区内に住む友人が、自宅近くの百均ショップでは用が足りないと
埼玉の実家に帰ったときに近所の大型店舗の百均ショップに寄ると言っていました。
ホームセンターなども、郊外店の方が大きくて品物が充実していますしね。
便利であるはずの23区内から、郊外店へ買い物に行く。
そういう逆転現象も起きているのだなと思いました。

便利さがこうして広まっていけば、都市に人口が集中するのも防げるのかもしれませんね。
中林さんのお話で、新たな見方を教えていただいた思いです。
Posted by nbm at 2017年08月21日 01:13
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