2011年12月15日

【依存症】くりかえす悪夢

今朝、起きたら、泣いていた。
昨夜遅く、帰宅したときには声が枯れ、胃がキリキリと痛み、背中がパンパンに張っていた。
母がまたやらかしたからだ。

このところ、ふらつきを訴えるようになっていた母。認知症である父がやはりふらつきを訴え、久々にCTを撮ったら脳梗塞が進んでいるのが発見されたのだけれども、それで同じようにふらつきがある自分が急に心配になったようだった。内科・脳外科・神経内科とまとめて診てもらったが、特に異常なし。ついでにと、認知症のテストもしてもらったが、ほぼ満点でまだまだ脳はしっかりしている様子。結局、緊張性頭痛の症状の一種ではないかという診断だった。
それはいいのだが、ついでに受けた尿検査で血液反応が出て、日にちを置いて再検査してもまだ出る。それで一応腎臓の超音波検査を受けることになった。

当初、先週に予定していた超音波検査。朝食は食べないでくださいという指示だった。しかし、当日、母はうっかり父の朝食をつまみ食いしてしまい、仕方ないので検査は延ばしてもらった。
そして昨日、日時をあらためての検査の日。迎えに行くと、まったく準備をしていない。時間を把握していなかったようだ。準備を急かすと、検査票がないと言う。辺りを探すが、普段から整理が悪いので見つからない。そうしていっしょに探しているうちに、大変なものを見つけてしまった。
海外宝くじの封筒が開いている……

愕然とした。
母は”投資依存症”と言えるような性癖がある。真っ当な投資をしてくれればまだよいのだがそういうことはせず、これまで何度も投資詐欺に引っかかってきた。全財産を失くし、借金をし、保険を解約し、人のお金を使い込んでまで投資詐欺にお金を突っ込み、すべて失ってきたというのに、少し時間が経つと忘れてしまうのか、また新たに投資詐欺にひっかかる。
当然、詐欺師が悪いのは明白なんだが、母の場合は自分の欲に目が眩み、投資をすることで幸福感を得るというやっかいなことになっている。悪い詐欺師に引っかかったと同情で済まされるレベルではない。
詐欺師集団には、いいカモと認定され、実家の住所・電話番号は、彼らに知れ渡っていることだろう。本来は引越しをした方がいいのだが、全財産を詐欺に突っ込んで失ったわけで、それもできない。せめてと電話番号を変えたが、またその番号も詐欺師にバレてしまった。
様々な勧誘をする封書が毎日山のように届くわけで、すべてを受け取り拒否するようにさせてきたが、またも誘惑に駆られ封筒を開けてしまったようだ。

腎臓の方は、少々結石の気があるとのことだったが、今すぐどうこうという問題ではなく、一連の健康診断的なものは終わった。
しかし、それをきっかけにまたもこんな問題が持ち上がろうとは……
問い詰めても、黙りこくって下を向くだけで、被害額や詳しい経緯を語ろうとしない。借金はしていないと言うので、それだけは信じよう。
どんなに「それは詐欺だ」と話したところで、半信半疑なまま。「大金が入ってくる」という期待でいっぱいのままでいたいのだ。
子供である私たちの言うことと、詐欺師の言うことと、どちらを信じるのかと問うてみても、答えは返ってこない。甘い言葉で取り入ってくる詐欺師の方が、厳しいことを言う私たち子供より魅力的に映るのだ。
言っておくが、認知症や脳の検査はしたばかり。母は器質的にはまったく正常。詐欺師に洗脳されたような状態になっている。思い返して見ると、認知症のように見受けられる物忘れや反応の悪さというのは、こういう状態になっていることのシグナルだったのだと思う。お金のことで頭がいっぱいで、他のことがお留守になるわけだ。大体、かつて詐欺集団にお金を入金に行く道で事故に遭い、あばらを骨折してるってのに、病院より先に入金しに行った母である。
2年ほど前には精神科でも診てもらったが、依存症という確定診断はしてもらえず、まずは認知症や器質的な異常がないか調べてもらったほうがいいと言われただけで、何の解決にもならなかった。今回、器質的な問題は何もないことがわかり、つまりは性格上の問題、心理的な問題ということが突きつけられてしまった。
なぜやったのかと問うと、必ず「あなたたちにお金をあげたかった」と言う。でもそれは自己弁護に過ぎない。自分が優位に立って、お金を分け与えることで優越感に浸りたいだけ。私たちは何度も、「お金など一銭も要らないから、二度と騙されないで」と言ってきた。それでも、投資詐欺にお金を注ぎ込むことを止めない。こうしたことを繰り返してきたがゆえに、いつか大金を当てて私たちを見返したい気持ちでいっぱいなのだから。
「労せずしてお金が増えることなど有り得ない」と言ったところで、通じない。しおらしい顔をして「二度とやりません」と言っても、上っ面だけで、また性懲りもなく繰り返す。「うそつき!」と詰っても、「縁を切るぞ」と脅しても、こちらがどんなに裏切られた残念な気持ちになるか泣きながら切々と訴えても、母に通じることはない。できるだけのことはして守ってあげようと手を尽くしても、その思いが報われることはない。

