2017年05月25日

アール・イレギュリエ

「美術手帖」の2017年2月号で、「アウトサイダー・アート」について特集されていた。

「アウトサイダー・アート」とは、フランス語の「アール・ブリュット」を英訳したことば。
フランスの美術家ジャン・デュビュッフェが、1945年に刑務所や精神病院を訪れ、受刑者や精神病患者によって描かれたアートを「アール・ブリュット」と呼んだのが事の始まり。
それ以前から、精神疾患の人たちが描く絵に注目することはなされていたが、そうして生まれた作品を芸術として鑑賞することが広まっていく。
1972年に英訳された「アウトサイダー・アート」ということばには、もっと広義の意味が加わり、正当な美術教育を受けていない人が創り出すアート全般を指すようになる。
ただ、日本では「アウトサイダー・アート」といえばほぼ障害者アートのことを指すようで、上記のような欧米の捉え方とはイメージが異なるようだ。福祉的な観点から、障害者の関係者が障害者アートを広め、障害者の社会的地位の向上を目指したことが影響しているらしい。
近年では、アール・ブリュットとナイーブ・アートとプリミティビスムを包括して「アール・イレギュリエ」という呼び名が使われているとのことで……
ちなみに、「ナイーブ・アート」は正規の美術教育を受けていない人の芸術、「プリミティビスム」は非西洋文明や先史時代の人々の文化などを採り入れる様式。

背景や難しい概念のことについてはこれぐらいにしておこう。
そんなことは抜きにして、何の枷もなく思い切り自由に描かれたアウトサイダー・アートは、何もかもが突き抜けていて圧倒される。フリーダムさ加減や偏執的な表現は、興味深いし、観ていて楽しい。
破天荒な色使いや緻密な描き込み。時に、ディープでグロテスクなテーマだったり。
それは、制作者にとっては、自分の世界そのもの、自己そのものを表現したに過ぎない。それだけに、純粋さが伝わってくる。
世間的に知られた人を例に挙げると、山下清とか、ヘンリー・ダーガー辺りがわかりやすいだろうか。

現代のアーティストたちが、マイベスト・アウトサイダー・アートを発表しているコーナーがあるのだが、これがバラエティに富んでいて秀逸。
「シュヴァルの理想宮」、原爆の絵、ネットに溢れるクソコラ、いろんな駅の切符のパンチ屑コレクション(林丈二)など。
ちなみに、「シュヴァルの理想宮」とは、フランスの郵便配達夫フェルディナン・シュヴァルが、ある日躓いた石にインスパイアされて、拾った石を積み上げ33年を費やして作った建築物。奇妙な石の宮殿だ。
88歳現役写真家・西本喜美子さんの作品にも目を奪われる。自らがモデルとなり、「車に轢かれる」お婆さんを撮った衝撃的な写真。自らゴミ袋に入って捨てられていたりもする。不思議なのは、悲愴感が全く無いこと。笑える写真になっているのがすごい。
一番衝撃だったのは、「サッポロ一番」。酒井美穂子さんの作品(?)である。インスタントラーメンのサッポロ一番しょうゆ味。これを両手で持ち、袋の表面を右手親指で優しく擦る。朝起きてから夜寝るまで、10代半ばから20年以上、「制作」された「サッポロ一番」は累計7500個以上。その作品が、福祉事務所によって保存されているという。ほぼ1日1袋「制作」している計算か。これがアートになるのかと疑問の声も上がりそうだが、起きている間ずっと、酒井さんのエネルギーは「サッポロ一番」に注入されているわけだ。しかし、麺の形は四角く保たれたまま。破壊はなく、愛でているのか擦るのみ。そうなると、ただの袋麺では済まされない存在になっているような気もする。費やされた長大な時間と、連続する赤いパッケージ。それを想像すると、日々の残像を見ているようだ。この「サッポロ一番」は、「目で見える時間」なのかもしれない。

他にも、さまざまに数多くの作品が紹介されているのだが、興味は尽きない。
例えば、兵士たちの薬莢細工。第一次世界大戦中、兵士たちが塹壕で作っていたもの。薬莢といっても、花瓶になるくらい大きなものなのだが、彫刻したり切り込みをいれたりして思い思いのデザインで作られている。

正規の美術教育を受けずに、アーティストとして活躍されている人はたくさんいらっしゃると思うのだけれど。
マンガやアニメやイラストの世界なんて、ほとんどそんな感じじゃないだろうか。
描きたいから描く、好きだから描く、描かずにいられない。
そういう迸るような衝動やエネルギーが、人を惹きつける魅力の源になっているのではないかと。

アウトサイダー・アート……
幅が広いだけにとらえどころのないものだが、なぜか惹きつけられる。
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2016年08月08日

両国タイムトリップ

久しぶりに「観たい!」と思った展覧会があったので、出かけることにした。
江戸東京博物館の「大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで」。
どうやら、「妖怪ウォッチ」関連の展示もあるらしく、夏休みに入ったら子供たちで大混雑するかも。うかうかしていたら大変なことになりそうだとは思っていたのだが、学校の夏休みは始まってしまった……
大部分の学校が夏休み初日となったであろう日、まだマシかもと、雨天の中、両国へ向かう。

江戸博に着いたのは、ギリギリ午前中。
地元のコンビニでチケットを買っておいたので、直接入り口へ。
コンビニチケットは活字だけで味気ないけど、チケット売り場に並ばなくてよいのがありがたい。
チケット屋でお得に購入するのも手だけれど、確実に行くと決意していないと無駄になることもあるし。
実際に行くとなったら当日に簡単に入手できるのて、その点も安心。

入り口を入ったら、音声ガイドの端末を借りる。
案内人役は、『夏目友人帳』で妖怪・斑こと”にゃんこ先生”を演じている井上和彦さんだ。
この日はどうもツイていない。借りた端末は電源が入らず、すぐに交換してもらった。

すでに結構な混雑。入り口に近い方が混んでいた。
会場が博物館だし、内容も手伝ってか、美術展を鑑賞慣れしていない人が多数。
人気のある作品の前で「進みながらご覧ください」と言われても全く動かない。観てもいない作品の前で関係ないことをやっていてどかない人も。混雑しているときは譲り合いの精神を持っていただきたいもの。
ガラスケースには手でベタベタ触る。作品はガラスケースに入っているし、特に注意書きはなかったかもしれないがマナーとしてはいただけない。会場内で飲み物を飲んでいる人も発見。
雨が降っていたので、長い傘を建物内に持ち込んでいる人も多い。入り口で預けましょうね。
なぜか、進むほどに混雑は解消。たぶん、次第に飽きた子供たちが足早に進んでいった結果なのではないかと推測。
子供たちに芸術作品を見せる取っ掛かりとしては良い企画だったのかもしれないが、予想外に大人向けだった気がする。

色々と、興味深い絵はあったのだけれど、一番インパクトが強かったのは、最初にあった葛飾北斎の「天狗図」だった。
大きな蜘蛛の巣をひらりとかわすように、天狗が天空から迫ってくる構図。なんとダイナミックで且つ繊細なことか。流石のセンス。

やはり、ユニークなのは、「姫国山海録」。
妖怪図鑑みたいなものだが、ミジンコみたいなキャラクターとか、あまりお目にかかったことのないタイプが列挙されている。
どちらかというと、妖怪というよりは『蟲師』に出てくるような蟲みたいな感覚。病気との因果関係などが書かれているようなので、悪さをするものをわかりやすくキャラクター化した感じ。

円山応挙の「幽霊図」は、何度観ても他と迫力が違う。
おどろおどろしさが群を抜いている。
浮世絵師たちが描く物語も楽しい。巨大な骸骨の「こはだ小平二」、海中にぬっと立ちはだかる「海坊主」。
錦絵は、化け物を描きつつも、艶やかで美しい。
付喪神たちもたくさん。中でも「百鬼夜行絵巻」が秀逸。
「土蜘蛛草紙絵巻」もいい。さすがは重要文化財。年季が違う(14世紀)。
国宝の「辟邪絵 神虫」は、逆に古さを感じさせない。こちらは12世紀の作。神の使いとして、鬼を貪る絵柄は壮絶なのだが、顔つきがユーモラス。

最後の方に、遮光器土偶やみみずく土偶が鎮座している。
遮光器土偶は、小学生低学年くらいで知り、その頃から「宇宙人を表現したものではないか」みたいなことが言われていたが、現物を目近に観て、「おぉっ!」と感激。
そして、最後の最後。ほんのオマケみたいに「妖怪ウォッチ」が登場。古代からいきなり現代に飛ぶ落差ったらない。
たったこれっぽっちで子供たちを呼ぼうっていうのか?「妖怪ウォッチ」目当てだと、ガッカリするかもしれないな。かと言って、他の作品を観て、子供が楽しめるとも思えないし。

ミュージアムショップには、妖怪モチーフのいろいろがあって楽しかった。何も買わなかったけど(笑)
私が行ったのは会期前半だったので、後半ではけっこうな数の展示替えあり。
終了後は、大阪へと巡回するらしい。

せっかく両国へ来たのなら、他にも寄りたいところがある。
横網町公園と旧安田庭園だ。江戸博の西側には両国国技館。国技館の北側に旧安田庭園。旧安田庭園の北東側の斜向いに横網町公園がある。
まずは、横網町公園へ向かう。目当ては、伊東忠太の設計による建築物だ。
東京都慰霊堂と東京都復興記念館とが建っている。
ここは、関東大震災で避難してきた人々が火災旋風に巻き込まれ、約3万8千人の焼死者が出た「陸軍被服廠跡」なのである。
関東大震災の犠牲者は約10万5千人。その犠牲者を供養し、ここに慰霊堂が建てられた。5万8千人のご遺骨が納められているという。
その後、東京大空襲の戦災者を弔うこととなり、現在は約16万3千人のご遺骨が安置されている。

場所柄、建物を写真に撮るのは憚られた。興味の在る方は、画像検索をしてみてください。
西洋式の神殿に和風の屋根がのってしまったような和洋折衷の不思議な慰霊堂。白い外壁にミントグリーンのような色の瓦屋根。屋根の上には小さな尖塔。
相当大きくて、どっかりとまさに霊を鎮めている感じがした。
「安心してお眠り下さい」と犠牲者の方々をしっかりと守っているように見えた。
屋根には、スモールディメンション化した鳳凰のような可愛らしい鳥がそこここに。
内部には、ドラゴンが丸い照明を玉のように掴んでいる装飾が。
何を祈ったらよいのかわからないが、内部に足を踏み入れた以上、礼儀として手を合わせ拝礼した。
正直、もっと雰囲気の沈んだ場所かと想像していたのだけれど、厳かな雰囲気はあったものの、慰霊堂のおかげで晴れ晴れとした場所に感じられた。

今度は、復興記念館へ。上記の慰霊堂も復興記念館も1930年に建設された。
こちらは洋風の造りだが、玄関上に狛犬のようなキャラクターが並んでいるのに和む。
こんな建物の中を堂々と入っていけるのだから贅沢だ。
内部は、関東大震災と東京大空襲に関する資料が展示されている。
入場料は無料だが、かなり充実している内容で、雨の平日とはいえ、見学者がほとんどいないのは勿体無いことだと思った。
関東大震災のメカニズムや被害状況などがパネル展示され、当日に撮影された写真などもたくさん観られる。火災で焼け残った残骸が数多く展示されていて圧倒される。
そして、東京大空襲のパネル展示も。あらためて、日本に空襲のあった日付や場所や犠牲者の数などを列挙されると、ほんとうに非道い。それは、想像を遥かに超えていた。
この国が、100年も経たない昔に、戦争の渦中にあったということを見せつけられた。
震災と戦災を経て、その後に東京がどのように復興していったかということについても展示されている。
こんなに充実した展示が観られるとは思ってもいなかったので、いい経験をさせていただいた。
あれは、東京に暮らしている人は、観るべきだ。
私自身は生まれも育ちも埼玉県だが、母は東京大空襲のときには築地で暮らしていたらしく、飼い猫を泣く泣く残して避難したというような話を聴いている。まったく、他人事でない。

それから、旧安田庭園に向かったが、両国公会堂はすでに解体されているし、工事中のフェンスが味気ない。潮入の池(再現)といっても短時間の見学では実感もなく、特にこれといった感想もなし。

調子に乗って、日本橋へ向かう。日本橋界隈を訪ねるのは、10年ぶりくらいだろうか。
会社員時代に通い慣れた三越前は、劇的な変貌を遂げていた。それを見てみようと思ったのだけれど。
コレド室町に足を踏み入れたのは初めて。マンダリンオリエンタル東京(日本橋三井タワー)などの新しい大きなビルが立ち並び、中央通沿いは激変していた。
いくつか都道府県のアンテナショップがあるのも発見。あらためて調べたら、周辺にもっとたくさんあったのだな。
遅い昼食は利久庵で納豆そばでもと思っていたのだけれど、誘惑に負けてコレド室町でうどんを食べてしまった。温泉卵をはじめ、薬味を使い放題という面白い店だった。
新しい日本橋を眺めていたら、私の知る日本橋が残っている部分を探したくなって周辺を歩いてみる。
ミカドコーヒーの看板を見つけて、モカソフトを食べることにした。1Fは気軽にコーヒーが飲めるスタンドで、2F・3Fが喫茶店になっているのだが、実はお店の中に入ったことがなかった。
上司に頼まれて、いつも部署の人数分のモカソフトを電話で注文しては、受け取りに行くだけだったから。お世話になったその上司はもう故人。懐かしく思いながら味わった。

帰りに池袋で少しお買い物。
最近、タカセが気に入っている。池袋ではおなじみ。東口の駅前にあるが、大正9年創業の老舗。昭和のにおいのする洋菓子やパンが、逆に目新しい。おつかいものにアーモンドチュイルを購入。ついでに、パンを物色。極悪に甘そうなカジノというのをダンナさんへのおみやげに。フルーツ入りのクリームがサンドされたパンで、アイシングがけとチョコがけがいっしょにパッケージされている。すごいボリュームだった。

珍しく、だいぶノスタルジックな気分になった1日だった。
posted by nbm at 18:40| Comment(10) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月02日

画鬼とコンテイル君

たまにはと、図書館で雑誌コーナーに立ち寄ると、芸術雑誌の表紙に河鍋暁斎の絵を見つける。
パラパラとめくってみると、今年は河鍋暁斎の絵が観られる機会が様々あるとのことで、そのうちのひとつ『画鬼暁斎−KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル』というのに惹かれる。

河鍋暁斎には以前から興味があり、5年ほど前に埼玉県蕨市にある河鍋暁斎記念美術館に行ったことがある。(→過去記事 画鬼の描く妖かしたち
暁斎の曾孫が自宅を美術館に仕立てたということで、住宅街の中にひっそりとある美術館。
多種多様な絵を描き多作で「画鬼」と称される暁斎の作品の中でも、幽霊や妖怪の絵を集めた展覧会だった。
伝統的な技法を使った絵もいいのだけれど、独特のポップな感覚は観ていて楽しいものがあり、その振り幅の大きい作品群に圧倒されたものだ。

一方、近代建築にも興味があり、ジョサイア・コンドルといえば、かの鹿鳴館を設計するなど日本の近代建築の祖ともいえる人物。
日本文化にも親しみ、河鍋暁斎を師と仰いで日本画を学んでいたという。

この2人の展覧会を開催するのが三菱一号館美術館ということで、これは見逃せない。
復元されたレプリカ建築とはいえ、ジョサイア・コンドル自身が設計した三菱一号館で開催されるとは。

うかうかしていたら、会期も残り少なくなり、行くと決めた日はひどい霧雨だったが、丸の内界隈は地下で移動できるはずと踏んで、行くことに。

雨で地上は歩かないつもりだったのだが、せっかくの三菱一号館の外観を観たいじゃないか。
ということで、行きは地上から向かう。傘をさしていても、あらゆる方向から降ってくる霧雨に、負けじとぐるり周囲を歩いてみる。
丸の内というと、近年は超現代的なビルが立ち並んでいるが、異彩を放つその外観。レプリカとはいえ、堂々たるもの。
外観を楽しんだところで、中へ。

三菱一号館美術館は初めてだったのだが、向かない構造を無理くり美術館にしているので、内部はわかりにくい。レトロで小規模な展示室と展示室の間はガラスの自動ドアで仕切られていて、いちいち自動ドアを通らなければならない。
L字型の建物なので、途中の回廊ではレンガの外壁から特徴的な屋根に至るまでを見渡せる場所があり、雨の中で静かに佇むその姿にはちょっと感動。これが晴れている日だったら、もっと違って見えたと思うと、雨でよかったような気さえした。

印象的だったことをいくつか。
まず、コンドルの設計図の美しさ。1本1本の線が繊細で、華麗。こんな華やかな設計図があるものなのだなと。書き込まれている英字も美しく、デザインの一部のよう。
コンドルの描く日本画も悪くはないのだけれど、あの設計図の美しさを観てしまったら、美的センスがピカ一だったことはわかりきったことで、彼の描く絵も美しいことになるほど納得。
暁斎のスケッチのようなものに、「コンテイル君」と度々コンドルの姿が描かれていて、親しみをもっていたことが伝わってくる。

暁斎の絵では、一番楽しみにしていたのが「鳥獣戯画 猫又と狸」なのだが、つぎはぎされた絵で思ったほど迫力がなかった。期待し過ぎたか。
暁斎の「鯉魚遊泳図」は凄かった。コンドルがそれを模写したような「鯉之図」もあったのだが、迫力が全然違う。かといって、コンドルが下手なわけではなく、暁斎の描く鯉の活き活きとした姿は今にも動き出しそうで、こちらに飛沫がかかりそうな感じがするほどなのだ。
メトロポリタン美術館蔵の暁斎の絵も観ることができた。「カエルを捕まえる猫図」とか「蜥蜴と兎図」とか「栗と栗鼠図」(笑)とか、取り合わせが面白い。動物たちがそれぞれに活き活きと描かれている。
幼少の頃に歌川国芳に師事していたこともあるというが、国芳風味の「暁斎楽画」のコントラストの強い絵も怪しげな題材と相まって魅力的。
「蟹の綱渡り図」とか「風流蛙大合戦之図」とか、鳥獣戯画的な動物が擬人化された絵は隅々まで楽しい。
妖怪系の絵も多いけど、死体の時間経過による変化を描く「九相図」なんてものもあったし、お下劣な「放屁合戦図」なんてのもある。
それに春画もあった。春画コーナーは18禁でロールスクリーンで区切られており、お子様の閲覧にはご注意をというような注意書きがあった。妖怪風にデフォルメしたものは観たことがあったが、暁斎のどストレートな春画は所見。これはこれで興味深い。どこかユーモラスで、いやらしさがあまり感じられなかったのだが、あれで春画として役に立ったんだろうかと要らぬ心配をしたり。

要するに、「何でも描くなぁ、この人」という感じで、しかも何を描かせても抜群に巧い。
1990年代に逆輸入みたいな形で伊藤若冲がブームになって人気に火がついたけれど、今、河鍋暁斎をかつての若冲みたいにブームにしようと仕掛けられているような気がする。
古典的な美しい絵も、ポップだったりグロテスクだったりする現代美術に繋がるような絵もあるから、暁斎を知れば魅力的に思う人は多いだろう。
これだけ多種多彩な作品を数多く世に出しながら、社会的な評価は今ひとつのような気もするから、もっと知られてもいいかなと思う反面、あんまり人気が出ると今後の展覧会に行きにくくなるのも嫌だななどと勝手なことを考える。

帰りに、初めてオアゾの丸善に寄ってみた。
ケチくさい話だが、本を購入するのは図書館で手しにくいもののみ。そして、いただきもののクオカードで購入することにしている。
ということで、クオカードが使える丸善へ。
ここの丸善には初めてやってきた。いくつか書店を回ったが、出遅れて入手できなかった怪談専門誌「幽」23号が、ここには平積みにしてあった。やっと入手できた。
売り場の奥に進むと窓際に椅子が設置されていて、壁一面の窓には鉄道のパノラマが広がっていた。
鉄道好きの人には堪らない空間なんだろうな。椅子は年配の男性たちに占領されていた。

夏休み中だったはずだが、丸の内ではほとんど子供の姿を見かけない。ティーンエイジャーさえも見かけない。
東京駅を起点に長距離移動する家族連れなどがいてもよいと思うのだが、オフィス街で働く大人ばかりだ。
天気が良ければもう少し足を伸ばしたかったのだけれど、地下移動でKITTEや丸ビル・新丸ビルなどをうろついただけで早々に帰ることにした。

秋口になって、興味を惹かれる展覧会がポツポツと出始めている。
そのうちまたふらっと行こうと思う。
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2015年05月18日

三行でたのむ

先日の美術展はしごの後半戦。

乃木坂の国立新美術館を後にして渋谷へ向かう。
実は、時刻はもう午後3時近くなっていて、かなりお腹が空いていた。
が、美術館内のカフェは大行列しているし、周辺にも何もないので、渋谷に出てから食べようと思う。
とにかくすごくお腹がすいたので、早くガッツリ食べたくて、立ち食い蕎麦屋に入る。店に入ったときに他にお客さんがいなかったのを幸いにかけそばとミニかつ丼のセットを注文してモグモグしていると、後から男性のお客さんが一人入ってきて、私を見て戦いていた。ちょうど入り口から死角になっていて見えなかった所に人が居たと驚いたのか、女性ひとりでガツガツ食っているのに驚いたのか(笑)
一人で出かけるときには食べることに無頓着になりがちだ。食べるのが面倒で食べないことさえある。一人で食べるのは間が持たなくて好きじゃないから、食べたらすぐに店を出るのが常だ。
せっかくの外食の機会なのだからと事前に目的地近辺の美味しそうなお店を探していくこともないことはないのだが、大体は蕎麦屋かイートインみたいな寿司屋とかになってしまう。でなければ、テキトーにファミレス系で洋食とか。ダンナさんのアレルギーや好みがあって普段は食べることができないエビ・カニ類やきのこ類のメニューを選ぶのもひとつの手だ。デザートとコーヒーだけという時もある。何にしろ、3食毎日作っている立場からすると、「他の誰かが作ってくれた」というだけでありがたい。普段、カロリーや栄養バランスを計算した食事を続けていると、たまの外食はジャンクになりがちで、それが楽しみでもある。
というわけで、今回は大汗をかきながら、立ち食い蕎麦屋で食す。私の食いっぷりに、店員さんも「またどうぞ」と声をかけてくれる(笑)

さて、お腹も落ち着いたことだし、このままギャラリーに向かってもよいのだけれど、少し汗を落ち着かせたい。
せっかく渋谷に来たのだから、少しは流行りのファッションでも見ていくかと、数あるファストファッションの店のひとつに入ってみる。確かにお安いけど、この店は私のセンスには合わないな。
欲しいものはいくつもあるのだけど、渋谷はやはり若者向けの品揃えの店が多く、大人向けの店や商品が少ないと思う。前回、同じギャラリーを目指して渋谷に来たのは、忘れもしない去年のハロウィンだった。そのときも渋谷はかなり久々だったから風景が変わっていたのだが、無印良品の大型店舗ができているのを発見して気に入ったので、そこは覗いてみる。
んじゃ、そろそろ本題のギャラリーに。

2度めなので、そこがどういう場所なのか把握している。
エレベーターを降りると、そこは玄関。靴を脱いで上がり、500円を支払って小さなバッジを受け取る。これはドリンクの引き換え用だ。で、好きなタイミングでカウンターでドリンク(お酒も可)を注文し、飲みながら鑑賞できるという仕組み。
外は暑くて、すでに朝からペットボトル2本分は飲んでいたのだが、喉が乾いていたので、駆けつけでアイスコーヒーを頼みゴクゴク。一息ついてから、やっと鑑賞に入る。

