2019年01月03日

輝け!nbm Awards 2018<書籍編>っと、その前に

あらてめて昨年を振り返ると、ロクにブログを更新していなかったことがよくわかりました。
本について書いた記事は、なんとゼロ!自分で自分にびっくりです。いくつか書いていたつもりが、UPしていなかったようで。
仕事を始めて、時短とはいえ私にとっては時間も体力も大幅に削られてしまい、ブログを書く余裕がありませんでした。というのが言い訳です。

というわけで、年も明けてしまいましたが、まずは昨年の総決算をしておかないといくらなんでも気が済みません。
しばらくはそんな記事が続くと思います。いや、続けられるのか?
こんな更新もしない辺境のブログゆえ誰に向けてというわけでもないのですが、自分の記録として留めておきたいので、やります。

では、書籍編から。と始めたいところですが、書き溜めておいた書評が結構あったので、まずそれを。


『大人のための国語ゼミ』 野矢茂樹
自慢じゃないが、学生時代、国語の成績だけは常に良かった。5段階評価では常に5。偏差値でいうと国語だけはなぜか70ほど。とはいえ、未だに日本語を間違えて使っていることも多いし、母国語ながら難しいと感じることもしばしば。
最近、国語力や語彙力についての本をよく見かけるようになった。この種の本を自分自身もあらためて読んでみたいと思うのだが、就職を控えているのに初級日本語しか話せない大学生の甥が参考にできるような何かよい本はないかという思いもあり、何冊かこういった本を読み始めている。
山川出版社といえば、赤い表紙の日本史の教科書が大学受験の参考書のような扱いだったことを憶えている。その山川出版社から出ているこの本。表紙の<牡牛小像>がすでに教科書然としている。挿絵に漫画を添えて軽さを演出しているつもりかもしれないが、全体的に硬く、活字ばかりの印象で、これでは国語を苦手とする人にはハードルが高いのではないかと危惧するような作り。
ただ、それを乗り越えられる人ならば、論理的に会話したり文章を書いたりすることのヒントにはなると思う。
普段、何気なく話し、書いている母国語について、センテンスごとに分解し、それぞれの関係性を掘り下げて教えてくれる。著者の専門は哲学・論理学とのことなので、表現についてというよりは、文章の組み立てについて説明している。だから、国語力と言っても、豊かな表現力を得たいとか、円滑な人間関係を築くための会話力をつけたいというような目的で読むと当てが外れると思われる。もっと基礎的な国語の読解力や文章を書き話す上での論理的な思考を鍛錬する本。
相手が知らないことをどうすればうまく伝えられるのか。事実なのか、憶測なのか、意見なのか。文章の順序や接続詞の重要性。文章の核の捉え方。そういったことが語られている。
良い点を挙げるとすれば、例文に使われている文章の内容がトリビア的で面白い。例えば、日本の運動会の成り立ち、日本語の「はひふへほ」が古くは「ぱぴぷぺぽ」と発音されていたという推論など。
普段から自分が気を付けていることや無意識に実践していることが多かったけれど、あらためて文章の成り立ちをじっくり考えるというのもためになったとは思う。
大学時代、唯一単位を落としたのが論理学だったという苦い思い出が蘇ったりして……論理的思考は苦手ではないと思っていたのに、記号的な論理学となるとからきしだったな。あれは数学だ。


『マジ文章書けないんだけど -朝日新聞ベテラン校閲記者が教える一生モノの文章術-』 前田安正
女子大生が就活でエントリーシートを書くことを前提に、バイト先のカフェの常連客であるおじさんから文章を教えてもらうという設定。というわけで、前述の本よりはやわらかく、読みやすい。
文章を書くというテーマながら、エントリーシートを書くことを目標にしているため、軽く自己分析をすることから教えてくれる。
格助詞「が」と係助詞「は」の比較とか、能動態を使うと主体となるものを明記しなくて済むとか、「た」は過去を表すだけではないとか、普段は無意識に使っている言葉についてあらためて教えてもらう。
中でも印象的だったのは、SNSは「状況」しか書かれていないことが多いということ。なんとなくという感覚だけで稚拙な内容が多いと思っていたが、その理由を解説してもらってスッキリした。
「状況」だけを書いて、それに伴う「変化」とか「行動」が書かれていないことが多いという指摘だった。
その点がこの本の結論的な部分につながっていくのだけれど、それを踏まえて5W1Hを説明する意識を持ち、特に「Why」について書く意識が大事だと言っている。
読み手が「なぜ」「どうして」と聞きたくなるような部分を先んじて書いていこうということだ。
文法的なことや細かいテクニックは数々あれど、文章を書く時に意識することとして重要なのは、私もそこだと思う。


『神恐ろしや 宮司が語る神社をめぐる不思議な話』 三浦利規
不幸があった場所をふり返らない。
それは、秋田県伊豆山神社の宮司である著者が、お祓いに行ったときに密かに決め事にしていたこと。
実在の神社が実名で語られる話の中には因縁話や呪いの話もあり、実話怪談を語るときにタブーとされてきたことに触れているような気がしてならない。
神職に就くこの方は、仏教で言う「成仏する」という表現でなく、「神上がる(かむあがる)」という言葉を使っている。
中でも興味深かった話は、事故物件にお祓いに行ったら、帰り道の車の運転中にいつの間にか帰り道から逸れていて、向かっていたのは事故物件で亡くなった方の故郷の方角だったという話。バックシートに人の気配を感じ、車を途中で止めて自らお祓いをしたと。
もうひとつは、東日本大震災を予言していたという四口の神の竈の話。塩竈神社の境外末社のひとつである御竈神社にある直径4メートルほどの釜に湛えられている海水は、枯れることなく溢れることもなく、常に赤褐色。ところが、3月11日の午前8時頃、きれいに澄んだ透明な水に変わっていたという話。
宮司さんのぶっちゃけっぷりが面白かった1冊。