当然、母の生い立ちや、今認知症の父を介護せねばならない苦労などを考えると、ストレスの捌け口が必要なのは理解できる。でも、もうそんなレベルではない。父はデイサービスに通うようになった。他に楽しみを見つけようと何度も言ってきたし、いろいろな刺激を与える努力もしてきた。でも、それが実ることはなかった。
母の本質は変わらないまま。お金を得る幸福感を欲しつつ、財産を失っていく。そして、そんな母から家族の気持ちは離れていくばかり。
娘の私がこれだけ嫌なのだから、お嫁さんに好かれるわけがない。同居してでも守ってあげようなどと思うはずがない。
縁を切ることができたら、どんなにスッキリすることだろうと思う。
それをしないのは、父が可哀相だから。それだけだ。

昨日も今日も、地域の消費者生活センターに電話してみるが、何度電話してもつながらない。何かに騙されて困っている人は溢れているということなのだろうと思うと、暗澹たる気持ちになる。
救いとまでは言えないが、今迄のケースと少し違ったことがいくつか。
母が自分から家族以外の第三者、つまり信頼できる知人にこういったことを打ち明けて相談すると約束したこと。
私が用意したレシートを貼るだけの簡単なものだけど、家計簿をつけると言ってくれたこと。
うちのダンナさんが激昂していることを伝えたら、私の目を見て謝ってくれたこと。
本質が変わらないことはイヤというほどわかっているので、何も期待はしないが、良い傾向ではある。

もう何度も繰り返されてきたこと。そして、打てる手はほとんど残っていない。
今やっと消費者センターに電話が通じて、相談員さんから母に直接電話をしてくれることになった。注意を促すことぐらいしかできないが、第三者が介入してくれることで少しは何かを感じ取ってくれればいいが。
もういやだ。本当にいやだ。
posted by nbm at 11:41| Comment(11) | TrackBack(0) | 依存症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

【依存症】精神科医の見解

今日はダークサイドのお話です。
正月明けて早々に、母を長兄といっしょに精神科のクリニックに連れて行ってみました。初回は予約でじっくりとお話を聞いていただきました。母の生い立ちから今までの生活を聞かれ、これまでの経緯については私から話しましたが、私が話している途中から医師の顔は難しくなっていきました。
結局、依存症というものは医学としては診断しにくいと言い、医師は断定を避けました。ただ、自己抑制が効かない状態であることは明白だということで。それが、医師から見ると、高齢になってから急激に悪化しているように見えたようで、まずはもっと大きな精神病院で、認知症や脳の器質的な問題がないか調べるための専門的な脳の検査と詳しい心理検査を受けることを勧められました。依存症だったら、もっと若い頃から破滅的になっているはずだと言うのです。家族からすると、若い頃から続いていることなのですが、その辺りを医師に伝え切れなかった感もあります。認知症である父の話しも出たので、認知症の家族を持つ人のカウンセリングも脳の検査・心理検査と合わせて受けてみてはどうかという話でした。母自身は、当然、またすぐに別の病院で検査など受けたくないと言って抵抗してましたけどね。

それからもう3週間以上経ちます。大量の仕事に忙殺されていたこともありますが、なんだか母のことに一生懸命になることに疲れてしまい、私からは積極的に次の病院を受診する手はずを整えることをしませんでした。兄たちも私を当てにしているのか、まったく動いていない様子。

そして昨日、それから初めて実家へ。
昨日は父を神経内科に連れて行きまして、父の方はアリセプトを5mgから3mgに減らして様子を見ていたのですが、少し活動的に過ぎていたものが落ち着いたようで、今は3mgがちょうどよいのかもしれません。

母には、プレゼントを用意していきました。ひとつは、ダイアリー。月間や週間の予定表がついた手帳ですが、こころがほっこりするような楽しい言葉がちりばめられていたものを見つけ、簡単な日記を書くことで自分の気持ちを整理してほしいと思いました。もうひとつはレシートを貼るだけで食費が管理できる簡単な家計簿。しかし、それらを渡しても「余計なものを買ってこないで!」「やらないね!」と仕舞い込んでしまいました。かわいくない!でも、突っ返さなかっただけ、マシか?
自分を変えるためにはやるべきだと言っても、「変わるつもりはない」と言うし、「自分なりに努力していることはあるけど、それはあんたたちには教えてやらない!」と言い(←やってたとしてもたぶん大したことじゃないから言えないんだと思うけど)、「もうすぐ死ぬんだからいいんだ」と言う始末(笑)
やはり、母の抱える闇は大きく、簡単には光明は見えません。