大好きな野又穫さんと、対照的なTAGAMIさんの二人展。
今回の野又作品は、懐かしいものが多く並んでいたのだが、見覚えのない作品がいくつか。
新作?には見えない。どうやら、初期の作品らしい。遠景に望む鉄橋とか、渋谷駅の地上を走る銀座線のような電車とアドバルーンとか、東京タワーらしきものとか、ずいぶんと人の存在を感じる作品だ。1995年作という古い作品ながら、逆に新しさを感じる。
野又作品といえば、人の姿が描かれることはほぼない。だからこそ、人類が消滅した世界のような独特の静謐な雰囲気が漂っているのだと思うのだけれど、近年は微妙に人の匂いを感じさせる作品が増えてきた印象を持っていたので、ぐるっとまわって元に戻ってきているという感じなのかもしれない。
今回、メインになっているのは、「Forthcoming places-6」という1996年の作品。日干し煉瓦で作られたかのようなベージュ色の2階建の上に大きくヨットの帆のようなものが掲げられている。風を受けて膨らんでいる帆を見ていると、風の音が聴こえてきそうな気がする。
ずっと昔に、とあるギャラリーで画集を購入し、たまたまいらした野又さんご本人がサインをしてくださったのだが、サインついでにサラサラとペン画を描いてくださった。それが、帆のついた建造物だったので、このシリーズの絵は私にはとても感慨深い。
物理的に考えたら、固定された建造物に帆をつけることは無意味であるどころか、風の力で逆に建造物を破壊する可能性だってあるわけで、つまりそこが「空想建築」たるゆえんなのだ。
描かれる空想建築の中には、実際に建造が可能であろう建物もあるにはあるが、実現できないであろうところに魅力があるといってもいい。
実は、幸運にも、たまたま野又さんの画集を手がけたという方とご一緒した。その画集は、建築家の方たちが好んで購入していったという話だった。服のデザインにデザイナーとパタンナーがいるように、建物にも見た目の設計を考える人とそれを実際に建造する人たちがいる。
例えば、これから建造される新国立競技場がいい例だ。デザイン・コンペティションを勝ち抜いたザハ・ハディド氏の描く競技場は優雅で美しいが、実際の建設には予算をはじめ様々な問題があり、実現するのが困難になっている。
実現できるか否かは置いておいて、魅力的な建造物というのは誰もが目指したいところなのだろう。

このギャラリーはこじんまりとしているので、スタッフの方ともお話ししながら鑑賞したりしていたのだが、半ひきこもりの専業主婦としては、まったく接点がないような前述の出版業界の紳士とお話しができたりして面白かった。
ギャラリーのスタッフの方は、とある芸術家のお嬢さんでご自身も芸術作品の創作活動をされているとのことで、これからチェックしようと思う。お父様の作品をWeb上で観たら、殊の外素晴らしく、個展があったらぜひ観てみたいと思った。

ギャラリーにはかなり長居をしてしまったが、いい加減帰るかと退散。
今の渋谷で私が惹かれる場所はあとはヒカリエだけなので、ヒカリエをぐるっと見て帰ろうと思う。
ちょっと前のこと。渋谷で、最近知りファンになったとある作家さんの展示があったのだが、情報を知ったのが終了前日で行くことができず残念に思っていた。
ヒカリエでエスカレーターを上がっていると、ポスターが目に入る。「ヒグチユウコ」の文字が!あれ?前回は渋谷でも違う場所だったけど、別の形でまた展示があるらしい。ラッキー!
たまたま最終日で、時刻はもう終了間近だったのだが、慌てて観に行く。10人合同展だったので、作品は少ししか飾られていなかったが、ご本人がサイン会をされていらした。隣のショップは大混雑。ポストカードくらい欲しかったけど、またの機会にしようと諦めた。大きなイカにかぶりつく猫がかわいかったのだけど。
図らずも、こうして3つの展覧会をはしごする日になってしまった。
もうお腹いっぱいだよ。
ヒカリエもこんなに上まで上がったことがなかったので、どうせなら一番上まで上ってみようとお上りさん。
最上階の11階には劇場が入っているが、コンビニがあったのに笑った。どうにも喉が渇く日だったので、ココナッツウォーターを購入して展望ロビーから眼下を眺めつつゴクゴク。これくらいの中途半端な高さの方が、「高さ」を感じるな。すごい景色が拝めるわりには人が少ない。穴場だな。夕暮れに浮かぶ新宿新都心のビル群を見ながら、一日の充実感がしみじみ。
さてと、そろそろ帰るかな。と、思いつつ、階下のフロアをぐるぐる周り、結局は遅くなってしまった。

ダンナさんに帰るメールをすると、しばらくして「お弁当買ってきたから、そのまま帰っておいで」と返事が帰ってくる。
一日遊び疲れて帰ってくるだろう私を見越して、自分も暑い中仕事をして疲れているだろうに面目ない。簡単なものを作ろうと考えていたのだが、お言葉に甘えて、夕食作りを免除してもらう。
家に辿り着くと、面白い話が待っていた。ダンナさんはお寿司を狙ってスーパーに買いに行ったらしいのだが、すでに売り切れ。そこで友人Mちゃんに遭遇。これこれこういう訳で買いに来たけど売り切れだったと話すと、「ごめん。最後の2つを私が買っちゃった」とのこと。譲ろうかと言ってもくれたそうだけど、ダンナさんは他のお弁当を見繕って買ってきてくれた。時間的に半額になってたからね。弁当争奪戦の相手が友達だったという……

はぁ、長い1日だった。
別に要らんことまで書かなくてもよいのだけど、なんとなく書きたい気分だったのでダラダラと。
本当に、短く簡潔にまとめるということができないな。
3行でまとめると……

3つの展覧会をはしごした。
思わぬ出会いがあって面白かった。
1日で済ませようと思うと無理がある。
ラベル:野又穫
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2015年05月16日

見えるもの・隠されたもの・見えなくしているもの

3日前のこと。
気の早い台風一過で関東地方は30度に迫る暑さになった。
暑いので陽の光を避けて、夕方涼しくなってから買い物にでかけようとマンションの階段を降りていると、階段途中の窓枠に何やら黒くて平べったい虫を発見!もしやG……しかし、それにしてはのっそりと動きが遅い。恐る恐る覗き込むと、クワガタだった。ちょっと気が早いんじゃないのか。まだ5月だというのに、急に暑くなると勘違いして出てくるやつがたまにいる。
部屋に取って返して、すでに帰ってきていたダンナさんに「クワガタがいる!」と報告。ダンナさんが捕獲した。小さなコクワガタ。ティッシュに砂糖水を含ませてあげると、そこにしがみついて離れない。
一晩うちに泊めて、翌日仲良しの小学生の男の子にあげた。

そして、一昨日も前日を凌ぐひどい暑さだったが、一人で都内に向かう。
美術展のはしごをするためだ。不思議なもので、興味のないものばかりをやっている時期と、好きな画家の美術展が重なる時期というのがある。今回は、重なっているパティーン。
まず、国立新美術館のマグリット展へ。私の中では、5本の指に入るくらい好きな画家だ。大規模な回顧展は13年ぶりだという。3月から開催されていたにもかかわらず、全然アンテナにひっかかっていなくて最近知った。もうひとつ行きたい展覧会が今週いっぱいくらいで終了してしまうので、合わせて行こうという魂胆だった。

国立新美術館は、「六本木にある」と紹介されることが多いが、直結しているのは乃木坂駅。六本木駅ではない。
当方が住む埼玉県西部地域からは、千代田線や日比谷線は出にくい路線という認識で六本木方面は行きにくかたのだが、副都心線のおかげで出やすくなったことに気付いた。
ちなみに、埼玉県は西側3分の1が秩父地方で、それを除いた3分の2を東部・西部・北部、それに南がなくて中央部という4つに分けて考えるため、埼玉県西部というのは埼玉県の中部で、尚且つ南側の部分を指す。
千代田線の乃木坂駅に出るためには、副都心線の明治神宮前駅で乗り換えできる。もうひとつの展覧会の場所は渋谷のため、副都心線に戻ってひと駅で渋谷というのも便利。帰りは渋谷から1本で帰れるし、山手線ほど混まないのもいい。大学進学や就職のときに、山手線を使わないで済む場所を選んでいたくらい山手線は好きじゃない路線だ。それに乗らなくて済むのだから、私にとってはありがたい。
もし、六本木駅に出るとしても、乗り換えの少なさで選ぶなら、副都心線が東横線に直通しているので、中目黒駅に出て日比谷線に乗り換えるという手もある。
他には大江戸線を使うという手もあり、一昔前に比べると、乗り換えの選択肢が増えているのを感じる。でも、もういい加減増えないよね? 地下鉄は。

そんなこんなで、乃木坂駅に到着。美術館より手前にまずチケット売り場がある。
昼近くになってしまったので、チケット売り場が混雑しているかもとちょっと心配だったが、平日のギリギリ午前中ということで並ばずにチケットをゲット。あまり行列しているようなら、どこかコンビニでチケットをゲットして行こうかと思ったが、公式サイトの混雑状況を見る限り大丈夫かなと判断した。
国立新美術館には、コレクションがなく常設展がない。ということは、常時企画展のみが開催されているということになる(公募展もあるけど)。企画展は人気のものになることが多いから、常に混んでいる美術館だということになるわけだ。そういう一風変わった美術館なので、チケット売り場は建物の外にある。
同時に、ルーヴル美術館展も開催しているので、2つの人気企画展をそれぞれ目指してくる人がいるということで、中には両方観るという人もいるのだろうけど、贅沢な2本立てだな。
公式サイトでフロアガイドを見る限り、この美術館は地上3階部分に7つの展示室があるのだが、それなら各展示室はそんなに大きな規模でもないのかと思っていたら、とんでもなく大きかった。
マグリット展だけでも約130点の展示。お腹いっぱいだよ。
今回はゴージャスに音声ガイドも借りることにした。”謎の山高帽の男”として石丸幹二さんの声が聴ける。解説のナレーションは、恒松あゆみさんだった。恒松あゆみさんは、アニメだと姉御肌のキャラを演じることが多い。『翠星のガルガンティア』の女海賊ラケージとか、『ウィザード・バリスターズ 弁魔士セシル』の女所長とかが印象的。連続テレビ小説『マッサン』では、エリーの日本語吹き替えをやっていたらしい。ドラマ観てないから知らないけど。こういった音声ガイドのお仕事はよくされているようだ。落ち着いていて聞き取りやすいお声。
音声ガイドのBGMには、サティをはじめそれっぽい器楽曲が流れる。音楽があると、より雰囲気が出るね。

回顧展ということで、時代を追って作品が展示されている。
食べるために書いていた商業デザイナー時代のポスターが印象的。レタリングや色使いなどいちいち美しい。
シュルレアリスムの時代になってくると、一般的に知られているマグリットらしい作品が出てくる。しかし、いろいろと「隠す」のが好きな人だな。顔に布を巻きつけたままキスをする恋人たち、切り絵の向こうに透けて見える暗闇など。
この時期のもので印象的だったのは、「火の時代」という作品。頭に羽飾りを付けたネイティブアメリカンが火を思わせる赤で描かれている。その手で火の玉を操っているようにも見える。以前に、自分がネイティブアメリカンの少年になったやけにリアルな夢を見たことがあるのだけれど、そのときに出てきた人物と似ている。そのときは、この絵の存在は知らなかったのだけれど。
段々と、言葉とイメージについての考えに取り憑かれたマグリットは、作品中に言葉を書き入れたり、与えられたお題に解答する形式で絵を描いたりするようになる。作品に付けられているタイトルも凝ったものになっていくのだが、「呪い」は秀逸。雲の浮かぶ綺麗な青空を描いた作品だ。
次第に画家として成功し始めた頃のマグリットは、だまし絵的な作品を多く描いている。人の身体とか、見えるものに対する認識について、あらためて問われている感じがする。
戦時中には、ルノワールのような明るく優しい色合いの作品を描いて、戦争の悲惨さに抗おうとしていたらしいのだが、「禁じられた世界」というソファに横たわる人魚のような女性を描いた作品が素晴らしく美しい。
マグリットといえば、最初にイメージするのは「大家族」という人も多いと思う。嵐が来そうな暗く不穏な海辺に翼を広げて浮かぶ巨大な鳥は、白い雲が浮かぶ青空として描かれている。宇都宮美術館所蔵と知ってびっくり。調べてみると、20世紀以降の作品を集めているそうで、面白そうな企画展をやっているときにでも、一度出かけてみようかと思う。
昼間の青空の下に夜の町並みが描かれた「光の帝国U」も確かに素晴らしいし、山高帽の男たちが雨のように降っている「ゴルコンダ」や傘の上にコップの水が載っている「ヘーゲルの休日」もユニークで楽しいのだが、「旅の想い出」という作品が心に残る。手前にはコートを着た友人が佇み、その足元にはライオン、背後にテーブルがあり、蝋燭が灯る燭台が載っている。背景には断崖に囲まれた城塞のようなものが描かれた絵。でも、それらすべてが床や壁も含めて”石”として描かれている。その中にあって、そっと灯っている蝋燭の淡い光が美しい。今回の展覧会で、なぜか一番心に残る1枚となった。
代表作のひとつ「ピレネーの城」は、これから巡回する京都展でのみ観られるという話。東京展では、同じ空中浮揚岩系の「現実の感覚」があったからよしとするか。逆に、東京展のみでしか観られない作品もあるかもね。その辺が公式サイトなどでは明確にアナウンスされていないが、これ重要だよね? 会期中の展示替えもあったようなのだけど、そういったことはもっと大々的にお知らせしてもらいたいものだ。

作品に添えられた解説文やマグリットの言葉を読んでいると、次第に現実から離れていくような感覚に陥っていく。
途中、休憩室で映像を観ることができた。度々作品の中に登場する妻ジョルジェットとの仲睦まじい映像が観られる。楽しそうだ。この映像を観ることで、脳が溶けかかったような感覚もリセットされて、リフレッシュして次からの作品を鑑賞することができた。
そうそう、館内はとても寒い。ミニブランケットのような羽織ものを貸してくれるようなのだが、これから行かれる方は羽織るものを持っていくのが吉。私は、薄手の長袖ブラウスを着ていたのだが、途中から麻ストールを纏って鑑賞した。でも、外気の暑さが半端無くて汗をかいた身体は冷えきってしまい、肩が冷たくなって痛みが出てしまった(いまだ週2でリハビリ中)。ご注意を。

私たちは常に、見えるものによって隠されたものを見たいと願っています。隠されたものと、見えることが私たちに見えなくしているものに関心があるのです。

マグリットの言葉。何を言っているのかよくわからないが、常に記号論のようなことを考えていたのではないかと思う。認識の問題についてとか。
私にとってのマグリットの魅力は、”明快さ”なんだと思う。難しいことを考えて、言葉にすると表現しきれないものを絵画にすることでわかりやすく伝えてくれる感じ。で、私が受け取ったその感覚を言葉にして伝えるというのは土台無理な話なのだ。

国立新美術館は初めてだったので、内部や外回りをぐるっと。外から見る曲線的なガラスも美しいのだけれど、中がまたアリの巣のようなカフェがあったりして楽しい空間。
地下のミュージアムショップなどでは、一風変わった東京みやげが置いてある。これまた芸術品を見ているみたいで面白い。
ちなみに、設計は黒川紀章。

さて、もうひとつの展覧会他の話は、長くなったので、また次回にでも。
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2014年09月27日

グラス&アート

久しぶりに超能力が発動。
朝、テレビのブック・ランキングの中で紹介された1冊の本の表紙を観て、「そういえば……」と思い出し、何の気無く検索してみた。その表紙絵が、大好きな画家の作品のテイストに少し似ていたからだ。
なんと!昨日から野又穫さんの新作展が開催されているではないか!

野又穫 新作展 “ Ghost ”
ATSUKOBAROUH(東京)
2014年9月26日 (金) - 11月3日 (月)
2:00p.m. - 9:00p.m. (水 - 土) / 11:00a.m. - 6:00p.m. (日, 月) 火曜定休


私は、野又穫さんの作品の20年来のファンである。学生時代に最初に池袋西武内で作品を目にしたときから、ずっと追いかけている。展覧会があれば、行ける範囲なら必ずと言っていいほど観に行っている。とある個展でご本人の画集にその場でサインしていただいたことがある。帆の付いた建築物をマジックでサラサラと描いていただき、私の宝物となっている。
以前はオフィシャルサイトなど存在せず、展覧会を観に行ったときに書き込んできたメールアドレス宛に展覧会情報などを送ってもらっていたのだが、こちらのアドレスが変わってしまい、わざわざ訂正するのもなんかなと思って送付が途絶えてしまった。とはいえ、元々、年に1度あるかないかのお知らせである。
野又さんの奥様がマネジメントのようなことをされていてtwitterアカウントがあり、展覧会の情報なども載せてくれるのだが、こちとらSNSやtwitterは性に合わずアカウントを取っていないし、膨大な量になるつぶやきをいちいちチェックする気にもなれず、長いこと覗いていなかった。
そんなこんなで、展覧会情報はこちらからチェックしないと得られない。
前回、野又さんの展覧会に行ったのは、1年ほど前のこと。(過去記事→空想の建築)町田市立国際版画美術館で開催されていた「空想の建築―ピラネージから野又穫へ―」だった。個展に限れば、2012年3月に行った佐賀町アーカイブでの「blue construction」(過去記事→時を越える箱)だ。
今日のひらめきは、役に立った。

今回の検索で、野又穫さんのオフィシャルサイトが開設されていたことを知る。今年の3月末に開設されたようだ。
これで少しは情報を得るのが簡単になった。たまにはココを覗けばいいわけだ。ありがたい。
そんなことも知らなかったのだから、少なくとも4月からこっち、検索さえしていなかったということになる。
それがなんだか「キュピーン!」と感じるものがあったのだ。これがないままに過ごしていたら、この情報にありつけなかったかもしれない。

今回の展覧会は、渋谷の文化村隣にあるATSUKOBAROUHで開催されるとのこと。
「アツコ・バルー」とは、聞き覚えのあるお名前である。
あれは2004年の秋のこと。このブログを始める前だったので、記事はない。
新宿御苑に隣接するバルーさんの個人宅(当時)が、野又穫さんのドローイング展の会場になったことがある。知らないよそのお宅に上がり込んで絵を観て歩くなんて、なんとも抵抗があったのだけど、野又さんの絵が観たいという欲求には勝てず、恐る恐る訪ねて行ったものだ。
小さく案内は出ているものの「いいのか?本当に入って行っていいのか?」と思いつつ門を入り、レトロな佇まいのお宅に侵入。お庭ではワンちゃんと子どもたちが遊びまわっていた。
お宅の中のそこここにドローイングが展示されている。生活感がありながらも、ダークブラウンが主体の趣味の良い家具に囲まれた空間で、とても不思議な展示だった。和室もお庭もあったし、家自体も美しい作りだった。一回り巡ると、リビングで紅茶をいただく。お客さんが数人、といってもみなさん顔見知りの様子。後はお手伝いのスタッフのような方とか、たぶんアツコ・バルーさんご本人とかがいらした。場違い感が半端なかったけれど、遠慮なく紅茶をいただいた。そこで野又さんの奥様と少しだけお話しする。たしか、野又さんご本人もお見かけしたような気がする。
都心のど真ん中に、こんな落ち着いたお宅が存在するものなのだなと意外に思った。そこは、甲州街道の宿場町であった内藤新宿。新宿御苑も内藤家の下屋敷跡ということだが、どうやら、そこに内藤家が建てた昭和の洋館ということらしい。
この洋館が、今はラ・ケヤキというイベントスペースになっているようだ。

渋谷のATSUKOBAROUHは、ドリンク付きのギャラリーという形態らしい。これまた斬新な……
普通、絵画を展示するようなスペースでは、パーティーは別としても、飲み物なんて厳禁な印象だ。
そんな一般的な事情に反して、「グラスを片手に深夜までアートを語れるいわばアートのライブハウス」なんだそうだ。
あぁ、なんかまた別の意味で、私には敷居の高そうな空間だ。渋谷は嫌いな街だし。
でも、野又さんの絵は観たいから、行くしかないな。

思えば、野又さんの絵が観たいという一心で、今までもいろんな場所に行ってきた。
御苑隣の邸宅しかり、町田しかり。青山のギャラリーや高崎の美術館などにも。
基本的にはあまり外に出かけない自分が、外に出るきっかけを作ってもらっている。
幼い頃から思春期を含み今まで、特定の誰かのファンになったことがない。
部屋にポスターを貼りまくったり、追っかけをしたり、熱狂的に追い求めることには縁がなかった。
あちこちに興味の矛先が飛ぶので、ひとところに落ち着いていられないタチなのだ。
別に野又さんご本人を追いかけているわけではないのだけれど、野又さんの作品は、私にとって、唯一そういった熱情を持って追いかけることができる対象といっていい。
前回の町田は例外だったが、それ以外は知らない所でも行き方を調べ、自分ひとりでずんずん出かけていった。
半ひきこもりのような生活をしていると、こういう外に出るきっかけというのは、とても大切だ。
会期は短いので悠長にはしていられないが、是非出かけて行こうと思う。
興味のある方は、ぜひどうぞ。
ラベル:野又穫
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2013年08月01日

空想の建築

心身ともに疲れきっていた1ヶ月半ほど前、行きたくても行けなかった展覧会の最終日に駆け込みで行ってきた。
町田市立国際版画美術館で開催されていた「空想の建築―ピラネージから野又穫へ―」
町田市はうちからだと非常に行きにくい場所であり、行くのを躊躇してしまうほどなのだが、ありがたいことにダンナさんが車を出して連れて行ってくれることに。
ついでに、アニメの聖地巡礼もしてきたわけですが(笑)

半年ぶりに遊びに出かけて、気分転換するはずが、その出先にさえ、兄弟からのメールが入り、断ったにもかかわらず母のために動かなければならない用事を押し付けられてしまったのだけど、それでも、出かけたこと自体は心身のリフレッシュとして大きかったわけで。
ただ、帰ってきても、そのことをブログに書くことができなかったのは、芸術作品に触れた際の感じ方が、常とは違っていたからで……
カラカラに乾いている地面に、少しばかり水を撒いても、すぐに吸収されて表面はまだ乾いたまま。そんな感じで、滋養とはなったのだけど、カチカチに乾いた心には、それだけではまったく足りなかったようで。
楽しいし、感動もするのだけれど、それが持続しないというか、萎れてしまうというか。その自分の反応に、ちょっと驚いた次第で。あらためて、自分の疲弊具合に気づかされたようで、ショックだった。

そんなこんなで、このときのことは記事を書けずにいたのだが、先日、図書館の新刊の棚に、この展覧会の図録があるのを発見。
行ったのが最終日だったこともあってか、図録は売り切れてしまっており、書店で注文すれば入手できるとのことだったのだけれど、それが図書館の棚にあるとは!
もう一度、じっくりと展覧会を観るようなつもりで手に取った。

空想の建築……
建築物というのは不思議なもので、実際に建築されなくても、図面や絵になっただけで存在感を発揮する。
実現性の高いものでありながら、実際には絶対に建築できないような代物も図面上でなら表現できる。その、現実と虚構の間を行ったり来たりする感覚は、特別なものだと思う。
先日、アブダビに作られた円形ビルの建設時のドキュメンタリーを観た。設計から建設まで2年半。海沿いの埋立地に建てられたため、基礎工事からして磐石にしないといけない。2枚貝を立てたようなデザインのビルの表面はカーブしているのだけど、三角形のガラス板2万5千枚を貼り合わせて作るという。砂嵐の発生する地域で、風の影響も考慮しなくてはいけない。まず2棟のコアを作り、それを包み込むような貝殻部分はガラスで覆う。途中、自重で鉄骨が歪むなど、幾多の困難を経て完成となった。
番組中では、F1アブダビGPの開催に合わせて建設されたという話だったが、調べてみると、ヤス・ マリーナ・サーキットを開発したアルダー社がこの円形ビルも作っているよう。っていうか、アルダー本社ビル。Round Skyscraperと呼ばれているらしい。その異様をご覧になりたい方は、画像検索してみてください。
このドキュメンタリーでもそうだったけれど、奇抜な建築物というのは、まず構想ありきで、机上の空論のような建物を具現化していくわけだ。普通は予算ってものがあるけど、アブダビはそんなものナッシング。金にまかせてどうにでもできるから、奇抜な構想も本当に実現してしまう。この円形ビルとて、工期が限られているからと、設計図が出来上がる前に基礎工事が始まってしまったという、わけがわからない展開になっている。作りながら、「ここはどうしよう?」みたいにやってるから、いろんな齟齬が出てくる。なのに、それでも建つ。
人間が頭に描いたものは、科学技術が追いつけば必ず実現できるものだとは聞くけれど、それを見せ付けられるようなドキュメンタリーだった。

何が言いたいかって、空想上の産物というのは数々あれど、空想の建築というのは、非常に実現性の高いものであって、もちろん物理的に無理だとか予算的に無理だとかは別にして、この世界と地続きのファンタジーであるところが最大の魅力なのだと思う。

さて、この展覧会の始まりは、空想の古代、エジプトを描いた細密画から。
1800年代にナポレオンがエジプトに向かわせた学術調査団に同行した画家たちが描いた<エジプト誌>の銅版画。オベリスクや神殿の列柱の数々。エドフ、カルナック、ルクソール、デンデラ……そして、ピラミッドとスフィンクス。
これは、写実的に描かれたものだと思うのだけれど、冷静に見ると、逆に現実のものとは思えない存在感があるもので。
行ったなぁ、エジプト(遠い目)海外旅行は卒業旅行で行ったエジプトのみという私。実際、自分が目の当たりにしたときも、これが現実のもの、しかも何千年も前に造られたものとは信じがたいと思ったし。

続くルネサンスからバロックの章では、建築家クロード・ニコラ・ルドゥーの銅版画の中の建築デザインが秀逸。これはきっと実現できなかったものだろうけど、球体の建築物もある。この時代にすでに挑戦的な建築デザインを考案していた人もいたのだね。

物語の中の建築物を紙上に描き出すということで取り上げられていたエリック・デマジエール。ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『バベルの図書館』を描いた作品など。
これがまたいい。
直線と曲線との組み合わせ。濃い陰影が荘厳な雰囲気を醸し出しつつ、薄っぺらな板材のような軽い素材を使っているように見えて、そのあたりのアンバランスさが絶妙。

近代は、摩天楼や工業建築のようなものが楽しい。
建築完成図を描くことを「レンダリング」と呼ぶのだそうだが、初めて知った。コンピュータ用語のレンダリングは、こういうところから来ているのかと発見。
ゴッサム・シティのような未来都市があるかと思えば、ヤコフ・チェルニコフのイラスト的な原色使いの工業建築もある。チェルニコフの『建築的空想』は、1933年に描かれたとのことだけれど、雰囲気としては「1960年代から観た未来」みたいな感じで、先見性が伺える。色使いがとてもキュート。

そして、この展覧会の目玉のひとつ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ
古代ローマの研究家で、その研究の集大成である『ローマの古代建築』で、実地調査をベースとしながらも、逆に「これはないだろう」と思わせる景色を描いている。
複雑なことを描きながらも、基本的な構図のすばらしさを感じさせる絵。『古代のマスルの競技場』とか、図録の表紙にもなっている『古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点』とか。どこをどうみていいのかわからない。もう圧巻。
古代建築の空想的復元は、暴走している感さえある。

最後に、現代の空想建築画家である野又穫の作品群。
野又さんの展覧会が開催されると聞けば、行ける限り行っている私とすれば、観たことがある作品が多い中、初見だったのは4作品。
大好きな野又作品のこと。もちろん、過去の作品でも、何度観ても楽しい。観ているだけで楽しい。
風を感じる作品、空気を感じる作品、水を感じる作品……
初めて観た作品のひとつ、『都市の肖像』(2012)。東日本大震災を経て、描く事ができなくなってしまったとうかがっていたし、その後の「blue construction」シリーズではガラリと作風が変わってしまい、ぼんやりとした輪郭や暗い陰影が気になった。
『都市の肖像』では、細かい足場が組まれて建設中のように見える巨大な塔が描かれている。巨大な白い塔は鎮魂の意味が込められているともとれるけれど、とにかく「これから」だという感覚は伝わってくる。今までは、シリーズ名とナンバリングだけだった作品に、ひとつひとつタイトルがつけられるようになったのも見逃せない。そこには、何かを伝えようとする明確な意志が感じられる。
そして、未完の最新作が3点。ピラネージへのオマージュとして描かれた作品だという。
『交差点で待つ間に』は、渋谷かどこかのような町並みが、白く描かれている。左隅にわんこが何匹がいるので、渋谷を連想したんだろうか。未完なだけになんともいえないけれど、死の灰を浴びて荒廃してしまったように見える。
『波の花』は、巨大な都市を思わせるビル群と、通過するものを光で表現した作品。こちらは、生気に溢れている。大体、光、つまり電気を生み出すところには、人の存在が感じられる。人が動き生活する所で照明が点き、電気を生み出すシステムが働いているということも人のいる証明になっているように感じる。けれど、人間は直接的に描かれていない。ここだけは、野又作品として個人的にはずしてほしくない点だ。
『牢獄その上に』は、野又作品では何度も描かれてきた塔。タイトルからして、塔の下に広がる町が牢獄なのか、それとも塔の下部が牢獄なのか、いずれにせよ、牢獄の上に別のものを創れということなのだろう。
いずれもメッセージ性の高い作品に見てとれた。少々困惑する部分もありつつ、表現者として常に新しく変容し続ける姿勢も感じる。
他に、『ELEMENTS - あちら、こちら、かけら』という、野又穫ドローイング展も同時開催されていた。
朝日新聞に連載されていたシリーズのようで、ドローイング展と同タイトルの1冊の本にまとめられている。
こうした小さな作品も悪くはないのだけれど、個人的にはやはり大きなキャンバスに描かれている作品が好き。

公立の小さな美術館が開催した展覧会としては、とても見ごたえがあるものだったと思う。
近年、大々的に宣伝されるような有名画家の展覧会は行く気にならない。混んでいる美術館には行きたくないし。絵の前で立ち止まれなかったり、全体を観られなかったりするのは、残念すぎる。
特に、野又さんの作品は、1枚1枚じっくりと時間をかけて観た後に、もう一度少し遠くから観るのが好きだ。近くで観れば、それは絵なのだけれども、少し遠くから観ると、遠景に実際に建つ空想建築を観ているような気分になるから。

美術館のある芹ヶ谷公園は、綺麗な公園。
『彫刻噴水・シーソー』が、観ていて楽しい。ステンレスの巨大な2本の樋が水を受けて傾く。巨大な鹿威しのような感じ。
駅近くの神社やファミレス、駅のデッキなど、聖地巡礼して回る。神社では、同じく聖地巡礼中の学生さんと出会ったりして、面白かった。
駅前はショッピングには便利で、町田はとても暮らしやすそうな町。特に若者は楽しいだろうな。駅前には中高生から大学生くらいの学生さんがたくさん。地元で十分に遊べる環境がある。若い人が多く、活気が感じられる街だった。しかも、すさんだ感じがしない。
反面、滅茶苦茶にマンションが立ち並んでいたりして、町の景観は美しくない。駅前のそれは、あまり暮らしたくないと思うほど(苦笑)郊外は、緑が多く、敷地が広くて立派な家々が並ぶ高級住宅街もあるけど、駅に出るまで不便そう。
通勤・通学には、なぜか「車で駅まで送り迎えする所」という印象があるのだけれど、そのままだと思った。

美術展とか聖地巡礼とか、そう遠くはないけれど見知らぬ街に行く機会があるけれど、これが案外面白い。自分の住んでいる周辺と大して変わらないと思いつつ歩いていると、いろんな発見があって。
また、小さな美術館に行きたいな。そう思わせてくれた美術展だった。
ラベル:野又穫
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2012年08月20日

「ズガーン!」で始まり、「モフモフ」で締める

昨日は、お盆休みの最終日。
レジャー的なことは初日に楽しんだだけだったので、この日は締めのお楽しみ。
友人宅の子猫をいじりに行って来ました。私設猫カフェ(笑)
生まれたてのノラ猫ちゃんだったコを引き取って育てていたのですが、ちゃんと生き延びてくれるか心配な状態だったのが、懸命なお世話で元気に大きくなりました。
真っ白でオッドアイのコ。毛並みをモフモフしたり、やわらかい肉球でプニプニされたり、細い歯でガジガジ甘噛みされたり、愛らしい動きを間近に見て至福の時間を過ごさせていただきましたよ。

さて、初日にレジャーと言ったのは、東京都現代美術館での特撮博物館を中心に、江東区・墨田区・江戸川区あたりをウロウロしてきたこと。
この日から遡ること1週間ほど前に、ダンナさんが急に午後休となったので、一度チャレンジしたのですが、途中ひどい渋滞に遭い、特撮博物館を鑑賞するにはちょっと時間が足りず。事前情報によると、鑑賞には3〜4時間かかるとのことだったので。結局、美術館は下見に終わり、後は周辺の地域に点在するアニメ作品の聖地巡礼をしてきました。
そして、再チャレンジ。お盆休みにはちょっと早く、平日。とはいえ、もしかしたら混むかもと、開館時間と同時に入るくらいのつもりでいましたが、実際入館したのはお昼近く。でも、ありがたいことに意外と空いてました。入場券を買うのに並ぶのもイヤだなと思ったので、コンビニでチケットを事前購入して行ったのですが、入場券売り場に並ぶ人は10人もいないくらい。入場も並ばずに済みました。会場に入ると、そこそこ混んでましたが。
音声ガイドが充実しているという噂だったので、ペア用を借りました。これは、本体からヘッドフォンが2本伸びる構造だったのですが、コードが短めで、二人の距離が少しでも離れるとヘッドフォンがグンッともっていかれることがしばしば。繋がれたワンコみたいになりながら歩いてました(笑)ずっと腕を組んで歩いたりするなら、いいのかもね。ちなみに、音声ガイドのナレーターは、『新世紀エヴァンゲリオン』の冬月コウゾウ役でおなじみの清川元夢さん。

この展覧会の正式名称は、『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』(→公式サイト)。副館長は、樋口真嗣。ご存知ない方のために簡単にご紹介しておくと、館長を務める庵野秀明さんは、1995年から今に至るまで社会現象が続くアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の監督で、ジブリの『風の谷のナウシカ』では巨神兵のシーンを任された人物として知られてます。副館長の樋口真嗣さんは、1990年代からのガメラ作品などで特撮監督として知られる人。このお二人は仲良しさんです。
モスラやゴジラなどから始まり、ウルトラマンや特撮ヒーローものに関する様々なものが展示されてます。乗り物の模型、ヒーローのマスク、精密なデザイン画、ミニチュアセット、特撮技術の解説ビデオなど。

目玉は、特撮技術を駆使して作られた短編映画『巨神兵東京に現わる』。ナウシカのときよりも幾分グロテスクになってる巨神兵は宮崎駿の手によるもの。庵野秀明が企画、監督は樋口真嗣、言語は舞城王太郎、声の出演は林原めぐみ、という豪華版。
クロマキー合成という意味では、CG処理していることになるけれど、特殊効果はほぼアナログな手法を使っている作品。ミニチュアセットを使い、巨神兵を吊るし、様々な方法で爆発やビルの倒壊を表現してます。
なんというのか、全てをCGで作っているものよりも変なリアル感がありました。いつか本当にこんな日が来るのかもしれないと思うような不安や、とてつもなく力を持つ者の侵略になす術もなくあっけなく殺されていくだろう人間の無力さ。そういったものが、なぜかダイレクトに伝わってくる気がしました。あの感覚は何なのだろう?とても上手に作られているにせよ、アナログ技術は”作り物感”が否めないというのに。観ている映像と、自分の感情とのギャップが不思議な作品でした。
ただ、長く映画館などに行っていない自分は、前列の方で鑑賞してしまったためか、スクリーンの大画面に頭がクラクラしました(笑)もうちょっと離れて観ればよかった。

個人的に印象に残ったものは、代々のウルトラ警備隊が乗っていた特殊な形状の飛行機たち。ずんぐりむっくりがかわいいジェット・ビートル、三位一体のウルトラホーク1号、すでにオスプレイのような形状をしていたマット・ジャイロ。
他にも、東宝の特撮映画に度々登場している、先端にドリルが付いた海底軍艦・轟天号とか、こういったもののひとつひとつが、実は科学的な裏付けがあって作られていたらしく、それがフォルムの美しさとなって現れているところが面白い。
ライオン丸のマスクもよかったな。『怪傑ライオン丸』が大好きだったもので。

借りた音声ガイドも、半分も聴いたでしょうか。全部聴くと、1時間分あります。展示は、わりと大雑把に観たつもりでしたが、それでも2時間半はかかりました。
館長は、この展示を常設の形にしたかったようですが、今回は期間限定となってます。いつの日か、どこかに特撮博物館が作られるかもしれませんね。

ついでに、東京都現代美術館の常設展示の方もサラっと見学。
時間があれば、もっとじっくり観たいような内容でした。奈良美智とかたくさんあったし。中には、「くつを脱いでお入りください」と促される作品があって、マットの上に寝っ転がって天井に映る映像を観るというもので、これが心地よかったです。寝そうだった(笑)

東京都現代美術館は2回目、いや下見も入れると3回目か、になりますが、とてもお気に入りの美術館。また是非行きたい場所です。

さて、美術館を出ると、アニメの聖地巡礼へ。『恋と選挙とチョコレート』(→公式サイト)です。
すでに、木場公園内は、前回来たときにハープ橋の部分など見てきました。スカイツリーもずいぶんと近いんですねぇ。まったくもって広い公園です。東京都現代美術館もこの木場公園内にあります。前回は、大島駅周辺と、大島小松川公園も回りました。大島小松川公園も巨大。
今回は、大島小松川公園にも行きましたが、東大島駅から荒川ロックゲートに行くのがメインです。
荒川ロックゲートは「水のエレベーター」。最大3.1mも水面の高さが違う荒川と旧中川を船が行き来するために、水位を調節し、水面をどちらかの高さと同じにしてから船を通す閘門です。アニメを観るまで、まったくその存在を知りませんでしたが、2005年10月にできた新しい設備で、災害復旧活動も考えてのものなので、阪神大震災クラスの地震に耐えられるくらいの耐震設計で、ゲートの開閉速度も10m/minと日本最速なんだそうです。
日曜・祝日を除き、8:45〜16:30が利用可能時間で、ゲートも開放されているので、自由に登って見学できるようです。YouTubeでは水上バスのこんな映像がありました。イベントでの特別ルートらしいです。
私たちが見学している間、船の通過はありませんでしたが、何もないのにゲートが閉鎖されて、水位の調節が行われたのは見ました。見る間に水位が変わっていきました。さすが、日本最速。しかし、あれは何だったのか。サービス?(笑)
ゲートに登ってみると、案外高くて足がすくむ感じがするほど。ゲート内は、強い潮の匂いがします。そして、この日が特別だったのかわかりませんが、強風です。アニメで観ていたときは、レンガ造りの古い建造物のように見えたけど、実際はコンクリートなのか何なのか、ひどく頑丈なものの表面が化粧されているだけのものでした。でも、建造物として、かっちょいい!
ゲートの周囲には、風力発電の風車がぐるぐる回ってます。よく見かける3枚羽根の巨大な扇風機みたいなタイプではなく、ダリウス・サボニウス型とかいうもので、比較的騒音が少なく、低風速でも回りやすいタイプらしい。

アニメがきっかけではありましたが、面白いものを見学してきましたよ。

例年通りにお墓参りに行ったり、実家で持ち上がった問題のために司法書士に相談に行ったりとかもしましたが、基本ぐだぐだのお盆休みが終了しました。
っていうか、お盆休みが終わったのはダンナさんだけで、私はずっとお休みみたいなもんなんですけども(苦笑)
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2012年03月23日

時を越える箱

3331 Arts Chiyoda→HP
千代田区の旧練成中学校を改修し、各教室がギャラリーになっている場所です。
そこで、野又穫さんの個展が開催されているのを知り、行ってきました。

今回の野又さんの個展。
blue construction 野又穫展 佐賀町アーカイブ COLLECTION plus,3

まず、佐賀町アーカイブについて説明が必要でしょうか。私も何やらわかりませんでした。
時を遡り1983年。江東区にあった旧廻米問屋市場・食糧ビルの空間を再生し、アートの発信地としたプロジェクトがありました。それが、”佐賀町エキシビット・スペース”。
『建築マップ』さんに在りし日の食糧ビルの写真が載っています。1927年に建てられたというクラシカルな建造物は、マンション建設のために2003年に取り壊されたそうです。
その”佐賀町エキシビット・スペース”の遺産を受け継いだのが、佐賀町アーカイブ。半地下のような一室に入ると、まずドネーション(寄付)として100円から受け付けているとのことで、これが入場料代わり。佐賀町アーカイブの活動を支援する形になります。私は個人的に寄付という行為自体に慣れていなくて抵抗があるので、その辺は最低限のラインあたりで適当に。

佐賀町アーカイブのブログ
に、今回の展示の様子を写した写真がありました。
佐賀町アーカイブについてのスクラップブックが置いてあり、佐賀町エキシビット・スペースを立ち上げたクリエイティブ・ディレクターの小池一子さんのインタビューなどがたくさんスクラップしてありました。要するに、”いま生まれつつある””現在進行形の”アートを発信する場所を作りたかったということらしいです。
現代美術を鑑賞することを趣味のひとつとする私には、小池さんの提唱されたことの一端がわかるような気がします。芸術は、時代を映す鏡です。古典と違い、現代美術はアーティストひとりひとりが感じ取った”今”が作品に投影されています。しかも、深部を抉り取ったような形で表現されている場合が多いです。その辺が、私が現代美術に惹かれる大きな要因であると思います。

今回の野又さんの新作、「blue construction」シリーズは、私にとってはとてもショッキングなものでした。
まず、最初に掲げられていた「blue construction-6」は、野又さんのこれまで見慣れてきた作風と違い、輪郭のぼやけた塔でした。不思議に思っていたのですが、帰りがけに話したスタッフの方のお話で合点がいきました。この絵は、野又さんが2011年3月11日に制作中だったもので、この絵を描いているときにあの大震災の揺れを感じたのだそうです。そして、以来、この絵には筆が入れられなかった、と。未完成のまま、完成を迎えた絵だということでした。
震災後、しばらく何も手につかず、もう一度柱など建物を構成する部分の形から描くほかはなかったという野又さんは、作風が大きく変わったと感じているそうです。
ぼやけた塔は、そんな野又さんの精神状態をストレートに表現したものでありながら、未完成なのか崩れ去ったものなのか判然としないまま、そこに建っていました。
一方で、不謹慎ながらも、未完成とのことで、制作の段階を垣間見ることができたという収穫でもあったのですが。空想建築を描くのにも、内部から建設していたのだなと今更ながら驚かされたわけです。側だけを描いているのでないからこそ、説得力のある建築物となるのだろうと想像できました。

1986年に描かれ、かつて”佐賀町エキシビット・スペース”で公開された絵「Still-40」が、記念碑的に展示されていました。そういえば、近年の作品には滅多なことでは登場しない人影が、この絵には描かれています。作風の変化を感じる1枚です。

18点の展示作品の中で、2011年・2012年に描かれた新作「blue construction」シリーズが14点。
新作のほとんどで、背景には重く雲が垂れ込み、地上に近い部分は暗い青で描かれていました。ですが、その重い雲の上には必ず青空が広がっているのです。現状、まだまだ暗く希望のない世界ですが、ここを突き抜ければ世界は開けていくという暗示のようにも見えました。
濃い影が描かれている作品が多いとも感じましたし、柱や骨組みだけに見える作品もありました。雪景色が多いのも、今までと比べると珍しい点でしょうか。

もう1枚印象的だった絵を挙げるとすれば、タイトルは、たしか「blue construction-5」。
雪景色。氷山をケーキを切り分けるように切り取ったような真っ白で巨大な建造物が中央に、そのまわりを同じ種類同じ高さの小さな木々がすっぽりと雪に覆われながら取り囲んでいます。
まるで、塔に向かって祈りを捧げる人々のように見えます。峻厳なものに対する畏敬のような、でも、不思議とやさしい空気を感じさせる絵でした。

全体を観て感じたことは、今回の新作では「風を感じない」ということでした。
いつも野又さんの作品を観ると、「風を感じて」いたのです。野又さんの絵の前に立つと、時には砂混じりの風がびゅうびゅうと、時にはそよそよと湿った風が、といろんな風を感じてきました。
とある展覧会で野又さんの奥様とお話しする機会があり、そのときに野又さんは「風を描こうとしている」というお話をうかがったのですが、絵を観て「風を感じて」いた私にとっては、納得できるお話でした。
ところが、今回の新作では、その風を感じることがありませんでした。ほとんどの作品で、空気は重く淀み、動きがありませんでした。作品の良し悪しということではないのですが、作風が今までと違うのは、肌で感じました。

当初、3月29日までの予定だった会期は、4月29日まで延長されました。そして、展示替えがあるそうです。どの程度の展示替えなのかスタッフの方に聞いてみたところ、かなりな点数になるようで、中には東京では展示したことのない作品もあるそうです。
ということで、展示替え後に私ももう一度行こうと思っています。
もし行かれる方は、(月)から(水)がお休みで、昼12:00からの開場ですから、曜日と時間にご注意を。

さて、3331 Arts Chiyodaは、ギャラリーの集合体ということで、他にもいくつか観てきました。
中でも、東日本大震災復興支援プロジェクト展「つくることが生きること」が印象的でした。
あの日の、つらい記憶がつまった展覧会で、もちろん、復興に向けての様々な活動も紹介されているわけですが、とりわけ心に刺さった展示物は、津波の圧倒的な力でぐしゃぐしゃにつぶされた道路標識でした。
仙台在住のアーティスト村上タカシさんによる「3.11 メモリアルプロジェクト」。津波によってねじ曲げられた公共物や、あり得ない場所に流れ着いている船などを撤去せずに残しておくというプロジェクトだそうです。→HP
この一環として展示されていたのが、仙台港・仙台空港の案内が描かれている青色の大きな道路標識。HPに写真がありますが、この大きな看板が紙を丸めたかのようにぐしゃぐしゃになっています。ポールがぐにゃぐにゃに折れ曲がった道路標識といっしょに展示されていました。津波の威力をまざまざとみせつけられました。圧倒的に説得力のある展示物でした。いまだ海の砂で汚れたままのこの看板は、当時の記憶をそのまま残してくれていました。私のように被災地に行ったことのない人にとっては、実際に自分の目で実物を見ることが有益だと思いました。
こちらの展示は、25日(日)まで。

3331 Arts Chiyodaでは、4月9日(月)から、「大友克洋GENGA展」が開催されるとのこと。
これが面白くて、”完全予約制”だそうです。そんな方式の展覧会、初めて聞いたわ。しかし、逆にゆっくりと観られるでしょうし、ファンにはたまらない展覧会になりそうです。
『AKIRA』は確かに面白かったです。さほどファンというわけでもないけど、たまたま池袋の春木屋にも行ったことがあります。残念ながら、2011年に閉店してしまってたんですね。怪しい空間だったわ。

中学校だった建物ということで、学校で文化祭が開かれているかのような場所でした。懐かしいようで新しい、不思議な空間を体験できたのも面白かったです。
ラベル:野又穫
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2012年03月17日

端麗な醜悪

2月からの短期間でしたが、フルタイムの仕事が終わり、会期が3月18日までの松井冬子展にようやく行って参りました。
横浜美術館に行くのは初めてで、横浜に足を向けるのも、10年以上振りだったような気がします。その間にみなとみらい線が開通していて、便利になりましたね。おかげで、乗り換えたった1回でみなとみらいまで行くことができるようになり、行きも帰りもほぼ座っていられたので、楽ちんで、遠いはずの横浜が近く感じられました。
仕事明けで、さすがに午前中から遠出する気にはなれず。午後から出かけた割には、さほど遅くならずに帰って来られたので、「横浜ってこんなに近かったっけ?」みたいな。

松井冬子さんを知ったのは、2006年のこと。雑誌「Pen」の特集で『浄相の持続』(2004)を観て、ミレイの『オフィーリア』のようだと思い、興味を持ちました。同時に、ご本人が凄く美しい方で、その印象も強く残り、この方の作品を直接観たいと切望するようになりました。
その後、いくつかの展覧会で作品を観ることはありましたが、大々的な個展を期待していて、2010年にテレビ出演された際に、日本での個展を計画しているというお話だったので、心待ちにしていたわけです。
それがようやく現実となったのが、今回の横浜美術館での個展。なので、5年は待っていたことになるでしょうか。
行きたくて行きたくて仕方がなかったのですが、なかなか機会を作ることができず、結局会期終了間際になってしまいましたが、行くことができてよかったです。これで行けなかったら、泣くに泣けない。

ということで、あまりに期待が大きかったせいか、会場に入って観始めたら、涙しそうになりました(笑)
一番最初に出迎えてくれたのは、『盲犬図』(2005)。体毛を描く繊細な一筆一筆を見ただけでも、なんと美しいのだろうと溜息が出そうになります。

松井冬子さんは、日本画を描く方です。まず何段階もの下絵を描き、完成した下絵を升目にして本画に写していくという日本画の描き方を、コピーやコラージュなどしてアレンジしつつも大事にされているようで、今回は下絵やデッサンも多く展示されていたのですが、下絵に描かれた線の太さや色などの細かなメモや、コラージュで配置を思案されている過程などを観て、ものすごく計画的に綿密に表現を作り上げているのだということがわかりました。
また、松井さんの作品はタイトルもユニークだと思うのですが、全部ではないものの、作品ごとにどういったコンセプトで描かれたものかということがご自身のことばで紹介されていて、独特の考え方に基づいて描かれていることを再認識しながら鑑賞しました。
松井さんの作品には、一般的な概念からするとグロテスクなものが多いわけですが、過去記事怨念の前段階で、ご本人のインタビューを取り上げてますが、グロテスクというのは植えつけられた概念でしかないというお考えで、臓物だって単なる我々の中身なわけだから、それを見せているだけですよということ。
松井さんの作品を観ていると、”客観”というものがどういうことなのかよくわかる気がします。対象を見る冷静さというのは、数多いる画家の中でも抜きん出ているのではないか、と。
松井さんのインタビューにあったのですが、西洋画に比べて日本画というのは、描く対象がどのような状態にあるのかというのを徹底して考え、それを表現するものだということなので、松井さんにはやはり日本画が似合っているのかもしれません。

さて、今回、私の一番のお気に入りの作品は、『短時間の強力な蘇生術を行うについてとくに必要とされるもの』。
入り口を入ってすぐの場所に展示されていた、かなり大きな絵だったけれど、遠目には水面に白い花びらが散っているかのように見えたものが、近づくとそれは無数のねずみの死骸。ピンク色の細長い部分が花びらの付け根か何かなのかと思ったら、ねずみの尻尾なのでした。まだ生きているものもいるし、他のねずみの尻尾を齧っているヤツもいる。口を開けて死に絶えているもの、うつぶせにぽっかり浮かんでいるもの、水辺に累々と積み重なったそれらはそれぞれの死相。ねずみの集団自殺というと、レミングを連想しますが、彼らは白いラットたちでした。
タイトルをどのように読み取ったらよいのか、よくわからなかったけれど、別にねずみが可哀相だと思ったわけでなく、この絵が琴線に触れてしまって、涙が溢れそうになりました。自分でも、この絵の何がそうさせたのかはわからないまま。本当はそれを突き詰めるべきなのかもしれないけれど、それもしたくないような……
展覧会の最後の最後に、面白い説明文が書かれていました。腹を切り裂かれて絶命しているような絵柄が多いわけですが、例えば「死にたい」という考えがよぎるような人が観たときに、絵が”身代わり”もしくは”厄払い”的な役目を背負ってくれるのではないか、と。
私がねずみたちを観たとき、私の中のどこかに隠れていた死への思いが消滅してくれたのかもしれません。あの絵の前に立ったとき、私はどこか浄化されたような感覚で涙したのかもしれません。

もうひとつ挙げるとすれば、それは、『この疾患を治癒させるために破壊する』。
千鳥ヶ淵の夜の桜を描いたこの絵は、お堀の水面が鏡のように桜を映していて、上下対象の構図。それが、どういうわけか、実際の桜と水面の桜とが渦を巻くかのように見えます。
この作品は、松井さんのHPに載っています。
この絵は単純に非常に美しく、長く観ていたいと思うような絵でしたが、桜と黒い水面とが織り成す渦に平衡感覚を奪われるようで、私はめまいがして長く観ていられませんでした。

他にも、興味深い絵はたくさん。
この展覧会の副題にもなっている『世界中の子と友達になれる』は、横浜美術館の所蔵だそうですが、作品そのものはもとより、それができあがっていくプロセスが非常に面白いものでした。最終的には、向かって右にゆりかご、左にゆりかごを背にした格好で少女が立っています。その構図が下絵の段階では逆で、少女とゆりかごとが向き合う形だったりしていました。
この絵のコンセプトについては、過去記事に書いたので、それは置いておくとして、藤棚から垂れ下がった藤が、下に行くにつれて蜂に変化していく様子は、やはり圧巻でした。
蜂というモチーフは、繰り返し他の作品にも登場していて、それとは別に蟻を描いた作品もお気に入りのひとつとなりました。タイトルは忘れてしまったのですが、蟻を辿って行くと、死者を連想させる長い髪にたどり着くという作品。辺りには、おどろおどろしい赤い火の玉が浮遊しています。
最初のねずみもそうですが、蜂や蟻といった生物の集団というモチーフは、どういった観点で好んで使われるのか気になりました。きっと、意味があるはず。
モチーフということでいえば、臓物が一番たくさん出てくるモチーフなわけですが、中でも卵管という存在が興味深く、大輪のカトレアのような花と卵管との間に形の共通性を見出しているところが面白いと思いました。どちらも生殖器官なわけですし、生と死をテーマに描くことの多い松井さんにとっては、大事なモチーフのひとつなのではと思いました。

もうひとつ面白かったのは、幽霊に重さを感じていることでした。
現代の幽霊画ともいえる『夜盲症』は、髪の長い女性が、死んでいるであろう鳥を逆さに持っている構図ですが、応挙の幽霊画よろしく足が描かれていません。(この絵もご本人のHPにあります)
浮遊しているように描かれているのに、重力を感じるのは、逆さになった鳥のせいでしょうか。それだけではないと思うのですが。
松井さんは、幽霊には重さがあると考えて描いているのだそうです。
幽霊というのは、ある種の情念の塊であって、その情念が重いということなのかもしれません。

会場には、大スクリーンが設置されていて、松井さんがアートディレクションした映像が流れていました。最後にはロレックスとクレジットされます。ロレックスは松井さんを支援しているのだそうです。ロレックスの日本におけるイメージキャラクターである松井さんご自身も登場する映像。モノクロで、松井さんらしい映像作品でした。
大スクリーンのまん前で堪能し、2階に上がると今度はヘッドフォンを貸してくれて迫力の大音量を聴きながら映像を楽しむことができました。

小1時間もあれば観終わるかと思っていたのですが、再入場してもう1回観て、その後に松井さんの展覧会とは別の横浜美術館のコレクション展示を観ていなかったことに気づき、そちらも観たので、けっこうな時間がかかってしまいました。
横浜美術館のコレクションでは、イサムノグチの作品がたくさんあったのと、ダリやマグリット、エルンストが観られたのがよかったかな。
それと、今回は展示されていなかったものの、ジョセフ・コーネルの箱が横浜美術館のコレクションの中にあることがわかり、そういえばそうだったと思い出したのでした。これが展示されるときに、もう一度来なければ。

観る人によっては、不快な思いをする作品もあるように思います。
特に男性の方では、あんな美人が描く絵なら、観てみたいと思って観にいらっしゃる方も多いかもしれませんが、画風を知らないとトラウマになる人もいるかも。
会場では、意外と小さなお子さんを連れた方もいらっしゃいましたが、「おいおい、大丈夫か」と心配せずにいられませんでした。
この個展を観るまでは、松井冬子さんの作品は、主に女性の狂気を描いているものが多いと思っていました。それも多分に感覚的に描かれたものであると思い込んでいたのですが、今回の展覧会を観て、松井さんはコンセプトもさりながら、構図も対象も練りに練って、どうしたら自分の思いが忠実に絵に表現できるのかを追及して描かれていることを知り、感銘を受けました。
物事を深く考える力を持ち、自分のフィルターを通して、それを表現する。いろんな意味で才能を持っている方だなと、あらためて思った次第です。

さて、これで行きたい美術展もひと段落かと思いきや、先日、野又穫さんの個展が開催中であることを知りました。
これは行かねばなるまい。
blue construction 野又穫展 佐賀町アーカイブ COLLECTION plus,3
会期が延長になり、4月29日まで開催されるとのこと。
会場は、元中学校。またまた面白い場所での展覧会なので、楽しみにしています。
posted by nbm at 22:37| Comment(6) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

”箱”を観に行く旅

最初にお知らせです。
来週から、めでたくアルバイトすることが決まりまして。約1ヶ月の短期間ではありますが、その間、記事の更新が滞ることが予想されます。可能なら土・日に更新したいと思っていますが、どうなるかわかりませぬ。ま、今だって、せいぜい週に1回ほどしか更新できてないような状態だから、大差ないか(苦笑)
あらかじめご了承くださいませ。

さて、本題。
アルバイトが始まる前に、行きたかった美術館が2ヶ所あった。
ひとつは横浜美術館で開催中の松井冬子展。だが、こちらは機会を逃したまま。ずっとずっと楽しみにしていた展覧会なので、会期中に絶対に行くぞ!
もうひとつが、DIC川村美術館。こちらは、ジョゼフ・コーネルの作品が所蔵されているということで、どうしても実物が観たいと思いまして。昨年『コーネルの箱』という本を読み(過去記事→偶然が必然に出会うところ)、コーネルの作品に魅力を感じて、それが日本のしかも千葉県佐倉市にある美術館に多く所蔵されていると知ったら、それは行くしかないでしょう。
自分でも絵を描く先輩に、この川村美術館のことを話してみると、ぜひ行ってみたいということで、いっしょに行くことに。
そして、昨日ようやく行ってきた!
DIC川村美術館(→HP)は、DIC株式会社(元 大日本インキ化学工業株式会社)が作った美術館で、レンブラントやルノワールなど巨匠の作品も多く所蔵していて、尚且つ現代美術の所蔵品もなかなかに立派。
京成&JR佐倉駅から無料送迎バスが出ていて、駅から20分ほどで美術館に到着。これはとてもありがたい。ただし、美術館内にレストランや茶室はあるものの少々割高。周りには食事をする場所もコンビニもないので、私たちは軽食&飲み物を持参した。

バスを降りて、まずここでチケットを購入。私は使用しなかったが、音声ガイドもあったし、それとは別にガイトツアーもあるようだった。入ってみると、すごくシンプルで説明が少ないので、それらを利用すればよかったかもとちょっと後悔。
美術館の敷地内に入って坂を下っていくと、トンネル状の構造をくぐり、視覚が狭められた所から一気に景色が広がって、眼下に白鳥が泳ぐ大きな池が見える。
まずは、美術館入り口前でフランク・ステラのバカデカい金属製のオブジェがお出迎え。
中に入ると、「これでやっていけるのか?」と思うほど人がいない。美術館全体で、客は10人もいなかったんじゃないかな。鑑賞するこちらとしては、思う存分ゆったりと鑑賞できるのだからよいのだけれど、折角のすばらしい美術館とコレクションが経営難で観られないなどとならないでほしいと祈るような気持ちになる。
まずはコレクション展示から。ピサロ、ルノワール、ボナール、マティス、ブラック、ピカソ、シャガールなど最初から飛ばしているわ(笑)そして、レンブラント!絵もすばらしいが、額がこれまたすごい。
ひとつの展示室では、日本画の大きな屏風3作品が三方の壁を占領。それが、加山又造、尾形光琳、横山大観。残った一方の壁には、鏑木清方の掛け軸が四幅。DICのコレクションの最初だったという長谷川等伯の『烏鷺図』が観られなかったのは、ちょっと残念。岡山県立美術館で開催中の『長谷川等伯と雪舟流』展に貸し出されているらしい。
お次は、ミロ、エルンスト、マグリット、デュビュッフェなど。ヴォルスという人を私は知らなかったけれど、この方の作品が多い。マグリット好きとしては、マグリットが2作品も観られたのが嬉しい。ミロの『日常の魔法』はとてもかわいらしい作品だったし、エルンストの『石化せる森』も印象的な作品だった。

そして、自分としてはメインの目的であるジョゼフ・コーネル作品。7つの作品が展示されていたが、箱型は3つだった。『鳥たちの天空航法』と『無題(星ホテル)』と『海ホテル(砂の泉)』。
特に、『鳥たちの天空航法』と対峙したときにはなんだか感動して涙が出そうになった。ただのガラクタを詰めただけの空間に、なぜに感動するのやら、自分でもナゾ。
箱というのは、額とはまた一味違って、「ある空間を閉じ込めている」感が強い。たとえば、写真をフレームで切り取ると、一気にドラマ性が増すということがあるでしょう?それがもっと強烈になった感覚が、箱にはある。
この中に詰まっている空気は、1961年のニューヨークの空気。気密性を考えたらそんなものとっくに抜けているだろうとか野暮なことは考えない。タイムカプセルとはまた違う。そのときに、コーネルが箱に詰めたものが、そのままそこにはあると感じられる。そこに感動したのだと思う。
この美術館には、今回見ることができなかった箱がまだ4つあるはずで、展示替えされたらまた観に行きたい。
ちなみに、1月中に終わってしまったのだが、千葉市美術館での『瀧口修造とマルセル・デュシャン』という展覧会の中で、ジョゼフ・コーネルの箱がいくつか展示されていたらしい。たまたま先輩が行っていて、教えてくれた。それは先輩によると、『無題(ラ・ベラ[パルミジャニーノ])』と『鳩小屋:アメリカーナ』だったらしいので、同じ千葉県内の美術館として川村美術館が貸し出していたということなのだろうと思う。こちらは、展示されていることを知ったときにはもう間に合わず、観に行けなかった。

それから、マーク・ロスコの赤の作品が並ぶロスコ・ルーム。
〈シーグラム壁画〉と呼ばれる作品群のうち7点が展示されている。どれも暗めの赤が基調となっているのだが、とにかくその赤の物量に圧倒される。現代美術に興味のない人から言わせれば、きっと、単に赤い色で塗られたバカデカいだけの代物だと思われるのだろう、あまりにシンプルな作品群。中にはオレンジ系の暖色が使われているものもあるのだけれども、主に使われている暗い赤は血の色を連想させたりもする。それなのに、どういうわけか嫌悪するような強い刺激ではなく、暖かな印象で観ているこちらの心を落ち着かせる。
ロスコ・ルームから階段を上がると、今度はバーネット・ニューマンの『アンナの光』の部屋がある。横幅が7mもあるかなり大きな作品で、両端の白い部分を除くほとんどが朱に近いような赤で塗られている。これが不思議で、観ていると、視点の部分が黄色っぽく明るく見え、周りが黒っぽく見えてくる。そのうちトランス状態のようになり、画面中央がこちらに膨らんでくるような錯覚を覚えるように迫ってくる。
後から調べてみると、タイトルの”アンナ”とは、ニューマンの母の名であるようだ。

そして、コレクションとは別の展示、『抽象と形態:何処までも顕れないもの』。
20世紀の名だたる芸術家たちの作品と、それらに影響されて、もしくは似た観点から描かれた現代の作品とを比較展示してあるものでした。
とはいえ、そこまで明確な共通点が見られるわけでもなかったのだが、ひとつだけ。モネの『睡蓮』と野沢二郎の作品とは、なんとなくつながりが見えた。展示の意図としては、”視点を上にもっていくような三角形の構図”が共通しているというようなことだったが、それよりも、対象を直接的に描かず色や光を使って描くような技法が共通していると思った。ぼんやりしているはずなのに、写真にも見えるような気がする野沢二郎さんの作品は、今回知った画家の中では一番好きな作品だった。

川村美術館は、建築物としてもなかなかにおもしろい。
ヨーロッパの田舎にある小さな城のような外観もなかなかにユニークだが、感心したのは内部のあらゆる構造だった。
展示室と展示室の間には、一息つく空間があったりして、そこで気持ちをリセットできる。展示室がそれぞれ個性的で、まったく窓のない閉じられた空間もあれば、思い切り外光を取り入れている空間もある。天井のかたちもさまざまで、床の材質もみんな違っていたし。
圧巻は、ロスコ・ルームからニューマン・ルームにかけてのつくり。まず、ロスコ・ルームは閉じられた空間に大きな赤い絵がたくさん飾られていて、床は暗い落ち着いた色のフローリング。しっとりと落ち着いた空間。そこから狭い階段を上がると、踊場からニューマンの明るい赤が見え始める。ニューマン・ルームは一変して壁一面に弧を描く横長の窓から思い切り外光が降り注ぐ空間で、床も壁も白一色。そして、ニューマン・ルームから戻ろうと振り返ると、踊場には床から天井まで続く縦長の装飾があり、荘厳な教会のようなイメージ。
この踊り場の装飾は左右の隙間から昼光色と白色が縦に交互に並ぶ照明で照らされていた。特に光の使い方は、各作品とのバランスについて細部にわたって考えられていた建築だったと思う。
どうやら、すべて「作品ありき」という観点から建築家さんが考えられた構造のよう。コレクションを動かす予定がないなら、こういう作り方もありなのだなと思った。

長々と書いてしまったな。
とにかく盛りだくさんで、本当は美術館の周りの自然散策路もお散歩したかったのだけれども、季節柄お花が咲いている様子もなく、もしかしたら菜の花くらいは咲いているかと思ったけれど、結局探せないままになってしまった。
もっと近かったら季節ごとに通うのに(苦笑)
美術館とコレクションの所蔵の存続を願うならば、もっと人に来てほしいと思う反面、あまり知られずにいつまでも静かに絵が鑑賞できる場所であってほしいとも思う。

しかし、佐倉は遠かった……
posted by nbm at 15:15| Comment(7) | TrackBack(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

ふたつとしてないはずのもの

まだまだ会期があるからと余裕をぶっこいていた展覧会が、いつのまにやら終了間際。
河鍋暁斎記念美術館(→画鬼の描く妖かしたち)に続く、かけこみ展覧会第2弾にして最終回は、佐藤雅彦ディレクション”これも自分と認めざるをえない”展。HPはコチラ
自分の属性を巡る、インタラクティブな展覧会で、展覧会というよりも、体験型イベントといったところ。

体験型ということで、展示ごとに行列しているとの噂。開館直後や夕方が狙い目の時間帯だというので、開館時間までに行こうと思っていたのですが、昨日は突然の寒さ。着るものに悩んでいるうちに、30分ほどロスして出遅れてしまいました。
駅のホームに着くと、MP3プレーヤーのスイッチを入れるのですが、満タンにしてあったはずのバッテリーがなぜかカラ。今日は待ち時間が多いからと、万全に準備していたつもりが…。なぜか放電してしまった様子。がっかり。過酷な日になりそうだ…。
と、そこでホームにすべりこんできたのは、見たことがないタイプの車両。たまたまライナーの車両でした。乗り込んでみると、通常7人がけの空間に6人分の座席。2人ずつのシートが3組横に並んでます。シートは頭を預ける部分まであるタイプ。普通の座席じゃ居眠りして後ろに頭を振ると、ガラスにゴンッだもんな。立っているつもりだったけど、この座席の座り心地は試してみたい。と思っていたら、目の前の席が空いたので、遠慮なく座ってみる。ん〜、ラグジュアリー。隣の人と体が触れないわ。プレーヤーが使用不能でがっかりしたけど、ちょっと得した気分。
そういえば、最近、中央線のオレンジ電車が無くなって、首都圏ではこれで単色の電車が姿を消したっていうニュースを見て、「えっ?そうだっけ?」って思った。すでにみんなとっくに基本銀色なステンレス車両に変わってたのに、気づいてなかったわ(笑)
んで、昨日あらためて見てみたら、やっぱり、山手線も、総武線も、みんなステンレスになってた…。あの単色のカラーリングはわかり易くてかわいかったのに。しかし、乗ってて全然気づかないってのは、どうなの?
電車で、もひとつ。昔は、六本木に出るといえば、うちの方からは、恵比寿から日比谷線乗り換えという1択だったんだけど、最近は路線が増えて選択肢が広がった。昨日は、代々木乗換えで大江戸線を使って六本木駅へ出てみた。時間的に従来のコースよりも速いし。ミッドタウンなら六本木駅に出た方が近い。目的地によっては、南北線で六本木一丁目駅に出るのもありだよね。

会場の21_21 DESIGN SIGHTは、初めて。六本木ミッドタウンの端っこにあるガーデンの中にあって、鋭角の三角形の屋根が印象的です。ちなみに、設計は、昨日なにやら受賞されてニュースになっていた安藤忠雄さん。外苑東通り側から入っていくと、せせらぎが続いていて、その両脇には石のオブジェや瓦をモチーフにした作品が展示されてた。
建物の入り口を入ると、ここですでに長蛇の列…。やはり30分のロスは大きかったか。より展示を楽しむためには、まず自分の属性を登録しなければならないので、登録の列に並び、すぐ前のカップルがいちゃついているのを微笑ましく見ながら過ごす(苦笑)返す返すも、プレーヤーのバッテリー切れが悔やまれる。3つのブースがあって、係員もいないのに空いた順に自動的に人が入っていくさまは、日本人ならではの行儀の良さだと思いましたです。3つのスリットに規則正しく人が吸い込まれていく様は、まさにピタゴラスイッチ的な眺め。
ここで、名前、身長・体重、目の虹彩を登録し、リモコンのような装置を持ってボタンを押しながら空に星を書く動作をし、これも登録。どうでもいいけど、指示してくれているこの声はピーター・バラカンさんだな。以上で準備は終了。
各展示には予想以上の長蛇の列。『座席番号G-19』と『心音移入』の2つの展示は、毎時決まった時間に整理券が配布されていて、『座席番号G-19』は整理券配布の列に2度並んで2度目で整理券ゲット。『心音移入』はあきらめました。それと、最後の方にあった『新しい過去』だけは、もうエネルギー切れで、何時間も待って体験するのはムリと断念しました。それでも、一通り体験するのに3時間半以上かかりました。
人の波があるようで、列に並びながら他を観察していると、不思議と人が引くときというのがあるようで、気づくと全部の列が短くなっていたりしてました。もしもこれから行かれる方は、比較的空いているものからチャレンジしていくとよいかもしれません。2人以上で来ている人たちは、誰かが並んでくれている間に、空いているものを交代で体験することができてうらやましかったです。

ネタバレは避けようと思いますが、ここからはこれから行かれる方はご覧にならない方がよろしいかと。
「実はこうなってました」的なものが多いので、なるべく説明を読まずに、知らないままでいた方が、楽しめるかと思います。
現地に行かない方のために、いくつかご説明しましょう。

『指紋の池』
指紋認証させると、目の前の池に、自分の指紋が放たれます。たいていの人は、たくさんの指紋が渦巻く中に紛れて、すぐに「自分を見失った」と言ってました。私は、指紋を放つと、池の横にまわったのですが、私の指紋はなぜか私にまっすぐ近づいてきて、まるで犬のようにいつまでも近くをぐるぐるしてました。
本来、一度登録してからもう一度指紋認証させると、指紋が自分のもとに戻ってくるということをさせてくれていたようですが、混雑からなのか、放ったままで呼び戻しはしていないようでした。

『属性のゲート』
男女別、年齢別(30歳以上か否か)、表情別(笑顔か否か)と、それぞれ2択で3段階のゲートの前に立つと、顔認識でどちらかのゲートが開きます。私は恥ずかしいので、冒険はしませんでした。さすがに20代には見られなかったか(苦笑)

『属性の清算』
最初に登録した身長・体重がものをいいます。もちろん、数値が表示されることはありませんが、ここでもう一度身長・体重をはかることで、運がよければ自分だと特定してもらえます。同じ身長・体重の人が多い平均的なタイプであれば、それだけ特定は難しいでしょう。私は身長のわりにお肉が詰まっているので、バッチリ特定してもらえました(爆)本名での登録は避けましたが、自分の名前がさらされるのは、やっぱり恥ずかしい。

『座席番号G-19』
スクリーンの前に、たったひとつ置かれた座席番号G-19の椅子。
2度も整理券の列に並んでやっと見られたのに、体験した内容に納得できずに調べてみると、私はどうやら途中で出てきてしまったようです。でも、仕掛けや言いたいことはわかったので、別にいいのですが。
これは係員の事前の説明がよろしくなかったですね。たぶん、私と同様の勘違いをした人がたくさんいると思う。

『Outline to go』
これはすぐに終わるものなので、ほとんど人が並んでませんでした。私がやろうとしたときはまわりに人が全然いない状態で、説明文が理解できずにしばらく試行錯誤しつつ悩んでいると、いつのまにか後ろに列が!(笑)その列の中のカップルのお兄さんが、やり方を教えてくれて、なるほど納得。お兄さん、ありがとう。私のカラダの輪郭の周囲は、5.37m。もちろん、服を着たままだけど。

『ふるまいに宿る属性』
ここで、見覚えのある装置を手に星型を空に書くと、同様の書き方をした人たちの名前が表示されます。一筆書きの書き順で分けられてるのかな。
挙げられた名前の中に、「川澄綾子」さんを発見。本人じゃないと思うけど。それとも同姓同名?ちなみに、川澄綾子さんとおっしゃる声優さんがいらっしゃいます。

『頭の中のちらばり方』
これは体験型ではなく展示。6人の人のコンピュータのデスクトップ表示を見てしまおうというもの。
梅田望夫、小山田圭吾、佐藤雅彦、椎名林檎、穂村弘、茂木健一郎。
それぞれの個性が出ていて面白い。ここに穂村弘さんの名前があって驚いた。(過去記事→天使的な言葉についての考察
特に、茂木さんのデスクトップはアイコンがランダムに表示されていて、まるっきり茂木さんの頭の中だなと思ったわ。

『金魚が先か、自分が先か』
会場内に不自然に建てられたログハウスの中で、金魚と自分とを見比べることになるわけだが…。
これは、タイトルさえ知らずに入った方がよかったかも。そう言われたら、「まず金魚を見てみよう」って思ってしまった自分。自分を先に見た方がよかったかも。

『佐藤雅彦さんに手紙を書こう』
オールひらがなで佐藤さん宛てに手紙を書くと、自分の筆跡で佐藤さんから手紙が届くという仕組み。
アンケートと展示がいっしょになってしまったようなもの。帰りにもらって帰れるものなので、まさか本当に佐藤さんが一人一人にお返事を書いているわけじゃないのだけど、いくつか定形文を使い分けているのかな。でも、お返事が来るのは嬉しい。ので、ここだけは本名を使った。
しかし、自分の筆跡も、客観的に見ると、不思議と自分で書いたものとは思えない。

この展示のディレクターである佐藤雅彦さんは、『属性に無頓着な自分、それに執着する社会』と題された文章で、この展覧会の試みについて説明しています。
【属性】ぞくせい
1. その本体が備えている固有の性質・特徴
2. それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質
(『大辞林』より)

(中略)
この展覧会では、自分の属性である声・指紋・筆跡・鏡像・視線・記憶などをモチーフにした作品を展示しています。そこでは、この2番目の意味での属性が、私たちが今まで得ることができなかった感情を引き起こします。さらには、自分にとって、自分とはわざわざ気にするような重要な存在ではなかったという事柄や、自分をとりまく世界と自分との関係も分かってきます。


生体認証システムなど、すでに自分の属性を使って何かに役立てようという動きがある中、どちらかといえばその流れに反する立場で開かれたこの展覧会。
どうやら、自分を類型化したり、逆に特別視したりすることをやめてみないかというような問いかけだったと思うのだけれども、なんだか逆効果だったような気がする。
会場でこれらを体験していた人のほとんどは、自分が類型化されることを”楽しんで”いたように見えた。「自分はどこに属するんだろう」って。
自分が、自分の属性によって、いくつかの枠に振り分けられることを、疑問に思うどころか、振り分けられることに安心し、楽しんでいる。とても受動的な姿。
それが、どういうことにつながっていくかという、その先を見ようとしていないような近視眼。
まるで遊園地のアトラクションを待っているかのようなその行列に、私は違和感を感じつつ、眺めてましたよ。
どれだけの人が、あの展示を訪れて、新たな世界の生み出す恐怖を感じたでしょう?
属性だけが”システム”に取り出されたら、自分が自分でなくなる恐怖を。
あそこはひどく不気味な空間でなければならなかったのに、友人同士や恋人同士ではしゃいでいる姿。
「なるべくなら、ひとりで訪れてほしい」
そう佐藤さんが勧めていたことを、ひとりで行った私は少しは理解できたのではないかと思います。

ひとりで行くのは、結構勇気の要ることでしたが、行ってみたら、案外なんとかなりました。
MP3プレーヤーのない退屈なはずの待ち時間も、想像よりもはるかに苦痛が少なくて、すべてを終えて外に出たときに、あまりに時間が経っていることに驚きました。まったく知らない人と、言葉を交わす場面もいくつかありましたし、それがすべて気持ちのよい会話だったので、気分良く帰ってきました。

もう少し、時間が経ったら、また違った感想が生まれてくるかもしれません。


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2010年10月21日

画鬼の描く妖かしたち

まだ会期があるから、「そのうち行こう」などと思っていた美術展。
気づけばいつのまにか10月も後半になり、危うく行けなくなるところでした。
今回は、『暁斎一門の描く妖しき世界-幽霊・妖怪画展』が開催されている河鍋暁斎記念美術館に行ってまいりました。
いくつかの展覧会で、見かけてきた河鍋暁斎が気になっていたのですが、その暁斎の美術館が埼玉県にあると知ったのは数年前だったでしょうか。関西方面で開かれてた展覧会に行けずにくやしい思いをしていたら、埼玉に美術館があることを教えてくれた方がいらっしゃいまして、それから、いつか行こうと思っていたのですが、多彩な暁斎作品の中でも、幽霊画・妖怪画を集めた展覧会がたまたま開かれていると知り、今行かなくてどうする!と行ってきたわけです。

河鍋暁斎記念美術館は、埼玉県蕨市にあります。JR西川口駅からちょっと離れた所。失礼ながら、なんでこんな辺鄙な所に?と思ったら、暁斎の曾孫にあたる方が自宅だった建物を改装して美術館にしたということなのです。
バスも走ってますが、本数が少なめなので、時刻表をプリントアウトして行きました。運良く、行きも帰りもぴったりのバスがあって、待たずに乗れました。バス停留所からの道は美術館のHPにも写真つきで案内されてますし、ストリートビューでも予習したので、バッチリ!

美術館へ向かう道、知らない地域の知らない住宅街を進みつつ、65daysofstaticを聴いていたら、異次元へ迷いこんでしまったような、なんとも不思議な感じになりました。
そして、美術館に到着!もとは一軒家なので、不思議な作り。まずは道路沿いのミュージアムショップで入場券を購入。それからかつての母屋っぽい美術館の玄関に向かいます。
閉ざされたドアの前で、どうしたら入れるのかと呼び鈴を探していたら、中から見えたのかドアを開けてくれました。
展示室が3つ。まず第1展示室に案内されるとドアを閉められ、幽霊画のたくさん掛かる室内にひとり閉じ込められる(笑)ここから鑑賞開始です。

初っ端から、幽霊が描かれた錦絵。番町皿屋敷のお菊さんです。構図がすばらしい。漫画のコマ割のように区切られて、いくつかの絵で構成されているのですが、別のコマからニュルリと化け出ている感じです。今回の展示では誰かとの合作作品がいくつかありましたが、これもそのひとつ。幽霊と風景部分を暁斎が担当したのだとか。
幽霊の絵は下絵が多かったですが、それがかえって興味深いものでした。ある幽霊画のモデルとなったのは、暁斎の2番目の妻・お登勢さん。亡くなった妻の姿を写生し、それが活かされているとのこと。暁斎は、子どもの頃、神田川に流れていた生首を拾ってきて写生したという逸話を持っているくらいですけど、研究熱心というか、なんというか…。
下絵がおもしろいのは、サインの練習がしてあったり、足元に上下が逆さの顔が描かれていたりするところ。逆さの顔は、1度描いた顔が気に入らず、紙を逆さにして描き直したからなのでしょう。こんなものはなかなかお目にかかれませんね。絵の中の幽霊は、みんな目線があさってを向いてました。こんな風にあらぬ方向を見ているのは、”この世の者でない”感を強調するためだったんだろうか。それとも、絵の中の幽霊に見られてたら「こっち見んな」ってなるから?
幽霊画で他に面白かった点は、両手を高い位置でぶら下げて僧侶を脅かしていた幽霊がいたこと。この古典的な幽霊のポーズは、いつから始まったんだろう?対する僧侶はひっくり返ってびっくりしていて、このひっくり返って驚くという絵は他にもいくつかあったのだけれども、人間、あまりに驚くとひっくり返るもの?
絵の世界の中で、あまり他で見たことがないモチーフも目につきました。たとえば、もぐら。もぐらの絵って、見たことないかも。他に面白かったのは、手長・足長。これ、『山海経』に出てくる異世界人らしいのですが、手が異常に長い人と、足が異常に長い人。どうも縁起物のような感覚で描かれていたよう。手長海老や手長猿といっしょに描かれて、長いもの尽くしになってたりしてます。ある作品の中では、やはり『山海経』に出てくる、胸にポッカリと穴のあいた胸穿人と足長が組んで、輪くぐりみたいなことになってます(笑)

もうひとつ面白かった側面は、幕末から明治にかけてという時代だったために、今まで日本になかった新しい文化が描きこまれ、時代の変化を感じさせる点です。
シルクハットや洋装、女性のドレスもちらほら。郵便配達夫の格好をした天狗が、電線の上を飛んでいたり。
「開化の御代にはいらぬ物」と言われた妖怪・鵺が、自分と同様に不要となった甲冑や刀などを背負い、肩を落として泣きながら去っていく姿…。なんてキュートな鵺なんだ!
妖怪の学校を描くシリーズもありましたが、河童の先生が黒板を指しつつ「SHI RI KO TAMA」とか教えてるし(笑)

一番お気に入りになったのは、笑っている骸骨の後ろ姿を描いた絵。墨絵ですから墨色の線でシンプルに描かれているだけ。自分と同様に骨だけになってる扇子を持って笑ってます。背中で。これだけで笑ってるように見えるって、すごくない?
もうひとつ、極彩色の錦絵で気に入ったのは、「地獄太夫 がいこつの遊戯を夢に見る図」。美術館の英語HPにこの絵が載ってます。堺の遊女・地獄太夫が見る夢を描いたもので、墓場の下から沸いて出た骸骨たちが、思い思いにいろいろなことをして楽しんでいる絵。将棋を指したり、楽器を弾いたり、相撲をとってバラバラになってみたり。

地獄太夫といえば、アニメ版『地獄少女』のオープニングには、暁斎の絵が使われてました。

ちょっと関係が薄いですが、このクールに放映されている『おとめ妖怪ざくろ』に出てくるキャラクターで、小さなかぼちゃに胴体が付いたみたいな妖怪がいるのですが、こんな妖怪いるんかい?って思ってたら、暁斎の絵の中に登場してました。おまえら、ここに居たんかい!付喪神の類か?

まぁ、とにかくほとんど人がいなかったので、ほとんど貸切状態のような感じで、1作品1作品をじっくりと鑑賞できました。メモをとりつつ鑑賞していたら、「何かお調べですか?」とスタッフの方に聞かれる。「特にそういうわけではないのですが」とドギマギしてたら、個々の作品についている解説をまとめたものをプリントして渡してくださいました。親切。

ちょっとおもしろい所にありますが、ちょくちょく展示を変えて、いろんな側面から河鍋暁斎の絵を展示しているようなので、興味のある方はぜひ。

せっかく西川口まで出たので、ちょっと足を伸ばして、寄り道をば。
国内最大級というショッピング・モール、越谷のイオンレイクタウンまで行ってみました。
ひろい…。ひどいひろさだ…。
その上、周囲にまだなにか作ろうとして造成してました。っていうか、住宅か?マンション群ができるのか?
デカい調節池のほとりに建つ、巨大ショッピングセンター。歩けども歩けども店が続く。駅側にKAZE、その先にMORIがあるが、KAZEを抜けるのに何分かかった?まずMORIを見ようと思っていたので、どの店にも寄り道しなかったけど、連絡通路に辿りつくまでにKAZEの中を相当歩きました。
ということで、MORIだけでもあまりの広さにまぁるく見ただけでギブ・アップ。端から端まで見るような余裕はありません。他でもよく見かけるようなチェーン店はパスしても、どうにもならない広さがありました。
お子さんを乗せるカートには、ドリンクホルダーなどが付いていて、充実の仕様。ペット・ショップがある近辺はペット連れでもそのまま入れるらしい。
あまりの広さに、遊歩道代わりにウォーキングをしている人もいる。
だけどねぇ。あれだけ広いと、逆にどうでもよくなるね。ものを買う気にならない。見るだけで終わっちゃう。結局、私が買ったのはKEYUCAのポチ袋と、クリスピー・クリーム・ドーナツのドーナツ(笑)
ドーナツ店、平日の遅い時間だったからなのか、ガラガラ。前は行列してたよね?コールド・ストーン・クリーマリーもガラ空きだったような…。前は行列してたよね?時間帯が時間帯だったからなのかなぁ。それとも、みんな、飽きるの早い?

今月中にもうひとつ行きたいところがあるのだが、それはまた今度。

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2010年09月01日

怨念の前段階

全国で展開されているフリーペーパー「美少女図鑑」をベースにしたオーディション<美少女MUSEUM>が行われたようです。グランプリと特別賞はともに滋賀県出身。滋賀県、すごいじゃないか!
と思ったら、仙台・名古屋・滋賀・大阪・福岡の6エリアしか参加してなかったみたいですが。なんだ、東京都を除く46都道府県で展開してるのに、全国じゃねーのかよ。
いえね、先日高崎に遠征したとき、高崎線の中でおしゃれでかわいい女の子を数人見かけたのです。もしかしたら、これからは北関東がクルんじゃないかと思ってて。
そしたら、このオーディションでは滋賀だっていうじゃないですか。やっぱり都市圏の外側がキテる!首都圏でいえば千葉・埼玉・神奈川の外側、例えば関西圏で言えば大阪・京都・兵庫以外。このあたりに、美少女の原石が埋まっているように思えてなりません。今まで発掘されてきた場所が枯れたってことでしょうか(苦笑)

ということで、話は変わって、今日は超美人な画家として有名な松井冬子さんについて。
先日、NHK『トップランナー』に出演されていたので、すかさずチェック!
私が松井さんを知ったのは2006年の秋、雑誌「Pen」の<今世界には、アートが必要だ>という特集でした。(→過去記事高尚なバカとグロな美しさ
振り返ってみたら今年だったのかとびっくりしたけど、2月に行った『医学と芸術展』でも松井冬子さんの作品はあったことはあったのだけれども、松井さんの作品の中ではわりとソフトな作品だったせいか、あまり印象に残ってない。
いつどこの展覧会だったか、いくつか直に観たと思うんだけどな。
個展が開かれるようなことがあったら、絶対観に行こうと思ってたんだけど、日本よりもパリが先だったか(苦笑)ただ、日本でも来年には大々的に個展が開かれるようなので、期待して待つことにしましょう。
あっと、言い忘れたけど、グロ注意ですので。グロテスクなものが苦手な方は、画像の閲覧を避けてくださいね。私にはちっともグロには見えない絵なんですが、観る人によってはショックを受ける可能性があります。

先に挙げた雑誌で私が初めて目にした松井作品は、『浄相の持続』(2004)だったと思うのだけれども、パリの個展会場の映像で観て、あんなに小さい作品だとは知らなんだ。もっとドデカイと思い込んでました。番組のテロップでは2010年の制作と表示されてたけど、これは間違い?描き直したわけじゃないよね?
松井冬子さんご本人のHPで、この作品を含め、いくつかの作品を観ることができます。
『浄相の持続』は、草むらに横たわった女性が自らの腹をかっさばいて、子宮を中心に内臓を見せているという…。
これは、女性が子宮をみせびらかしている絵だそうで、非常に攻撃的。男性に対して、「あなたの好きなものは実はこんなものよ」と突きつけている痛烈な絵。そんなコンセプトを聞いてしまうと、男性はこの絵を観てどう思うんでしょう。こんなリアルな”女性”を見せられたら、引くんじゃないですかねぇ。
ここで論じられるのは、グロテスクという概念について。松井さんいわく、例えば内臓がグロテスクなものだという概念は、植えつけられたものでしかないという考え方。自分の目でちゃんと見て、感じれば、美しいとわかる、と。
すごくフラットで客観的です。この辺の話を聞くと、単に奇を衒って描いているのではないということがよくわかります。
また、リアルな感情しか作品に表現できないということで、女性しか描かないのだそうです。あくまでも、”当事者研究”(笑)内省的に女性というものを深く追求していくという…。
話を聞けば聞くほど、女性として生まれながら、女性というものをものすごく客観視しているような。自らが女性であることをものすごく意識しながら、同時に強く拒絶しているような。
この方、すごい美人さんだし、お着物が似合ったり、見た目は女性的に見えるのだけれども、内実は男性的。個人的な考えなのだけれども、男性的な性質の人には、美人さんが多いというか、美人さんには男性的性質な人が多いというか、そんな気が。
余談だけれども、男性の声を出せる女性声優さんは、決まって美人さんで中身はサバサバした感じ。
男性に生まれたら、筋肉を駆使して格闘家になりたかったという松井さん。男性の筋肉に相対するものは女性の子宮だと考えている松井さん。肉体と言うものに、興味がおありなんですね。

芸大の卒業制作で描かれた『世界中の子と友達になれる』(2002)について、ご本人が語られていることは、私にはとても共感できるもので、興味深いものでした。
藤棚の満開の藤が垂れ下がるに従って蜂と化していく中で、蒼白の少女が絵の外側の世界に向かって何かを呼びかけているという不思議な構図。
ポジティブさはとうに消えているのに、強い思い込みだけで生きる少女。藤が蜂と化しているのは、不安の鬱積で生まれた恐怖。
社会規範に則って生きていると、どうしても自分の中での自由を失っていくということの象徴として描いたというこの絵。
松井さんの作品には、女性ならではの強い思い込み、しかも一般的にはポジティブと思われるような感情を、思い切りひっくり返してネガティブで気持ちの悪いものとして描いているところが面白い。

『完全な幸福をもたらす普遍的万能薬』(2006)では、ウエディング・ドレス姿の女性が、愛する者への想いが強すぎて、かきむしった頭からは頭蓋骨の内部が見えてしまっているのに、幸福そうで誇らしげな表情は変わらない。人間が、特に女性が思い込むことによって生まれる恐怖というのが、松井さんの永遠のテーマであるよう。ネガティブな感情が鬱屈してポジティブにひっくりかえる瞬間、そのエネルギー。そういったものに強く惹かれているご様子。

女子美短大を卒業し、一度は就職するも、芸大が諦められず、4浪してやっと合格。その執念たるや凄まじい。学生生活では、食事を摂る間も惜しんで絵を描いていたゆえに、学食を利用したことがほとんどないという話。
芸大では大学院まで進み、博士号も取られたようですし、とにかくエネルギーが満ち溢れているような方ですね。話し方も、思いに言葉がついていかずに、勢いでから回ってしまうくらいの(苦笑)

ご本人のお話が聞けて、コンセプトがよりはっきりしたので、作品を観る楽しみが一層大きくなりました。
松井さんの描いている女性の想いは、怨念すれすれ。それを、普段は見ない振りをして見過ごしている部分なのに、突きつけるように具現化して見せられるので、そういう意味では目をそむけたくなるけど、とても美しく人を惹きつける絵。
来年の個展が楽しみです。
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2010年08月26日

高崎遠征外伝

今日は、高崎遠征の番外編。

まずは群馬県立近代美術館の常設展から。
私の苦手な人物画が多かったので、あまり立ち止まる作品はありませんでしたが、錚々たる面々でした。ピカソ、ローランサン、シャガール、ルノワール…、それにロダンの彫刻も。失礼ながら、こんな所に有名画家の作品がこんなにたくさん?と思いました。
モネは大好きな画家のひとり。ここにも『睡蓮』(1914-17)がありました。『睡蓮』って、一体いくつあるの?(笑)だけど、ここの『睡蓮』は、本当にモネが描いたのかと疑いたくなるほど雑な作品で、キャンバスの端っこは塗り残されて白いままだし、タッチも雑。わざと狙って描いたのでなければ、相当機嫌が悪い時に描いたのかと思うような荒さの『睡蓮』でした。ある意味珍しい?(笑)こんな荒っぽいモネは初めて観たわ。やさぐれ『睡蓮』…
一方で、『ジュフォス、夕方の印象』(1884)という作品は、平静を取り戻したモネが描いてる感じ。こっちの方が断然古い作品ですけどね。これぞモネといった、繊細なタッチの絵です。やっぱり緑と紫の使い方が絶妙。実際はこんな色じゃあるまいと思いつつ、美しく見える風景は、印象派ならではですね。タイトルに”印象”って付いちゃってるし(笑)
ルオーもよかったです。『秋』(1938)と題されたその絵は、木立の中に数人の人が立っているという構図なのですが、なんてったって秋だし、全体的には黒を多用していて暗い絵ですが、色の使い方がすばらしい。この絵は、近づいて見ると、よく理解できません。少し離れて観ると、何が描かれているのか読み取れる。で、不思議なことに、正面からでなく、斜め前から見ると、もっといい。単純に照明の反射が無くなるからではありません。なんというか、木立のなかで密談している人たちを、斜めから垣間見るというような見方をすると、絵が一段と生き生きと見えるという作品でした。
もうひとつ、良かったのはオディロン・ルドン。ルドンの名前は、ついつい姓名そろえていいたくなります。音の響きがいいじゃないですか、オディロン・ルドン。『ペガサスに乗るミューズ』(1907-10)。中央に小さめにペガサスとミューズ。だけどこれがぼんやりしてて、何がなんだか。構図が面白いんです、この絵。手前側に大きめにお花とかが描かれてて。金色のような背景に、ぼんやりしたペガサスとミューズ。手前にわりとはっきりとした強い色の花。これも、手前の茂みの中から、森の中を通るペガサスに乗ったミューズを盗み見ているような感覚。あんまり神々しくて、光を放つ女神の姿がぼやけてよく見えない、みたいな。

別の展示室では、近代の日本画が。
大正から昭和の作品が並んでました。最初は竹下夢二。ぼや〜んとした例の感じの女性の絵。舞妓さんです。
ここでも例によって、人物画はスルー。
木村武山の『孔雀』という絵は、ちょっと若冲を想起させる作品でした。
もうひとつ面白かったのは、岸波百艸居の『秋庭』という作品。六曲一双の屏風絵なのですが、白い漆喰塀をバックに、庭の盆栽や、遊びに来た小鳥などが描かれてます。盆栽の柘榴が見事でした。延々と塀の内側を描くという遊び心が面白い。
地方都市の美術館らしく、県内や近県出身の画家さんの作品が多かったのには、好感が持てました。

さて、打って変わって『群馬青年ビエンナーレ2010』。
こちらは、16〜29歳を対象とした全国公募の展覧会。今は隔年で開催しているそうです。いわゆる現代美術ですね。
全体的な印象はですね、浅い!(苦笑)若いのだから当然と言えば当然なのですが、「君ら、本当にそれが表現したいものだったのか?」と問い詰めたくなるような作品が多かった。からっぽな印象なんですよ。ただ、奇をてらっているだけ。アイデアはあるかもしれない、テクニックはもちろんある、だけど浅い。小学生が授業で書いた絵か、文化祭に展示する絵の域を出てないものが多い。あとは、不必要に複雑にし、こねくり回したものか。そして、詰めが甘い。
これは、相当に問題です。世間ではよく”ゆとり”とか揶揄されてますけども、若者が空っぽなことは薄々感じてはいたものの、それをあらためて突きつけられたような気がしましたよ。もちろん、傾向性であって、全員がそうだと言ってるわけじゃありません。だけど、10代20代の若者の作品から伝わってきたものは、偏見でなく、幼稚な浅さでしかありませんでした。
その中でも光る作品はありました。
鴻池朋子さんなども審査員に加わっているのですが、各賞を受賞している作品は、私にはピンと来ないものばかりでした。
もうひとつ思ったことは、最近、細密画といいましょうか、極細のペンで細かいものを書き込むという手法の作品を多く目にするような気がします。技術はすばらしいし、根気も時間も要る作業なのはわかるのですが、出来上がった作品からは、「きれいだね。大変だったろうね」という以外に特別な感想が浮かばないものが多い。描かれているものは複雑なのだけれども、複雑化していけばいくほど、観ているコチラは萎えてしまうような、そんな気がして。
映像を使った作品などもあったけれども、どれも詰めが甘く、ニコニコ動画で観るようなものに比べたら、格段にクオリティが低く感じました。残念。もっとがんばりましょう。

とか言っちゃって、「あんた、一体何様?」と聞かれれば、「ただの主婦です」としか答えられませんが(苦笑)

群馬県立歴史博物館では、『粉もの上州風土記』という特別展が開かれていたわけですが、粉ものの食品サンプルがずらりと並んだなかなかに珍しい展示でした。
ヤキモチから、うどん、まんじゅう、そしてラーメンやパスタに至るまで、細かく分類され再現されたサンプルの数々。
うどんは打つのに手間がかかるから、特別な時の食べ物だったんだねぇ。冷たいうどんを暖かいおつゆに付けて食べるというスタイルは、武蔵野うどんに共通してますね。味はしょうゆと味噌とあるようで、その群馬県内の分布図がありました。県南ではしょうゆが主、北や西の山添に向かって、だんだんと味噌が混じり、味噌化していくのが面白い。
常設展示は、時間があれば、もっとじっくり観たかったところですが、残念。オオツノシカの骨格標本に始まって、豊富な土器類や戦国時代の争乱の様子など、興味深いものがたくさん。なんだかわかんないけど、団体客が入ってきて大混雑してました。写真はフラッシュなしならOKなようで、みんなバシバシ撮ってた。土器の破片を組み立てるパズルはやりたかったなぁ。お蚕さん関係の詳しい展示や上毛かるたなども、もっとじっくり観たかった。最後の方で、戦時中の千人針や出征時ののぼりなんかが展示されていて、なんともいえない気分になり、鳥肌が立ちました。

美術館・博物館がある群馬の森ってところは、周りに何も無くて、食事をするような場所が見当たりません。公園になっているので、こんな酷暑でもなければ、お弁当を買ってきて公園内で食するのも良かったかもしれませんが、この日の群馬は日本一暑かった。ムリ!ってことで、美術館に併設されているレストランだけが頼みの綱です。心配しなくても、美術館もレストランもガラガラ(笑)レストランでは、博物館との連動企画の地元産小麦を混ぜて作ったパスタが売り切れ。無難なところでカレーをいただきました。けっこう辛いスープタイプ。

往きはタクシーを使いましたが、帰り道にはバスを使おうと考えてました。帰りは多少時間がかかってもいいし、寄りたいお店があって、そこの近くにバス停がありそうだったので。
で、1時間に1本も無いバスに乗り遅れちゃいかんと思い、10分前くらいからバス停でスタンバってたら、暑いの暑くないのって、暑い!日陰に居たんですけどね。しかも、水分を摂ろうにも周辺には自動販売機が見当たらない。やっと見つけたのは道路の反対側で、車の往来が激しく、信号もないので、簡単に渡れそうになく、あきらめました。
「これ、ヤバイかも。熱中症になる?」ちょっと命の危険を感じるほどの暑さでした。
ようやくバスが来たら、乗客は私1人で貸切(笑)目的地のお店について、信号で止まったときに運転手さんに話しかけてみると、店の名前は知ってるけど、地元民でないのでどこにあるかわからないという話。そんな特別警戒中の都内の警察官みたいな仕様なの?「危ないから座っていてください」と私に言いつつ、運転手さんは私が参考に見せた地図を運転しながら見てる。いや、その方が危ないだろ!「178号線沿いなんですけど、通りますか」と聞いても、その178号線がわからないらしい(苦笑)ようやく、しばらく地図を見ながらいくつも停留所を過ぎ、やっと合点がいったようで、「通ります、通ります」。なんのことはない、私の下調べ通り、駅のひとつ前のバス停で降りればよいのだった…。そのバス停に近づいてきたら、デカデカと看板が!「あそこに看板が見えますね」と言うと、「ほんとだ、今まで気が付かなかった…」いやいや、ほんと、いっしょに悩んでくださって、ご親切にありがとうございました。
群馬の人ね、人がいいです、とっても。タクシーの運転手さんも感じがよかったし、レストランの店員さんも、バスの運転手さんも、お店の店員さんも。

んで、この日の最終目的地、ガトーフェスタ ハラダさんに到着。
新町駅からの交通アクセスなどを調べていたら、このお店の情報が出てきたのですよ。なんでもラスクが有名で、近年、都内のデパートでは行列してる人気店だっていうんです。
ならば本場ものをおみやげにしようと目論んだのですが…店に入ると、お目当てのチョコがけのタイプが見当たらない。店員さんに尋ねると、夏季は販売していないとのこと。ガビーン!そうだったのか。そこまでリサーチしてなかったわ。残念だけど、フツーのラスクとティグレスというスポンジにチョコが乗ってるお菓子を購入。
でもね。フツーのラスクだけで十分に美味しいですよ、これ。ティグレスもなかなか。秋口からチョコがけタイプも売り出されるそうですから、機会があったら買ってみましょう。何せ池袋で買える(笑)高崎より断然近いやん!

そんなこんなで、高崎遠征も終了。
出不精の私にとっては遠征でも、suica・pasmoが通用するような地域。甘いっすね。
新町駅からダンナさんに帰るコールすると、群馬県はその日の最高気温の2強の一角だったらしい。高崎線では、あの熊谷も通るわけだけれどもね。道理で暑いわけだよ。
これで、しばらくこんな遠征はあるまい。この夏は、柄にも無く2回も遠出しちまったぜ。
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2010年08月25日

埼玉縦断!夏の美術館遠征その2

この夏の美術館遠征第2弾!
『もうひとつの場所−野又 穫のランドスケープ』展に、ようやく行ってまいりました。作品はこんな感じ。今週いっぱいで終了してしまうので、すべりこみセーフ。
群馬、遠っ!
群馬っていっても、私が降り立ったのは、高崎線で埼玉県から群馬県に入った最初の駅、新町駅。
だけど、第1弾の遠征で行った千葉よりももっと遠い。(伊藤若冲を観に行った第1弾遠征については→まさに<アナザーワールド>)出発点は埼玉の南端なので、北に向け埼玉県縦断の旅となりました。

会場の群馬県立近代美術館は、高崎市内にありますが、行きにくい場所にあるため、インターネットでよ〜く調べて綿密に計画。本来、車で行くべき所ですねぇ。しかし、長距離運転はしたくないので、電車で向かいます。

計画では、湘南新宿ライナーに乗るはずでした。ところが、地元駅からすでに電車は遅延状態。宇都宮線で人身事故があった関係で、JR線が軒並み影響を受けて遅延している様子。この分では、計画した湘南新宿ライナーには乗れないなと思いつつ。途中駅では、運休も出ているという表示があったし。
ところで、湘南新宿ライナーと聞いたら、高崎関係ねーんじゃ?と思ってしまいますが、高崎線まで伸びてるヤツもあるんです。ライナーが乗り入れてるだけで、高崎線なのは変わりないのですが。
いざ大宮で乗り換えてみると、何のことはない狙っていた湘南新宿ライナーでした。これも遅れていたわけね。
しかしここで、トラップが!前回、千葉遠征のときには、”折り返しトラップ”に危うくひっかかるところでしたが、今回は”切り離しトラップ”!(笑)
15両のうち前5両が途中駅で切り離されて、短くなるって?ホームの中間点くらいに居たつもりだったので、高をくくっていたのですが、自分が乗ったのは切り離されて、新たに先頭車両になる先頭部分でした(笑)ギリ、切り離されずに済んだ。いや、もしそうでも車両を乗り換えればいいだけなんだけど。ぼんやり、車両切り離し作業を見物してました。今まで無人だった運転室に、運転士さんなどが乗り込み、外では係員の人が作業をしてて、そのうち前につながってた車両がスーっと離れていきました。ばいばーい。
ボックス席があって、トイレが付いてる電車に、久しぶりに乗りました。途中で、ちょっと長く停車をしていたとき、冷房が効いているのでドアは開かず、必要な人だけ個々にボタンで開けて乗り降りする仕組み。心得たもので、ドアを開けっ放しにする人はいません。みんな、開けたら閉める!さすがだ。
そんなこんなで新町駅に到着!ここからはバスもあるにはあるのですが、本数が少ないし、時間がかかる。ということで、タクシーです。
タクシーなんて乗るのは超久しぶりなので、思わず「シートベルトをしなくちゃいけないの?」と運転手さんに聞いてしまったよ。高速や助手席に乗らない限りは大丈夫だと言われたけど…いいのか?。予習していた地図を思い出しつつ、「こんな道だっけ?ちゃんと着くのか?まわり道とかされてボラれたりしない?」と多少不安になりましたが、何事もなく無事到着!

こっからが本番ですよ。
群馬県立近代美術館があるのは、陸軍火薬廠跡地<群馬の森>。今もお隣には日本化薬という会社があります。日本原子力研究開発機構の研究所もあります。戦中・戦後の歴史を感じるね。
群馬県立近代美術館の建物の設計は、磯崎新氏。なかなか面白い造りをしてます。建物の前では、さすが群馬だけあって、バカでかい馬の彫刻がお出迎え。
美術館の隣は群馬県立歴史博物館。ということで、共通鑑賞券がありまして、折角なのでそれを購入。美術館の入場料は安くて、今回の展示でも500円!ただでさえ安いのに、博物館に入れる共通券は100円増しなだけ(笑)

さて、ここで何を間違えたか階段を上ってしまい、常設展と『群馬青年ビエンナーレ2010』を先に観るハメに(笑)それらについては、また後日。
やっと階段を下りてきて、いよいよ『もうひとつの場所−野又 穫のランドスケープ』っす。
今回は、1980年代に描かれた初期のものから現在に至るまで、約100点にわたる作品が展示されているということで、野又ファンにとってははずせない展覧会。
私が野又作品に出会ったのは、たぶん、90年代の初め。池袋西武での個展を観て、衝撃を受けたのでした。それから、機会があるごとに、作品を鑑賞してきました。憶えているだけで大小合わせて8度目の展覧会。思えば、これほど長い間、飽きずに追いかけている対象というのは私にとっては他になく、それだけ、自分の感性にマッチした画家さんなのです。
時代を追って展示されていたので、会場に入って最初に目にするのは初期の作品や、デッサン、スケッチなど。この小さな紙片に描かれたスケッチが欲しい!(笑)いつか青山の画廊で観た模型もありました。デッサン類を観たのは初めてだったので、こういうものをヒントにして作品世界を作っているのだなぁと感慨深く観ました。
次の広いスペースには、空想建築が乱立。まずは1作品1作品、じっくり観ながら回ります。ちょうど、館内では子供を対象にしたワークショップが開かれていて、遠くに反響した子供たちの歓声が聞こえてました。子供たちの声を聞きながら、野又さんの絵を観るというのは、とても不思議な体験でした。
野又作品というのは、直接的な人間の存在はほぼ描かれることがありません。建物が建ってるんだから、そこには人が存在したのであろうという推測が成り立つだけです。多くの作品では、人の存在は過去形に感じます。つまり、人間がいなくなった後の世界のように見える。それでも、人間が生きていたことの痕跡を描いているような、そんな気がします。
そういった、ある種絶望的な未来観と、希望あふれる子供たちの声のミスマッチが、わたしを混乱させました。
絶望的と言いましたが、うまく表現できないのですが、人の存在が無に帰しても、それは単純に救いの無いような絶望ではないのですよ。痕跡を残していることを描いているわけで、それが意味を与えてるというか。いや、これは私の勝手な観方なので、ご本人が意図するところとはかけ離れているかもしれませんが。

ほとんどが観たことのある作品で、これもあったな、あれもあったなと思い出しました。そして、次のスペースへ。ここは近年の作品。下記に挙げましたが、一昨年にも鑑賞しているskyglowシリーズ。闇に浮かぶ光を帯びた塔と、人造湖のシリーズです。詳しい印象は、最初に観たときの方が強かったので、過去記事をどうぞ。このシリーズを観たときは、光の塔も湖も新しいモチーフだったので、驚くと同時に、野又さんは変わらないようでいて、常に新しいものを描き続けているのだなと思いました。
そして、最後に”映遠”と題された、昨年製作されたシリーズがありました。これも光の塔を描いてますが、パステル・木炭でセピア色に描かれていることで、暖かい夜の空気感が伝わってきます。”映遠”シリーズを観て、また一段と常に新しいものを描き続けていると思いました。

一度じっくりと観た後は、食事を摂り、隣の博物館をさっと観て、もう一度美術館に戻り、図録を購入してから再入場。帰りはバスを使おうと思っていたので、バスの時間まで、時間が許す限りこの空間で過ごそうと思いました。
時間が経ったことで、子供たちの歓声も消え、静かな鑑賞ができました。今度は絵からちょっと離れて鑑賞。こうすると、遠景の景色の中に、空想建築が建っているかのように見えて、また面白いんです。
今回、一同に会した野又作品を観つつ、何が私をそれほどまでに惹きつけるのか、ずっと考えていました。以前にも書いたのですが、野又さんの絵を観ていると、私の心は微振動するのです。ものすごく心が穏やかになると同時に、わずかな振れ幅で細かく振動するような感覚。アドレナリンが出ているんだけど1ヶ所に留まっていて、同時にセロトニンも出てるみたいな。ものすごく静かに興奮する(笑)
頭の中で勝手に再生される風の音を聞きつつ、人に取り残された建築物を観るのです。建物には、人の営みが記憶されていて、その記憶が再生されるかのような錯覚に陥るのです。
いつまでもここにいたい。会場内のベンチに座って、空想建築で埋め尽くされた空間を楽しみました。
しかし、時間は限られています。私の計画では、このバスを逃すと、次は2時間後。それでは帰るのが遅くなりすぎるので、無理。泣く泣く会場を後にしたのでした。
おなか一杯というところまではいきませんでしたが、満足。遠くまで足を運んだ甲斐がありました。

過去の野又穫作品の主な記事はコチラ。
空想建築の乱立
「光景」と「遠景」
SKYGLOW その1
SKYGLOW その2
ラベル:野又穫
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2010年06月18日

まさに<アナザーワールド>

この数ヶ月間に、2つのちと遠い美術館に行く計画がありました。
昨日、その第一弾として、千葉市美術館で行われている伊藤若冲 アナザーワールドに行ってまいりました。

千葉、遠い…。
電車で片道1時間半。途中、総武線が津田沼で長いこと停車してて、ふと周りを見回すとほとんど人が乗ってない。「あれ?」と思ったら、「この電車は、折り返し新宿方面に参ります」とのアナウンス。やばい、やばい。都内に送り返されるところだった!(笑)普段、総武線なんて乗らないもんだから、津田沼で折り返し運転があるなんて、全然知らんかった。あやうく”津田沼トラップ”にひっかかるところでした。
しかし、1時間半も電車に乗ってるってのに、車窓の景色はほとんど変わり映え無く、たまに農地がみえたりするものの、平らな住宅街が延々続く。関東平野って広いよねぇ。

たまたま千葉方面に住んでいる友人を誘ってみたら、快い返事をもらい、「ランチはうちで食べて行って」と、もてなしてもらいました。

んで、伊藤若冲です。
これだけ多くの若冲作品を一度に観るのは4年ぶり。大規模な若冲の展覧会は40年ぶりだそうですが。前回は、升目描きをはじめとする光学的な描き方に目がいったのですが、今回は、筋目描きなどの技法に目がいきました。
今回は墨絵がメインだったのですが、それだけに細かなところまでよく観ることができました。カメの甲羅の同心六角形、鯉のウロコ、芭蕉の葉など、筋目描きという墨のにじみを利用した手法で描かれています。もうひとつ面白かったのは、塗り残し。紙を白く塗り残すことで、月や降り積もった雪、葉っぱの虫食いなどが表現されていました。
版画もありましたが、墨一色刷りの作品はコントラストが強くなり、若冲の描くはっきりとした輪郭がより強調されて、面白かった。

今までは、升目描きの屏風のようなカラフルでゴージャスな作品に魅力を感じていましたが、今回は、そんな世界観とは真逆の、儚く幽玄な作品が印象に残りました。例えば「蓮池図」(千葉市美術館のページに画像があります)。6枚の襖に薄墨で描かれた蓮。絵が描かれていない空間の方が多いくらいなのですが、それがなぜだか幽玄さを醸し出していて、無音の空<くう>の世界に引きずり込まれるようです。
もうひとつ、気になった作品は「蜃気楼図」。地味な作品ではありましたが、一番下に巨大な蛤(蜃)が描かれていて、ぱっくりと貝が開いたその先、最上部に楼閣が描かれていました。蜃気楼は巨大な蛤が見せているという「史記」の記述によるもの。
この展覧会のタイトルに<アナザーワールド>とあるのは、華麗な着色作品が取りざたされている若冲にも、水墨画というもうひとつの世界があるのだという主張かららしいのですが、私には別の<アナザーワールド>が連想されました。
まさしく、”異界”。「蓮池図」や「蜃気楼図」から感じる”異界”感は、どこから来るのだろうと、ずっと考えていました。
ひとつには、墨の黒と紙の白というモノトーン。モノトーンがなぜに異界と繋がるのかというところが考えつかなかったのですが、生き生きと活動が活発なものはカラフルな色で表現され、そんな動と対極の静というのは、やはり色みがない方が表現しやすいように思えます。
もうひとつは、大胆な構図によって、大きな空間が生まれているということ。同じ空間でも、そこに何もなければ感じることの無い空虚さが、隅に何かを描くことで逆に空間の広さを感じることになるという…。空間が生む隔たりが、<アナザーワールド>を感じさせたのではないか、と。
異界との間に”境”という概念はあるものの、そんなものは飛び越えようと思えば、いつでも飛び越えられるものなんだよ、一歩その空間に足を踏み入れればいいだけだと、教えられているように思いました。
それから、動物がかわいく描かれているのを感じました。そりゃあ、鶏や鶴、鷹なんかはかわいくはありませんが、小鳥たちや亀や小動物は愛らしく、その表現のレンジの広さは驚くばかりです。やっぱり、生まれる時代が早すぎたんじゃなかろうか。

そんな風に若冲を堪能した後は、友人宅に移動してランチをいただきました。ここも、自作の抽象画やオリエンタルな家具に囲まれた異空間(笑)イングリッシュ・コッカー・スパニエルのワンコが歓迎してくれました。様々なことを話していると時間は知らぬ間に過ぎて…。

千葉市は大都会でした。延々と続くビル群に繁華街にモノレール。突如として視界に現れたお城の天守閣には、驚かされました。あんなに立派なお城があったんだね。キョロキョロと、おのぼりさん状態(笑)
脳みそのいろんなところが刺激された1日でありました!
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2010年02月09日

堪能、堪能。

昨日は久々に都内へお出かけ。まずは髪を切りに。
担当のスタイリストさんが、沿線の店から別の店舗へ異動してしまったので、仕方なくそちらの店舗に行くことになって2回目。JR2路線を乗り継いで行くんだけど、この日、2路線ともトラブルがあって遅延状態。トラブルはやめてくれ!ただでさえ乗りなれないJRで緊張するのにぃ。だって、ここは埼玉なのに、”大船行き”とか「どこまで行っちゃうのー?!」って感じでしょ?しかし、以前に輪をかけて人身事故が多いね。この日、移動中の車内のモニターに流れていた情報では、この他にも2路線の事故情報が乗っていたよ。いまや、日本の鉄道も時間通りに運行するとは限らなくなってるな。
さて、いつものことながら、伸びた髪が邪魔になってきたので、7ヶ月ぶりにバッサリ切ることにしましたよ。肩に付くくらいの長さから、けっこう短めのショートにしてきました。カラーも今までで一番明るい色です。もうすぐ春ですからね。こんなもんでいいでしょう。なんでも、私は元々の髪色が明るいので、カラーが入りやすいということで、「nbmさんだからできる色」といわれました。もう長いことやってもらってるスタイリストさんですが、そんなの初めて聞きましたよ。
スタイリストさんに久しぶりに会って、挨拶に次いで2言目に「nbmさんは楽しく生活を送っているのが伝わってきて、いいですね」と言われました。まだ何も話してないよ?(笑)その後の「最近はギターで遊んでます」という話で、それを証明してしまいましたが…。ブロンドのロングヘアの外国人の女性が迫力があってかっこよかったりとか、娘さんと手をつないでパーマをかけにきたおばあちゃんが微笑ましかったりとか、カラーの待ち時間も退屈しませんでした。待ち時間といえば、最初にアシスタントの女の子が私に持ってきてくれた雑誌は、『STORY』と『クロワッサン』だったのだけれども、「あぁ、やっぱり自分はこういうのを読む年齢層に見えるのか…」と軽いショックを受ける。しかしその後、アキハバラの話やギターの話をしてたので、担当スタイリストさんが「こんな感じじゃない方がいいよね?」と『DIME』を持ってきてくれる(笑)「いや、ファッション誌みたいなものは普段ほとんど読まないから、たまに読めるいい機会なんだけど」と言って、『STORY』と『DIME』を残してもらう。今まであまり考えたことはなかったのだけれども、数ある雑誌の中からお客さんに合わせてアシスタントさんがチョイスしていたことに気付く。しかし、今の時代、あれだけまとめて雑誌を購入するのは、美容室や理容室と図書館くらいじゃないのか?
ヘアスタイルが完成すると、スタイリストさんは「完璧!」と自画自賛(笑)いままでは割とおとなしめのスタイルだったのだけれども、今回はちょっと遊びのあるスタイルで、私としても新鮮で面白いものになった。「じゃ、また半年後に!(笑)」と言い残して店を出る。

髪を切り終えると、その日の第二の目的である美術展の前売り券を入手しに、ファミマへ。他のコンビニにはこういうのあるのかな。普段あまりコンビニを利用しないので知らないのだけれども、ファミマにはFamiポートという端末があって、それでいろんな操作ができるらしい。今回は、チケットぴあの前売りが購入できるというので、このFamiポートから前売り券を買ってみることにした。
コンサートなどにも行かなくなって久しいので、”チケットを買う”という行為に緊張する。今までは前売り券を買うときには、チケぴのカウンターに直接出向くか、金券ショップで買ってたからな。でも、Pコードを控えて行ったので、操作は簡単。端末からレシートみたいなものが出てきて、それをカウンターで前売り券に交換する。しかし、コンビニでの印刷だから、文字情報が印刷されただけのチケットが味気ない。

美容室のあるこの駅周辺は不案内な土地なので、事前に食事処を検索しておいた。こういう知らない場所で無難なのは、チェーン店とか、ファースト・フードとかだよね。だけど、評判のよさそうな蕎麦屋を見つけておいたので、そこで遅い昼食。これが当たり!ゴージャスに、もりそばとミニ天丼のセットを食べちゃったけど、味のわりにリーズナブルだし、どっちもとても美味しかった。満足、満足。

そしていざ、六本木へ!
そう、この日の第二目的、前売り券を買ったのは、『医学と芸術展』。HPはコチラ。久々に「行きたーい!」と思った美術展です。とかいいつつ、あまり事前に内容を調べずに行ったが。だって、コンセプトだけで充分面白そうでしょう?
六本木ヒルズには数回行ったことはあるけど、森美術館は実は初めて。”ミュージアムコーン”という専用の入り口から入ります。そこからぐるりと螺旋階段を上がって、3Fで前売り券をチケットに交換。で、高速エレベーターでいきなり52階へ。耳がツーン。エレベーターは、速くて静か。
今回のチケットは、東京シティビューにも入れてお得。シティビューだけの前売りが1200円!今回はこの値段で美術展とシティビューの両方に入場できるもんね。

ここからエスカレーターで1階分上がって、ようやく美術館の入り口です。無料で音声ガイドが借りられるということなので、デカいリモコンのような端末を借りてみる。展示作品の横についている番号を入力して耳に当てると、音声ガイドが聞ける。
興味深いものばかりだった。絵画なら、松井冬子、丸山応挙、河鍋暁斎。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチもあったし。河鍋暁斎の骸骨はとてもキュートで、独特の線が魅力的だった。河鍋暁斎美術館は意外に近いので、いつか行こうと思っていたのだけれども、俄然行く気が増した。
マグナス・ウォーリンの体感的な映像作品も面白かったし、解剖図をはじめ、義手や手術器具、様々な医療装置なども芸術品として鑑賞に堪えるものばかりだった。特に、鉄製関節模型や金属製の義手は美しさと機能性を兼ね備えたもので、印象深かった。大隈重信が義足だったってのは知らなかったな。
ポップアート的なものも楽しかったし、やすり面にひとつの頭蓋骨を擦り付けて作ったというアートや、蛍光ウサギ、生前と死後の比較写真など、衝撃的なものもあった。先端技術も紹介されていたね。しかし、腕に耳ってのは…(笑)
義手を観ているときに、音声ガイドで、最後にクエイ兄弟製作のフィルムが公開されているコーナーがあると知る。なにぃ?!クエイ兄弟とな!なんと、すばらしい!来てよかった…。そんなものがあるとは全然知らなかったので、嬉しかった。色々と楽しんだ最後に、美味しいデザートを楽しむような気分でクエイ兄弟制作のフィルムを観ました。今回の展示品を提供したウェルカム財団の所蔵品を使ったフィルム。特にこの金属製の義手は趣があったのですよね。クエイ兄弟の作品としては、ウェルカム財団の所蔵品のPVみたいではありましたけど、なかなかに楽しみました。

美術展だけでもお腹いっぱいな感じではありましたが、せっかくなので、海抜では都内最高地点というシティビューも見学。ちょっと前に流行った、ミニチュア映像を見ているようでした。何しろ東京タワーも近いし、ロケーションが面白い。カップルにはオススメですね。ひとりでボケーっと見てても面白かったけど。意外と近くに海も見えましたし、レインボーブリッジも。その向こうに遠く見えた山並みは千葉だったのかな。ちょうど夕陽の時刻だったので、西側は人だかりでした。夜はまた凄い景色になることでしょうね。これからちょうど暗くなるという私が帰る頃には、続々と人が沸いてきてました。

ということで、髪を切ってサッパリしたし、芸術や景色を存分に堪能してきたし、久々に有意義な時間を過ごした気がします。
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2009年07月15日

現代を鏡に映したら

髪が伸びに伸びて、長洲力のようになってしまっていたので、家の中では女学生のように二つに縛ったりしていたのですが、特に調理をするときには熱いし邪魔だし、ひとつに結わっていたのです。すると、ダンナさんが自分がかけている黒いセルフレームのメガネを私によこして、「いいからかけてみろ」と、そして「鏡を見て来い」と。ド、ドン小西がいる…。

というわけで、もういいかげん勘弁ならず、サロンに予約を入れました。仕事が倍に増えたり、体調が優れなかったり、なんとなくタイミングがつかめずにずるずるときてしまったのですが、その上、担当のスタイリストさんが異動になってしまい、新たな店舗は行けない距離ではないものの、メンドーくささに拍車がかかってしまったのですよ。でも、さすがに限度を超えまして、ついに髪を切りに行ってまいりました。
「堀北真希ちゃんくらいの長さにしてください」とお願いして、カット開始。珍しく、上から攻略するカタチで、段々と髪が無くなっていく…。途中、スタイリストさんが「(いつもあまりに放置するので)戒めのために、一部長い髪を残そうか」と脅しを入れつつ、バッツンバッツン切る。長い所は30cmほど切りました(笑)この極端な変身はいつものことながら、スタイリストさんも相当に楽しいらしい。切り落とした髪は、スタイリストさんいわく「中国へなら売れる」ほどありました。ほんと、冗談でなく、肩が軽くなった。軽くカラーを入れてもらって、長洲力から堀北真希ちゃんへと変身をとげたのでした。たぶん、ちがうと思うけど(笑)

頭も気分も軽くなって、前々から狙っていた<ネオテニー・ジャパン>を観に、上野へ。
これがねぇ。衝撃でした…。
日本の現代美術コレクターである高橋龍太郎さんのコレクションを展示した展覧会。1990年代以降の作品がずらりと並ぶ、錚錚たるラインナップ。とりわけ21世紀に入ってからの作品が多かったですが。日本の名だたる現代美術の旗手の作品が一同に会する展覧会なんて、そうそうあるものではないので、絶対に観たかったんですよ。会田誠、奈良美智、村上隆、山口晃をはじめ、33名のアーティストの作品が並びます。

でもね。全体を観て、私が感じたのは”死のにおい”と”静”。ほとんどの作品からマイナス・オーラが立ち昇っていたのです。そこに、生命の躍動感は感じられませんでした。特に、会田誠さんの『大山椒魚』などは、こちらの生命力をも吸い取られるほどのマイナス具合。びっくりだ!楽しみにしていた『紐育空爆之図』からは、エネルギーが一切伝わってこない…。ある意味凄い。こんなに強烈なメッセージ性を持っている絵なのに、ここまで何も感じないとは!良くいえば、すごくね、ニュートラルなんですよ。おしつけがましくないというか、「観る人は勝手に観てね」みたいな(笑)冷静に振り返ってみると、ビッグネームになっている人ほど、このニュートラル感が強い感じがしました。「ほら!どうだっ!」みたいな部分が欠落してるような。
みなさん、画力は凄まじいまでに凄いのですよ。アイデアもすばらしい!だけれども、絵に生命の息吹がまったく感じられないのです。その感覚は、山口晃さんの作品も、天明屋尚さんの作品も、村上隆さんの作品も、同じ。全部とはいわないまでも、ほとんどの作品で感じたイメージは、”死””空虚””静止””命を奪うもの”…。絵に釘付けになって、長くその場に留まっていたいと思わせる作品がほとんどありませんでした。普段は、美術展を観ると、スッキリ元気になるのが常ですが、今回に限っては非常に疲れ、グッタリしました(笑)
それは、残念というのではなく、ひどいショックでした。芸術というのは、時代を象徴するものであり、現代芸術はなかでも時代を先取りするものだと思います。今の時代はやっぱりこうなんだなって。芸術家の人たちが、人より鋭い感性で、世界を切り取って表現した結果がこれなんだと、「こんなん出ました」って突きつけられた感じがしたのです。決して、これらの方たちの作品を否定しているわけではありません。マイナスのエネルギーだって、エネルギーには違いない。しかし、ここまで大量に、同時に、見せつけられたことがなかったのでした。

そうはいっても、中には惹きこまれる作品もありました。
特に、とてもステキだったのは、入り口を入ってすぐに出迎えてくれた、6本足のキラキラした狼像。鴻池朋子さんの『惑星はしばらく雪に覆われる』です。狼のキラキラに光が反射して、その空間は異世界になっていました。それに、同じく鴻池朋子さんの『Knifer life』、そして映像作品『mimio-Odyssey』。特に、『Knifer life』。狼の毛並みと無数のナイフが絡み合う世界。ナイフは狼より出でて、狼に入る。細密な画力と、豊かなイマジネーションとが紡ぎだす世界は、とても魅力的でした。作品の写真がコチラのミヅマアートギャラリーのHPにあります。鴻池さんはこの夏に個展を開かれるようで、チラシからしてすばらしかったので、ぜひこれも行こうと思います。
最初がこの方の展示だったことは、象徴的でした。鴻池さんの作品には”生命の息吹”がありました。

それから、池田学さん。
『興亡史』と『領域』。2つとも、微細にびっしり描かれた個々のものたちが、寄り集まってひとつの全体像を成すという作品。こちらもミヅマアートギャラリーのHPに作品の写真があります。こういった、作品を構築するアイデアの豊かさというものは、今回展示されているほとんどの作品で感じました。凄まじいまでの画力にも感嘆します。だけど、どこかかわいらしく、温かみを感じさせてくれる作品でした。

そして、もうひと方、青山悟さん。
存じ上げなかったもので、作品を紹介するプレートの素材の表記に目がいかなかったら、素通りしていたかもしれません(笑)刺繍なんだよね。こちらも同じくミヅマアートギャラリーのHPに写真がありますが、写真だと刺繍だってわからないと思います。工業用ミシンを使っているそうですが、刺繍なんですよ、全部。驚愕…。これこそ、実物のアートを観ないと、作品の良さが伝わらないですね。何気ないものに、ここまで手をがけるという、その手法や作品完成までの過程を想像しただけで、熱意が伝わってくる作品でした。

なんか愚痴のようになってますが、久しぶりの美術展を楽しんできたんですよ。しばらく、観たいと思う展覧会がなかったので、息巻いて行ったんです。いい刺激になりました!


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2008年11月27日

SKYGLOW その2

野又穫作品展。今度は日本橋タカシマヤです。
久しぶりに日本橋タカシマヤに来て、エスカレーターの遅さにびっくり。駅でも階段を使うことが多かったり、エスカレーターは右側を歩いてしまう私にとっては、ものすごくのろ〜い速度に思えました。前後に人がいなかったので、当然エスカレーターを歩いて上る(笑)
会場に着いて、鑑賞し始めてしばらくすると、なんだか数人で話しながら進んでくる人たちがいる。どうやら、中央の若くてきれいな女性が何かの取材を受けながら、絵の前で写真を撮られたりしている様子。しかも、デジカメじゃなくて、フィルム・カメラですよ。よくわからんけど、この女性自身もアーティストらしい。1日日本橋界隈を歩きつつ、取材を受けているみたい。ほんの数人しかいない小さな会場で話しているもんだから、聞く気がなくとも聞こえてしまったのよね。ただし、ご本人のお名前はわからず、これも何かの縁だからと後で画廊の人にきいてみようかと思ったのだけど、その時には一切人が見当たらず、結局わからず終い。
混雑している美術館の展覧会なんかだと気にならないですが、こういった小さな会場での人の話し声というのは、案外気になるものですね。ひとりの画家さんの作品展で、別のアーティストの方が自分の作品について語るっていうのはどうなの?取材のコンセプトが全然わからん。鑑賞に集中できず、結局その取材が終わるまで待ってから、ゆっくり鑑賞しました。

「遠景」というサブタイトルがついた日本橋展。今まで、”空想建築”と呼ばれる建築物を描いてきた野又さんですが、今回は湖を描くと言う挑戦をしています。三日月湖、競馬場のようなオーバル型で中央に中州がある湖、ひょうたん型のような湖、それに真円の湖がありました。事前にサムネイル画像で観ていた三日月湖の印象が強かったのですが、実際に絵の前に立ってみると、私が一番魅力的に感じたのは真円の湖でした。どの湖も、周囲には水路が複雑に張り巡らされていて、自然湖というよりは人造湖という印象。特に真円の湖のまわりは、まるでLSIの基盤のように、円を取り囲む水路のラインが規則的に広がっています。じっとこの絵を観ていると、真円の湖のド真ん中から、振動が起こって、同心円状に波が起こっていくのではないかという妄想が…。静かな絵なのに、なぜかしら”振動”を感じたのでした。
もう1枚。こちらは、新宿店「光景」にもあったシリーズ。光を発する木星のような、しゃぼん玉のような、スフィア。グリーンのグラデーションで縞模様が描かれた球体が、水面に浮かんでいます。この水面には沸き立っているように飛沫が描かれていて、「沸き立つ」と言ったけど、決して熱そうなわけではなくて…。こちらの絵からも、私は振動を感じたのでした。細かな微振動が、水面にしぶきを躍らせているような感じ。新宿展でお会いした野又さんの奥様から、野又さんは常に「気配を描こうとしている」というお話を伺いましたが、今回の「光景」の作品からは温度を感じ、「遠景」の作品からは振動を感じました。静かな絵であるはずなのに、物理的に物質の変化を感じるような、そういう感覚を受けました。
野又さんの絵を観て、頭の中で音楽が鳴るようだと評している方がいらっしゃいましたが、私は逆に限りなく無音に近くなります。過去の空想建築作品だと、風の音は聴こえますが。今回は、無音で、だけれども光にしても湖にしても、そこにはやはり人の気配を感じる作品になりました。光に関してはすでにお話ししましたが、湖の水というのも、人の暮らしに密接に関わっているもので、作物を育て、人自身も水無くしては生きられないという、ね。人が暮らしているという前提で描かれた作品たち。
思えば、数年前に新宿パークハイアットで観た「バベルの塔」のシリーズで、野又作品で最初に人の気配というものを感じました。未完成の、所々に足場が組まれたバベルの塔。塔のふもとにはパオや船、焚き火の煙などが描かれていたと記憶しています。まさにバベルの塔の建設中であって、建設に携わる人たちの気配が描かれていました。それまでの作品を思うと、これは画期的なことに思えました。今回も、バベルの塔のシリーズが何点かありましたが、それよりも強烈に、光や湖というものが人の存在を思わせてくれました。
一度にこんなに新しい作品を観られるなんて、幸せなひとときでありました。

日本橋は、会社員時代を過ごした地なので、馴染みのある街です。ここが、浮世絵に描かれていたり、時代劇でよく出てくるような街なのかと思うと、ちょっと不思議な気持ちもしますが。老舗が軒を連ねていたり、地元の方と話をすると江戸っ子を感じたり、やっぱり歴史というものを感じさせる街ですね。銀座に用事があって、日本橋には長居できなかったのですが、私にとっては落ち着ける街のひとつです。

ラベル:野又穫
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2008年11月23日

SKYGLOW その1

先日、Hondaに勤める友人から情報を得ました。日本人で唯一トライアル世界選手権チャンピオンとなった”フジガス”こと藤波貴久選手と、”トライアルの伝道師”小林直樹さんが、会社に来てデモ走行を披露してくれたそうです。Hondaの研究所ということで、2輪のプロを前にしてのデモ走行は緊張した(本人談)そうですが、藤波選手は、4トントラックの裏からいきなり飛び出してきて、天井からごあいさつってな具合だったそうですよ。友人は、トライアルを初めて直に見て興奮し、来年6月のもてぎでの大会(日本GPかな?)に行く気満々になってました(笑)一方の小林直樹さんは、相変わらず超絶テクを披露しながら喋りまくっていたようです(笑)さすが、伝道師!

さて、これまた別の友人に誘われ、サルヴァトーレ・クオモのビュッフェでランチを楽しんできました。開店前に行ったのに、すでに長蛇の列。どんだけ人気なんだよ!「どうする?」とか迷いつつ、寒い中、結局90分も待ってしまいました(笑)でも、やっぱりピッツァは絶品で、生地が美味しかった。くだらないことをおしゃべりしつつ、ビュッフェを堪能しましたよ。
西新宿のお店だったのですが、外に出ると、エルタワーの向かいに立ってるビルが異様。なんじゃこりゃと思ってたら、東京モード学園のビルだったんですね。コクーンタワー。ってことは繭のイメージ?見た目は、こんな感じ。丹下都市建築設計の設計。オープンしたばかりだったのね。東京モード学園やHAL東京など専門学校が入るということですが、ブックファーストも入ってるってことで、新宿西口にしては大きな本屋となりますでしょうか。

ちょうど新宿へ出たので、それから野又穫さんの作品展”Skyglow”へ。「光景」の作品群を観てきました。
自分が受けた事前の印象とは幾分違って、POPな感じの作品が多いような。野又さんは、現代の照明というものを少し否定的に捉えているような一文を会場に掲げていらっしゃいましたが、絵から受ける印象は明るく、不思議と肯定的に感じられました。その一文をちょっと抜粋すると
物質的な豊かさが地球を蝕んでゆく現実を間の前にしても、
人は光に集まる虫のように、煌煌と光る都市に吸い寄せられる。
生と享楽への本能なのかもしれない。
繁栄と虚栄の世界景が目の前に浮かび上がる。

こんな感じ。
それから、今までの作品群は”遠未来”な感覚を覚えたものですが、今回の作品群は”近未来”な感覚でした。今までの多くの作品は、人の気配を感じない、例えて言えば、人類が死滅した後に残された建造物だけが、静かに佇んでいるような雰囲気だったのです。しかし、今回の光を描いた作品には、人が生活している存在感のようなものを感じました。例によって、人そのものが描かれていないのに、存在感を感じるというのも不思議なものなのですが。光は、おおまかに言うと、クールな蛍光灯の青色か、温かな白熱電球のような赤みを帯びた色だったのですが、どちらにしろ、電気的な照明の光に見え、その裏には人間の営みが見えてしまうということなのでしょうか。ちょっと前に、人間が消えた後1万年まで、この世界がどうなっていくかというアメリカの学者たちが考えたシミュレーション映像を見ましたが、真っ先に電気の供給が止まってました。火力であれ、原子力であれ、風力であれ、人が発電施設の管理・メンテナンスを行わなければ、電力供給はできないということらしい。これが頭にあったのかもしれません。
会場には、野又先生ご本人もいらっしゃいましたが、私には恐れ多くてお声をかけることができませんでした(笑)奥様もいらして、奥様には案内のメールをいただいていたので、たくさん送られたメールの一通だろうとは思いながらも、あらためてお礼を言おうと声をかけました。日本橋展の「遠景」の作品を制作されていた様子などを伺いました。また、応接スペースに過去の小さな作品が飾ってあったのも見せていただいて、そのうちのひとつに帆のついた建物のモチーフが描かれていたのですが、「この時期は風を描こうとしていたようです」とのお話に納得しました。まさにこの時期の作品を観たときには、風の音を聴いているかのような感覚に陥ったからです。風だけでなく、とにかく常に”気配”というものを描きたいと言って描いているというお話でした。

帰ろうと思い、もう一度だけと作品を観なおしているときに、気付いたことが。キャンバスの側面や上下にも絵が続いて描かれていることに気付きました。今まで気付かなかった…。そういえば、野又さんの作品は額装されていることがほとんどありません。そりゃあそうだよね。額装してしまったら、せっかく側面まで描きこまれているのが隠れてしまうもの。画廊の係りの方に訪ねてみると、側面まで細かく描かれる画家さんは、やはり少数派なのだそうです。野又さんの作品の場合は、額は付けずに、アクリルのボックスのようなものをかぶせるようにして飾ることを勧めているのだそうです。
それにしても、野又さんの作品展では、作品に触れられるほど近くで、しかも額が無いので直に作品が観られます。そういう意味でも少数派かもしれません。

幻想建築は、そうして近くから細部を観るのも楽しいのですが、実はちょっと離れたところから見るのもいいのです。本当にそこにそんな建築物が建っていて、建物が建つ同じ地面から眺めているような錯覚に陥るから。近くから遠くから作品群を堪能してきました。

日本橋展の「遠景」では、初めて建築物以外のもの、湖を描き、新境地を開拓されたとのことで、そちらも楽しみです。
ラベル:野又穫
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2008年11月14日

「光景」と「遠景」

大好きな野又穫さんの個展が、数年ぶりに開かれることになりました。野又穫さんの作品は、こんな感じ。野又さんの描く建築物は”空想建築”と呼ばれているのですが、ありそでなさそな、そして無機的であって、でも温かみのある建築物の数々。
以前に、とある個人宅を会場にしてのユニークな個展が開かれた折、野又さんの奥様とお会いでき、お紅茶をいただいたりして、次回の個展のときにはメールで連絡をいただけることになっていたのですが、まさか本当にメールを送っていただけるとは…(笑)事前にネット上で今回の個展の情報は得ていたのですが、自らアンテナを張り巡らせておかないとつかめないほどの情報しかないんですよ。画家御本人の奥様からご連絡をいただくなんて、贅沢な話じゃないですか。しかし、本当に嬉しい限りです。ちなみに、個展は以下のとおり開かれます。

<野又 穫 展 “SKYGLOW”>
【新宿展】
2008年11月13日(木)―11月25日(火)新宿高島屋10階美術画廊
【東京展】
2008年11月19日(水)―12月 9日(火)日本橋高島屋6階美術画廊

※ 各会場共10:00am−8:00pm会期中無休.最終日は午後4時閉会

今回は2会場。新宿展には「光景」、日本橋展には「遠景」というサブタイトルがついているそうです。今回の「光景」は、明かりが漏れている建物が描かれているのだと思われますが、この建物の明かりがね、本当に綺麗なんですよ。そして、白熱電球のようなほんのり温かな温度を感じるのです。
野又さんは、いまだ「遠景」の作品を制作中とのことで、ほんとうに出来たてほやほやの作品が観られそうです。あぁ、楽しみだなぁ。
興味をもたれた方は、ぜひ会場へ足を運んでみてください。

十数年前から野又穫ファンであった私ですが、作品展で画集を購入した際、ご本人がちょうど会場にいらして、係の方が「サインをいただきましょうか」と言ってくださって、画集にサインをしていただいたのですが、その場でさらさらと帆のついた建物のモチーフを描いてくださったのですよ。嬉しくてねぇ。その画集は、私の宝物になりました。

個展を観に行ってきたら、また感想を書きたいと思います。
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2007年04月13日

瞬間を切り取る力

最近、まったく異なるタイプの2人の写真家の話を聞きました。もちろん、テレビで…。

一人は、”不肖・宮嶋”こと宮嶋茂樹さん。先日の『情熱大陸』で密着取材されてました。「人の不幸でメシを食ってるのか」と問われれば、「はい、そうです」と答えると言う。個人的には、そう言われるとやはりあまり共感できないけど、そこまで言い切る姿勢は、返って清々しいほど。戦地や災害地などで主に活躍されているのでね。でも、実は単純に”人が見たいと思うもの”を撮ってるわけです。だから、宮嶋さんが撮る強烈な写真は、社会の暗部でもあり、それを見る自分の暗部も映し出されているような気がして、正視に堪えなかったりするのかもしれません。
それにしても、撮るべきものを逃さない。これは、尊敬に値します。やはり、恵まれた才能という他はありません。まだ、世間が騒ぎ出す前からオウムを撮り続けていたという宮嶋さん。大きなメディアは、いくら訴えても採り上げようとしなかったそうです。オウムのことを撮り続けるのが生きがいだとおっしゃっておりました。だからこそ、東京拘置所内を移送される際のあの教主の写真を、一瞬のチャンスを逃さずに捉えられたのですね。『情熱大陸』でも、チェックを潜り抜けて、本来は入れないはずの教団の記者会見に見事潜入して写真を撮ってました。別の番組では、紛争地帯などで撮ったフィルムを没収されたりしないように、手品のように一瞬でフィルムをすりかえることも練習して実践していると語ってました。
「この5ヶ月間、危険地帯への出動要請がない」と。戦争・紛争が減って、収入が激減したのだそうです。亡くなった戦争ジャーナリスト橋田信介さんの奥様から、形見であるライカを譲り受けているあたりが、ジャーナリストとしての使命を受け継いでいるようで、なんとも壮絶な感じがしました。
宮嶋さんのHPはこちら。当然のことながら「激写ロク」には過激な写真もあり、相当グロいものもあるので注意。

さて、もう一人はガラッと変わって岩合光昭さん。最近、「ネコを撮る」という著書を出されて、メディアでよくお見かけします。先日は『徹子の部屋』に出演されてました。お父様も動物写真家だったのですね。知りませんでした。お父様のお仕事に随行していく中で、同じく動物写真家を目指すようになったのだとか。
それにしても、岩合さんの写真は動物の表情がすばらしい。どうしてこんな瞬間ばかり撮れるのかと思うほど、どれをとってもいい顔をしている動物たち。半分オリンパスのデジカメの宣伝ページですけど、こちらで写真が見られます。和みますよ。
もちろん、動物の決定的瞬間をとらえようと思ったら、厳しい自然環境の中で、まず動物を探し、決定的なその瞬間と出会うまで長い時間をかけて粘って粘って撮ることになるのでしょう。それにしても、決定的瞬間に恵まれているとしか思えない写真が多いこと。動物と一定の距離を取りながらも、心で対話をして撮っているとしか思えないような写真。これもひとつの才能なのだと思います。
単に、その辺のネコを撮るにしても、他の人には見せないような表情やしぐさを、「岩合さんだけには特別ね」とサービスして見せてくれているかのようです。もちろん、あらゆるテクニックが使われているでしょうし、カメラの性能もあるでしょうが、岩合さんの写真には、それだけでは語れないマジックを感じます。

宮嶋さんの一瞬は被写体への執念で切り取られていて、岩合さんの一瞬は被写体への慈しみで切り取られている。そんな印象を持ちました。どちらも命を懸けて撮られたもので、どちらも凄いことです。もちろん、お二人とも危険地帯ばかりで撮られているわけではないですが。カメラで撮ることは、絵を描くことに比べると、機械が介在するので個性が出にくいように思えますが、表現方法、もしくは魂の込め方によって、まったく違う作品ができあがることに、あらためて驚きました。
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2007年02月09日

がんばれ!図工の時間

さっき、テレビ番組で、図工の時間の大切さを取り上げてました。そこで紹介されていた「がんばれ!図工の時間」というプロジェクト。小学校高学年の図工の時間が平成14年度に年間70時間から50時間に削減されてしまったことに危機感を覚えて、立ち上げられたプロジェクトです。ロゴを見てピンときて調べてみたら、やっぱり関わってました佐藤雅彦先生。
街頭で親御さんたちを対象に、子供が勉強する上で重要な科目は何かというアンケートをしてました。みなさん国語・算数あたりを挙げます。図工をプッシュする親御さんはいない。まぁ、そうでしょうね。そこで、自分なりに重要な科目を考えてみました。まず、国語。これははずせません。何を勉強するにしたって、ほとんどのことは母国語の言葉で書かれているものを読んで理解する必要がありますし、言葉で考えて言葉で表現しなければなりません。どうしたって基本中の基本です。算数もある程度は必要ですね。日常、数の概念はいたるところに出てきます。最低限の加減乗除くらいはできないと不便ですね。それから大切なのは理科。動物のからだや天体のしくみを知ったり、基本的な化学反応を知ったりすることは、生きる力を身につけることになります。体育も大事かも。今の時代は子供が自ら進んで体を動かすことが少ないので。体の動かし方を知ることは、身の危険を回避する手立てになりますから。
そして、意外だけれど図工も重要だということがわかりました。自分を見つめ、評価することにつながるからです。「みんなマル」だと教師が言ってました。図工に間違った答えなんてありません。みんなそれぞれの良いところを認めて褒めてあげられると。図工に力を入れると、他者を認める空気が生まれるのだそうです。そういう時間があってもいいよね。運動会で徒競走を廃止したりする変な非差別化は嫌だけど。もうひとつ、重要なのは、作品を作るに当たって自らと対話し、自分を知って、さらにそれを表現するということができるということ。心理学でも対象に絵を描かせて、その心理を解明しようとする手法があります。絵は、それだけ心の中を投影しやすいものなのでしょう。私自身は絵が下手クソで、自分の思うままに表現できないのですが、先輩が描いた抽象画を観ると、本当に心の中が手に取るようにわかるのが不思議なくらいでした。
同じ芸術の分野でも、音楽ではなかなかこうはいきません。科目としては音楽の方が必要ないかも。あらためて考えると、音楽の授業の必要性ってわかりません…。一体何でしょう?
余談ですけど、高校の頃、芸術選択でクラス分けがされてました。音楽・美術・書道とこの3つから芸術科目を選択し、それを基本にクラスが分かれてました。すると、どういうわけか音楽クラスには目立ちたがりのバカが集まり明るいクラスに。書道クラスが一番地味だったような気がします。なぜでしょう?
私のように絵が描けない人間でも、適切な指導をされれば、ある程度は絵が描けるようになるのでしょうかね。絵は描けないけど、工作は大好きでした。中学生の頃に彫刻して作ったオルゴールは、まだ手元にあります。厚紙を1枚渡されて、何でも好きな物を作りなさいと言われたときには、タロット・カードを作った覚えがあります。他にもアクリル板を熱で加工したり、ピーマンの抽象画を描いたり…考えてみると、図工や美術の授業はずいぶん強く印象に残っているものですね。それだけ自分の脳を使って、心を砕いて作品を作っていたのかもしれません。
がんばれ!図工の時間!
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2007年01月23日

生きる自我


生きる自我
絵画というものは不思議なもので、写真にしてしまうと絵の持つエネルギーが消えてしまいます。実物がお見せできないのが残念ですが、この絵は、学生時代の先輩が描いた絵です。先日、小さな個展が開かれたので、行ってきました。この場所での個展は2度目。私が先輩の絵をきちんと観たのも2度目でしたが、前回の作品に比べて、迷いが無いことを強く感じました。そう感想を話すと、もう一人いっしょに来ていた別の先輩が、「私もそう思った」と言いました。絵を描くってことが、自分の魂を注入することなのだとあらためて感じます。先輩の描く絵は抽象画で、だからこそ自身の心の動きが強く反映されるのでしょう。そして、会場にたくさん飾ってある絵の中で、私の印象に特に強く残ったのが、この「生きる自我」と題された絵でした。何も知らずに、この絵から力強い印象を受けた私でしたが、この絵は、他のどの作品よりも強烈に、先輩の再生の物語を語っていたのでした。
何も知らずにと言ったのは、絵を描いたときの先輩の心情を言ったので、ここ数年の先輩のことはよく知っています。大学卒業後、海外で生活されていた先輩は国際結婚をしました。海外での慣れない生活の中で不妊に苦しみ、DVなどもあって離婚されたのですが、その辛い辛い生活でうつ病となってしまいました。数年前に帰国されてから、頻繁に連絡をとるようになったのですが、帰国された当初は病気は思わしくない状態でした。電話がかかってくる度に、暗い涙声で苦しみを訴えてくる先輩に、「それで、いいんですよ。大丈夫ですよ」と肯定してあげるのが私にできる精一杯のことでした。「芸術に触れたいけれど、ひとりでは美術館に行けないから一緒に行ってくれない?」と言われて、2人で何度か美術館や画廊に行ったりしました。うちに遊びに来てもらい、半ばむりやりウォーキングをして、武蔵野の自然に触れてもらったりもしました。ただ単に、お茶を飲みながらバカ話をしたりもしました。私だけでなく、当然のことながら御家族や友人が先輩を見守ってきました。毎回の個展を仕切ってくださるある友人の方は、「断崖絶壁の端っこを歩いているよう」と言った先輩に、「じゃあ、その断崖をいっしょに歩かせて」と言ってくれたそうです。そうして、時が経つにつれて、先輩は元気を少しずつ取り戻していったのです。
この絵は、大きなカベを乗り越えたという達成感で描かれています。先輩の元主治医の先生が、今回の個展に足を運んでくれたそうです。先生は、先輩が過去に苦しんできたすべてを解ってくれている方で、この絵を観て、すべてを理解してくださり、心から喜んでくれたのだそうです。先輩自身も、胸を張って作品を見せられたと喜んでいました。この絵には、先輩の再生した魂が込められているのです。
うつ病で苦しむ人の話をたくさん聞きます。決して他人事ではないとも思います。知人の中にも、残念なことに、自ら命を絶ってしまった方もいます。でも、あきらめずに、がんばらないで、最悪の時をなんとかやり過ごしてほしい。そう願わずにいられません。先輩は、お薬の量が当初の半分になったと喜んでいました。そうやって徐々に少しずつ、病気の勢力を狭めていく戦いは、まだ続いています。でも、最近の先輩の声は明るく、「これができるようになったの、あれもできるようになったの」と嬉しい報告ばかりです。先輩との触れ合いの中で、私自身も得ることがたくさんあります。これからも、そんな関係でありたいと思います。
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2006年11月18日

高尚なバカとグロな美しさ

雑誌「Pen」の1号前の特集が「今世界には、アートが必要だ」というものでした。書店でパラパラとめくっていたら、忘れていたひとりの画家を思い出させられました。その名は会田誠。現代の日本を描く画家として、高く評価されているうちの一人。作風はこんな感じ。例えば、切腹している女子高生たちとか、うんこの山とか、とにかくインパクトのある作品しかない。とてもとても家に飾りたいと思うようなタイプの絵ではないんだけれど、このクオリティの高いバカなことをやってしまうあたりが、とっても魅力的。まじめなことを考えていないわけでもないのかなと思わせるのが「戦争画RETURNS」あたり。にゅうようく(紐育)の上空を無限大に八の字を描いて空爆する戦闘機の群れ。1996年のこの作品は、後の惨劇を予言しているかのよう。だけど、根本的にはバカっぽい作品を観て笑ってほしいと思って本人は描いているようです。声を上げて笑いはしないけど、「ニヤリ」としてしまう作品ばかり。好きです。

もうひとり気になったのが松井冬子という方。ご本人の写真が載っていたのですが、雰囲気のある超美形。こちらのブログにお写真が。「浄相の持続」なんて作品は、きれいな女性の内臓剥きだしの死体が、草むらに横たわっているという作品。ミレイ「オフィーリア」のような美しい絵です。画家ご本人との雰囲気も相俟ってるのか、魅惑されてしまいます。ぜひ、作品を目の当たりにしてみたい。

他に、束芋さんなども面白そうです。
なんだか、グロい作風の方が多数見受けられて、興味深い特集でした。現代アートが描く対象が、人間の内面へ内面へと流れていっているのを象徴しているかのようです。精神的な内面を表現しようとして、それが裏返って表層的になってしまってる、みたいな。考えすぎです、たぶん…。
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2006年10月31日

お気をつけください

胃腸がやられる、熱の出ない風邪が流行っています。うちもやられてしまいました。性質が悪いです。食あたりなのかと思うような症状ですが、どうやら風邪のようです。なんか調子悪いなと思ってると、いきなり胃腸にきます。お気をつけください。
小さな美術展を二つ観てきました。まず、野又穫展。小さな画廊だったので、点数は少なかったのですが、個人の所蔵らしき作品や、デッサン的な作品、それに立体作品が参考作品のようにひっそりと置かれてました。画廊だったので、個人所蔵のもの以外には、値段がついていて、あまり高くなっていなかったのが意外でした。立体作品を観たのは初めてだったのですが、タイトルも書いてありませんでした。売り物ではなかったということでしょうかね。2次元の建造物を描きながら、やはり3次元の有り様を考えているのであろうことが、よくわかりました。
青山で行われていた、この展覧会。帰りに画廊から出てしばらく歩いていたら、右手に青山霊園が…。来るときには墓地はなかったはず。「あれれ、道を間違った」と引き返していくと、前方に迷子になっているらしき御婦人の集団が。ヤバいシチュエーションだなぁと思いながら、その脇をすり抜けようとすると、案の定「この辺りの方ですか?」ホラ来たexclamation「すみません。私にはわかりません」道を聞かれる前から答えてしまいました。近所のスーパーに行くようなどうでもいい格好で歩いているからなのか、知らない道を歩いてても、いつもこうです。地元民に間違えられ、道を聞かれることが多いことexclamation私も道を間違えて引き返してきたところだっつーの。ついでに表参道ヒルズへ。ずいぶんと景色が変わりましたねぇ。一部かつての同潤会アパートのような作りを残してますが。ぐるぐると表参道ヒルズの中を歩いていると、クラインの壷の中に入ってしまったかのようです。どこも裏返ったりしてないんだけどね。らせん状の通路の真ん中の空間を縦にまっすぐ突っ切る階段が、そう思わせるのかもしれません。
それはさておき、次の目的地。日本橋へ。「COLOR OF 10 色で語る10人のクリエーター達」を観る。色とは目が見た光を脳が感じているものなのだということをあらためて感じた次第。寄藤文平さんの”COLOR VIOLENCE”などは、強烈な2色の色が襲ってきて、観ていると目が痛い。強い色の縞模様を見たときの感じです。正にバイオレンス。森本千絵さんの”イロニンゲン行動学”は80色に色分けされた人間が色に影響されるかというテーマのもとに、各色を見にまとい、トンガリ帽子まで被った人たちに様々な質問をぶつけたりして行動を観察するというもの。映像が流れていたのですが、ウルトラクイズ形式で質問の答えごとに並ぶ人の色をよく見ると、どこか規則性があるようで面白いものでした。そして、佐藤雅彦+ユーフラテスの”midnight animation”は、赤と緑で描き分けられた絵を、真っ暗な部屋で赤と緑に明滅するモニターの前で見ると、アニメーション的に見えるという作品。これも面白かったですよ。一番の目当てだったgroovisionsの作品は、そういった動きがなかったので、ちょっとインパクトが薄くて残念でしたが。他にも偏光板を使って、色が変化する絵本などがありました。日本伝統の色をモチーフにした作品もありましたが、日本人ってのは微妙なニュアンスが好きなんだなぁとつくづく思いました。こんなにもたくさんの色を作って使っていた民族が、他にいるんだろうか。
体調が悪いからちょっとだけ書こうと思ったのに、結局長くなってるし…。
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2006年10月23日

なるほど納得

テレ東「Japan Countdown」のオープニングに使われていたHALFBY(ハーフビー)のPVがかなりかわいかったので、気になって調べたところ、Groovisionsの作と判明。作品たちを見返してみると、今まで私のアンテナにひっかかっていたものが多数含まれていて、もっと早く気が付けばよかった…。”チャッピー”の所属事務所と言えば、おわかりになるでしょうか。デザイン集団が作ったキャラクターがCDデビューしているという…。それが、1999年のことですね。
ぞれから、その存在を忘れていた自分でしたが、彼らのサイトを見て、例えばお気に入りのキャプテン・ストライダムの「108dreams」のCDジャケットなどもGroovisionsの作品と知り、なるほど納得。他にもFANTASTIC PLASTIC MACHINEやRIP SLYMEのCDジャケットや雑誌「広告批評」の表紙など、気になっていたものばかり。ちょうど今、日本橋で色で語る10人のクリエイター達というイベントをやっていることを知り、早速行って来ようと思います。他にも佐藤雅彦さんとか寄藤文平さんとか好きなアーティストの作品があるということで、楽しみです。
展覧会がらみでは、もうひとつ。野又穫展。普段なかなか目にすることができない、個人のコレクションとなっている作品が展示されるとあって、これも観に行かなければ。どうやら画集にも載っていない作品が展示されているらしい。
私にとって、なんだか今年は美術展の当たり年。まったく触手が伸びない展覧会ばかりの年もあるのに、今年は誰かが私のために企画してくれているようなものばかりで嬉しい限りです。
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2006年09月10日

空想建築の乱立

昨日は、大好きな野又穫(のまたみのる)さんの作品展に行ってまいりましたexclamation野又穫さんは”空想建築画家”と呼ばれています。一貫して、現実にはありえない建築物・構造物を描いている画家です。現代の画家としては、私の中では最高位に君臨しているお方でございます。ちょっと前まで文芸雑誌『文学界』の毎号の表紙に作品が使われていましたし、石田衣良『ブルータワー』の表紙も飾ってましたね。テレビドラマ『白い巨塔』のタイトルバックの巨塔は野又穫さんの原案でした。
古い作品から新作まで、57点を贅沢にも一気に観ることができて、ファン暦14年の私としてはこの上ない幸せ。至福の時でございました。
西新宿のパークハイアット東京にあるニューヨークグリル&バーが改装され、野又穫作品を収蔵することになったのを記念して、パークタワー内のギャラリーで作品展が開かれたのでありました。レストランの方には行かなかったので、そちらに飾ってある新作20点は観られなかったものの、ギャラリーだけでもおなかいっぱいって感じでした。大体レストランに飾ってあるのでは、飲み食いしているお客さんの所を回って観るわけにもいきませんしね。
久しくお目にかかっていなかった古い作品を観られたことも嬉しかったですし、新作も新境地という感じで楽しめました。人間が登場することのない作品ばかりなのですが、今回の新作「Babel in 2005」は、人間の息づいている匂いが感じられるものでした。
この方の展覧会はいつも、絵に触れられるほど近くで観られることがほとんど。画家ご本人も、フレンドリーとまではいきませんが、あるギャラリーで画集を購入した際には、さらさらとサインしてくださったのですが、サインペンで簡単に絵まで描いてくださいました。それは、モチーフとしてよく使われる帆のついた建物でした。あのときは、感激しましたねぇ。
会期末の展覧会にありがちな混雑もなく、十二分に堪能させていただきました。
ラベル:野又穫
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2006年07月22日

陰影礼賛と若冲

高校の国語の授業だったか、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」が、随筆や評論のジャンルで唯一印象に残っていて、いつかきちんと読み返したいと思っていた作品です。たしか日本家屋の陰影の素晴らしさについて語られているものでしたよね。
私は、今日、それを始めて身を持って体験し、感得するに至りました。

「若冲と江戸絵画展」を観て来たわけですが、まず若冲の作品は、想像していたとおり物凄いものでした。描かれている動植物の圧倒的な存在感は、群を抜いていましたよ。色彩が豊かで、精密な絵というだけでなく、動物がどれも愛らしく見えてしまうのには驚きました。とはいえ、他の画家による作品もなかなか見ごたえのあるものが多く、とっても良い展覧会でした。虎の皮の質感とか。ほんとに虎の皮が貼ってあるみたいだったexclamation

そうそう、どうして「陰影礼賛」を持ち出したかって話です。
最後のセクションで、ひとつの絵を照らすライティングを変化させて、いろいろな表情を見せてくれるという画期的な展示方法になってました。大きな屏風絵が多かったのですが、光の加減でひとつの絵が様々に変化していくのを観賞するのは、貴重な体験でした。
「日本美術を鑑賞する祭、光の果たす役割は非常に重要である」と今回のコレクションの持ち主であるプライス氏が言っている言葉の意味が、よ〜くわかりましたよ。
狩野派や俵屋宗達・尾形光琳などの絵に、金箔がたくさん使われているというイメージは持っていましたが、私の感覚的には悪趣味にしか思えませんでした。ところが、作品に光を当てて観ると、特に金地や銀地が驚くほど変化して見えることに、初めて気付かされました。古い日本の家屋では、日の差し込む加減や時間帯もしくは季節によって、または揺らぐろうそくの灯で様々に光が変化し、ひとつの絵がいくつもの表情を見せていたということですね。特に屏風絵は、屏風自体の影や向き合う面の色の映りこみも計算した上で描かれているものだということがわかりました。若冲の”升目描き”という手法も、光学的な手法だと思ったけれど、江戸の画家たちが、私たちが考える以上に”光”を意識して描いていたことを思い知ったことは、大きな収穫でした。むふっ。
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2006年07月08日

元祖デジタル画像

伊藤若冲という画家がいます。江戸時代中期の画家です。大胆な色使いが特徴的な精緻な画風です。大好きな画家のひとり。今日のテレビ東京「美の巨人たち」で取り上げられてました。今、なぜ?と思ったら、やるんですね、展覧会。これは、絶対行かなきゃexclamation
若冲は、青物問屋の裕福な家に育ったので、高い絵の具をふんだんに使うことができたし、働く必要もなかったので時間もたくさんかけて絵を描いてたようですが、それでも、対象を見る観察眼や表現方法には非凡さを感じます。

今日番組で取り上げられた「鳥獣花木図屏風」は、”升目描き”の作品。8万6千個の小さな升目で構成されている大きな屏風です。ひとつの升目は二重に塗られてます。ひとつのドットの中に、もうひとつ別の色のドットが描かれていて、それらがモザイク画のように絵を構成しているわけです。印象派のスーラは点描法で光学的理論を絵画に取り入れたのだそうですが、若冲はそれよりも100年先んじてデジタルな画法を使っていたことになりますね。
アイコン職人の方などは、よくわかっていらっしゃるのでしょうが、アイコンを拡大して見てみると「なんでここがこんな色に?」って構成になってますよね。でも、アイコンとして見ると、ちゃんときれいな絵に見えるんだからすごいexclamation
と思いませんか?

私は、自分で絵が描けないので、見るのが大好き。大胆なものか、精緻なものに惹かれます。若冲は、どっちもありの人。展覧会、楽しみだなぁ。



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