『月の部屋で会いましょう』 レイ・ヴクサヴィッチ
岸本佐知子さんが訳しているので、たぶん面白いと思って図書館で借りた。実際は、もうひとりの訳者市田泉さんと、どちらかが訳している短編集。作者は1946年生まれとのことで、古い作品なのかと思いきや、90年代から2000年代の作品ばかり。ジャンルでいうと、一応SF。ほとんどが10ページほどの短編が33編。
私はアメリカ人作家の作品に馴染めないことが多く、実は今回もあまり期待していなかった。ところが、いい意味でその期待が裏切られたのは意外だった。
奇妙な設定ばかりなのだが、不思議と奇をてらっている感がない。こんなおかしな世界を描くのに、何気ない会話とかどこかにリアリティを感じるからなのか。
特に気に入ったのは、ホラー風味の「ふり」、洒落が聞いてる「彗星なし」、身近な不条理SF「セーター」、ゾッとするサスペンス「家庭療法」、強迫神経症的な気分が味わえる「大きな一歩」、尾籠なファンタジー「排便」、コンパクトなスリラー「ささやき」など。
他に訳されているものはないようだけれど、新しく刊行されることがあったら、また読みたいと思う作家を新たに見つけた。


『まぼろしの奇想建築 天才が夢見た不可能な挑戦』 フィリップ・ウィルキンソン
古今東西の建築家や画家などがデザイン・設計したもので、様々な理由から実際に建設されなかった建築物を集めた1冊。
シャンゼリゼ通りに建てられるはずだった凱旋ゾウは、表紙絵にもなっているが、一番のインパクト。裏表紙になっているアイザック・ニュートン記念堂もいい。巨大な球体は内部に宇宙を表現している。巨大な宇宙がこれまた巨大な土台に鎮座している姿は、私の好きな野又穫の空想建築の絵画のようだ。アントニ・ガウディがニューヨークに建てられるはずだったホテルを設計していたとは知らなかった。ホテル・アトラクションは懸垂アーチの曲線が美しい。ビルといえば四角いものとされた当時のアメリカはニューヨークのマンハッタンにこれが建っていたらと想像するとワクワクが止まらない。フリードリヒ通りビルは、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの設計で、3つの楔形を組み合わせて採光できるように考慮されているのだが、断面を見るとフラクタル図形を切り取ったようだ。透明性を表現したというロシアの第三インターナショナル記念塔もかっこいい。そして、イギリスの建築家集団アーキグラムの真骨頂、ウォーキング・シティ。これがあのマンセル要塞をモデルにしていたという話も面白い。古今に編み出された理想都市の姿も様々で、楽しい。時代を下っていくにつれ、丸いフォルムの有機的な建築が提案されていくのも興味深い。


『本を読む時に何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』 ピーター・メンデルサンド
装幀家ピーター・メンデルサンドによる考察。視覚的な観点から読書という行為を分析してみようという試みがなかなか面白い。
まず、<視声範囲>について。
人の目がページの上で見ている場所と、(心の)声が読んでいる同じページ上の別の箇所との距離のこと。
私たちは本を読む時、一度に(一飲みに)
1.ひとつの文章を読み、
2.その先にあるいくつかの文章を読み、
3.すでに読んだ文章の内容を意識上に残しながら
4.その先に起こることを想像する。

本を読むときに、具体的にどんなことをしているのかなんて、考えたこともない人がほとんどではないだろうか。
私たちは、こういった行為を無意識に繰り返して本を読んでいるらしい。
作家が自らの経験や見聞きした経験を秩序化して物語を作る。そして、読者はそれを自分のフィルターを通して読む。読書とは、作家と読者との共同創作的なものというわけだ。

もうひとつ、面白かったことは、「記憶というものは想像上のものから作られていて、想像上のものは記憶から作られている」という趣旨が書かれていたことだ。
これは常々考えていたことだった。オカルト好きとしては、本当に実感している。

有名なものとはいえ海外作品が例に挙げられているので、日本人が同様の内容を書いたら、もっと身近に感じられたかもしれないと思わせる部分が、少し残念だった。



大してなかったけど、一応まとめて6冊分を。
これで心置きなくnbm Awards 2018<書籍編>を発表できます。
posted by nbm at 17:12| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
謹賀新年 2019

今年もよろしくお願いします

ブログは義務じゃないので
心身を削るようなことはせずに
ぼちぼちとやっていきましょう
私の場合は精神的なクスリだと思ってやってます

記事の本棚
またまた、不可思議で面白そうな本がありますね
神恐ろしや・・読んでみたいです

今、読んでいるのは
ヴィクトリア朝怪異異端ですぅ(゚∀゚)
Posted by プリュム at 2019年01月04日 20:04
プリュム 様

ぼちぼち書いていこうと思いつつ、とはいえ振り返ってみると特に昨年は記事が少なくて、ほんとにびっくりしました(笑)

『神恐ろしや 宮司が語る神社をめぐる不思議な話』について。
怪異の本は数々あれど、現職の神職の方がどんなことを書いているのかと興味深く読みました。
あまり露骨な書き方はしていなかったと思いますが、なかなかに面白いものでした。

なんだか昨年は、いつにも増してホラーばかり読んでいました。

『ヴィクトリア朝怪異譚』とは、ゴシックっぽくて素敵ですね。
私も読んでみます。
教えてくださってありがとうございます。

ということで
本年もよろしくお願いいたします。
Posted by nbm at 2019年01月05日 01:53
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