しかし、ほんの少しですが、いい方向に向いたこともありました。
私が、母に、認知症について書かれている本を読みなさいと渡したのはいつのことだったか。たぶん、渡してからもう1年近く経っていると思うのですが、父が認知症であることを認めたくないのか、「忙しくて読むヒマがない」とずっと読まずにきていました。それは仕事を辞めても変わることがなく、再三、見出しだけでも読んでみてと勧めてきたのですが、今の今まで読んだことがありませんでした。あまりに母が読まないので、長兄が「俺が先に読む」と借りて行き、読んだ後に「自分が思っていたものとまったく違っていて、勉強になった」と言って、母に返しました。母は、それでも読まないでいたのですが、昨日、まだ読んでいないのかという話になり、父の言葉にに一々反発してイライラしている自分の気持ちを楽にするために読めって言っているのがわからないのかと言うと(何度も言ってきたことだけど)、やっと手に取って読む姿勢を見せてくれました。こんなことに1年近くもかかるのかい!むりやり一緒に読むという手もなくはないですが、母の場合は無理強いすると反発が大きいので、自発的な行動が突破口になるような気がしてまして。

それと、何年も前に買ったのに眠っているままになっていたデジカメを引っ張り出してきてセッティングし、最低限の操作方法を母に教え、気軽に写真を撮るといいよと、ひとつの遊びを提案して帰ってきました。その場で父の写真を撮ったりして、けっこう気に入った様子。
仕事を辞めて時間ができたであろうことを考え、日常的に音楽を聴くことも提案してきました。父にとっては音楽というと、大好きなカラオケで歌うことになってしまうので、父の中ではすでに、ただ単に音楽を聴くという行為が理解できないようでしたが(苦笑)音楽というと、”歌う”ことであり、残念ながら、ただ聴くという行為がどうしても理解できないらしい…。「音楽を聴くなら人を集めなきゃならないから」とか言って、意味不明(笑)試しにオペラ歌手のCDを聴かせてみると、「そいつは下手だ。俺の方がずっと上手い」とか暴言を吐く始末で(笑)
以前から何度も、家にあるあらゆるプレーヤーの操作方法について、母に教えてきたのですが、また「わからないから教えて」と始まり、これで何度目だと思ってやがると思いつつも、教えてきました。母のことなので、あまり切迫して必要でないものでも次々と買い込むクセがあり、家の中はムダなもので溢れているのですが、デカいステレオもそのひとつ。DVDプレーヤーでもCDは聴けるし。母一人で楽しみたいときにと、ポータブルのCDプレーヤーも引っ張り出してきて、操作方法を忘れたから教えて、と。そんなもん、再生と停止のボタンしかないがな。どんなプレーヤーでも、四角いマークが”停止”で右向き三角のマークが”再生”だと、何度説明すりゃいいんじゃ!よく見ろ!見えないならメガネをかけてよく見ろ!そして、考えろ!歳を取ったからってことを言い訳にして、面倒がるんじゃない!

そうなんです。今回痛切に感じましたが、母は怠惰なのですよ。やるべきことをやらないできた。自分のやりたくないことを避けてきた。そういうクセが、”やらねばならないこと”から逃げる性質を作ってしまった。
楽しい生活はしたいだろうけど、楽しいことを知らない。でも、知ろうとする努力をしない。それじゃ何も楽しくできないよ。楽しくなりたいなら、楽しむために行動しなきゃ。
つまらない、苦痛だけどやらなければならないことがあって、やりたいしやってて楽しいことがある。双方の対比があって、初めて楽しいことが楽しめるのではないかと。やりたいことだけやってたんじゃ、楽しくはならないんだね。不思議だ。

年老いているからと、どうしても甘やかしてしまいがちになる自分がいて、厳しくすべきことが厳しくできずにいるんですよね。で、そんなことを考えるのが面倒だから、なるべく接触したくない。今はそんな状態です。

今回は、家に帰ると、ダンナさんがポッキーを片手に待ち構えていて、玄関を入るとすぐに「とりあえず、食え」とポッキーを口に突っ込まれました(笑)ポッキー、ウマー!
今回は、最初にプレゼントを渡して険悪な雰囲気になったものの、実家を出る頃には母の機嫌は治ってました。少しは気持ちが通じただろうか。いやいや、過度の期待は禁物だな。
posted by nbm at 10:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 依存症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする